調教師 さ行 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

勢司 和浩

(せいし かずひろ、1962年2月14日 - )は日本中央競馬会美浦トレーニングセンター所属の調教師。
船橋競馬場で厩務員をしていた時、第1回ジャパンカップ(1981年)での外国馬の余りの強さにカルチャーショックを受け、アイルランドに単身乗り込んで2年間修行する。帰国後1986年に稗田敏男厩舎の調教助手となり、1990年に国枝栄厩舎に移った。

1999年に調教師免許を取得し、2000年に厩舎を開業。初出走は同年3月18日中京競馬第9競走のケンセツクィーンで10着、初勝利は同年4月8日中山競馬第6競走のマルタカウィナーで、延べ5頭目であった。
2002年のフラワーカップをスマイルトゥモローで制して重賞初勝利を挙げる。続く桜花賞は6着に終わったが、オークスを勝ってG1競走初勝利を飾った。

角居 勝彦

角居 勝彦  代表管理馬

デルタブルース(菊花賞、メルボルンカップ)
ポップロック(目黒記念(2回))
シーザリオ(優駿牝馬、アメリカンオークス招待ステークス)
カネヒキリ(ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、ジャパンカップダート(2回)、フェブラリーステークス、東京大賞典、川崎記念)
ハットトリック(マイルチャンピオンシップ、香港マイル)
フレンドシップ(ジャパンダートダービー)
ディアデラノビア(フローラステークス、京都牝馬ステークス、愛知杯)
ウオッカ(阪神ジュベナイルフィリーズ、東京優駿、安田記念(2回)、天皇賞・秋、ヴィクトリアマイル、ジャパンカップ)
トールポピー(阪神ジュベナイルフィリーズ、優駿牝馬)
ヴィクトワールピサ(皐月賞、有馬記念、ドバイワールドカップ)
ルーラーシップ(鳴尾記念、日経新春杯、金鯱賞)
アヴェンチュラ(クイーンステークス)

角居 勝彦

角居 勝彦(すみい かつひこ、1964年3月28日 - )は日本中央競馬会 (JRA)栗東所属の調教師
1964年石川県金沢市にて4人兄弟の三男として出生。角居が生まれ育った金沢の街は伝統・文化を重んずる風習があることから競馬というスポーツは流行っておらず、一般家庭で育った彼もまた馬とは無縁の生活を送っていた。
同年代の級友よりも年長の兄たちに混じり、様々な遊びを繰り返すうち「人と違うことをし、注目受けてみたい」という性質が育まれながら、能動的に行動を起こすのが不得手であった角居はそんな自分を変えてみようと地元の進学校である金沢桜丘高を卒業後、帯広畜産大学への進学を目指すも失敗。進学校の生徒ということもあり、一浪し大学の再受験を奨める声も上がったが「気持ちが大学には向かず、自分を変えるために親元を離れたい」という角居は周囲の反対を押し切り、父の助力を得て北海道のグランド牧場に勤務することとなった。
角居が就職した当初グランド牧場は生産のみを事業としていたが、1985年より急速な拡大路線を採用。これまでの繁殖に加え、新たに馴致・調教を事業に取り入れる。

しかし牧場から送り出した馬が「躾ができていない」として幾度もトレセンから戻ってくる光景を目の当たりにし、「牧場とトレセンでは何が違うのか」ということに関心を持ち始めた角居は程無くしてグランド牧場を退職。競馬学校での厩務員課程を経て1986年4月、栗東・中尾謙太郎厩舎の厩務員として配属される。
その半年後調教助手の資格を習得、以後10年に渡り中尾を補佐し続け、この間ナリタハヤブサなどの活躍馬を担当した角居であったが、後年中尾との調教方針にズレが生じ始める。「休みなく鍛えて強くする」という中尾に対し角居は「休ませつつ鍛える」という考えであったが、中尾の手法は当時の一般的な調教スタイルであることから、言われるままにメニューをこなしてきたものの、中尾の不在時には調教内容を独断で変えたこともあったという。
定年となった二分久男厩舎の馬を引き継ぐ。2004年菊花賞をデルタブルースで制したの皮切りに管理馬から多くのGI馬を輩出してきた角居は、開業当初よりの方針「世界に挑戦できる人と馬を作りたい」という理念の下、積極的に管理馬を海外遠征にも参戦させ、2005年シーザリオでアメリカンオークスを制したほか、香港マイルではハットトリックが優勝。

