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「消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡」で島田明宏氏がJRA賞馬事文化賞を受賞!

JRAは、馬事文化賞に島田明宏氏著「消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡」を選出しました。


消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡」の概略

 史上最年少の20歳3か月で日本ダービーを制した前田長吉騎手の伝記。

1942年(昭和17年)春季にデビュー、その2年後の秋に徴兵され、満州に出征、戦後はシベリアに抑留、強制労働により1946年(昭和21年)2月、23歳で夭逝した。

これまで彼の人生、特に競馬界での活躍は、戦争の混乱期の短期間であったため、資料が散逸し、聞き取り調査の対象者が鬼籍に入られ、その多くが謎に包まれていた。

著者が「私のライフワークというべき作品をお届けできることを嬉しく思う」と巻頭に記しているとおり、まさに足かけ5年の歳月をかけて長吉の人生を明らかにした労作。

・受賞の理由
 受賞作の「消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡」は、1943年にクリフジに騎乗しダービージョッキーとなった前田長吉の人生を丹念に調べ上げ、今まで謎に包まれていた同騎手の人生を世に知らしめた点が評価されました。

また、近代競馬150周年を迎えた今年、その150年の中で日本がもっとも苦難に直面した第二次世界大戦中の競馬の模様、またその戦争に翻弄された騎手・前田長吉の悲運を興味深く描いた点も併せて評価されました。


・島田明宏氏のコメント
「競馬の文章を書き始めて20年以上となりますが、ずっと意識していた賞でした。自分としては遠いものと思っていたので、今回の受賞は非常に嬉しいの一言です。競馬に関する物語をこれからもずっと書き続けていきたいと思います。」


島田 明宏(しまだ あきひろ、1964年11月2日 – )は日本のライター。北海道札幌市生まれ。専門・得意分野は競馬、インタビュー、書評、紀行文など。作家・伊集院静を私淑している。

島田 明宏プロフィール

北海道札幌西高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部政治学科中退。 高校在学時サッカー札幌選抜メンバーとして国体予選に出場するも、右膝前十字じん帯断裂のため選手生活を断念。 早大在学中より執筆活動開始。テレビ朝日『プレステージ』、フジテレビ『FNN DATE LINE』、ニッポン放送の早朝番組などの構成を担当。ほぼ同時期に雑誌「GORO」「ホットドッグ・プレス」などでライター業を始める。

島田 明宏 執筆活動

島田 明宏 ノンフィクション

1987年秋から1年ほど東京中日スポーツのレース課で仕事をする。

1990年夏から武豊騎手のアメリカ遠征に同行するようになり、「Number」「別冊宝島」「競馬の達人」「おもしろ競馬塾」「ヤングマガジン」「週刊文春」「週刊アサヒ芸能」などで競馬関連の原稿を書くようになる。

並行して男性誌や自動車専門誌でF1やWRC (世界ラリー選手権)などモータースポーツ関係の取材記事、「週刊朝日」「DIME」「プレジデント」「週刊ポスト」などでノンフィクション、書評などを書く。「大人の休日倶楽部ジパング」で「益子焼紀行」「早春の鎌倉紀行」など紀行文を執筆。

島田 明宏 小説、漫画原作

集英社「青春と読書」1998年10月号に「鞍上のバレット」、1999年5月号に「ラストステッキ」、同年9月号に「ジイさんの半マイル」、日本中央競馬会「優駿」2006年6月号に「青い鞭」などの短編小説を寄稿。

学研「4年の学習」で子ども向けの物語「竹のムチがくれた夢」「まぼろしの鬼」「ナイス・ストレート」などを執筆。
講談社「BE・LOVEパフェ」に「たった一度の駒くらべ」、集英社「週刊ヤングジャンプ増刊『漫革』」に「のりこののりは法律の法」など漫画の原作を書く。

島田 明宏 連載エッセイ

「週刊競馬ブック」で「競馬は本音で」、その後「競馬ことのは」を隔週連載。「一筆啓上」も年数回。
「スポーツ報知」でGI予想コラムを連載中。
「UMAJIN」で「UMAJIN eye」、その後「島田明宏のフォーカス」を連載中。

