2011年11月 のアーカイブ | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

スノーフェアリー故障しちゃったんですね。 香港ヴァーズを回避ですか!

エリザベス女王杯で外国調教馬による史上初の同一平地G1連覇したスノーフェアリー(牝4)が、
香港シャティン競馬場のオールウエザーコースで行われた調教で左前脚を故障したそうですね。
12月11日の香港ヴァーズ(G1、芝2400メートル=シャティン)を回避です。
けがは軽くて現役は続行ですね。
まあ残ですが、仕方ないですね。
ゆっくり治して、また来年に期待しましょう。
次はJC褒賞金がでるレースを勝って、JCを本気でとりにきてほしいです!
でもオルフェーヴルがいるから、またまたエリザベス女王杯になるかもですね。

12月3日からワールドスーパージョッキーズシリーズ開催ですね。世界から凄腕騎手がやってきます!!

阪神競馬場で第25回ワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)が開催されます。
12月3日10RゴールデンサドルT(3歳上1000万下、芝・内1400メートル)、同12RゴールデンブライドルT(3歳上1600万下、ダ1800メートル)
4日10RゴールデンブーツT(3歳上1000万下、芝・内2000メートル)、同12RゴールデンホイップT(3歳上1600万下、芝・外1600メートル)の
4レースの総合ポイントで順位が決定しますね。

騎乗馬の抽選は30日。優勝騎手、2位、3位にはそれぞれ300万円、200万円、100万円の賞金も出るんですね。
これは、みんな本気になるわけです。

出場騎手は、
ポール・ハナガン(31)=英拠点・初出場
イオリッツ・メンディザバル(37)=仏・5度目
ジョン・ムルタ(41)=愛・6度目
エドワード・ペドロサ(37)=独・初出場
ジョン・ヴェラスケス(40)=米・初出場
ラモン・ドミンゲス(35)=米・初出場
ルーク・レノン(31)=豪・初出場
ブレット・プレブル(34)=香港・3度目
吉原寛人(28)=金沢・初出場
蛯名正義(42)=美・6度目
横山典弘(43)=美・8度目
池添謙一(32)=栗・初出場
岩田康誠(37)=栗・6度目
川田将雅(26)=栗・初出場
福永祐一(34)=栗・4度目=の15ですね。
ここは、私としては、いつも馬券でお世話になっている川田将雅に、是非、優勝してもらいたいです。
あの追いは世界で十分通用するということを、見せ付けてもらいましょう!!!


鳴尾記念

鳴尾記念

開催地	阪神競馬場
施行日	2011年12月3日
施行時期	12月上旬
(原則5回阪神1日目)
格付け	GIII
1着賞金	4100万円
賞金総額	7730万円
距離	芝・外1800m
出走条件	サラ系3歳以上(国際)(特指)
出走資格も参照
負担重量	別定(本文に記載)
第1回施行日	1951年6月10日

鳴尾記念(なるおきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場の芝1800mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走である。農林水産省が賞を提供しており、正式名称は「農林水産省賞典 鳴尾記念」と表記している。
競走名はかつて兵庫県武庫郡鳴尾村(現在の西宮市)に存在した鳴尾競馬場(旧阪神競馬場)から。

鳴尾記念 概要
1951年にハンデキャップ競走として創設された。1953年の春と1954年は別定重量戦として開催された。創設当初は春・秋の年2回施行されていたが、1954年より年1回の施行となった。その後は長らく初夏に阪神競馬場の芝2400mで施行されてきたが、1971年に春季開催に移行し、1981年には距離が芝2500mに変更となった。1984年のグレード制導入時にはGIIに格付けされ、1987年には開催時期が12月となる。
1996年に宝塚記念の施行時期が7月の第3回阪神競馬8日目に移行したことにより、当競走をその前哨戦として位置づけるため、翌1997年には距離を芝2000mに短縮するとともに6月開催に変更され、併せて国際競走に指定され、外国馬は4頭まで出走可能、また、負担重量がハンデキャップから別定重量に変更された。これにより、バブルガムフェロー、ダンスパートナー、エアグルーヴ、ステイゴールドなどの有力馬がここをステップとして宝塚記念に挑んだ。しかし、2000年の番組変更で宝塚記念の施行時期が繰り上がると、前哨戦としての役割は金鯱賞へ引き継がれ、当競走はGIIIに格下げられるとともに開催時期が12月に変更、再びハンデ戦となった(距離は芝2000m)。またこのとき、国際競走から混合競走に変更された。
2006年から距離が芝2000mから芝外回り1800mに短縮され、負担重量が再度別定重量に変更された。また、国際競走にも再指定され、外国馬は5頭まで出走可能となっている。2007年から日本のパートI国昇格により、外国馬の出走枠が9頭に拡大された。
2012年より中京競馬および阪神競馬の開催日割の変更により、開催時期を6月に、距離を芝2000mに再び戻し、12月に移設される金鯱賞に代わり宝塚記念の前哨戦に指定された。
2008年から2011年まで(2010年を除く)はワールドスーパージョッキーズシリーズの開催期間中に施行されている。
出走資格はサラ系3歳以上のJRA所属馬(外国産馬含む)、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は3歳55kg、4歳以上56kg、牝馬2kg減を基本とし、更に以下のように斤量が課せられる。
日本馬は収得賞金が3,000万円を超過した馬は超過額2,000万円毎に1kg増。
外国調教馬はGI競走1着馬は5kg増、GII競走1着馬は3kg増、GIII競走1着馬は1kg増(ただし2歳時の成績を除く)。
2011年現在の総額賞金は7,730万で、1着賞金:4,100万円、2着賞金:1,600万円、3着賞金:1,000万円、4着賞金:620万円、5着賞金:410万円と定められている。

鳴尾記念 歴史
以下は、鳴尾記念(春)と(秋)と年1回制に分けている。

鳴尾記念(春)

