重賞結果 | 競馬商材検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

ジャパンカップは、なんと1着賞金が2億5000万円ですね!
およそ、サラリーマンの生涯収入に匹敵します。

賞金総額は4億7600万円・・・・。
まだまだ日本は、世界的にみたらスーパーな国なんでしょうね。

ジャパンカップ概要

この競走はグレード制導入以前の主要競走である八大競走ではないものの国際招待競走であり賞金額や開催規模などが八大競走に匹敵していたため、八大競走と同格に扱われることもありました。

外国から当競走に出走する場合には競走馬の輸送費、滞在に要する厩舎や飼料にかかる費用、馬主、調教師、騎手、厩務員(馬主、調教師、騎手についてはその配偶者も含む)の交通費や宿泊費はJRAが全額負担します。
このような遠征に要する諸費用の負担を外国からの全出走馬に行う競走(招待競走)は日本ではこのほかにジャパンカップダートがある。世界ではドバイミーティング(ドバイワールドカップなど)、香港国際競走がある。

2012年度現在の総額賞金は4億7600万円で1着賞金は2億5000万円、2着賞金は1億円、3着賞金は6300万円、4着賞金は3800万円、5着賞金は2500万円と定められており、日本国内の全競走の中で最高額であり、世界全体でもドバイワールドカップに次ぐ2番目である。

ジャパンカップの歴史

1970年後半に「世界に通用する強い馬づくり」が提唱され日本国外の調教馬を招待して国際競走を開催する計画も持ち上がっていたが、招待馬の選定にあたり日本国外の主要競走との日程競合が障害となり実現しなかった。
当時の日本最強馬といわれたスピードシンボリが高齢になりながらも現役を続行したのはそれまでの海外遠征で負け続けた分、この国際競走で外国馬を負かしたいという陣営の思惑が色濃く残っていたためだった。

1981年に記念すべき第1回ジャパンカップは開催された。優勝賞金は6500万円で天皇賞、有馬記念と同額。新設重賞としては破格の金額。
北アメリカとアジアから招待馬が選出されアメリカ、カナダ、インド、トルコ(来日後に故障し不出走)から出走馬が招待された。
「日本の馬が外国馬と対戦するレースが見たい」という第1回だったが、日本馬はサクラシンゲキが大逃げでスタンド(客席)を沸かせるも(後に同馬は「日の丸特攻隊」と呼ばれるようになる)ゴールドスペンサーの5着が最高だった。

フジテレビで実況を担当した盛山毅アナウンサーは日本の一流どころが外国馬(ヨーロッパ除く)の決して一流とは言えない面々相手に惨敗した様子を見て「日本は完全に敗れました!!」と叫びしばし絶句。
日本国外とのレベルの差を痛感する結果となる。

翌年からは招待範囲がヨーロッパ、オセアニアにも広げられ参加国の多さから「世界一の競走」、「競馬のオリンピック」と評されることもあった(現在でもワールド・ホース・クラシックとファンから言われている程)。
さらにその翌年(1983年)からは地方競馬の所属馬も招待対象に加えられた。第2回も日本代表馬がことごとく敗れるばかりで、まだ日本国外との差があったことを証明するレースであった。
しかし第3回の1983年になってキョウエイプロミスが2着と好走を見せた。

1984年にはJRAのグレード制導入によりGIに格付けされた。この年、前哨戦の天皇賞(秋)を快勝したミスターシービーと菊花賞を無敗で制したシンボリルドルフの新旧三冠馬2頭が参戦、日本勢初優勝の期待を大いに集めた。
しかし、日本馬の初優勝という褒章を得たのは単勝10番人気と期待の薄かったカツラギエースであった。

1992年には国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際GIに指定されている。略称はJC(JはJAPAN、CはCUPのそれぞれの頭文字)。
1999年に成立したワールドレーシング・チャンピオンシップに初年度から加えられており、この年以降にほとんど馬産の行われていない香港、アラブ首長国連邦からも招待馬の選出がされている。また2000年から2006年までは外国馬がこの競走で優勝した場合に限り有馬記念の出走資格が与えられるようになった(2002年のファルブラヴと2005年のアルカセットが該当)が、行使した外国馬はいなかった。この制度は2007年に競馬が国際セリ名簿基準委員会から「国際パート1」に指定されたことを受けて発展廃止された。

2008年からジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定される。
2008年4月24日、フランスギャロ(フランス競馬統括団体)により凱旋門賞の1・2着馬がジャパンカップに優先招待されることが決まったと発表された。また、その他に3レースが同様の指定を受けている。

ジャパンカップの外国馬

かつてジャパンカップは日本馬の層が薄いことと賞金的な魅力もあり、数多くの外国馬が参戦しジャパンカップは外国馬の草刈り場のようになっていた。
しかし2000年代以降は検疫の厳しさや賞金的な魅力が相対的に薄れたことから、ジャパンカップに登録を済ませる欧州や北米などの各国一流馬は多いものの出走を回避する外国馬も少なくはない。

また、欧州馬は日程間隔が殆ど無く賞金が上がってきていて地元馬の層の薄いブリーダーズカップの芝競走や香港国際競走に照準を向けることが多い。
また、直航便の無くなったオセアニア勢の挑戦が少なくなったことも影響している。しかし2億5000万円という賞金は芝競走の賞金では国際的に見てもかなり高く、遠征費もJRAの全額負担でありかなりの厚遇となっている。第30回は久しぶりに8頭の外国招待馬が参戦を果たし、記念レースを大いに盛り上げた。

それでも外国馬の挑戦が減る理由としてはいくつかの例があげられるが、頻繁にあげられる理由が芝が主流の欧州のトップホースであっても速い時計に対応できない馬は日本の固い高速(時計の出る)馬場に適応できず惨敗することが多いからである。ジャパンカップが開催された当初はまだそれほど高速馬場化しておらず、加えて一部の日本馬を除いて日本馬と欧州馬のレベルに開きがあったために多少の不利でも勝利を挙げることはできた。

しかしその後は日本のトップレベルの馬が欧州馬などとも互角になり近年は日本馬の全体のレベルが欧州と遜色なくなってきていること、そして日本の高速馬場で力を発揮する日本馬が増えたことでその傾向はさらに顕著になり、日本の固い芝に対応するためスピードと瞬発力のある日本馬に欧州の深い芝に対応するスタミナとパワーを重視されているといわれる欧州馬が日本馬に瞬発力勝負で競り負けることが多い。

初期を除き欧州馬でジャパンカップで好走する馬はある程度速い時計に適応性がある馬であり、遠征する側もその点を踏まえて遠征する傾向がある。実際、このレースに勝った外国馬のファルブラヴはロンシャン競馬場の深い芝が合わなかったためこのレースへの出走を決意したという前例がある。

このように、もはや現在では日本の競馬と欧州の競馬は同じ芝でありながら全く違うものと考えられるようになっている。その傾向は種牡馬でも顕著に出ていてサドラーズウェルズなど欧州のリーディング上位に君臨する種牡馬を父に持つ競走馬が日本の競馬界ではあまり成功しておらず、サンデーサイレンスを筆頭にスピードのあるアメリカの種牡馬を父に持つ競走馬が多く活躍している。
この傾向もまた欧州勢のジャパンカップ回避に拍車をかけている可能性がある。

また種牡馬ビジネスが重要視される近年の欧米では一流馬の3歳の中には競走成績が非常に優秀であれば早期引退して種牡馬入りする場合も多く(特に欧州は多い)、無理に長距離遠征という過酷なことを強いその結果戦績を悪くすることは種牡馬入り後に響くためわざわざ勝ちにくいジャパンカップを選ぶことも少ない。

よって、2億5000万円の賞金よりも種牡馬として買い取られるときに発生する遥かに高い金額を優先する。近年ではキングジョージや愛チャンピオンSを勝ったスウェインや英愛ダービー馬ガリレオが種牡馬としての価値を高めようと凱旋門賞にすら出走せずダート競走の最高峰であるBCクラシックに出走するなど、種牡馬になった後のことを考えてレースを選ぶ傾向がある。また上記で説明されている日本の固い芝でたとえ外国馬が勝利を収めても、深い芝の欧州やダートが主流のアメリカにおいてはその勝利は種牡馬入りしてもあまり価値がない。そのため、近年ジャパンカップに勝った外国馬は日本の生産者団体に買い取られることが多い。

外国馬の出走馬の中には、ジャパンカップで上位入賞した後に他のG1競走を勝つなどの活躍することで有名になった海外馬も少なからず存在する。
代表例としては1982年の2着馬で翌年に凱旋門賞、ロスマンズインターナショナル、ターフクラシック招待ステークス、ワシントンDCインターナショナルと欧米のGI競走に多く勝利した牝馬オールアロング、

1996年の優勝馬で翌年のドバイワールドカップ、コロネーションカップ、インターナショナルステークスに優勝したシングスピール、2000年の3着馬でジャパンカップ後に香港カップ、タタソールズゴールドカップ、プリンスオブウェールズステークス、愛チャンピオンS、BCターフとGI競走を5勝して欧州年度代表馬および米国最優秀芝牡馬に選ばれ2年連続でワールド・レーシング・チャンピオンシップのチャンピオンとなったファンタスティックライト、2002年の優勝馬であり翌年エクリプスステークスやインターナショナルステークスなどのG1を勝ったファルブラヴが挙げられる。

逆に、その年の凱旋門賞を勝利して来日した馬は勝っていない。
それどころか複勝圏に入った馬も1996年に出走したエリシオのみで、その他のトニービン、キャロルハウス、アーバンシー、モンジュー、デインドリームらは馬券に絡むことすらできなかった。

出走したその年の凱旋門賞馬成績
年 馬名 結果
1988年 トニービン 5着(2番人気)
1989年 キャロルハウス 14着(7番人気)
1993年 アーバンシー 8着(10番人気)
1996年 エリシオ 3着(1番人気)
1999年 モンジュー 4着(1番人気)
2011年 デインドリーム 6着(1番人気)

ジャパンカップの国内馬

1990年代半ばには天皇賞(秋)や菊花賞などの優勝馬がこの後に1年の総決算とも言える有馬記念が控えていることもあって3戦連続のGI挑戦に慎重にならざるを得ないというローテーション上の問題から早々とジャパンカップ回避を公言するなど、日本の出走馬が小粒になるということもあった。この動きは八大競走時代の名残やジャパンカップの歴史がまだ浅いことから目指す目標の違いが回避か挑戦かに現れているとも言われていた。

しかし近年では賞金額が大幅に増額されたことや同一年に天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の全てに勝利した場合のボーナス制度ができたこと、宝塚記念から毎日王冠や京都大賞典を使わずに秋の天皇賞に直行する馬が増えたこと、さらに距離やコースの適性を尊重するようになってきた近代競馬では中距離の天皇賞(秋)を避けて中長距離のジャパンカップと有馬記念の2レース、または小回りの中山競馬場を嫌って天皇賞(秋)、ジャパンカップの2レースに照準を絞る陣営も増えてきている。その結果有力馬の回避は減少し、古馬に限っては故障以外の理由で回避することはほとんどない。

また、菊花賞が10月の第3週に開催されるようになってからは有力3歳馬の出走も増えてきている。なおクラシックに登録していない3歳(旧4歳)馬はクラシック競走への出走ができないため、三冠をあきらめる代わりに世界の強豪と対決することを目標とすることから本競走に照準を合わせる馬も少ないながらも存在する。

ジャパンカップの3歳馬

日本馬は優勝回数が17回と最も多いが、その内3歳馬の勝利は1998年のエルコンドルパサーと2001年のジャングルポケット、2010年のローズキングダムの3頭のみであと一歩のところで勝利できない馬も多い。

2・3着に敗れた3歳(旧4歳)の日本調教馬

年 馬名      結果 主な勝ち鞍、  備考
1984年 シンボリルドルフ 3着 牡馬クラシックを無敗で制した三冠馬
1988年 オグリキャップ 3着 元地方笠松所属
1993年 ウイニングチケット 3着 日本ダービー
1996年 ファビラスラフイン 2着 秋華賞
1998年 スペシャルウィーク 3着 日本ダービー
2002年 シンボリクリスエス 3着 天皇賞(秋)
2003年 ザッツザプレンティ 2着 菊花賞
2004年 コスモバルク 2着 地方ホッカイドウ所属
デルタブルース 3着 菊花賞
2006年 ドリームパスポート 2着
2008年 ディープスカイ 2着 NHKマイルカップ・日本ダービー
2009年 レッドディザイア 3着 秋華賞
2010年 ヴィクトワールピサ 3着 皐月賞

ジャパンカップ 出走資格

サラ系3歳(旧4歳)以上のJRAに選出されたJRA所属馬及び本競走に出走登録した外国馬(最大10頭まで)及び出走登録しJRAに選定された地方馬のみ出走が可能である。フルゲートは18頭。

ジャパンカップ日本馬の出走権

レーティング上位5頭に優先出走権が与えられる(レーティングが同じ値の場合は「近走成績や距離実績などを総合的に勘案して」順位をつけているとしている)。
その他は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる。

地方馬は、11月上旬までの成績をもとに収得賞金の総計により上位の馬1頭を候補馬とする。
1998年より2009年まで出馬投票締切前日までのGI、GII、GIII競走の1着馬、または出馬投票締切前日までの1年間での中央競馬のGI競走(ただし2歳馬の競走を除く)3着以内馬に限られていた。この規定は、1997年にスノーエンデバー(前走ハンデキャップ戦であるアルゼンチン共和国杯に50kgの軽斤量を活かし2着)がジャパンカップの登録馬が少なかっために出走できたことが物議を醸したからと考えられている(参考:大阪スポーツ)。

ジャパンカップ外国馬の出走権

ジャパンカップの招待決定は例年10月下旬から11月上旬に行われるため、招待が決定してもブリーダーズカップや香港国際レースに出走するため受諾できないケースがあった。そこで2008年より指定レースの優勝馬(レースによっては2着馬も)に対し優先出走権を与えることとし、早期に招待を出すことができるようになった[5]。宝塚記念がブリーダーズカップ・チャレンジの対象レースになったことに伴い、2011年からブリーダーズカップ・ターフも指定レースに追加された。

ジャパンカップ優先出走権を行使した競走馬

2008年 – ペイパルブル(キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス2着)
2011年 – デインドリーム(バーデン大賞、凱旋門賞1着)、シャレータ(凱旋門賞2着)
開催国・競走名 格付 施行競馬場 施行距離 優先出走権対象馬 優先出走権付与年
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス G1 アスコット 芝12f 1着馬・2着馬 2008年 –
凱旋門賞 G1 ロンシャン 芝2400m
アイリッシュチャンピオンステークス G1 レパーズタウン 芝10f 1着馬
バーデン大賞 G1 バーデンバーデン 芝2400m
アーリントンミリオン G1 アーリントンパーク 芝10f 2009年 –
ブリーダーズカップ・ターフ G1 持ち回り 芝12f 2011年 –

ジャパンカップ負担重量
定量で3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬は2kg減である。

ジャパンカップ賞金

グレード制が施行された第4回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金       1着      2着      3着      4着       5着
第4回(1984年) 1億4,250万円 7,500万円 3,000万円 1,900万円 1,100万円 750万円
第5回(1985年) 1億4,880万円 7,800万円 3,100万円 2,000万円 1,200万円 780万円
第6回(1986年) 1億5,200万円 8,000万円 3,200万円 800万円
第7回(1987年) 1億6,150万円 8,500万円 3,400万円 2,100万円 1,300万円 850万円
第8回(1988年) 1億8,050万円 9,500万円 3,800万円 2,400万円 1,400万円 950万円
第9回(1989年) 1億9,530万円 1億300万円 4,100万円 2,600万円 1,500万円 1,030万円
第10回(1990年) 2億1,000万円 1億1,000万円 4,400万円 2,800万円 1,700万円 1,100万円
第11回(1991年) 2億2,800万円 1億2,000万円 4,800万円 3,000万円 1,800万円 1,200万円
第12回(1992年) 2億4,800万円 1億3,000万円 5,200万円 3,300万円 2,000万円 1,300万円
第13回(1993年)
第14回(1994年)
第15回(1995年) 2億5,120万円 1億3,200万円 5,300万円 1,320万円
第16回(1996年)
第17回(1997年)
第18回(1998年)
第19回(1999年)
第20回(2000年) 4億7,600万円 2億5,000万円 1億円 6,300万円 3,800万円 2,500万円
第21回(2001年)
第22回(2002年)
第23回(2003年)
第24回(2004年)
第25回(2005年)
第26回(2006年)
第27回(2007年)
第28回(2008年)
第29回(2009年)
第30回(2010年)
第31回(2011年)
第32回(2012年)

ジャパンカップ褒賞金制度

2000年から天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の3つのレースを同一年に制した場合に1億円の褒賞金が交付されるようになった。
現在は内国産馬2億円、外国産馬1億円に増額されており、テイエムオペラオー、ゼンノロブロイが獲得している。

2003年より外国調教馬に対して指定競走の当年優勝馬(レースによっては2着馬も)がジャパンカップ優勝した場合、褒賞金を交付している。2009年よりその範囲が拡大され、本競走において3着までに入れば規定の褒賞金を交付することとなった。制度導入後に褒賞金を獲得した事例はない。なお2011年より褒賞金の金額が減額され、イギリスのチャンピオンステークスが指定競走に追加された。
2012年には更なる見直しが行われ、優先出走権が付与される6競走で優勝馬への褒賞金の減額ならびに2着馬への褒賞金が廃止され[8] 、そのほかの指定競走と賞金額が同額となった。

ジャパンカップ指定外国競走
開催国・競走名 格付 施行競馬場 施行距離 指定年 備考
1 キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス G1 アスコット 芝12f 2008年 – 優先出走権付与競走兼
凱旋門賞 G1 ロンシャン 芝2400m
アイリッシュチャンピオンステークス G1 レパーズタウン 芝10f
バーデン大賞 G1 バーデンバーデン 芝2400m
アーリントンミリオン G1 アーリントンパーク 芝10f
ブリーダーズカップ・ターフ G1 持ち回り 芝12f
2 イギリスダービー G1 エプソム 芝12f10y
フランスダービー G1 シャンティイ 芝2100m
アイリッシュダービー G1 カラ 芝12f
カナディアンインターナショナルステークス G1 ウッドバイン 芝12f
コックスプレート G1 ムーニーヴァレー 芝2040m
パリ大賞典 G1 ロンシャン 芝2400m 2009年 –
ブリーダーズカップ・クラシック G1 持ち回り ダート10f
AW10f
ドバイワールドカップ G1 メイダン AW2000m 2010年 –
インターナショナルステークス G1 ヨーク 芝10f88y
サンクルー大賞 G1 サンクルー 芝2400m
ドバイシーマクラシック G1 メイダン 芝2410m
イギリスチャンピオンステークス G1 アスコット 芝10f 2011年 –
賞金額
1の指定外国競走において当年の優勝馬である場合
本競走1着馬 本競走2着馬 本競走3着馬
2008年 1億3000万円 – –
2009年 5200万円 3250万円
2010年
2011年 1億円 4000万円 2500万円
2012年 8000万円 3200万円 2000万円
1の指定外国競走において当年の2着馬である場合(2012年以降は廃止)
本競走1着馬 本競走2着馬 本競走3着馬
2008年 5000万円 – –
2009年 2000万円 1250万円
2010年
2011年 4000万円 1600万円 1000万円
2の指定外国競走において当年の優勝馬である場合(2012年以降は1と同額)
本競走1着馬 本競走2着馬 本競走3着馬
2008年 1億円 – –
2009年 4000万円 2500万円
2010年
2011年 7000万円 2800万円 1800万円
2012年 8000万円 3200万円 2000万円

ジャパンカップの歴史

1981年
東京競馬場の芝2400mの国際招待の混合特別指定競走、ジャパンカップとして創設。
メアジードーツが当時のJRAレコードタイム(2分25秒3)で優勝。
1982年 – 当時の世界歴代賞金王ジョンヘンリー(アメリカ)が出走(13着)。
1983年 – 日本で初めてゼッケンに馬名が記入された(後述。当時はこの競走のみの特別仕様)。
1984年
JRAグレード制施行によりGIに格付け。
ミスターシービー(10着)、シンボリルドルフ(3着)が出走し中央競馬史上初となる中央競馬クラシック三冠馬同士の対決となった。
カツラギエースが日本生産馬、日本調教馬として初優勝。
1985年 – 単勝1番人気馬(シンボリルドルフ:日本)が初優勝。
1989年
ニュージーランドのホーリックスが従来のJRAレコードを2秒以上短縮する、当時の世界レコードタイム(2分22秒2)で優勝。7歳(当時の年齢表記)牝馬がJRA主催のGI競走を制するのも初となる。オグリキャップはホーリックスと同タイムながら2着。
1着賞金の総額が1億円台となる。
1992年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際GI競走に指定。
シンボリルドルフの仔・トウカイテイオーが優勝。初の父仔制覇。
1996年 – エリシオとストラテジックチョイスが3着同着。
1997年 – イギリスのマイケル・スタウトが調教師として史上初の2連覇。
1999年 – ワールドレーシング・チャンピオンシップに参加。
2000年 – 秋の古馬GI報奨金制度の第2戦に指定。この年からジャパンカップが単独で日本の最高賞金の競走となる。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
創設以来初めて日本馬が掲示板を独占。
2002年 – 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝2200mで施行。
2004年 – 「JRAゴールデンジュビリーキャンペーン」(創立50周年)の中央記念行事の一環として、ジャパンカップダートとのJRA史上初となる同一日・同一場GI競走開催となり、当競走は最終競走・第11レースとして施行
2005年 – イギリスのアルカセットが芝2400mの日本レコードタイムとなる2分22秒1で優勝。ハーツクライは同タイムながら2着。
2006年 – ワールドレーシング・チャンピオンシップが一時中止(2009年現在)。
2008年
ジャパン・オータムインターナショナルに指定。
3世代の日本ダービー優勝馬(メイショウサムソン、ウオッカ、ディープスカイ)が初めて揃って出走。
2009年 – ウオッカが日本生産馬の牝馬として初優勝を果たすとともに、史上4頭目(牝馬としては史上初)のJRA・GI競走7勝を達成。
2010年
日本のGI競走としては初となる3D映像の競馬中継を行う[9]。
第1位に入線したブエナビスタが他馬の進路を妨害したため、第2着に降着(降着制度施行後のGIでは2006年エリザベス女王杯のカワカミプリンセス以来3度目の1位入線馬の降着)[10]。
2011年
当年のドバイワールドカップ優勝馬が初めて出走(ヴィクトワールピサ)し、本競走で初めて当年の凱旋門賞優勝馬(デインドリーム)と揃って出走。
スペシャルウィークの仔・ブエナビスタが優勝。2組目の父仔制覇。
2012年 – ワールドスーパージョッキーズ開催に伴い当レースが最終11レースで開催。最終競走としての開催は2004年以来8年ぶり