翌2006年には先のデルタブルース、並びにポップロックでメルボルンカップの1・2着を独占するなど角居の理念は現実のものとなった。
その後も64年ぶりのダービー優勝牝馬となるウオッカや国内ダート重賞を席巻するカネヒキリなど数多くの実績馬を輩出してきた角居は2010年ヴィクトワールピサで皐月賞を制覇。

鈴木 孝志(すずき たかし、1971年4月20日 - )は、日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属している調教師。
1994年、7月よりJRA競馬学校厩務員課程に入学する。
1995年、競馬学校卒業後の4月から栗東・岩元市三厩舎所属の厩務員となるが、同月すぐに調教厩務員に転向した。
1996年、6月より調教助手に転向する。
2009年、2月12日にJRA調教師免許試験に合格したことが発表され、3月1日付で調教師免許免許を取得した。

杉浦 宏昭

杉浦 宏昭(すぎうら ひろあき、1960年8月3日 - )はJRA・美浦トレーニングセンター北に所属している調教師である。

初騎乗は3月6日で、トロワフルールに騎乗し2着、3月27日にミョウジンホマレに騎乗して勝利し初勝利を挙げる。
1983年、京成杯をブルーダーバンで制し重賞初勝利を挙げる。
1984年、2月5日のレース中に、当時騎手であった岡部幸雄から小突きされ、左手で顔面を叩かれた。なお、岡部は開催日2日間の騎乗停止処分となった。
1995年、調教師免許を取得し騎手を引退する。騎手成績は、JRA通算1997戦209勝(平地競走1969戦205勝、障害競走28戦4勝、重賞6勝)。
1996年、厩舎を開業する。3月2日、初出走となった中山競馬場での第5レースは、4番人気だったフジノミドリが3着となる。

4月20日に新潟競馬場での第7レースで、2番人気だったワンノブトウショウが勝利し、延べ19頭目で初勝利を挙げる。
1997年、2月13日に管理馬が地方競馬に初出走する。

8月24日に行われた新潟記念をパルブライトが制し、重賞初勝利を挙げる。
1998年、5月4日に管理馬が地方競馬で初勝利を挙げる。
2002年、NHKマイルカップを4番人気だったテレグノシスが制し、GI(当時)初勝利を挙げる。
2003年、ジャック・ル・マロワ賞にテレグノシスが出走し、海外レース及び海外GI初出走。

菅原 泰夫

菅原 泰夫(すがわら やすお、1946年4月1日 - )は日本中央競馬会の元騎手。同会調教師。
いわゆる中央場所では余り日の当たることはなく地味な存在であったが、 1975年春の4歳(現3歳)クラシックにてカブラヤオー、テスコガビーに騎乗して4鞍すべてを独占、「空前絶後」と評される。

このときカブラヤオーの強引な逃げで「無謀」と非難されたが、他馬を怖がる弱点については同馬が引退するまで口にしなかった。
その後1981年、1982年での菊花賞連覇等、思い切りの良い騎乗で「勝負師」と呼ばれた。

