競馬用語&競走馬 た行 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

ダノンカモン、ついに重賞制覇かな!?

ダノンカモンは、昨年のマイルCS南部杯で、超ハイペースで逃げたエスポワールシチーと追走したトランセンドにぴったりついていきました。

しかも最後には、エスポワールシチーを競り落としてトランセンドとゴールへなだれ込んだのですから、今回の根岸ステークスで実力が違うかもしれませんね。

鞍上も福永騎手ですしね。昨年負けたセイクリムズンは1キロ多く背負わされていますし、休み明けなのでいまひとつ、冴えないようです。

ダノンカモン勝ち負けでしょうね。

馬名 ダノンカモン[現役] 調教師 池江 泰寿(栗東) 戦績 27戦[7-7-2-11] 父 シンボリクリスエス
性齢[毛色] 牡6[黒鹿毛] 馬主 株式会社 ダノックス 総賞金 27,181万円 母 シンコウエンジェル
生年月日 2006年2月8日 生産者 ノーザンファーム 収得賞金 9,000万円 母父 Ogygian

開催日 競馬場 競走名 コース 馬場 頭数 枠番 馬番 オッズ 人気 着順 負担重量(kg) 騎手 調教師 馬体重(kg)タイム 着差
(秒) 上3F 通過順位 1(2)着馬
12/01/29 東京 根岸S GIII ダ1400 16 3 5 — — — 56.0 福永祐一 池江泰寿 — ** — — — —
11/12/04 阪神 JCダート GI ダ1800 良 16 7 13 14.5 4 5 57.0 福永祐一 池江泰寿 528(+2) ** 1.51.1 0.5 37.5 7- 8- 4- 4 トランセンド
11/11/13 東京 武蔵野S GIII ダ1600 稍 16 6 12 1.7 1 2 56.0 三浦皇成 池江泰寿 526(0) ** 1.35.3 0.1 35.8 3- 3 ナムラタイタン
11/10/10 東京 MCS南部杯 ダ1600 良 15 4 6 8.8 3 2 57.0 福永祐一 池江泰寿 526(-2) ** 1.34.8 0.0 36.6 3- 3 トランセンド
11/09/19 阪神 エニフS オープン ダ1400 良 10 6 6 3.4 2 1 59.0 福永祐一 池江泰寿 528(+4) ** 1.23.7 -0.2 35.7 3- 3 ケイアイガーベラ
11/07/10 京都 プロキオンS GIII ダ1400 良 16 7 13 5.6 3 2 56.0 和田竜二 池江泰寿 524(-2) ** 1.22.5 0.4 36.2 6- 4 シルクフォーチュン
11/02/20 東京 フェブラリー GI ダ1600 良 16 4 7 7.6 5 4 57.0 リスポリ 池江泰寿 526(0) ** 1.36.8 0.4 36.1 8- 7 トランセンド
11/01/30 東京 根岸S GIII ダ1400 良 16 3 5 4.8 3 2 56.0 三浦皇成 池江泰寿 526(-10) ** 1.23.2 0.2 35.4 5- 5 セイクリムズン
11/01/15 京都 大和S オープン ダ1400 良 16 2 3 2.1 1 1 57.0 和田竜二 池江泰寿 536(+8) ** 1.24.0 -0.1 35.6 9- 8 ナムラタイタン
10/12/19 阪神 ギャラクシー オープン ダ1400 良 16 2 4 3.5 2 2 57.0 和田竜二 池江泰寿 528(+6) ** 1.22.9 0.4 36.3 3- 3 ケイアイガーベラ
10/11/14 東京 武蔵野S GIII ダ1600 良 16 8 15 9.2 4 2 56.0 三浦皇成 池江泰寿 522(+4) ** 1.36.7 0.1 35.7 4- 3 グロリアスノア
10/10/09 東京 ペルセウスS オープン ダ1400 稍 16 1 2 3.6 1 1 55.0 三浦皇成 池江泰寿 518(0) ** 1.23.4 -0.2 36.4 3- 3 タガノクリスエス
10/09/25 阪神 大阪スポ杯 1600万下 ダ1400 良 16 7 13 3.8 2 1 58.0 武豊 池江泰寿 518(-6) ** 1.23.2 -0.0 36.2 4- 3 エーシンクールディ
10/07/17 新潟 柳都S 1600万下 ダ1800 良 15 2 3 4.0 1 4 58.0 松岡正海 池江泰寿 524(0) ** 1.51.4 0.4 37.2 5- 4- 4- 4 タガノクリスエス
10/06/26 阪神 安芸S 1600万下 ダ1400 不 16 3 6 2.4 1 5 57.0 岩田康誠 池江泰寿 524(-6) ** 1.23.8 0.5 36.8 5- 5 ティアップワイルド
10/05/09 東京 オアシスS オープン ダ1600 良 16 2 3 2.9 1 3 55.0 岩田康誠 池江泰寿 530(+2) ** 1.35.5 0.2 36.0 3- 3 ダイショウジェット
10/01/16 京都 大和S オープン ダ1400 良 13 4 5 3.0 1 4 54.0 岩田康誠 池江泰寿 528(+4) ** 1.23.0 0.1 36.4 5- 6 オーロマイスター
09/12/19 阪神 ギャラクシー オープン ダ1400 良 16 8 16 3.4 1 2 54.0 岩田康誠 池江泰寿 524(+4) ** 1.23.6 0.4 36.9 6- 6 ケイアイテンジン
09/11/22 東京 霜月S オープン ダ1400 良 14 5 8 2.9 1 3 54.0 石橋脩 池江泰寿 520(-4) ** 1.23.8 0.3 35.4 10-10 ワンダーポデリオ
09/10/17 東京 秋嶺S 1600万下 ダ1600 良 16 5 10 8.8 6 1 55.0 石橋脩 池江泰寿 524(+8) ** 1.36.5 -0.6 36.2 3- 2 アンダーカウンター
09/09/21 阪神 西宮S 1600万下 芝1800 良 18 1 2 23.1 8 11 53.0 川田将雅 池江泰寿 516(-2) ** 1.46.4 1.6 36.1 7- 8 ナムラクレセント
09/08/16 新潟 天の川S 1600万下 芝2000 良 18 4 7 26.3 7 9 54.0 戸崎圭太 池江泰寿 518(-10) ** 2.00.1 0.9 33.4 12-11 ホーマンファラオ
09/05/09 京都 京都新聞杯 GII 芝2200 良 16 2 3 17.2 7 8 56.0 岩田康誠 池江泰寿 528(+10) ** 2.14.3 1.3 35.7 3- 3- 4- 4 ベストメンバー
09/02/15 京都 きさらぎ賞 GIII 芝1800 良 10 2 2 13.4 5 6 56.0 岩田康誠 池江泰寿 518(-12) ** 1.50.0 1.1 35.6 5- 6 リーチザクラウン
08/12/27 阪神 さざんかS オープン 芝1400 良 8 5 5 1.7 1 6 56.0 ペリエ 池江泰寿 530(+10) ** 1.23.7 0.9 36.7 4- 3 タイガーストーン
08/11/22 東京 東スポ2歳S GIII 芝1800 良 14 6 9 4.4 2 4 55.0 福永祐一 池江泰寿 520(-6) ** 1.48.1 0.4 33.4 12-11-11 ナカヤマフェスタ
08/10/25 東京 いちょうS オープン 芝1600 良 12 5 6 11.2 4 1 55.0 福永祐一 池江泰寿 526(+6) ** 1.35.0 -0.1 33.8 9-10 ケイアイライジン
08/09/06 新潟 2歳新馬 芝1600 良 13 4 4 1.7 1 1 54.0 福永祐一 池江泰寿 520(-) ** 1.38.1 -0.1 33.3 7- 7 ナスノロビン

キングカメハメハ産駒(トゥザグローリー)は京都芝2400m外(第59回日経新春杯)で勝てる?

キングカメハメハ産駒の京都芝2400m外の成績は4勝、2着1回、3着4回、着外18回です。

勝率14.8% 連対率18.5% 複勝率33.3%でぅ。

回収率は、単勝124%、複勝は55%です。人気になる馬が多くて、結構勝ちきっているということですね。

今回、圧倒的な一番人気になりそうな、トゥザグローリーからの馬券を考えるなら、馬単勝負か3連単勝負!かもしれませんね。

なにしろトゥザグローリーは、もう5歳にはありましたが、まだまだ成長をみこめそうな馬です。
完成されていないように見える分、もしかしたら、その伸びシロはオルフェーブル以上かも。

今回は、まさに池江師の腕しだいですね。
あのメジロマックイーン、ディープインパクト、ドリームジャーニーを育ててきた池江師なら、日経新春杯は、トゥザグローリーとともに勝ちきりそうです!

 

 

 

天馬賞

天馬賞

開催地 帯広競馬場
格付け BG1
1着賞金 100万円
距離 直線200m
出走条件 ばんえい5歳オープン
負担重量 別定重量
第1回施行日 2008年1月3日


天馬賞(てんましょう)は、帯広市が帯広競馬場で開催するばんえい競馬の重賞競走。

天馬賞 概要

4歳(明け5歳)のばんえい競走馬による重賞競走として、2007年度より新設。チャンピオン決定戦として位置づけられ、BG1に格付けされた。

明け5歳馬限定の競走はばんえい競馬ならではのものであり、平地では極めて少ない。ばんえい競馬では古馬(3歳以上)とは別に3・4歳馬によるクラス分けも行われており、3歳馬限定のチャンピオン決定戦はばんえいダービーなどがあるものの、4歳馬によるチャンピオン決定戦は明確になっていなかったため新たに本競走が創設され、4歳馬の重賞路線が整備された。

創設当初より正月開催期間に施行しており、帯広記念とともに正月開催の目玉競走として定着しつつある。
2010年度の賞金総額は150万円。1着賞金は100万円で、以下2着25万円、3着12万円、4着8万円、5着5万円。

天馬賞 歴代優勝馬

回数 施行日 開催地 天候 馬場
水分 優勝馬 性齢 ばんえい
重量 タイム 優勝騎手 管理調教師
第1回 2008年1月3日 帯広 晴 4.6% マルミシュンキ 牡5 770 1:49.1 松田道明 今井茂雅
第2回 2009年1月4日 帯広 晴 3.7% アローファイター 牡5 760 2:25.9 鈴木恵介 高嶋紳一
第3回 2010年1月3日 帯広 晴 4.2% オレワスゴイ 牡5 760 1:50.8 藤本匠 皆川公二
第4回 2011年1月3日 帯広 晴 1.9% キタノタイショウ 牡5 760 1:41.8 大河原和雄 服部義幸

ディープインパクト 日本競馬史上の最強馬!?

ディープインパクトは、日本競馬史上の最強馬かも知れませんね。

次点はシンボリルドルフかなあ。

オルフェーブル、どこまでこの2頭に迫れるのか、2012年が勝負でしょうね。

ディープインパクトの産駒が無敗でクラシック三冠・有馬・JC・秋天・宝塚の国内7冠を制し、さらに海外G1も勝ち無敗8冠又は9冠で引退・・というドリームも今後ありうるかもしれません。

ブリランテ・ワールドエース・アダムスピーク・スピルバーグなど2012年の飛躍が期待できる馬たちが多いですからね。

ディープインパクト

現役期間 2004年 – 2006年
英字表記 Deep Impact
香港表記 大震撼
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 2002年3月25日
抹消日 2006年12月25日
父 サンデーサイレンス
母 ウインドインハーヘア
母の父 Alzao
生国 日本(北海道早来町)
生産 ノーザンファーム
馬主 金子真人→金子真人ホールディングス(株)
調教師 池江泰郎(栗東)
厩務員 市川明彦
競走成績
生涯成績 14戦12勝
(中央競馬13戦12勝)
(フランス1戦0勝)
獲得賞金 14億5455万1000円
※歴代2位(引退時)
WTRR L124-E118 / 2005年
L127-E123 / 2006年
勝ち鞍 GI:皐月賞(2005年)、東京優駿(2005年)、
菊花賞(2005年)、天皇賞(春)(2006年)、
宝塚記念(2006年)、ジャパンカップ(2006年)、
有馬記念(2006年)
GII:弥生賞(2005年)、神戸新聞杯(2005年)
阪神大賞典(2006年)

ディープインパクト(Deep Impact、2002年(平成14年)3月25日 – )は史上6頭目のクラシック三冠馬(史上2頭目の無敗での三冠馬)である。

2005年(平成17年)、2006年(平成18年)JRA賞年度代表馬、2005年(平成17年)JRA賞最優秀3歳牡馬、2006年(平成18年)JRA賞最優秀4歳以上牡馬。 2008年(平成20年)にはJRA顕彰馬に選出された。

ディープインパクト デビュー前

ディープインパクト ノーザンファーム時代

ディープインパクトは2002年(平成14年)3月25日[注 1]に北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれた[注 2]。ノーザンファーム場長の秋田博章は生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと証言している。

0歳時にセレクトセールに上場されたディープインパクトは、金子真人に7000万円で落札された。馬体の薄さが嫌われたのか、上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目の落札価格だった。購入した金子はこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた。

ディープインパクトは0歳10月にノーザンファーム遠浅の1歳馬用の厩舎に移動した[3]。関節に不安があると判断されたため、遠浅に移動した翌日から「パドック」と呼ばれる小さな放牧地に入れられて運動を制限された。

広い場所で放牧されるようになったのはそれから約1か月後だった。ノーザンファーム場長の秋田は遠浅時代のディープインパクトについて、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い蹄(身体的特徴の項目を参照)を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと証言している。

1歳9月にはノーザンファーム早来に移り育成を受けた。小柄で繊細な面があったため、女性スタッフが育成を担当した[5]。その育成担当スタッフやノーザンファーム場長の秋田は共にディープインパクトの柔軟性の高さを指摘している(身体的特徴の項目を参照)。一方で、柔軟性がありすぎるところや、小柄で非力なところを欠点として指摘する声もあった[6]。