ジャパンカップの歴代優勝馬

回数 施行日      調教国・優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1981年11月22日 メアジードーツ 牝5 2:25.3 C.アスムッセン J.フルトン A.D.シェフラー
第2回 1982年11月28日 ハーフアイスト 牡3 2:27.1 D.マクベス S.ホッフ B.R.F.ストーン
第3回 1983年11月27日 スタネーラ 牝5 2:27.6 B.ラウス F.ダン F.ダン
第4回 1984年11月25日 カツラギエース 牡4 2:26.3 西浦勝一 土門一美 野出一三
第5回 1985年11月24日 シンボリルドルフ 牡4 2:28.8 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第6回 1986年11月23日 ジュピターアイランド 牡7 2:25.0 P.エデリー C.ブリテン タビストック侯爵
第7回 1987年11月29日 ルグロリュー 牡3 2:24.9 A.ルクー R.コレ S.ウォルフ
第8回 1988年11月27日 ペイザバトラー 牡4 2:25.5 C.マッキャロン R.フランケル E.ガン
第9回 1989年11月26日 ホーリックス 牝6 2:22.2 L.オサリバン D.オサリバン G.W.ド・グルシー
第10回 1990年11月25日 ベタールースンアップ 騸5 2:23.2 M.クラーク D.ヘイズ G.ファラー
第11回 1991年11月24日 ゴールデンフェザント 牡5 2:24.7 G.スティーヴンス C.ウィッティンガム B.マクノール
第12回 1992年11月29日 トウカイテイオー 牡4 2:24.6 岡部幸雄 松元省一 内村正則
第13回 1993年11月28日 レガシーワールド 騸4 2:24.4 河内洋 森秀行 (株)ホースタジマ
第14回 1994年11月27日 マーベラスクラウン 騸4 2:23.6 南井克巳 大沢真 笹原貞生
第15回 1995年11月26日 ランド 牡5 2:24.6 M.ロバーツ H.イエンチ イットリンゲン牧場
第16回 1996年11月24日 シングスピール 牡4 2:23.8 L.デットーリ M.スタウト シェイク・モハメド
第17回 1997年11月23日 ピルサドスキー 牡5 2:25.8 M.キネーン M.スタウト ウェインストック卿
第18回 1998年11月29日 エルコンドルパサー 牡3 2:25.9 蛯名正義 二ノ宮敬宇 渡邊隆
第19回 1999年11月28日 スペシャルウィーク 牡4 2:25.5 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第20回 2000年11月26日 テイエムオペラオー 牡4 2:26.1 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第21回 2001年11月25日 ジャングルポケット 牡3 2:23.8 O.ペリエ 渡辺栄 齊藤四方司
第22回 2002年11月24日 ファルブラヴ 牡4 2:12.2 L.デットーリ L.ダウリア スクデリーア・ランカティ
第23回 2003年11月30日 タップダンスシチー 牡6 2:28.7 佐藤哲三 佐々木晶三 (株)友駿ホースクラブ
第24回 2004年11月28日 ゼンノロブロイ 牡4 2:24.2 O.ペリエ 藤沢和雄 大迫忍
第25回 2005年11月27日 アルカセット 牡5 2:22.1 L.デットーリ L.クマーニ M.R.チャールトン
第26回 2006年11月26日 ディープインパクト 牡4 2:25.1 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第27回 2007年11月25日 アドマイヤムーン 牡4 2:24.7 岩田康誠 松田博資 ダーレー・ジャパン・ファーム(有)
第28回 2008年11月30日 スクリーンヒーロー 牡4 2:25.5 M.デムーロ 鹿戸雄一 吉田照哉
第29回 2009年11月29日 ウオッカ 牝5 2:22.4 C.ルメール 角居勝彦 谷水雄三
第30回 2010年11月28日 ローズキングダム[† 1] 牡3 2:25.2 武豊 橋口弘次郎 (有)サンデーレーシング
第31回 2011年11月27日 ブエナビスタ 牝5 2:24.2 岩田康誠 松田博資 (有)サンデーレーシング
^ 第30回はブエナビスタが1位で入線したが、最後の直線で2位入線のローズキングダムの進路を妨害したとして、審議の結果2着に降着処分を受け、ローズキングダムが繰り上がりで優勝となった(参考:ブエナビスタの走破時計 2:24.9)。

ジャパンカップの記録
レースレコードタイム – 2分22秒1(第25回優勝馬アルカセット)
2着との最大着差 – 9馬身(第23回優勝馬タップダンスシチー)
勝馬投票券最高売上げ – 396億7438万2900円(第15回)
当日の最高入場者数 – 187,524人(第15回)
最多勝騎手 – 3勝
L.デットーリ(第16、22、25回)
武豊(第19、26、30回)
最多勝調教師 – 2勝
M.スタウト(第16、17回)
松田博資(第27、31回)
最多出走 – 6回 コスモバルク(第24~29回)

ジャパンカップ父子制覇
組 父馬名 優勝回 子馬名 優勝回
1組目 シンボリルドルフ 第5回 トウカイテイオー 第12回
2組目 スペシャルウィーク 第19回 ブエナビスタ 第31回

ジャパンカップ特記事項

馬番ゼッケンに馬名(ゴール付近で観客に向かう右サイドに片仮名馬名、左サイドには英文馬名を記述)が入っているものを使用するのはこの競走の特徴である。第1回と第2回は従来の番号のみのゼッケンであったが、第3回からこの特別仕様のゼッケンを使用している。馬番ゼッケンに馬名を入れたのはこのジャパンカップがはじめてであった。また第6回までは馬名入りゼッケンはこのジャパンカップのみでしか使用していなかった(当時は日本ダービーなどの八大競走でも使用されていなかったが1985年の有馬記念では試験的に使用されていた)。このゼッケンは1987年秋以降順次他のGI競走やその他の競走にも拡大され、現在は中央競馬全場および大井競馬場において一般競走を含む全競走に馬名入りのゼッケンを使用している。ただし英文馬名入りのゼッケンは一部の国際競走(外国調教馬の出走がある場合)でしか使用されない。なお、馬体の左側が英文と固定されている。また本競走とジャパンカップダートでは2002年から、片仮名馬名の面にその馬の調教国の国旗があしらわれるようになった(2006年からは英文馬名側にも国旗を記載)。

本競走の正式名称はあくまで「ジャパンカップ」であるが、2000年のジャパンカップダート創設以降は混同を避けるためか「ジャパンカップターフ」と称するファンや関係者もいる。
当日の東京競馬場は全11競走制であり、本競走は第10競走として施行される(2004年のゴールデンジュビリーデー及び2012年については最終第11競走(この時も全11競走制)として行われた)。よって勝馬投票券購入に際しては競走番号を間違えないよう注意する必要がある(当日は東京競馬場をはじめとする各発売所および在宅投票システムでもこの旨注意喚起がされている)。
1988年にはディック・フランシスも視察に訪れている。

1993年にブリーダーズカップターフ優勝馬コタシャーンが単勝1番人気で出走したが、残り100m時点で鞍上のケント・デザーモが残り100mを示すハロン棒をゴール板と勘違いし立ち上がって追うのを止めた。その後慌てて追い出したものの結果2着に終わったというボーンヘッドがあった(この時の優勝馬はレガシーワールド、日本のせん馬として最初のGI優勝)。この事件を契機としてその後徐々に各競馬場の残り100mのハロン棒が撤去され、代わりに残り100mを示す表示が柵に表示されるようになっている。
国際競走ではあるが、東京優駿で行われている国歌独唱は本競走では行われていない[注 5]。
2010年の第30回を記念したイベントとしてこの年のレース当日と前日の東京競馬の一般レース(平場戦)は全てジャパンカップ優勝馬の名を冠した「○○○賞」の副称が付けられ、馬券にはレース名も印刷された(既に名称が付けられている特別戦やワールドスーパージョッキーズシリーズのポイント対象レースには付けられなかった)。
現在に至るまでJRA最多となるGI7勝馬が4頭おり、いずれも当競走を優勝している。
日没の関係上、発走時刻が15時20分と早い(2005年以降、2012年除く)。

ジャパンカップ上位入線馬に関する事項
1983年は5着までの調教国が全て異なる結果となった。

1985年にシンボリルドルフとロッキータイガー(船橋競馬所属)による初の日本馬同士のワン・ツー・フィニッシュ(1・2着独占)が達成された。中央所属馬同士のワンツーは1998年(優勝:エルコンドルパサー・2着:エアグルーヴ)が最初で、以降中央所属馬同士のワンツーはこれまでの31回中10回ある。
2011年時点で当競走を連覇した馬は存在しない。2011年優勝のブエナビスタは前年度も1位入線をしたが、このときは降着処分を受けてしまった。
日本馬が掲示板を独占(1~5着)したのはこれまでに6回あるが(下記)、外国馬が掲示板を独占したことは初開催以来1度も無い。
回 年 1着 2着 3着 4着 5着
第21回 2001年 ジャングルポケット テイエムオペラオー ナリタトップロード ステイゴールド メイショウドトウ
第23回 2003年 タップダンスシチー ザッツザプレンティ シンボリクリスエス ネオユニヴァース アクティブバイオ
第27回 2007年 アドマイヤムーン ポップロック メイショウサムソン ウオッカ デルタブルース
第28回 2008年 スクリーンヒーロー ディープスカイ ウオッカ マツリダゴッホ オウケンブルースリ
第30回 2010年 ローズキングダム ブエナビスタ(1位入線降着) ヴィクトワールピサ ジャガーメイル ペルーサ
第31回 2011年 ブエナビスタ トーセンジョーダン ジャガーメイル トレイルブレイザー ウインバリアシオン

ラジオNIKKEI賞ってどんなレース?

ラジオNIKKEI賞の基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 福島競馬場
施行時期 6月下旬 – 7月上旬
(原則2回福島6日目)
格付け GIII
1着賞金 3700万円
賞金総額 7060万円
距離 芝1800m
出走条件 サラブレッド系3歳(国際)(特指)

負担重量 ハンデキャップ
第1回施行日 1952年4月6日

ラジオNIKKEI賞(ラジオにっけいしょう)は、日本中央競馬会(JRA)が福島競馬場の芝1800mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走。競走名は寄贈賞を提供している日経ラジオ社の愛称ラジオNIKKEIから。

ラジオNIKKEI賞 概要

本競走は1952年にクラシック競走である皐月賞の前哨戦として4歳(現3歳)の別定の重賞競走、中山4歳ステークスとして創設、第1回は現在とは違い中山競馬場の芝1800mで施行された。
1954年からは、春のクラシックシーズン終了後の6月下旬に施行されるようになり、また本年のみ施行距離を芝2000mで施行した。

1955年からは出走資格に「除く東京優駿1着馬」が追加され、1956年は中山競馬場の改修工事に伴い東京競馬場の芝1800mで施行、1959年からは寄贈賞を日本短波放送から提供された事を機に、日本短波賞中山4歳ステークスに名称を変更、更に1961年からは日本短波賞に名称を変更した。

1968年は東京競馬場の改修工事の影響により4月に開催されたため、出走資格の「除く東京優駿1着馬」が取り消された。
1971年は東京競馬場の芝1800mで施行、1972年は混合競走に指定、外国産馬が出走可能になった。但し、この年は流行性の馬インフルエンザによる開催日程変更の影響で7月に東京競馬場の芝1800mで施行、1979年からは前年に日本短波放送の愛称が「ラジオたんぱ」に決まった事に伴い、名称をラジオたんぱ賞に変更、施行場所を現在の福島競馬場の芝1800mに移した。

1984年からはグレード制施行に伴いGIIIに格付けされるが混合競走から除外される。1992年からは混合競走に再び指定され、外国産馬が出走可能になった。1997年からは特別指定競走に指定され、JRAに認定された地方所属の競走馬が出走可能となる。
2000年は新潟競馬場の改修工事による振替開催により東京競馬場の芝1800mで施行、2001年からは混合競走から除外されたが、2005年には再び指定され、2006年からは現在のラジオNIKKEI賞に名称変更、更に負担重量をハンデキャップに変更した。
主に東京優駿(日本ダービー)で出走できなかったり、好走できなかった馬が出走してくる傾向があり、また一時的には出走資格として「東京優駿1着馬を除く」と組み込まれていた事から、「残念ダービー」と今日まで呼ばれるようになる。

1961年以来、当競走に寄贈賞を出し続けている日本短波放送は2003年10月1日に社名を日経ラジオ社に変更し、翌2004年4月1日には局名をラジオNIKKEIに改称したが、2004年・2005年の競走名は旧愛称のラジオたんぱのままであった。
現在の優勝レイの配色は、赤色地に銀色文字である。

出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量はハンデキャップである。

ラジオNIKKEI賞 歴史

1952年 – 中山競馬場の芝1800mの4歳(現3歳)の別定の重賞競走、中山4歳ステークスとして創設。
1954年 – 施行距離を芝2000mに変更。
1955年
出走資格に「東京優駿1着馬を除く」の条項が追加される。
施行距離を芝1800mに戻す。
1着入線のイチモンジが走行妨害により失格。
1956年 – 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝1800mで施行。
1957年 – 大久保房松が調教師として史上初の連覇。
1958年 – 1位入線のヒシマサルが走行妨害により失格。
1959年 – 日本短波放送から寄贈賞の提供を受け、名称を日本短波賞中山4歳ステークスに変更。
1960年 – 前年の9月1日から日本競馬の計時方式が変更されたことに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1961年 – 名称を日本短波賞に変更。
1964年 – 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝1800mで施行。
1966年 – 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝1800mで施行。
1968年 – 東京競馬場の改修工事の影響により4月に開催されたため、出走資格内の「東京優駿1着馬を除く」の条項が取り消される。
1970年 – 尾形藤吉が調教師として2人目の連覇。
1971年 – 東京競馬場の芝1800mで施行。
1972年
混合競走に指定。
流行性の馬インフルエンザの影響で7月に東京競馬場の芝1800mで順延開催。
野平祐二が騎手として史上初の連覇。
1979年
名称をラジオたんぱ賞に変更。
施行場を現在の福島競馬場の芝1800mに移す。
1982年 – 田村正光が騎手として2人目の連覇。
1984年
グレード制施行によりGIIIに格付け。
混合競走から除外。
1989年 – 福島競馬場の改修工事により新潟競馬場の芝1800mで施行。
1991年 – 大崎昭一が騎手として3人目の連覇。
1992年 – 混合競走に再び指定。
1996年 – 福島競馬場の改修工事により中山競馬場の芝1800mで施行。
1997年 – 特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
2000年 – 福島競馬場の改修工事による振替開催により東京競馬場の芝1800mで施行。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳」から「3歳」に変更。
混合競走から除外。
2005年 – 混合競走に再び指定。
2006年
名称をラジオNIKKEI賞に変更。
負担重量をハンデキャップに変更。
2007年 – 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2009年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となるのに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
2010年 – サマージョッキーズシリーズの対象競走に指定。
2011年
東日本大震災の影響による福島競馬の開催中止に伴い中山競馬場の芝1800m(Cコース使用)で施行し、フルゲートも14頭に変更[2]。
プランスデトワールが1コーナーで逸走したためショウナンパルフェとディアフォルティスの進路を妨害し、ディアフォルティスは競走を中止。加害馬のプランスデトワールも競走を中止したため、処分を受けた馬はなかった。

ラジオNIKKEI賞 歴代優勝馬
回数 施行日       優勝馬     性齢 斤量 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1952年4月6日 アサトモ 牡3 57 1:53 0/5 野平祐二 望月与一郎 手塚栄一
第2回 1953年4月12日 チエリオ 牝3 53 1:57 2/5 阿部正太郎 田中和一郎 吉川英治
第3回 1954年6月20日 ゴールデンウエーブ 牡3 59 2:09 4/5 蛯名武五郎 藤本冨良 川俣欣也
第4回 1955年7月3日 ヒデホマレ 牡3 58 1:51 1/5 柄崎義信 西塚十勝 宍戸ミワ
第5回 1956年6月24日 フエアマンナ 牝3 57 1:52 4/5 佐藤嘉秋 大久保房松 小林庄平
第6回 1957年6月23日 オンワードゼア 牡3 55 1:55 1/5 二本柳俊夫 大久保房松 樫山純三
第7回 1958年6月15日 カツトシ 牡3 56 1:50 3/5 野平祐二 松山吉三郎 佐藤順吉
第8回 1959年6月21日 シゲミノル 牡3 55 1:50 2/5 坂本栄三郎 中村広 鈴木晴
第9回 1960年6月19日 ビツグヨルカ 牡3 55 1:50.0 保田隆芳 尾形藤吉 小野晃
第10回 1961年6月25日 アズマテンラン 牡3 55 1:51.6 高橋英夫 二本柳俊夫 堀平四郎
第11回 1962年7月1日 スズホープ 牡3 54 1:51.0 八木沢勝美 森末之助 鈴江繁一
第12回 1963年6月16日 カネノヒカル 牡3 56 1:51.6 加賀武見 阿部正太郎 金指吉昭
第13回 1964年6月21日 フラワーウツド 牝3 53 1:49.0 保田隆芳 尾形藤吉 永田雅一
第14回 1965年6月20日 ベロナ 牝3 55 1:51.5 野平好男 田中和夫 田中はな
第15回 1966年6月19日 ヒロイサミ 牡3 54 1:52.0 郷原洋行 野平省三 勝川平太郎
第16回 1967年6月18日 ムネヒサ 牡3 55 1:52.0 藤本勝彦 藤本冨良 伊東二郎
第17回 1968年4月7日 アサカオー 牡3 55 1:52.6 加賀武見 中村広 浅香源二
第18回 1969年6月22日 ハクエイホウ 牡3 54 1:52.2 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第19回 1970年6月14日 ヒガシライト 牡3 54 1:51.0 伊藤正徳 尾形藤吉 坂本清五郎
第20回 1971年7月4日 ミネラルシンボリ 牡3 54 1:51.8 野平祐二 野平省三 和田共弘
第21回 1972年7月30日 スガノホマレ 牡3 55 1:48.4 野平祐二 秋山史郎 菅原光太郎
第22回 1973年6月24日 イチフジイサミ 牡3 56 1:50.8 郷原洋行 松永光雄 保坂勇
第23回 1974年6月23日 スルガスンプジョウ 牡3 55 1:50.0 蛯沢誠治 成宮明光 望月茂
第24回 1975年6月22日 ハクチカツ 牡3 54 1:50.2 小島太 稲葉幸夫 柏誠四郎
第25回 1976年6月27日 トリデジョウ 牡3 55 1:50.5 増沢末夫 山岡寿恵次 ホースマンクラブ
第26回 1977年6月26日 マルゼンスキー 牡3 58 1:51.4 中野渡清一 本郷重彦 橋本善吉
第27回 1978年6月25日 キタノコンゴウ 牡3 55 1:49.2 菅原泰夫 本郷一彦 高山幸雄
第28回 1979年6月24日 ホクセーミドリ 牝3 53 1:47.9 小島太 高木嘉夫 村田光雄
第29回 1980年6月22日 ハワイアンイメージ 牡3 58 1:50.7 増沢末夫 鈴木勝太郎 (株)大関
第30回 1981年6月21日 エイティトウショウ 牝3 54 1:51.6 田村正光 奥平真治 トウショウ産業(株) 
第31回 1982年6月27日 アキビンゴ 牡3 56 1:52.5 田村正光 大久保良雄 (株)じんべい産業
第32回 1983年6月26日 ウメノシンオー 牡3 55 1:49.2 増沢末夫 古賀一隆 梅崎敏則
第33回 1984年6月24日 スズパレード 牡3 55 1:49.2 田村正光 富田六郎 小紫芳夫
第34回 1985年6月23日 ダービーリッチ 牝3 53 1:50.8 蛯沢誠治 諏訪富三 東京軽種馬(株) 
第35回 1986年6月22日 ダイナコスモス 牡3 58 1:47.8 岡部幸雄 沢峰次 (有)社台レースホース
第36回 1987年7月5日 レオテンザン 牡3 54 1:48.8 田村正光 吉野勇 田中竜雨
第37回 1988年7月3日 タカラフラッシュ 牡3 54 1:49.8 佐藤吉勝 坂本栄三郎 村山義男
第38回 1989年7月2日 ダイワゲーリック 牡3 54 1:48.2 増沢末夫 尾形盛次 大和商事(株)
第39回 1990年7月1日 ツルマイアスワン 牡3 54 1:47.8 大崎昭一 柴田寛 平岩詔次
第40回 1991年6月30日 ツインターボ 牡3 54 1:48.5 大崎昭一 笹倉武久 黒岩晴男
第41回 1992年7月5日 シンコウラブリイ 牝3 55 1:48.6 坂本勝美 藤沢和雄 安田修
第42回 1993年7月4日 エーピーグランプリ 牡3 55 1:48.1 江田照男 武田博 (株)デルマークラブ 
第43回 1994年7月3日 ヤシマソブリン 牡3 54 1:49.1 坂井千明 松山康久 毛利喜昭
第44回 1995年7月2日 プレストシンボリ 牡3 56 1:48.9 岡部幸雄 藤沢和雄 シンボリ牧場
第45回 1996年6月30日 ビッグバイアモン 牡3 54 1:46.0 蛯名正義 中尾正 (有)ビッグ
第46回 1997年6月29日 エアガッツ 牡3 55 1:50.3 柴田大知 栗田博憲 (株)ラッキーフィールド
第47回 1998年7月5日 ビワタケヒデ 牡3 54 1:45.6 藤田伸二 松田博資 (有)ビワ 
第48回 1999年7月4日 シルクガーディアン 牡3 54 1:50.1 柴田善臣 矢野進 (有)シルク
第49回 2000年7月2日 ルネッサンス 牡3 55 1:49.4 大西直宏 高橋裕 中澤幸幹
第50回 2001年7月1日 トラストファイヤー 牡3 55 1:49.4 田中勝春 河野通文 菅波滿
第51回 2002年6月30日 カッツミー 牡3 54 1:48.3 内田利雄 南田美知雄 安部重夫
第52回 2003年7月6日 ヴィータローザ 牡3 55 1:48.4 蛯名正義 橋口弘次郎 (有)サンデーレーシング
第53回 2004年7月4日 ケイアイガード 牡3 56 1:47.1 松永幹夫 古川平 亀田守弘
第54回 2005年7月3日 コンラッド 牡3 55 1:47.2 横山典弘 手塚貴久 (有)サンデーレーシング
第55回 2006年7月2日 タマモサポート 牡3 54 1:50.5 津村明秀 藤岡健一 タマモ(株)
第56回 2007年7月1日 ロックドゥカンブ 牡3 52 1:47.7 柴山雄一 堀宣行 吉田和美
第57回 2008年7月6日 レオマイスター 牡3 53 1:46.8 内田博幸 古賀慎明 (株)レオ
第58回 2009年7月5日 ストロングガルーダ 牡3 56 1:48.3 蛯名正義 久保田貴士 村木篤
第59回 2010年7月4日 アロマカフェ 牡3 55 1:47.3 柴田善臣 小島太 西川光一
第60回 2011年7月3日 フレールジャック 牡3 54 1:46.9 福永祐一 友道康夫 (有)キャロットファーム

函館スプリントステークスってどんなレース?

