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中日新聞杯ってどんなレース?

中日新聞杯の基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 中京競馬場
施行時期 3月上旬
(原則1回中京2日目)
格付け GIII
1着賞金 4000万円
賞金総額 7600万円
距離 芝2000m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(特指)
出走資格も参照
負担重量 ハンデキャップ競走
第1回施行日 1965年2月14日

中日新聞杯(ちゅうにちしんぶんはい)は、中京競馬場の芝2000mのコースで行われる競馬の重賞競走(GIII)である。

中日新聞杯 概要

1965年に中部日本(中日)新聞社提供の優勝杯をかけて、第1回「中日杯」として開催。翌1966年の第2回から現在の名称に改められた。
この競走は中京記念と並んで、長年、春季の中京開催(3月。ただし一部年度で開催時期は異なる。)の名物重賞として、また、父内国産馬限定の重賞として定着していた(1981年から)が、2000年から愛知杯との開催時期入れ替えで年末(12月)開催に移行し、特別指定交流競走に指定された。

2004年には、それまで中日新聞杯と同様に父内国産重賞として施行されていた愛知杯とカブトヤマ記念が、共に牝馬限定の競走(カブトヤマ記念はレースを廃止した上で福島牝馬ステークスとして再編)に変更されたことから、中央競馬で唯一の父内国産限定重賞となった。

2006年に時期を阪神競馬場で行われる阪神ジュベナイルフィリーズと同日開催となり、別定戦からハンデキャップ競走に変更となり、距離が2000mに延長され、中京競馬場の芝1800m重賞は姿を消した。2008年から時期を阪神ジュベナイルフィリーズの前日に変更、出走資格が父内国産馬限定から混合競走に変更され、中央競馬の父内国産馬限定重賞も姿を消すことになった。2009年からは国際競走となった。

2012年からは開催時期を再び3月に戻し、これとともに特別指定競走から除外され、出走資格が4歳以上に変更された。
12月開催時には、プロ野球・中日ドラゴンズ選手が表彰式におけるプレゼンターを務めていた。
出走資格はサラ系4歳(旧5歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)である。
負担重量はハンデキャップである。

中日新聞杯 歴史

1965年 – 中京競馬場の砂1800mの5歳(現4歳)以上のハンデキャップの重賞競走、「中日杯」として創設。
1966年
競走名を現在の「中日新聞杯」に変更。
負担重量を別定に変更。
1967年 – 開催時期を3月に変更。
1969年 – 開催時期を1月に変更。
1970年
中京競馬場の芝コース設置により、施行コースを芝1800mに変更。
開催時期を11月に変更。それに伴い、出走条件が4歳(現3歳)以上に変更。
1971年 – 開催時期を2月に変更。それに伴い、出走条件が5歳(現4歳)以上に変更。
1978年
開催時期を1月に変更。
降雪の影響によりダート1700mで施行。
1981年
開催時期を2月に変更。
父内国産馬限定競走に指定。
1982年 – 開催時期を3月に変更。
1983年 – 開催時期を1月に変更。
1984年
グレード制施行によりGIIIに格付け。
降雪の影響によりダート1700mで施行。

1985年 – 開催時期を2月に変更。
1987年 – 開催時期を3月に変更。
1991年 – 阪神競馬場の改修工事による振替開催により、小倉競馬場の芝1800mで施行。
1993年 – 中京競馬場の改修工事による振替開催により、小倉競馬場の芝1800mで施行。
1994年 – 京都競馬場の改修工事による振替開催により、小倉競馬場の芝1800mで施行。
1997年
ファンドリショウリが史上初の連覇。
宝来城多郎が騎手として史上初の連覇。
2000年
開催時期を12月に変更。それに伴い、出走条件が4歳(現3歳)以上に変更。
特別指定交流競走に指定され、JRAに認定された地方馬は2頭まで出走可能となる。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。

2004年
プリサイスマシーンが史上2頭目の連覇。
後藤浩輝が騎手として2人目の連覇。
萩原清が調教師として史上初の連覇。
2006年
開催時期を12月に変更。阪神競馬場で行われる阪神ジュベナイルフィリーズと同日開催に変更。
施行コースを現在の芝2000mに変更。
負担重量をハンデキャップに戻す。
2007年 – 国際セリ名簿基準委員会の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2008年
開催時期を阪神ジュベナイルフィリーズ開催の前日に変更。
父内国産馬限定競走から混合競走に変更。
ミルコ・デムーロが騎手として3人目の連覇。

2009年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬が9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
2010年 – 中京競馬場の改修工事による振替開催により、小倉競馬場の芝2000mで施行。
2011年 – 中京競馬場の改修工事による振替開催により、小倉競馬場の芝2000mで施行。
2012年
開催時期を3月に変更予定。
出走条件を4歳以上に戻す。
特別指定競走から除外される。
土曜日開催から2007年以来となる日曜日開催に戻す。

中日新聞杯 歴代優勝馬

回数 施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師

第1回 1965年2月14日 バリモスニセイ 牡4 1:53.5 諏訪真 諏訪佐市
第2回 1966年2月13日 アオバ 牡4 1:53.6 小林常泰 森末之助
第3回 1967年3月12日 ゲンカイ 牡4 1:53.5 松永高徳 柄崎義信
第4回 1968年3月3日 トミマサ 牡4 1:54.4 野村彰彦 久保道雄
第5回 1969年1月26日 ハクセンショウ 牡5 1:52.0 稲部和久 尾形藤吉
第6回 1970年11月22日 スピーデーワンダー 牡4 1:48.9 梅田守 梅内慶蔵
第7回 1971年2月7日 シャダイセンター 牝4 1:49.6 沢峰次 松山吉三郎
第8回 1972年2月13日 ニホンピロムーテー 牡4 1:51.0 福永洋一 服部正利
第9回 1973年2月4日 キョウエイアタック 牡4 1:49.7 南井克巳 石栗龍雄
第10回 1974年2月3日 グットキラメキ 牡5 1:49.2 福永甲 内藤繁春
第11回 1975年2月2日 サンポウ 牡5 1:48.5 安田富男 加藤朝治郎
第12回 1976年2月1日 スリーヨーク 牡5 1:48.3 出口隆義 諏訪佐市
第13回 1977年2月6日 キングラナーク 牡4 1:48.6 岩元市三 布施正
第14回 1978年1月22日 リキタイコー 牡4 1:45.8 飯田明弘 服部正利
第15回 1979年1月21日 スリーファイヤー 牝5 1:49.6 岩元市三 布施正
第16回 1980年1月27日 サンライダー 牡4 1:48.9 柴田政見 柴田不二男
第17回 1981年2月15日 ウエスタンジョージ 牡5 1:47.8 加用正 北橋修二
第18回 1982年3月7日 タツユウチカラ 牡5 1:49.7 外枦保重秋 二分久男
第19回 1983年1月23日 フジマドンナ 牝7 1:49.4 竹原啓二 松山康久
第20回 1984年1月22日 アスコットエイト 牡4 1:44.0 五十嵐忠男 清水久雄
第21回 1985年2月17日 キクノペガサス 牝4 1:48.2 南井克巳 宇田明彦
第22回 1986年2月16日 ハクリョウベル 牡5 1:49.9 西橋昇 谷八郎
第23回 1987年3月8日 ウインドストース 牡4 1:48.1 加藤和宏 二本柳俊夫
第24回 1988年3月6日 トキノオリエント 牡4 1:48.0 上野清章 吉永猛
第25回 1989年3月5日 トウショウアロー 牝4 1:47.8 加用正 瀬戸口勉
第26回 1990年3月4日 ドウカンジョー 牝6 1:48.1 内田浩一 池江泰郎
第27回 1991年3月3日 ショウリテンユウ 牡7 1:48.2 西浦勝一 山内研二
第28回 1992年3月8日 フジヤマケンザン 牡4 1:47.3 小島貞博 戸山為夫
第29回 1993年3月7日 ネーハイビクトリー 牡5 1:49.4 村本善之 新川恵
第30回 1994年3月5日 ヤマニンフォックス 牡6 1:49.5 山田和広 坪正直
第31回 1995年3月4日 ゴーゴーゼット 牡4 1:47.2 武豊 新井仁
第32回 1996年3月2日 ファンドリショウリ 牡5 1:48.3 宝来城多郎 布施正
第33回 1997年3月1日 ファンドリショウリ 牡6 1:48.7 宝来城多郎 田中章博
第34回 1998年2月28日 ツルマルガイセン 牡4 1:48.2 高橋亮 橋口弘次郎
第35回 1999年3月7日 シンカイウン 牡7 1:49.6 内田浩一 二分久男
第36回 2000年12月9日 トウショウアンドレ 牡4 1:46.4 角田晃一 渡辺栄
第37回 2001年12月8日 グランパドドゥ 牝4 1:48.0 中舘英二 長浜博之
第38回 2002年12月7日 マイソールサウンド 牡3 1:47.9 本田優 西浦勝一
第39回 2003年12月13日 プリサイスマシーン 牡4 1:47.6 後藤浩輝 萩原清
第40回 2004年12月11日 プリサイスマシーン 牡5 1:46.3 後藤浩輝 萩原清
第41回 2005年12月10日 グランリーオ 牡5 1:46.4 柴山雄一 笹倉武久
第42回 2006年12月3日 トーホウアラン 牡3 1:57.8 C.ルメール 藤原英昭
第43回 2007年12月2日 サンライズマックス 牡3 1:58.5 M.デムーロ 増本豊
第44回 2008年12月13日 ヤマニンキングリー 牡3 1:59.5 M.デムーロ 河内洋
第45回 2009年12月12日 アーネストリー 牡4 1:57.4 佐藤哲三 佐々木晶三
第46回 2010年12月11日 トゥザグローリー 牡3 1:58.7 M.デムーロ 池江泰郎
第47回 2011年12月10日 コスモファントム 牡4 1:59.6 大野拓弥 宮徹

弥生賞(皐月賞トライアル)ってどんなレース?

弥生賞(皐月賞トライアル)の基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 中山競馬場
施行時期 3月上旬
(原則2回中山4日目)
格付け GII
1着賞金 5200万円
賞金総額 9900万円
距離 芝2000m
出走条件 サラブレッド系3歳(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 馬齢(56kg、牝馬2kg減)
第1回施行日 1964年3月1日
特記 上位3着まで(収得賞金0の馬は2着まで)に皐月賞への優先出走権

弥生賞(やよいしょう)は、中山競馬場の芝2000メートルで行われる中央競馬の重賞 (GII) 競走。競走名は陰暦の3月である弥生から由来。報知新聞社が優勝杯を提供しているため、正式名称は報知杯弥生賞と表記される。

皐月賞と同じ距離・コースで行われる本競走には毎年3歳牡馬の有力馬が多く参戦し、皐月賞のみならずその年の牡馬クラシック三冠(皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞)を占ううえで最も重要な競走のひとつとして位置付けられている。

弥生賞(皐月賞トライアル) 概要

本競走は1960年から1963年に施行されていた東京記念を前身とし、1964年にクラシック競走である皐月賞の前哨戦として4歳(現3歳)の別定の重賞競走、弥生賞として創設、第1回は現在とは違い中山競馬場の芝1600メートルで施行された。

しかし翌1965年には施行場を東京競馬場に移し、同競馬場の改修工事の影響により1968年のみふたたび中山競馬場で施行し、1971年から負担重量は馬齢重量に変更された。

1969年から1970年の2年間は、積雪の影響で1969年ダート1400メートル、1970年ダート1600メートルで施行、1971年からはふたたび施行場を中山競馬場に移し、施行距離を芝1800メートルに変更した。

1982年から正式に皐月賞指定オープン競走となり、上位5着までに入賞した競走馬には皐月賞の優先出走権が与えられるようになり、更に皐月賞の前哨戦の意味合いを高めることになる。

1984年からはグレード制施行によりGIIIに格付け、施行距離が現在の芝2000メートルとなり、さらに混合競走に指定、外国産馬の出走が可能になった。1987年にはGIIに格上げされ、1991年に優先出走権の見直しにより、上位3着までに入賞した競走馬に皐月賞の優先出走権が与えられるように変更された。

1995年には指定交流競走に指定、地方競馬所属の競走馬も出走可能になり、かつ皐月賞トライアルに指定されたが、1997年に混合競走から除外、しかし外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により2002年に外国産馬が皐月賞に出走可能になったことに伴い、ふたたび混合競走に指定され、同年のみ負担重量が定量で施行された。

出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の競走馬(外国産馬含む)および地方所属の競走馬(2頭まで)。上位3着まで入賞した競走馬には皐月賞の優先出走権が与えられる。負担重量は馬齢重量で56キログラム、牝馬は54キログラムである。

弥生賞(皐月賞トライアル) 歴史

1964年 – 中山競馬場の芝外回り1600メートルの4歳(現3歳)の別定重量の重賞競走、弥生賞として創設(創設当初の基本負担斤量は牡馬・騸馬・牝馬共に52キログラム)。
1965年 – 施行場を東京競馬場の芝1600メートルに変更。
1968年 – 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝外回り1600メートルで施行。
1969年 – 積雪の影響によりダート1400メートルで施行。

1970年
報知新聞社より優勝杯の提供を受ける。
積雪の影響によりダート1600メートルで施行。
1971年
施行場を中山競馬場の芝1800メートルに変更。
負担重量を「別定重量」から「馬齢重量」に変更。
負担斤量を牡馬・騸馬55キログラム、牝馬53キログラムに変更。
1972年 – 前年末に発生した馬インフルエンザの影響で5月に順延開催。
1973年 – 元地方大井所属のハイセイコーがJRA転厩馬として史上初の優勝。

1982年 – 皐月賞指定オープン競走に指定され、上位5着までの入賞馬に皐月賞の優先出走権が付与されるようになる。
1984年
グレード制施行によりGIIIに格付け。
混合競走に指定。
施行距離を現在の芝2000メートルに変更。
1987年 – GIIに格上げ。
1988年 – 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2000メートルで施行。
1991年 – 優先出走権取得条件が上位5頭から上位3頭の入賞馬に変更。

1995年
皐月賞トライアルに指定。
指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。
1997年 – 混合競走から除外。
1998年 – 武豊が騎手として史上初の3連覇。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳」から「3歳」に変更。

2002年
負担重量を「馬齢重量」から「定重量」に変更。
負担斤量を牡馬・騸馬56キログラム、牝馬54キログラムに変更。
混合競走に再び指定。
2003年 – 負担重量を「定重量」から「馬齢重量」に戻す。
2004年 – ホッカイドウ所属のコスモバルクが地方所属馬として史上初の優勝。