ディープインパクト 池江泰郎厩舎に入厩

ディープインパクトと池江泰郎

ディープインパクトは2004年(平成16年)4月15日にに早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を受けた[7]。そして同年9月8日、栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩し、池江敏行調教助手と市川明彦厩務員が担当することになった。初めてディープインパクトを見た市川は、同馬が小柄でかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという。

入厩して1か月が経過した10月、坂路の調教で初めてタイムを計ったときに、調教師の池江が58秒から59秒で走らせるように指示したが、これよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。それにもかかわらず、汗もかかずにまったく疲れた様子がなかった。このとき厩務員の市川は、ディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っている。

その後12月に武豊騎乗でデビューすることが決定したため、デビュー戦4日前の調教で武豊が初めて騎乗することになった。調教を終えると武豊は調教助手の池江敏行に「この馬、ちょっとやばいかも」と興奮気味に話し、翌年の活躍に期待した。

ディープインパクト 現役競走馬時代

ディープインパクト 2歳~3歳(2004年 – 2005年)

ディープインパクト 新馬戦から東京優駿まで

2004年(平成16年)12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000メートル)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。武豊は引退まで手綱を握ることとなる。レースでは、上がり3ハロン33秒1の脚で、のちにきさらぎ賞・金鯱賞・かきつばた記念・マイラーズカップに優勝し安田記念で2着となるコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けて勝利。

レース後、厩務員の市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に「派手にやってしまった」と消耗を心配したが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという。

続く2戦目は2005年(平成17年)1月22日に、京都競馬場で行われた若駒ステークスだった。レース数日前、武豊は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手に語っていた。

レースでは最後方から競馬をし、4コーナーに入っても先頭の馬から10馬身程度の差があったが、直線で一気に突き抜け5馬身差で勝利。この勝ちっぷりで、ディープインパクトの名が一気に全国区となった。

またこの時点で三冠達成を確実視する声もあった。

さらに中山競馬場での第42回弥生賞。関東では初出走となったが、ハイセイコーを超える当競走史上最高の単勝支持率71.5パーセントを記録した。レースでは2歳王者のマイネルレコルトや京成杯を制したアドマイヤジャパン以下にクビ差ではあったものの鞭を一回も振るわずに[14]勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。

第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0パーセント(オッズは1.3倍)と、1951年のトキノミノルの73.3パーセントに次ぐ史上2位となった。レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで体勢を崩し後手を踏み、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になった。

さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触する場面があった。それでも、4コーナーでディープインパクトの気を抜く素振りを感じた武豊がレースで初めて鞭を入れると、直線では2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。

フジテレビ系で実況を担当した塩原恒夫アナウンサーはゴール直後、「武豊、三冠馬との巡り合い」と五七五風にその勝利を讃えると同時に三冠を確実視するコメントを発した。勝利騎手インタビューで武豊は「いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね」と言葉を残した。レース後の記念撮影で武豊は指を1本立てて一冠をアピールした。

これはシンボリルドルフの三冠競走で主戦騎手であった岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ事実上の三冠宣言であった。

ディープインパクト 2005年5月29日、東京競馬場にて、第72回東京優駿

迎えた東京優駿。当日の東京競馬場には前年比114.8パーセントとなる14万143人もの観衆が押し寄せた[16]。左回りのコースは初めてだったが、単勝支持率は73.4パーセント(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。

スタートは皐月賞同様に出遅れ、道中は後方につけるも、4コーナーでは横に大きく広がった馬群の最外を通り、直線では1頭先に抜け出したインティライミに残り200メートル地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝。1992年のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成した。武豊は勝利騎手インタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。

そして翌日のスポーツニッポンの手記で武豊はディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した。
対戦した騎手もその勝ち方を高く評価し、四位洋文は「サラブレッドの理想形」、ケント・デザーモは「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている。


ディープインパクト 三冠達成、そして有馬記念での初黒星

東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、7月10日に札幌競馬場に移動し[19]、それから約2か月間は同競馬場で調整された[20]。放牧に出されずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、避暑ができるからであった[19]。札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(性格・気性の項目を参照)。9月11日に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた。

秋初戦となった神戸新聞杯は、最後方から2番手の位置でレースを進めたが、直線に向くと先頭に立ち、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつける完勝。勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替えるレースレコード。菊花賞に向けて順調なスタートを切った。


ディープインパクト 2005年10月23日、京都競馬場にて、菊花賞

そして三冠のかかった2005年10月23日の第66回菊花賞。京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客が押し寄せた[21]。ディープインパクトの単勝支持率は79.03パーセントとなり、単勝式オッズは1.0倍(100円元返し)となった。

この単勝支持率は菊花賞としては1963年のメイズイ(6着)の83.2パーセントに次ぐ史上2位[注 5]、グレード制施行後の重賞としては当時史上最高の単勝支持率であった。

レースでは、好スタートを切ったものの、スタート後の最初の3コーナーから掛かったため、馬群の内側に入った。その後中団で落ち着き、直線では先に抜け出していたアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。

シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。なお、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ! これが! 日本近代競馬の結晶だ!」は2005年のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細については第66回菊花賞を参照)。


第50回有馬記念(2005年12月25日、中山競馬場にて撮影。ハーツクライの2着に敗れ、デビュー戦からの連勝記録が7で途絶える)
菊花賞後、陣営はディープインパクトを年内にあと1レース出走させる方針を示したうえで、ジャパンカップと有馬記念のどちらに出走するかを検討し、最終的に有馬記念に出走させることを決定した。

事前のファン投票では160,297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には前年比129.6パーセントとなる16万2409人もの大観衆[23]が押し寄せた。古馬とは初対決となったものの、単勝式オッズは1.3倍を記録した。しかしレースでは、いつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫した。

レース後、鞍上の武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった。普通に走ってしまった」と初めての敗戦にショックを隠し切れないコメントを残している(レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。

2005年(平成17年)の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

ディープインパクト 4歳(2006年)

ディープインパクト 阪神大賞典から宝塚記念まで

1月23日に行われた前年のJRA賞授賞式において、オーナーの金子が「夏にヨーロッパでいいレースがあれば使いたい」と発言し、海外遠征を行う意向が示された。海外遠征については2月、調教師の池江によって、春は阪神大賞典から天皇賞(春)へ向かい、天皇賞(春)の後にイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスとフランスの凱旋門賞のどちらに出走するか決定すると発表された。

2006年(平成18年)の初戦となった阪神大賞典は初めて経験する稍重馬場だったが、レースでは3コーナーで進出を開始して4コーナーで先頭に並ぶと、最後の直線でデルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず、決勝戦手前では武豊が抑える余裕を見せ3馬身半の差で優勝。順調なスタートを切った。


ディープインパクト 2006年4月30日、京都競馬場にて、天皇賞(春)

4月30日、続く第133回天皇賞(春)。単勝支持率は当競走史上最高となる75.3パーセント(オッズは1.1倍)を記録した。スタートではまたも出遅れ、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進んだ。

そして3コーナー手前の残り1000メートル地点からロングスパートを開始して[注 7]先行馬を交わしていくと、ゆっくり下ることがセオリーとされる下り坂でもスパートを続け、4コーナーで早くも先頭に立った。直線では、出走馬中最速となる上がり3ハロン33秒5の脚を使ってそのまま先頭を維持し、2着のリンカーンに3馬身半の差をつけ優勝した。

勝ち時計の3分13秒4はレコードタイムで、1997年の第115回天皇賞においてマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレコードを1秒更新した。2着に入ったリンカーン(3着に5馬身差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す)に騎乗した横山典弘が「(リンカーンは、生まれた)時代が悪かった。しょうがない」と言うほどの内容だった。武豊は「世界にこれ以上強い馬がいるのかな」と言い[26]、海外遠征での勝利に期待感を示した。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。

5月8日、調教師の池江によって凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され[注 8][7]、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念[注 9]に出走することとなった。事前に行われたファン投票では89,864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続きレース史上最高の75.2パーセント(オッズは1.1倍)をマークした。

当日の京都競馬場は雨で馬場が悪くなっていたが、道中後方2番手追走から残り700メートル地点で進出を開始すると、直線では馬場外目を伸び、2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円馬となった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。

ディープインパクト 凱旋門賞


凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年(平成18年)7月2日にマイクロチップが埋め込まれた。これはフランスでは2006年からすべての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられたが(2006年に産まれた産駒や現役馬は順次導入)、ディープインパクトはこれに先立ち日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった。

ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた[27]。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートとともに出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、おもにそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。

10月1日の凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬ハリケーンラン、前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコ、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成した。直前の各ブックメーカーのオッズではこの3頭が上位人気を占め、中にはディープインパクトを単独で1番人気に推すところもあった。

この3頭と対戦するのを他陣営が嫌ったためか[30]、レースは8頭という史上2番目の少頭数で行われることになった。それまで欧州調教馬以外勝ったことのない凱旋門賞だが、現地のメディアやファンからは「今回はディープインパクトに勝たれても仕方ない」という諦めムードさえ見られた[31]。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。

レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2~3番手でレースを進めると、残り300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線を向いてからハミを取らなかった。ギアが一段上がらなかった」と語っている。

そのほか競馬関係者もこの敗戦を分析し、元騎手の岡部幸雄と柴田政人は斤量とヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ、さらに岡部は現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったとの見解も示している[36]。また、ライターの江面弘也はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎の3頭[注 10]に囲まれながらレースを進めざるを得なかったことを指摘し、ディープインパクトは「『なにをしてでも勝たなければいけないフランス』に負けた」としている。

ディープインパクト 日本帰国からジャパンカップまで

ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた[27]。その後、調教師の池江によって10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、規定により同競走が開催される東京競馬場で着地検査が行われた。

10月11日には2006年限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケートが組まれ種牡馬となることが決定した[38]。この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。

しかしそのわずか数日後の10月19日、凱旋門賞のレース後に実施された理化学検査でフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出されたことがJRAによって発表された[39]。そして11月16日、正式に凱旋門賞失格が通告された。

天皇賞(秋)は、帰国して日が浅い中で出走させるのは馬がかわいそうだということで[40]回避が決定され、日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込むこととなった。迎えた11月26日のジャパンカップでは2005年の有馬記念以来のハーツクライとの再戦となった。

同レースは海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった。ディープインパクトの単勝支持率は61.2パーセント(オッズは1.3倍)で、日本国内で走ったレースの中ではもっとも低かったが、これでもジャパンカップ史上最高の支持率だった。

レースはスローペースとなったが、ディープインパクトは終始最後方で待機し道中を進めた。そして直線に向くと内に入った他馬を大外から一気に捲くり、ドリームパスポートに2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。そして表彰式に出るときに武豊はファンといっしょになって万歳三唱をした。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の1本指が加わって六冠を表す6本指ができた。一方、再戦ムードを盛り上げたハーツクライは、レース前から陣営が明らかにしていた喘鳴症(喉鳴り)が進行しており、見せ場なく10着に敗れた。

ディープインパクト 有馬記念、引退まで

ディープインパクト 2006年12月24日、中山競馬場にて、有馬記念

そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。事前に行われたファン投票では119,940票を集め2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては3レース連続で(2005年有馬記念・2006年宝塚記念・2006年有馬記念)1位となった。単勝支持率は70.1パーセント(オッズ1.2倍)で、1957年にハクチカラが記録した76.1パーセントに次ぐ史上2位となった。

レースでは道中後方3番手につけ、3コーナーから追い出して直線で早々と先頭に立つと、最後は流しながらも2着ポップロックに3馬身の差をつける圧勝で、有終の美を飾った。武豊が「生涯最高のレースができた」[41]「今までにないくらい、強烈な『飛び』だった」[42]と言うほどのレース内容だった。また、このレースでシンボリルドルフやテイエムオペラオーに並ぶ史上3頭目(当時[注 11])の中央競馬GI7勝の最多タイ記録を達成し、獲得賞金ランキングでもテイエムオペラオーに次ぐ単独2位にランクインした。

この後ウイニングランは行われなかったが、その理由について武豊は、ゴールを過ぎてから走るのを嫌がったためだと語っている[43]。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の2本指が加わって七冠を表す7本指ができた(レースに関する詳細については第51回有馬記念を参照)。

そして有馬記念当日の全競走が終了したあとに引退式が行われた。約5万人[44]のファンが見守る中、厩務員の市川と調教助手の池江に曳かれながら、武豊を背に同日の有馬記念のゼッケンを付けて登場し、ファンに最後の勇姿を披露した。

2006年のJRA賞では年度代表馬および最優秀4歳以上牡馬に選出された。年度代表馬は2年連続の受賞だった[注 12]。JRA賞選考委員会の記者投票では総得票数289票のうち年度代表馬で287票、最優秀4歳以上牡馬で288票を獲得した。昨年に続き関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

ディープインパクト 競走馬引退後

ディープインパクト 2007年5月11日、社台スタリオンステーションにて

2006年12月25日付で競走馬登録が抹消され、2007年から北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。それからディープインパクトは、父サンデーサイレンスやノーザンテースト、リアルシャダイが過ごした「功労馬厩舎」と呼ばれている厩舎で過ごすことになった。同スタリオンでの担当厩務員はノーザンテーストを担当していた森田敬治である。

2007年2月14日には社台スタリオンステーションで引退後初めての一般公開が行われ、会場には約1200人のファンが集まった[47]。以後は同スタリオンで繋養される一部の内国産種牡馬と同様、放牧地にいる間の一般見学が可能になっているが、本馬にのみ専門の警備員が付き添う形になっている。