函館スプリントステークスの基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 函館競馬場
施行時期 6月中旬
(原則1回函館4日目)
格付け GIII
1着賞金 3800万円
賞金総額 7200万円
距離 芝1200m
出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(特指)
負担重量 別定
第1回施行日 1994年7月17日

函館スプリントステークス(はこだてスプリントステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が函館競馬場の芝1200mで施行する中央競馬の重賞競走(GIII)。

函館スプリントステークス概要

夏季競馬の短距離重賞の充実を図る目的で1994年に4歳(現3歳)以上の別定の混合の重賞競走、札幌スプリントステークスとして創設、第1回は札幌競馬場の芝1200mで施行された。

1996年からは特別指定交流競走に指定され、JRAに認定された地方所属の競走馬の出走が可能になり、1997年からは同年の番組改定で札幌競馬と函館競馬の開催順入れ替えにより、施行場所を函館競馬場の芝1200mとなり、名称を函館スプリントステークスに変更した。2006年からはサマースプリントシリーズの第1戦に指定されている。

サマースプリントシリーズに指定されてからは、本競走を優勝したワンカラット(2010年)がシリーズチャンピオンに輝いている。

夏季競馬開催の最初の短距離重賞競走と言う事もあり、夏の休養に入らなかった有力馬が出走する場合がある。また秋のスプリンターズステークスを見据える、力を付けてきた競走馬(昇り馬)がサマースプリントシリーズも視野に入れて出走する。
尚、本競走は安田富男が1996年にノーブルグラスに騎乗して当競走を優勝、JRAの全10競馬場の重賞競走制覇の記録を史上初めて達成した競走でもある。

本競走は平坦で直線の短いコースで行われるスプリント戦ゆえか、他の牡牝混合戦と比較して牝馬の好走が目立っており、特に2003年から2007年の5年間は、牝馬が連続制覇していた。
本競走の優勝馬からはマサラッキ・サニングデール・キンシャサノキセキ・カレンチャンの4頭が後にGI競走を優勝している。
現在の優勝レイの配色は、赤色地に銀色文字となっている。

出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は3歳(旧4歳)は53kg(開催日が7月1日以前の場合は52kg[1])、4歳(旧5歳)以上は56kg、牝馬は2kg減を基本とし、
日本馬は、収得賞金3,000万円超過馬は超過額が2,000万円毎に1kg増。
外国調教馬は、GI競走1着馬は5kg増、GII競走1着馬3kg増、GIII競走1着馬1kg増。(ただし2歳時の成績を除く)
以上のように斤量が課せられる。

^ 1600m以下のオープン競走のアローワンス([1]のアローワンスおよび南半球産馬の負担重量の減量についての項目参照)が6月は4kg、7月は3kgとなっている。開催日(天災地変その他やむを得ない事由により開催日の日取りを変更した場合における変更後の開催日を除く。)が2日以上連続する場合において、それらの開催日の最初の日とその他の日におけるアローワンスおよび南半球産馬の負担重量の減量が当該表に定めるところにより変更されることとなる場合については、当該最初の日現在における当該表による重量をもってそれらの開催日におけるアローワンスおよび南半球産馬の負担重量の減量とする。より、開催日が7月1日の場合でも前日の土曜日が6月30日と6月なのでアローワンスは4kg

函館スプリントステークス歴史

1994年 – 札幌競馬場の芝1200mの4歳(現3歳)以上の別定の混合競走の重賞(GIII)競走、札幌スプリントステークスとして創設。
1996年
特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
ノーブルグラスが史上初の連覇。
上原博之が調教師として史上初の連覇。
1997年
施行場を函館競馬場の芝1200mに変更。
名称を現在の函館スプリントステークスに変更。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2005年
シーイズトウショウが2頭目の連覇。
池添謙一が騎手として史上初の連覇。
鶴留明雄が調教師として2人目の連覇。
2006年 – サマースプリントシリーズに指定。
2007年 – ICSCの勧告に伴う競走格付けの変更により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2009年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
薄暮競走実施により、北海道主場の最終レースの発走時刻を17時10分に設定したことに伴い、本競走の競走番号を第11競走から第9競走に変更。
函館競馬場のスタンド改修工事により、札幌競馬場の芝1200mで施行。1996年以来の札幌開催となる。
3位入線のエーシンエフダンズが進路妨害により8着に降着。
2010年 – ワンカラットが当時のコースレコード1:08.2で優勝。
2011年 – 東日本大震災の影響による薄暮開催の中止に伴い、第11競走として施行。
2012年 – 夏季競馬の開催日割変更に伴い、6月中旬に施行される。

函館スプリントステークス歴代優勝馬
回数 施行日      優勝馬      性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1994年7月17日 ゴールドマウンテン 牡5 1:09.3 武豊 佐山優 グリーンファーム
第2回 1995年7月16日 ノーブルグラス 牝4 1:09.4 小島太 上原博之 芳賀満男
第3回 1996年7月14日 ノーブルグラス 牝5 1:08.9 安田富男 上原博之 芳賀満男
第4回 1997年7月13日 マサラッキ 牡4 1:08.8 河内洋 増本豊 丸井正貴
第5回 1998年7月19日 ケイワンバイキング 騙4 1:09.0 横山典弘 奥平真治 北村和哉
第6回 1999年7月18日 シンコウフォレスト 牡6 1:09.4 四位洋文 栗田博憲 安田修
第7回 2000年7月2日 タイキトレジャー 牡4 1:08.7 横山典弘 藤沢和雄 (有)大樹ファーム
第8回 2001年7月1日 メジロダーリング 牝5 1:09.5 武幸四郎 大久保洋吉 (有)メジロ牧場
第9回 2002年6月30日 サニングデール 牡3 1:10.3 福永祐一 瀬戸口勉 後藤繁樹
第10回 2003年7月6日 ビリーヴ 牝5 1:09.3 安藤勝己 松元茂樹 前田幸治
第11回 2004年7月4日 シーイズトウショウ 牝4 1:09.4 池添謙一 鶴留明雄 トウショウ産業(株)
第12回 2005年7月3日 シーイズトウショウ 牝5 1:09.0 池添謙一 鶴留明雄 トウショウ産業(株)
第13回 2006年7月2日 ビーナスライン 牝5 1:09.1 秋山真一郎 堀宣行 (有)ターフ・スポート
第14回 2007年7月1日 アグネスラズベリ 牝6 1:08.9 角田晃一 西浦勝一 渡辺孝男
第15回 2008年7月6日 キンシャサノキセキ 牡5 1:08.4 岩田康誠 堀宣行 吉田和美
第16回 2009年7月5日 グランプリエンゼル 牝3 1:08.5 熊沢重文 矢作芳人 北側雅司
第17回 2010年7月4日 ワンカラット 牝4 1:08.2 藤岡佑介 藤岡健一 青山洋一
第18回 2011年7月3日 カレンチャン 牝4 1:08.0 池添謙一 安田隆行 鈴木隆司

マーメイドステークスってどんなレース?

マーメイドステークスの基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 阪神競馬場
施行時期 6月中旬 – 下旬
(原則3回阪神6日目)
格付け GIII
1着賞金 3500万円
賞金総額 6660万円
距離 芝2000m
出走条件 サラブレッド系3歳以上牝馬(国際)(特指)
出走資格も参照
負担重量 ハンデキャップ
第1回施行日 1996年6月23日

マーメイドステークス(Mermaid Stakes)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場の芝2000mで施行する中央競馬の重賞競走(GIII)。
競走名は人魚の英語「mermaid」の意味から。

マーメイドステークス概要

本競走は1996年の牝馬限定の重賞路線の整備の一環として、4歳(現3歳)以上牝馬限定の混合の賞金別定重量の重賞(GIII)競走、マーメイドステークスとして新設。第1回は現在と同じく阪神競馬場の芝2000mで施行された。
1997年からは地方所属の騎手が騎乗可能になり、2002年からは特別指定競走に指定、JRAの認定競走で1着に入賞した地方所属の競走馬が出走になり、2005年からは国際競走に指定、海外の競走馬が出走可能になった。なお、2000年から2005年までは七夕賞と同日開催だった。2006年からは負担重量をハンデキャップに変更された。

創設当初から3歳(旧4歳)以上の牝馬限定競走だが、3歳(旧4歳)馬が出走する事は極めて少なく、GI級戦線で健闘する古馬の牝馬が多く参戦していた。ハンデキャップ競走となってからは一転して福島牝馬ステークスやヴィクトリアマイルで成績を残せなかった出走馬が参戦する傾向がある。

現在の優勝レイの配色は、水色地に黄色文字となっている。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の牝馬の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は、ハンデキャップである。

マーメイドステークス歴史

1996年 – 阪神競馬場の芝2000mの4歳(現3歳)以上牝馬限定の混合競走・別定重量の重賞(GIII)競走、マーメイドステークスとして創設(創設当初の基本負担斤量は4歳(現3歳)が51kg、5歳(現4歳)以上が55kg)。
1997年 – この年から地方所属の騎手が騎乗可能となる。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳以上牝馬」から「3歳以上牝馬」に変更。
当時地方笠松所属の安藤勝己が騎手として史上初の連覇。
2002年 – 特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
2004年 – 第2回競走の優勝馬エアグルーヴの仔、アドマイヤグルーヴが優勝、母仔制覇を達成。
2005年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2006年
阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝内回り2000mで施行。
負担重量をハンデキャップに変更。

2007年 – 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
2008年
関西主場においての最終競走の発走時刻を16時40分に設定したことに伴い、当競走の競走番号を第11競走から第10競走に変更。
トーホウシャインが2001年のカブトヤマ記念のタフネススター以来、史上6頭目の最軽量タイ48kgの重賞勝利を記録。
2011年 – 東日本大震災及び東京電力・福島第一原子力発電所での事故による薄暮開催の中止に伴い、第11競走として施行。
2012年 – サマージョッキーズシリーズの対象競走に指定。

マーメイドステークス歴代優勝馬
回数 施行日       優勝馬      性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1996年6月23日 シャイニンレーサー 牝5 2:00.6 河内洋 高橋隆 市川義美
第2回 1997年6月22日 エアグルーヴ 牝4 2:02.6 武豊 伊藤雄二 (株)ラッキーフィールド
第3回 1998年6月28日 ランフォザドリーム 牝4 2:00.0 河内洋 田中耕太郎 高瀬牧場
第4回 1999年6月27日 エリモエクセル 牝4 2:03.6 的場均 加藤敬二 山本慎一
第5回 2000年7月9日 フサイチエアデール 牝4 1:58.9 安藤勝己 松田国英 関口房朗
第6回 2001年7月8日 タイキポーラ 牝5 1:59.2 安藤勝己 松元茂樹 (有)大樹ファーム
第7回 2002年7月7日 ヤマカツスズラン 牝5 1:59.1 池添謙一 池添兼雄 山田博康
第8回 2003年7月13日 ローズバド 牝5 2:03.7 横山典弘 橋口弘次郎 (有)社台レースホース
第9回 2004年7月11日 アドマイヤグルーヴ 牝4 2:00.0 武豊 橋田満 近藤利一
第10回 2005年7月10日 ダイワエルシエーロ 牝4 2:00.5 福永祐一 松田国英 大城敬三
第11回 2006年6月18日 ソリッドプラチナム 牝3 2:01.1 安部幸夫 田中章博 (株)ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
第12回 2007年6月17日 ディアチャンス 牝6 1:58.4 武豊 清水出美 寺田千代乃
第13回 2008年6月22日 トーホウシャイン 牝5 2:03.5 高野容輔 崎山博樹 東豊物産(株)
第14回 2009年6月21日 コスモプラチナ 牝6 2:00.2 和田竜二 宮徹 (有)ビッグレッドファーム
第15回 2010年6月20日 ブライティアパルス 牝5 1:59.5 藤岡康太 平田修 小林昌志
第16回 2011年6月19日 フミノイマージン 牝5 2:00.4 太宰啓介 本田優 谷二

東京優駿(日本ダービー)ってどんなレース?

東京優駿(日本ダービー)の基本情報

第74回東京優駿
主催者 日本中央競馬会
開催地 東京競馬場
施行時期 5月下旬 – 6月上旬
(原則2回東京12日目)
格付け GI
1着賞金 1億5000万円
賞金総額 2億8600万円
距離 芝2400m
出走条件 サラブレッド系3歳牡馬・牝馬(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 定量(牡馬57kg、牝馬55kg)
第1回施行日 1932年(昭和7年)4月24日


東京優駿(とうきょうゆうしゅん)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝2400mで施行する競馬の重賞競走。一般的にはレース名の副称である日本ダービーの名で広く知られており、現在の日本の競馬においてその代名詞とも言える競走である。「競馬の祭典」という呼称もマスコミが広く用いている。

正賞は内閣総理大臣賞・日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞、朝日新聞社賞。
また副賞が「トヨタ賞」としてトヨタの高級車が与えられ、レースで実際に使用した鞭が東京競馬場のJRA競馬博物館に永久保存・展示される。このため騎手は他のGIレースと異なり、鞭を観客席へ投げ入れることは行っていない。


東京優駿(日本ダービー)概要

1932年(昭和7年)にイギリスのクラシック競走であるダービーステークスを範して創設された日本で最も古くから同一条件で開催されている競走の一つである。毎年5月末頃に開催され春の皐月賞、秋の菊花賞とともに牡馬の三冠競走を構成する。
出走資格は3歳の牡馬・牝馬の競走馬だけに与えられ、騸馬(去勢された牡馬)は出走権がない。また、未出走馬・未勝利馬も出走できない。

牝馬も出走可能だが前週に優駿牝馬(オークス)があるため、出走することは稀である。
日本の3歳(旧4歳)馬の代表決定戦であり、日本の全てのホースマンが憧れる最高の舞台である。騎手にとっては本競走を制すと晴れてダービージョッキーの仲間入りを果たすことができる。
1973年(昭和48年)までは日本国内の最高賞金額で、名実ともに日本最大最高の競走だった[注 1]。現在は賞金額においては国際招待競走であるジャパンカップ、全ての馬に出走権のある有馬記念に次ぐ3番目となっている。2010年(平成22年)から国際格付けで最高格となるGIとなる。

東京優駿(日本ダービー)解説

東京優駿(日本ダービー)条件

サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬(外国産馬含む)及び地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)及び外国調教馬の牡馬・牝馬(外国産馬と合わせて9頭まで)、出走枠は18頭まで。未出走馬・未勝利馬は出走できない。

負担重量は定量で牡馬は57kg、牝馬は55kgである。

2012年度現在の総額賞金は2億8600万円で1着賞金1億5000万円、2着賞金6000万円、3着賞金3800万円、4着賞金2300万円、5着賞金1500万円と定められている。1973年(昭和48年)までは本競走が日本競馬での最高賞金額であったが現在はジャパンカップ(1着賞金2億5000万円)、有馬記念(1着賞金2億円)に次いで3番目に高い賞金額となっている。
当競走はGIに格付けされている。

東京優駿(日本ダービー)名称

「東京優駿大競走」の名称で創設され「東京優駿競走」、「優駿競走」という名称を経て「東京優駿」が現在の正式な名称となっており副称として「(日本ダービー)」が付されている[注 2]。
JRAが配布するレーシングプログラムや競馬新聞などでは1950年(昭和25年)以降、「東京優駿(第~回日本ダービー)」または「東京優駿(日本ダービー)」と表記されている(日本のつかない「ダービー」と呼んでいた時期もあった)。一般の新聞では知名度の高い副称を前面に出し、「日本ダービー(東京優駿)」とも表記される。
勝馬投票券には、副称である「日本ダービー」のみが表記されている。

東京優駿(日本ダービー)創設の経緯

日露戦争で内外の軍馬の性能差を痛感した政府によって国内では産馬育成が奨励されたが、1908年(明治41年)に馬券の発売が禁止されると馬産地は空前の大不況に見舞われた。大正中期より産馬業者から東京競馬倶楽部会長の安田伊左衛門に対し「イギリスのクラシック競走であるダービーステークスのような高額賞金の大競走を設けて馬産の奨励をしてほしい」という意見があり、予てからの自身の構想と合致すると考えた安田は[注 3]馬産の衰退を食い止める手段としてイギリスのエプソム競馬場のダービーステークスを範し、

4歳(現3歳)牡馬・牝馬の最高の能力試験であること。
競走距離が2400m、又は2400mに限り無く近いこと。
(開催国で催される競馬の)最高の賞金額を設定すること。
2歳(現1歳)秋から4回の出走登録を出走資格の条件とすること。
負担重量は馬齢重量とすること。
施行時期は原則的に春季とすること。
以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること。

という7大原則のもと4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の定量の重賞競走東京優駿大競走として創設することを1930年(昭和5年)4月24日に発表、初回登録が同年10月に行われた(牡92頭、牝76頭、計168頭)。第1回は1932年(昭和7年)4月24日に目黒競馬場(旧・東京競馬場)の芝2400mで施行された。第1回の競走の模様は発走前の下見所の様子から本馬場入場、表彰式に至るまで全国へラジオ中継された。

優勝馬の賞金は1万円、副賞として1500円相当の金杯のほか付加賞13530円が与えられ合計で2万5000円ほどとなった。従来の国内最高の賞金が連合二哩の6000円であったから賞金の額も飛び抜けて破格であり、折からの好景気も相まって幼駒の取引価格が跳ね上がった。

また、それまで日本国内では競走馬の年齢を出走資格に定めた競走の開催は限定的[注 4]であり2歳(現1歳)からの定期的な登録を要件とする本競走の創設によって国内における競走馬の生産、育成、競走と種馬(牡牝とも)選抜のサイクルに初めて明確な指針が与えられた。

東京優駿(日本ダービー)意義

中央競馬が誇る八大競走の1競走で、皐月賞・菊花賞とで中央競馬の牡馬クラシック三冠競走を構成する。牡馬のクラシック三冠競走として皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と言われるのに対し東京優駿は「最も幸運な馬が勝つ」という謳い文句がある。これは圧倒的な有力馬と目されていたものが最大の目標であり世間の注目の集まる本競走において何らかのアクシデント[注 5]によって勝利を逃したり、出走を断念せざるを得ない事態[注 6]に見舞われる例が屡見られるのを象徴している[注 7]。桜花賞・皐月賞のどちらかと近年新設されたNHKマイルカップを合わせて変則三冠競走と呼ばれることもある。

日本の競馬における本競走の位置づけは特別である。皐月賞や菊花賞など他の競走はスタンド改築工事などにより他の競馬場で代替開催されることはあるが、東京優駿は第3回に目黒の競馬場から現在の府中の東京競馬場への移転によるコース変更があっただけで他の競馬場での代替開催は一切行われたことがない。過去に東京競馬場のスタンド改修などがあった時にも時期をずらして施行されている。[注 8]また、近年は東京競馬場の改修工事を東京優駿の開催は変更しない前提で日程を組んでいる。これは前述の7大原則の7の「以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること」に基づいているからである[注 9]。

創設期には国内に比肩のない大競走であり、その後競走体系の整備が進むにつれて「二大競走」「五大競走」「八大競走」等と称されてきたが常にその中核をなし国内での最高賞金を誇っていた。後に一年の活躍馬を集めて年末に行われるグランプリの有馬記念や国外の活躍馬を招待して開催され八大競走と同格扱いとされることのあるジャパンカップに賞金面では譲り、公式な格付においても専ら外国の馬[注 10]に対する出走制限を理由に国際統一規格に基づく格付から外れ、この格付上は国内の他の多くの競走よりも下位に置かれるようになった(興行上は独自の格付であるJpnIとして名目上の最高格を維持した。

2010年(平成22年)からは正式に国際規格に基づく最高格のGIと認定される)。さらに近年、本競走を頂点とする従来の国内の競走体系から様々な距離体系等の分野別のチャンピオンを選別する体系に遷移し、必ずしも全ての競走馬が本競走を目指すという状況ではない。しかしながら、しばしばある年の一年の競馬を端的に表す場合には有馬記念やジャパンカップの優勝馬や年度代表馬ではなく、その年の本競走の優勝馬が挙げられ[注 11]、日本競馬界の象徴であり最大級の目標であるという点については創設以来の価値を保っている。

東京優駿(日本ダービー)主要な変遷

1932年(昭和7年)に目黒競馬場で第1回開催。1周1600mのコースを1周半した。

1934年(昭和9年)からは目黒競馬場の廃止により東京競馬場に施行場を変更。これ以後「東京競馬場2400m」の条件は現在まで1度も変更されていない。

1938年(昭和13年)からは前年の帝国競馬協会解散に伴う日本競馬会への移管により名称を東京優駿競走に変更、また日本競馬会による「4歳(現3歳)5大競走」の形成に伴い同年に新設された京都農林省賞典4歳呼馬・阪神優駿牝馬、1939年(昭和14年)に新設された横濱農林省賞典4歳呼馬・中山4歳牝馬特別とともに日本のクラシック競走を確立するとともにイギリスのクラシック三冠競走を範して4歳(現3歳)のクラシック三冠競走も形成、クラシック三冠競走の第2戦として位置付けられ、また4歳(現3歳)の競走馬及び日本中のホースマンの憧れ及び目標となり競馬ファンからは「競馬の祭典」とも言われる大競走として位置付けられた。また、戦前は阪神優駿牝馬が秋の開催であったため牝馬の出走も多かった。