1951年 - 阪神競馬場の芝2400mの5歳(現4歳)以上のハンデキャップの重賞競走、鳴尾記念(春)として創設。
1953年
施行距離を芝2200mに変更。
負担重量を別定に変更。
年2回制廃止、年1回制に変更。

鳴尾記念(春)歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	1951年6月10日	タカクラヤマ	牡4	2:31 3/5	橋田俊三	伊藤正四郎	平島五郎
第3回	1952年6月8日	ヒロホマレ	牡4	2:33 2/5	佐藤勇	柏谷富衛	関兵五郎
第5回	1953年6月7日	クインナルビー	牝4	2:21 4/5	境勝太郎	石門虎吉	高橋虎男

鳴尾記念(秋)

1951年 - 阪神競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、鳴尾記念(秋)として創設。
1952年 - 施行距離を芝1800mに変更。
1953年
施行距離を芝2200mに変更。
年2回制廃止、年1回制に変更。

鳴尾記念(秋) 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第2回	1951年12月16日	トラツクオー	牡3	2:33 3/5	小林稔	久保田金造	高橋虎男
第4回	1952年12月28日	クインナルビー	牝3	1:54 0/5	境勝太郎	石門虎吉	高橋虎男
第6回	1953年12月27日	ボストニアン	牡3	2:17 0/5	梅内慶蔵	増本勇	岡本治一

鳴尾記念

1954年
年2回制から年1回制に変更。
出走条件が4歳(現3歳)以上に変更。
1955年
名称を「農林省賞典鳴尾記念」に変更(ただし、1957年を除く)。
出走条件が5歳(現4歳)以上に変更。
負担重量をハンデキャップに変更。
ロイヤルウツドが史上初の連覇。
伊藤勝吉が騎手として史上初の連覇。
1957年 - 施行距離を芝2400mに変更。
1958年
セカイオーが史上初の3連覇。
島崎宏が騎手として史上初の3連覇。
加藤清一が調教師として史上初の3連覇。
1959年 - 阪神競馬場の改修工事により、中京競馬場の砂2400mで施行。
1960年 - 前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1966年 - 阪神競馬場のスタンド増設工事により、京都競馬場の芝外回り2400mで施行。
1969年 - 阪神競馬場のスタンド火災による復旧工事により、京都競馬場の芝外回り2400mで施行。
1970年 - 高橋成忠が騎手として2人目の連覇。
1979年 - 農林省の名称変更により、「農林水産省賞典鳴尾記念」に変更。
1981年 - 施行距離を芝2500mに変更。
1984年 - グレード制施行によりGIIに格付け。
1987年
開催時期を12月に変更。それに伴い、出走条件が4歳(現3歳)以上に変更。
ワールドスーパージョッキーズシリーズのため、第10競走(準メイン)で施行(1990年まで)。
1990年 - 阪神競馬場の改修工事により、京都競馬場の芝外回り2400mで施行。
1997年
施行距離を芝2000mに変更。
開催時期を6月に変更。
負担重量をグレード別定に変更。
国際競走に指定され、外国調教馬が4頭まで出走可能となる。
2000年
GIIIに格下げ。
開催時期を12月に変更。
負担重量をハンデキャップに変更。
国際競走から除外。
特別指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2006年
施行距離を芝外回り1800mに変更。
負担重量を別定に変更。
国際競走に再び指定され、外国調教馬が5頭まで出走可能となる。
2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。
2008年 - サクラメガワンダーが当競走で史上3頭目の2度目の優勝。
2012年
施行距離を芝2000mに変更。
開催時期を6月に変更。
負担重量をグレード別定に変更。