2008年5月8日、平成20年度顕彰馬選出投票において競馬担当記者による投票で186票中164票(得票率86.6パーセント)を獲得し、28頭目の顕彰馬(競馬殿堂入り)に選出された。それを記念してJRA競馬博物館の1階メモリアルホールにおいて「祝 ディープインパクト号殿堂入り記念展」が5月17日より開催され、馬主服の複製や東京優駿とジャパンカップ優勝時に装着した蹄鉄などが展示された。

2010年5月2日に京都競馬場で第12競走として開催されるJRAプレミアムレース「京都ゴールデンプレミアム」の人気投票において当馬が最多得票を獲得し、「ディープインパクトメモリアル」の副名称を付与して開催された。

ディープインパクト 種牡馬時代

初年度(2007年)の種付料は当時の日本で繋養される種牡馬としては最高額となる1200万円であった[注 13]。初年度は日本国内の新種牡馬の中では最多となる206頭に種付けを行い[50]、2008年1月9日には初産駒が鳥井牧場で誕生した(牝馬。母ロングディライト)。

2008年7月15日と7月16日に行われたセレクトセール2008当歳馬セールにて産駒が初めてセリに出され、2日間で総勢36頭が登場して31頭が落札された。最高落札価格馬は初日に登場したビワハイジの2008で、2億2000万円という高値で島川隆哉に落札された[注 15]。最終的にこの2日間でディープインパクト産駒の総売却額は19億1000万円、1頭平均売却額約6161万円となり、2006年にキングカメハメハが記録した新種牡馬産駒の総売却額17億4500万円、1頭平均売却額約5629万円の記録を更新し、売却頭数31頭は2006年のキングカメハメハと同数となった。

2010年に初年度産駒がデビューした。6月26日に福島競馬場で行われたメイクデビュー福島にてサイレントソニックが勝利し、産駒の中央競馬初勝利を記録した。その後も産駒の勝利数は順調に増え続け、11月21日に京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でボレアスが勝利し、産駒26頭目の勝ち馬となり、2005年にアグネスタキオンが記録した25頭を抜きJRA2歳新種牡馬の勝馬頭数の新記録を達成。さらに11月27日には京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でハッピーグラスが勝利して、産駒のJRA通算勝利数が31勝となった。

これにより父サンデーサイレンスが持っていた種牡馬供用初年度のJRA通算勝利数30勝の記録を16年ぶりに更新した。さらに12月25日には阪神競馬場で行われたラジオNIKKEI杯2歳ステークスでダノンバラードが1着になり、産駒初の重賞制覇となった。

最終的に初年度産駒がJRAの2歳戦で41勝し、総獲得賞金5億3704万3000円をあげた結果、ディープインパクトは2010年度のJRA2歳リーディングサイアーに輝いた。なお、この産駒出走初年度の総獲得賞金記録も、サンデーサイレンスが持っていた4億9062万5000円の記録を16年ぶりに更新することとなった。

翌2011年にはマルセリーナが桜花賞を制し、産駒のGI競走およびクラシック初制覇を果たした。また、その年に行われた安田記念ではリアルインパクトが3歳馬ながら古馬を相手に勝利した。10月22日には産駒がJRA年間100勝を達成したが、産駒がデビューして2年目の同日における達成は最速記録だった。この年は最終的にJRAのサイアーランキングではキングカメハメハに次ぐ2位(中央競馬と地方競馬の合算では4位)、2歳部門ではJRAと中央・地方合算の総合部門でともに2年連続でリーディングサイアーとなった。

ディープインパクト 競走成績

年月日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量[kg] 距離(馬場) タイム
(上り3F) タイム
差 勝ち馬/(2着馬) 馬体重
[kg]
2004. 12. 19 阪神 2歳新馬 9 4 4 1.1(1人) 1着 武豊 55 芝2000m(良) 2:03.8 (33.1) -0.7 (コンゴウリキシオー) 452
2005. 1. 22 京都 若駒S OP 7 4 4 1.1(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 2:00.8 (33.6) -0.9 (ケイアイヘネシー) 450
3. 6 中山 弥生賞 GII 10 8 10 1.2(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 2:02.2 (34.1) 0.0 (アドマイヤジャパン) 446
4. 17 中山 皐月賞 GI 18 7 14 1.3(1人) 1着 武豊 57 芝2000m(良) 1:59.2 (34.0) -0.4 (シックスセンス) 444
5. 29 東京 東京優駿 GI 18 3 5 1.1(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 2:23.3 (33.4) -0.8 (インティライミ) 448
9. 25 阪神 神戸新聞杯 GII 13 6 9 1.1(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 1:58.4 (34.1) -0.4 (シックスセンス) 448
10. 23 京都 菊花賞 GI 16 4 7 1.0(1人) 1着 武豊 57 芝3000m(良) 3:04.6 (33.3) -0.3 (アドマイヤジャパン) 444
12. 25 中山 有馬記念 GI 16 3 6 1.3(1人) 2着 武豊 55 芝2500m(良) 2:32.0 (34.6) 0.1 ハーツクライ 440
2006. 3. 19 阪神 阪神大賞典 GII 9 2 2 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝3000m(稍) 3:08.8 (36.8) -0.6 (トウカイトリック) 442
4. 30 京都 天皇賞(春) GI 17 4 7 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝3200m(良) R3:13.4 (33.5) -0.7 (リンカーン) 438
6. 25 京都 宝塚記念 GI 13 6 8 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝2200m(稍) 2:13.0 (34.9) -0.7 (ナリタセンチュリー) 442
10. 1 ロンシャン 凱旋門賞 G1 8 2 1 1.5(1人) 失格 武豊 59.5 芝2400m(良) 3位入線 Rail Link 計不
11. 26 東京 ジャパンC GI 11 6 6 1.3(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 2:25.1 (33.5) -0.3 (ドリームパスポート) 436
12. 24 中山 有馬記念 GI 14 3 4 1.2(1人) 1着 武豊 57 芝2500m(良) 2:31.9 (33.8) -0.5 (ポップロック) 438
※タイム欄のRはレコード勝ちを示す。


ディープインパクト 種牡馬成績

ディープインパクト 年度別成績

年 総合(中央+地方) 中央
出走 勝利 順位 AEI 収得賞金 出走 勝利 順位 AEI 収得賞金 頭数 回数 頭数 回数 頭数 回数 頭数 回数
2010年 74 189 35 43 40 1.82 5億4074万3000円 74 187 34 41 35 1.17 5億3704万3000円
2011年 210 961 111 150 4 3.02 24億8904万8000円 206 879 100 135 2 1.94 24億5909万4000円
2011年終了時点。

ディープインパクト 代表産駒

太字はGI競走
2008年産
リアルインパクト(安田記念)
マルセリーナ(桜花賞)
ボレアス(レパードステークス)
フレールジャック(ラジオNIKKEI賞)
トーセンラー(きさらぎ賞)
ダノンバラード(ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)
2009年産
ジョワドヴィーヴル(阪神ジュベナイルフィリーズ)
アダムスピーク(ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)
ディープブリランテ(東京スポーツ杯2歳ステークス)

ディープインパクト 特徴

ディープインパクト レーススタイル

後方待機からの強烈な追い込みが身上であった。道中は中団から後方につけ、3~4コーナーから一気にまくりあげて他馬をごぼう抜きするというレーススタイルでGI競走7勝を挙げた。主戦騎手の武豊は、新馬戦の追い切りの際に少しスピードがありすぎると感じたため、ゆったりとしたレースをさせるようにしたと述べている[53]。また、ゲートの中でじっとしているのが嫌いで落ち着きがなかったため、スタートが上手くできず出遅れることが多かったことも、追い込みという脚質になった一因だとされている。

ディープインパクトの強みは優れた瞬発力とスピード、そして末脚の持続力である。実際、上がり3ハロンのタイムは日本国内の競走では全競走で出走馬中最速であり、東京優駿(当時)、菊花賞、天皇賞(春)、ジャパンカップ、有馬記念(4歳時)などでは史上最速であった。

また、天皇賞(春)ではいつも通りの後方待機策から残り600メートル付近で早くも先頭に立ったにもかかわらずそのまま押し切っており、そのトップスピードの持続力は卓越していた。武豊は東京優駿後のインタビューで「この馬は瞬発力が続くんです。ド~ンとゴールまでそのまま行く」と答えている。調教師の池江泰郎も、瞬発力に優れ、しかも長くいい脚を使うのはディープインパクトの強さを感じるところだと述べている。

反面、ほかの馬と馬体を併せるレースとなった弥生賞ではクビ差とディープインパクトにしては僅差での勝利、同じようにほかの馬と馬体を併せる形となった凱旋門賞では3位入線と敗れている。調教助手の池江敏行はこのことに関して、「馬体を併せると、本気で走らない気がする」とディープインパクトの引退後に語っている[57]。武豊も自身の『武豊TV!』内の2006年有馬記念を回顧する回において、「弥生賞や負けた有馬記念、そして凱旋門賞と馬体を併せる形になったレースでは伸びなかった。

勝ったレースはすべて大外から一気に馬を抜き去り圧勝した。はっきりしたことは分からないし断言できないが、馬体を併せると物見(馬を見る)をする。相手に合わせて走ってしまう。反面、単走やそれに近い状況なら、調教でもレースでも力を発揮した。ジャパンカップ前に自ら志願して、初めて単走で追い切ったのはそのため」と語った。

ディープインパクト 身体的特徴

ディープインパクトはレース時の体重が436~452キログラムで、サラブレッドとしては小さな体型である。デビュー戦の452キログラムがもっとも重く、最低体重を記録したのは引退レースの1戦前であるジャパンカップだった。

出走したGI競走の中でも、皐月賞・菊花賞・有馬記念(2005年)・ジャパンカップ・有馬記念(2006年)では出走馬の中で最低の馬体重だった。馬体が小さいため、当初は他馬に揉まれ弱いという声もあったが、他馬に揉まれながらも皐月賞に勝利したあとは「大型馬よりも故障のリスクが小さい」と馬体の小ささが肯定的に見られるようになった[58][59]。種牡馬入りのときの健康チェックでは体高が164センチメートルだったが、社台スタリオンステーションの徳武英介は、父サンデーサイレンスと同じサイズで体格的に種付けは心配ないと述べている。

馬体に関しては、バランスの良さを指摘する声もある。共同通信社の永井晴二はディープインパクトの馬体について、「ボリューム感に欠ける」ものの、「よく見ると実にバランスの取れた馬体」をしていて「すべてがコンパクトにまとまっている」と評している[61]。サラブレッドクラブ・ラフィアン前代表の岡田繁幸は、「お尻のつく位置や骨の太さなど、すべてのバランスがいい」と述べている。

また、体の柔らかさも指摘されている。ノーザンファーム早来時代に育成を担当したスタッフは、「やわらかくて、ゴム鞠のように弾むようなバネがあった」と証言している[6]。また、同ファーム場長の秋田博章もディープインパクトが坂路を走る様子を見て、今まで見たことがないような柔軟性があり、まるで「ネコ科の動物」が走っているようだったと語っている。

装蹄師の西内荘は、犬や猫などのように後ろ脚で耳を掻くことができるほど体が柔らかいと発言している[注 18][64]。サラブレッドクラブ・ラフィアンの岡田は「筋肉の質がよくて柔軟性に富んでいる」と述べ、そのため伸び縮みが自在になると考察している[62]。武豊はその柔軟性の高さを「チーター」にたとえている。

さらに、GI馬に共通した特徴である薄い蹄を持っている[66]。皐月賞までは順調に勝ち進んだものの、東京優駿に向かうにあたってこの点が問題になった。蹄が薄い馬の場合、蹄鉄を釘で固定すると馬がストレスを感じるためである[67]。また、皐月賞が終わると蹄もボロボロになり、釘を打てる場所がなくなっていた。

そこで装蹄師の西内は、新しい方法で蹄鉄を装着して東京優駿に臨むことにした。それは、装締によって蹄に負担がかからないように従来の釘による装締を止め、クッションの役割を果たすシューライナーという素材を蹄に貼り、その上にエクイロックスという特殊な接着剤で蹄鉄を蹄に装着する方法であった[67][68]。ディープインパクトはこの方法により装着された蹄鉄で東京優駿に勝利した。

ディープインパクト 走る時の特徴

装蹄師の西内はディープインパクトの蹄鉄の減りがほかの馬に比べて遅いことを証言している[70]。実際、エアシャカールやアグネスワールドが2週間使用した蹄鉄とディープインパクトが3週間使用した蹄鉄を比較すると、ディープインパクトの蹄鉄のほうが減りが少なかった[71]。西内はその理由について、地面をがっちりと捕まえるディープインパクトの走り方を挙げている。西内によれば、本来競走能力の高い馬は蹄鉄の減りが早いのだが、ディープインパクトの場合はそのような走法のために摩擦が少なく蹄鉄が減りにくいという。

心肺機能がほかの馬より優れているのも強さの一つと考えられている。まず、心拍数が最大になったときの血液のスピードを「VHRmax」(単位はm/s・メートル毎秒)、ゴール直後から心拍数が100を切るまでの時間を「HR100」といい、前者は持久力を、後者は回復力を示すものである(前者は数値が大きければ大きいほど、後者は数値が少なければ少ないほどよい)。3歳以上の馬のVHRmaxの平均は14.6であるのに対し、ディープインパクトはデビューの時点で16.3を示した[72]。HR100も一般的な3歳馬は10分以上かかるが、皐月賞のときにディープインパクトが記録したのは2分42秒であった[73]。

走り方も無駄がなく効率的なものとなっている。JRA競走馬総合研究所が菊花賞のディープインパクトの走りを研究したところによると、武豊の「走っていると言うより飛んでいる感じ」という言葉に反して、ディープインパクトは4本の脚がすべて地面についていない時(エアボーン)の時間がほかの馬の平均である0.134秒よりも短く、0.124秒だった。