1944年(昭和19年)は太平洋戦争(戦時中)の影響で勝馬投票券の販売なしの競馬開催の中、能力検定競走として施行、1945年(昭和20年)・1946年(昭和21年)は太平洋戦争および終戦におけるアメリカ進駐軍の競馬場の占領により開催中止、1947年(昭和22年)からは前年の10月17日からの国営競馬再開に伴い他のクラシック競走(桜花賞・農林省賞典・優駿牝馬・農林省賞典4歳馬)と天皇賞(春・秋)とともに再開された。
1948年(昭和23年)からは名称を優駿競走に変更、1949年(昭和24年)からは日本競馬会の運営が独占禁止法に触れるとの声から日本競馬会の解散及び国営競馬へ移管した。
1950年(昭和25年)からは名称を現在の「東京優駿」に変更、また「日本ダービー」という副称も付けられ正式名称を超える競馬の代名詞ともいえる認知度に至った。
1954年(昭和29年)には、NHKによりテレビ中継が開始された。
1968年(昭和43年)は東京競馬場のスタンド改築工事により1ヶ月遅れの7月7日に、また1972年(昭和47年)もストライキや流行性の馬インフルエンザの影響で7月9日に順延開催し両年の本競走は7月に施行されたことから「七夕ダービー」と呼ばれた。
1974年(昭和49年)からは競馬関係者による不祥事などから枠順抽選がマスコミに公開されるようになり、1984年(昭和59年)からはグレード制施行により最高位のGIに格付けされる。1993年(平成5年)には徳仁親王と小和田雅子の御結婚を祝い皇太子殿下御成婚奉祝の副称が付けられ1995年(平成7年)からは指定競走となり、地方競馬所属の競走馬も出走可能になった。
1995年(平成7年)までは5月最終週の日曜日の開催だったが1996年(平成8年)に高松宮杯(現・高松宮記念)がGIに格付けされ開催時期が優駿牝馬(オークス)の前週に繰り上げられたことに伴い、6月第1日曜に開催日を変更(それに伴って優駿牝馬(オークス)が5月最終日曜に繰り下げ)した。しかし2000年(平成12年)に高松宮記念の開催が3月最終日曜に再度繰り上げられたため、本競走の開催は元の5月最終週の日曜日に戻った。ただし2003年(平成15年)からは6月1日が日曜日の場合に限り、5月最終日曜ではなく6月1日に開催されることになった。これまで12月27日までに開催されていた有馬記念が28日に開催されることになり、全体の日程が繰り下がったためである。
2001年(平成13年)からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により総収得賞金額上位2頭の外国産馬が出走可能になり、2005年(平成17年)からは青葉賞での優先出走権の取得を設けたことにより上位4頭に拡大され2006年(平成18年)はさらに上位5頭までに拡大された。これによりクロフネやシンボリクリスエスといった後に日本を代表する外国産馬も出走したが2010年(平成22年)まで外国産馬の優勝馬は出ておらず、2002年(平成14年)にシンボリクリスエスが2着に入ったのが最高成績である。
2010年(平成22年)には国際競走となり、外国調教馬の出走が可能になる。それに伴い、2007年(平成19年)からJpnIで施行されていた格付けがGIに戻ることとなった。
現在の優勝レイの配色は赤色地に金色文字となっている。

東京優駿(日本ダービー)出走資格

サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬(外国産馬含む)及び地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)及び外国調教馬の牡馬・牝馬(外国産馬と合わせて9頭まで)、出走枠は18頭まで。未出走馬・未勝利馬は出走できない。

以下のトライアル競走に必要な着順に入った場合優先出走できる。(最大7頭)

東京優駿(日本ダービー)トライアル競走

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件 優先出走権
皐月賞 GI 中山競馬場 芝2000m 牡馬牝馬限定・国際競走・指定交流競走 4着以内
青葉賞 GII 東京競馬場 芝2400m 牡馬牝馬限定・国際競走・指定交流競走 2着以内
プリンシパルステークス OP 東京競馬場 芝2000m 牡馬牝馬限定・指定交流競走 1着馬

ただし未勝利馬(収得賞金が0の馬)には出走権はないが、未出走馬および未勝利馬も出走できる青葉賞で2着になれば未勝利のまま本競走に出走できる(この場合、収得賞金は1050万円になる)。2009年(平成21年)までは青葉賞は3着、プリンシパルステークスは2着までが優先出走権を得られた。

残りの枠(最低11頭)は通常の収得賞金の総計が多い順に出走できる。(残る1枠が複数の同収得金額馬だった場合は抽選で出走馬が決まる。)
地方馬は上記のトライアル競走3競走で優先出走権を得た場合、京都新聞杯の1・2着馬のみ出走できる。

東京優駿(日本ダービー)その他のステップレース

競走名     格付 施行競馬場 施行距離       競走条件      備考
京都新聞杯 GII 京都競馬場 芝・外2200m 国際競走・指定交流競走 本競走のステップ競走指定
NHKマイルカップ GI 東京競馬場 芝1600m 国際競走・指定交流競走
負担重量 [編集]

定量で牡馬は57kg、牝馬は55kgである。
第1回は別定重量。第2~8回は牡55kg、牝53kg。第9~13回は牡57kg、牝55.5kgだった。

東京優駿(日本ダービー)賞金

グレード制が施行された第51回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金      1着      2着     3着      4着      5着
第51回(1984年) 1億4,250万円 7,500万円 3,000万円 1,900万円 1,100万円 750万円
第52回(1985年) 1億4,880万円 7,800万円 3,100万円 2,000万円 1,200万円 780万円
第53回(1986年) 1億5,200万円 8,000万円 3,200万円 2,000万円 1,200万円 800万円
第54回(1987年) 1億6,150万円 8,500万円 3,400万円 2,100万円 1,300万円 850万円
第55回(1988年) 1億8,050万円 9,500万円 3,800万円 2,400万円 1,400万円 950万円
第56回(1989年) 1億9,530万円 1億300万円 4,100万円 2,600万円 1,500万円 1,030万円
第57回(1990年) 2億1,000万円 1億1,000万円 4,400万円 2,800万円 1,700万円 1,100万円
第58回(1991年) 2億2,800万円 1億2,000万円 4,800万円 3,000万円 1,800万円 1,200万円
第59回(1992年) 2億4,800万円 1億3,000万円 5,200万円 3,300万円 2,000万円 1,300万円
第60回(1993年)
第61回(1994年)
第62回(1995年) 2億5,120万円 1億3,200万円 5,300万円 3,300万円 2,000万円 1,320万円
第63回(1996年)
第64回(1997年)
第65回(1998年)
第66回(1999年)
第67回(2000年)
第68回(2001年) 2億8,600万円 1億5,000万円 6,000万円 3,800万円 2,300万円 1,500万円
第69回(2002年)
第70回(2003年)
第71回(2004年)
第72回(2005年)
第73回(2006年)
第74回(2007年)
第75回(2008年)
第76回(2009年)
第77回(2010年)
第78回(2011年)
第79回(2012年)

東京優駿(日本ダービー)歴史

東京優駿(日本ダービー) 年表


1932年の第1回東京優駿大競走(右・ワカタカ 左・オオツカヤマ)
1932年 – 目黒競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)牡馬・牝馬の別定重量の重賞競走「東京優駿大競走」として創設。
1933年 – 負担重量を「別定重量」から「定量」に変更(負担斤量は牡馬55kg・牝馬53kgに設定)。
1934年 – 施行場を東京競馬場の芝2400mに変更。
1935年 – シアンモアが種牡馬として史上初の3連覇。
1936年 – 単勝5番人気のトクマサが優勝、同競走史上初の単勝払戻し限度額200円の配当を記録。
1937年 – ヒサトモが牝馬として史上初の制覇。2着サンダーランドも牝馬。
1938年 – 名称を「東京優駿競走」に変更。
1939年 – 中山4歳牝馬特別・横濱農林省賞典4歳呼馬・阪神優駿牝馬・京都農林省賞典4歳呼馬と共にクラシック競走体系を確立。
1940年 – 負担斤量を牡馬57kg・牝馬55.5kgに変更。
1943年
クリフジが牝馬として2頭目の制覇。
クリフジ鞍上の前田長吉が、東京優駿史上最年少勝利記録となる20歳3か月での勝利(2010年現在)。
1944年 – 能力検定競走として施行(馬券発売なし・観客は少数の軍人と馬主など関係者200名ほどのみ)。
1945年 – 太平洋戦争の戦況激化により中止。
1946年 – アメリカ進駐軍の競馬場占領により中止。
1947年
牝馬の負担斤量を55.5kgから55kgに変更。
マツミドリが優勝、父・カブトヤマ(1933年・第2回)との史上初の父仔制覇。
1948年 – 名称を「優駿競走」に変更。
1949年
単勝19番人気のタチカゼが優勝、単勝5万5430円の史上最高額の払い戻しを記録。
激しい大混戦のために競走中の馬群の各所で混乱が起き、競走後に騎乗した騎手全員が裁決室に呼び出されて戒告を受ける。
1950年
名称を「東京優駿」に変更。
日本ダービーの副称が付く。
1953年 – 史上最多の33頭が出走する。なお出走登録は35頭で、当日2頭が出走を取り消した。またレース中に3頭が落馬した。
1954年
元地方大井所属のゴールデンウエーブが中央競馬転厩馬として史上初の優勝、父:ミナミホマレに継ぐ史上2頭目の父子制覇。
日本放送協会(NHK)によるテレビ中継が始まる。
1956年 – 1コーナーで俗に言う「エンメイ事故」が起きる。馬主であった作家の吉川英治はエンメイの死と鞍上の阿部正太郎の騎手生命を絶たれる瀕死の重傷に大きなショックを受け、程なく競馬界から身を退く。
1958年
当時の内閣総理大臣・岸信介が観戦。
元地方大井所属のダイゴホマレがJRA転厩馬として史上2頭目の優勝、父:ミナミホマレに継ぐ史上3頭目の父子制覇。
1960年
前年の9月1日から日本競馬の計時方式の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
バリヤー式スタートによる発走は本年まで。
1961年 – スターティングゲートの採用により出走可能頭数を32頭に設定する。
1962年 – ヤマノオーとコレヒサが2着同着。
1968年 – 東京競馬場の施設改修工事により、施行期日を7月7日に設定。
1969年
1番人気タカツバキに騎乗した嶋田功が発走直後に落馬。
ダイシンボルガードの厩務員がコースに乱入。
優勝騎手の大崎昭一が競馬ファンに胴上げされる珍事。
1971年
東京競馬場の施設改修工事により、施行期日を6月13日に設定。
ヒカルイマイ騎乗の田島良保が戦後最年少となる23歳7か月にて優勝騎手となる。
1972年 – ストライキ及び流行性の馬インフルエンザによる関東地区中央競馬開催中止の影響により、施行期日が7月9日に順延。
1974年
枠順抽選がマスコミに公開される。
シード制施行によりキタノカチドキが本競走で最初の単枠指定適用馬となる。
1着賞金が天皇賞、有馬記念と同額となり、単独最高賞金額レースではなくなる。
1977年 – ラッキールーラが優勝し、管理調教師の尾形藤吉が、調教師として当競走最多の8勝目を記録。同時に史上最外枠(24番)での優勝。
1984年 – グレード制施行によりGIに格付けされる。
1986年 – 出走可能頭数を28頭から24頭に削減する。
1988年 – 馬名入りゼッケンが採用される(前年1987年秋よりジャパンカップ以外のGIにも馬名入りゼッケンの拡大を行うことによるもの)。
1989年
ウィナーズサークルが茨城県産馬及び芦毛馬として初制覇。
1着の賞金総額が初めて1億円台(1億300万円)に到達する。
1990年
出走可能頭数を22頭に変更。
世界最高となる入場者数19万6571人を記録する[注 12]。
1991年
トウカイテイオーが優勝し、父:シンボリルドルフに継ぐ史上4頭目の父子制覇。同時に8枠初の優勝。
出走可能頭数を20頭に変更。
入場券が前売り販売のみとなる(前年の19万人動員をきっかけに入場者の混雑防止を図る観点から。その後他の主要GI競走でも行われた)。
その後2002年からは前売入場券を入手できなかった者でも開門30分を過ぎると一般入場券または回数入場券で入場できるようになったが、記念入場券の前売り制度自体は2006年まで続いた。
1992年 – 出走可能頭数を現在の18頭に削減する。
1993年 – 皇太子殿下御成婚奉祝の副称が当年のみ付く。
1994年 – ゼッケンの縁に金糸の刺繍が施されるようになる。
1995年 – 指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。
1997年 – シルクライトニングが競走除外となり、史上最高額となる98億3052万1200円が返還となる。
1999年 – 武豊が騎手として史上初の連覇。
2000年 – 1着賞金を1億3200万円から1億5000万円に増額。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・牝馬」に変更。
外国産馬の出走枠が制限付きで最大2頭まで出走可能となる。
2002年
当時の内閣総理大臣小泉純一郎が観戦。
武豊が騎手として史上初の本競走3勝目。
この年より東京競馬第10競走として施行。
2003年 – ミルコ・デムーロが外国人騎手として史上初の優勝。
2004年
キングカメハメハがNHKマイルカップ優勝馬として初制覇を果たすと共に、2:23.3のレースレコードを記録。
安藤勝己が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
ホッカイドウのコスモバルクが地方競馬所属馬として史上初の出走(8着)。
2005年
外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。
武豊が騎手として史上初の本競走4勝目。
2006年 – 外国産馬の出走枠を最大5頭に拡大。
2007年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。
外国産馬の出走枠を最大6頭に拡大。
記念入場券の前売販売を廃止し(フジビュースタンドの完成にともない観覧スペースが十二分に取れたことによる)、当日発売のみになる。
皇太子殿下がレースを台覧。
当時の内閣総理大臣安倍晋三が観戦。
ウオッカが牝馬として3頭目の制覇並びに、父:タニノギムレットに継ぐ史上5頭目の父子制覇にしてかつ史上初の父娘制覇。
2008年
外国産馬の出走枠を最大7頭に拡大。
当年のみ、JRAプレミアムレースの対象競走となる。
四位洋文が騎手として2人目の連覇を果たすと共に騎手として史上初めて牡馬、牝馬の両方で制覇。
2009年
当時の内閣総理大臣麻生太郎が観戦。
ロジユニヴァースが優勝し、父:ネオユニヴァースに継ぐ史上6頭目の父子制覇。
2010年 – 国際競走に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付表記が2006年以来4年ぶりにGIに戻る。
2011年
東日本大震災及び東京電力・福島第一原子力発電所の事故による薄暮開催の中止に伴い、当競走の競走番号を第10競走から第11競走に変更。当競走が創設されて以来、初めて第11競走で行われた。
アラブ首長国連邦副大統領兼首相・ドバイ首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム(H.H.シェイク・モハメド)が出走馬デボネアの馬主としてレースを台覧[1]。
東京優駿としては史上初めて1着から3着までの馬主がクラブ法人になる[注 13]。
出走馬すべてがサンデーサイレンスの孫となった。[注 14]


東京優駿(日本ダービー) 歴代優勝馬

国際競走となった2010年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数 開催日     優勝馬   性齢 勝時計     優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1932年4月24日 ワカタカ 牡3 2:45 2/5 函館孫作 東原玉造 乾鼎一
第2回 1933年4月23日 カブトヤマ 牡3 2:41 0/5 大久保房松 前川道平
第3回 1934年4月22日 フレーモア 牡3 2:45 2/5 大久保亀治 尾形景造 土田荘助
第4回 1935年4月29日 ガヴアナー 牡3 2:42 1/5 井川為男 布施季三 高橋錬逸
第5回 1936年4月29日 トクマサ 牡3 2:42 1/5 伊藤正四郎 尾形景造 山中清兵衛
第6回 1937年4月29日 ヒサトモ 牝3 2:33 3/5 中島時一 宮崎信太郎
第7回 1938年5月29日 スゲヌマ 牡3 2:33 2/5 中村広 千明賢治
第8回 1939年5月28日 クモハタ 牡3 2:36 1/5 阿部正太郎 田中和一郎 加藤雄策
第9回 1940年6月2日 イエリユウ 牡3 2:34 2/5 末吉清 石門虎吉 石田一
第10回 1941年5月18日 セントライト 牡3 2:40 1/5 小西喜蔵 田中和一郎 加藤雄策
第11回 1942年5月24日 ミナミホマレ 牡3 2:33 0/5 佐藤邦雄 東原玉造 池得次
第12回 1943年6月6日 クリフジ 牝3 2:31 4/5 前田長吉 尾形景造 栗林友二
第13回 1944年6月18日 カイソウ 牡3 2:39 1/5 橋本輝雄 久保田金造 有松鉄三
第14回 1947年6月8日 マツミドリ 牡3 2:35 0/5 田中康三 茂木為二郎 松末博光
第15回 1948年6月6日 ミハルオー 牡3 2:33 2/5 新屋幸吉 上村大治郎 石川了吉
第16回 1949年6月5日 タチカゼ 牡3 2:33 4/5 近藤武夫 伊藤勝吉 熊谷八郎
第17回 1950年6月11日 クモノハナ 牡3 2:44 2/5 橋本輝雄 鈴木勝太郎 北竹清剛
第18回 1951年6月3日 トキノミノル 牡3 2:31 1/5 岩下密政 田中和一郎 永田雅一
第19回 1952年5月25日 クリノハナ 牡3 2:31 4/5 八木沢勝美 尾形藤吉 栗林友二
第20回 1953年5月24日 ボストニアン 牡3 2:34 3/5 蛯名武五郎 増本勇 岡本治一
第21回 1954年5月23日 ゴールデンウエーブ 牡3 2:34 4/5 岩下密政 藤本冨良 川俣欣也
第22回 1955年5月29日 オートキツ 牡3 2:36 3/5 二本柳俊夫 大久保房松 川口鷲太郎
第23回 1956年6月3日 ハクチカラ 牡3 2:36 1/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第24回 1957年5月26日 ヒカルメイジ 牡3 2:31 0/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第25回 1958年5月25日 ダイゴホマレ 牡3 2:31 1/5 伊藤竹男 久保田金造 醍醐幸右衛門
第26回 1959年5月24日 コマツヒカリ 牡3 2:38 1/5 古山良司 大久保房松 小松重雄
第27回 1960年5月29日 コダマ 牡3 2:30.7 栗田勝 武田文吾 伊藤由五郎
第28回 1961年5月28日 ハクシヨウ 牡3 2:30.2 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第29回 1962年5月27日 フエアーウイン 牡3 2:31.2 高橋英夫 松山吉三郎 溝本儀三男
第30回 1963年5月26日 メイズイ 牡3 2:28.7 森安重勝 尾形藤吉 千明康
第31回 1964年5月31日 シンザン 牡3 2:28.8 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第32回 1965年5月30日 キーストン 牡3 2:37.5 山本正司 松田由太郎 伊藤由五郎
第33回 1966年5月29日 テイトオー 牡3 2:31.1 清水久雄 増本勇 北村平三郎
第34回 1967年5月14日 アサデンコウ 牡3 2:30.9 増沢末夫 藤本冨良 手塚栄一
第35回 1968年7月7日 タニノハローモア 牡3 2:31.1 宮本悳 戸山為夫 谷水信夫
第36回 1969年5月25日 ダイシンボルガード 牡3 2:35.1 大崎昭一 柴田寛 高橋金次
第37回 1970年5月24日 タニノムーティエ 牡3 2:30.0 安田伊佐夫 島崎宏 谷水信夫
第38回 1971年6月13日 ヒカルイマイ 牡3 2:31.6 田島良保 谷八郎 鞆岡達雄
第39回 1972年7月9日 ロングエース 牡3 2:28.6 武邦彦 松田由太郎 中井長一
第40回 1973年5月27日 タケホープ 牡3 2:27.8 嶋田功 稲葉幸夫 近藤たけ
第41回 1974年5月26日 コーネルランサー 牡3 2:27.4 中島啓之 勝又忠 久保谷唯三
第42回 1975年5月25日 カブラヤオー 牡3 2:28.0 菅原泰夫 茂木為二郎 加藤よし子
第43回 1976年5月30日 クライムカイザー 牡3 2:27.6 加賀武見 佐藤嘉秋 (有)三登
第44回 1977年5月29日 ラッキールーラ 牡3 2:28.7 伊藤正徳 尾形藤吉 吉原貞敏
第45回 1978年5月28日 サクラショウリ 牡3 2:27.8 小島太 久保田彦之 (株)さくらコマース
第46回 1979年5月27日 カツラノハイセイコ 牡3 2:27.3 松本善登 庄野穂積 桂土地(株)
第47回 1980年5月25日 オペックホース 牡3 2:27.8 郷原洋行 佐藤勇 ホース産業(株)
第48回 1981年5月31日 カツトップエース 牡3 2:28.5 大崎昭一 菊池一雄 勝本正男
第49回 1982年5月30日 バンブーアトラス 牡3 2:26.5 岩元市三 布施正 竹田辰一
第50回 1983年5月29日 ミスターシービー 牡3 2:29.5 吉永正人 松山康久 千明牧場
第51回 1984年5月27日 シンボリルドルフ 牡3 2:29.3 岡部幸雄 野平祐二 シンボリ牧場
第52回 1985年5月26日 シリウスシンボリ 牡3 2:31.0 加藤和宏 二本柳俊夫 和田共弘
第53回 1986年5月25日 ダイナガリバー 牡3 2:28.9 増沢末夫 松山吉三郎 (有)社台レースホース
第54回 1987年5月31日 メリーナイス 牡3 2:27.8 根本康広 橋本輝雄 浦房子
第55回 1988年5月29日 サクラチヨノオー 牡3 2:26.3 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース
第56回 1989年5月28日 ウィナーズサークル 牡3 2:28.8 郷原洋行 松山康久 栗山博
第57回 1990年5月27日 アイネスフウジン 牡3 2:25.3 中野栄治 加藤修甫 小林正明
第58回 1991年5月26日 トウカイテイオー 牡3 2:25.9 安田隆行 松元省一 内村正則
第59回 1992年5月31日 ミホノブルボン 牡3 2:27.8 小島貞博 戸山為夫 (有)ミホノインターナショナル
第60回 1993年5月30日 ウイニングチケット 牡3 2:25.5 柴田政人 伊藤雄二 太田美實
第61回 1994年5月29日 ナリタブライアン 牡3 2:25.7 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第62回 1995年5月28日 タヤスツヨシ 牡3 2:27.3 小島貞博 鶴留明雄 横瀬寛一
第63回 1996年6月2日 フサイチコンコルド 牡3 2:26.1 藤田伸二 小林稔 関口房朗
第64回 1997年6月1日 サニーブライアン 牡3 2:25.9 大西直宏 中尾銑治 宮崎守保
第65回 1998年6月7日 スペシャルウィーク 牡3 2:25.8 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第66回 1999年6月6日 アドマイヤベガ 牡3 2:25.3 武豊 橋田満 近藤利一
第67回 2000年5月28日 アグネスフライト 牡3 2:26.2 河内洋 長浜博之 渡辺孝男
第68回 2001年5月27日 ジャングルポケット 牡3 2:27.0 角田晃一 渡辺栄 齊藤四方司
第69回 2002年5月26日 タニノギムレット 牡3 2:26.2 武豊 松田国英 谷水雄三
第70回 2003年6月1日 ネオユニヴァース 牡3 2:28.5 M.デムーロ 瀬戸口勉 (有)社台レースホース
第71回 2004年5月30日 キングカメハメハ 牡3 2:23.3 安藤勝己 松田国英 金子真人
第72回 2005年5月29日 ディープインパクト 牡3 2:23.3 武豊 池江泰郎 金子真人
第73回 2006年5月28日 メイショウサムソン 牡3 2:27.9 石橋守 瀬戸口勉 松本好雄
第74回 2007年5月27日 ウオッカ 牝3 2:24.5 四位洋文 角居勝彦 谷水雄三
第75回 2008年6月1日 ディープスカイ 牡3 2:26.7 四位洋文 昆貢 深見敏男
第76回 2009年5月31日 ロジユニヴァース 牡3 2:33.7 横山典弘 萩原清 久米田正明
第77回 2010年5月30日 エイシンフラッシュ 牡3 2:26.9 内田博幸 藤原英昭 平井豊光
第78回 2011年5月29日 オルフェーヴル 牡3 2:30.5 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング

東京優駿(日本ダービー)東京優駿の記録

レースレコード – 2:23.3(第71回優勝馬キングカメハメハ・第72回優勝馬ディープインパクト)
2着との最大着差 – 8馬身(第10回優勝馬セントライト・第22回優勝馬オートキツ)
最高出走数 – 33頭(第20回)
単勝最高支持率 – 73.4%(第72回ディープインパクト・単勝1.1倍)
単勝最低支持率勝利 – 72票(第16回優勝馬タチカゼ・単勝554.3倍・19番人気)
東京競馬場の1日の総入場者数 – 19万6571人(競馬の総入場者数世界最高記録・第57回)
東京競馬場の1競走の勝馬投票券最高売上げ – 567億8692万400円(第57回)
最多勝利調教師 – 尾形藤吉(旧名・景造) 8勝(第3・5・12・19・23・28・30・44回)
最多勝利騎手 – 武豊 4勝(第65・66・69・72回)
最年少勝利騎手 – 前田長吉 20歳3か月(第12回)
日本中央競馬会成立以後に限ると、第38回を優勝した田島良保の23歳7か月。
最年長勝利騎手 – 増沢末夫 48歳7か月(第53回)
連覇騎手 – 武豊(第65・66回)、四位洋文(第74・75回) それぞれ2連覇
最多勝利種牡馬 – トウルヌソル 6勝(第1回ワカタカ、第5回トクマサ、第6回ヒサトモ、第8回クモハタ、第9回イエリユウ、第12回クリフジ)、サンデーサイレンス 6勝(第62回タヤスツヨシ、第65回スペシャルウィーク、第66回アドマイヤベガ、第67回アグネスフライト、第70回ネオユニヴァース、第72回ディープインパクト)


東京優駿(日本ダービー) 史上初あれこれ

無敗のダービー馬 – フレーモア(第3回)
牝馬による制覇 – ヒサトモ(第6回)
父持込馬 – カイソウ(第13回)
2勝した騎手 – 橋本輝雄(第13・17回)
公営出身馬 – ゴールデンウエーブ(第21回)
持込馬 – ヒカルメイジ(第24回)
1競走の勝馬投票券売上げ100億円初突破 – 118億7436万円(第41回)
父子騎手による制覇
父:中島時一(第6回 ヒサトモ)/子:中島啓之(第41回 コーネルランサー)
父子調教師による制覇
父:松山吉三郎(第29回 フエアーウイン)/子:松山康久(第50回 ミスターシービー)
騎手・調教師両方で制覇(兼任除く) – 橋本輝雄(騎手:第13・17回、調教師:第54回)
芦毛馬 – ウィナーズサークル(第56回)
連覇した騎手 – 武豊(第65・66回)
3勝以上した騎手 – 武豊(第65・66・69・72回)
外国人騎手による制覇 – ミルコ・デムーロ(第70回)
地方競馬出身騎手による制覇 – 安藤勝己(第71回)
所有馬が連覇した馬主 – 金子真人(第71・72回)[注 15]
牡馬・牝馬の両方で制覇した騎手 – 四位洋文(第74・75回)

東京優駿(日本ダービー) 父仔制覇

「ダービー馬はダービー馬から(生まれる)」と言う競馬界での格言があり、東京優駿父仔優勝は6組が達成している。
組 父馬名      優勝回 仔馬名     優勝回
1組目 カブトヤマ 第2回 マツミドリ 第14回
2組目 ミナミホマレ 第11回 ゴールデンウエーブ 第21回
3組目 ミナミホマレ 第11回 ダイゴホマレ 第25回
4組目 シンボリルドルフ 第51回 トウカイテイオー 第58回
5組目 タニノギムレット 第69回 ウオッカ 第74回
6組目 ネオユニヴァース 第70回 ロジユニヴァース 第76回

このうちタニノギムレット – ウオッカの組み合わせは唯一の父と娘との組み合わせである。
また4組目のシンボリルドルフとトウカイテイオーはともにデビュー以来無敗での東京優駿制覇であり、皐月賞と併せてデビュー以来無敗での春のクラシック二冠制覇である。

東京優駿に出走して敗れた馬の産駒が東京優駿を制しているのは

父馬名     出走回 着順 仔馬名      優勝回
トサミドリ 第16回 7着 コマツヒカリ 第26回
ハイセイコー 第40回 3着 カツラノハイセイコ 第46回
トウショウボーイ 第43回 2着 ミスターシービー 第50回

の3組ある。他にも東京優駿不出走の日本調教馬が父として産駒が東京優駿を制した例として、

父馬名       仔馬名   優勝回
マルゼンスキー サクラチヨノオー 第55回
アグネスタキオン ディープスカイ 第75回
ステイゴールド オルフェーヴル 第78回
がある(外国調教馬、未出走の馬を除く)。

東京優駿(日本ダービー) 兄弟制覇

過去に2組の兄弟制覇(競馬でいう兄弟は同母に限る)の例がある。
組 兄馬名      優勝回 弟馬名      優勝回 母馬名
1組目 カブトヤマ 第2回 ガヴアナー 第4回 アストラル
2組目 ヒカルメイジ 第24回 コマツヒカリ 第26回 イサベリーン
なお、1組目のカブトヤマとガヴアナーは父馬も同じ全兄弟である。

東京優駿(日本ダービー) デビューから無敗制覇

過去に10頭がデビューから無敗で東京優駿を制覇しているが、ガヴアナー、トキノミノルは東京優駿後は不出走。クリフジは11戦無敗を保った。

優勝回 馬名 東京優駿    終了時の成績 生涯成績
1 第3回 フレーモア 3戦3勝 13戦7勝
2 第4回 ガヴアナー 3戦3勝 3戦3勝
3 第12回 クリフジ 3戦3勝 11戦11勝
4 第18回 トキノミノル 10戦10勝 10戦10勝
5 第27回 コダマ 7戦7勝 17戦12勝
6 第51回 シンボリルドルフ 6戦6勝 16戦13勝
7 第58回 トウカイテイオー 6戦6勝 12戦9勝
8 第59回 ミホノブルボン 6戦6勝 8戦7勝
9 第63回 フサイチコンコルド 3戦3勝 5戦3勝
10 第72回 ディープインパクト 5戦5勝 14戦12勝

東京優駿(日本ダービー) 騎手の父子制覇

組 父 優勝回 子     優勝回
1組目 中島時一 第6回(ヒサトモ) 中島啓之 第41回(コーネルランサー)
2組目 伊藤正四郎 第5回(トクマサ) 伊藤正徳 第44回(ラッキールーラ)
3組目 武邦彦 第39回(ロングエース) 武豊 第65回(スペシャルウィーク)、第66回(アドマイヤベガ)、
第69回(タニノギムレット)、第72回(ディープインパクト)

東京優駿(日本ダービー) 調教師の父子制覇

組 父      優勝回      子 優勝回
1組目 松山吉三郎 第29回(フエアーウイン)、第53回(ダイナガリバー) 松山康久 第50回(ミスターシービー)、第56回(ウィナーズサークル)
2組目 池江泰郎 第72回(ディープインパクト) 池江泰寿 第78回(オルフェーヴル)

東京優駿(日本ダービー)からの菊花賞の制覇

東京優駿(日本ダービー)エピソード

東京優駿(日本ダービー) 優勝馬

本競走の優勝馬の中にはその後故障による早期引退や成績不振に喘いでいる馬が多いのに対し(グレード制導入の1984年以降の勝ち馬で古馬になってからもGI競走を制したのはシンボリルドルフ(1984年)・トウカイテイオー(1991年)・スペシャルウィーク(1998年)・ディープインパクト(2005年)・メイショウサムソン(2006年)・ウオッカ(2007年)の6頭のみ[注 16])、2着入賞馬はその後1着馬以上に活躍・出世するケースが近年顕著になってきている。1984-2010年の2着入賞馬27頭のうち実に15頭がその後GI競走を制しており、さらにその内のメジロライアン(1990年)・ライスシャワー(1992年)・ビワハヤヒデ(1993年)・ジェニュイン(1995年)・シルクジャスティス(1997年)[注 17]・ダンツフレーム(2001年)・シンボリクリスエス(2002年)・ゼンノロブロイ(2003年)・ハーツクライ(2004年)・ローズキングダム(2010年)の10頭が古馬GI競走を制している[注 18][注 19]。

優勝馬の血統面に関しては、トニービンの初年度産駒がクラシック世代に到達した1993年以降、1996年のフサイチコンコルドと2004年のキングカメハメハと2006年のメイショウサムソン、2010年のエイシンフラッシュ以外は三大種牡馬(サンデーサイレンス・トニービン・ブライアンズタイム)の直仔・孫が優勝している。2003年のダービーではサンデーサイレンス系(直仔または孫)の馬が掲示板を独占することとなり、2011年のダービーでは、出場する全頭がサンデーサイレンスの孫となった。
2005年までの段階でデビュー戦を小倉競馬場で迎えた競走馬が東京優駿を制した例はなかったが、2006年の本競走においてメイショウサムソンが小倉デビューの競走馬として史上初めて優勝した。
競走馬輸送を行う日本馬匹輸送自動車は馬運車に東京優駿の歴代優勝馬の名前をつけている(最近は名前が足りなくなり顕彰馬の名前をつけているものもある)。

東京優駿(日本ダービー) 優勝騎手・調教師

長年ダービーの最多勝利ジョッキーは2勝が大多数で連覇達成もなかなかできない状態だったが1998年に初優勝を達成した武豊が1999年に史上初の2連覇、2002年に新記録の通算3勝目(2005年に4勝に伸ばしこれが現状のレースレコード)を達成した。なお連覇は2008年まで武豊と四位洋文(2007、2008年)しか達成していない。

2011年現在、中央競馬のクラシック競走で唯一、連覇した調教師がいない。本競走を8勝した尾形藤吉でさえ成し得なかった。

2006年12月、1997年にサニーブライアンで制した大西直宏が騎手を引退したことにより美浦トレーニングセンターに所属する現役ダービージョッキーが不在になる事態となり[注 20]、2009年に横山典弘がロジユニヴァースで勝つまで続いた。横山の勝利まで美浦トレーニングセンター、またそれ以前の関東圏の競馬場に厩舎が所属していた時代も含めて関東圏に籍を置く現役ダービージョッキーが不在になるという事態は日本近代競馬のクラシック路線の成立後、史上初の事態であった。

東京優駿(日本ダービー) 特別仕様

中央競馬の3歳クラシック競走ではゼッケンは紺地に黄色の数字のものを使用するが、本競走に限り第1回から変更されることなく一般競走と同様の白地に黒の数字のものを用いている。ただし1994年から一般競走のそれと異なり、金糸による縁取りが施されている。また馬番の下に記載されるものはスタンド側から見えるものについては馬名、内馬場側から見えるものについては第○○回日本ダービーの表示である。なお、その他のGI競走で使用されるゼッケンは紺地に白色の数字を用いたものである。また、馬名が併記されるようになったのは1988年以降である(それまでは馬名入りゼッケンはジャパンカップ(1983年の第3回より使用)のみであった)。
発走ゲートもダービー特別版。ゲートの上には日本ダービーと書かれている。

東京優駿(日本ダービー) レースと枠順

フルゲートが20頭台後半(1970年代で概ね28頭。多い年は30頭を超すこともあった)であった1990年頃まではテレビによく映るからとの理由で距離がもたないと分かりながらも大逃げを打つテレビ馬と呼ばれる馬が存在した。そのため東京優駿は概ねハイペースとなった。またその頃まで出走頭数が多かったこともあり第1コーナーに入る時点での10番手以内は「ダービーポジション」と呼ばれ、大外枠(8枠)あるいはゼッケン20番以上(6枠制時代)の馬は勝てないという格言もあった。これが破られたのはフルゲートが20頭となった1991年で、この年の勝ち馬トウカイテイオーの枠番は8枠20番だった。1992年からは馬番連勝複式勝馬投票券の導入に伴う法令上の都合から、これまで上限のなかった出走頭数に上限が設定されるようになり、最大18頭までの出走となっている。

8枠が1番人気となったことは過去にサッカーボーイ(1988年に8枠22番で1番人気)などの例があった。
同競走史上最外枠で優勝したのは1977年のラッキールーラ(28頭中7枠24番)であり、また参考記録としては6枠時代の1948年にはミハルオー(3枠8番で1番人気)が枠入不良のため23頭立ての外枠発走となったものの快勝した例がある。またこれも6枠制時代であるが、1961年のメジロオーが32番の超大外枠で出走し2着に敗れたものの1着馬にハナ差まで追い込んで健闘した例もあり、これが東京優駿史上最外枠の2着入線である。
2008年から2010年にかけて最内枠である1枠1番の馬が3連覇。この記録は他のGI競走での例がない。
ダービーフェスティバル [編集]

東京優駿の開催気運を盛り上げるために1983年から毎年開かれている日本中央競馬会主催のイベントである。
毎年、東京優駿が開催される週(原則5月最終日曜日)の月曜日に東京都内で開かれるこのイベントでは、その年の東京優駿に出走が予定されている注目馬の騎手や競馬愛好家のタレント、新聞・放送マスコミに携わる競馬ジャーナリストが一堂に会し東京優駿のレース展望会や騎手インタビュー、クイズ大会などで盛り上がっている。なお2005年度は主催者の都合により都内ではこのイベントは行わずに、東京競馬場内でのサービスの拡充に費やした。
またダービーを題材にしたイベントが主としてダービーウィークの平日を中心に全国各地で展開されており、新潟市において「ダービーフェスティバル(西暦年数)」が新潟競馬場・新潟放送の共催で毎年行われる。なお、現在イベントの形で残っているダービーフェスティバルはこの新潟で行われているものだけである。2005年度は2004年の有馬記念フェスティバルを受けて新潟でも元JRA職員で格闘家の小川直也が招かれた。

東京優駿(日本ダービー) 開催当日のほかの競走

中央競馬ではほとんどのGI競走は第11競走で施行される[注 21]が、東京優駿当日は全体の競走数ならびにメインとなる本競走の競走番号が他の競走と異なる[注 22]。1989〜2001年までは当日は全部で10競走で東京優駿は第9競走で行われていた。2002年からは全体で1競走増加し当日は11競走行われ、東京優駿は第10競走で行われていた。2006年からは東京優駿当日についても全体で12競走行われるようになり最終第12競走に目黒記念を薄暮競走として実施するようになったが[注 23]、東京優駿は2005年までと同様第10競走で行われており、通常の日程と勘違いして勝馬投票券を第11競走のものを購入してしまう観客も毎年のように見られる。また馬券を発売している施設ではその旨注意の喚起放送が繰り返される。
現在の中央競馬では草木の名前を冠した競走は3歳(あるいは2歳)馬限定で行われるが、本競走の前に行われる「むらさき賞」に限っては例外で4歳以上の競走として施行される。
1988年より本競走開催日を「ダービーデー」と称し、東京優駿制覇騎手のみが騎乗出来るダービージョッキーズステークスと東京優駿優勝馬の産駒のみが出走できるダービースタリオンズステークス(ともに準オープン)という競走が開催されていたが、ともに出走対象が激減したために現在は廃止された。
地方競馬での各地の3歳馬頂点を決めるとともにジャパンダートダービー出場をかけたダービーWeekの初日が2008年以後、この東京優駿と同日開催となる傾向がある。

東京優駿(日本ダービー) その他

日本競馬最大のイベントであるということで、毎回レースの発走前に君が代(日本国歌)を斉唱するイベントがある。この斉唱は声楽家だけでなく、年度により日本を代表する歌手(過去に北島三郎、和田アキ子、小林幸子ら)が行う。
例年、東京優駿のファンファーレ、表彰式の演奏は陸上自衛隊中央音楽隊が担当している(他にもジャパンカップや年度にもよるが有馬記念でも同様に演奏を担当している場合がある)。なお、ファンファーレは競走の出走可能頭数と同じ18人で演奏する。

東京優駿(日本ダービー) 脚注

東京優駿(日本ダービー) 注釈
[ヘルプ]
^ 1961年(昭和36年)の主要大レースの賞金は東京優駿が700万円。天皇賞、有馬記念、菊花賞が500万円。皐月賞、優駿牝馬が400万円。桜花賞、中山大障害が300万円。宝塚記念が200万円。安田記念が150万円。一般重賞は100万円前後であった。
^ 公式な名称には付されていないものの1932年(昭和7年)の設立当初より「日本ダービー」と呼ばれ、後述のラジオ中継でも終始「日本ダービー」と称されている。
^ 安田は明治の競馬創設期より日本ダービー開催の構想を抱いており1923年(大正12年)の競馬法発布の頃から本競走の開催を企図したが、当時は国内の有力な競走馬生産牧場が宮内省の下総御料牧場と三菱財閥の小岩井農場に限られており他の民間の有力牧場が育つまで時期を待っていた。
^ 「新馬」と「古馬」の区別は馬齢ではなく出走経験の有無に拠っていた。
^ 多い年では30頭を超す出走頭数があり、有力でも他馬が邪魔になったり抽選で外側や内側の発走枠となると大きな不利を被った。
^ 1934年(昭和9年)、前年の優勝馬を相手に前走でレコード勝ちした3戦無敗のミラクルユートピアが本競走当日の朝に脱臼し引退となった。
^ ほかにも、1935年(昭和10年)のガヴァナーや1951年(昭和26年)のトキノミノルは本競走優勝後に急逝している。もちろん実際には本競走に限らずこうしたアクシデントは常に起きているが、こうしたフレーズができるほど本レースが特別に世間一般の耳目を集める顕れである。
^ 2002~03年の大規模改修など
^ このため1968年(昭和43年。スタンド改修工事による開催延期)と1972年(昭和47年。馬インフルエンザ蔓延で関東での開催が一時中止になったうえに厩務員ストライキも行われた為)に関しては本来の5月に皐月賞が行われ、ダービーは7月に開催時期を延期しており「七夕ダービー」といわれる。
^ 時期によって異なるが日本国外で種付され日本国内で出産された馬、日本国外で生産された馬、日本国外で調教された馬が制限の対象となってきた。
^ 単に有馬記念やジャパンカップ、年度代表馬は同じ馬が複数年に名が出る可能性があるのに対し本競走の優勝馬は必ず毎年変わるという、実際上の利便性によるという事情もある。
^ JRAの競馬場においては再入場する際には新たに入場券が必要となること(地方競馬では再入場する際は退場時に再入場券を取得すれば新たに入場券を購入する必要はない)、また東京優駿発走前に退場したものも少なからずいるため東京優駿発走時に19万人が競馬場に滞留していたわけではないことに留意すべきである。
^ 優勝馬オルフェーヴルがサンデーレーシング、2着馬ウインバリアシオンがウインレーシングクラブ、3着馬ベルシャザールが社台レースホース
^ 出走18頭中、16頭が父方の祖父に、2頭が母方の祖父にサンデーサイレンスを持つ。
^ 実質的には第51・52回の和田共弘・シンボリ牧場の例がある。
^ ダイナガリバー(1986年)とナリタブライアン(1994年)はその後のGI制覇が3歳(旧4歳)時の制覇のみで古馬になってからのGI制覇はない(ダイナガリバーは有馬記念、ナリタブライアンは菊花賞と有馬記念)。
^ ただし、シルクジャスティスは3歳(旧4歳)時に古馬GI競走(有馬記念)を制しているが古馬になってからのGI制覇はない。
^ レオダーバン(1991年)・ダンスインザダーク(1996年)・ナリタトップロード(1999年)・エアシャカール(2000年)・アサクサキングス(2007年)はその後菊花賞を制したが古馬GIを制していない。
^ 1997年と2003年は3着馬もGI競走を制している(メジロブライト(1997年)は1998年の天皇賞(春)、ザッツザプレンティ(2003年)は同年の菊花賞)。
^ 1998年以降2008年まで11年連続で栗東トレーニングセンター所属の騎手(2003年優勝ミルコ・デムーロも優勝時は関西から参戦)が勝利した。大西直宏以前は1993年の柴田政人)
^ 1日の競走数が12にほぼ固定されるようになった1998年以降。
^ 他にジャパンカップ(例年第10競走だが2004年は第11競走)と有馬記念(1988年から2007年まで第9競走だったが2008年からは第10競走)開催日は競走数が少ない。
^ 但し2011年は東日本大震災の影響で薄暮開催はなし。目黒記念は前日(5月28日)に実施。東京優駿は第11競走で行われた。

東京優駿(日本ダービー) 参考文献

『日本競馬史』 日本中央競馬会、1969年。
長森貞夫 『安田伊佐衛門翁傳』 日本競馬舎、1948年。

優駿牝馬(オークス)ってどんなレース?