鳴尾記念 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第7回	1954年6月20日	ロイヤルウツド	牡4	2:22 2/5	近藤武夫	伊藤勝吉	永田雅一
第8回	1955年5月22日	ロイヤルウツド	牡5	2:18 1/5	清田十一	伊藤勝吉	永田雅一
第9回	1956年7月8日	セカイオー	牡4	2:15 1/5	島崎宏	加藤清一	吉木三郎
第10回	1957年6月9日	セカイオー	牡5	2:30 1/5	島崎宏	加藤清一	吉木三郎
第11回	1958年6月1日	セカイオー	牡6	2:33 1/5	島崎宏	加藤清一	吉木三郎
第12回	1959年6月7日	カツラシユウホウ	牡5	2:34 2/5	蛯名武五郎	藤本冨良	牧市太郎
第13回	1960年6月5日	トキツヒロ	牡4	2:29.0	大根田裕也	大久保房松	伊藤忠雄
第14回	1961年6月23日	シーザー	牡4	2:30.3	伊藤修司	伊藤勝吉	伊藤由五郎
第15回	1962年6月10日	グレイトスタン	牡5	2:37.6	宇田明彦	星川泉士	日高角右衛門
第16回	1963年6月9日	リユウフオーレル	牡4	2:30.0	宮本悳	橋本正晴	三好笑子
第17回	1964年6月7日	ゴウカイ	牡5	2:30.1	栗田勝	武田文吾	伊藤由五郎
第18回	1965年6月6日	バリモスニセイ	牡4	2:30.6	諏訪真	諏訪佐市	小杉咲枝
第19回	1966年6月5日	エイトクラウン	牝4	2:32.8	内藤繁春	田中康三	山口昇
第20回	1967年6月4日	アポオンワード	牡4	2:28.5	栗田勝	武田文吾	樫山(株)
第21回	1968年6月16日	ヤマピット	牝4	2:33.0	池江泰郎	浅見国一	小林信夫
第22回	1969年6月29日	ファインローズ	牝4	2:39.1	高橋成忠	坪重兵衛	吉田久博
第23回	1970年6月21日	ニューキミノナハ	牡4	2:35.5	高橋成忠	庄野穂積	岡山信一
第24回	1971年3月21日	タマホープ	牡4	2:29.9	清水久雄	増本勇	増本孝一
第25回	1972年4月2日	フイドール	牡4	2:31.2	武田博	武田文吾	小原菊枝
第26回	1973年4月1日	シンザンミサキ	牡4	2:28.1	久保敏文	久保道雄	宮本貞雄
第27回	1974年3月31日	ストロングエイト	牡5	2:30.2	中島啓之	奥平真治	(有)ハイランド牧場
第28回	1975年3月30日	ナオキ	牡6	2:27.1	佐々木昭次	田中康三	桜山ホース(株)
第29回	1976年3月28日	タイホウヒーロー	牡4	2:30.0	高橋成忠	曽場広作	大岩貴
第30回	1977年3月27日	テンポイント	牡4	2:32.6	鹿戸明	小川佐助	高田久成
第31回	1978年3月26日	エリモジョージ	牡6	2:27.5	福永洋一	大久保正陽	山本慎一
第32回	1979年3月25日	キャプテンナムラ	牡4	2:32.2	田島良保	坂口正大	奈村信重
第33回	1980年3月23日	リンドプルバン	牡4	2:29.9	田原成貴	見上恒芳	(株)デルマークラブ
第34回	1981年3月22日	ハシクランツ	牡5	2:40.9	柴田光陽	内藤繁春	(株)シンザンクラブ
第35回	1982年4月18日	マルブツウイナー	牡7	2:34.6	加用正	瀬戸口勉	大澤毅
第36回	1983年4月17日	キョウエイアセント	牡4	2:38.5	田島信行	工藤嘉見	松岡正雄
第37回	1984年3月11日	ハシローディー	牡5	2:34.9	村本善之	福永甲	(株)シンザンクラブ
第38回	1985年3月10日	ニシノライデン	牡4	2:35.7	伊藤清章	伊藤修司	西山正行
第39回	1986年3月9日	ロンスパーク	牡4	2:36.0	的場均	大久保洋吉	大原詔宏
第40回	1987年12月6日	タマモクロス	牡3	2:33.0	南井克巳	小原伊佐美	タマモ(株)
第41回	1988年12月4日	ヤエノムテキ	牡3	2:33.1	西浦勝一	荻野光男	(有)富士
第42回	1989年12月3日	ミスターシクレノン	牡4	2:31.5	松永幹夫	小林稔	藤立啓一
第43回	1990年12月2日	カチウマホーク	牡4	2:25.8	岡部幸雄	柄崎義信	島崎龍五郎
第44回	1991年12月8日	ナイスネイチャ	牡3	2:36.3	松永昌博	松永善晴	豊嶌正雄
第45回	1992年12月13日	タケノベルベット	牝3	2:39.1	藤田伸二	小林稔	武岡大佶
第46回	1993年12月11日	ルーブルアクト	牡5	2:36.3	清山宏明	小原伊佐美	(株)ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
第47回	1994年12月10日	スターマン	牡3	2:33.3	藤田伸二	長浜博之	誓山正伸
第48回	1995年12月9日	カネツクロス	牡4	2:31.3	的場均	堀井雅広	カネツ競走馬(株)
第49回	1996年12月7日	マルカダイシス	牡3	2:33.8	熊沢重文	内藤繁春	河長産業(株)
第50回	1997年6月15日	 バブルガムフェロー	牡4	2:01.4	岡部幸雄	藤沢和雄	(有)社台レースホース
第51回	1998年6月21日	 サンライズフラッグ	牡4	2:03.6	安田康彦	安田伊佐夫	(株)松岡
第52回	1999年6月20日	 スエヒロコマンダー	牡4	2:02.5	藤田伸二	松元茂樹	(株)みどり住宅
第53回	2000年12月10日	ダイタクリーヴァ	牡3	1:59.3	松永幹夫	橋口弘次郎	(有)太陽ファーム
第54回	2001年12月9日	メイショウオウドウ	牡6	1:59.8	飯田祐史	飯田明弘	松本好雄
第55回	2002年12月8日	イブキガバメント	牡6	1:59.5	河内洋	橋口弘次郎	(有)伊吹
第56回	2003年12月14日	ウインブレイズ	牡5	2:00.0	木幡初広	宗像義忠	(株)ウイン
第57回	2004年12月12日	サクラセンチュリー	牡4	2:00.7	佐藤哲三	佐々木晶三	(株)さくらコマース
第58回	2005年12月11日	メジロマントル	牡8	2:01.6	吉田豊	大久保洋吉	メジロ商事(株)
第59回	2006年12月9日	 サクラメガワンダー	牡3	1:46.9	O.ペリエ	友道康夫	(株)さくらコマース
第60回	2007年12月8日	 ハイアーゲーム	牡6	1:47.5	藤岡佑介	大久保洋吉	臼田浩義
第61回	2008年12月6日	 サクラメガワンダー	牡5	1:46.0	福永祐一	友道康夫	(株)さくらコマース
第62回	2009年12月5日	 アクシオン	牡6	1:46.5	藤田伸二	二ノ宮敬宇	中田徹
第63回	2010年12月4日	 ルーラーシップ	牡3	1:44.9	岩田康誠	角居勝彦	(有)サンデーレーシング

ステイヤーズステークス

ステイヤーズステークス

第44回ステイヤーズステークス
開催地	中山競馬場
施行日	2011年12月3日
施行時期	12月上旬
(原則5回中山1日目)
格付け	GII
1着賞金	6400万円
賞金総額	1億2200万円
距離	芝3600m(内回り2周)
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(特指)
出走資格も参照
負担重量	グレード別定(本文に記載)
第1回施行日	1967年10月8日

ステイヤーズステークスは、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場芝3600mで毎年12月に施行している中央競馬の重賞競走(GII)。
正賞はスポーツニッポン新聞社賞で、1994年度からスポーツニッポン新聞東京本社が優勝トロフィーを提供しており、正式名称は「スポーツニッポン賞 ステイヤーズステークス」と表記している。