2007年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIに変更。
武豊が騎手として2度目の3連覇。
2010年 – 国際競走に指定され、重賞格付け表記をGIIに戻す。

弥生賞(皐月賞トライアル) 歴代優勝馬

回数 施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1964年3月1日 トキノパレード 牡3 1:38.5 野平好男 田中和夫
第2回 1965年2月28日 キーストン 牡3 1:36.9 山本正司 松田由太郎
第3回 1966年2月27日 タマシユウホウ 牡3 1:39.9 郷原洋行 稗田敏男
第4回 1967年3月5日 アサデンコウ 牡3 1:38.7 森安重勝 藤本冨良
第5回 1968年3月17日 アサカオー 牡3 1:37.4 加賀武見 中村広
第6回 1969年3月2日 ワイルドモア 牡3 1:25.1 森安重勝 尾形藤吉
第7回 1970年3月1日 タニノムーティエ 牡3 1:38.9 安田伊佐夫 島崎宏
第8回 1971年3月14日 メジロゲッコウ 牡3 1:50.7 郷原洋行 大久保末吉
第9回 1972年5月14日 ロングエース 牡3 1:50.3 武邦彦 松田由太郎
第10回 1973年3月4日 ハイセイコー 牡3 1:50.9 増沢末夫 鈴木勝太郎
第11回 1974年3月3日 カーネルシンボリ 牡3 1:51.2 野平祐二 野平省三
第12回 1975年3月1日 カブラヤオー 牡3 1:51.2 菅原泰夫 茂木為二郎
第13回 1976年3月7日 クライムカイザー 牡3 1:51.2 加賀武見 佐藤嘉秋
第14回 1977年3月6日 ラッキールーラ 牡3 1:49.8 伊藤正徳 尾形藤吉
第15回 1978年3月5日 ファンタスト 牡3 1:51.7 柴田政人 高松三太
第16回 1979年3月4日 リキアイオー 牡3 1:51.1 星野信幸 伊藤竹男
第17回 1980年3月2日 トウショウゴッド 牡3 1:52.0 中島啓之 奥平真治
第18回 1981年3月1日 トドロキヒホウ 牡3 1:51.1 郷原洋行 元石孝昭
第19回 1982年3月7日 サルノキング 牡3 1:51.4 田原成貴 中村好夫
第20回 1983年3月6日 ミスターシービー 牡3 1:50.2 吉永正人 松山康久
第21回 1984年3月4日 シンボリルドルフ 牡3 2:01.7 岡部幸雄 野平祐二
第22回 1985年3月3日 スダホーク 牡3 2:03.0 田村正光 古山良司
第23回 1986年3月2日 ダイシンフブキ 牡3 2:02.4 菅原泰夫 柴田寛
第24回 1987年3月8日 サクラスターオー 牡3 2:02.1 東信二 平井雄二
第25回 1988年3月6日 サクラチヨノオー 牡3 2:01.1 小島太 境勝太郎
第26回 1989年3月5日 レインボーアンバー 牡3 2:07.7 増沢末夫 鈴木勝太郎
第27回 1990年3月4日 メジロライアン 牡3 2:05.4 横山典弘 奥平真治
第28回 1991年3月3日 イブキマイカグラ 牡3 2:01.7 南井克巳 中尾正
第29回 1992年3月8日 アサカリジェント 牡3 2:01.5 柴田政人 河野通文
第30回 1993年3月7日 ウイニングチケット 牡3 2:00.1 柴田政人 伊藤雄二
第31回 1994年3月6日 サクラエイコウオー 牡3 2:01.3 小島太 境勝太郎
第32回 1995年3月5日 フジキセキ 牡3 2:03.7 角田晃一 渡辺栄
第33回 1996年3月3日 ダンスインザダーク 牡3 2:02.7 武豊 橋口弘次郎
第34回 1997年3月2日 ランニングゲイル 牡3 2:02.2 武豊 加用正
第35回 1998年3月8日 スペシャルウィーク 牡3 2:01.8 武豊 白井寿昭
第36回 1999年3月7日 ナリタトップロード 牡3 2:03.5 渡辺薫彦 沖芳夫
第37回 2000年3月5日 フサイチゼノン 牡3 2:02.3 藤田伸二 田原成貴
第38回 2001年3月4日 アグネスタキオン 牡3 2:05.7 河内洋 長浜博之
第39回 2002年3月3日 バランスオブゲーム 牡3 2:02.0 田中勝春 宗像義忠
第40回 2003年3月9日 エイシンチャンプ 牡3 2:02.3 福永祐一 瀬戸口勉
第41回 2004年3月7日 コスモバルク 牡3 2:00.5 五十嵐冬樹 田部和則
第42回 2005年3月6日 ディープインパクト 牡3 2:02.2 武豊 池江泰郎
第43回 2006年3月5日 アドマイヤムーン 牡3 2:01.5 武豊 松田博資
第44回 2007年3月4日 アドマイヤオーラ 牡3 2:00:5 武豊 松田博資
第45回 2008年3月9日 マイネルチャールズ 牡3 2:01.8 松岡正海 稲葉隆一
第46回 2009年3月8日 ロジユニヴァース 牡3 2:03.5 横山典弘 萩原清
第47回 2010年3月7日 ヴィクトワールピサ 牡3 2:06.1 武豊 角居勝彦
第48回 2011年3月6日 サダムパテック 牡3 2:01.0 岩田康誠 西園正都

弥生賞(皐月賞トライアル)からの春のクラシック競走優勝馬

創設年から春のクラシック戦線を占う競走として施行されているが36頭が皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・桜花賞・優駿牝馬(オークス)のいずれかを制覇し、第20回優勝馬ミスターシービー、第21回優勝馬シンボリルドルフ、第42回優勝馬ディープインパクトはクラシック牡馬三冠を成し遂げた。

回数 馬名     性齢 着順 優勝競走
第1回 カネケヤキ 牝3 4着 第24回桜花賞・第25回優駿牝馬
第2回 キーストン 牡3 1着 第32回東京優駿
第3回 ニホンピロエース 牡3 2着 第26回皐月賞
第4回 アサデンコウ 牡3 1着 第34回東京優駿
第5回 マーチス 牡3 3着 第28回皐月賞
第6回 ワイルドモア 牡3 1着 第29回皐月賞
第7回 タニノムーティエ 牡3 1着 第30回皐月賞・第37回東京優駿
第9回 ロングエース 牡3 1着 第39回東京優駿
ランドプリンス 2着 第32回皐月賞
第10回 ハイセイコー 牡3 1着 第33回皐月賞
タケホープ 7着 第40回東京優駿
第11回 コーネルランサー 牡3 3着 第41回東京優駿
第12回 カブラヤオー 牡3 1着 第35回皐月賞・第42回東京優駿
第13回 クライムカイザー 牡3 1着 第43回東京優駿
第14回 ラッキールーラ 牡3 1着 第44回東京優駿
第15回 ファンタスト 牡3 1着 第38回皐月賞
サクラショウリ 2着 第45回東京優駿
第17回 ハワイアンイメージ 牡3 3着 第40回皐月賞
第20回 ミスターシービー 牡3 1着 第43回皐月賞・第50回東京優駿
第21回 シンボリルドルフ 牡3 1着 第44回皐月賞・第51回東京優駿
第23回 ダイナコスモス 牡3 2着 第46回皐月賞
第24回 サクラスターオー 牡3 1着 第47回皐月賞
第25回 サクラチヨノオー 牡3 1着 第55回東京優駿
第27回 アイネスフウジン 牡3 4着 第57回東京優駿
第30回 ウイニングチケット 牡3 1着 第60回東京優駿
ナリタタイシン 2着 第53回皐月賞
第33回 イシノサンデー 牡3 3着 第56回皐月賞
第34回 サニーブライアン 牡3 3着 第57回皐月賞・第64回東京優駿
第35回 スペシャルウィーク 牡3 1着 第65回東京優駿
セイウンスカイ 2着 第58回皐月賞
第36回 アドマイヤベガ 牡3 2着 第66回東京優駿
第37回 エアシャカール 牡3 2着 第60回皐月賞
第38回 アグネスタキオン 牡3 1着 第61回皐月賞
第42回 ディープインパクト 牡3 1着 第65回皐月賞・第72回東京優駿
第45回 キャプテントゥーレ 牡3 4着 第68回皐月賞
第46回 ロジユニヴァース 牡3 1着 第76回東京優駿
第47回 ヴィクトワールピサ 牡3 1着 第70回皐月賞

チューリップ賞とってどんなレース?

チューリップ賞の基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 阪神競馬場
施行時期 3月上旬
(原則1回阪神3日目)
格付け GIII
1着賞金 3400万円
賞金総額 6500万円
距離 芝・外1600m
出走条件 サラブレッド系3歳牝馬(国際)(指定)

負担重量 馬齢(54kg)
第1回施行日 1994年3月12日(重賞格上)
特記 上位3着まで(収得賞金0の馬は2着まで)に桜花賞への優先出走権

チューリップ賞(チューリップしょう)は、阪神競馬場の芝外回り1600mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走。競走名はチューリップから。

チューリップ賞 概要

1984年に阪神競馬場の4歳(現3歳)牝馬限定の馬齢の芝1600mの桜花賞指定オープン特別競走、チューリップ賞として施行されたのが始まり。上位2着までに入賞した競走馬には桜花賞の優先出走権が与えられた。

1991年は阪神競馬場の改修工事により中京競馬場の芝1700mで施行、1994年には重賞競走に格上げ、重賞昇格に伴い桜花賞の優先出走権は上位3着までに変更、GIIIに格付けされたが、京都競馬場の改修工事による振替開催により再び中京競馬場の芝1700mで施行、更に翌年には桜花賞のトライアル競走に指定、更に指定交流競走に指定され地方競馬所属の競走馬も出走可能になったが、阪神・淡路大震災の被害による阪神競馬場の復旧工事の影響で京都競馬場の芝外回り1600mで施行された。

2004年からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により、外国産馬が桜花賞に出走可能になった事に伴い、混合競走に指定、外国産馬の出走が可能になった。2010年からは国際競走に指定されている。

2007年からは2006年12月に阪神競馬場の外回りコースが新設された事により、第1コーナーポケットを発走地点とするコースから向正面を発走地点とする外回りコースに変更された。

また上位3着まで入賞した外国産馬にも同様に優先出走権が与えられるようになった。
桜花賞トライアルで最初に施行される競走で、桜花賞と同コース・同距離で行われる為、有力馬の多くがこの競走をステップに桜花賞へ向かい、同レースで結果を残すことが多い。

現在の優勝レイは桃色地に黄色文字で、地にはレース名にちなんでチューリップの模様が描かれている。
出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牝馬の競走馬と地方所属の牝馬の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬の牝馬(8頭まで)。
負担重量は馬齢重量で54kgである。

チューリップ賞 歴史

1984年 – 阪神競馬場の4歳(現3歳)牝馬の馬齢の芝1600mの桜花賞指定オープン特別競走、チューリップ賞として施行。
1991年 – 阪神競馬場の改修工事により中京競馬場の芝1700mで施行。
1994年
阪神競馬場の4歳(現3歳)牝馬の馬齢の芝1600mの桜花賞指定オープンの重賞(GIII)競走、チューリップ賞として新設。
桜花賞優先出走権取得条件を上位3着までに入賞した競走馬に変更。
京都競馬場の改修工事による振替開催により中京競馬場の芝1700mで施行。

1995年
桜花賞のトライアル競走に指定。
指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
阪神競馬場の阪神・淡路大震災の影響による復旧工事により京都競馬場の芝外回り1600mで施行。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳牝馬」から「3歳牝馬」に変更。
2004年 – 混合競走に指定。

2007年
ICSCの勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
この年より、3-4コーナーで外回りとなる新コースにて施行。
2010年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
2011年 – レーヴディソールの単勝支持率が、グレード制施行後では重賞最高となる81.4%を記録し、重賞初となる単勝でのJRAプラス10が適用された。

チューリップ賞 歴代優勝馬

チューリップ賞 オープン特別

施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
1984年3月11日 ウラカワミユキ 牝3 1:37.8 松永昌博 松永善晴
1985年3月10日 アイノサチ 牝3 1:38.1 増井裕 土門健司
1986年3月9日 レイホーソロン 牝3 1:36.9 村本善之 小林稔
1987年3月15日 マックスビューティ 牝3 1:38.2 田原成貴 伊藤雄二
1988年3月13日 シヨノロマン 牝3 1:37.2 武豊 庄野穂積
1989年3月12日 ヤンゲストシチー 牝3 1:36.8 本田優 清水出美
1990年3月11日 アグネスフローラ 牝3 1:36.4 河内洋 長浜博之
1991年3月10日 シスタートウショウ 牝3 1:44.1 角田晃一 鶴留明雄
1992年3月15日 アドラーブル 牝3 1:38.5 村本善之 小林稔
1993年3月13日 ベガ 牝3 1:36.8 武豊 松田博資

チューリップ賞 重賞格付け以後
回数 施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1994年3月12日 アグネスパレード 牝3 1:43.8 河内洋 長浜博之
第2回 1995年3月11日 ユウキビバーチェ 牝3 1:35.1 松永幹夫 新井仁
第3回 1996年3月2日 エアグルーヴ 牝3 1:34.2 O.ペリエ 伊藤雄二
第4回 1997年3月1日 オレンジピール 牝3 1:37.7 河内洋 山内研二
第5回 1998年3月7日 ダンツシリウス 牝3 1:36.9 四位洋文 山内研二
第6回 1999年3月6日 エイシンルーデンス 牝3 1:35.1 野元昭嘉 野元昭
第7回 2000年3月4日 ジョーディシラオキ 牝3 1:39.7 武幸四郎 松田国英
第8回 2001年3月3日 テイエムオーシャン 牝3 1:35.3 本田優 西浦勝一
第9回 2002年3月2日 ヘルスウォール 牝3 1:35.2 M.デムーロ 森秀行
第10回 2003年3月8日 オースミハルカ 牝3 1:35.9 安藤勝己 安藤正敏
第11回 2004年3月6日 スイープトウショウ 牝3 1:35.5 池添謙一 鶴留明雄
第12回 2005年3月5日 エイシンテンダー 牝3 1:35.3 武幸四郎 武邦彦
第13回 2006年3月4日 アドマイヤキッス 牝3 1:36.5 武豊 松田博資
第14回 2007年3月3日 ウオッカ 牝3 1:33.7 四位洋文 角居勝彦
第15回 2008年3月8日 エアパスカル 牝3 1:35.8 藤岡佑介 池江泰寿
第16回 2009年3月7日 ブエナビスタ 牝3 1:36.5 安藤勝己 松田博資
第17回 2010年3月6日 ショウリュウムーン 牝3 1:36.1 木村健 佐々木晶三
第18回 2011年3月5日 レーヴディソール 牝3 1:34.5 福永祐一 松田博資

チューリップ賞からの桜花賞優勝馬

オープン競走創設年から桜花賞のトライアル競走として施行され、14頭が桜花賞に出走、うち6頭が優勝している。

回数 馬名 性齢 着順 備考
マックスビューティ 牝3 1着 第48回優駿牝馬優勝
アグネスフローラ 牝3 1着 アグネスフライト・アグネスタキオンの母
シスタートウショウ 牝3 1着 –
ニシノフラワー 牝3 2着 第26回スプリンターズステークス優勝
ベガ 牝3 1着 第54回優駿牝馬優勝
第1回 オグリローマン 牝3 2着 元地方笠松所属・オグリキャップの半妹
第5回 ファレノプシス 牝3 4着 第3回秋華賞優勝・第25回エリザベス女王杯優勝
第6回 プリモディーネ 牝3 4着 –
第7回 チアズグレイス 牝3 10着 –
第8回 テイエムオーシャン 牝3 1着 第52回阪神3歳牝馬ステークス優勝・第6回秋華賞優勝
第10回 スティルインラブ 牝3 2着 史上2頭目の牝馬三冠馬
第14回 ダイワスカーレット 牝3 2着 第12回秋華賞優勝・第32回エリザベス女王杯優勝・第53回有馬記念優勝
第16回 ブエナビスタ 牝3 1着 第60回阪神ジュベナイルフィリーズ優勝・第70回優駿牝馬優勝・第5回ヴィクトリアマイル優勝・第142回天皇賞優勝・第31回ジャパンカップ優勝
第17回 アパパネ 牝3 2着 第61回阪神ジュベナイルフィリーズ優勝・史上3頭目の牝馬三冠馬[1]・第6回ヴィクトリアマイル優勝

オーシャンステークスってどんなレース?