優駿牝馬(オークス)の基本情報

第70回優駿牝馬
主催者 日本中央競馬会
開催地 東京競馬場
施行時期 5月中旬 – 下旬
(原則2回東京10日目)
格付け GI
1着賞金 9700万円
賞金総額 1億8470万円
距離 芝2400m
出走条件 サラブレッド系3歳牝馬(国際)(指定)

負担重量 定量(55kg)
第1回施行日 1938年11月23日

優駿牝馬(ゆうしゅんひんば)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝2400メートルで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。
正賞は内閣総理大臣賞・日本馬主協会連合会会長賞。
イギリスのオークスステークスを範としているため、日本国内ではこの競走の副称を「オークス」としている。日本中央競馬会は提供のテレビCMで「オークス」とのみ表記ならび呼称をし、英語表記をするときは「Yushun Himba (Japanese Oaks) 」としている。

優駿牝馬(オークス)概要

1938年にイギリスのクラシック競走であるオークスステークスを範として4歳(現3歳)牝馬限定の定量の重賞競走阪神優駿牝馬として創設、第1回は現在とは違い鳴尾競馬場の土2700mで施行され東京優駿競走・横浜農林省賞典4歳呼馬・中山4歳牝馬特別・京都農林省賞典4歳呼馬と並び国営競馬の五大競走(五大クラシック競走)の1競走とされた。

1940年からは施行距離を芝2450mに変更するが1943年には芝2400mに変更、1944年は太平洋戦争(戦時中)の影響により1945年は太平洋戦争及び終戦におけるアメリカ進駐軍の競馬場の占領により開催中止、1946年は10月17日からの国営競馬再開に伴い施行場を東京競馬場に変更(コース・距離は芝2400m)、それに伴い名称を「優駿牝馬」に変更した。1953年からは10月の秋季開催から現在の5月の春季開催に変更、1965年からはオークスの副称が付き1968年は東京競馬場のスタンド改築工事により1ヶ月遅れの6月30日に施行、また1972年は流行性の馬インフルエンザの影響で7月2日に順延開催された。なお東京優駿の前週に行われる関係上、前述のように施行競馬場が変更されたことはあるがスタンド改修などで他の競馬場で代替開催になったことは一度もない。

1976年からはエリザベス女王杯の新設に伴い桜花賞とエリザベス女王杯と共に牝馬三冠競走を構成する事になる(牝馬三冠という表現が定着したのは1986年にメジロラモーヌが三冠を達成した時から)。
1984年のグレード制施行により最も格の高いGIに格付けられ、1995年からは指定競走となり地方所属の競走馬も出走可能になった。1996年からはエリザベス女王杯が古馬の出走可能な競走になったことにより、同競走に代わって新設された秋華賞を含めて牝馬三冠競走を構成することになった。2003年からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により外国産馬が2頭が出走可能になり、2006年からは5頭に拡大された。

開催時期に関しては原則として東京優駿(日本ダービー)の開催前週の日曜日となっているが1996年に高松宮杯(現・高松宮記念)がGIに昇格したことを受け、開催日を5月に繰り上げてから本競走を5月最終日曜(旧来の東京優駿の開催日)に繰り下げたことがあった。しかし高松宮記念は2000年に3月開催となったため、元の開催日に戻した。

中央競馬が誇る八大競走の1競走で桜花賞・秋華賞とで中央競馬の牝馬三冠競走を構成し、更にはエリザベス女王杯を含め牝馬四冠競走と呼ばれることもある。また桜花賞は「桜の女王決定戦」と呼ばれるが、本競走は副称のオークスの意味から「樫の女王決定戦」と呼ばれているが誤訳が起源である。

牝馬路線の競走形態上、施行距離となる芝2400mが出走馬にとって初めての場合が多く競馬中継では「2400mは未知の世界」と言われる。距離適性などの理由で桜花賞の優勝馬がこの競走で敗れることも少なくなく、一生に一度きりの距離となる出走馬もいる。また一般的に牝馬にとって2400mは過酷ともいえ、このレースの優勝馬が疲労残りでその後惨敗続きになってしまったとされるケースが多い。しかしエアグルーヴやブエナビスタのように優勝後に更なる飛躍をとげた馬も少なからず存在する。
桜花賞・皐月賞・優駿牝馬・東京優駿のいずれかの2つのクラシック競走とNHKマイルカップを含めて変則三冠競走と呼ぶ者もいる。
現在の優勝レイは桃色地に金色文字となっている。

優駿牝馬(オークス)出走資格

サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牝馬の競走馬(外国産馬含む)及び地方所属の牝馬の競走馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)及び外国調教馬の牝馬(外国産馬と合わせて9頭まで)、出走枠は18頭まで。未出走馬・未勝利馬は出走できない。

以下のトライアル競走に必要な着順に入った場合優先出走できる。(最大8頭)
トライアル競走
競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件 優先出走権
桜花賞 GI 阪神競馬場 芝・外1600m 国際競走 4着以内
フローラステークス GII 東京競馬場 芝2000m 国際競走 3着以内
スイートピーステークス OP 東京競馬場 芝1800m 指定競走 2着以内

ただし未勝利馬(収得賞金が0の馬)には出走権はないが、未出走馬および未勝利馬も出走できるフローラステークスで2着になれば未勝利のまま本競走に出走できる。スイートピーステークスは1着馬のみである。
残りの枠(最低10頭)は通常の収得賞金の総計が多い順に出走できる。(残る1枠が複数の同収得金額馬だった場合は抽選で出走馬が決まる。)
地方馬は上記のトライアル競走3競走で優先出走権を得た場合のみ優駿牝馬(オークス)に出走できる。

優駿牝馬(オークス)その他のステップレース

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件
忘れな草賞 OP 阪神競馬場 芝2000m 指定競走
負担重量
定量で55kgである。
第3~6回は57kgだった。

優駿牝馬(オークス)賞金
グレード制が施行された第45回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金    1着     2着     3着     4着 5着
第45回(1984年) 1億600万円 5,600万円 2,200万円 1,400万円 840万円 560万円
第46回(1985年) 1億1,050万円 5,800万円 2,300万円 1,500万円 870万円 580万円
第47回(1986年) 1億1,400万円 6,000万円 2,300万円 900万円 600万円
第48回(1987年) 1億2,330万円 6,500万円 2,600万円 1,600万円 980万円 650万円
第49回(1988年) 1億3,400万円 7,000万円 2,800万円 1,800万円 1,100万円 700万円
第50回(1989年) 1億4,880万円 7,800万円 3,100万円 2,000万円 1,200万円 780万円
第51回(1990年) 1億5,730万円 8,300万円 3,300万円 2,100万円 1,200万円 830万円
第52回(1991年) 1億7,200万円 9,000万円 3,600万円 2,300万円 1,400万円 900万円
第53回(1992年) 1億8,160万円 9,600万円 3,800万円 2,400万円 960万円
第54回(1993年)
第55回(1994年)
第56回(1995年) 1億8,470万円 9,700万円 3,900万円 2,400万円 1,500万円 970万円
第57回(1996年)
第58回(1997年)
第59回(1998年)
第60回(1999年)
第61回(2000年)
第62回(2001年)
第63回(2002年)
第64回(2003年)
第65回(2004年)
第66回(2005年)
第67回(2006年)
第68回(2007年)
第69回(2008年)
第70回(2009年)
第71回(2010年)
第72回(2011年)
第73回(2012年)

優駿牝馬(オークス)歴史

1938年 – 鳴尾競馬場の4歳(現3歳)牝馬限定の定量の土2700mの重賞競走「阪神優駿牝馬」として創設。
1939年 – 1着入線のヒサヨシが薬物使用により失格(ヒサヨシ事件)。
1940年 – 施行距離を芝2450mに変更。
1943年
施行距離を芝2400mに変更。
尾形景造が調教師として史上初の連覇。
1944年 – 太平洋戦争の影響で中止。
1945年 – アメリカ進駐軍の競馬場占領により中止。
1946年
施行場を東京競馬場に変更。
名称を「優駿牝馬」に変更。
1948年 – 大久保房松が調教師として2人目の連覇。
1953年 – それまでの秋季から春季の競走に変更。
1960年 – 前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1965年 – 「オークス」の副称が付く。
1968年 – 東京競馬場のスタンド増築工事により、施行期日を6月30日に設定。
1971年 – 東京競馬場のスタンド増築工事により、施行期日を6月6日に設定。
1972年 – 馬インフルエンザ流行による関東地区の競馬開催中止の影響で、施行期日を7月2日に順延。
1973年 – 稲葉幸夫が調教師として3人目の連覇。
1974年 – 嶋田功が騎手として史上初の3連覇。
1983年 – 当競走で史上最多の28頭が出走。なお、1985年も28頭が出走した。
1984年 – グレード制施行によりGIに格付け。
1992年 – 馬番連勝複式勝馬投票券の導入に伴い、出走可能頭数を現在の18頭に削減。
1995年 – 指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。
1996年 – 5位入線のノースサンデーが進路妨害により12着に降着。
1998年 – 優駿牝馬開催当日の全体の競走数が12に伴い、当競走のレース番号を第10競走から第11競走に変更。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳牝馬」から「3歳牝馬」に変更。
ケント・デザーモがJRA史上初となる外国人騎手によるクラシック競走制覇。
2003年 – 外国産馬の出走枠が制限付きで最大2頭まで出走可能となる。
2005年 – 外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。
2006年 – 外国産馬の出走枠を最大5頭に拡大。
2007年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。
外国産馬の出走枠を最大6頭に拡大。
ローブデコルテがJRA史上初の外国産馬による5大クラシック競走制覇。
2008年 – 外国産馬の出走枠を最大7頭に拡大。
2009年 – 安藤勝己が49歳と51日で優勝し、自らが持つクラシックレースの最年長優勝記録を塗り替える。同時に地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
2010年
国際競走に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIに戻す。
アパパネとサンテミリオンが中央競馬GI史上初の同着優勝[1]。
横山典弘が、騎手として初の父子制覇(父:横山富雄は1978年・ファイブホープの勝利騎手)を達成。
2011年 – 吉田照哉が馬主として史上初の連覇。

優駿牝馬(オークス) 歴代優勝馬

国際競走となった2010年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数 施行日         優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1938年11月23日 アステリモア 牝3 2:57 2/5 保田隆芳 尾形景造 タイヘイ
第2回 1939年10月1日 ホシホマレ[2] 牝3 2:55 3/5
+ 大差 佐々木猛 大久保房松 ハクヨウ
第3回 1940年10月6日 ルーネラ 牝3 2:38 0/5 近藤貞男 青池良佐 天野弥三郎
第4回 1941年10月5日 テツバンザイ 牝3 2:43 1/5 稲葉幸夫 鈴木甚四郎
第5回 1942年10月11日 ロツクステーツ 牝3 2:39 0/5 玉谷敬治 尾形景造 吉田善助
第6回 1943年10月3日 クリフジ 牝3 2:34 0/5 前田長吉 尾形景造 栗林友二
第7回 1946年11月24日 ミツマサ 牝3 2:46 2/5 新屋幸吉 上村大治郎 東浜一行
第8回 1947年10月19日 トキツカゼ 牝3 2:40 2/5 佐藤嘉秋 大久保房松 川口鷲太郎
第9回 1948年11月14日 ヤシマヒメ 牝3 2:32 0/5 佐藤嘉秋 大久保房松 小林庄平
第10回 1949年11月13日 キングナイト 牝3 2:38 0/5 高橋英夫 函館孫作 浜谷年雄
第11回 1950年11月19日 コマミノル 牝3 2:38 0/5 渡辺正人 西塚十勝 山内伝作
第12回 1951年11月18日 キヨフジ 牝3 2:33 4/5 阿部正太郎 田中和一郎 山口茂治
第13回 1952年10月5日 スウヰイスー 牝3 2:31 2/5 八木沢勝美 松山吉三郎 高峰三枝子
第14回 1953年5月17日 ジツホマレ 牝3 2:36 3/5 杉村一馬 杉村政春 中塚志つゑ
第15回 1954年5月22日 ヤマイチ 牝3 2:39 0/5 八木沢勝美 尾形藤吉 永田雅一
第16回 1955年5月28日 ヒロイチ 牝3 2:32 4/5 岩下密政 矢倉玉男 吉田一太郎
第17回 1956年5月27日 フエアマンナ 牝3 2:33 4/5 佐藤嘉秋 大久保房松 小林庄平
第18回 1957年5月19日 ミスオンワード 牝3 2:32 0/5 栗田勝 武田文吾 樫山純三
第19回 1958年5月18日 ミスマルサ 牝3 2:33 0/5 八木沢勝美 古賀嘉蔵 木村健次
第20回 1959年5月17日 オーカン 牝3 2:33 4/5 清田十一 伊藤勝吉 吉田一太郎
第21回 1960年5月22日 スターロツチ 牝3 2:33.4 高松三太 松山吉三郎 藤井金次郎
第22回 1961年5月21日 チトセホープ 牝3 2:32.5 伊藤修司 伊藤勝吉 野間勘一郎
第23回 1962年5月20日 オーハヤブサ 牝3 2:31.9 藤本勝彦 藤本冨良 笠木政彦
第24回 1963年5月19日 アイテイオー 牝3 2:32.4 伊藤竹男 久保田金造 伊藤忠雄
第25回 1964年5月24日 カネケヤキ 牝3 2:31.1 野平祐二 杉浦照 金指吉昭
第26回 1965年5月23日 ベロナ 牝3 2:31.3 加賀武見 田中和夫 田中はな
第27回 1966年5月22日 ヒロヨシ 牝3 2:36.2 古山良司 久保田彦之 勝川玉子
第28回 1967年5月13日 ヤマピツト 牝3 2:29.6 保田隆芳 浅見国一 小林信夫
第29回 1968年6月30日 ルピナス 牝3 2:31.6 中野渡清一 茂木為二郎 藤田正明
第30回 1969年5月18日 シャダイターキン 牝3 2:32.4 森安重勝 尾形藤吉 吉田善哉
第31回 1970年5月17日 ジュピック 牝3 2:40.6 森安重勝 工藤嘉見 松井照夫
第32回 1971年6月6日 カネヒムロ 牝3 2:36.0 岡部幸雄 成宮明光 金指利明
第33回 1972年7月2日 タケフブキ 牝3 2:28.8 嶋田功 稲葉幸夫 近藤たけ
第34回 1973年5月20日 ナスノチグサ 牝3 2:28.9 嶋田功 稲葉幸夫 那須野牧場
第35回 1974年5月19日 トウコウエルザ 牝3 2:29.1 嶋田功 仲住達弥 渡辺喜八郎
第36回 1975年5月18日 テスコガビー 牝3 2:30.6 菅原泰夫 仲住芳雄 長島忠雄
第37回 1976年5月23日 テイタニヤ 牝3 2:34.4 嶋田功 稲葉幸夫 原八衛
第38回 1977年5月22日 リニアクイン 牝3 2:28.1 松田幸春 松田由太郎 桶谷辰造
第39回 1978年5月21日 ファイブホープ 牝3 2:30.2 横山富雄 山岡寿恵次 榊原富夫
第40回 1979年5月20日 アグネスレディー 牝3 2:29.6 河内洋 長浜彦三郎 渡辺孝男
第41回 1980年5月18日 ケイキロク 牝3 2:32.3 岡部幸雄 浅見国一 内田敦子
第42回 1981年5月24日 テンモン 牝3 2:29.5 嶋田功 稲葉幸夫 原八衛
第43回 1982年5月23日 シャダイアイバー 牝3 2:28.6 加藤和宏 二本柳俊夫 吉田善哉
第44回 1983年5月22日 ダイナカール 牝3 2:30.9 岡部幸雄 高橋英夫 (有)社台レースホース
第45回 1984年5月20日 トウカイローマン 牝3 2:31.9 岡冨俊一 中村均 内村正則
第46回 1985年5月19日 ノアノハコブネ 牝3 2:30.7 音無秀孝 田中良平 小田切有一
第47回 1986年5月18日 メジロラモーヌ 牝3 2:29.6 河内洋 奥平真治 (有)メジロ牧場
第48回 1987年5月24日 マックスビューティ 牝3 2:30.9 田原成貴 伊藤雄二 田所祐
第49回 1988年5月22日 コスモドリーム 牝3 2:28.3 熊沢重文 松田博資 田邉廣己
第50回 1989年5月21日 ライトカラー 牝3 2:29.0 田島良保 清田十一 伊藤照三
第51回 1990年5月20日 エイシンサニー 牝3 2:26.1 岸滋彦 坂口正則 平井豊光
第52回 1991年5月19日 イソノルーブル 牝3 2:27.8 松永幹夫 清水久雄 磯野俊雄
第53回 1992年5月24日 アドラーブル 牝3 2:28.9 村本善之 小林稔 根岸治男
第54回 1993年5月23日 ベガ 牝3 2:27.3 武豊 松田博資 吉田和子
第55回 1994年5月22日 チョウカイキャロル 牝3 2:27.5 小島貞博 鶴留明雄 新田嘉一
第56回 1995年5月21日 ダンスパートナー 牝3 2:26.7 武豊 白井寿昭 吉田勝己
第57回 1996年5月26日 エアグルーヴ 牝3 2:29.1 武豊 伊藤雄二 吉原毎文
第58回 1997年5月25日 メジロドーベル 牝3 2:27.7 吉田豊 大久保洋吉 メジロ商事(株)
第59回 1998年5月31日 エリモエクセル 牝3 2:28.1 的場均 加藤敬二 山本慎一
第60回 1999年5月30日 ウメノファイバー 牝3 2:26.9 蛯名正義 相沢郁 梅崎敏則
第61回 2000年5月21日 シルクプリマドンナ 牝3 2:30.2 藤田伸二 山内研二 (有)シルク
第62回 2001年5月20日 レディパステル 牝3 2:26.3 K.デザーモ 田中清隆 (株)ロードホースクラブ
第63回 2002年5月19日 スマイルトゥモロー 牝3 2:27.7 吉田豊 勢司和浩 飯田正剛
第64回 2003年5月25日 スティルインラブ 牝3 2:27.5 幸英明 松元省一 (有)ノースヒルズマネジメント
第65回 2004年5月23日 ダイワエルシエーロ 牝3 2:27.2 福永祐一 松田国英 大和商事(株)
第66回 2005年5月22日 シーザリオ 牝3 2:28.8 福永祐一 角居勝彦 (有)キャロットファーム
第67回 2006年5月21日 カワカミプリンセス 牝3 2:26.2 本田優 西浦勝一 三石川上牧場
第68回 2007年5月20日 ローブデコルテ 牝3 2:25.3 福永祐一 松元茂樹 前田幸治
第69回 2008年5月25日 トールポピー 牝3 2:28.8 池添謙一 角居勝彦 (有)キャロットファーム
第70回 2009年5月24日 ブエナビスタ 牝3 2:26.1 安藤勝己 松田博資 (有)サンデーレーシング
第71回 2010年5月23日 アパパネ 牝3 2:29.9
(同着) 蛯名正義 国枝栄 (株)金子真人ホールディングス
サンテミリオン 横山典弘 古賀慎明 吉田照哉
第72回 2011年5月22日 エリンコート 牝3 2:25.7 後藤浩輝 笹田和秀 吉田照哉

優駿牝馬(オークス)優駿牝馬の記録

レースレコード – 2:25.3(第68回優勝馬ローブデコルテ)
2着との最大着差 – 大差(第8回優勝馬トキツカゼ)
勝馬投票券最高売上げ – 361億8934万5100円(第55回、優勝馬チョウカイキャロル)
当日の最高入場者数 – 174,446人(第55回)
最多優勝騎手 – 嶋田功 5勝(第33 – 35、37、42回)
最多連続優勝騎手 – 嶋田功 3連覇(第33 – 35回)
最多勝調教師 – 5勝 尾形藤吉(第1、5、6、15、30回) 稲葉幸夫(第4、33、34、37、42回)

優駿牝馬(オークス)母仔制覇

過去に2組の優駿牝馬母仔制覇の例がある。
組 母馬名 優勝回 子馬名 優勝回
1組目 クリフジ 第6回 ヤマイチ 第15回
2組目 ダイナカール 第44回 エアグルーヴ 第57回

優駿牝馬(オークス)デビューから無敗制覇

過去に4頭がデビューから無敗で優駿牝馬を制覇している。
優勝回 馬名 無敗成績 備考
1 第6回 クリフジ 5戦5勝 第12回東京優駿競走優勝
第6回京都農商省賞典4歳呼馬優勝
2 第7回 ミツマサ 4戦4勝
3 第18回 ミスオンワード 8戦8勝
4 第67回 カワカミプリンセス 4戦4勝 第11回秋華賞優勝

優駿牝馬(オークス)外国産馬による制覇

優勝回 馬名
1 第68回 ローブデコルテ

優駿牝馬(オークス)騎手の父子制覇
父 優勝回           子 優勝回
横山富雄 第39回(ファイブホープ) 横山典弘 第71回(サンテミリオン)

優駿牝馬(オークス)からの秋華賞・エリザベス女王杯の制覇

地方競馬の「オークス」

地方競馬でもオークスを範した競走がある。地区内での中央競馬の優駿牝馬と同等の機能を持った競走に設定されている。以下は2006年現在施行されている競走のみ。
ばんえいオークス(ばんえい競馬)
ひまわり賞(岩手県競馬組合)
関東オークス(川崎競馬場)

NHKマイルカップってどんなレース?