島田 明宏 文庫解説

むかい風(伊集院静、集英社文庫、1998)
眺めのいい人(伊集院静、ゴマ文庫、2007)

島田 明宏 著書

わたしの馬が、ターフを走る(オーエス出版社、1994)
「武豊」の瞬間(集英社、1997 のち文庫、1999)
凶走(講談社、1999)
ありゃ馬こりゃ馬で勝ち馬を探せ!(講談社、1999)
蛯名正義フォトエッセイ 冷めて、静かに、熱くなれ(講談社、2000)
武豊対談集 頂上を駆ける(ザ・マサダ、2000 のち廣済堂文庫、2002)
武豊インタビュー集 戴冠(廣済堂出版、2002)
武豊インタビュー集 美技(廣済堂出版、2003)
武豊インタビュー集 躍動(廣済堂出版、2004)
ディープインパクト 無敗の三冠馬の真実(廣済堂出版、2005)
ありがとう、ディープインパクト 最強馬伝説完結(廣済堂出版、2007)
武豊インタビュー集スペシャル 勝負篇(廣済堂文庫、2007)
武豊インタビュー集スペシャル 名馬篇(廣済堂文庫、2007)
伝説の名ジョッキー 歴史をつくった天才たちの光と影(ゴマブックス、2008)
ウオッカ物語 競馬史に残る美しき名牝(廣済堂出版、2010)
消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡(白夜書房、2011)

島田 明宏 訳書

きらめく瞳に会った(ボブ・コンスタンデュロス著、山海堂、1993)

島田 明宏 賞歴

2009年 – 「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨[1]
2012年  「消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡」で馬事文化賞
島田 明宏 脚注

^ 第26回さきがけ文学賞(秋田魁新報社)

もう誰もドリームジャーニーの弟と呼ばないオルフェーヴル!年度代表馬おめでとう!!

オルフェーヴル!文句なしの年度代表馬、おめでとうございます。
現役最強牝馬、最強世代を押し退けての受賞ですからね。今年も大活躍を期待します。

もう誰もドリームジャーニーの弟と呼ばなくないでしょう。
今年はオルフェーヴルの全弟がデビューしますので、この馬も自分の名前で皆に覚えられるような競走馬になるkとを祈ります。

日本中央競馬会(JRA)は、2011年度のJRA賞でオルフェーヴル(栗東・池江泰寿きゅう舎)が年度代表馬に決まったと発表しました。

オルフェーヴルは史上7頭目の3歳クラシック三冠馬。有馬記念も制覇。オルフェーヴルは最優秀3歳牡馬も受賞。

最優秀4歳以上牡馬は、日本馬としてドバイ・ワールドカップを初めて制したヴィクトワールピサ。
最優秀4歳以上牝馬には、ジャパンカップ優勝でGI通算6勝目を挙げ、有馬記念を最後に引退したブエナビスタ。 

アドマイヤコスモス、骨折ですね・・・。もう少し早く競争中止にできなかったかな・・・。

1月5日、中山競馬場で開催された中山金杯で、16着に敗れたアドマイヤコスモスは右第3中手骨複骨折を発症していたそうです。

中手骨複骨折・・・。
これは、通常だと予後不良になるケースですね。
もしかすると、競争能力は喪失するかもしれませんが、これだけの馬です、何とか命だけでも助かって欲しい。

恐らくアドマイヤコスモスは骨折していながらも頑張ってしまったのでしょう。
4コーナーに入ってもアドマイヤコスモスは怪我した方の脚をかばって逆手前で走ってましたからね。
そして直線の坂を登り切ったところでは脚がガクガクしていました・・・。

正直、もう少し早く止めることが出来なかったのかと思います。
直線の半ばではもう馬は脚をかばって走っているのがわかりますから、騎手は異常が分かるはずです。


アドマイヤコスモスは父アドマイヤマックス、母アドマイヤラピス(母父Be My Guest)という血統で、半兄に中山金杯を連覇したアドマイヤフジなどがいる。名古屋で2連勝した後、中央に再転入。そこから5連勝、前走の福島記念(GIII、芝2000m)で重賞初制覇を飾っており、中山金杯では圧倒的な1番人気に推されていました。