ステイヤーズステークス 概要
中山競馬場でかつて行われていた日本最長距離ステークス(芝4000m、芝外回り2周)[1]が廃止されて以降、現在はこの競走が日本の平地競走における最長距離の競走である(GIの最長は天皇賞(春)の3200m、また障害競走の最長は中山グランドジャンプ(J・GI)=旧・春の中山大障害相当=の4250m。ただし芝4000mという距離設定は現在も残されている)。
3600mの距離は、芝内回りコースを2周。最長距離なので、スピードやスタミナ配分に注意しなくてはならず、特に競走中盤のスピードの出しすぎは禁物といわれており、騎手の手綱捌きの比重が高い競走である。
有馬記念のステップレースとなりうることも意識し、中山開幕週の土曜日のメインレースに設定されることが多い。
しかし、有馬記念には天皇賞(秋)やジャパンカップ出走組が大挙出走することもあり、ステイヤーズステークス優勝馬が好走することは少ない。
出走資格はサラブレッド系3歳(旧4歳)以上のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減を基本とし、更に以下の条件で斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。
施行日当日から過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
施行日当日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
2011年度現在の総額賞金は1億2,200万円で、1着賞金6,400万円、2着賞金2,600万円、3着賞金1,600万円、4着賞金960万円、5着賞金640万円と定められている。
^ 第2次世界大戦前に、同距離で「中山四千米」が開催

ステイヤーズステークス 歴史
1967年 - 中山競馬場の芝3600mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップ競走の重賞競走、前年まで準オープン特別として行われていた同名の競走を重賞に昇格させる形で創設。
1968年 - この年のみ、「5歳以上」の出走条件で春に開催。
1971年 - この年から12月に開催となる。但し、この年は馬インフルエンザの影響により、開催中止。
1978年 - 柴田政人が騎手として史上初の連覇。
1982年
ピュアーシンボリが史上初の連覇。
小島太が騎手として史上2人目の連覇。
1983年 - 野平祐二が調教師として史上初の3連覇。
1984年 - グレード制施行によりGIIIに格付け。
1989年
スルーオダイナが史上2頭目の連覇。
岡部幸雄が騎手として史上3人目の連覇。
矢野進が調教師として史上2人目の連覇。
1992年 - 岡部幸雄が騎手として史上3人目で2度目の連覇。
1993年
混合競走に指定。
アイルトンシンボリが史上3頭目の連覇。
畠山重則が調教師として史上3人目の連覇。
1994年
スポーツニッポン新聞東京本社より優勝杯の寄贈を受ける。
エアダブリンがコースレコード3:41.6で優勝。
1997年
GIIに格上げ。それまでのレース体系では活路を見出せないステイヤーの目標となる。同時に、ハンデキャップ競走から別定戦に改められる。
特別指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。
2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2005年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2006年
牝馬限定競走優勝馬の負担重量を軽減。
O.ペリエが騎手として史上4人目の連覇。
2007年 - 国際競走ではあるが、国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、レースレーティングがGIIの基準を満たしていないため、重賞格付け表記をJpnIIに変更。
2008年 - 30年ぶりにフルゲート(16頭)でレースが行われる。
2009年 - 重賞格付け表記をGIIに戻す。

ステイヤーズステークス 歴代優勝馬
回数	施行日	優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師
第1回	1967年10月8日	リコウ	牡5	3:53.8	横山富雄	小西喜蔵
第2回	1968年5月5日	ニウオンワード	牡4	3:54.5	森安重勝	尾形藤吉
第3回	1969年10月10日	アタックブルー	牡4	3:51.2	藤本勝彦	藤本冨良
第4回	1970年9月27日	コンチネンタル	牡4	4:02.6	津田昭	野平富久
第5回	1971年12月26日	開催中止
第6回	1972年12月29日	ジーガー	牡4	4:02.0	大和田稔	二本柳俊夫
第7回	1973年12月23日	トーヨーアサヒ	牡4	3:49.4	増沢末夫	古山良司
第8回	1974年12月22日	エクセルラナー	牡3	3:50.6	嶋田潤	藤本冨良
第9回	1975年12月20日	トウショウロック	牡4	3:51.9	加賀武見	阿部正太郎
第10回	1976年12月25日	ホッカイノーブル	牡3	4:01.7	田中清隆	野平祐二
第11回	1977年12月24日	ランスロット	牡4	3:56.4	柴田政人	高松三太
第12回	1978年12月23日	フジノハイハット	牡3	3:49.2	柴田政人	久恒久夫
第13回	1979年12月22日	サクラエイリュウ	牡3	3:51.4	森安重勝	尾形盛次
第14回	1980年12月14日	フジノハイハット	牡5	3:47.7	柴田政人	久恒久夫
第15回	1981年12月13日	ピュアーシンボリ	牡5	3:52.7	小島太	野平祐二
第16回	1982年12月19日	ピュアーシンボリ	牡6	3:50.4	小島太	野平祐二
第17回	1983年12月18日	ブライトシンボリ	牡3	3:46.8	郷原洋行	野平祐二
第18回	1984年12月9日	カネクロシオ	牡3	3:50.2	蛯沢誠治	成宮明光
第19回	1985年12月8日	ホッカイペガサス	牡4	3:53.3	柴田政人	野平祐二
第20回	1986年12月7日	シーナンレディー	牝6	3:52.7	蛯沢誠治	清水美波
第21回	1987年12月19日	マウントニゾン	牡4	3:47.9	嶋田功	森安弘昭
第22回	1988年12月11日	スルーオダイナ	牡4	3:46.3	岡部幸雄	矢野進
第23回	1989年12月10日	スルーオダイナ	牡5	3:47.3	岡部幸雄	矢野進
第24回	1990年12月8日	ドクタースパート	牡4	3:45.6	的場均	柄崎孝
第25回	1991年12月7日	メイショウビトリア	牡4	3:44.1	岡部幸雄	伊藤雄二
第26回	1992年12月12日	アイルトンシンボリ	牡3	3:47.8	岡部幸雄	畠山重則
第27回	1993年12月11日	アイルトンシンボリ	牡4	3:51.4	柴田政人	畠山重則
第28回	1994年12月10日	エアダブリン	牡3	3:41.6	岡部幸雄	伊藤雄二
第29回	1995年12月9日	ステージチャンプ	牡5	3:47.1	蛯名正義	矢野進
第30回	1996年12月7日	サージュウェルズ	牡5	3:50.5	和田竜二	岩元市三
第31回	1997年11月29日	メジロブライト	牡3	3:48.7	河内洋	浅見秀一
第32回	1998年12月5日	インターフラッグ	牡5	3:58.8	岡部幸雄	工藤嘉見
第33回	1999年12月4日	ペインテドブラック	牡3	3:46.2	横山典弘	鈴木康弘
第34回	2000年12月2日	ホットシークレット	騸4	3:45.6	柴田善臣	後藤由之
第35回	2001年12月1日	エリモブライアン	牡4	3:43.3	横山典弘	清水出美
第36回	2002年11月30日	ホットシークレット	騸6	3:45.6	岡部幸雄	後藤由之
第37回	2003年12月6日	チャクラ	牡3	3:48.2	後藤浩輝	安達昭夫
第38回	2004年12月4日	ダイタクバートラム	牡6	3:44.8	M.デムーロ	橋口弘次郎
第39回	2005年12月3日	 デルタブルース	牡4	3:47.7	O.ペリエ	角居勝彦
第40回	2006年12月2日	 アイポッパー	牡6	3:43.4	O.ペリエ	清水出美
第41回	2007年12月1日	 マキハタサイボーグ	騸5	3:44.9	吉田豊	新川恵
第42回	2008年12月6日	 エアジパング	騸5	3:48.1	横山典弘	藤原英昭
第43回	2009年12月5日	 フォゲッタブル	牡3	3:51.3	C.スミヨン	池江泰郎
第44回	2010年12月4日	 コスモヘレノス	牡3	3:43.4	松岡正海	菊川正達