NHKマイルカップの基本情報

第14回NHKマイルカップ
主催者 日本中央競馬会
開催地 東京競馬場
施行時期 5月上旬 – 中旬
(原則2回東京6日目)
格付け GI
1着賞金 9200万円
賞金総額 1億7520万円
距離 芝1600m
出走条件 サラブレッド系3歳牡馬・牝馬(国際)(指定)

負担重量 定量(牡馬57kg、牝馬55kg)
第1回施行日 1996年5月12日

NHKマイルカップ(えぬえいちけいマイルカップ)は日本中央競馬会 (JRA) が東京競馬場の芝1600メートルで施行する中央競馬の重賞 (GI) 競走。
正賞は日本放送協会杯、日本馬主協会連合会会長賞。優勝杯を提供するNHKから冠名が付けられている。

NHKマイルカップ概要

本競走は1953年から1995年までの43年間、クラシック競走の東京優駿(日本ダービー)のトライアル競走として施行されていたNHK杯を前身とし1996年における中央競馬の番組改定で4歳(現3歳)の外国産馬が当時東京優駿へ出走できなかったため目標となる大レースが無く、そこで4歳(現3歳)の外国産馬の目標となる大レースを創設する目的で4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の混合・指定の定量の重賞(GI)競走NHKマイルカップとして新設、第1回は現在と同じく東京競馬場の芝1600mで施行された。
歴代優勝馬には日本調教馬で初めて海外のG1競走(モーリス・ド・ギース賞)を制したシーキングザパールやジャパンカップ優勝・サンクルー大賞優勝・凱旋門賞2着などの成績を残したエルコンドルパサーなど、日本内外の国際競走で活躍した競走馬が名を連ねる。

なお、NHKマイルカップという名称が決まるまではJRAからは「マイルダービー」という仮称で広報されていた。
東京優駿が外国産馬に開放される2000年まで通称「マル外ダービー」といわれ、3歳(旧4歳)外国産馬にとって春競馬の最大目標と位置付けられていた。実際に第1回から第6回まで6年連続で外国産馬が当レースを優勝したが、2002年の第7回にテレグノシスが初めて内国産馬としての優勝を果たして以降は外国産馬の優勝は無い。この頃から競走馬の距離適性を最優先したローテーションを重視する考え方が定着したことや外国産馬に対してクラシック出走の開放が進んできたこともあり、外国産馬の最大目標という当初の位置づけから内国産馬・外国産馬を問わない3歳(旧4歳)マイル最強馬決定戦へとその位置付けが変わり2005年の第10回には桜花賞優勝馬のラインクラフトが距離適性を考慮して優駿牝馬(オークス)ではなく当レースへ出走し優勝している。

2001年に外国産馬へのクラシック開放が実現すると本競走を東京優駿の前哨戦にする陣営もある他、中山競馬場の最終日のため荒れた馬場で行われる皐月賞を回避して当レースから東京優駿へ向かう陣営もある。過去には第6回優勝馬クロフネ、第7回優勝馬テレグノシス、同3着馬タニノギムレット[1]、第9回優勝馬キングカメハメハ、第13回優勝馬ディープスカイなどが本競走から東京優駿に出走しておりタニノギムレット、キングカメハメハ、ディープスカイは東京優駿を制覇している。
桜花賞・皐月賞・優駿牝馬(オークス)・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞のクラシック競走及び秋華賞のうちのいずれか2つのレースと絡めて、変則三冠競走と扱われる場合がある。
クラシック競走同様、騸馬の出走は不可[2]。
現在の優勝レイは赤色地に金色文字で、「NHK」の部分はNHKのロゴデザインがそのまま引用されている。
この競走のテレビ中継に関してはNHKが優先権を持って放送に臨んでおり、フジテレビ・関西テレビは自局番組では単に「マイルカップ」と呼称し「NHKマイルカップ」の呼称を使い始めたのは創設4年後の2000年の第5回からのことである。なお、NHK杯は「ダービートライアル」と呼称していた。その影響もあり、フジテレビ系列でGI競走のみ競馬中継を放送する岩手めんこいテレビ・テレビ熊本はこのレースを放送しない[3]。またこのレースを中継するNHKの番組には優勝馬に対するNHK杯の贈呈にNHK会長が、またその年の大河ドラマや連続テレビ小説の出演者がゲスト(表彰プレゼンテーター)として出演することがある。1996年の第1回競走、及び2005年から2010年の競走ではNHK交響楽団の金管メンバーが発走時のファンファーレを演奏している。

NHKマイルカップ出走資格

サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬及び地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)及び外国調教馬の牡馬・牝馬(9頭まで)、出走枠は18頭まで。未出走馬・未勝利馬は出走できない。
以下のトライアル競走に必要な着順に入った場合優先出走できる。(最大3頭)

NHKマイルカップトライアル競走

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件 優先出走権
ニュージーランドトロフィー GII 中山競馬場 芝・外1600m 3歳牡馬・牝馬 3着以内

NHKマイルカップ国際競走・指定競走

未勝利馬(収得賞金が0の馬)には出走権はないが、未出走馬および未勝利馬も出走できるニュージーランドトロフィーで2着になれば未勝利のまま本競走に出走できる。
残りの枠(最低15頭)は通常の収得賞金の総計が多い順に出走できる。(残る1枠が複数の同収得金額馬だった場合は抽選で出走馬が決まる。)
地方馬は上記のトライアル競走(ニュージーランドトロフィー)で優先出走権を得た場合、ファルコンステークス・桜花賞・皐月賞の1・2着馬、マーガレットステークスの1着馬のみ出走できる。

NHKマイルカップその他のステップレース

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件
アーリントンカップ GIII 阪神競馬場 芝・外1600m 3歳
国際競走・特別指定競走
ファルコンステークス GIII 中京競馬場 芝1400m 3歳
国際競走・指定競走
毎日杯 GIII 阪神競馬場 芝・外1800m 3歳
国際競走・特別指定競走
マーガレットステークス オープン
特別 阪神競馬場 芝1400m 3歳
混合競走・指定競走
桜花賞 GI 阪神競馬場 芝・外1600m 3歳牝馬
国際競走・指定競走
皐月賞 GI 中山競馬場 芝2000m 3歳牡馬・牝馬

NHKマイルカップ国際競走・指定競走
このほかスプリングステークス(中山競馬場・芝1800m)、フローラステークス(東京競馬場・芝2000m)から本競走に駒を進める競走馬もいる。このうち毎日杯を使った競走馬が好結果をおさめることが多く、トライアル競走であるニュージーランドトロフィーが東京競馬場から中山競馬場に開催変更となって以降、近年では最も多くの優勝馬を輩出している。

NHKマイルカップ負担重量

定量で牡馬は57kg、牝馬は55kgである。

NHKマイルカップ賞金

回(施行年) 総額賞金 1着 2着 3着 4着 5着
第1回(1996年) 1億7,520万円 9,200万円 3,700万円 2,300万円 1,400万円 920万円
第2回(1997年)
第3回(1998年)
第4回(1999年)
第5回(2000年)
第6回(2001年)
第7回(2002年)
第8回(2003年)
第9回(2004年)
第10回(2005年)
第11回(2006年)
第12回(2007年)
第13回(2008年)
第14回(2009年)
第15回(2010年)
第16回(2011年)
第17回(2012年)

NHKマイルカップ歴史

1996年 – 東京競馬場の4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の混合競走・指定交流競走の定量の重賞(GI)競走NHKマイルカップとして新設。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・牝馬」に変更。
2002年
同時期に行われるくらやみ祭りの開催を考慮し、土曜日に変則開催される。
内国産馬が初優勝。
2004年
キングカメハメハが1:32.5のレースレコードを更新して優勝。
安藤勝己が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
2007年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。
当時大井所属の内田博幸が地方競馬出身の騎手としては3人目の中央JpnI(GI)制覇。
JRAの重賞競走における三連単の払戻金が、当時の最高額(非重賞競走も含む全体でも7位)の9739870円を記録[4]。
2009年
ジョーカプチーノが1:32.4のレースレコードを更新して優勝。
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は9頭まで出走可能となる。
重賞格付け表記をGIに戻す。
8位入線のサンカルロが、2度の進路妨害により18着に降着。
2010年 – ダノンシャンティが1:31.4の芝1600mの日本レコードを更新して優勝。
2011年 – クレイグ・ウィリアムズが外国人騎手として初の同競走優勝。
2012年 – 6位入線のマウントシャスタ(岩田康誠)が、進路妨害(被害馬は落馬競走中止、なお被害馬は異状なし、後藤浩輝騎手は頚椎捻挫を受けている[5])で失格。降着制度が導入されて以来、JRAのGI競走で失格馬が出たのは史上初[6]。

NHKマイルカップ歴代優勝馬

国際競走となった2009年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数 施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1996年5月12日 タイキフォーチュン 牡3 1:32.6 柴田善臣 高橋祥泰 (有)大樹ファーム
第2回 1997年5月11日 シーキングザパール 牝3 1:33.1 武豊 森秀行 植中倫子
第3回 1998年5月17日 エルコンドルパサー 牡3 1:33.7 的場均 二ノ宮敬宇 渡邊隆
第4回 1999年5月16日 シンボリインディ 牡3 1:33.8 横山典弘 藤沢和雄 シンボリ牧場
第5回 2000年5月7日 イーグルカフェ 牡3 1:33.5 岡部幸雄 小島太 西川清
第6回 2001年5月6日 クロフネ 牡3 1:33.0 武豊 松田国英 金子真人
第7回 2002年5月4日 テレグノシス 牡3 1:33.1 勝浦正樹 杉浦宏昭 (有)社台レースホース
第8回 2003年5月11日 ウインクリューガー 牡3 1:34.2 武幸四郎 松元茂樹 (株)ウイン
第9回 2004年5月9日 キングカメハメハ 牡3 1:32.5 安藤勝己 松田国英 金子真人
第10回 2005年5月8日 ラインクラフト 牝3 1:33.6 福永祐一 瀬戸口勉 大澤繁昌
第11回 2006年5月7日 ロジック 牡3 1:33.2 武豊 橋口弘次郎 前田幸治
第12回 2007年5月6日 ピンクカメオ 牝3 1:34.3 内田博幸 国枝栄 金子真人ホールディングス(株)
第13回 2008年5月11日 ディープスカイ 牡3 1:34.2 四位洋文 昆貢 深見敏男
第14回 2009年5月10日 ジョーカプチーノ 牡3 1:32.4 藤岡康太 中竹和也 上田けい子
第15回 2010年5月9日 ダノンシャンティ 牡3 1:31.4 安藤勝己 松田国英 ダノックス
第16回 2011年5月8日 グランプリボス 牡3 1:32.2 C.ウィリアムズ 矢作芳人 (株)グランプリ
第17回 2012年5月6日 カレンブラックヒル 牡3 1:34.5 秋山真一郎 平田修 鈴木隆司

NHKマイルカップの記録

レースレコード – 1:31.4(第15回優勝馬ダノンシャンティ)
2着との最大着差 – 5馬身(第9回優勝馬キングカメハメハ)
最多勝騎手 – 3勝 武豊(第2、6、11回)
最多勝調教師 – 3勝 松田国英(第6、9、15回)

NHKマイルカップ脚注

^ タニノギムレットは皐月賞にも出走している(3着)。
^ ただしクラシック競走と違い、本競走では騸馬排除の根拠とされる「繁殖馬の選定」を明確に謳っているわけではない。これは朝日杯フューチュリティステークス、ニュージーランドトロフィーでも同様である。
^ 同じくGI競走のみ競馬中継を放送するさくらんぼテレビジョンはこのレースを中継している(JRA公式サイトのテレビ中継案内ページでもその旨が書かれている)。なお岩手めんこいテレビでも2001年までは放送していた。
^ 第12回NHKマイルC – 日本中央競馬会公式サイトデータファイル
^ 開催競馬場・今日の出来事 – JRA公式サイト
^ 岩田騎手が騎乗停止に=制度導入後、初のGI失格

青葉賞 (ダービートライアル)ってどんなレース?

青葉賞(ダービートライアル)の基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 東京競馬場
施行時期 4月下旬 – 5月上旬
(原則2回東京3日目)
格付け GII
1着賞金 5200万円
賞金総額 9900万円
距離 芝2400m
出走条件 サラブレッド系3歳(国際)(指定)

負担重量 馬齢(56kg、牝馬54kg)
第1回施行日 1994年4月30日(重賞格上)
特記 上位2着までに東京優駿(日本ダービー)への優先出走権

青葉賞(あおばしょう)は、日本中央競馬会 (JRA)が東京競馬場の芝2400mで施行する競馬の重賞 (GII) 競走。

競走名は繁栄を意味する青葉から。テレビ東京が優勝杯を提供しているため、正式名称はテレビ東京杯青葉賞と表記される。

青葉賞(ダービートライアル)概要

1984年にクラシック競走である東京優駿の前哨戦として東京競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)限定の定量のダービー指定オープン特別競走、青葉賞として施行したのが始まり。

上位3着までに入賞した内国産の牡馬・牝馬のみに東京優駿の優先出走権が与えられた。

1991年からは優先出走権を上位2着までの入賞馬に縮小、1994年からはテレビ東京に優勝杯の提供を受けたのを機に、重賞競走に昇格、GIIIに格付け、再び優先出走権が上位3着までの入賞馬に戻され、1995年からはダービートライアル及び指定競走に指定、地方所属の競走馬も2頭までが出走が可能になり、上位3着までに入賞した場合は同じく、東京優駿の優先出走権が与えられるようになった。

2001年からはGIIに昇格、また外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により、東京優駿が外国産馬の出走可能になった事に伴い、混合競走に指定、2003年からは負担重量を馬齢に変更、2005年からは外国産馬にも東京優駿の優先出走権が与えられるようになった。2010年からは国際競走に指定されている。

プリンシパルステークス・京都新聞杯と並び東京優駿の前哨戦として位置付けられているが、皐月賞からの直行組及びNHKマイルカップを経由した出走馬が東京優駿で好走する傾向がある。

青葉賞からの出走馬は東京優駿で苦戦を強いられる場合が非常に多く、1984年のレース創設以来、本競走出走馬が東京優駿を優勝した例は無い。

しかし第9回優勝馬シンボリクリスエス、第10回優勝馬ゼンノロブロイが東京優駿で2年連続で2着入賞し、さらにその後2頭とも年度代表馬に選ばれる活躍を遂げた事により、本競走のダービートライアルとしての注目度を高める事になった。

テレビ東京が優勝杯を提供しているため、重賞に格上されてからは一貫して同局が競馬中継を行う土曜日に施行されている。

現在の優勝レイの配色は青色地に黄色文字で、丸文字の書体を使う独特のデザインとなっている。

出走資格は3歳(旧4歳)限定の JRA所属の競走馬(外国産馬含む)、地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。上位2着までに入賞した牡馬・牝馬の競走馬には東京優駿の優先出走権が与えられる。

負担重量は馬齢で56kg、牝馬は54kgである。

青葉賞 歴史

1984年
東京競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)の定量のダービー指定オープン特別競走として施行。
東京優駿の優先出走権が上位3着までの内国産の牡馬・牝馬に資格を与える。
1991年 – 東京優駿への優先出走権が上位2着までの内国産の牡馬・牝馬に縮小。
1994年
東京競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)の定量の重賞 (GIII) 競走、青葉賞として創設。
テレビ東京から優勝杯の寄贈を受ける。
東京優駿への優先出走権が再び上位3着までの内国産の牡馬・牝馬に戻る。
1995年
ダービートライアル及び指定競走に指定。
東京優駿への優先出走権が上位3着までの内国産(地方所属馬含む)の牡馬・牝馬に変更。
2001年
GIIに昇格。
混合競走に指定、外国産馬出走枠を2枠設ける。
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳」から「3歳」に変更。
2003年
負担重量を馬齢に変更。
藤沢和雄が調教師として史上初の連覇。
2005年 – 東京優駿への優先出走権が上位3着までの牡馬・牝馬に変更。
2007年 – ICSC の勧告に伴う格付け表記の変更により、グレード表記を JpnII に変更。
2009年 – 2002年に優勝したシンボリクリスエスの仔、アプレザンレーヴが勝利し、初の父子制覇を達成。
2010年
国際競走に指定され、外国調教馬は9頭まで出走可能になる。これによりグレード表記をGIIに戻す。
東京優駿への優先出走権が上位2着までの牡馬・牝馬に変更。
2003年に優勝したゼンノロブロイの仔、ペルーサが勝利し2例目の父子制覇を達成。

青葉賞 歴代優勝馬

青葉賞 オープン特別

施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
1984年4月28日 ラッシュアンドゴー 牡3 2:32.3 田原成貴 小林稔 岩佐俊策
1985年4月29日 ハマノキャプテン 牡3 2:31.4 郷原洋行 中村貢 田島榮二郎
1986年4月29日 サニーライト 牡3 2:33.0 大塚栄三郎 吉野勇 栗林英雄
1987年5月2日 チョウカイフリート 牡3 2:27.6 菅原泰夫 仲住芳雄 新田嘉一
1988年4月29日 ガクエンツービート 牡3 2:28.9 坂井千明 沢峰次 三谷章
1989年4月29日 サーペンアップ 牡3 2:29.2 田村正光 梶与四松 吉橋計
1990年4月28日 ビッグマウス 牡3 2:28.2 柴田政人 高松邦男 古岡秀人
1991年4月27日 レオダーバン 牡3 2:27.6 岡部幸雄 奥平真治 田中竜雨
1992年5月2日 ゴールデンゼウス 牡3 2:27.8 岡潤一郎 安藤正敏 前田晋二
1993年5月1日 ステージチャンプ 牡3 2:27.7 蛯名正義 矢野進 吉田和子
青葉賞 重賞格付け以後

回数 施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1994年4月30日 エアダブリン 牡3 2:28.8 岡部幸雄 伊藤雄二 吉原貞敏
第2回 1995年4月29日 サマーサスピション 牡3 2:25.8 田中勝春 鈴木康弘 (有)社台レースホース
第3回 1996年5月4日 マウンテンストーン 牡3 2:27.3 高橋明 境勝太郎 山石祐一
第4回 1997年5月3日 トキオエクセレント 牡3 2:29.2 吉田豊 高橋裕 坂田時雄
第5回 1998年5月9日 タヤスアゲイン 牡3 2:27.6 柴田善臣 山内研二 横瀬寛一
第6回 1999年5月8日 ペインテドブラック 牡3 2:27.4 加藤和宏 鈴木康弘 池谷誠一
第7回 2000年4月29日 カーネギーダイアン 牡3 2:28.2 藤田伸二 松田博資 樋口稔和
第8回 2001年4月28日 ルゼル 牡3 2:26.9 後藤浩輝 田村康仁 栗坂崇
第9回 2002年4月27日 シンボリクリスエス 牡3 2:26.4 武豊 藤沢和雄 シンボリ牧場
第10回 2003年5月3日 ゼンノロブロイ 牡3 2:26.3 横山典弘 藤沢和雄 大迫忍
第11回 2004年5月1日 ハイアーゲーム 牡3 2:24.1 蛯名正義 大久保洋吉 臼田浩義
第12回 2005年4月30日 ダンツキッチョウ 牡3 2:26.9 藤田伸二 山内研二 山元哲二
第13回 2006年4月29日 アドマイヤメイン 牡3 2:25.3 武豊 橋田満 近藤利一
第14回 2007年4月28日 ヒラボクロイヤル 牡3 2:26.3 武幸四郎 大久保龍志 (株)平田牧場
第15回 2008年5月3日 アドマイヤコマンド 牡3 2:26.9 川田将雅 橋田満 近藤利一
第16回 2009年5月2日 アプレザンレーヴ 牡3 2:26.2 内田博幸 池江泰郎 (有)サンデーレーシング
第17回 2010年5月1日 ペルーサ 牡3 2:24.3 横山典弘 藤沢和雄 山本英俊
第18回 2011年4月30日 ウインバリアシオン 牡3 2:28.8 安藤勝己 松永昌博 (株)ウイン


青葉賞からの東京優駿優勝馬

創設以来まだ優勝馬はいないが、本競走で優勝をしたレオダーバン・エアダブリン・シンボリクリスエス・ゼンノロブロイ・アドマイヤメイン・ウインバリアシオンの東京優駿2着入賞、ハイアーゲームの同3着、本競走で2着から東京優駿2着となったグランパズドリームがいる。

高松宮記念ってどんなレース?