2012年1月5日初月無料予想は、回収率273.6%!的中率66.7%でした。このメルマガを公開します。

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*各馬の選定理由についてのコメントは、初月無料メルマガの実績公開では、省いています。
今回は、メルマガ内容の公開のご要望が多いため、その選定理由部分も敢えて公開させていただきます。

今日は、的中率を重視し、3連複は狙わず、ワイドだけで攻めました。もし3連複を賭けていれば、京都7レースでは、2800円(10点)的中、中山金杯では、7960円(10点)的中でした。
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穴馬ワイド・3連複・個人年金馬券2012/1/5(木)
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明けましておめでとうございます!本年も年間大幅プラスを狙って参りますので、
よろしくお願いいたします。

※馬券は穴軸馬から基本的にはワイドに流します。(3連複は現在、調整中です)
(ヒモ馬は、特に指示のない場合は、馬連の人気上位5頭です)

本日の厩舎・騎手・馬主の人脈複合と勝負気配オッズ把握システム分析から浮かび上がった
穴軸馬は、下記の通りです。

京都4レース3番トイボックス 4着

☆幸騎手から北村友一騎手に乗り替わり。北村騎手と木原師のコンビは、複勝率5割を越えます。
ここは年明け初勝利を狙ってきたとみて間違いないでしょう。

買い目3番~2、7、10、15へワイドで流します。

京都7レース3番トップオブカハラ1着 

☆降級馬です。1000万でも2着の実績があり500万はいつでも勝てる実力があります。
このメンバーなら上がり3ハロンは圧倒的1位。今回は3走前の京都のリベンジ狙いです。

買い目3番~4、7、9、13,16へワイドで流します。ワイド3-4 710円的中 ワイド3-7 700円的中

中山11レース11番ダイワファルコン2着

☆前走は馬体が絞れていなかった。中山コースは9戦5勝と適性高い。今回はブリンカー着用で
内側にもぐりこみ最後の直線に賭ける気配。前走の惨敗でハンデも手ごろ。

買い目11番~5、6、8、12、13へワイドで流します。ワイド11-6 1440円的中 ワイド11-12 980円的中

本日の予想は以上となります。ジワジワ勝ちにいきますので、よろしくお願いいたします。

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京都金杯、公開予想で軸にしショウリュウムーンは4着!小牧騎手コメントの通り、3着は欲しかったです。

京都金杯、レース後の騎手コメント

・ショウリュウムーン 4着 小牧騎手 3着は欲しかった。理想のポジションを取れたし、ちょうどいいところだった。最後も伸びているんだけど。

 ・アスカトップレディ 3着 酒井騎手 
1600メートルだったらしっかりこれると分かった。ただ外枠だったので、なかなか前に壁を作れなかった。それでも最後の手ごたえからして、かわせると思ったんですが。


・オセアニアボス 7着 武豊騎手 スタートが以前より出なくなっている。それでポジションが後ろになってしまった。ペースが速くなったので、いいかなと思ったんだけどね。最内の進路を取れて伸びているが。1400メートルがベストかな。

・ブリッツェン 9着 秋山騎手 いい馬でした。うまくかみあえば、もっとやれそうです。

・ヤマカツハクリュウ 10着 川須騎手 テンは押していって、ポジションを取りに行きました。その分、最後はダラダラという感じになってしまいました。

・オースミスパーク 11着 川島騎手 何が何でも行ってくれという指示だったんですが、シルポートが速かったので…。最後は盛り返していました。
 

上原博之師、東西金杯で見事に馬券に絡みました!ダイワメジャーを育てた厩舎ですから、今年は期待大ですね!