現在は美浦所属の調教師である。
菅原 泰夫 来歴
1946年 宮城県のアラブ馬などを生産している牧場の五男として生まれる。
1960年 東京へ単身引越し、茂木為二郎のもとで生活を送る。
1961年 馬事公苑の騎手養成所に長期講習生として入る。
1964年 茂木為二郎厩舎所属騎手としてデビュー。同期に嶋田功など。
1976年 調教師の茂木の死去により森末之助に転厩。その後、年末に本郷一彦厩舎に転厩。
1981年 14番人気のミナガワマンナで菊花賞を4馬身差で勝利し、三冠ジョッキーとなる。
1982年 ホリスキーで菊花賞をレコードタイムで制し同レース連覇。

なお、菊花賞を連覇した騎手は菅原を最後に現在まで現れていない。
1985年 ダイシンフブキで朝日杯3歳ステークスに勝利。

1992年 騎手を引退。騎手としての最後の重賞勝利は同年の東京新聞杯でのナルシスノワール。

須貝 尚介

須貝 尚介(すがい なおすけ、1966年6月3日 - )は、JRA・栗東トレーニングセンター所属の調教師で、元騎手である。

父は須貝彦三元調教師。彦三の弟の須貝四郎は縁戚。
1985年、JRA競馬学校を第1期生として卒業して騎手免許を取得、父の須貝彦三厩舎からデビュー。同期には石橋守、柴田善臣らがいる。

1990年の第30回きさらぎ賞をハクタイセイで制しJRA重賞初勝利を挙げる。しかし、次の皐月賞では南井克巳に乗り替わり、以後ハクタイセイに騎乗することはなかった。
1987年に須貝厩舎所属からフリーと所属変更となったが、1994年7月に再度須貝厩舎所属に戻り、8月には再びフリーとなり、その後も2回ほど須貝厩舎に所属したり離れたりを繰り返していた。
2008年に調教師免許を取得し、騎手を引退。

調教師へ転身した。騎手成績は4,163戦302勝で、そのうち重賞は4勝だった。

新川 恵

新川 恵(しんかわ めぐむ、1943年11月24日 - )は、日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属している調教師で、元騎手である。

義理の父(妻の父)に元調教師の布施正、義理の妹たち(妻の妹たち)の配偶者に調教師の岩元市三、柴田光陽らがいる。新川は結婚前の姓で、結婚後は布施姓となっていたが、現在は再び新川姓に戻っている。
1961年に阪神の佐藤勇厩舎所属の騎手見習いとなる。翌1962年に騎手免許を取得し、同厩舎所属でデビュー。

1968年に同じく阪神の澁川久作厩舎所属、1969年に関東・中山の稗田敏男厩舎所属、1970年には中山の中野吉太郎厩舎所属、1972年に中山の松永光雄厩舎所属、1973年に再び関西の栗東の布施正厩舎所属と、いくつもの厩舎を渡り歩いた。 1978年に調教師免許を取得し、騎手を引退した。

G1競走の勝利はまだない。
騎手は小牧太、芹沢純一、弟子である高井彰大の起用が特に多く、この3人が主戦騎手と言える存在である。

白井寿昭

白井寿昭(しらい としあき、1945年1月13日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の調教師である。

大阪府出身で、所属は栗東トレーニングセンター。JRAにおける表記では「寿」が使用されているが、正しくは白井壽昭である。
初出走は1979年10月6日の中京競馬第9競走のハルカボシで14着、初勝利は1980年3月23日の阪神競馬第8競走のスズカセイコーで、延べ46頭目であった。
馬の血統論には特にこだわりを持っており、また、管理にあっては馬体重を重要視している。
白井寿昭 主な管理馬
ダンスパートナー(1995年優駿牝馬、1996年エリザベス女王杯)
スペシャルウィーク(1998年東京優駿、1999年天皇賞(春)、天皇賞(秋)、ジャパンカップ)
アグネスデジタル(2000年マイルチャンピオンシップ、2001年マイルチャンピオンシップ南部杯・天皇賞(秋)・香港カップ、2002年フェブラリーステークス、2003年安田記念)
メイショウボーラー(2005年フェブラリーステークス)
フサイチパンドラ(2006年エリザベス女王杯)

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