ジャパンカップダート

ジャパンカップダート

第11回ジャパンカップダート
開催地	阪神競馬場
施行日	2011年12月4日
施行時期	12月上旬
(原則5回阪神2日目)
格付け	GI
1着賞金	1億3000万円
賞金総額	2億4800万円
距離	ダート1800m
出走条件	サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量	定量(3歳56kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)
第1回施行日	2000年11月25日

ジャパンカップダート(Japan Cup Dirt)とは日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場のダート1800mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走(国際招待指定)。
正賞は日本馬主協会連合会会長賞、全国公営競馬馬主連合会会長賞、地方競馬全国協会会長賞、全国公営競馬主催者協議会会長賞。

ジャパンカップダート 概要
JRAにおける最初のダートGI競走は1997年に昇格したフェブラリーステークスであったが中距離の交流GIである帝王賞や東京大賞典での熱戦、ドバイワールドカップやブリーダーズカップ・クラシックの隆盛により中央競馬においてもダート競走の主流である2000m級の距離によるダート国際競走を望む声が高まり、2000年に東京競馬場ダート2100mの競走として創設された。略称はJCD(JはJAPAN、CはCUP、DはDIRTのそれぞれの頭文字)。
外国から当競走に出走する場合には競走馬の輸送費、滞在に要する厩舎や飼料にかかる費用、馬主、調教師、騎手、厩務員(馬主、調教師、騎手についてはその配偶者も含む)の交通費や宿泊費はJRAが全額負担する。このような遠征に要する諸費用の負担を外国からの全出走馬に行う競走は日本ではこのほかにジャパンカップがある。世界ではドバイミーティング(ドバイワールドカップなど)、香港国際競走がある。なお、外国招待馬は8頭まで出走可能である。2008年からジャパン・オータムインターナショナルに指定されている。また、一定の実績を持って参戦した外国招待馬が3着以内に入着した場合に褒賞金が支給される制度がある[1]。
2008年からはジャパンカップの翌週の日曜に移動し、阪神競馬場のダート1800m[2]で施行される(関西初の国際招待GIとなる)。これに伴い、一部の競走日程が変更されている[3]。
なおファンファーレは創設以来テープ演奏であったが2004年から2006年までと2008年からは生演奏で行われている(当然阪神競馬場に変わってからは関西GIのファンファーレになった)。また2007年まで(ジャパンカップと同日開催となった2004年は除く)平地のGI競走では数少ない、土曜日に施行されていた競走である[4]。
2000年から2007年(2002年を除く)までは日曜日に開催するジャパンカップと共にジャパンカップウィークを形成していた。
負担重量は定量で3歳56kg、4歳以上57kg、牝馬は2kg減。
2011年度現在の賞金総額は2億4800万円で、1着賞金:1億3000万円、2着賞金:5200万円、3着賞金:3300万円、4着賞金:2000万円、5着賞金:1300万円と定められており、これは国内の全ダート競走において最高賞金額となっている。

ジャパンカップダート 優先出走権

ジャパンカップダート 日本馬の出走権
レーティング上位5頭に優先出走権が与えられる。そのほかの出走馬は賞金順によって決定。この方式の結果、2008年に出走したカジノドライヴは収得賞金が登録した日本馬中最下位であったため本来ならば除外の対象となっていたがピーターパンステークス(アメリカ・G2)優勝などの戦績からレーティングで登録馬全体の4位にランクされ出走が可能になった一方、同年ではエスポワールシチーが前哨戦となるトパーズステークス(当時オープン特別・現在のみやこステークス)を制したにも関わらず、賞金面で除外されたという事例がある(同馬は翌年の競走で優勝)。