中山金杯のダイワファルコンは、惜しくも2着。京都金杯マイネルラクリマは、余裕の勝利。

管理する上原博之師は、中央大学卒のインテリ調教師。昨年は21勝で調教師リーディングで48位。開業20年目で今年ブレイクするかもしれません。注目します。


上原博之

出身地 茨城県土浦市
(出生は千葉県我孫子市)
生年月日 1957年1月25日(54歳)
所属団体 日本中央競馬会
初免許年 1993年(1994年開業)
重賞勝利 19勝
G1級勝利 5勝
経歴
所属 柄崎義信(1980年 – 1983年、調教助手)
和田正道(1983年 – 1993年、調教助手)
美浦T.C.(1994年 – 現在)

上原 博之(うえはら ひろゆき、1957年1月25日 – )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する調教師。主な管理馬にGI競走で5勝を挙げたダイワメジャーがいる。所属場は美浦トレーニングセンター。茨城県土浦市出身、茨城県立土浦第三高等学校を経て中央大学法学部卒。

上原 博之 経歴

1957年、千葉県我孫子市に生まれる。1歳の時に茨城県土浦市に転居し、以後土浦で育った。父親は農協系の団体職員で獣医師資格を持ち、この影響もあって幼少の頃から動物好きだった。

土浦第三高等学校では父の勧めで馬術部に所属。3年次には主将を務め、1974年の茨城国体では県代表選手として個人準優勝、団体で優勝を経験している。高校卒業後は馬術選手としての推薦で中央大学に進み、ここでも3、4年次に主将を務めた。大学時代は4年次に出場した関東大学馬術選手権で優勝、全日本学生選手権では個人3位、団体5位の成績を残した。

就職先には日本中央競馬会を希望していたが採用されず、留年を選択した後に乗馬インストラクターの資格を取得するためイギリスに留学。4ヶ月間の研修を経て帰国の翌春に大学を卒業し、静岡県御殿場市のホテル兼乗馬クラブにアシスタントマネージャー兼インストラクターとして就職した。しかし半年後、恋人(後の妻)と美浦トレーニングセンターを見学に訪れた際、知己であった獣医師に競走馬の調教に携わることを勧められ、直後に日本中央競馬会の調教助手資格を取得。1980年11月、紹介を受けた同場所属の調教師・柄崎義信厩舎に入った。

柄崎厩舎で3年過ごした後、和田正道厩舎へ移籍。ドバイでの研修などを経て調教師を志すようになり、1993年に通算5度目の受験で調教師免許を取得した。


上原 博之 調教師時代

1994年3月、茨城県美浦トレーニングセンターに自身の厩舎を開業。初勝利は同期開業調教師の中で最も遅く、同年7月3日の札幌開催における未勝利戦をノーブルグラスで勝ったのが最初となった。

しかし以後は順調に勝利を重ね、当年13勝を挙げた。翌1995年7月には初勝利馬ノーブルグラスが札幌スプリントステークスを制し、重賞初勝利を挙げる。当年は重賞2勝を含む24勝を挙げ、関東の優秀調教師賞を受賞。以後毎年概ね15-20勝前後の成績を維持する中堅厩舎として定着している。

2004年、管理馬ダイワメジャーが皐月賞を制し、GI競走およびクラシック競走初制覇を果たす。同馬は後に競走能力に影響を及ぼす喘鳴症を発症して低迷に陥ったが、手術を施した後は立て直すことに成功し、2007年末の引退までに5つのGI競走に優勝した。

同馬に代表されるように、「ダイワ」を冠名とする有力馬主・大城敬三所有馬の関東における主戦厩舎を担っている。また、自身の管理馬が出走しないGI競走当日には、テレビの競馬中継で解説者としての出演もこなす。

上原 博之 調教師成績

     日付     競馬場・開催 競走名        馬名   頭数 人気 着順 

初出走1994年3月5日 2回中山3日12R 5歳上500万下 メイスンボサツ 16頭 12 11着
初勝利 1994年7月3日 1回札幌8日3R 4歳未勝利 ノーブルグラス 8頭 1 1着
重賞初出走 1994年4月9日 3回中山5日9R 中山大障害(春) ロンゲット 6頭 5 5着
重賞初勝利 1995年7月16日 2回札幌4日11R 札幌スプリントS ノーブルグラス 16頭 9 1着
GI初出走 1995年10月29日 4回東京8日10R 天皇賞(秋) スガノオージ 17頭 8 15着
GI初勝利 2004年4月18日 3回中山8日11R 皐月賞 ダイワメジャー 18頭 10 1着