オーシャンステークスの基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 中山競馬場
施行時期 3月上旬
(原則2回中山3日目)
格付け GIII
1着賞金 3800万円
賞金総額 7200万円
距離 芝・外1200m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 グレード別定(本文に記載)
第1回施行日 2006年3月4日(重賞格上)
特記 地方所属馬のみ、上位2着までに
高松宮記念への出走権

オーシャンステークスは、中山競馬場の芝1200mで行われる重賞(GIII)競走。夕刊フジを発行する産業経済新聞社が賞の寄贈を行っているため、正式名称は夕刊フジ賞オーシャンステークスと表記される。名称は英語で大海・大洋の意味である「ocean」から。なおレース名と海の日の関連性はない。

オーシャンステークス 概要

1996年に中山競馬場の4歳(現3歳)以上の混合の別定の芝1800mのオープン特別競走、オーシャンステークスとして施行されたのが始まり。

しかし翌年には、施行時期を6月中旬から現在の3月初頭に移した事により出走資格を混合・指定の5歳(現4歳)以上に、負担重量をハンデキャップ、施行距離を芝1200mに変更を行った。

1999年は1600万下条件特別競走に格下げされたが、翌2000年には再びオープン特別競走に格上げされたと同時に、負担重量を別定に変更、2005年まで同条件で施行された。

2006年には短距離重賞路線の再整備に伴い、中山競馬場の4歳(旧5歳)以上の国際・指定の芝1200mの重賞(GIII)競走に格上げ、3月下旬に中京競馬場で行われる高松宮記念の関東圏の前哨戦の位置付けとなり、関西圏の高松宮記念の前哨戦である阪急杯と対になる競走となった。また2005年までに施行されていたクリスタルカップの廃止に伴い、同競走のレーススポンサーであった産業経済新聞社が本競走に賞の寄贈を移した。

なお地方所属馬に限られるが、上位2着までに限り高松宮記念の出走権(優先出走権ではない)が与えられるトライアル競走である。
出走資格は、サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬(3頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は56kg、牝馬は2kg減を基本とし、
施行日当日から1年前の開催週以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から1年前の開催週以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
施行日当日から1年前の開催週より過去のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
以上のように斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。

オーシャンステークス 歴史

1996年 – 中山競馬場の4歳(現3歳)以上の混合の別定の芝1800mのオープン特別競走、オーシャンステークスとして施行。
1997年
出走条件を5歳(現4歳)以上に変更。
負担重量をハンデキャップに変更。
距離を芝外回り1200mに変更。
指定交流競走に指定。
1999年 – 1600万下条件に格下げ。

2000年
オープン特別に格上げ。
負担重量を別定に戻す。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2003年 – 地方大井所属のネイティヴハートが地方所属馬として初制覇。
2005年
シルキーラグーンが史上初の連覇。
池上昌弘が調教師として史上初の連覇。

2006年
中山競馬場の4歳以上の国際競走・指定交流競走の別定の芝外回り1200mの重賞(GIII)競走、夕刊フジ賞オーシャンステークスとして新設(創設当初の地方所属馬の出走枠は3頭、外国調教馬の出走枠は4頭まで)。
地方船橋所属のネイティヴハートが当競走で史上2頭目となる2度目の優勝にして、かつ地方所属馬として重賞格上げ後初制覇。
2007年 – 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2009年
外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
重賞格付け表記をGIIIに戻す。

2012年
負担重量の加増内容を別定のGII競走と同様にし、上限を59kgから58kg(牝馬は2kg減)にする。以下のように変更される。
過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬の斤量加増を3kgから2kgに変更。
過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬および施行日前日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬の斤量加増を2kgから1kgに変更。

過去1年以降の牝馬限定GII競走またはGIII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬および施行日前日から過去1年以前の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬の加増1kgを削除。

オーシャンステークス 歴代優勝馬

オーシャンステークス オープン特別・1600万下条件
施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
1996年6月16日 マイネルガーベ 牡4 1:47.0 蛯沢誠治 稲葉隆一 (株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
1997年3月2日 チアズサイレンス 牡4 1:09.3 O.ペリエ 山内研二 北村キヨ子
1998年3月8日 シンコウフォレスト 牡5 1:09.0 柴田善臣 栗田博憲 安田修
1999年3月14日 イズミサクセス 牡4 1:09.3 勝浦正樹 本郷一彦 斉藤猛
2000年3月5日 タイキブライドル 牡5 1:09.1 岡部幸雄 伊藤正徳 (有)大樹ファーム
2001年3月3日 キーゴールド 牡7 1:09.8 蛯名正義 宮徹 北前孔一郎
2002年3月2日 ショウナンカンプ 牡4 1:07.3 吉田豊 大久保洋吉 国本哲秀
2003年3月8日 ネイティヴハート 牡5 1:09.7 石崎隆之 大山一男 池田草龍
2004年3月6日 シルキーラグーン 牝4 1:08.1 小林淳一 池上昌弘 (有)シルク
2005年3月5日 シルキーラグーン 牝5 1:07.9 柴田善臣 池上昌弘 (有)シルク

オーシャンステークス 重賞格付け以後
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 2006年3月4日 ネイティヴハート 牡8 1:08.6 内田博幸 坂本昇 池田草龍
第2回 2007年3月3日 アイルラヴァゲイン 牡5 1:08.2 松岡正海 手塚貴久 齊藤四方司
第3回 2008年3月8日 プレミアムボックス 牡5 1:08.9 吉田隼人 上原博之 (有)社台レースホース
第4回 2009年3月7日 アーバニティ 牡5 1:09.2 横山典弘 古賀慎明 (有)社台レースホース
第5回 2010年3月6日 キンシャサノキセキ 牡7 1:09.8 四位洋文 堀宣行 吉田和美
第6回 2011年3月5日 ダッシャーゴーゴー 牡4 1:07.8 川田将雅 安田隆行 芦田信

オーシャンステークスからの高松宮記念優勝馬

オープン競走時の2000年から高松宮記念の前哨戦として施行されているが2頭が同年の高松宮記念を制覇している。

回数 馬名 性齢 着順
ショウナンカンプ 牡4 1着
第5回 キンシャサノキセキ 牡7 1着
第6回 キンシャサノキセキ 牡8 2着

阪急杯ってどんなレース?

阪急杯の基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 阪神競馬場
施行時期 2月下旬 – 3月上旬
(原則1回阪神2日目)
格付け GIII
1着賞金 3800万円
賞金総額 7200万円
距離 芝1400m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 グレード別定
第1回施行日 1957年6月30日
特記 地方所属馬のみ、上位2着までに高松宮記念への出走権

阪急杯(はんきゅうはい)は、阪神競馬場の芝内回り1400mでおこなわれる中央競馬の重賞(GIII)競走。競走名は優勝杯を提供する阪急電鉄から冠名が取られた。阪急電鉄は阪神競馬場の最寄の駅である仁川駅に乗り入れている鉄道会社である。

阪急杯 概要

本競走は1955年から1956年の2年間だけ施行された、阪神競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走「阪神記念」を前身とし、1957年に阪神競馬場の芝2200mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走「宝塚杯」として新設された。

1960年に阪急電鉄から優勝杯の提供を受けると名称を現在の阪急杯に改名、施行距離を芝1800mに変更、1965年のみ芝1850m、1967年から1971年は芝1900m、1972年からは芝1600m[1]、更に1981年の短距離重賞路線整備に伴い芝1400mと初夏のハンデキャップの短距離重賞競走として定着していき、1984年のグレード制施行によりGIIIに格付けされた。

1990年には混合競走に指定され、外国産馬の出走が可能となり、1996年には高松宮杯(現在の高松宮記念)のGI昇格・距離短縮を中心とした短距離重賞路線の再整備に伴い芝1200mに変更。1997年には高松宮記念のステップレースの位置付けになり、出走資格を4歳以上に変更された。
2000年には開催時期を2月末から3月初めに、負担重量を別定にそれぞれ変更、更に特別競走に指定され地方所属馬の出走も可能になり、2005年には国際競走に指定、2006年には短距離重賞路線の再整備に伴い再び芝1400mに戻した。
関東圏の高松宮記念の前哨戦オーシャンステークス(2006年新設)と対になる競走で、関西圏の高松宮記念の前哨戦となる重要な競走である。

なお地方所属馬に限られるが、上位2着までに限り高松宮記念の出走権(優先出走権ではない)が与えられるトライアル競走である。
出走資格は、サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬(3頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。

負担重量は56kg、牝馬は2kg減を基本とし、
施行日当日から1年前の開催週以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から1年前の開催週以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
施行日当日から1年前の開催週より過去のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
以上のように斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。

阪急杯 歴史

1957年 – 阪神競馬場の芝2200mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、宝塚杯として新設。
1958年 – 競馬法35周年記念競走の副称が当年のみ付く。
1959年 – 阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
1960年
前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
名称を現在の阪急杯に改名。
施行距離を芝1800mに変更。
1962年
清田十一が騎手として史上初の連覇。
伊藤勝吉が調教師として史上初の連覇。
1965年 – 施行距離を芝1850mに変更。
1966年 – 阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝外回り1800mで施行。
1967年 – 施行距離を芝1900mに変更。
1969年 – 阪神競馬場のスタンド火災により京都競馬場の芝1900mで施行。
1972年 – 施行距離を芝1600m[1]に変更。
1974年 – 阪神競馬場のダートコース新設工事により京都競馬場の芝外回り1600mで施行。
1976年 – 京都競馬場の芝外回り1600mで施行。
1981年 – 施行距離を芝1400mに変更。
1984年 – グレード制施行によりGIIIに格付け。
1988年 – 橋口弘次郎が調教師として2人目の連覇。
1990年 – 混合競走に指定。
1991年 – 阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝外回り1400mで施行。
1995年
阪神競馬場の阪神・淡路大震災の影響により京都競馬場の芝外回り1400mで施行。
震災復興支援競走の副称が当年のみ付く。
1996年 – 施行距離を芝1200mに変更。
1997年 – 開催時期を3月末~4月初めに変更。それに伴い、出走資格も「5歳(現4歳)以上」に変更。
1999年 – 厩務員ストライキの影響で施行日を4月10日に延期。
2000年
開催時期を2月末~3月初めに変更。
指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
負担重量を別定重量に変更。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2002年 – 地方所属馬の出走枠が3頭に拡大。
2005年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2006年
施行距離を芝(内回り)1400mに戻す。
牝馬限定競走優勝馬の負担重量を軽減。
競走中にコスモサンビームが死亡。
2007年
日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
レース史上初、JRA重賞では2002年京成杯以来の2頭同着優勝。
2008年 – 5位入線のマルカフェニックスが進路妨害により12着に降着。
2012年
負担重量の加増内容を別定のGII競走と同様にし、上限を59kgから58kg(牝馬は2kg減)にする。以下のように変更される。
過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬の斤量加増を3kgから2kgに変更。
過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬および施行日前日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬の斤量加増を2kgから1kgに変更。
過去1年以降の牝馬限定GII競走またはGIII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬および施行日前日から過去1年以前の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬の加増1kgを削除。