しかし、その間の移動距離は長く、ほかの馬の平均が2.43メートルであるのに対し、ディープインパクトは2.63メートルだった[74][75]。同研究所の高橋敏之は、エアボーンの時間の短いほうが無駄な力を使わず、空気抵抗も少ないため、効率がいい走法になっていると結論付けた[76]。さらに、2本の脚が同時に地面に着いている時間が少ないことも指摘し、このために着地時にスピードが落ちにくくなるとも述べている。この脚と脚が同時に着いている時間が短いという特徴は、アメリカの三冠馬セクレタリアトにも見られるという[64]。

ディープインパクト 気性・性格・知能の特徴

武豊は「走ろうとする気持ちが強すぎるので、乗る立場からすれば難しい馬」[54]「この馬が本気で行きだしたら止めるのは容易じゃない」[77]と語っている。

3歳時はほかの馬が前を走っていると調教でも追い抜こうとして抑えるのに苦労するほどで、さらに調教で馬場に出るときに尻っ跳ねをする癖があった[78]。パドックでもうるさい様子を見せており、とくに東京優駿では焦れ込んで馬場入りのときと同じように尻っ跳ねをする仕草もした。3歳夏の札幌競馬場でのトレーニングでは、これらの癖を直すための調教もされた。このトレーニングが功を奏したのか、その後はある程度改善され、4歳時の有馬記念前の調教では他馬に反応することも尻っ跳ねをすることもなくなった[79]。


普段は人懐っこくておとなしく、厩舎では「お坊ちゃまくん」のニックネームで呼ばれていた[80]。「素直な性格」[81]で「天然」[82]だと厩務員の市川は述べている。調教師の池江はディープインパクトを「とてもおとなしい」馬だと言い、さらに「人間が好き」で「優しい馬」だと表現している[83]。競走馬時代の担当の獣医師も、ディープインパクトは「性格が気さく」であり、これほど性格が良い馬はそういないと語っている[84]。種牡馬となってからの担当厩務員である森田敬治は、自分が人間よりも上の立場だということを誇示したがるほかの種牡馬と違って、ディープインパクトは人間と対等の立場で接してくると証言している[85]。

非常に利口な馬でもあり、調教助手の池江敏行によると、普通の馬が10回で覚えることをディープインパクトは2、3回で覚えてしまうという[86]。武豊も頭の良さは認めており、菊花賞でディープインパクトが一周目のホームストレッチでかかってしまったのは、頭が良いので3コーナーから4コーナーにかけてスパートをかけることを覚えているために、一周目のゴール板を正規のゴールと勘違いしてしまった(=そこまでに先頭に立たなければならないと勘違いした)からだと証言している[87]。

ディープインパクト 評価

ディープインパクト 公式レイティングによる評価
2005年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでは長距離(ロング:Long – 2101メートル~2700メートル)でのパフォーマンスが124ポンドと評価された。ほかの距離区分も含め総合9位、3歳馬の中では4位にランクされた。超長距離においては118ポンドに評価され、この距離区分では世界1位となった。

2006年の同ランキングでは長距離で127ポンドに評価され、インヴァソール・バーナーディニ・ディスクリートキャットに続く総合4位タイ、芝部門ではレイルリンク・ジョージワシントンと並び世界1位タイにランクされた。ちなみにこれは1999年におけるエルコンドルパサーの134ポンドに次ぐ日本調教馬歴代2位のレイティングである。

超長距離部門では123ポンドに評価され前年と同様、世界1位だった。

また、2006年7月10日にIFHA(国際競馬統括機関連盟)から発表された「トップ50ワールドリーディングホース」の2006年1月1日から7月10日までの集計分では125ポンドに評価された。このレイティングにより、集計期間内にタターソールズゴールドカップ(アイルランドG1)に勝利していたハリケーンラン、また、同じく集計期間内にコロネーションカップ(イギリスG1)を制していたシロッコと並び、ランキングが設立された2003年以降、日本馬として初めて世界1位にランクされた。

ディープインパクト 競馬関係者による評価
ディープインパクトを管理する調教師の池江泰郎は、3歳春の時点で同馬を「理想的なサラブレッド」と言い、長所として騎手の指示に対する反応の良さを挙げている[88]。また主戦騎手の武豊は、弥生賞後のインタビューで、同馬の長所は何かという質問に対して負けないところだと答えている[89]。その後武豊は、負けないという意味は「すべての面でほかの馬を圧倒している」ということだと発言している[90]。

菊花賞で無敗の三冠馬となったディープインパクトだが、同じ無敗の三冠馬のシンボリルドルフとの比較という点においては、同馬の主戦騎手だった岡部幸雄が「ルドルフのほうが強い。ルドルフは競馬のすべてを知り尽くしていた」、「終始馬体を併せる作戦を取ればルドルフなら勝てる」と答えている。しかし同時に、自ら「ディープインパクトの追っかけ」[91]と言うほどのファンでもあり、凱旋門賞のときは声を荒げて応援していた。

一方、ノーザンファーム場長の秋田博章は、「ルドルフはソツのないレース巧者」で「優等生という印象」と言ったうえで、「ディープの強さは並ぶ間もない圧倒的なもの」と発言し、「一枚上」だと評価した[92]。柴田政人の場合は菊花賞のあとに「ルドルフを超えたというよりもすごい馬が現れたと感じている。潜在能力がまさにケタ違い」と評している[93]。

競馬評論家の井崎脩五郎は、ディープインパクトの新馬戦の翌日に行われたイベントで「今まで(=数十年間)見てきた中で、一番『これは強い』と思ったレースは?」と振られ「昨日のディープインパクトの新馬戦」と答えた。その後井崎は、ディープインパクトのことを「競馬史上の最強馬」ではないかと発言した。その理由として、名馬のレースで「なんだこれ!?」と感じるのは1頭に1回だが、ディープインパクトの場合は新馬戦と2戦目の若駒ステークスの2回連続でそう感じたことを挙げている[94]。

また、競馬評論家の合田直弘は日本国外にもディープインパクトを高く評価する競馬記者が複数存在することを証言している。合田が指摘しているように、イギリスのレーシング・ポスト紙は2006年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングのレイティングが日本の競馬のレベルを低く見すぎていて保守的であると不満を唱え、独自のレイティングでディープインパクトを133ポンドで世界一にしている。合田によると、香港にも「35年間競馬を見てきた中でディープインパクトは一番印象的だった馬」と述べ、ディープインパクトに高評価を与えた記者がいるという[95]。

ディープインパクト 投票による評価

競馬雑誌『優駿』(2010年8月号)が同誌の創刊800号を記念して読者・ライター・評論家・編集者の投票により決定した「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち The Greatest Horses 100」のランキングでは、読者部門とライター・評論家・編集者部門でともに第1位に選ばれ、この2つを合計した総合部門では14074ポイントを獲得し第1位となった[96]。なお読者部門では、10代~60代以上のすべての世代で第1位に選ばれている[97]。

競走馬時代には、出走したJRA主催の全競走において単勝式馬券で1倍台の1番人気に支持された。その中でもGI競走では、東京優駿・天皇賞(春)・宝塚記念・ジャパンカップで史上最高の単勝支持率、皐月賞・菊花賞・有馬記念(2006年)で史上2位となる単勝支持率を記録した。

ディープインパクト 人気・注目度

ディープインパクト 社会現象に

現役競走馬時代、ディープインパクトの存在は社会現象となり[21][98]、高い注目を集めた。NHKで中継された2006年の凱旋門賞の平均視聴率は関東で16.4パーセント、関西で19.7パーセントを記録し、また瞬間最高視聴率は関東で22.6パーセント、関西で28.5パーセントを記録した[32]。

そのような高い注目と相まって、競馬専門誌やスポーツ新聞だけでなく一般の新聞・雑誌・テレビ番組などのメディアもその存在を取り上げた。JRAに対する取材の申し込みは例年の10倍に及んだ[99]。三冠達成後の2005年10月29日にはNHKスペシャルで「ディープインパクト~無敗の3冠馬はこうして生まれた~」が放送された。なお、同番組は2005年のJRA賞馬事文化賞を受賞した。漫画雑誌でも取り上げられ、ハイセイコーのときと同様にグラビアを飾ったことや(『週刊ヤングサンデー』2006年15号)、凱旋門賞の前に『週刊少年チャンピオン』でディープインパクトの物語が短期集中連載された[注 19]ことがある。競走馬引退後の2007年4月には、サントリーフーズ「BOSSコーヒー」のCMにトミー・リー・ジョーンズと共演している[100]。

現役競走馬時代の2005年と2006年には、その年を代表する存在として扱われることもあった。2005年には新語・流行語大賞の候補語60語にノミネートした[101]。また、2005年の『日経MJ』のヒット商品番付では「西関脇」に番付された[102]。ほかにも、フジテレビ系列で年末に放送する「笑っていいとも! 年忘れ特大号」の中のコーナーにおいて2005年・2006年の2年連続でその年に話題になった存在として取り上げられたことがある[103][104]。

ディープインパクト 経済的影響

関西大学大学院教授の宮本勝浩は、ディープインパクトが出走したGI競走と出走していない前年の同じGI競走の入場者数や売り上げなどを比較し、その増加分から同馬によってもたらされた経済波及効果を試算した。その結果、経済波及効果は262億円と推定された[105]。関連商品はよく売れ、同馬の関連商品によって2005年の競馬グッズの売り上げが前年より10パーセント増加したと中央競馬ピーアール・センターの職員は語っている[106]。

なお、同センターが販売する競馬グッズの売り上げの3分の1が同馬の関連商品だった[107]。関連「商品」ではないが、単勝馬券を払い戻さずに取っておくファンも多数存在する。同馬が日本国内で出走した全13レースのうちで単勝馬券の未払い率が最高となったのは引退レースである2006年の有馬記念だが、同レースでの単勝馬券の未払い率は9.1パーセント(通常は0.3パーセント)を記録した。また、13レースの単勝馬券の未払い額は合計で2億8731万6370円となった[108]。単勝馬券がインターネットオークションで取引され、1万円以上の値がつくこともあった[109]。

一般企業がディープインパクトとのタイアップ商品を売り出すこともあった。銀座松坂屋ではディープインパクトの福袋まで発売された。また菊花賞と宝塚記念のときには京阪電気鉄道の乗車カードである「スルッとKANSAI Kカード」でディープインパクトが図案となっているカードが発行された[注 20]。引退後の2007年1月24日には、ディープインパクトの応援歌「翔んでディープインパクト」(歌:和田青児)が発売された。

ディープインパクト 交通面での影響

交通面での影響としては、京阪電気鉄道において、菊花賞当日の京都競馬場の最寄り駅である京阪本線淀駅ではディープインパクトの三冠達成を見てから帰宅した競馬ファンで、菊花賞終了後にプラットホームが混雑し、急行列車の臨時停車や臨時列車を大増発したものの、それでも捌き切れずにホーム上の安全性確保と混雑緩和の観点から急遽特急列車を4本のみ臨時停車させた。さらに競馬場付近を走る京阪宇治バス宇治淀線などの路線バスや周辺道路も当日は混みに混み合って渋滞が解けたのは宇治淀線の最終バス発車間際の午後10時ごろだったというエピソードもある。

ディープインパクト ファンの少年の自殺

2006年10月11日に福岡県に住むディープインパクトファンの中学二年生がいじめを苦に自殺したが、その中に「生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたい」と遺書に書かれていたことが報道された。この報道を受け、蹄鉄製造会社の社長がディープインパクトが使っているのと同型の蹄鉄を遺族に贈呈したり、主戦騎手である武豊が色紙を中学生とその遺族に贈るなど、話題になった[110]。

ディープインパクト 対戦した競走馬の故障

ディープインパクトが勝ったGI競走の2着馬は7頭いるが、うち6頭(シックスセンス、インティライミ、アドマイヤジャパン、リンカーン、ナリタセンチュリー、ドリームパスポート)がそこから1年以内に故障を発症している。このことは雑誌『AERA』の2006年10月2日号でも「ディープインパクトの呪い」として取り上げられた。ちなみに、日本国内で唯一ディープインパクトに勝利したハーツクライも、上述の通り、翌年に喘鳴症を発症し引退に追い込まれている。また、凱旋門賞でディープインパクトを破ったレイルリンクも翌年骨折、さらに腱を痛めて引退している。

唯一、健常な競走馬生活を送ったのはポップロックで、のちにアイルランドにレースの場を移して2010年(9歳)まで現役を続けたが、最後にはレース中に屈腱炎を発症して引退となり、「ディープインパクトの(GI競走)2着馬は決してGIを勝つことができない」というもう一つのジンクスについても打ち破ることは叶わなかった。

また、デビュー戦で2着に敗れたコンゴウリキシオーはその後重賞を勝っているものの、この馬もGI競走を勝つことはできなかったように、ディープインパクトが勝ったレースの2着馬も活躍こそできたがGI競走を勝つことはできていない。

ディープインパクト 血統

ディープインパクト 血統背景

父サンデーサイレンス
父サンデーサイレンスはケンタッキーダービーやブリーダーズカップ・クラシックを制した競走馬。13年連続で日本のリーディングサイアーに輝き、GI馬を多数輩出するなど、日本競馬史上に残る種牡馬である。
母ウインドインハーヘアは競走馬時代にドイツG1のアラルポカルに優勝し、エプソムオークスでも2着に入る活躍をした。
半姉に、5歳の6月という遅いデビューながらデビューから無傷の5連勝をし、2003年のスプリンターズステークスで4着に入ったレディブロンド(父シーキングザゴールド Seeking the Gold、6戦5勝)、全兄に2004年のスプリングステークスを制したブラックタイド、全弟に2005年の東京スポーツ杯2歳ステークス3着のオンファイア、半弟に2006年のホープフルステークスを制したニュービギニング(父アグネスタキオン)がいる。
曾祖母ハイクレア (Highclere) はエリザベス女王が所有し、1000ギニー、ディアヌ賞[注 21]を勝ちキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスで2着に入った名牝だった。このハイクレアの一族には1989年のエプソムダービーなどを制したナシュワン (Nashwan) 、2002年のドバイシーマクラシックなどに勝ったネイエフ (Nayef) がいるほか、2003年のNHKマイルカップなどを制したウインクリューガー、2006年のマーメイドステークスを制したソリッドプラチナムといった日本で活躍した競走馬もいる(そのほか近親の活躍馬はハイクレア一族の項目を参照)。