上原 博之 主な管理馬

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
ノーブルグラス(1995・1996年札幌スプリントステークス)
スガノオージ(1995年毎日王冠 1996年カブトヤマ記念)
ダイワルージュ(2000年新潟3歳ステークス)
ダイワメジャー(2004年皐月賞、2006年天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ、2007年安田記念、マイルチャンピオンシップなど重賞8勝)
フェリシア(2004年フェアリーステークス)
ショウナンタキオン(2005年新潟2歳ステークス)
プレミアムボックス(2008年オーシャンステークス 2009年CBC賞、京阪杯)
ダイワワイルドボア(2008年セントライト記念)

松岡騎手、年明け早々痛いですね。せっかく京都金杯を勝ったのに左足骨折ですか!

松岡騎手1月5日の京都12Rで落馬、骨折です。
せっかく1年ぶりに重賞(京都金杯)を勝って、幸先の良い2012年だったのに、残念ですね。

とにかく命に別状なくて良かったです。

パトロールフィルムでは、仰向けに地面に落ちてそのまま騎乗馬に踏まれたように見えました。
もろに胸部から腹部あたりを怪我したようだったので心配しましたが、不幸中の幸いでしたね。

体調を万全にして、是非、早く復帰して欲しいですね。

それにしてもこれで約1年間で3度目の骨折です。昨年は勝ち星がいきなり半分になったり、流れが悪過ぎますね。
この骨折から立ち直って、運気も上昇させてもらいたいです。

2012年1月5日京都金杯予想

いよいよ今年の競馬が始まりますね。初月無料メルマガの予想は、配信を完了しました。
今年も、年間での大幅プラスを狙って参ります。

中山金杯の予想は、勝負レースとして初月無料メルマガで配信したため、京都金杯の予想をしてみます。
基本的には、内枠有利な馬場とみます。

本命は、9番ショウリュウムーンです。
データ的に牝馬というのがネックではありますが、前走は距離が長すぎたし、馬場が悪かった、外差し馬場にやられた等、
不利な条件が多すぎました。
今回は、ベストの距離に戻りましたし、得意な良馬場、内枠有利な傾向と条件が好転しました。
この馬から下記4頭にワイドで流します。

10サダムパテック
○8ブリッツェン
▲7ダノンシャーク
△14ガンダーラ

名古屋・新春盃は、3番人気のロードグリンが重賞初Vですね!

ロードグリンは、2012年1月3日(火)に行われた新春盃第51回新春盃(4歳上・ダ1800m、1着賞金150万円)に出走。

新春盃の距離延長がぴったり合ったのは、ロードグリンでしたね。スッと先行すると、マイペースに持ち込み、さらに2の脚を使って突き放し2馬身差を付ける快勝でした。

重賞初制覇おめでとうございます!
昨年末、重賞初制覇を成し遂げた今井貴騎手も一気にブレイクしそうです。

ロードグリン(牡7)
父:トーホウエンペラー
母:ムテキジョオー
母父:ヤエノムテキ
厩舎:愛知・竹下直人
成績:64戦24勝(重賞1勝)

新春盃

新春盃

開催地 名古屋競馬場
施行日 2012年1月3日
格付け SPII
1着賞金 200万円
賞金総額 280万円
距離 ダート1400m
出走条件 サラブレッド系4歳以上オープン・東海所属
負担重量 56kg、牝馬54kg
第1回施行日 1962年1月3日

新春盃(しんしゅんはい)は愛知県競馬組合が名古屋競馬場のダート1400mで施行する地方競馬の重賞(SPII)競走(平地競走)である。正式名称は「三重テレビ賞 新春盃」、三重テレビ放送が優勝杯を提供している。

新春盃 概要

1962年にサラブレッド系5歳(現4歳)以上の東海(笠松・愛知)所属馬限定の重賞競走「新春特別」として創設。名古屋競馬の正月開催を飾る名物競走であり、創設当初から毎年1月上旬に開催されている。翌1963年に名称を「新春グランプリ」に変更された。1983年 – 1996年の間は1月4日に固定開催、1997年からは東海地区重賞格付け制度施行によりSPII(スーパープレステージツー)に格付けされた。