阪急杯 歴代優勝馬
回数 施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1957年6月30日 タカクラオー 牡4 2:17 2/5 玉田一彦 橋田俊三
第2回 1958年6月29日 ヤマニン 牡3 2:21 0/5 浅見国一 相羽仙一
第3回 1959年7月5日 ホマレリユウ 牡4 2:17 2/5 宮本悳 橋本正晴
第4回 1960年5月22日 ミンシユウ 牡4 1:49.4 坂田正行 仲住達弥
第5回 1961年5月28日 シーザー 牡4 1:50.7 清田十一 伊藤勝吉
第6回 1962年5月27日 ミスケイコ 牝4 1:51.1 清田十一 伊藤勝吉
第7回 1963年5月26日 ゴウカイ 牡4 1:50.7 栗田勝 武田文吾
第8回 1964年5月24日 パスポート 牝4 1:48.6 松永高徳 清水茂次
第9回 1965年5月23日 バリモスニセイ 牡4 1:53.5 諏訪眞 諏訪佐市
第10回 1966年5月22日 ハツライオー 牡4 1:55.5 松本善登 伊藤修司
第11回 1967年5月21日 ニホンピローエース 牡4 1:54.8 田所稔 小川佐助
第12回 1968年7月7日 アポオンワード 牡5 1:58.4 松本善登 武田文吾
第13回 1969年5月18日 タカノキネン 牡5 2:00.4 小野幸治 小林稔
第14回 1970年5月10日 ヒロズキ 牡4 1:57.4 田口光雄 松田由太郎
第15回 1971年6月6日 トウメイ 牝5 2:00.0 清水英次 坂田正行
第16回 1972年5月14日 フアストバンブー 牡5 1:39.9 福永洋一 伊藤修司
第17回 1973年6月10日 サカエカホー 牡4 1:34.9 湯浅三郎 加藤清一
第18回 1974年6月9日 ケイリュウシンゲキ 牝4 1:35.0 上野清章 伊藤修司
第19回 1975年6月8日 シルバーネロ 牡4 1:35.0 福永洋一 武田文吾
第20回 1976年6月13日 ヤマニンファバー 牡4 1:38.1 日高三代喜 浅見国一
第21回 1977年6月12日 センターグッド 牡4 1:35.2 鹿戸明 田所稔
第22回 1978年6月11日 スリーファイヤー 牡4 1:37.3 岩元市三 布施正
第23回 1979年6月10日 リードスワロー 牝4 1:34.4 田島信行 服部正利
第24回 1980年5月11日 テルノエイト 牡4 1:34.6 飯田明弘 清水久雄
第25回 1981年5月24日 サツキレインボー 牡4 1:24.4 米元孝一 田之上勲
第26回 1982年6月13日 バンブトンハーレー 牡4 1:21.8 飯田明弘 伊藤修司
第27回 1983年6月12日 ハッピープログレス 牡5 1:22.3 田原成貴 山本正司
第28回 1984年6月10日 グァッシュアウト 牝4 1:24.0 小島貞博 戸山為夫
第29回 1985年6月9日 シャダイソフィア 牝4 1:21.9 河内洋 渡辺栄
第30回 1986年6月8日 ロングハヤブサ 牡5 1:22.5 南井克巳 小林稔
第31回 1987年6月7日 セントシーザー 牡5 1:22.3 河内洋 橋口弘次郎
第32回 1988年6月5日 サンキンハヤテ 牡4 1:21.6 増井裕 橋口弘次郎
第33回 1989年6月4日 ホリノライデン 牡4 1:22.0 武豊 目野哲也
第34回 1990年6月3日 センリョウヤクシャ 牡4 1:22.3 河内洋 庄野穂積
第35回 1991年6月2日 ジョーロアリング 牡5 1:23.5 山田和広 坪正直
第36回 1992年6月7日 ホクセイシプレー 牡4 1:25.2 須貝尚介 須貝彦三
第37回 1993年6月6日 レガシーフィールド 牝5 1:24.1 佐藤哲三 吉岡八郎
第38回 1994年6月5日 ゴールドマウンテン 牡5 1:20.9 岸滋彦 佐山優
第39回 1995年6月3日 ボディーガード 牡4 1:20.0 松永幹夫 山本正司
第40回 1996年6月16日 トーワウィナー 牡6 1:08.5 河内洋 佐山優
第41回 1997年3月29日 シンコウフォレスト 牡4 1:10.5 四位洋文 栗田博憲
第42回 1998年4月4日 マサラッキ 牡5 1:08.5 河内洋 増本豊
第43回 1999年4月10日 キョウエイマーチ 牝5 1:08.6 秋山真一郎 野村彰彦
第44回 2000年2月27日 ブラックホーク 牡6 1:08.7 横山典弘 国枝栄
第45回 2001年2月25日 ダイタクヤマト 牡7 1:08.7 M.デムーロ 石坂正
第46回 2002年2月24日 アドマイヤコジーン 牡6 1:07.9 後藤浩輝 橋田満
第47回 2003年3月2日 ショウナンカンプ 牡5 1:08.5 藤田伸二 大久保洋吉
第48回 2004年2月29日 サニングデール 牡5 1:08.5 吉田稔 瀬戸口勉
第49回 2005年2月27日 キーンランドスワン 牡6 1:08.5 四位洋文 森秀行
第50回 2006年2月26日 ブルーショットガン 牡7 1:22.5 松永幹夫 武宏平
第51回 2007年2月25日 プリサイスマシーン 牡8 1:20.5
(同着) 安藤勝己 萩原清
エイシンドーバー 牡5 幸英明 湯浅三郎
第52回 2008年3月2日 ローレルゲレイロ 牡4 1:20.7 四位洋文 昆貢
第53回 2009年3月1日 ビービーガルダン 牡5 1:21.1 安藤勝己 領家政蔵
第54回 2010年2月28日 エーシンフォワード 牡5 1:21.4 岩田康誠 西園正都
第55回 2011年2月27日 サンカルロ 牡5 1:20.1 吉田豊 大久保洋吉

阪急杯からの高松宮記念優勝馬

1997年から高松宮記念の前哨戦として施行されているが7頭が高松宮記念(高松宮杯)を制覇している。以下は複数回出走した該当馬は優勝年を表記したもの。
回数 馬名     性齢 着順
第41回 シンコウキング 牡6 7着
第47回 ビリーヴ 牝5 9着
第48回 サニングデール 牡5 1着
第49回 アドマイヤマックス 牡6 4着
第50回 オレハマッテルゼ 牡6 3着
第51回 スズカフェニックス 牡5 3着
第53回 ローレルゲレイロ 牡5 2着

中山記念ってどんなレース?

中山記念の基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 中山競馬場
施行時期 2月下旬 – 3月上旬
(原則2回中山2日目)
格付け GII
1着賞金 6000万円
賞金総額 1億1400万円
距離 芝1800m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)

負担重量 グレード別定
第1回施行日 1936年10月18日

中山記念(なかやまきねん)は、中山競馬場の芝1800mでおこなわれる中央競馬の重賞(GII)競走。
競走名は中山競馬場から冠名が取られている。正賞は千葉県知事賞。

中山記念 概要

1936年秋に中山競馬場のハンデキャップの芝3200mの重賞競走、中山記念として創設され、秋と春の年2回施行された。秋の競走は出走条件が4歳(現3歳)以上、春の競走は5歳(現4歳)以上と決められていた。

1938年の秋の競走から施行距離を芝3400mに変更、しかし1944年から1946年の3年間は太平洋戦争(戦時中)の影響により開催中止となった。

1947年のみ出走条件が5歳(現4歳)限定、しかし翌年から5歳(現4歳)以上に変更、また施行距離は1951年まで春の競走は芝2600mで施行され、秋の競走は出走条件が4歳(現3歳)以上に変更、1950年まで芝3200mに変更され、1948年のみ芝3400mで施行された。また1951年は春の競走が芝2500mに変更、秋の第26回競走を最後に年2回施行制は廃止された。

年1回制になった1952年から1955年は施行距離を芝2400mに変更、1956年のみ中山競馬場の改築に伴い中山改築記念の副称が付けられた。1957年からは芝1800mに変更、現在も変わらずこの距離で施行されている。

1958年からは出走条件が目まぐるしく変わり、同年は5歳(現4歳)以上、1959年から1960年は4歳(現3歳)以上、1961年から1962年は5歳(現4歳)以上、1963年は4歳(現3歳)以上、1964年から1966年は5歳(現4歳)以上、1967年は4歳(現3歳)以上、1968年に5歳(現4歳)以上でおさまった。

1972年からは負担重量が別定に変更、1984年からはグレード制施行によりGIIに格付け、かつ混合競走に指定され外国産馬が出走可能になり、1996年からは地方所属の騎手が騎乗可能となり、2005年から国際競走に指定された。

伝統と格式を誇る重賞競走で、本競走から天皇賞(春)や安田記念、更には宝塚記念を目標とする有力馬が始動する場合があり、春の古馬GI戦線を占う重要な役目を担っている。

また本競走からメイダン競馬場で施行されるドバイミーティングや4月下旬に香港の沙田競馬場で施行されるクイーンエリザベス2世カップへ遠征する競走馬陣営も増えてきており、2011年にはヴィクトワールピサがこのレースを制し、続くドバイワールドカップで日本調教馬初の優勝を成し遂げた。

出走資格は、サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は4歳は55kg(開催日が3月2日以降の場合は56kg[1])、5歳以上は56kg、牝馬は2kg減を基本とし、
施行日当日から1年前の開催週以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から1年前の開催週以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
施行日当日から1年前の開催週より過去のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増

以上の条件で斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。なお2007年までは賞金別定で行われていたが2008年からは有力馬の出走を促すためグレード別定重量に変更となっている。

1,600m超2,200m未満の競走のアローワンス([1]のアローワンスおよび南半球産馬の負担重量の減量についての項目参照)が2月は1kg、3月は0kgとなっている。

開催日(天災地変その他やむを得ない事由により開催日の日取りを変更した場合における変更後の開催日を除く。)が2日以上連続する場合において、それらの開催日の最初の日とその他の日におけるアローワンスおよび南半球産馬の負担重量の減量が当該表に定めるところにより変更されることとなる場合については、当該最初の日現在における当該表による重量をもってそれらの開催日におけるアローワンスおよび南半球産馬の負担重量の減量とする。より、開催日が3月1日(2009年はこれに該当する)の場合でも前日の土曜日が2月28日と2月なのでアローワンスは1kg

中山記念 歴史

以下は、中山記念(春)と(秋)と年1回制に分けて記載する。

中山記念(春)

1937年 – 中山競馬場の芝3200mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、中山記念(春)として創設。
1938年
モアーザンが史上初の連覇。
仲住達弥が調教師として史上初の連覇。
1939年 – 施行距離を芝3400mに変更。
1940年 – 2着入線のロツキーモアーが進路妨害で失格。
1943年 – 尾形景造が調教師として史上初の3連覇。
1944年~1946年 – 太平洋戦争の影響で開催中止。
1947年
出走条件を5歳(現4歳)に変更。
施行距離を芝2600mに変更。
1948年 – 出走条件を5歳(現4歳)以上に変更。
1951年
施行距離を芝2500mに変更。
年2回制廃止、年1回制に変更。

中山記念 歴代優勝馬

回数 施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第2回 1937年4月4日 モアーザン 牡5 3:33 0/5 仲住達弥
第4回 1938年4月10日 モアーザン 牡6 3:28 3/5 斎藤友吉 仲住達弥
第6回 1939年4月14日 フアインモア 牡5 3:44 2/5 中村一雄 藤本冨良
第8回 1940年4月8日 ヘンウン 牡5 3:46 3/5 岸参吉 鈴木信太郎
第10回 1941年4月13日 エステイツ 牡4 3:46 4/5 田中康三 尾形景造
第12回 1942年4月19日 ライオンカツプ 牡4 3:44 1/5 八木沢勝美 尾形景造
第14回 1943年4月25日 クレタケ 牡4 3:45 3/5 田中康三 尾形景造
第16回 1947年4月3日 トヨウメ 牡4 2:52 1/5 小林善衛 鈴木信太郎
第18回 1948年4月4日 ブランドパプース 牝4 2:49 1/5 保田隆芳 尾形藤吉
第20回 1949年5月3日 サチトミ 牡5 2:46 1/5 高橋英夫 鈴木勝太郎
第22回 1950年4月16日 カネフブキ 牡4 2:47 3/5 中村広 藤本冨良
第24回 1951年5月20日 トサホマレ 牡4 3:26 4/5 大久保末吉 稗田敏男

中山記念(秋)

1936年 – 中山競馬場の芝3200mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、中山記念(秋)として創設。
1938年 – 施行距離を芝3400mに変更。
1942年
新屋幸吉が騎手として史上初の連覇。
清水茂次が調教師として史上初の連覇。
1944年~1946年 – 太平洋戦争の影響で開催中止。
1947年
出走条件を5歳(現4歳)に変更。
施行距離を芝3200mに変更。
1948年
出走条件を4歳(現3歳)以上に変更。
施行距離を芝3400mに戻す。
1949年 – 施行距離を芝3200mに戻す。
1951年
施行距離を芝2600mに変更。
年2回制廃止、年1回制に変更。

中山記念 歴代優勝馬
回数 施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1936年10月18日 アトランタ 牝5 3:32 1/5 高木良三 明石孔
第3回 1937年10月16日 トクマサ 牡4 3:45 3/5 伊藤正四郎 尾形景造
第5回 1938年11月27日 モアーザン 牡6 3:49 0/5 斎藤友吉 仲住達弥
第7回 1939年12月2日 テイト 牡4 3:41 3/5 大久保末吉
第9回 1940年12月8日 エスパリオン 牡5 3:45 3/5 佐藤邦雄 大久保房松
第11回 1941年12月6日 ヤマトモ 牡4 3:46 4/5 新屋幸吉 清水茂次
第13回 1942年12月6日 ニパトア 牝4 3:45 1/5 新屋幸吉 清水茂次
第15回 1943年12月5日 シマハヤ 牡4 3:40 0/5 小西喜蔵 田中和一郎
第17回 1947年12月7日 ヤマトナデシコ 牝4 3:40 3/5 二本柳俊夫 稲葉幸夫
第19回 1948年10月31日 エツザン 牡4 3:41 3/5 橋本輝雄 久保田彦之
第21回 1949年12月11日 ヒデヒカリ 牝4 3:26 2/5 中村広 藤本冨良
第23回 1950年12月17日 ヤシマドオター 牝4 3:35 1/5 保田隆芳 尾形藤吉
第25回 1951年10月21日 ミサワホープ 牡4 2:50 1/5 田中康三 久保田彦之

中山記念(春・秋)連覇

年2回施行されていた1951年の秋・第25回までにモアーザンただ1頭のみが春・秋両競走の制覇をしている。
  馬名     性齢 優勝回
モアーザン 牡6 春・第4回 秋・第5回