ディープインパクト 血統表
ディープインパクトの血統 (サンデーサイレンス系/5代アウトブリード)


*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ Halo 1969
黒鹿毛 アメリカ Hail to Reason 1958 Turn-to
Nothirdchance
Cosmah 1953 Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well 1975
鹿毛 アメリカ Understanding 1963 Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower 1964 Montparnasse
Edelweiss


*ウインドインハーヘア
Wind in Her Hair 1991
鹿毛 アイルランド Alzao 1980
鹿毛 アメリカ Lyphard 1969 Northern Dancer
Goofed
Lady Rebecca 1971 Sir Ivor
Pocahontas
Burghclere 1977
鹿毛 イギリス Busted 1963 Crepello
Sans Le Sou
Highclere 1971 Queen’s Hussar
Highlight F-No.2-f
競馬予想のレジまぐ
本日開催中のレース予想一覧

地方競馬のレジまぐ
本日開催中の地方競馬レース


ディープインパクト 脚注

ディープインパクト 注釈
^ 父サンデーサイレンスも1986年(昭和61年)の同じ日に生まれている。
^ ノーザンファームの同期生にはシーザリオ、ラインクラフト、カネヒキリ、ヴァーミリアン、インティライミといったメンバーが名を連ねている。
^ トップはダンシングキイの2002(のちのトーセンダンス)の3億5000万円。
^ その理由として武豊は、苦境に立たされそうな場面で必ず自分やファンを救い、さらに売り上げの増加という点で競馬界も救ってくれたからだと述べている(島田、2007年、130頁)。
^ 菊花賞優勝馬としては1943年のクリフジの75.0パーセントを超える史上最高支持率となった。
^ 2011年のチューリップ賞でレーヴディソールが単勝支持率81.4パーセントを記録し、これを更新した。
^ 武豊はこのロングスパートを、ほかの馬が動かなかったために行ったとしている(島田、2007年、204頁)。
^ キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでなく凱旋門賞が選ばれたことについて調教師の池江は、前者が行われるアスコット競馬場よりも後者が行われるロンシャン競馬場の方が平坦なコースであることから後者を選んだと述べている(島田、2007年、208頁)。
^ 宝塚記念は例年阪神競馬場で施行されるが、この年は阪神競馬場が芝コースの外回りの新設工事中だったため京都競馬場で代替開催となった。
^ レイルリンク、ハリケーンラン、シロッコの3頭。
^ のちにウオッカも達成。
^ 2002年・2003年のシンボリクリスエス以来の2頭目。啓衆社賞・優駿賞時代も含めると5頭目。
^ 翌2008年の種付料も2007年と同じ1200万円。その後、1000万円(2009年)、900万円(2010年)、1000万円(2011年・2012年)と推移している。
^ この馬はオースミが購買し、沖芳夫厩舎に入厩。ナリタカサブランカの名が付けられた。
^ 後にこの馬はトーセンレーヴの名が付けられている。
^ 3歳馬による安田記念勝利はGI格付け以降では初。
^ なお、産駒がデビューして2年目でのJRA年間100勝の達成は1995年のサンデーサイレンス、2008年のシンボリクリスエス、2009年のキングカメハメハ以来のことだった。
^ 同じ三冠馬のミスターシービーにもそのような特徴があったといわれている(同馬の記事を参照)。
^ 作者は以前同誌で競馬漫画『優駿の門』を連載していたやまさき拓味で、『優駿の門 特別篇』として掲載された。のちに単行本化され、少年チャンピオン・コミックスから発売された。
^ 図柄となった写真はスポーツ報知の協力であった。カードには菊花賞時は「夢舞台、淀へ」、宝塚記念時は「淀から凱旋門賞へ」と記載されていた。
^ フランスのオークスに該当する競走。

ディープインパクト 出典

^ NHK取材班、2006年、37頁。
^ 週刊Gallop編集部、2006年a、49頁。
^ a b 島田、2007年、51頁。
^ NHK取材班、2006年、39-40頁。
^ a b 週刊Gallop編集部、2005年a、48頁。
^ a b 島田、2007年、56頁。
^ a b c 週刊Gallop編集部、2007年、10頁。
^ 島田、2007年、70頁。
^ 島田、2007年、70-71頁。
^ 島田、2007年、75頁。
^ サラブレ編集部、2007年、76頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、12頁。
^ 島田、2007年、82頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、13頁。
^ 優駿編集部、2006年、16頁。
^ 週刊Gallop編集部、2005年a、30頁。
^ 島田、2007年、130頁。
^ 優駿編集部、2006年、174頁。
^ a b 島田、2007年、141頁。
^ a b 島田、2007年、154頁。
^ a b 週刊Gallop編集部、2005年b、14頁。
^ 島田、2007年、178-179頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、23頁。
^ 「武豊「残念、理由分からない」~有馬」 スポーツニッポン、2005年12月26日。
^ 島田、2007年、193-194頁。
^ 島田、2007年、204頁。
^ a b c d e 週刊Gallop編集部、2007年、11頁。
^ サラブレ編集部、2007年、105頁。
^ 「インパクト“単勝1番人気”だ~凱旋門賞」 スポーツニッポン、2006年9月25日。
^ 週刊Gallop編集部、2006年b、56頁。
^ 島田、2007年、258頁。
^ a b 週刊Gallop編集部、2007年、30-31頁。
^ 週刊Gallop編集部、2006年b、13頁。
^ 週刊Gallop編集部、2006年b、18頁。
^ 週刊Gallop編集部、2006年b、19頁。
^ 岡部・合田・井崎・鈴木、2006年、18頁。
^ サラブレ編集部、2007年、61頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、32頁。
^ a b 週刊Gallop編集部、2007年、33頁。
^ 栗林、2008年、192頁。
^ 武豊「武豊手記」 スポーツニッポン、2006年12月25日付1面。
^ 島田、2007年、302頁。
^ 島田、2007年、303頁。
^ サラブレ編集部、2007年、69頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、49頁。
^ 栗林、2008年、260頁。
^ 「ディープ公開 ファン1200人」 スポーツニッポン、2008年2月14日。
^ 「ディープインパクト 28頭目の栄誉」 スポーツニッポン、2008年5月9日。
^ 「ディープインパクト殿堂入り記念展を開催中」 netkeiba.com、2008年5月24日。
^ 「今年最大の注目はディープ産駒の評価」 馬三郎タイムズ、2008年1月4日。
^ 「ディープインパクトに初仔誕生」 デイリースポーツ、2008年1月9日。
^ 「ディープインパクトがJRA年間100勝」 競馬ブックweb、2011年10月30日。
^ 島田、2007年、131頁。
^ a b サラブレ編集部、2007年、108頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、51-52頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、54頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、57頁。
^ サラブレ編集部、2007年、31頁。
^ 島田、2007年、159頁。
^ 「インパクト ミニ放牧場での放牧開始」 スポーツニッポン、2006年12月29日。
^ 週刊Gallop編集部、2005年a、13頁。
^ a b 週刊Gallop編集部、2005年b、60頁。
^ 島田、2007年、57-58頁。
^ a b 週刊Gallop編集部、2006年a、59頁。
^ サラブレ編集部、2007年、30頁。
^ 週刊Gallop編集部、2005年a、54頁。
^ a b 週刊Gallop編集部、2005年b、58頁。
^ a b NHK取材班、2006年、74-75頁。
^ サラブレ編集部、2007年、73頁。
^ a b 週刊Gallop編集部、2005年b、59頁。
^ 城崎、2007年、59頁。
^ NHK取材班、2006年、64頁。
^ NHK取材班、2006年、61-63頁。
^ 島田、2007年、182頁。
^ 週刊Gallop編集部、2006年a、58頁。
^ 週刊Gallop編集部、2006年a、58-59頁。
^ サラブレ編集部、2007年、81頁。
^ 週刊Gallop編集部、2005年b、56頁。
^ サラブレ編集部、2007年、74-75頁。
^ 週刊Gallop編集部、2005年a、60頁。
^ 週刊Gallop編集部、2005年a、63頁。
^ 週刊Gallop編集部、2005年a、64頁。
^ 島田、2007年、73頁。
^ 「獣医の心までとりこにするインパクト」 スポーツニッポン、2005年5月27日。
^ 栗林、2008年、259頁。
^ 週刊Gallop編集部、2007年、56頁。
^ 週刊Gallop編集部、2005年b、4頁。
^ 島田、2007年、104頁。
^ 島田、2007年、86頁。
^ 島田、2007年、87頁。
^ 週刊Gallop編集部、2005年b、53頁。
^ 週刊Gallop編集部、2005年b、11頁。
^ 週刊Gallop編集部、2005年b、8頁。
^ 岡部・柴田・井崎・鈴木、2005年、13頁。
^ 合田直弘「ワールドランキングへの異議」 『合田直弘 世界の競馬』、netkeiba.com、2007年1月24日(インターネット・アーカイブによるcache)。
^ 優駿編集部、2010年、10頁。
^ 優駿編集部、2010年、52-53頁。
^ サラブレ編集部、2007年、41頁。
^ NHK取材班、2006年、3頁。
^ 「Suntory News Release No.9780」 サントリー株式会社、2007年4月24日。
^ 「2005年の「新語・流行語大賞」、60語の候補を発表。」 Narinari.com、2005年11月12日。
^ 「日経MJが選ぶ「2005年ヒット商品番付」。」 Narinari.com、2005年12月7日。
^ 「今日のいいともニュース―2005年12月28日・年忘れ特大号」 森田一義アワー 笑っていいとも! 資料室(同番組のファンサイト)。
^ 「今日のいいともニュース―2006年12月27日・年忘れ特大号」 同上。
^ 「新庄超え!? ディープ経済効果262億!!」 スポーツ報知、2006年12月24日(インターネット・アーカイブによるcache)。
^ 重光晋太郎 「インパクト旋風北へ」 スポーツニッポン、2006年12月25日付21面。
^ 「ディープ人気 出足よし!」 読売新聞、2006年9月28日。
^ 「ディープ馬券1億2000万円分未換金」 デイリースポーツ、2007年2月24日(インターネット・アーカイブによるcache)。
^ 「全7戦の馬券セットで5万円」 スポーツニッポン、2005年10月24日。
^ 「いじめ自殺、遺族に贈り物/ディープと同型の蹄鉄」 四国新聞、2006年11月16日。

ディープインパクト 参考文献

NHK取材班 『三冠馬ディープインパクト 強さの秘密』 NHK出版、2006年 ISBN 414081103X
岡部幸雄・柴田政人・井崎脩五郎・鈴木淑子 「座談会 2005年競馬を振り返る」 『週刊Gallop臨時増刊 JRA重賞年鑑2005』、産業経済新聞社、2005年
岡部幸雄・合田直弘・井崎脩五郎・鈴木淑子 「座談会 2006年競馬を振り返る」 『週刊Gallop臨時増刊 JRA重賞年鑑2006』、産業経済新聞社、2006年
栗林阿裕子 『ディープインパクト―これからはじまる物語』 メタモル出版、2008年 ISBN 4895956504
サラブレ編集部 『ディープインパクト 衝撃の軌跡』 エンターブレイン、2007年 ISBN 475773381X
島田明宏 『ありがとう、ディープインパクト―最強馬伝説完結』 廣済堂出版、2007年 ISBN 4331512150
城崎哲 『カリスマ装蹄師西内荘の競馬技術―空飛ぶ蹄鉄をいかにデザインするか』 白夜書房、2007年 ISBN 9784861912689
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃2冠までの足跡』 産業経済新聞社、2005年a
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃3冠DVDメモリアル』 産業経済新聞社、2005年b
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ファンが選んだ2005ベストレース』 産業経済新聞社、2006年a
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 凱旋門賞激走譜』 産業経済新聞社、2006年b
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 さようならディープインパクト ありがとうターフを去ったHero&Heroine’06』 産業経済新聞社、2007年
優駿編集部 『優駿3月号増刊 TURF HERO 2005』 日本中央競馬会、2006年
優駿編集部 「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち」 『優駿』800号、日本中央競馬会、2010年

ダイワスカーレット 有馬記念を勝った唯一の牝馬

ダイワスカーレットは見事な栗毛の馬です。

栗毛の馬の中では、サイレンススズカやグラスワンダーと並ぶ位、ダイワスカーレットは好みですね。

天皇賞での休み明けだったのに精一杯タフなレースを闘ったダイワスカーレットは凄かった。
あの展開、あのペースで坂下からまた盛り返せる馬なんて他にはいないでしょう。

今、母となったダイワスカーレット、産駒のデビューが待ち遠しいですね。

ダイワスカーレット

英字表記 Daiwa Scarlet
性別 牝
毛色 栗毛
生誕 2004年5月13日(8歳)
抹消日 2009年2月18日
父 アグネスタキオン
母 スカーレットブーケ
母の父 ノーザンテースト
生国 日本(北海道千歳市)
生産 社台ファーム
馬主 大城敬三・吉田照哉
調教師 松田国英(栗東)
厩務員 斉藤正敏
競走成績
生涯成績 12戦8勝
獲得賞金 7億8668万5000円
勝ち鞍 GI:エリザベス女王杯(2007年)
有馬記念(2008年)
JpnI:桜花賞、秋華賞(2007年)
GII:大阪杯(2008年)
JpnII:ローズステークス(2007年)

ダイワスカーレット(英: Daiwa Scarlet)は繁殖牝馬。2007年の桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、2008年の有馬記念に勝利している。