2002年に名称を「新春盃」に変更され、2006年に三重テレビ放送から優勝杯の提供を受け、名称を現在の「三重テレビ賞 新春盃」に変更された。

施行距離は創設当初はダート2500m、1963年と1965年 – 1966年ではダート2100m、1964年のみダート2400m、1968年 – 1970年と1972年 – 1991年ではダート1900m、1992年 – 1998年ではダート1800m、2003年からは現在のダート1400mで施行されている。なお、1971年と1999年 – 2002年までは中京競馬場のダートコース(1971年のみダート2000m、1999年ではダート1700m、2000年 – 2002年では芝1800m)で施行された。

負担重量は創設当初から2005年までと2007年ではハンデキャップ、2006年のみ別定重量、2008年以降は定量で56キロ、牝馬は54キロである。

賞金総額は280万円で、1着賞金200万円、2着賞金46万円、3着賞金16万円、4着賞金10万円、5着賞金8万円と定められている。

新春盃 歴史

1962年 – 名古屋競馬場のダート2500mのサラブレッド系5歳(現4歳)以上の東海所属馬限定のハンデキャップの重賞競走「新春特別」として創設。
1963年
施行距離をダート2100mに変更。
名称を「新春グランプリ」に変更。
1964年 – 当年のみ、ダート2400mで施行。
1967年 – 施行距離をダート1900mに変更。
1971年 – 当年のみ、中京競馬場のダート2000mで施行。
1983年 – 施行時期を1月4日の固定開催に変更(1996年まで)。
1992年 – 施行距離をダート1800mに変更。
1997年 – 東海地区重賞格付け制度施行によりSPIIに格付け。
1999年 – 当年のみ、中京競馬場のダート1700mで施行。
2000年 – 施行場を中京競馬場のダート1000mに変更。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件を「サラブレッド系5歳以上の東海所属馬」から「サラブレッド系4歳以上の東海所属馬」に変更。
愛知の吉田稔が騎手として史上初の連覇。
愛知の瀬戸口悟が調教師として史上初の連覇。
2002年 – 名称を「新春盃」に変更。
2003年 – 施行場を現在の名古屋競馬場のダート1400mに変更。
2004年 – 愛知の宇都英樹が騎手として史上2人目の連覇。
2006年
負担重量を「ハンデキャップ」から「別定重量」に変更。
三重テレビ放送から優勝杯の提供を受け、名称を現在の「三重テレビ賞 新春盃」に変更。
2007年 – 負担重量を「別定重量」から「ハンデキャップ」に戻す。
2008年 – 負担重量を「ハンデキャップ」から「定量」に変更。