ジャパンカップダート 外国馬の出走権
招待決定は例年10月下旬から11月上旬に行われている。なおジャパンカップと異なり指定レースの優勝馬(レースによっては2着馬も)に対しての優先出走権の付与は2010年現在行われていない。

ジャパンカップダート 褒賞金制度
ジャパン・オータムインターナショナルシリーズとなった2008年より、指定の海外レースに優勝もしくは2着になった競走馬がその年の当競走に出走し優勝した場合には優勝賞金に加え褒賞金を交付している。また2009年5月の改定で範囲が拡大され、3着までに入着した場合にも褒賞金が交付されることとなった。しかし、2011年に減額されてしまった。なおケンタッキーダービー・プリークネスステークス・ベルモントステークス・トラヴァーズステークスの4レースは3歳馬によるレースでそれ以外は古馬混合レースである。今なお、2010年現在で制度導入後に褒賞金を獲得した事例はない。
現在の指定競走・金額は以下の通り[5]。

2011年現在
開催国・競走名	格付	施行競馬場	施行距離	指定年	褒賞金条件
ドバイワールドカップ	G1	メイダン競馬場	オールウェザー2000m	2008年 -	
当年優勝馬の場合
1着:1億円、2着:4000万円、3着:2500万円[6]
当年2着馬の場合
1着:4000万円、2着:1600万円、3着:1000万円[7][8]
ブリーダーズカップ・クラシック	G1	持ち回り	ダート10f
ケンタッキーダービー	G1	チャーチルダウンズ競馬場	ダート10f
サンタアニタハンデキャップ	G1	サンタアニタパーク競馬場	ダート10f	

当年優勝馬の場合
1着:7000万円、2着:2800万円、3着:1800万円[9]
メトロポリタンハンデキャップ	G1	ベルモントパーク競馬場	ダート8f
スティーブンフォスターハンデキャップ	G1	チャーチルダウンズ競馬場	ダート9f
ハリウッドゴールドカップハンデキャップステークス	G1	ハリウッドパーク競馬場	オールウェザー10f
ホイットニーハンデキャップ	G1	サラトガ競馬場	ダート9f
パシフィッククラシックステークス	G1	デルマー競馬場	エコトラック10f
ジョッキークラブゴールドカップステークス	G1	ベルモントパーク競馬場	ダート10f
ウッドワードステークス	G1	サラトガ競馬場	ダート9f
プリークネスステークス	G1	ピムリコ競馬場	ダート9f
ベルモントステークス	G1	ベルモントパーク競馬場	ダート12f
トラヴァーズステークス	G1	サラトガ競馬場	ダート10f

過去
開催国・競走名	格付	施行競馬場	施行距離	指定年	褒賞金条件
ジャパンカップダート	GI	阪神競馬場	ダート1800m	2008年 - 2009年	
日本調教馬を除く前年優勝馬の場合
1着:1億円、2着:4000万円、3着:2500万円

ジャパンカップダート 問題点
創設時のコースは世界のダート競走の主流である2000mからみると半端な距離(当時はJRAの競馬場にダート2000mのコースは存在せず、後の阪神競馬場改装時に設定された)で、スタートから第1コーナーまでが短く競走馬の能力以外の有利不利があった。またダートが主流のアメリカでは赤土のようなスピードの出やすいダートが主流だが、日本のダートはスピードが出にくい。2007年に来日したスチューデントカウンシルは時計のかかる馬場向きと見てブリーダーズカップ・クラシックを回避して、このレースに出走した経緯がある[10]。
世界各国の一流馬が登録することこそあるものの開催時期が北米勢(およびクールモアグループなど一部の欧州勢)にとっての最大目標であるブリーダーズカップ・クラシックの後ということだけあって、実際に出走することは皆無である。ただし近年、アメリカのダートコースにも変化が見られるようになりオールウェザーの競馬場も増えたことからスピードの必要なアメリカ特有のダートに適性がない馬がこのレースを選ぶこともある。また1800mという距離で施行されるため、中距離馬とマイル馬の両方が出走し易くなっている。ただし日本馬のレベルの向上とアメリカ勢の惨敗が続いているためアメリカの競馬関係者の中にはジャパンカップダートに出走すること自体が無謀という考えも多くあるうえに[10]、アメリカの競馬場は全て左回りであることから今後このレースの外国の有力馬が増えるかどうかは微妙である。

ジャパンカップダート 歴史
2000年 - 東京競馬場のダート2100mの4歳(現3歳)以上の国際招待指定競走の定量のGI競走「ジャパンカップダート」として創設(創設当初の外国調教馬の招待枠は6頭まで、負担斤量は3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
外国調教馬の招待枠が8頭に拡大。
日本のクロフネがダート2100mの世界レコード2.05.9で勝利。
2002年 - 東京競馬場の改修工事により中山競馬場のダート1800mで施行。
2003年 - アメリカのフリートストリートダンサーが外国調教馬として史上初の制覇。
2004年 - ゴールデンジュビリーデーに伴い当年に限りジャパンカップと同日開催。
2005年 - 武豊が騎手として当競走初の連覇。
2006年 - 外国調教馬が1頭も出走せずに実施された(予備登録はあった)。
2007年 - 石坂正が調教師として当競走初の連覇。
2008年
開催競馬場を阪神競馬場ダート1800mに移して施行。
ジャパン・オータムインターナショナルに指定。
3歳の負担斤量が牡馬・騸馬55kg・牝馬53kgから牡馬・騸馬56kg・牝馬54kgに変更。
日本のカネヒキリが当競走で史上初の2度目の優勝を果たすと共に、東京、阪神の両方の開催地で制覇。
2009年 - 当年のみ、JRAプレミアムレースの対象レースとなる。
2010年 - 外国調教馬が1頭も出走せずに実施された[11](予備登録はあった)。
2011年 - 2年連続で外国調教馬が1頭も出走せずに実施される(当年も予備登録はあった)[12]。