中山記念の変遷

1952年
年2回制から年1回制に変更。
施行距離を芝2400mに変更。
1956年
中山競馬場の改築完了により中山改築記念の副称が本年のみ付く。
施行距離を芝2600mに変更。
1957年 – 施行距離を芝1800mに変更。
1958年 – 出走条件を5歳(現4歳)以上に変更。
1959年
出走条件を4歳(現3歳)以上に変更。
野平祐二が年1回制での騎手として史上初の連覇。
1960年 – 前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1961年 – 出走条件を5歳(現4歳)以上に変更。
1963年
出走条件を4歳(現3歳)以上に変更。
稲葉幸夫が年1回制での調教師として史上初の連覇
1964年 – 出走条件を5歳(現4歳)以上に変更。
1967年 – 出走条件を4歳(現3歳)以上に変更。
1968年 – 出走条件を5歳(現4歳)以上に変更。
1972年 – 負担重量を別定に変更。
1979年
カネミカサが年1回制での史上初の連覇。
蛯沢誠治が騎手として2人目の連覇。
成宮明光が調教師として2人目の連覇。
1983年
エイティトウショウが2頭目の連覇。
中島啓之が騎手として3人目の連覇。
奥平真治が調教師として3人目の連覇。
1984年
グレード制施行によりGIIに格付け。
混合競走に指定。
1988年 – 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝1800mで施行。
1992年 – 鈴木康弘が調教師として4人目の連覇。
1994年 – 2着入線のケントニーオーが進路妨害により5着降着。
1995年 – 3着入線のウインドフィールズが進路妨害により5着降着。
1996年 – この年から地方所属の騎手が騎乗可能となる。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2005年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2006年
バランスオブゲームが3頭目の連覇。
田中勝春が騎手として4人目の連覇。
宗像義忠が調教師として5人目の連覇。
2007年
日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
ローエングリンが年1回制で4頭目となる2度目の優勝。
2008年 – 負担重量が賞金別定からグレード別定に変更。
2009年
カンパニーが年1回制で5頭目となる2度目の優勝にして、かつ4頭目の連覇。
横山典弘が騎手として5人目の連覇。
音無秀孝が調教師として6人目の連覇。
2012年 – 基本負担重量を4歳56kg(開催日が3月2日以降の場合は57kg)、5歳以上57kg(牝馬は2kg減)から4歳55kg(開催日が3月2日以降の場合は56kg)、5歳以上56kg(牝馬は2kg減)に変更。

中山記念 歴代優勝馬

国際競走となった2005年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数 施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第26回 1952年10月26日 キヨストロング 牡3 2:32 0/5 中村広 藤本冨良
第27回 1953年10月25日 ブルレツト 牝3 2:34 3/5 高橋直 高木良三
第28回 1954年11月7日 チエリオ 牝4 2:32 0/5 阿部正太郎 田中和一郎
第29回 1955年11月6日 タカギク 牡4 2:31 2/5 坂本栄三郎 杉浦照
第30回 1956年10月28日 ヒデホマレ 牡4 2:44 1/5 蛯名武五郎 田中康三
第31回 1957年7月14日 マイウエイ 牡4 1:52 1/5 古野富張 内藤潔
第32回 1958年3月30日 ミツル 牝5 1:55 2/5 野平祐二 尾形藤吉
第33回 1959年7月12日 フイリー 牝5 1:50 2/5 野平祐二 野平省三
第34回 1960年7月10日 ハローモア 牡4 1:49.8 森安重勝 尾形藤吉
第35回 1961年4月23日 オンワードスタン 牡4 1:50.3 保田隆芳 二本柳俊夫
第36回 1962年4月21日 ギントシ 牡4 1:51.2 梶与四松 稲葉幸夫
第37回 1963年6月9日 ナスノミドリ 牡4 1:50.6 加賀武見 稲葉幸夫
第38回 1964年2月23日 トースト 牝5 1:52.2 保田隆芳 尾形藤吉
第39回 1965年3月21日 スイートラペール 牝6 1:50.8 野平祐二 野平富久
第40回 1966年5月1日 フジイサミ 牡5 1:53.7 津田昭 松永光雄
第41回 1967年6月4日 オンワードヒル 牡4 1:50.0 牧野三雄 中村広
第42回 1968年4月21日 シエスキイ 牡5 1:51.8 郷原洋行 大久保房松
第43回 1969年4月13日 メイジシロー 牡4 1:51.2 中野渡清一 本郷重彦
第44回 1970年4月19日 アカツキテル 牡4 1:53.4 増沢末夫 勝又忠
第45回 1971年4月18日 ヒダプレジデント 牡4 1:51.7 吉永正人 松山吉三郎
第46回 1972年3月12日 トウショウピット 牡5 1:50.2 増沢末夫 茂木為二郎
第47回 1973年3月11日 ジンデン 牡5 1:49.6 柴田政人 高松三太
第48回 1974年3月10日 ハイセイコー 牡4 1:52.1 増沢末夫 鈴木勝太郎
第49回 1975年3月9日 ヒカルジンデン 牡4 1:49.5 柴田政人 高松三太
第50回 1976年3月14日 ヤマブキオー 牡6 1:50.6 徳吉一己 森末之助
第51回 1977年3月13日 アイフル 牡6 1:49.2 嶋田功 仲住芳雄
第52回 1978年3月12日 カネミカサ 牡4 1:49.7 蛯沢誠治 成宮明光
第53回 1979年3月11日 カネミカサ 牡5 1:49.3 蛯沢誠治 成宮明光
第54回 1980年3月9日 ヨシノスキー 牡4 1:53.3 的場均 佐藤征助
第55回 1981年3月8日 キタノリキオー 牡4 1:50.4 田村正光 伊藤竹男
第56回 1982年3月14日 エイティトウショウ 牝4 1:49.3 中島啓之 奥平真治
第57回 1983年3月13日 エイティトウショウ 牝5 1:55.7 中島啓之 奥平真治
第58回 1984年3月11日 テュデナムキング 牡4 1:49.4 的場均 大久保房松
第59回 1985年3月10日 トウショウペガサス 牡6 1:47.6 中島啓之 奥平真治
第60回 1986年3月9日 クシロキング 牡4 1:48.0 岡部幸雄 中野隆良
第61回 1987年3月15日 スズパレード 牡6 1:49.6 蛯沢誠治 富田六郎
第62回 1988年3月13日 モガミヤシマ 牡4 1:47.2 柴田政人 古山良司
第63回 1989年3月12日 コーセイ 牝5 1:48.7 鈴木寿 尾形盛次
第64回 1990年3月11日 ホクトヘリオス 牡6 1:48.3 柴田善臣 中野隆良
第65回 1991年3月10日 ユキノサンライズ 牝4 1:47.7 増沢末夫 鈴木康弘
第66回 1992年3月15日 ダイナマイトダディ 牡4 1:48.5 加藤和宏 鈴木康弘
第67回 1993年3月14日 ムービースター 牡7 1:47.0 岸滋彦 坪憲章
第68回 1994年3月13日 サクラチトセオー 牡4 1:48.9 小島太 境勝太郎
第69回 1995年3月12日 フジヤマケンザン 牡7 1:50.3 蛯名正義 森秀行
第70回 1996年3月10日 サクラローレル 牡5 1:47.2 横山典弘 境勝太郎
第71回 1997年3月9日 キングオブダイヤ 牡5 1:48.7 柴田善臣 清水利章
第72回 1998年3月15日 サイレンススズカ 牡4 1:48.6 武豊 橋田満
第73回 1999年3月14日 キングヘイロー 牡4 1:47.5 柴田善臣 坂口正大
第74回 2000年2月27日 ダイワテキサス 牡7 1:46.8 後藤浩輝 増沢末夫
第75回 2001年2月25日 アメリカンボス 牡6 1:47.7 江田照男 田子冬樹
第76回 2002年2月24日 トウカイポイント 騸6 1:45.4 岡部幸雄 後藤由之
第77回 2003年3月2日 ローエングリン 牡4 1:47.6 後藤浩輝 伊藤正徳
第78回 2004年2月29日 サクラプレジデント 牡4 1:44.9 武豊 小島太
第79回 2005年2月27日 バランスオブゲーム 牡6 1:46.5 田中勝春 宗像義忠
第80回 2006年2月26日 バランスオブゲーム 牡7 1:48.9 田中勝春 宗像義忠
第81回 2007年2月25日 ローエングリン 牡8 1:47.2 後藤浩輝 伊藤正徳
第82回 2008年3月2日 カンパニー 牡7 1:47.3 横山典弘 音無秀孝
第83回 2009年3月1日 カンパニー 牡8 1:49.2 横山典弘 音無秀孝
第84回 2010年2月28日 トーセンクラウン 牡6 1:51.7 江田照男 菅原泰夫
第85回 2011年2月27日 ヴィクトワールピサ 牡4 1:46.0 M.デムーロ 角居勝彦
レースレコード – 1:44.9(第78回優勝馬サクラプレジデント)

中山記念からの春の古馬GI競走優勝馬

1972年の第46回から春の古馬GI(級)戦線を占う競走として施行されているが18頭が天皇賞(春)・安田記念・宝塚記念のいずれかを制覇している。また、1頭が海外のGI競走を制している。以下は複数回出走した該当馬は優勝年を表記したもの。

回数 馬名     性齢 着順 優勝競走
第46回 ラファール 牝4 16着 第22回安田記念
第47回 ハクホオショウ 牡4 7着 第23回安田記念
第48回 ハイセイコー 牡4 1着 第15回宝塚記念
タケホープ 牡4 3着 第69回天皇賞(春)
第49回 イチフジイサミ 牡5 4着 第71回天皇賞(春)
第52回 ニッポーキング 牡5 9着 第28回安田記念
第53回 サクラショウリ 牡4 2着 第20回宝塚記念
カシュウチカラ 牡6 6着 第79回天皇賞(春)
第56回 モンテプリンス 牡5 2着 第85回天皇賞(春)・第23回宝塚記念
スイートネイティブ 牝5 6着 第32回安田記念
第57回 キヨヒダカ 牡5 8着 第33回安田記念
第60回 クシロキング 牡4 1着 第93回天皇賞(春)
第61回 スズパレード 牡6 1着 第28回宝塚記念
第65回 メジロライアン 牡4 2着 第32回宝塚記念
第67回 ヤマニンゼファー 牡5 4着 第43回安田記念
第70回 サクラローレル 牡5 1着 第113回天皇賞(春)
第72回 サイレンススズカ 牡4 1着 第39回宝塚記念
第83回 ドリームジャーニー 牡5 2着 第50回宝塚記念
第85回 ヴィクトワールピサ 牡4 1着 第16回ドバイワールドカップ

アーリントンカップってどんなレース?

アーリントンカップの基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 阪神競馬場
施行時期 2月下旬 – 3月上旬
(原則1回阪神1日目)
格付け GIII
1着賞金 3700万円
賞金総額 7060万円
距離 芝・外1600m
出走条件 サラブレッド系3歳(国際)(特指)

負担重量 別定
第1回施行日 1992年3月8日

アーリントンカップは、阪神競馬場の芝1600メートルでおこなわれる中央競馬の重賞 (GIII) 競走。
競走名はアーリントンパーク競馬場 (Arlington Park) に由来。

アーリントンカップ 概要

前身は1987年に創設され、1991年に廃止されたペガサスステークス。阪神競馬場とアーリントン国際競馬場(Arlington International Racecourse、2000年から現名称)が提携を結んだのを機に1991年限りで同競走は廃止され、1992年にペガサスステークスと同じ条件である阪神競馬場の芝1600mの重賞競走として新たに創設された。

2007年以降は2006年12月に阪神競馬場の外回りコースが新設された事により、第1コーナーポケットを発走地点とするコースから向正面を発走地点とする外回りコースに変更された。なおアーリントンパーク競馬場では交換競走としてGIII・3歳以上・オールウェザー8ハロンで行われる「阪神カップ(Hanshin Cup)」が施行されている(JRAの阪神カップとは別物)。

クラシック競走やNHKマイルカップを目指す3歳馬にとって関西圏におけるステップとなる競走の1つに位置付けられており、第11回優勝馬タニノギムレットは同年の東京優駿(日本ダービー)を優勝、また第12回優勝馬ウインクリューガーは同年のNHKマイルカップを優勝、第17回で3着に終わったディープスカイは同年のNHKマイルカップと東京優駿(日本ダービー)を制している。

その他にも第9回優勝馬エイシンプレストンが後に香港で国際GIを3勝し、第10回優勝馬ダンツフレームは翌年の宝塚記念を制すなど、2000年から2003年まで4年連続でGI馬を輩出している。また創設以来外国産馬が出走することができるレースでもあって、外国産馬が優勝することが多いレースの一つでもある。

創設以来、優勝馬はすべて関西馬であることも特色として挙げられる。もっともこれは、クラシックを狙う関東馬は牡馬であれば本競走の前後に施行される共同通信杯や弥生賞を、牝馬であれば本競走後に施行される桜花賞トライアルやフラワーカップを選択するため、出走する関東馬が少ないという事情もある。
現在の優勝レイの配色は、黄緑色の地に黄色文字となっている。

出走資格は、サラ系3歳限定のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は馬齢重量である56kg、牝馬は54kgを基本とし、更に日本馬については収得賞金額が2,000万円以上の競走馬は1kg、外国調教馬については重賞競走優勝馬の競走馬は1kgの負担が課せられるよう定められている。

アーリントンカップ 歴史

1992年 – 阪神競馬場の芝1600mの3歳限定の別定の重賞競走、アーリントンカップとして創設。
1993年 – 混合競走に指定。
1994年 – 京都競馬場の改修工事により、中京競馬場の芝1700mで施行。
1995年 – 阪神競馬場の阪神・淡路大震災の復旧工事により、京都競馬場の芝外回り1600mで施行。
1996年 – 特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
1999年 – 1位入線のバイオマスターが進路妨害により2着に降着。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳」から「3歳」に変更。
2002年 – 武豊が騎手として史上初の連覇。
2005年 – 武豊が騎手として2度目の連覇。
2006年 – 3歳クラシック以前の実績馬の選択肢を増やす目的で、負担重量の上限が57kg(牝馬は55kg)になるよう現行の規定に変更。
2007年 – ICSCの勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。

2009年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
外国調教馬の負担重量を現行の規定に設定。

アーリントンカップ 歴代優勝馬
回数 施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1992年3月8日 エルカーサリバー 牝3 1:37.5 山田泰誠 田中良平 (株)クレアール 
第2回 1993年3月7日 グランドシンゲキ 牡3 1:38.3 土肥幸広 岩元市三 靏本貢 
第3回 1994年2月27日 メルシーステージ 牡3 1:42.9 河北通 小野幸治 永井康郎
第4回 1995年2月26日 エイシンバーリン 牝3 1:34.3 南井克巳 坂口正則 平井豊光
第5回 1996年2月25日 スギノハヤカゼ 牡3 1:33.9 田島裕和 鹿戸幸治 杉江義夫
第6回 1997年2月23日 ブレーブテンダー 牡3 1:36.1 松永幹夫 池江泰郎 前田幸治
第7回 1998年3月1日 ダブリンライオン 牡3 1:34.6 O.ペリエ 田所秀孝 畑清介
第8回 1999年2月28日 エイシンキャメロン 牡3 1:35.8 武豊 坂口正則 平井豊光
第9回 2000年2月26日 エイシンプレストン 牡3 1:35.7 福永祐一 北橋修二 平井豊光
第10回 2001年2月24日 ダンツフレーム 牡3 1:35.9 武豊 山内研二 山元哲二
第11回 2002年2月23日 タニノギムレット 牡3 1:33.9 武豊 松田国英 谷水雄三
第12回 2003年3月1日 ウインクリューガー 牡3 1:36.8 武幸四郎 松元茂樹 (株)ウイン
第13回 2004年2月28日 シーキングザダイヤ 牡3 1:35.8 武豊 森秀行 青山洋一
第14回 2005年2月26日 ビッグプラネット 牡3 1:34.7 武豊 南井克巳 (有)ビッグ 
第15回 2006年2月25日 ステキシンスケクン 牡3 1:34.3 O.ペリエ 森秀行 榮義則
第16回 2007年2月24日 トーセンキャプテン 牡3 1:33.9 四位洋文 角居勝彦 島川隆哉
第17回 2008年3月1日 ダンツキッスイ 牡3 1:34.6 藤田伸二 橋本寿正 山元哲二
第18回 2009年2月28日 ダブルウェッジ 牡3 1:35.6 小牧太 田所秀孝 深見富朗
第19回 2010年2月27日 コスモセンサー 牡3 1:34.8 石橋脩 西園正都 (有)ビッグレッドファーム
第20回 2011年2月26日 ノーザンリバー 牡3 1:34.2 武豊 浅見秀一 林正道

ダイヤモンドステークスってどんなレース?