同世代のウオッカと激しい争いを繰り広げ、ともに牝馬ながら牡馬とも互角以上に渡り合った。デビュー戦から引退まで12戦8勝・2着4回と全ての出走レースで連対を果たした。

デビューから引退までの12戦連続連対はJRA所属馬としては牝馬最多記録となっている(最多記録は19戦連対のシンザン)。デビューから引退まで完全連対の成績を残したことから「ミス・パーフェクト」と呼ばれた。

馬名の由来は冠名(ダイワ)+映画『風と共に去りぬ』のヒロインであるスカーレット・オハラから[1]。

ダイワスカーレット 戦績

ダイワスカーレット 2歳

デビューは2006年11月19日、京都競馬場第5競走の新馬戦(芝2000m)で安藤勝己を鞍上に先行策からほぼ馬なりで快勝した。安藤勝己は以後全レースで騎乗することになる。なお同日のメインレースのマイルチャンピオンシップでは半兄のダイワメジャーが優勝し、兄妹同日勝利を挙げ話題になった。続く中京2歳ステークスでは同じく先行策から評判馬アドマイヤオーラの追撃を余裕を残して封じ、デビュー2連勝を飾った。

ダイワスカーレット 3歳

年明け初戦のシンザン記念では牡馬相手に強い内容で連勝してきた実績を買われて1番人気に支持されるものの、やや掛かり気味にレースを進めた上に終始アドマイヤオーラのマークを受け、直線では同馬に差されて2着となり初黒星を喫した。

続く桜花賞トライアルのチューリップ賞では前年の2歳女王ウオッカと対戦。スタート良くハナを切り、直線では真っ向勝負を望むかのようにウオッカを引き付けたが、前に出られると差し返すことはできずクビ差敗れた。

陣営はこの敗戦で瞬発力勝負では分が悪いと判断し、大外18番枠からの発走となった本番の桜花賞では直線で早めに抜け出す積極策でウオッカの追撃を抑えて優勝。前走の雪辱を果たすとともに兄妹クラシック制覇を成し遂げた。優駿牝馬(オークス)ではウオッカが東京優駿(日本ダービー)に出走するため不動の本命と目されていたが、感冒により回避。山元トレーニングセンターへ放牧され8月10日に帰厩した。
復帰後初戦はローズステークスに出走。優駿牝馬ハナ差2着のベッラレイアとの初対決が注目を集めた。レースではスタート直後から徐々に先頭に立つと、そのまま押し切り1着でゴール。

10月3日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは109ポンドの評価を得た。なお、このレース以降、レース中は青いメンコを装着している。その後第12回秋華賞に出走。このレースは、64年ぶりに牝馬のダービー馬となったウオッカと春以来の再戦ということもあり非常に注目されていた。

距離の面で不安視されていたが、道中かかり気味に2番手を追走し先頭を行くヒシアスペンを3コーナーで捕らえると後続の追撃を払い、そのまま押し切り完勝。中央競馬牝馬2冠を達成した。

秋華賞後はマイルチャンピオンシップへの出走も視野に入れていたが第32回エリザベス女王杯に出走。レース前日まで1番人気だったウオッカがレース当日に出走を取り消したために、最終的には1番人気に支持された。

レースではスタートから押し出されるような形で先頭に立つと、最後の直線では前年優勝のフサイチパンドラや前々年優勝のスイープトウショウを抑え1着となった。なお翌週のマイルチャンピオンシップで兄のダイワメジャーが安藤を背に快勝。兄妹による2週連続のGI制覇となった。

11月26日に都内で行われたオーナー主催のパーティーにおいて、生産者で共同オーナーの吉田照哉から来春のドバイデューティーフリー遠征、さらには第52回有馬記念での兄妹対決が語られ、その動向に注目が集まった。

11月29日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは、エリザベス女王杯を制したことにより過去7年で最も高い115ポンドの評価を得た。有馬記念で安藤が兄・ダイワメジャーと当馬のどちらに騎乗するのか話題になったが、引き続き当馬に騎乗することになった。有馬記念ファン投票では7万4134票を集め4位となった。ちなみにダイワメジャーは3位であった。

そして迎えた有馬記念では、初のGI級牡馬との対戦に加え初体験となる長距離、関東遠征、さらに鞍上の安藤が中山の芝重賞未勝利であることを不安視する声もあったが兄を上回る単勝5番人気に支持される。レースでは道中2番目に付け直線で抜け出しを図るも、経済コースを通っていたマツリダゴッホに内をすくわれるとこれを交わすことはできず1馬身1/4差の2着に敗れる。

スターロツチ以来の3歳牝馬での有馬記念制覇はならなかったが最後の直線では追いすがる兄を突き放し天皇賞春秋連覇を達成したメイショウサムソンやライバルのウオッカ、同世代牡馬のロックドゥカンブらに先着し、改めて能力の高さを見せつけた。

この年内GI3勝に加え有馬記念2着、ダービー馬ウオッカにはGIで3回対戦してすべて先着したことが評価され、年度代表馬の座こそ海外戦を含むGI3勝のアドマイヤムーンに譲ったものの、ウオッカを抑えてJRA賞最優秀3歳牝馬およびJRA賞最優秀父内国産馬を受賞した。

なお牝馬の有馬記念連対は1994年のヒシアマゾン以来13年ぶりであり、このレースで2003年のスティルインラブを抜いて牝馬のJRA年間獲得賞金額歴代1位となった。

レース後には、初のダート戦となるフェブラリーステークスをステップに、ドバイワールドカップかドバイデューティーフリーへの参戦が予定された。

ダイワスカーレット 4歳

1月31日にドバイワールドカップ及びドバイデューティフリーの選出馬となり、ドバイへのステップとしてフェブラリーステークスに登録したが、調教中に走路から跳ね上がったウッドチップ(木片)が右目に入り、創傷性角膜炎と診断された。そのためフェブラリーステークスを回避し、併せてドバイ遠征も白紙となった。

その後大阪杯で復帰し単勝2.0倍の1番人気に支持され優勝。次走はヴィクトリアマイルを目標に調整されていたが右前脚管骨骨瘤を発症したため、春シーズンを全休した。そのため出走に至らなかったが、宝塚記念ファン投票では4位となる3万9234票を獲得している。

その後は秋まで休養しステップレースを使わず秋の天皇賞へ出走。当初は出走が微妙な状態だったが、「少しでも不安があればエリザベス女王杯の選択肢もありますが、昨年も勝ったレース。

限定戦の楽な選択をするより、強い馬が集まるレースで強いことを証明したい」という理由から出走を決断した。大阪杯以来の故障休養明けでのGI出走に加え東京コース未経験であることを不安視する声もあったが、ウオッカに次ぐ2番人気に支持された。

好スタートからハナを奪ったが、道中ではトーセンキャプテンに後ろから競りかけられ、最初の1000mを58.7秒という淀みないペースで逃げる展開となった。しかし直線に入ると追い込んでくるウオッカと壮絶な1着争いを繰り広げ横並びで入線。15分に及ぶ写真判定の結果、わずか2cm差の2着に敗れた(レースの詳細については第138回天皇賞を参照のこと)。

年末には第53回有馬記念に出走し1番人気に推された。レースでは外枠13番からの発走の影響もなくスタート良くハナに立ち、最初の900mを53.1秒という淀みないペースで逃げ、最後の直線でも他馬を寄せ付けることなく完勝、人気に応えた。牝馬による有馬記念制覇は、1971年のトウメイ以来、37年ぶりの快挙であった。なお、牝馬の有馬記念制覇は史上4頭目だが1番人気での優勝は初である。

レース後には、再び海外遠征のプランが持ち上がった。調教師の松田国英は海外での3勝を目標とし、2008年は断念したドバイ遠征に再度挑戦したいと発言。生産者である社台ファーム代表の吉田照哉も日本国内産馬でのヨーロッパGI制覇を期待しているコメントをした。

2008年度のJRA賞は年度代表馬、最優秀4歳以上牝馬部門ともウオッカが選ばれ特別賞授与についても審議を行ったが委員8人中、賛成は4人(反対3、欠席1)のため委員総数の4分の3以上(6人以上)の推薦が得られなかったため、この年はどの賞も受賞することができなかった。

ダイワスカーレット 5歳

この年もドバイワールドカップを目標に、前年同様にステップレースとしてフェブラリーステークスに登録していたが、1週前追い切りを終えた直後の2月12日に脚部不安を発症したために出走を回避した[2][3]。翌日には浅屈腱炎であることが判明、ドバイワールドカップも回避し[4]、その後大城敬三と吉田照哉の間で協議が行われた結果、2月18日付で競走馬登録を抹消され現役を引退した[5][6]。なお、兄のダイワメジャーと違い、引退式は行わなかった。

ダイワスカーレット 競走成績

年月日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量[kg] 距離(馬場) タイム
(上り3F) 時計
差 勝ち馬/(2着馬)
2006. 11. 19 京都 2歳新馬 12 3 3 1.8(1人) 1着 安藤勝己 54 芝2000m(良) 2:04.1(35.0) -0.3 (コスモグルミット)
12. 16 中京 中京2歳S OP 8 1 1 2.2(1人) 1着 安藤勝己 54 芝1800m(良) 1:47.8(33.7) -0.1 (アドマイヤオーラ)
2007. 1. 8 京都 シンザン記念 JpnIII 10 7 8 1.9(1人) 2着 安藤勝己 56 芝1600m(良) 1:35.3(33.7) 0.2 アドマイヤオーラ
3. 3 阪神 チューリップ賞 JpnIII 16 4 7 2.8(2人) 2着 安藤勝己 54 芝1600m(良) 1:33.7(33.9) 0.0 ウオッカ
4. 8 阪神 桜花賞 JpnI 18 8 18 5.9(3人) 1着 安藤勝己 55 芝1600m(良) 1:33.7(33.6) -0.2 (ウオッカ)
9. 16 阪神 ローズS JpnII 14 4 5 1.6(1人) 1着 安藤勝己 55 芝1800m(良) 1:46.1(33.6) -0.1 (ベッラレイア)
10. 14 京都 秋華賞 JpnI 18 7 13 2.8(2人) 1着 安藤勝己 55 芝2000m(良) 1:59.1(33.9) -0.2 (レインダンス)
11. 11 京都 エリザベス女王杯 GI 13 5 7 1.9(1人) 1着 安藤勝己 54 芝2200m(良) 2:11.9(34.1) -0.1 (フサイチパンドラ)
12. 23 中山 有馬記念 GI 15 4 7 8.1(5人) 2着 安藤勝己 53 芝2500m(稍) 2:33.8(36.6) 0.2 マツリダゴッホ
2008. 4. 6 阪神 大阪杯 GII 11 7 9 2.0(1人) 1着 安藤勝己 56 芝2000m(良) 1:58.7(34.8) -0.1 (エイシンデピュティ)
11. 2 東京 天皇賞(秋) GI 17 4 7 3.6(2人) 2着 安藤勝己 56 芝2000m(良) 1:57.2(35.2) 0.0 ウオッカ
12. 28 中山 有馬記念 GI 14 8 13 2.6(1人) 1着 安藤勝己 55 芝2500m(良) 2:31.5(36.4) -0.3 (アドマイヤモナーク)

ダイワスカーレット 競走馬としての特徴

抜群のスタートダッシュからレースの主導権を握ると中盤でペースを落として力を温存、そこから上がり3ハロン33秒台~34秒台前半の息の長く速い末脚を使って押し切るというスタイルで好走を続けた。

3歳時はスローペースに落としてから他馬と同じ末脚に持ち込んで押し切る。4歳時はハイペースに持ち込んで他馬のスタミナを削るという2種類のペースで走っていた。2008年の有馬記念では、3コーナーで競りかけてきた人気馬達がことごとく沈んでいき、競馬評論家の井崎脩五郎に「超一流馬に並みの一流馬が潰された」と評された。

抜群の安定感を誇り、引退までの12戦において一度も連対を外すことはなかった。生涯出走全戦で連対した日本中央競馬会所属のGI級レース勝ち馬としてはシンザンの19連対に次ぐものであり、牝馬としては歴代最高記録である。またダイワスカーレットは容姿の美しさについて、元騎手で競馬評論家の細江純子はその容姿を「人で喩えるならば、デビューしたての頃の宮沢りえ」と評した[7]。

ダイワスカーレット 繁殖入り後

引退後は生まれ故郷の社台ファームで繁殖入りした。2010年3月6日、チチカステナンゴとの交配による初仔を出産した[8]。初仔は牝馬で、チチカステナンゴにとっては日本での初年度産駒となる。

ダイワスカーレット 繁殖成績
馬名 誕生年 毛色 父 性 厩舎 馬主 戦績 備考
初仔 ダイワスカーレットの2010 2010年 黒鹿毛 チチカステナンゴ 牝 – – – (幼駒)
第2仔 ダイワスカーレットの2011 2011年 栗毛 キングカメハメハ 牝 – – – (幼駒)

ダイワスカーレット 血統表

ダイワスカーレットの血統 (サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)/Lady Angela 5×4=9.38%、Almahmoud 5×5=6.25%)


アグネスタキオン
1998 栗毛 *サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛 Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
アグネスフローラ
1987 鹿毛 *ロイヤルスキー Raja Baba
Coz o’Nijinsky
アグネスレディー *リマンド
イコマエイカン


スカーレットブーケ
1988 栗毛 *ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛 Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
*スカーレットインク
Scarlet Ink
1971 栗毛 Crimson Satan Spy Song
Papila
Consentid Beau Max
La Menium F-No.4-d
スカーレット一族の一頭。
半姉・ダイワルージュ、半兄・ダイワメジャー(いずれも父・サンデーサイレンス)をはじめ、兄姉にオープン馬多数。
母・スカーレットブーケはGIII4勝。
近親に下記の活躍馬。
スカーレットリボン(母の全姉、報知杯4歳牝馬特別勝ち)
サカラート、ヴァーミリアン、キングスエンブレム兄弟(母の全姉・スカーレットローズの孫)
トーセンジョウオー(祖母・スカーレットインクの曾孫、エンプレス杯等交流重賞を5勝)