ジャパンカップダート 歴代優勝馬
回数	施行日	調教国・優勝馬	性齢	勝時計	優勝騎手	管理調教師	馬主
第1回	2000年11月25日	ウイングアロー	牡5	2:07.2	岡部幸雄	南井克巳	池田實
第2回	2001年11月24日	クロフネ	牡3	2:05.9	武豊	松田国英	金子真人
第3回	2002年11月23日	イーグルカフェ	牡5	1:52.2	L.デットーリ	小島太	西川清
第4回	2003年11月29日	フリートストリートダンサー	騸5	2:09.2	J.コート	D.オニール	T.レザーマン
第5回	2004年11月28日	タイムパラドックス	牡6	2:08.7	武豊	松田博資	(有)社台レースホース
第6回	2005年11月26日	カネヒキリ	牡3	2:08.0	武豊	角居勝彦	金子真人ホールディングス(株)
第7回	2006年11月25日	アロンダイト	牡3	2:08.5	後藤浩輝	石坂正	(有)キャロットファーム
第8回	2007年11月24日	ヴァーミリアン	牡5	2:06.7	武豊	石坂正	(有)サンデーレーシング
第9回	2008年12月7日	カネヒキリ	牡6	1:49.2	C.ルメール	角居勝彦	金子真人ホールディングス(株)
第10回	2009年12月6日	エスポワールシチー	牡4	1:49.9	佐藤哲三	安達昭夫	友駿ホースクラブ
第11回	2010年12月5日	トランセンド	牡4	1:48.9	藤田伸二	安田隆行	前田幸治

ジャパンカップダート 記録
レースレコード
2:05.9[13](第2回優勝馬 クロフネ) - 東京 ダート2100m
1:48.9(第11回優勝馬 トランセンド) - 阪神 ダート1800m
2着との最大着差:7馬身(第2回優勝馬 クロフネ)

ジャパンカップダート 注釈
^ 「ジャパン・オータムインターナショナル」の勧誘策を強化 日本中央競馬会
^ 2007年11月20日のサンケイスポーツによると阪神のダート2000mはスタートが芝コースとなる関係もあり、1800mでの開催になったのではと考えられている。
^ 阪神ジュベナイルフィリーズが12月第2週目、朝日杯フューチュリティステークスが12月第3週目にそれぞれ変更となった。また、ジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定されることになる。
^ 例えば2002年のNHKマイルカップが5月5日の大国魂神社の祭事と重なるため5月4日土曜日に施行されたほか、天皇賞(春)が4月29日の固定開催だった1989年に土曜日開催となった。
^ 交付対象競走、指定外国競走、交付対象馬及び褒賞金の額
^ 2010年までは1着:1億3000万円、2着:5200万円、3着:3250万円。
^ 2010年までは1着:5000万円、2着:2000万円、3着:1250万円。
^ 2009年までは前年優勝馬には1着:1億円、2着:4000万円、3着:2500万円が交付されていたが、2010年の改定で対象から除外された。
^ 2010年までは1着:1億円、2着:4000万円、3着:2500万円。
^ a b 週刊Gallop 2007年11月25日号。
^ 【ジャパンCダート】(12月5日、阪神)~外国馬の出走はなし - ラジオNIKKEI実況競馬Web 2010年11月17日閲覧
^ ジャパンカップダート(GI)外国馬情報 外国馬の出走なし - JRA公式サイト 2011年11月20日閲覧
^ 但し2002年の東京競馬場の改修工事前の記録であり、2003年 - 2007年のレースレコードとしては2007年の第8回にヴァーミリアンが記録した2:06.7である(2011年現在はコースレコードでもある)。

エスポワールシチーは、ジャパンCダートではいらない馬かも!?

ジャパンCダートの過去10年のデータを見ると、

2、3番人気の馬は馬券になっていませんね。

09年のヴァーミリアン、ワンダーアキュートは、も掲示板に載れませんでした。

2番人気馬は10年間で04年の4着が最高の成績です。

3番人気馬は01年に2着があるだけであとは、馬券になっていません。

そうなると、おそらくトランセンドが1番人気でしょうから、2番人気のエスポワールシチーは、

3着も厳しいかも!?

鳴尾記念、弥生賞を勝っているサダムパテックには、距離がぴったりかも!?

鳴尾記念・特別登録馬18頭

エアマックール 56.0(○○)、カリバーン 56.0(蛯名)
コロンバスサークル 54.0(藤岡佑)、サダムパテック 56.0(岩田)
ショウナンマイティ 55.0(武豊)、スマートギア 56.0(北村友)
ダイワマックワン 56.0(○○)、ダノンスパシーバ 56.0(プレブル)
ダンツホウテイ 56.0(横山典)、デストラメンテ 56.0(○○)
トウショウウェイヴ 56.0(○○)、トーセンレーヴ 55.0(メンディザバル)
ヒットジャポット 56.0(川田)、フレールジャック 55.0(福永)
マゼラン 56.0(ドミンゲス)、ミステリアスライト 56.0(蛯名)
ミッキーパンプキン 56.0(池添)、レッドデイヴィス 55.0(デムーロ)

サダムパテックは、いかにも阪神1800が合いそうですね。
この距離短縮は絶好でしょう。
岩田騎手だしね。圧勝まであるかな。

ステイヤーズS、ルメール騎手で昨年の菊花賞馬ビッグウィークの大復活なるか!?