ダイヤモンドステークスの基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 東京競馬場
施行時期 2月中旬 – 下旬
(原則1回東京7日目)
格付け GIII
1着賞金 4000万円
賞金総額 7600万円
距離 芝3400m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)
出走資格も参照
負担重量 ハンデキャップ
第1回施行日 1951年4月8日

ダイヤモンドステークスは、が東京競馬場の芝3400mで行われる中央競馬の重賞(GIII)競走。

競走名は創設時の施行時期だった4月の誕生石ダイヤモンドから由来。

ダイヤモンドステークス 概要 

1951年に5歳(現4歳)以上の別定の重賞競走、ダイヤモンドステークスとして創設、第1回は現在とは違い中山競馬場の芝2600mで施行された。しかし翌年には、負担重量がハンデキャップに変更された。
1956年は中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2500mで施行、1965年に施行距離が芝3200mに変更された。
1981年には施行場を東京競馬場に移したが、1984年には開催時期を1月に移したことにより再び施行場を中山競馬場に戻した。だが1987年に再び施行場を東京競馬場に戻している。
1992年には混合競走に指定、1996年には地方所属の騎手が騎乗可能となり、2004年に東京競馬場のコース改修に伴い現在の芝3400mに距離変更を行い、2006年からは混合競走から国際競走に変更された。
冬の古馬長距離競走として阪神大賞典の前哨戦や天皇賞(春)に結びつく競走として位置付けられているが、ハンデキャップ競走である事から有力馬は阪神大賞典や大阪杯などに向かう傾向がある。
東京競馬場の平地競走として最長(実況アナからはサラブレッドの東京マラソンと言われている)であり、欅の向こうを2度回る、平地では年に1度のレースである。中央競馬の平地競走としても中山競馬場のステイヤーズステークスに次ぐ2番目に長い距離の重賞競走である。
また騎手の岡部幸雄は、1987年の第37回から1990年の第40回まで4連覇を成し遂げ、「長距離の岡部」と評された事でも知られる競走でもある。
出走資格はサラ系4歳(旧5歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は、ハンデキャップである。
ダイヤモンドステークス 歴史

1951年 – 中山競馬場の芝2600mの5歳(現4歳)以上の別定の重賞競走、ダイヤモンドステークスとして創設。

1952年 – 負担重量をハンデキャップに変更。
1956年
中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2500mで施行。
二本柳俊夫が騎手として史上初の連覇。
1959年 – 皇太子殿下御成婚祝賀競走の副称が当年のみ付く。
1960年 – 前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1965年 – 施行距離を芝3200mに変更。
1972年 – 流行性の馬インフルエンザの影響で5月に順延開催。
1975年 – 柴田政人が騎手として2人目の連覇。
1981年 – 施行場を東京競馬場の芝3200mに変更。
1982年 – 柴田政人が騎手として2度目の連覇。
1984年
グレード制施行によりGIIIに格付け。
開催時期を1月中旬に変更のため、施行場を中山競馬場の芝3200mに戻す。
1987年
開催時期を1月末~2月初めの土曜日に変更。
施行場を東京競馬場の芝3200mに再び戻す。
1990年
スルーオダイナが史上初の連覇。
岡部幸雄が騎手として史上初の4連覇。
矢野進が調教師として史上初の連覇。
1992年 – 混合競走に指定。
1996年 – この年から地方所属の騎手が騎乗可能となる。
1997年
開催時期を2月中旬に変更。
ユウセンショウが2頭目の連覇。
松元茂樹が調教師として2人目の連覇。
2000年 – 施行日が日曜日に変更。(きさらぎ賞と同日開催)
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2003年 – 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝3200mで施行。ちなみに中山競馬場で3200mのレースが行われたのはこの時で7年ぶり。
2004年 – 施行距離を現在の芝3400mに変更。
2006年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2007年 – 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2009年
外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
重賞格付け表記をGIIIに戻す。
東京競馬場の芝3400mのコースで初めてフルゲート(16頭)でレースが行われる。
モンテクリスエスが3:29.4のコースレコードで優勝。
2011年 – 施行日を京都記念と交換し、日曜日施行から土曜日施行に変更。
ダイヤモンドステークス 歴代優勝馬


回数     施行日   優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1951年4月8日 コマオー 牡5 2:52.3 橋本輝雄 久保田彦之
第2回 1952年4月13日 イカホダケ 牡5 2:51.1 二本柳俊夫 斎藤籌敬
第3回 1953年4月19日 タカハタ 牝4 2:44.4 保田隆芳 尾形藤吉
第4回 1954年4月11日 ミネノスガタ 牡4 2:43.3 坂本栄三郎 橋本輝雄
第5回 1955年4月17日 タカギク 牡4 2:53.4 二本柳俊夫 杉浦照
第6回 1956年4月15日 オートキツ 牡4 2:37.2 二本柳俊夫 大久保房松
第7回 1957年4月14日 トシワカ 牡4 2:47.2 古山良司 久保田彦之
第8回 1958年4月13日 マサタカラ 牡4 2:48.3 伊藤竹男 古賀嘉蔵
第9回 1959年4月12日 アヤノボル 牡4 2:43.4 梶与四松 稲葉幸夫
第10回 1960年4月10日 カネチカラ 牡4 2:45.9 森安弘明 阿部正太郎
第11回 1961年4月2日 ホマレボシ 牡4 2:45.1 八木沢勝美 稗田敏男
第12回 1962年3月25日 グランドタイム 牡4 2:45.2 伊藤竹男 中野吉太郎
第13回 1963年3月31日 ヤマノオー 牡4 2:42.9 古山良司 内藤潔
第14回 1964年3月8日 キクノヒカリ 牡4 2:48.3 梶与四松 稲葉秀男
第15回 1965年4月4日 ミハルカス 牡5 3:23.3 菅原泰夫 小西喜蔵
第16回 1966年3月27日 ヤマドリ 牡5 3:25.9 森安弘明 森末之助
第17回 1967年5月28日 コレヒデ 牡5 3:24.5 保田隆芳 尾形藤吉
第18回 1968年3月31日 オノデンオー 牡4 3:27.6 沢峰次 松山吉三郎
第19回 1969年3月30日 スピードシンボリ 牡6 3:36.4 野平祐二 野平省三
第20回 1970年3月29日 ダイシンボルガード 牡4 3:27.1 大崎昭一 柴田寛
第21回 1971年3月28日 スピーデーワンダー 牡5 3:21.8 岡部幸雄 富田六郎
第22回 1972年5月21日 バンライ 牡4 3:23.5 伊藤栄 中村広
第23回 1973年4月1日 トーヨーアサヒ 牡4 3:21.0 小島太 古山良司
第24回 1974年3月31日 ゴールドロック 牡4 3:25.2 柴田政人 稗田敏男
第25回 1975年3月30日 ヒカルジンデン 牡4 3:23.4 柴田政人 高松三太
第26回 1976年4月4日 フジノパーシア 牡5 3:26.0 大崎昭一 柴田寛
第27回 1977年4月3日 トウショウロック 牡6 3:24.2 中島啓之 阿部正太郎
第28回 1978年4月2日 トウフクセダン 牡5 3:24.7 宮田仁 大久保末吉
第29回 1979年4月1日 スリージャイアンツ 牡4 3:21.2 小島太 境勝太郎
第30回 1980年3月16日 プリテイキャスト 牝5 3:23.1 横山富雄 石栗龍雄
第31回 1981年4月19日 ピュアーシンボリ 牡5 3:25.6 柴田政人 野平祐二
第32回 1982年4月25日 キョウエイプロミス 牡5 3:19.4 柴田政人 高松邦男
第33回 1983年4月24日 タカラテンリュウ 牡4 3:22.4 嶋田功 佐々木亜良
第34回 1984年1月16日 ダイセキテイ 牡5 3:21.8 小林常泰 藤原敏文
第35回 1985年1月15日 ホッカイペガサス 牡4 3:25.5 柴田政人 野平祐二
第36回 1986年1月15日 トレードマーク 牡4 3:23.5 菅野昭夫 富田六郎
第37回 1987年1月31日 ドルサスポート 牡4 3:25.0 岡部幸雄 内藤一雄
第38回 1988年1月30日 ダイナブリーズ 牝5 3:23.1 岡部幸雄 高橋祥泰
第39回 1989年1月28日 スルーオダイナ 牡5 3:21.9 岡部幸雄 矢野進
第40回 1990年1月27日 スルーオダイナ 牡6 3:20.1 岡部幸雄 矢野進
第41回 1991年1月26日 ノースシャトル 騸7 3:22.3 田中勝春 高橋祥泰
第42回 1992年2月3日 ミスターシクレノン 牡7 3:18.5 柴田善臣 小林稔
第43回 1993年1月30日 マチカネタンホイザ 牡4 3:16.8 岡部幸雄 伊藤雄二
第44回 1994年1月31日 センゴクシルバー 牡5 3:19.7 田中勝春 河野通文
第45回 1995年1月28日 エアダブリン 牡4 3:17.8 岡部幸雄 伊藤雄二
第46回 1996年1月27日 ユウセンショウ 牡4 3:18.4 柴田善臣 松元茂樹
第47回 1997年2月15日 ユウセンショウ 牡5 3:18.4 O.ペリエ 松元茂樹
第48回 1998年2月21日 ユーセイトップラン 牡5 3:17.6 河内洋 音無秀孝
第49回 1999年2月20日 タマモイナズマ 牡5 3:19.7 小原義之 小原伊佐美
第50回 2000年2月13日 ユーセイトップラン 牡7 3:17.5 後藤浩輝 音無秀孝
第51回 2001年2月11日 イブキヤマノオー 牡6 3:18.0 O.ペリエ 領家政蔵
第52回 2002年2月10日 キングザファクト 牡5 3:19.8 後藤浩輝 谷潔
第53回 2003年2月16日 イングランディーレ 牡4 3:23.7 小林淳一 清水美波
第54回 2004年2月15日 ナムラサンクス 牡5 3:31.9 渡辺薫彦 松永善晴
第55回 2005年2月13日 ウイングランツ 牡5 3:33.5 松岡正海 高市圭二
第56回 2006年2月12日 マッキーマックス 牡6 3:30.3 藤田伸二 藤原英昭
第57回 2007年2月11日 トウカイトリック 牡5 3:30.6 C.ルメール 松元省一
第58回 2008年2月17日 アドマイヤモナーク 牡7 3:33.6 安藤勝己 松田博資
第59回 2009年2月15日 モンテクリスエス 牡4 3:29.4 北村宏司 松田国英
第60回 2010年2月14日 フォゲッタブル 牡4 3:32.6 武豊 池江泰郎
第61回 2011年2月19日 コスモメドウ 牡4 3:31.9 A.クラストゥス 畠山重則

フェブラリーステークスってどんなレース?

フェブラリーステークスの基本情報

開催地 東京競馬場
施行時期 2月中旬 – 下旬
(原則1回東京8日目)
格付け GI
1着賞金 9400万円
賞金総額 1億7940万円
距離 ダート1600m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(指定)

負担重量 定量(57kg、牝馬2kg減)
第1回施行日 1984年2月18日

フェブラリーステークスは東京競馬場のダート1600mで行われる中央競馬の重賞(GI)競走。競走の名のフェブラリーは英語の2月の意味「February」から。Februaryは2月という意味から2月中に競走の施行日が設定されることが多いが、曜日配列の都合で1月末に施行されたこともある。

正賞は日本馬主協会連合会会長賞、地方競馬全国協会会長賞、全国公営競馬主催者協議会会長賞。

フェブラリーステークス 概要

東京競馬場のダート1600mの5歳(現4歳)以上のハンデキャップの混合の1400万下条件の競走フェブラリーハンデキャップとして施行したのが始まり。

1984年の中央競馬におけるダート重賞路線の整備に伴い5歳(現4歳)以上のハンデキャップの重賞競走・フェブラリーハンデキャップとして新設、第1回は現在と同じく東京競馬場のダート1600mで施行され創設当初はGIIIの格付けだった。

1989年には混合競走に指定、1994年に競走としての格を再評価されてGIIに昇格、更に負担重量が別定に変更された為、現在のフェブラリーステークスに改名、翌年には指定交流競走に指定、地方所属の競走馬も出走可能になった。

1997年には前年から始まったアラブ首長国連邦のドバイにあるナド・アルシバ競馬場(2010年からはメイダン競馬場)で施行されるドバイワールドカップの日本国内の前哨戦と言う意味合いからダートGI競走の必要性が高まり、中央競馬のダート重賞競走で初めてGIに格付けされた。なお条件特別の競走がGIにまで昇格したのは稀有な例である。またGIに格付けされ負担重量も定量に変更された。更に同年の4月にはダートグレード競走の施行によりダートグレードのGIにも格付けされた。

中央競馬のその年における最初のGI競走(芝も含める)で、日本国内では川崎記念に次ぐ2番目に施行されるGI競走でもある。また中央競馬と地方競馬の最上位クラスの競走馬が例年多く出走する為、冬のダート最強馬を決める競走として位置付けられている。

本競走で優勝や上位入賞をした競走馬は3月末にアラブ首長国連邦のドバイのメイダン競馬場で開催されるドバイミーティングのドバイワールドカップやドバイゴールデンシャヒーン、ゴドルフィンマイルへ遠征する場合がある。