ダイワスカーレット 脚注

^ “有馬記念アラカルト”. netkeiba.com (2008年12月28日). 2010年1月6日閲覧。
^ “ダイワスカーレット号がフェブラリーステークス出走回避”. JRA. 2009年2月12日閲覧。
^ “ダイワスカーレット、フェブラリーS回避”. SANSPO.com. 2009年2月12日閲覧。
^ “ダイワスカーレット号がドバイ・ワールド・カップ出走回避”. JRA. 2009年2月12日閲覧。
^ “ダイワスカーレット号が競走馬登録抹消”. JRA. 2009年2月16日閲覧。
^ “ダイワスカーレット引退 JRAが正式発表”. SANSPO.com. 2009年2月16日閲覧。
^ “「中央競馬ワイド中継」2007年1月7日より”. 2009年4月17日閲覧。
^ ダイワスカーレット、初仔の牝馬が誕生 サンケイスポーツ 2010年3月8日閲覧

タニノギムレット

タニノギムレット

性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1999年5月4日
父 ブライアンズタイム
母 タニノクリスタル
母の父 クリスタルパレス
生国 日本(北海道静内町)
生産 カントリー牧場
馬主 谷水雄三
調教師 松田国英(栗東)
競走成績
生涯成績 8戦5勝
獲得賞金 3億8601万円

タニノギムレットは、2002年の第69回東京優駿(日本ダービー)優勝馬である。
馬主の谷水雄三は、かつてタニノハローモア、タニノムーティエで東京優駿を勝った谷水信夫の子息で、親子二代での東京優駿馬オーナーとなった。
「ギムレット」とはジンをベースにしたカクテルの名前で、東京優駿レース後の優勝騎手インタビューで、武豊が「今日はギムレットで乾杯してください」と語っている。

タニノギムレット 戦績

タニノギムレット 2歳時代

育成時代は北海道浦河の吉澤ステーブルで鍛えられ、デビューは2歳の夏、札幌競馬場のダート1000m。そこでは2着に敗れ、それ以降冬まで休養し、12月に阪神競馬場の芝1600mで復帰し、2着に7馬身差をつけ初勝利。

タニノギムレット 3歳時代

3歳となり重賞初挑戦となったシンザン記念は、武豊を迎え優勝。続くアーリントンカップも3馬身半差をつけ優勝。さらに皐月賞トライアル、スプリングステークスでは負傷の武豊に代わって四位洋文が騎乗、大外を通り豪快な末脚でテレグノシスに並び掛けて首差の差し切り勝ち。

皐月賞では再び四位を背に、2.6倍の1番人気に推された。しかしレースでは、最終コーナーで一番外を大きく回るコースロスが響いてしまい、直線に入ってからほとんどの馬を抜き去る豪脚を見せるが、前の2頭を交わすことはできず3着に敗れた。

勝ったのは好位から抜け出した15番人気のノーリーズンであった。このときの四位の荒い騎乗について、明らかな騎乗ミスであったとされることが多く、解説者も「タニノギムレットは1頭だけ100メートル余分に走っていた」と語った。勝ちタイムは1分58秒5は皐月賞レコード、ノーリーズンの単勝は万馬券、2着にも人気薄のタイガーカフェが粘り切って馬連53,090円となった。

このまま東京優駿へ向かうものと思われたが、NHKマイルカップにケガから復帰した武豊を鞍上に迎えて出走し、単勝1.5倍の1番人気に推された。いつもの通りの後方待機から直線に向くも、テレグノシスの斜行より進路をふさがる不利があり、進路を左右に変えながら追い上げたが、そのテレグノシスの3着に敗れた。

審議時間は20分以上にも及び、この斜行に鞍上武豊は激怒したという。

引き続き中2週と詰まったローテーションとなるが、次走は東京優駿に出走。ここでも1番人気に推され、いつもの通りの後方待機から直線に向くと直線坂下から末脚を繰り出し、シンボリクリスエスを差し切り優勝した。武豊は史上初の東京優駿3勝目を挙げる。なお、レース前にタニノギムレットについて「馬は絶好調だし心配することはほとんどないが、杉本さんの◎だけが唯一心配だ」と関係者が揃って言っていた。

しかし、秋シーズンを迎えて神戸新聞杯から菊花賞を目指すローテーションが組まれた直後に浅屈腱炎を発症し、引退した。

タニノギムレット 競走成績
年月日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム(上り3F) タイム
差 勝ち馬/(2着馬)
2001. 8. 5 札幌 2歳新馬 12 6 7 2.1(1人) 2着 横山典弘 53 ダ1000m(良) 1:00.8(36.5) 0.2 レアパール
12. 22 阪神 2歳未勝利 16 2 4 3.6(3人) 1着 四位洋文 54 芝1600m(良) 1:35.6(35.2) -1.2 (ハマノホーク)
2002. 1. 14 京都 シンザン記念 GIII 16 2 3 2.2(1人) 1着 武豊 55 芝1600m(良) 1:34.8(34.5) -0.1 (チアズシュタルク)
2. 23 阪神 アーリントンC GIII 13 6 9 1.3(1人) 1着 武豊 56 芝1600m(良) 1:33.9(34.1) -0.6 (ホーマンウイナー)
3. 17 中山 スプリングS GII 16 6 11 1.3(1人) 1着 四位洋文 56 芝1800m(良) 1:46.9(34.5) 0.0 (テレグノシス)
4. 14 中山 皐月賞 GI 18 6 11 2.6(1人) 3着 四位洋文 57 芝2000m(良) 1:58.8(34.8) 0.3 ノーリーズン
5. 4 東京 NHKマイルC GI 18 5 9 1.5(1人) 3着 武豊 57 芝1600m(良) 1:33.5(35.3) 0.4 テレグノシス
5. 26 東京 東京優駿 GI 18 2 3 2.6(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 2:26.2(34.7) -0.2 (シンボリクリスエス)

タニノギムレット 種牡馬として

故障を受けて、急遽馬主の谷水雄三、社台グループの吉田勝己、調教師の松田国英の間で話し合いが持たれ、総額16億2000万円のシンジケートが組まれ、北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となることが決まった。

産駒は2006年から走り始め、初年度産駒のウオッカが第58回阪神ジュベナイルフィリーズを制して産駒の初GI勝ちを収め、さらに翌2007年には、父と同じ「2枠3番」で64年ぶりの牝馬の東京優駿優勝を達成するなど、好調な出足を見せた。ウオッカとの父仔東京優駿制覇は史上5組目であり、父-娘の関係では史上初となる。

ウオッカをはじめとする初年度産駒が活躍したこともあり、同年は240頭に種付けを行った。この種付け頭数は当年の国内2位であった。なおウオッカは2008年、2009年度のJRA賞年度代表馬となっている。

初年度からの好成績に加え、ナリタブライアン、マヤノトップガン、サニーブライアンら他のブライアンズタイム産駒の種牡馬から目立った後継が生まれていないこと、及び日本最大手の社台グループの社台スタリオンステーションに繋養される恵まれた環境もあり、ブライアンズタイムの有力後継種牡馬として期待されている。血統的にもノーザンダンサーやミスタープロスペクターを含まず、サンデーサイレンスを父に持つ牝馬とも交配が可能である。

タニノギムレット 年度別種牡馬成績(中央+地方)
年 出走 勝利 順位 AEI 収得賞金頭数
2006年 47 139 7 9 89 1.07 1億9830万9000円
2007年 139 799 50 81 21 1.78 9億9318万7000円
2008年 198 1504 94 152 13 1.86 14億8380万7000円
2009年 216 1840 96 172 11 1.94 16億8699万7000円
2010年 271 2007 103 167 21 1.06 11億5303万6000円
2010年終了時点。

タニノギムレット 主な産駒


ウオッカ(2004年産)
2004年産
ウオッカ(ジャパンカップ、東京優駿、天皇賞(秋)、安田記念 2回、ヴィクトリアマイル、阪神ジュベナイルフィリーズ、チューリップ賞)
ヒラボクロイヤル(青葉賞)
アブソリュート(東京新聞杯、富士ステークス)
ニシノブルームーン(中山牝馬ステークス)
ゴールドアグリ(新潟2歳ステークス)
2005年産
スマイルジャック(スプリングステークス、関屋記念、東京新聞杯)
2006年産
セイクリッドバレー(新潟大賞典)
2008年産
クレスコグランド(京都新聞杯)
リワードレブロン(黒潮菊花賞)

タニノギムレット エピソード

DREAM競馬MCの柳沼淳子(フリーアナウンサー)が結婚発表した際、相手のことを「馬でいえば、タニノギムレット」と表現している。

タニノギムレット 血統表

タニノギムレットの血統 (ロベルト系/Graustark3×4=18.75%、Sicambre 4×5=9.38%、Roman5×5=6.25%)


*ブライアンズタイム
Brian’s Time
1985 黒鹿毛 Roberto
1969 鹿毛 Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
Kelley’s Day
1977 鹿毛 Graustark Ribot
Flower Bowl
Golden Trail Hasty Road
Sunny Vale


タニノクリスタル
1988 栗毛 *クリスタルパレス
Crystal Palace
1974 芦毛 Caro *フォルティノ
Chambord
Hermieres Sicambre
Vieille Pierre
*タニノシーバード
1972 栗毛 Sea-Bird Dan Cupid
Sicalade
Flaxen Graustark
Flavia F-No.9-c
母のタニノクリスタルはサファイヤステークス3着馬。
母の兄に朝日チャレンジカップ、北九州記念勝ち馬のタニノスイセイがいる。
ナスルーラやマームードといった名種牡馬を輩出したムムタズマハルを牝系に持つ。

ダイワファルコン

ダイワファルコン

牡 4歳
生年月日:2007年3月25日
毛色:鹿毛
調教師(所属):上原 博之(美浦)
馬主:大城 敬三
生産者:社台ファーム
産地:千歳市
ジャングルポケット トニービン Kampala
Severn Bridge
ダンスチャーマー Nureyev
Skillful Joy
ダイワルージュ サンデーサイレンス Halo
Wishing Well
スカーレットブーケ ノーザンテースト
スカーレツトインク
本賞金 付加賞金 収得賞金
1億2420万円 150.2万円 平地 2400万円 障害 0万円

総合成績2011年12月19日現在
平地競走成績
種別 1着 2着 3着 4着~ 出走 勝率 連対率
GI 0 0 0 1 1 .000 .000
GII 0 0 1 1 2 .000 .000
GIII 0 0 0 0 0 .000 .000
その他重賞 0 0 0 0 0 .000 .000
重賞合計 0 0 1 2 3 .000 .000
特別 4 2 1 3 10 .400 .600
他 2 1 1 1 5 .400 .600
合計 6 3 3 6 18 .333 .500
障害競走成績
種別 1着 2着 3着 4着~ 出走 勝率 連対率
JGI 0 0 0 0 0 .000 .000
JGII 0 0 0 0 0 .000 .000
JGIII 0 0 0 0 0 .000 .000
その他重賞 0 0 0 0 0 .000 .000
重賞合計 0 0 0 0 0 .000 .000
特別 0 0 0 0 0 .000 .000
他 0 0 0 0 0 .000 .000
合計 0 0 0 0 0 .000 .000
出走レース
年月日 レース 競馬場 コース 馬場 頭
数 枠
番 馬
番 人
気 オッズ 着
順 騎手名 斤量 馬体重 タイム 上3F 通過順位 タイム差
11/12/17 ディセ 中山 芝1800 良(晴) 16 7 13 1 1.5 9 北村宏司 56.0 524(10) 1.47.7 36.2 06-07-05-05 -0.7
11/10/30 カシオ 京都 芝1800 良(小雨) 18 6 11 1 4 1 北村宏司 55.0 514(2) 1.46.2 34.0 09-09 0.1
11/10/01 韓馬杯 中山 芝1600 良(曇) 12 1 1 2 4.1 1 北村宏司 57.5 512(-2) 1.34.8 33.6 03-03-03 0.1
11/05/21 メイS 東京 芝1800 良(晴) 18 8 16 1 2.7 11 北村宏司 56.0 514(10) 1.46.2 33.8 07-08-09 -0.9
11/04/03 大阪杯(GII) 阪神 芝2000 良(晴) 15 8 14 7 24.7 7 北村宏司 57.0 504(-8) 1.58.4 34.9 06-08-07-07 -0.6
11/03/05 スピカ 中山 芝1800 良(晴) 8 2 2 1 1.5 1 北村宏司 57.0 512(-2) 1.47.5 34.7 03-02-02-02 0.2
11/02/06 早春S 東京 芝1800 良(曇) 13 7 11 2 3 3 後藤浩輝 56.0 514(0) 1.47.1 33.1 11-13-13 -0.0
11/01/16 初富士 中山 芝1800 良(晴) 14 4 6 1 1.8 2 後藤浩輝 56.0 514(4) 1.47.7 34.7 07-07-07-06 -0.0
10/12/19 千葉テ 中山 芝1800 良(晴) 12 7 9 1 1.4 1 後藤浩輝 56.0 510(-2) 1.47.8 35.1 03-04-04-03 0.2
10/11/01 精進湖 東京 芝1800 重(晴) 9 6 6 1 2.4 2 後藤浩輝 55.0 512(4) 1.50.1 34.6 07-07-06 -0.0
10/10/02 3歳上 中山 芝1800 良(晴) 14 6 9 1 1.7 1 後藤浩輝 55.0 508(4) 1.47.9 34.8 12-09-04-04 0.4
10/06/12 3歳 東京 芝1800 良(晴) 16 6 12 1 1.7 5 蛯名正義 56.0 504(4) 1.47.8 35.1 02-02-02 -0.6
10/05/08 プリン 東京 芝2000 良(晴) 18 3 6 2 5.6 5 北村宏司 56.0 500(-2) 2.00.3 34.6 07-09-07 -1.2
10/04/18 皐月賞(GI) 中山 芝2000 稍重(晴) 18 7 15 10 35.7 8 北村宏司 57.0 502(0) 2.01.3 35.5 13-13-10-11 -0.5
10/03/07 弥生賞(GII) 中山 芝2000 重(雨) 13 2 2 7 25.3 3 北村宏司 56.0 502(-10) 2.06.5 36.3 08-08-11-12 -0.4
10/02/14 3歳 東京 芝1600 稍重(晴) 15 4 7 3 5.9 2 後藤浩輝 56.0 512(-2) 1.34.7 34.5 05-05 -0.0
09/12/19 未勝利 中山 芝1600 良(晴) 15 6 10 1 3.3 1 後藤浩輝 55.0 514(0) 1.35.5 33.9 10-09-07 0.1
09/11/28 新馬 東京 芝1600 良(晴) 14 6 9 1 2.7 3 後藤浩輝 55.0 514 1.36.5 34.5 02-03 -0.4