新春盃 歴代優勝馬

回数 施行年月日 優勝馬 性齢 所属 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1962年1月3日 イチタケホマレ
第2回 1963年1月4日 ヒガシフアスト 牡5
第3回 1964年1月5日 シズマサ 牡7
第4回 1965年1月10日 オーシヤチ 牡6
第5回 1966年1月9日 カネコホマレ 牡5
第6回 1967年1月8日 テツリユウ 牡7 2:03.2 藤ヶ崎一男
第7回 1968年1月7日 ゴールドロマン 牡5
第8回 1969年1月12日 ハクラン
第9回 1970年1月11日 スピーデーワンダー 牡4 愛知 2:02.6 山田義男
第10回 1971年1月10日 トモエツバメ 牡5
第11回 1972年1月9日 スズホツプオー 牡6
第12回 1973年1月7日 アワード 牡5
第13回 1974年1月6日 キンイチ 牡5 笠松 2:02.7 後藤保 梶原軍造
第14回 1975年1月5日 タニノゴールド 牝6 愛知 2:01.1 望月高司 山本榮二
第15回 1976年1月7日 サカエツキヒメ 牝7 愛知 2:01.9 迫田清美 榊原
第16回 1977年1月9日 サンキン 牡4 愛知 2:02.8 内村寛司 竹田正克
第17回 1978年1月8日 ブレーブボーイ 牝4 笠松 2:02.6 山田義男 大薮憲三
第18回 1979年1月7日 スズカオーヒメ 牝6 愛知 2:01.2 白坂芳文 西山好夫
第19回 1980年1月6日 ダイタクチカラ 牡6 笠松 1:59.9 山田義男 倉間昭夫
第20回 1981年1月7日 クインフアースター 牝6 愛知 2:04.3 宮本仁 神山明
第21回 1982年1月6日 ハローキング 牡5 愛知 2:03.1 田中敏和 野島三喜雄
第22回 1983年1月4日 ゴールドレツト 牡4 愛知 2:02.0 原口次夫 磯村林三
第23回 1984年1月4日 ハクサンハーロツク 牡5 愛知 2:02.9 坂本敏美 松村勇
第24回 1985年1月4日 ライトスラツガー 牡5 愛知 2:03.2 山内和明 瀬戸口悟
第25回 1986年1月4日 グレートローマン 牡5 愛知 2:00.8 田中敏和 野島豊
第26回 1987年1月4日 ベストシングル 牡5 愛知 2:03.8 望月高司 本名信行
第27回 1988年1月4日 サクラエイサイ 牡7 愛知 2:02.6 白坂芳文 西山好夫
第28回 1989年1月4日 ウオロービジヨン 牡6 愛知 2:01.7 黒宮高徳 山田義男
第29回 1990年1月4日 ミヤシロナイト 牡6 愛知 2:03.6 兒島真二 荒木市雄
第30回 1991年1月4日 タイツクバ 牡7 愛知 2:03.2 黒宮高徳 野島三喜雄
第31回 1992年1月4日 ハヤブサモン 牡7 愛知 1:56.3 安部幸夫 伊藤辰雄
第32回 1993年1月4日 ブルバードライジン 牡6 愛知 1:58.3 丹羽克輝 本村夫美高
第33回 1994年1月4日 メーカーロッキー 牡6 笠松 1:56.3 安藤光彰 加藤健
第34回 1995年1月4日 レットファスター 牡6 愛知 1:55.3 原口次夫 磯村林三
第35回 1996年1月4日 アメージングレイス 牡5 笠松 1:55.3 安藤勝己 荒川友司
第36回 1997年1月3日 マジックガール 牝5 愛知 1:58.0 安部幸夫 松橋寛
第37回 1998年1月2日 ナガラダンディ 牡6 愛知 1:58.0 戸部尚実 斉藤弘光
第38回 1999年1月3日 ゴールドプルーフ 牡4 愛知 1:48.1 丸野勝虎 今津勝之
第39回 2000年1月2日 ゴールデンチェリー 牝6 愛知 0:58.8 吉田稔 瀬戸口悟
第40回 2001年1月2日 シャンハイロード 牡5 愛知 1:00.4 吉田稔 瀬戸口悟
第41回 2002年1月2日 サンキューホーラー 騸7 愛知 1:00.2 丸野勝虎 本名信行
第42回 2003年1月2日 ホウザンテンユウ 牝5 愛知 1:28.9 宇都英樹 国光徹
第43回 2004年1月1日 マルブツワールド 牡4 愛知 1:26.8 宇都英樹 斉藤弘光
第44回 2005年1月2日 オグリスキー 牡5 笠松 1:28.8 安部幸夫 山中輝久
第45回 2006年1月2日 マイネフォクシー 牝5 愛知 1:28.5 丸野勝虎 竹地正樹
第46回 2007年1月1日 クィーンロマンス 牝6 笠松 1:29.3 尾島徹 山中輝久
第47回 2008年1月1日 リスポンスフウジン 牡7 愛知 1:29.9 戸部尚実 川西毅
第48回 2009年1月1日 ノゾミカイザー 牡4 愛知 1:30.2 吉田稔 錦見勇夫
第49回 2010年1月1日 ディスパーロ 牡7 愛知 1:29.2 戸部尚実 川西毅
第50回 2011年1月1日 シルバーウインド 牝5 愛知 1:29.6 宇都英樹 藤ヶ崎一男

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