なお、東京競馬場のダート1600mのコースはスタート直後の100m弱を芝上で走る設定となっている。

フェブラリーステークス 出走資格

原則サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬(4頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)、出走枠は16頭まで。
登録馬のうち、レーティング順位の上位5頭に対しては優先出走が認められる。(2012年より。牡馬・セン馬は110ポンド、牝馬は106ポンド以上であることが条件)

地方馬はJRAが別に定める出走馬選定基準により選定された競走馬に限り出走が可能である。(2009年より)
その他の競走馬は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI(JpnI)競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる。

フェブラリーステークス 負担重量

定量で57kg、牝馬は2kg減の55kgである。
フェブラリーハンデキャップ時の第1回から第10回まではハンデキャップ、GIIに格上げされた第11回から第13回まではグレード別定、GIに格上げされた第14回より現行の斤量となっている。

フェブラリーステークス 賞金

回(施行年)    総額賞金   1着      2着     3着    4着    5着
第1回(1984年) 5,160万円 2,700万円 1,100万円 680万円 410万円 270万円
第2回(1985年)
第3回(1986年) 5,300万円 2,800万円 700万円 420万円 280万円
第4回(1987年) 5,700万円 3,000万円 1,200万円 750万円 450万円 300万円
第5回(1988年) 6,100万円 3,200万円 1,300万円 800万円 480万円 320万円
第6回(1989年) 6,500万円 3,400万円 1,400万円 850万円 510万円 340万円
第7回(1990年) 7,060万円 3,700万円 1,500万円 930万円 560万円 370万円
第8回(1991年) 7,600万円 4,000万円 1,600万円 1,000万円 600万円 400万円
第9回(1992年) 8,050万円 4,200万円 1,700万円 1,100万円 630万円 420万円
第10回(1993年)
第11回(1994年) 1億1,400万円 6,000万円 2,400万円 1,500万円 900万円 600万円
第12回(1995年) 1億2,200万円 6,400万円 2,600万円 1,600万円 960万円 640万円
第13回(1996年)
第14回(1997年) 1億5,200万円 8,000万円 3,200万円 2,000万円 1,200万円 800万円
第15回(1998年) 1億7,940万円 9,400万円 3,800万円 2,400万円 1,400万円 940万円
第16回(1999年)
第17回(2000年)
第18回(2001年)
第19回(2002年)
第20回(2003年)
第21回(2004年)
第22回(2005年)
第23回(2006年)
第24回(2007年)
第25回(2008年)
第26回(2009年)
第27回(2010年)
第28回(2011年)
第29回(2012年)

フェブラリーステークス 歴史 

1984年 – 東京競馬場のダート1600mの5歳(現4歳)以上のハンデキャップの重賞(GIII)競走フェブラリーハンデキャップとして新設。当時は土曜日施行だった。

1989年 – 混合競走に指定。
1994年
GIIに昇格。
名称を現在のフェブラリーステークスに変更。
負担重量をグレード別定に変更。
1995年 – 指定交流競走に指定され、地方馬は5頭まで出走可能となる。
1997年
GIに昇格。
負担重量を定量に変更。
ダート競走格付け委員会にダートグレードのGIに格付け(適用は1998年から)。
日曜日に施行変更される。
1998年
岡部幸雄が騎手として史上初の連覇。
田中清隆が調教師として史上初の連覇。
1999年
メイセイオペラが地方所属馬としてJRAのGI競走初制覇。
菅原勲が地方競馬所属騎手として史上初の中央GI初制覇。
ミスタートウジンが平地GI競走としては史上最高齢となる13歳で出走(15着)。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
オリビエ・ペリエが騎手として2人目の連覇。
2003年 – 東京競馬場の改修工事により中山競馬場のダート1800mで施行。
2007年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。
地方馬の出走枠が5頭から4頭に縮小。
2009年
この年より地方馬の出走資格はJRAが別に定める出走馬選定基準により選定された競走馬のみとなる。
サクセスブロッケンがコースレコード1:34.6で優勝。
2010年 – 第20回優勝馬ゴールドアリュールの仔エスポワールシチーが優勝、史上初の父仔制覇。
2012年 – 出走馬選定方法が変わり、レーティングで上位5頭に優先出走を認める。

フェブラリーステークス 歴代優勝馬

フェブラリーハンデキャップ(GIII)時代

回数      施行日    優勝馬   性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1984年2月18日 ロバリアアモン 牡5 1:40.1 吉永正人 松山吉三郎 管浦一
第2回 1985年2月16日 アンドレアモン 牡6 1:36.9 中島啓之 松山康久 (株)アモン
第3回 1986年2月15日 ハツノアモイ 牡5 1:36.7 大塚栄三郎 仲住芳雄 仲川初太郎
第4回 1987年2月21日 リキサンパワー 牡6 1:36.5 柴田政人 高松邦男 岩井三郎
高橋力造
第5回 1988年2月20日 ローマンプリンス 牡7 1:37.7 増沢末夫 佐藤征助 (有)ロング商事
第6回 1989年2月18日 ベルベットグローブ 牡6 1:37.2 郷原洋行 大久保房松 栗林英雄
第7回 1990年2月17日 カリブソング 牡4 1:36.7 柴田政人 加藤修甫 (株)荻伏牧場レーシングクラブ
第8回 1991年2月16日 ナリタハヤブサ 牡4 1:34.9 横山典弘 中尾謙太郎 山路秀則
第9回 1992年2月22日 ラシアンゴールド 牡4 1:35.4 蛯名正義 大久保洋吉 大原詔宏
第10回 1993年2月20日 メイショウホムラ 牡5 1:35.7 柴田政人 高橋成忠 松本好雄
フェブラリーステークス(GII)時代


回数      施行日      優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第11回 1994年2月19日 チアズアトム 牡5 1:37.8 本田優 星川薫 北村キヨ子
第12回 1995年2月18日 ライブリマウント 牡4 1:36.4 石橋守 柴田不二男 加藤哲郎
第13回 1996年2月17日 ホクトベガ 牝6 1:36.5 横山典弘 中野隆良 金森森商事(株)
フェブラリーステークス GI時代


回数      施行日    優勝馬      性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第14回 1997年2月16日 シンコウウインディ 牡4 1:36.0 岡部幸雄 田中清隆 安田修
第15回 1998年2月1日 グルメフロンティア 牡6 1:37.5 岡部幸雄 田中清隆 石井政義
第16回 1999年1月31日 メイセイオペラ 牡5 1:36.3 菅原勲 佐々木修一 (有)明正商事
第17回 2000年2月20日 ウイングアロー 牡5 1:35.6 O.ペリエ 工藤嘉見 池田實
第18回 2001年2月18日 ノボトゥルー 牡5 1:35.6 O.ペリエ 森秀行 (有)池ばた
第19回 2002年2月17日 アグネスデジタル 牡5 1:35.1 四位洋文 白井寿昭 渡辺孝男
第20回 2003年2月23日 ゴールドアリュール 牡4 1:50.9 武豊 池江泰郎 (有)社台レースホース
第21回 2004年2月22日 アドマイヤドン 牡5 1:36.8 安藤勝己 松田博資 近藤利一
第22回 2005年2月20日 メイショウボーラー 牡4 1:34.7 福永祐一 白井寿昭 松本好雄
第23回 2006年2月19日 カネヒキリ 牡4 1:34.9 武豊 角居勝彦 金子真人ホールディングス(株)
第24回 2007年2月18日 サンライズバッカス 牡5 1:34.8 安藤勝己 音無秀孝 松岡隆雄
第25回 2008年2月24日 ヴァーミリアン 牡6 1:35.3 武豊 石坂正 (有)サンデーレーシング
第26回 2009年2月22日 サクセスブロッケン 牡4 1:34.6 内田博幸 藤原英昭 高嶋哲
第27回 2010年2月21日 エスポワールシチー 牡5 1:34.9 佐藤哲三 安達昭夫 友駿ホースクラブ
第28回 2011年2月20日 トランセンド 牡5 1:36.4 藤田伸二 安田隆行 前田幸治
フェブラリーステークスの記録

レースレコード – 1:34.6(第26回優勝馬サクセスブロッケン)
2着との最大着差 – 5馬身(第2回優勝馬アンドレアモン)
最多勝騎手 – 3勝 柴田政人(第4、7、10回) 武豊(第20、23、25回)
最多勝調教師 – 2勝 田中清隆(第14、15回) 白井寿昭(第19、22回)
最多出走 – 6回 ノボトゥルー(第18~22、25回)
最高齢出走 – 13歳 ミスタートウジン(第16回)
フェブラリーステークス 父仔制覇
父馬名       優勝回  仔馬名       優勝回
ゴールドアリュール 第20回 エスポワールシチー 第27回
フェブラリーステークスと最優秀ダートホース
フェブラリーステークスは1997年にGIに昇格し2000年にジャパンカップダートが創設されるまでの間、JRA唯一のダートGIであったにもかかわらず1997年から1999年までの3年間、当競走を制した3頭の馬はいずれもJRA賞最優秀ダートホースに選出されなかった。なお、1999年までは地方馬にはJRA賞の受賞資格がなかった(2000年以降は可能になった)。

京都記念ってどんなレース?

京都記念の基本情報

開催地 京都競馬場
施行時期 2月上旬 – 中旬
(原則2回京都6日目)
格付け GII
1着賞金 6000万円
賞金総額 1億1400万円
距離 芝2200m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)

負担重量 グレード別定(本文に記載)
第1回施行日 1942年5月17日

京都記念(きょうときねん)は京都競馬場の芝2200メートルで行われる重賞 (GII) 競走。農林水産省が賞を提供しており、正式名称は「農林水産省賞典 京都記念」と表記している。

京都記念 概要

1942年に京都競馬場のハンデキャップの芝3500mの重賞競走京都記念として創設され、春と秋の年2回施行された。春の競走は出走条件が5歳(現4歳)以上、秋の競走は4歳(現3歳)以上と決められていた。

1944年から1947年春までは太平洋戦争の影響により開催中止、1947年の秋の競走から再開、秋の競走は芝3200mに変更された。しかし春の競走も翌年に芝3000mに変更、秋の競走も1949年に芝3000mに変更した。

1951年には春の競走を芝2400mに変更。春・秋ともに負担重量を別定に変更したが翌年には再びハンデキャップに戻し、春は芝2200m、秋は芝2000mに変更。

しかし1953年には再び春・秋ともに負担重量を別定にし秋の競走も芝2200mに変更したが、1954年の秋の競走は再びハンデキャップに戻され混合競走に指定、1955年には春の競走も指定され、芝2000mに変更した。1956年の春の競走から混合競走から除外、1959年の秋の競走は開催中止となった。

1964年には春の競走を芝2200mに変更、1969年からは春・秋ともに芝2400mとなった。1984年にはグレード制施行によりGIIに格付け、再び混合競走に指定、現在の年1回制に変更となった。1994年には現在の別定の芝2200mに変更され、1996年には地方所属の騎手が騎乗可能となり、2005年には混合競走から国際競走に変更された。

2000年はGI競走であるフェブラリーステークス(東京競馬場)と同じ日に施行され、以降はフェブラリーステークス開催の前日である土曜日に組まれていたが、2011年からはダイヤモンドステークスと日程を入れ替える形で11年ぶりに日曜開催に戻った。

関西圏では日経新春杯に続く古馬の芝のGII競走であるが負担重量が別定なのでGI級の有力馬が年明け後の始動のレースとして出走するケースも多く、本競走から阪神大賞典や大阪杯をステップとして天皇賞(春)に向かう傾向がある。

また、日程的にドバイミーティング(ドバイデューティーフリーやドバイシーマクラシックなど)、クイーンエリザベス2世カップのステップレースとなり、2007年にはアドマイヤムーンがこのレースとドバイデューティーフリーで連勝を飾った。
現在の優勝レイの配色は緑色の地に銀色文字となっている。

出走資格はサラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬及び出走登録を行った外国調教馬(8頭まで)。

負担重量は4歳は55kg、5歳以上は56kg、牝馬は2kg減を基本とし、
施行日当日から1年前の開催週以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から1年前の開催週以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増

施行日当日から1年前の開催週より過去のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
以上の条件で斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。なお2007年までは賞金別定で行われており、2002年にはナリタトップロードが60kgを背負って優勝している。2008年からは有力馬の出走を促すためグレード別定重量に変更となった。

京都記念 歴史

以下は、京都記念(春)と(秋)と年1回制に分けて記載する。
京都記念(春) [編集]
1942年 – 京都競馬場の芝3500mの5歳以上のハンデキャップの重賞競走「京都記念」(春)として創設。
1943年 – 武田文吾が騎手として史上初の連覇。
1944年 – 1947年 – 太平洋戦争の影響で開催中止。
1948年 – 施行距離を芝3000mに変更。
1951年
重量条件を別定重量に変更。
施行距離を芝2400mに変更。
1952年
負担重量をハンデキャップに戻す。
施行距離を芝2200mに変更。
1953年 – 負担重量を別定に戻す。
1955年
混合競走に指定。
負担重量をハンデキャップに再び戻す。
施行距離を芝2000mに変更。
1957年 – 混合競走から除外。
1959年 – 名称を「農林省賞典京都記念」(春)に変更。
1960年 – 前年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1965年 – 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝2200mで施行。
1966年 – 施行距離を芝2200mに再び戻す。
1969年 – 施行距離を芝2400mに再び戻す。
1979年 – 農林省の名称変更により「農林水産省賞典京都記念」(春)に変更。
1980年 – 京都競馬場の改修工事により中京競馬場の芝2400mで施行。
1983年 – この年をもって、年2回制廃止。