ステイヤーズS・特別登録馬25頭

イグアス 55.0(四位)、コスモヘレノス 58.0(中谷)
ゴールデンハインド 57.0(○○)、セイカアレグロ 57.0(○○)
トウカイトリック 57.0(石橋脩)、トウショウウェイヴ 57.0(吉田豊)
ドリームセーリング 57.0(荻野琢)、ナムラクレセント 58.0(和田)
ネコパンチ 57.0(吉田豊)、ピエナファンタスト 57.0(○○)
ビッグウィーク 58.0(ルメール)、ヒラボクロイヤル 57.0(○○)
ビートブラック 57.0(安藤勝)、フォゲッタブル 57.0(ウイリアムズ)
マイネルアワグラス 57.0(○○)、マイネルキッツ 58.0(三浦)
マカニビスティー 57.0(○○)、メイショウクオリア 57.0(丸山)
モンテクリスエス 57.0(田中勝)、ヤングアットハート 57.0(○○)

ビッグウィーク は、ルメール騎手なんですね。
このレースがいよいよ正念場でしょう。ライバルの一流どころに対し離して逃げるほどのスピードもなければ
上がりが使えるわけでもないこの馬が馬券に絡むには、やはり、騎手の腕だのみ。
そういう意味では、ルメール騎手なら、何かやってくれそうな期待感が高まりますね!

去年の勝ち馬トランセンドは好調!2年前の勝ち馬エスポワールシチーも気迫満点!さてさて穴馬は!?

ジャパンCダート 特別登録馬19頭

エイシンダッシュ 57.0(小牧)、エスポワールシチー 57.0(佐藤)
キングスエンブレム 57.0(○○)、サイレントメロディ 57.0(○○)
ソリタリーキング 57.0(メンディザバル)、ダイショウジェット 57.0(柴山)
ダノンカモン 57.0(福永)、テスタマッタ 57.0(四位)
トウショウフリーク 57.0(池添)、トランセンド 57.0(藤田)
ニホンピロアワーズ 57.0(酒井)、バーディバーディ 57.0(○○)
フリソ 57.0(ルメール)、マカニビスティー 57.0(藤岡佑)
ミラクルレジェンド 55.0(岩田)、メダリアビート 57.0(○○)
ヤマニンキングリー 57.0(デムーロ)、ラヴェリータ 55.0(武豊)
ワンダーアキュート 57.0(和田)

今週末はJCDですね。
トランセンドが史上初のJCD連覇を達成できるかどうか、興味津津ですね。
調子はかなり良いようですが・・・。

ただ、何かに足元をすくわれることがないとはいえません。
トランセンドは非サンデー血統で中央GⅠ複数勝利している稀有な存在ですから、
ここは是非、頑張って最優秀ダートホースを確実に決定づけてもらいたいものです。


堀宣行

堀宣行

出身地	千葉県
生年月日	1967年11月9日(44歳)
所属団体	JRA
初免許年	2002年(2003年開業)
経歴
所属	諏訪富三/厩務員(1991.8 - 1991.11)
二ノ宮敬宇/調教助手(1991.11 - 開業)
美浦T.C.(開業 - )

堀 宣行(ほり のりゆき、1967年11月9日 - )はJRA・美浦トレーニングセンターに所属している調教師。千葉県出身。

大学卒業後はサラリーマン生活を送っていた。
1991年5月、JRA競馬学校厩務員課程に入学し、8月より美浦・諏訪富三厩舎所属の厩務員となる。11月より美浦・二ノ宮敬宇厩舎所属の調教助手となる。
2002年2月、調教師免許を取得する。
2003年、厩舎を開業する。初出走は3月15日でエレガントレガーロが12着となり、5月17日にミスタータダヒロが勝利し、延べ23戦目での初勝利となった。
2006年、函館スプリントステークスをビーナスラインが制しJRA重賞初勝利を挙げる。
2010年、高松宮記念をキンシャサノキセキが制しGI初勝利。その後、天皇賞(春)をジャガーメイルが制し、同一年にJRAの最短距離と最長距離のGI勝利を達成した。
堀宣行 特徴
キンシャサノキセキ・ロックドゥカンブなど、南半球産馬を管理することが多い。
主戦騎手は内田博幸・石橋脩。ここ一番ではクリストフ・ルメールやクリストフ・スミヨンなど、外国人騎手への騎乗依頼も目立つ。
追い切りは木曜日に行うことが大半だが、土曜競馬を使う馬や出張競馬に使う馬は水曜日に追うこともある。

堀宣行 調教師成績
          日付	      競馬場・開催	競走名	馬名	     頭数	人気	着順
初出走    2003年3月15日	1回中京3日11R	鈴鹿特別	エレガントレガーロ	16頭	13	12着
初勝利	 2003年5月17日	1回東京7日2R	3歳未勝利	ミスタータダヒロ	16頭	2	1着
重賞初出走 2003年12月6日	6回中山1日11R	ステイヤーズS	マイネルエスケープ	10頭	9	6着
重賞初勝利 2006年7月2日	1回函館6日11R	函館スプリントS	ビーナスライン	13頭	13	1着
GI初出走	 2006年5月17日	2回東京6日11R	NHKマイルC	キンシャサノキセキ	18頭	6	3着
GI初勝利 2010年3月28日	2回中京8日11R	高松宮記念	キンシャサノキセキ	18頭	1	1着

堀宣行 主な管理馬
ビーナスライン(2006年函館スプリントステークス)
ジョリーダンス(2007年、2009年阪神牝馬ステークス)
スプリングドリュー(2007年福島牝馬ステークス)
ロックドゥカンブ(2007年ラジオNIKKEI賞、セントライト記念)
キンシャサノキセキ(2008年函館スプリントステークス、2009年スワンステークス、阪神カップ、2010年オーシャンステークス、高松宮記念、阪神カップ、2011年高松宮記念)
アリゼオ(2010年スプリングステークス、毎日王冠)
ジャガーメイル(2010年天皇賞(春))
クォークスター(2010年セントライト記念)
リアルインパクト(2011年安田記念)

堀宣行 主な厩舎所属者
菅沼輝正(2003年-現在 調教助手)
松田幸吉(2010年-現在 調教助手)
宗像徹(2011年-現在 調教助手)
高橋智大(2011年-現在 調教助手)

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