高松宮記念の基本情報

第39回高松宮記念
主催者 日本中央競馬会
開催地 中京競馬場
施行時期 3月下旬
(原則1回中京8日目)
格付け GI
1着賞金 9500万円
賞金総額 1億8050万円
距離 芝1200m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(指定)

負担重量 定量(57kg、牝馬2kg減)
第1回施行日 1971年6月27日

高松宮記念(たかまつのみやきねん)は中京競馬場の芝1200メートルで行われる中央競馬の重賞(GI)競走。 1997年までの競走名は高松宮杯で、この年まで皇族の高松宮家から優勝杯を賜与されていた。一部の競馬ファンや解説者からは「宮記念」や旧称の高松宮杯から「宮杯」と通称されている。
正賞は名古屋市長賞、名古屋競馬株式会社賞、日本馬主協会連合会会長賞、グローバル・スプリント・チャレンジ賞。

高松宮記念 概要

中央競馬のGIでは唯一4大場(東京・中山・京都・阪神)以外で開催されているレースである(代替開催時を除く[1])。
1967年から1970年に施行されていた中京大賞典を前身とし、1970年に高松宮宣仁親王から優勝杯を賜与されたのを機に、1971年に4歳(現3歳)以上・混合・別定の重賞競走高松宮杯として新設、中京競馬場の芝2000mで施行された[2]。
中京競馬場では最も格の高い競走に位置付けされ盛大な盛り上がりを見せ、中でも第4回のハイセイコー、第18回のオグリキャップが出走した時は中京競馬場の1日の総入場者数の上位を記録している[3]。更には中京競馬場で勝馬投票券の売上げが最も多い競走でもある。

1984年にはグレード制施行によりGIIに格付け、GIに昇格する前年の1995年までGIIで最も格の高い及び夏競馬の最重要競走として定着していった。また1989年からは混合競走に指定され、外国産馬の出走が可能になった。
1996年からは中央競馬における短距離路線の再整備に伴い、秋のスプリンターズステークスと対になる春の短距離最強馬を決める芝1200mのGI競走に昇格、中央競馬の主要4競馬場(東京競馬場・中山競馬場・京都競馬場・阪神競馬場)以外で初めてのGI競走となった。また指定競走に指定され地方所属の競走馬も出走が可能になり、中距離競走としての機能は金鯱賞へと引き継がれた。移行1年目のレースでは三冠馬ナリタブライアンが出走し、色々な意味で注目もされた(結果は4着)。
1998年からは高松宮杯競輪において宮家に支払われていた謝礼金が皇室経済法違反との問題となり、本年以降からは高松宮家から優勝杯が下賜されなくなったため、競輪と足並みを揃えるように以前から競艇でも使用されていた高松宮記念へと名称を変更した[4]。

2000年からは短距離路線の見直しを図るため5月から3月の開催に繰り上げられ、それに伴い出走資格を5歳(現4歳)以上に変更、更に中山競馬場と阪神競馬場と共に3場開催となり、いわゆる「裏開催」である第3場開催では唯一のGI競走となった。
2001年からは国際競走に指定された。2011年よりグローバル・スプリント・チャレンジに参加、本競走は第2戦に組み込まれている。
現在の優勝レイは紫色地に金色文字の配色。本競走のルーツにちなみ、レイの上部には皇室の紋章である菊の模様が刺繍されている。

高松宮記念 出走資格

原則サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬及び外国調教馬(9頭まで)、出走枠は18頭まで。
JRA所属競走馬は以下の順で出走馬を決定する。(地方馬でGI1着に入った競走馬も含む。)
外国で行われたグローバルスプリントチャレンジ対象競走で2着以内に入った競走馬。
レーティング順位の上位5頭。(2012年より。牡馬・セン馬は110ポンド、牝馬は106ポンド以上であることが条件)
「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI(JpnI)競走の収得賞金」の総計が多い順。
地方競馬所属馬は以下の競走のいずれかで所定の成績をあげると本競走に出走できる。
競走名 格付 施行競馬場 施行距離 必要な着順 備考
阪急杯 GIII 阪神競馬場 芝1400m 1・2着 本競走のステップ競走指定
オーシャンステークス GIII 中山競馬場 芝1200m
グローバルスプリントチャレンジ対象競走
(外国で行われる競走に限る。)

高松宮記念 負担重量

定量で牡馬・セン馬は57kg、牝馬2kg減の55kgである。
GII時代は別定重量(1987年からグレード別定)、GIに格上げされ、3歳馬が出走可能だった第26回から第29回までは3歳馬は53kg(牝馬は51kg)に設定されていた。

高松宮記念 コース

高松宮記念 旧コース

1996年から2010年までの旧・芝1200mコースではスタート地点は2コーナー出口付近。向正面を通り中間点となる「⑥」のハロン棒を通過。最終の直線を通ってゴールとなる。この間の所要時間は僅か70秒。直線が短く坂もない(厳密にはゴール前200mは緩い上り坂になっている)短距離レースではあるが逃げ・先行馬が勝ちにくく、逃げ切って勝ったのは15年間でショウナンカンプ・ローレルゲレイロの2頭のみである。

高松宮記念 新コース

2012年からの新・芝1200mコースでは向正面からスタートし、3コーナーまでなだらかな下りが続く。長さ412mの最後の直線では、ゴール板まで残り約350m地点から2mの急勾配がある。

高松宮記念 賞金

グレード制が施行された第14回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金      1着      2着      3着      4着 5着
第14回(1984年) 8,180万円 4,300万円 1,700万円 1,100万円 650万円 430万円
第15回(1985年) 8,400万円 4,400万円 1,800万円 1,100万円 660万円 440万円
第16回(1986年) 8,530万円 4,500万円 680万円 450万円
第17回(1987年) 9,100万円 4,800万円 1,900万円 1,200万円 720万円 480万円
第18回(1988年) 9,900万円 5,200万円 2,100万円 1,300万円 780万円 520万円
第19回(1989年) 1億830万円 5,700万円 2,300万円 1,400万円 860万円 570万円
第20回(1990年) 1億1,400万円 6,000万円 2,400万円 1,500万円 900万円 600万円
第21回(1991年) 1億2,330万円 6,500万円 2,600万円 1,600万円 980万円 650万円
第22回(1992年) 1億3,090万円 6,900万円 2,800万円 1,700万円 1,000万円 690万円
第23回(1993年)
第24回(1994年)
第25回(1995年)
第26回(1996年) 1億7,940万円 9,400万円 3,800万円 2,400万円 1,400万円 940万円
第27回(1997年)
第28回(1998年)
第29回(1999年)
第30回(2000年)
第31回(2001年)
第32回(2002年)
第33回(2003年)
第34回(2004年)
第35回(2005年)
第36回(2006年) 1億8,050万円 9,500万円 950万円
第37回(2007年)
第38回(2008年)
第39回(2009年)
第40回(2010年)
第41回(2011年)
第42回(2012年)

高松宮記念 歴史

高松宮記念 中距離競走(芝2000m)時代

1971年 – 中京競馬場の芝2000mの4歳(現3歳)以上の別定の重賞競走・高松宮杯として創設。
1974年 – 元地方大井所属のハイセイコーがJRA転厩馬として史上初の優勝。
1979年 – 京都競馬場の改修工事による振替開催により阪神競馬場の芝2000mで施行。
1983年 – 第11回優勝馬ハギノトップレディの半弟・ハギノカムイオーが優勝、史上初の姉弟制覇。
1984年 – グレード制施行によりGIIに格付け。
1987年 – 開催時期を6月から7月に変更。
1988年 – 元地方笠松所属のオグリキャップがJRA転厩馬として史上2頭目の優勝。
1989年
混合競走に指定。
河内洋が騎手として史上初の連覇。
1993年 – 中京競馬場の改修工事により京都競馬場の芝2000mで施行。

高松宮記念 短距離競走(芝1200m)時代
1996年
格付けをGIIからGIに昇格。
施行距離を芝1200mに変更。
開催時期を7月から5月に変更。
指定交流競走に指定され、地方馬にも門戸が開かれる。
負担重量を定量に変更(3歳牡馬・セン馬は53kg、4歳以上牡馬・セン馬は57kg、牝馬は2kg減に設定)。
1998年
名称を現在の高松宮記念に変更。
安田修が馬主として史上初の連覇。
2000年
開催時期を5月から3月末に変更。
出走資格が「4歳(現3歳)以上」から「5歳(現4歳)以上」に変更。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる。
2003年 – 外国馬が初めて出走(ディスタービングザピースとエコーエディ)。地方所属馬も初出走となる(ネイティヴハート(船橋))。
安藤勝己が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
2007年
国際GIに格付け。
日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。
2009年 – 第30回優勝馬キングヘイローの仔・ローレルゲレイロが優勝、史上初の父仔制覇。
2011年
中京競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝1200mで施行[5]、毎日杯と同日開催になる[6]
グローバル・スプリント・チャレンジに参加、第2戦に組み込まれる。
3月11日に発生した東日本大震災を受け、「東北関東大震災被災地支援競馬」として実施。
キンシャサノキセキが本競走初の連覇を達成すると共に、中京・阪神の両方の開催地で制覇。
堀宣行が調教師として史上初の連覇。
4位入線のダッシャーゴーゴーが進路妨害により11着に降着。
2012年 – 出走馬選定方法が変わり、レーティングで上位5頭に優先出走を認める。

高松宮記念 歴代優勝馬

高松宮記念 中距離競走(芝2000m)時代

回数  施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1971年6月27日 シュンサクオー 牡5 2:00.1 飯田明弘 小林稔 岩佐俊策
第2回 1972年6月25日 ジョセツ 牝5 2:01.8 岡部幸雄 鈴木清 中村勝五郎
第3回 1973年6月24日 タケデンバード 牡4 2:01.0 蓑田早人 稲葉秀男 武市伝一
第4回 1974年6月23日 ハイセイコー 牡4 2:00.4 増沢末夫 鈴木勝太郎 (株)ホースマンクラブ
第5回 1975年6月22日 イットー 牝4 2:00.2 簗田善則 田中好雄 (有)荻伏牧場
第6回 1976年6月27日 フジノパーシア 牡5 2:01.3 大崎昭一 柴田寛 真田繁次
高橋金次
第7回 1977年6月26日 トウショウボーイ 牡4 2:03.8 武邦彦 保田隆芳 トウショウ産業(株)
第8回 1978年6月25日 ヤマニンゴロー 牡4 2:03.2 古川隆文 諏訪佐市 土井宏二
第9回 1979年6月24日 ネーハイジェット 牡3 1:59.8 松本善登 布施正 (株)大丸企業
第10回 1980年6月22日 リンドプルバン 牡4 2:01.1 田原成貴 見上恒芳 (株)デルマークラブ
第11回 1981年6月28日 ハギノトップレディ 牝4 2:01.8 伊藤清章 伊藤修司 日隈広吉
第12回 1982年6月27日 カズシゲ 牡5 2:00.5 田原成貴 須貝彦三 (株)ホースメン
第13回 1983年6月26日 ハギノカムイオー 牡4 2:01.1 伊藤清章 伊藤修司 日隈広吉
中村和夫
第14回 1984年6月24日 キョウエイレア 牡5 2:03.9 田島信行 久保田金造 松岡正雄
第15回 1985年6月23日 メジロモンスニー 牡5 2:03.5 清水英次 大久保正陽 メジロ商事(株)
第16回 1986年6月22日 ラグビーボール 牡3 2:01.3 河内洋 田中良平 小田切有一
第17回 1987年7月12日 ランドヒリュウ 牡5 1:59.8 村本善之 小林稔 木村善一
第18回 1988年7月10日 オグリキャップ 牡3 1:59.0 河内洋 瀬戸口勉 佐橋五十雄
第19回 1989年7月9日 メジロアルダン 牡4 1:58.9 河内洋 奥平真治 (有)メジロ牧場
第20回 1990年7月8日 バンブーメモリー 牡5 1:59.4 武豊 武邦彦 武田辰一
第21回 1991年7月7日 ダイタクヘリオス 牡4 1:59.4 加用正 梅田康雄 中村雅一
第22回 1992年7月12日 ミスタースペイン 牡4 2:00.6 石橋守 橋口弘次郎 架谷外茂次
第23回 1993年7月11日 ロンシャンボーイ 牡4 1:59.0 清山宏明 小原伊佐美 清岡政徳
山本次郎
第24回 1994年7月10日 ナイスネイチャ 牡6 2:00.7 松永昌博 松永善晴 豊嶌泰三
第25回 1995年7月9日 マチカネタンホイザ 牡6 2:02.6 柴田善臣 伊藤雄二 細川益男


高松宮記念 短距離競走(GI・芝1200m)時代

回数 施行日      優勝馬     性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第26回 1996年5月19日 フラワーパーク 牝4 1:07.4 田原成貴 松元省一 吉田勝己
第27回 1997年5月18日 シンコウキング 牡6 1:08.0 岡部幸雄 藤沢和雄 安田修
第28回 1998年5月24日 シンコウフォレスト 牡5 1:09.1 四位洋文 栗田博憲 安田修
第29回 1999年5月23日 マサラッキ 牡6 1:08.0 藤田伸二 増本豊 丸井正貴
第30回 2000年3月26日 キングヘイロー 牡5 1:08.6 柴田善臣 坂口正大 浅川吉男
第31回 2001年3月25日 トロットスター 牡5 1:08.4 蛯名正義 中野栄治 高野稔
第32回 2002年3月24日 ショウナンカンプ 牡4 1:08.4 藤田伸二 大久保洋吉 国本哲秀
第33回 2003年3月30日 ビリーヴ 牝5 1:08.1 安藤勝己 松元茂樹 前田幸治
第34回 2004年3月28日 サニングデール 牡5 1:07.9 福永祐一 瀬戸口勉 後藤繁樹
第35回 2005年3月27日 アドマイヤマックス 牡6 1:08.4 武豊 橋田満 近藤利一
第36回 2006年3月26日 オレハマッテルゼ 牡6 1:08.0 柴田善臣 音無秀孝 小田切有一
第37回 2007年3月25日 スズカフェニックス 牡5 1:08.9 武豊 橋田満 永井啓弍
第38回 2008年3月30日 ファイングレイン 牡5 1:07.1 幸英明 長浜博之 (有)社台レースホース
第39回 2009年3月29日 ローレルゲレイロ 牡5 1:08.0 藤田伸二 昆貢 (株)ローレルレーシング
第40回 2010年3月28日 キンシャサノキセキ 牡7 1:08.6 四位洋文 堀宣行 吉田和美
第41回 2011年3月27日 キンシャサノキセキ 牡8 1:07.9 U.リスポリ 堀宣行 吉田和美

高松宮記念の記録

レースレコード – 1:07.1[7](第38回優勝馬ファイングレイン)
2着との最大着差 – 3 1/2馬身(第32回優勝馬ショウナンカンプ)
最高齢勝利 – 8歳(第41回優勝馬キンシャサノキセキ)
最多勝利騎手 – 3勝 藤田伸二(第29、32、39回)- すべてGIで勝利。
武豊(第20、35、37回) – GI2勝。
柴田善臣(第25、30、36回) – GI2勝。GII時代最後の勝利騎手。
田原成貴(第10、12、26回) – GI1勝。GI昇格後最初の勝利騎手。
河内洋(第16、18、19回) – GIは勝利できず。
中京競馬場の1日の最高総入場者数 – 74,201人(第26回)
中京競馬場の1競走の最高馬券売上げ – 260億4,495万1,400円(第27回)

高松宮記念 父仔制覇

父馬名      優勝回 仔馬名     優勝回
キングヘイロー 第30回 ローレルゲレイロ 第39回

高松宮記念との短距離GI連覇

1996年から春の短距離最強馬決定戦として施行されているが優勝馬2頭が秋のスプリンターズステークスとの短距離GI連覇をしている。また第33回優勝馬ビリーヴは前年の第36回スプリンターズステークスとの連覇をしている。
なお、本競走の優勝馬が安田記念及び秋のマイルチャンピオンシップを連覇した例は2009年現在では一度もない。

回数 施行日         馬名 性齢 優勝競走
第26回 1996年5月19日 フラワーパーク 牝4 第30回スプリンターズステークス
第31回 2001年3月25日 トロットスター 牡5 第35回スプリンターズステークス
第39回 2009年3月29日 ローレルゲレイロ 牡5 第43回スプリンターズステークス

高松宮記念 脚注

[ヘルプ]
^ 第41回(2011年)は中京競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝1200mで施行。
^ JRAデータバンク 日本中央競馬会オフィシャルサイト
^ 1995年7月9日放映東海テレビ『ドリーム競馬』 吉村功コメント
^ 競艇でも以前は「高松宮杯」という名を使っていたが、1987年2月以降から競輪や中央競馬よりも早く「高松宮記念」に名称を変更していた。参考:高松宮殿下と住之江 日本財団電子図書館
^ 本来のコースである中京芝1200mのフルゲートは18頭(コース改修後も変更無し)だが、阪神芝1200mのフルゲートは16頭に制限されているため、この年のみフルゲートが16頭に縮小された。
^ サンケイスポーツと週刊Gallop(2010年9月掲載)によると、「平年の中京裏開催期間中の時期は小倉競馬場での振替が予定されているが、小倉で高松宮記念を開催することになると、関東馬が不利になると考えられる」(2010年9月24日付け)とある。阪神での開催は「高松宮杯」時代の1979年以来であるが短距離GIへの変更、また名称が「高松宮記念」となってからは初めて他の競馬場で行われる。
^ 中京競馬場のレコードタイムはコース改修により新たな基準タイムを設定しているが、高松宮記念のレースレコードに限り引き続き現行(旧コース)のレコードタイムが適用されている。なお新コースでの最高タイムは、レースレコードを更新していない場合は参考記録扱いとなる。参考:中京競馬場のレコードタイムの取扱いについて

マーチステークスってどんなレース?

マーチステークスの基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 中山競馬場
施行時期 3月下旬
(原則3回中山2日目)
格付け GIII
1着賞金 3500万円
賞金総額 6660万円
距離 ダート1800m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(指定)

負担重量 ハンデキャップ競走
第1回施行日 1994年3月12日(重賞格上)

マーチステークスは、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場のダート1800mで施行する中央競馬の重賞(GIII・統一GIII)競走である。競走名は英語で3月の意味である「March」から。
正賞は、地方競馬全国協会理事長賞。

マーチステークス 概要

マーチステークスオープン特別時代

1984年に中山競馬場の芝内回り2000mの5歳(現4歳)以上の混合の別定のオープン特別競走、マーチステークスとして施行されたのが始まり。
1985年からは施行距離を芝外回り2200mに変更、1989年からは施行距離を芝外回り1600mにすると共に負担重量をハンデキャップに変更、1992年の競走を最後にオープン特別競走としてのマーチステークスは廃止された。
ダート重賞時代
1994年における中央競馬のダート重賞路線整備に伴い、中山競馬場のダート1800mの5歳(現4歳)以上の混合のハンデキャップの重賞(GIII)競走、マーチステークスとして新設された。
1996年からは地方所属の騎手が騎乗可能になり、1997年からは指定交流競走に指定、地方所属の競走馬も出走が可能になり、1998年からはダートグレード格付け委員会にGIII(統一GIII)に格付けされた。2006年からは国際競走に指定され、外国調教馬の出走が可能になる。
GI競走のフェブラリーステークスからかしわ記念のダートGI競走の谷間の時期に施行されている事もあり、有力馬も参戦するがハンデキャップと言う事も影響しており、GI優勝馬の勝利は2011年の優勝馬テスタマッタのみである。また、2009年の優勝馬エスポワールシチーは本競走をステップとして次走のかしわ記念を制した。
出走資格は、サラ系4歳(旧5歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬(4頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は、ハンデキャップである。

マーチステークス 歴史

1984年 – 中山競馬場の5歳(現4歳)以上の混合の別定の芝内回り2000mのオープン特別競走、マーチステークスとして施行。
1985年 – 施行距離を芝外回り2200mに変更。
1988年 – 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝1800mで施行。
1989年
負担重量をハンデキャップに変更。
施行距離を芝外回り1600mで施行。
1990年
ケープポイントが史上初の連覇。
柏崎正次が騎手として史上初の連覇。
奥平真治が調教師として史上初の連覇。
1992年 – 本年の競走を最後に廃止。
1994年 – 中山競馬場の5歳(現4歳)以上の混合のハンデキャップのダート1800mの重賞(GIII)競走、マーチステークスとして新設。
1996年 – この年から地方所属の騎手が騎乗可能となる。
1997年 – 指定交流競走に指定され、地方所属馬は5頭まで出走可能となる。
1998年
ダートグレード格付け委員会にGIII(統一GIII)に格付け。
ワイルドブラスターが2頭目の連覇。
橋本広喜が騎手として2人目の連覇。
新井仁が調教師として2人目の連覇。
2000年 – 開催時期を3月中旬から3月下旬に変更(当初は3回中山1日目)。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
施行日を日経賞と交換。この年から中京競馬場で行われる高松宮記念と同日開催となる。
2006年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
地方所属馬の出走枠が5頭から4頭に縮小。
2007年 – 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
2009年 – 中京競馬場で高松宮記念が行われる変則開催により、関西主場においての最終レースの発走時刻を16時50分に設定したことに伴い、当競走の競走番号を第11競走から第12競走に変更。
2010年 – 当競走の競走番号を第12競走から第11競走に戻す。
2011年 – 中山競馬場にて3月27日施行予定が、東日本大震災の影響により開催中止になったため、4月10日に阪神競馬場のダート1800mで順延施行。桜花賞と同日開催となり、当競走は最終レース(12レース)に組み込まれた。また、3月27日に施行した毎日杯同様、「被災地支援競走」として施行された。

マーチステークス 歴代優勝馬

マーチステークス オープン特別

施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
1984年3月4日 ハヤテミグ 牡4 2:02.3 郷原洋行 野平好男
1985年3月3日 オンワードカメルン 牡4 2:16.0 中野栄治 二本柳俊一
1986年3月2日 ブラックスキー 牡4 2:16.1 田村正光 矢野照正
1987年3月7日 アサカツービート 牡6 2:15.8 的場均 元石正雄
1988年3月27日 ランニングフリー 牡5 1:50.1 菅原泰夫 本郷一彦
1989年3月26日 ケープポイント 牡6 1:34.9 柏崎正次 奥平真治
1990年3月24日 ケープポイント 牡7 1:34.9 柏崎正次 奥平真治
1991年3月23日 タケデンビクトリー 牡4 1:36.4 蛯沢誠治 秋山史郎
1992年3月28日 マイネルヨース 牡4 1:35.1 篠原茂 中島敏文

マーチステークス 重賞格付け以後

回数 施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1994年3月12日 バンブーゲネシス 牡5 1:50.0 武豊 武邦彦
第2回 1995年3月11日 トーヨーリファール 牡5 1:50.5 松永昌博 松永善晴
第3回 1996年3月9日 アミサイクロン 牡6 1:53.3 平目孝志 浅野洋一郎
第4回 1997年3月8日 ワイルドブラスター 牡5 1:51.5 橋本広喜 新井仁
第5回 1998年3月14日 ワイルドブラスター 牡6 1:51.9 橋本広喜 新井仁
第6回 1999年3月13日 タヤスケーポイント 牡4 1:51.3 加藤和宏 田所清広
第7回 2000年3月25日 タマモストロング 牡5 1:49.7 小池隆生 吉永忍
第8回 2001年3月25日 アイランドオオジャ 牡5 1:50.8 中舘英二 境征勝
第9回 2002年3月24日 マンボツイスト 牡7 1:51.3 安藤勝己 古川平
第10回 2003年3月30日 スマートボーイ 牡8 1:52.0 伊藤直人 伊藤圭三
第11回 2004年3月28日 アンドゥオール 牡5 1:53.0 松永幹夫 長浜博之
第12回 2005年3月27日 クーリンガー 牡6 1:52.0 和田竜二 岩元市三
第13回 2006年3月26日 ヒシアトラス 牡6 1:51.4 横山典弘 中野隆良
第14回 2007年3月25日 クワイエットデイ 牡7 1:51.4 角田晃一 松元省一
第15回 2008年3月30日 ナナヨーヒマワリ 牡7 1:51.6 小原義之 小原伊佐美
第16回 2009年3月29日 エスポワールシチー 牡4 1:51.9 松岡正海 安達昭夫
第17回 2010年3月28日 マコトスパルビエロ 牡7 1:51.9 後藤浩輝 鮫島一歩
第18回 2011年4月10日 テスタマッタ 牡5 1:50.0 四位洋文 村山明