京都記念 歴代優勝馬
回数 施行日      優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1942年5月17日 マルエス 牡6 3:57 1/5 武田文吾 高橋政次郎 灰谷勝治
第3回 1943年5月23日 ハヤタケ 牡4 3:51 0/5 武田文吾 岩井健吉 伊藤祐之
第6回 1948年4月18日 マツミドリ 牡4 3:15 0/5 田中康三 茂木為二郎 松末博光
第8回 1949年5月29日 ハマカゼ 牝4 3:12 0/5 松本実 増本勇 相部藤次郎
第10回 1950年4月16日 ニシタツプ 牡5 3:13 2/5 杉村繁盛 杉村政春 松井時之助
第12回 1951年5月13日 オーエンス 牡5 2:30 0/5 土門健司 松田由太郎 桶谷辰造
第14回 1952年6月29日 サチホマレ 牡4 2:19 3/5 上田三千夫 上田武司 上田清次郎
第16回 1953年5月17日 キヨストロング 牡4 2:19 0/5 蛯名武五郎 藤本冨良 (株)東北牧場 
第18回 1954年4月4日 フアイナルスコア 牡4 2:19 1/5 伊藤修司 伊藤勝吉 仁木清七
第20回 1955年6月19日 セカイイチ 牝4 2:13 3/5 大根田裕也 日迫清 工藤久子
第22回 1956年6月10日 セカイオー 牡4 2:03 3/5 島崎宏 加藤清一 吉木三郎
第24回 1957年5月12日 タカクラオー 牡4 2:11 2/5 玉田一彦 橋田俊三 平島尚一
第26回 1958年5月11日 ライジングウイナー 牡4 2:06 2/5 田所秀雄 小川佐助 谷水信夫
第28回 1959年5月17日 イリユウ 牡4 2:05 2/5 宇田明彦 長浜彦三郎 浅野国次郎
第29回 1960年5月8日 フサリユウ 牡4 2:05.0 栗田勝 武田文吾 新子政勇貴
第31回 1961年5月14日 ダイゴンオー 牡4 2:04.1 大根田裕也 諏訪佐市 佐藤庄平
第33回 1962年5月13日 マルニロール 牡4 2:05.9 杉村一馬 杉村政春 藤田芳夫
第35回 1963年5月12日 モトイチ 牡4 2:10.5 須貝彦三 橋田俊三 塚本元一
第37回 1964年5月10日 リユウフオーレル 牡5 2:05.0 宮本悳 橋本正晴 三好笑子
第39回 1965年5月9日 ヤングヒーロー 牡4 2:17.5 新井仁 福島角一 吉田久博
第41回 1966年5月8日 ハツライオー 牡4 2:19.8 松本善登 伊藤修司 大久保常吉
第43回 1967年3月5日 ヤマニリユウ 牡4 2:21.4 高橋成忠 柏谷富衛 北沢元男
第45回 1968年3月17日 ニホンピローホマレ 牡4 2:16.7 宮本悳 田所秀雄 小林百太郎
第47回 1969年3月16日 タケシバオー 牡4 2:34.6 古山良司 三井末太郎 小畑正雄
第49回 1970年3月8日 ヨコズナ 牡4 2:31.8 武邦彦 伊藤修司 渡辺重夫
第51回 1971年2月21日 コンチネンタル 牡5 2:33.9 津田昭 野平富久 アサヒ牧場
第53回 1972年2月20日 シュンサクリュウ 牡4 2:32.8 飯田明弘 小林稔 岩佐俊策
第55回 1973年2月11日 ハマノパレード 牡4 2:28.6 田島良保 坂口正二 (株)ホースタジマ
第57回 1974年2月11日 スカイリーダ 牡4 2:30.9 高橋成忠 佐藤勇 武用安弘 
第59回 1975年2月9日 タニノチカラ 牡6 2:30.0 田島日出雄 島崎宏 谷水雄三
第61回 1976年2月8日 ナラサンザン 牡4 2:30.1 福永洋一 武田文吾 大西楢次
第63回 1977年2月13日 テンポイント 牡4 2:27.2 鹿戸明 小川佐助 高田久成
第65回 1978年2月19日 エリモジョージ 牡6 2:28.8 福永洋一 大久保正陽 山本慎一
第67回 1979年2月18日 コウイチサブロウ 牡6 2:26.9 松本善登 庄野穂積 桂土地(株)
第69回 1980年2月17日 アグネスレディー 牝4 2:27.8 河内洋 長浜彦三郎 渡辺孝男
第71回 1981年2月15日 ロビンソンシチー 牡4 2:27.1 本田優 星川薫 (株)友駿ホースクラブ
第73回 1982年2月21日 アリーナオー 牡4 2:30.1 猿橋重利 湯浅三郎 山本信行
第75回 1983年2月20日 マサヒコボーイ 牡4 2:28.7 久保敏文 久保道雄 宮本貞雄

京都記念(秋)
1942年 – 京都競馬場の芝3500mの4歳以上のハンデキャップの重賞競走「京都記念」(秋)として創設。
1944年 – 1946年 – 太平洋戦争の影響で開催中止。
1947年 – 施行距離を芝3200mに変更。
1949年
施行距離を芝3000mに変更。
近藤武夫が騎手として史上初の連覇。
伊藤勝吉が調教師として史上初の3連覇。
1951年 – 重量条件を別定重量に変更。
1952年
負担重量をハンデキャップに戻す。
施行距離を芝2000mに変更。
1953年 – 負担重量を別定に戻す。
1954年
混合競走に指定。
負担重量をハンデキャップに戻す。
1956年 – 混合競走から除外。
1959年 – 開催中止。
1960年
名称を「農林省賞典京都記念」(秋)に変更。
前年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1961年
ヘリオスが史上初の連覇。
大久保正陽が騎手として2人目の連覇。
1966年 – 高橋成忠が騎手として3人目の連覇。
1969年 – 施行距離を芝2400mに変更。
1978年 – 農林省の名称変更により「農林水産省賞典京都記念」(秋)に変更。
1979年 – 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝2400mで施行。
1983年 – 年2回制廃止に伴い、廃止。

京都記念 歴代優勝馬
回数 施行日      優勝馬     性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第2回 1942年11月1日 シヨウワミンド 牡4 3:49 4/5 稗田十七二 高橋直三 村上芳太郎
第4回 1943年11月7日 ドトウ 牝4 3:53 2/5 梅内慶蔵 新堂捨蔵 中村菊一
第5回 1947年10月17日 オーライト 牡4 3:31 2/5 元石正雄 伊藤勝吉 伊藤由五郎
第7回 1948年11月28日 アスカヤマ 牡4 3:31 2/5 近藤武夫 伊藤勝吉 渡辺小左衞門
第9回 1949年11月23日 カツフジ 牡6 3:24 2/5 近藤武夫 伊藤勝吉 伊藤由五郎
第11回 1950年11月3日 ツキヒサ 牝4 3:15 0/5 梶与四松 美馬信次 米原誠一
第13回 1951年11月25日 サチホマレ 牡3 3:11 3/5 上田三千夫 上田武司 上田清次郎
第15回 1952年12月1日 トキデンコー 牡4 2:05 1/5 松本実 増本勇 増本孝一
第17回 1953年10月18日 レダ 牝4 2:18 4/5 佐藤勇 武田文吾 熊谷新太郎
第19回 1954年10月17日 フアイナルスコア 牡4 2:21 1/5 近藤武夫 伊藤勝吉 仁木清七
第21回 1955年10月9日 ダイナナホウシユウ 牡5 2:16 4/5 上田三千夫 上田武司 上田清次郎
第23回 1956年12月30日 ユウチヨウ 牡3 2:19 2/5 矢倉義勇 坂本勇次郎 上田清次郎
第25回 1957年12月1日 サールス 牝5 2:18 4/5 清田十一 伊藤勝吉 松本英吉
第27回 1958年11月30日 メイジミドリ 牡3 2:21 4/5 清水久雄 増本勇 中野忠雄
第30回 1960年11月27日 ヘリオス 牡3 2:23.3 大久保正陽 大久保亀治 加藤弘
第32回 1961年11月26日 ヘリオス 牡4 2:18.5 大久保正陽 大久保亀治 加藤弘
第34回 1962年11月18日 イーグル 牡4 2:18.2 清水久雄 増本勇 河端豊次
第36回 1963年11月24日 ゴウカイ 牡4 2:19.7 栗田勝 武田文吾 伊藤由五郎
第38回 1964年11月29日 オーヒメ 牝3 2:19.9 田所稔 小川佐助 堀内正男
第40回 1965年11月28日 ヒカルポーラ 牡6 2:19.9 高橋成忠 佐藤勇 坪田喜之助
第42回 1966年11月27日 ヤマニリユウ 牡3 2:17.2 高橋成忠 柏谷富衛 北沢元男
第44回 1967年11月26日 フイニイ 牡3 2:17.6 保田隆芳 尾形藤吉 永田賢介
第46回 1968年12月1日 シバフジ 牡4 2:16.4 四位満教 浅見国一 内芝伝一
第48回 1969年11月30日 ランドエース 牡4 2:40.3 川端義雄 高橋直 木村善一
第50回 1970年11月29日 リュウスパーション 牡4 2:33.9 宮本悳 橋本正晴 三好諦三
第52回 1971年11月28日 キームスビィミー 牡5 2:27.5 小野幸治 小林稔 木村昭子
第54回 1972年11月5日 ヤマニンウエーブ 牡5 2:31.5 福永洋一 中村覚之助 土井宏二
第56回 1973年11月4日 メジロスイセイ 牡5 2:30.0 梅内忍 梅内慶蔵 木村孝
第58回 1974年11月3日 スカイリーダ 牡4 2:28.7 高橋成忠 佐藤勇 武用安弘
第60回 1975年11月2日 メジロジゾウ 牝5 2:29.5 池江泰郎 浅見国一 メジロ商事(株)
第62回 1976年11月7日 エリモジョージ 牡4 2:25.8 福永洋一 大久保正陽 山本慎一
第64回 1977年11月6日 ホクトボーイ 牡4 2:28.1 久保敏文 久保道雄 森滋
第66回 1978年11月5日 ハシコトブキ 牡4 2:26.8 河内洋 内藤繁春 (株)シンザンクラブ
第68回 1979年11月4日 グレートタイタン 牡4 2:26.5 稲葉的海 吉田三郎 長底定治郎
第70回 1980年11月2日 グレートタイタン 牡5 2:26.1 田原成貴 吉田三郎 長底定治郎
第72回 1981年11月1日 メトロジャンボ 牡6 2:30.2 田島良保 玉谷敬治 太田美津子
第74回 1982年11月7日 ロングワーズ 牡5 2:28.3 飯田明弘 小林稔 中井長一
第76回 1983年11月6日 エリモローラ 牡4 2:28.5 猿橋重利 大久保石松 山本慎一

京都記念
1984年
年1回制に変更。
グレード制施行によりGIIに格付け。
混合競走に再び指定。
1990年 – 阪神競馬場の改修工事による振替開催により阪神競馬場の芝2500mで施行。
1993年 – 田原成貴が騎手として年1回制での史上初の連覇。
1994年
負担重量を別定に再び変更。
施行距離を芝2200mに戻す。
京都競馬場の改修工事のため阪神競馬場で施行。
1996年 – この年から地方所属の騎手が騎乗可能となる。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2005年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2007年 – 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
2008年 – 負担重量が賞金別定からグレード別定に変更になる。
2011年 – 施行日をダイヤモンドステークスと交換し、土曜日施行から日曜日施行に変更。
2012年 – 基本負担重量を4歳56kg、5歳以上57kg(牝馬は2kg減)から4歳55kg、5歳以上56kg(牝馬は2kg減)に変更。

京都記念 歴代優勝馬

回数 施行日      優勝馬     性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第77回 1984年2月19日 キョウエイアセント 牡5 2:31.0 伊藤清章 工藤嘉見 松岡正雄
第78回 1985年2月17日 メジロトーマス 牡4 2:27.9 村本善之 池江泰郎 (有)メジロ牧場
第79回 1986年2月16日 スダホーク 牡4 2:30.3 田原成貴 古山良司 須田松夫
第80回 1987年2月22日 シンチェスト 牡4 2:29.3 岩元市三 布施正 林幸雄
第81回 1988年2月21日 カシマウイング 牡5 2:27.5 的場均 飯塚好次 松浦安雄
第82回 1989年2月19日 ダイナカーペンター 牡5 2:27.5 加用正 増本豊 (有)社台レースホース
第83回 1990年2月18日 ナイスナイスナイス 牡4 2:32.8 河内洋 長浜博之 誓山正伸
第84回 1991年2月17日 プリンスシン 牡4 2:25.7 田島良保 安田伊佐夫 (株)デルマークラブ
第85回 1992年2月23日 オースミロッチ 牡5 2:28.4 田原成貴 中尾正 山路秀則
第86回 1993年2月21日 パリスハーリー 牡4 2:26.0 田原成貴 加藤敬二 滝井慶一
第87回 1994年2月13日 ビワハヤヒデ 牡4 2:16.8 岡部幸雄 浜田光正 (有)ビワ
第88回 1995年2月12日 ワコーチカコ 牝5 2:11.8 O.ペリエ 伊藤雄二 石田隆夫
第89回 1996年2月11日 テイエムジャンボ 牡5 2:14.0 河内洋 布施正 竹園正繼
第90回 1997年2月9日 ユウトウセイ 牡7 2:14.6 四位洋文 田中章博 (株)アイテツ 
第91回 1998年2月15日 ミッドナイトベット 牡4 2:16.3 O.ペリエ 長浜博之 (有)社台レースホース
第92回 1999年2月14日 エモシオン 牡4 2:15.2 四位洋文 小林稔 根岸治男
第93回 2000年2月20日 テイエムオペラオー 牡4 2:13.8 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第94回 2001年2月17日 マックロウ 牡4 2:12.3 安田康彦 松田博資 吉田勝己
第95回 2002年2月16日 ナリタトップロード 牡6 2:11.8 渡辺薫彦 沖芳夫 山路秀則
第96回 2003年2月22日 マイソールサウンド 牡4 2:16.5 本田優 西浦勝一 佐野清
第97回 2004年2月21日 シルクフェイマス 牡5 2:12.8 四位洋文 鮫島一歩 (有)シルク
第98回 2005年2月19日 ナリタセンチュリー 牡6 2:15.7 田島裕和 藤沢則雄 山路秀則
第99回 2006年2月18日 シックスセンス 牡4 2:13.5 武豊 長浜博之 (有)社台レースホース 
第100回 2007年2月17日 アドマイヤムーン 牡4 2:17.2 武豊 松田博資 近藤利一
第101回 2008年2月23日 アドマイヤオーラ 牡4 2:13.6 安藤勝己 松田博資 近藤利一
第102回 2009年2月21日 アサクサキングス 牡5 2:14.6 四位洋文 大久保龍志 田原慶子
第103回 2010年2月20日 ブエナビスタ 牝4 2:14.4 横山典弘 松田博資 (有)サンデーレーシング
第104回 2011年2月13日 トゥザグローリー 牡4 2:13.9 U.リスポリ 池江泰郎 (有)キャロットファーム
京都記念の(春・秋)連覇 [編集]

年2回施行されていた1983年の秋・第76回までに5頭が春・秋両競走の制覇をしている。
馬名 性齢 優勝回
1 サチホマレ 牡3
牡4 秋・第13回
春・第14回
2 フアイナルスコア 牡4 春・第18回
秋・第19回
3 ヤマニリユウ 牡3
牡4 秋・第42回
春・第43回
4 スカイリーダ 牡4 春・第57回
秋・第58回
5 エリモジョージ 牡4
牡6 秋・第62回
春・第65回

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