ダンスインザモア

ダンスインザモア

品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 黒鹿毛
生誕 2002年5月3日(9歳)
父 ダンスインザダーク
母 スーパーリヴリア
母の父 リヴリア
生国 日本(北海道静内町)
生産 西川富岡牧場
馬主 木浪巖
調教師 相沢郁(美浦)
競走成績
生涯成績 44戦5勝
獲得賞金 2億3200万0000円
(2010年11月20日現在)

ダンスインザモアの主な勝ち鞍は2005年スプリングステークス、2010年福島記念。

ダンスインザモア 戦歴

ダンスインザモア 2004年

12月中山の新馬戦、蛯名正義を鞍上に4番人気で1着となりデビュー戦を勝利で飾る。

ダンスインザモア 2005年
2戦目の寒竹賞では4着に敗れるも、次走の東京での500万条件を制し、スプリングステークスに挑み5番人気に支持される。人気馬が総崩れするなか、道中は後方待機で第4コーナー入口あたりからのロングスパートで見事に差し切り、重賞初制覇を果たし皐月賞の優先出走権を得る。次走は順当に皐月賞に出走。

後に史上6頭目のクラシック三冠を達成することとなるディープインパクトが断然の1番人気に押され、離れた5番人気であった。前走とは違い中団でレースを運び、一瞬の見せ場は作るものの、直線での伸びを欠き8着に敗れる。

続く日本ダービーは14着と大敗、休み明けに選んだ富士ステークスを7着に敗れる。年末の中日新聞杯(当時は父内国産馬限定戦)では、1番人気に支持されるも伏兵のグランリーオに1馬身差及ばずの2着に敗れる。

ダンスインザモア 2006年

年明けの中山金杯に出走。デビュー戦以来、鞍上を務めていた蛯名正義に代わり田中勝春が騎乗し、3番人気に支持されるも9着と敗れる。鞍上を再び蛯名正義に戻し、中山記念、ダービー卿チャレンジトロフィーに挑むもいずれも掲示板止まりの善戦で勝利は果たせなかった。続く、オープン競走のオーストラリアトロフィーでは鞍上を武豊に変え2番人気に支持されるも6着に敗れる。

次走は安田記念に目標を定め出走登録を行うも、フルゲート18頭の出走優先順位19位で惜しくも除外されてしまい出走は叶わなかった。やむなく木幡初広の騎乗でエプソムカップに挑むも16着と大敗、鞍上を再び蛯名正義に戻し、富士ステークスで9着、以後のオープン競走の2戦とも勝利できず、結局2006年は未勝利で終わる。

ダンスインザモア 2007年

年明け初戦はオープン競走のニューイヤーステークスに出走。3番人気というそこそこの評価ではあったが後方からの追い込みを決め、スプリングステークス以来の勝利を飾る。続く中山記念ではスタートで大きく出遅れ、追い込むも3着が精一杯であったが、1着馬のローエングリンとは0.2秒差まで詰めており、出遅れが無ければ勝利もあったと思わせる内容であった。そのレース内容もあり、次走のダービー卿チャレンジトロフィーは1番人気に支持されるが、ここでも大きく出遅れてしまい、人気を大きく裏切る7着に敗れてしまう。なお、このレースを最後に蛯名正義は同馬に騎乗していない。(2010年11月20日現在)

この頃から、ゲートでの悪癖が目に付くようになるが、松岡正海に乗り変わった新潟大賞典では出遅れずにいつもの後方待機での差し切りを狙うも4着に敗れる。

次走は前年、出走が叶わなかった安田記念を目標にし出走登録を行うも、ここでもまた出走優先順位19位で除外の憂き目に遭い、前年と同じくエプソムカップに出走。前走と同じく松岡正海の騎乗で挑み6着に敗れ、長期休養に入る。

ダンスインザモア 2008年

およそ1年5ヶ月の休養を経た11月、秋山真一郎の騎乗でオープン競走のカシオペアステークスに出走するも11頭立ての11着と大敗。以後、主戦騎手不在で乗り替わりが続くこととなる。キャピタルステークスでは18頭立ての16着と大敗、ディセンバーステークスは5着と何とか掲示板は確保するも勝利とは程遠く、馬券圏内に絡むことは全くなく2008年を終え再び長期休養に入る。

ダンスインザモア 2009年

およそ9ヶ月半の休養を経て、ポートアイランドステークス、アイルランドトロフィー、富士ステークスと10月だけで3戦も出走するが全て2桁着順に終わり、年末のディセンバーステークスに松岡正海の騎乗で挑み、勝ち馬とあまり差のない4着と見せ場を作るも、結局この年も馬券圏内に絡むことはなかった。

ダンスインザモア 2010年

同年は長期休養もなく年始から始動。3年前に最後の勝利を収めているニューイヤーステークスに乗り替わりが続くなか前走に次ぎ松岡正海の騎乗で挑むも5着、次走は昨年のアイルランドトロフィーで騎乗した丸田恭介の鞍上で小倉大賞典に挑む。道中は大きく離された最後方でレースを進めるが直線で伸びを見せるが、ゴール直前でマイネルスターリーが外側に斜行し、ナリタクリスタルの進路が阻まれその煽りを受けて5位入線に終わる。

審議の結果、2位入線のマイネルスターリーの進路妨害が認められ、3位入線のナリタクリスタルと5位入線のダンスインザモアが被害馬とみなされ、マイネルスターリーは2位入線から5着に降着となり、ダンスインザモアの最終成績は繰り上がりにより4着となった。
続く、中山記念で8着、オープン競走の谷川岳ステークスで11着と大敗を続け休養に入り10月、およそ4ヶ月ぶりのレースとなる富士ステークスでは13着に敗れる。

そして、次走はデビュー以来一度も出走していない福島競馬場にて開催される重賞の福島記念に丸田恭介の鞍上で挑むこととなった。いつものように道中は後方でレースを進め、残り400メートルの時点では最後方であったが、15頭立ての12番人気という低評価を覆し直線一気の追い込みを決め2007年のニューイヤーステークス以来、およそ3年10ヶ月ぶりの勝利を飾った。重賞に限定すると2005年のスプリングステークス以来、実におよそ5年8ヶ月ぶりの勝利となり、メジロマイヤーが持っていた約4年というJRAにおける重賞最長間隔勝利記録を大きく更新した。また鞍上の丸田恭介にとってはJRA重賞初制覇となった。続く中日新聞杯では後方追走のまま12着と大敗を喫した。

ダンスインザモア 2011年
アメリカジョッキークラブカップから始動したが9着、続く大阪城ステークスでは11着、ダービー卿チャレンジトロフィーでは12着、新潟大賞典では9着、五稜郭ステークスでは7着、函館記念では6着、札幌記念では9着と惨敗。アンドロメダステークスは後方から脚を伸ばして5着と掲示板を確保した。続く中日新聞杯では後方追走のまま11着と大敗を喫した。

ダンスインザモア 競走成績

年月日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F) タイム差 勝ち馬/(2着馬)
2004 12. 5 中山 新馬 12 1 1 5.2 (4人) 1着 蛯名正義 55 芝1800m(重) 1:51.2(36.3) -0.3 (アサクサキンメダル)
2005 1. 9 中山 寒竹賞 16 5 10 9.1 (3人) 4着 蛯名正義 56 芝2000m(良) 2:01.8(35.3) 0.2 シーザリオ
2. 20 東京 500万下 16 5 10 2.2 (1人) 1着 蛯名正義 56 芝1600m(重) 1:37.6(36.0) -0.2 (サトノケンシロウ)
3. 20 中山 スプリングS GII 16 3 5 10.2 (5人) 1着 蛯名正義 56 芝1800m(良) 1:47.3(34.5) -0.2 (ウインクルセイド)
4. 17 中山 皐月賞 GI 18 8 18 20.1 (5人) 8着 蛯名正義 57 芝2000m(良) 2:00.2(35.1) 1.0 ディープインパクト
5. 29 東京 東京優駿 GI 18 8 18 72.6 (11人) 14着 蛯名正義 57 芝2400m(良) 2:27.4(37.5) 4.1 ディープインパクト
10. 22 東京 富士S GIII 16 4 8 24.0 (10人) 7着 蛯名正義 56 芝1600m(良) 1:33.3(33.5) 0.4 ウインラディウス
12. 10 中京 中日新聞杯 GIII 16 8 16 4.8 (1人) 2着 蛯名正義 56 芝1800m(良) 1:46.6(35.3) 0.2 グランリーオ
2006 1. 5 中山 中山金杯 GIII 14 5 9 5.7 (3人) 9着 田中勝春 55 芝2000m(良) 1:59.8(35.5) 0.4 ヴィータローザ
2. 26 中山 中山記念 GII 12 7 10 9.8 (5人) 5着 蛯名正義 56 芝1800m(重) 1:50.2(36.0) 1.3 バランスオブゲーム
4. 2 中山 ダービー卿CT GIII 16 2 3 11.0 (5人) 4着 蛯名正義 56 芝1600m(良) 1:32.8(33.4) 0.4 グレイトジャーニー
4. 22 京都 オーストラリアT OP 12 5 5 4.0 (2人) 6着 武豊 57 芝1800m(良) 1:47.2(34.3) 0.5 タガノデンジャラス
6. 11 東京 エプソムC GIII 18 6 11 15.7 (4人) 16着 木幡初広 57 芝1800m(重) 1:52.0(38.6) 2.8 トップガンジョー
10. 21 東京 富士S GIII 18 7 12 49.8 (12人) 9着 蛯名正義 57 芝1600m(良) 1:33.8(34.3) 1.0 キネティクス
11. 12 東京 オーロC OP 18 2 3 12.2 (6人) 11着 蛯名正義 56 芝1400m(良) 1:22.5(34.7) 0.6 ダイワバンディット
11. 26 東京 キャピタルS OP 14 8 13 36.7 (7人) 4着 蛯名正義 57 芝1600m(良) 1:35.3(33.7) 0.3 エアシェイディ
2007 1. 13 中山 ニューイヤーS OP 15 5 10 5.2 (3人) 1着 蛯名正義 56 芝1600m(良) 1:33.4(34.4) -0.3 (メテオバースト)
2. 25 中山 中山記念 GII 16 6 12 8.8 (5人) 3着 蛯名正義 57 芝1800m(良) 1:47.4(34.5) 0.2 ローエングリン
4. 1 中山 ダービー卿CT GIII 15 7 13 2.5 (1人) 7着 蛯名正義 57 芝1600m(良) 1:33.7(35.1) 0.6 ピカレスクコート
5. 5 新潟 新潟大賞典 JpnIII 16 3 5 6.0 (2人) 4着 松岡正海 57 芝2000m(良) 1:57.8(33.5) 0.1 ブライトトゥモロー
6. 10 東京 エプソムC GIII 18 4 7 7.5 (4人) 6着 松岡正海 56 芝1800m(稍) 1:48.4(35.0) 0.1 エイシンデピュティ
2008 11. 2 京都 カシオペアS OP 11 8 10 21.6 (8人) 11着 秋山真一郎 56 芝1800m(良) 1:49.4(36.6) 2.0 バトルバニヤン
11. 29 東京 キャピタルS OP 18 4 8 29.5 (10人) 16着 三浦皇成 57 芝1600m(良) 1:35.1(35.7) 2.1 タマモサポート
12. 20 中山 ディセンバーS OP 11 4 4 12.3 (7人) 5着 木幡初広 56 芝1800m(良) 1:48.0(34.6) 0.5 トウショウシロッコ
2009 10. 4 阪神 ポートアイランドS OP 18 1 2 230.6 (16人) 10着 藤岡康太 57 芝1600m(良) 1:34.3(34.1) 0.9 クラウンプリンセス
10. 17 東京 アイルランドT OP 15 2 3 48.0 (9人) 10着 丸田恭介 57 芝2000m(良) 1:59.1(35.3) 0.9 マイネルスターリー
10. 24 東京 富士S GIII 18 7 14 230.2 (18人) 13着 菊沢隆徳 57 芝1600m(良) 1:33.8(34.1) 0.5 アブソリュート
12. 19 中山 ディセンバーS OP 9 3 3 30.8 (8人) 4着 松岡正海 57 芝1800m(良) 1:48.7(33.8) 0.2 ショウワモダン
2010 1. 16 中山 ニューイヤーS OP 16 3 5 15.8 (5人) 5着 松岡正海 57 芝1600m(良) 1:33.5(34.9) 0.5 レッドスパーダ
2. 6 中京 小倉大賞典 GIII 16 3 5 10.3 (5人) 4着 丸田恭介 55 芝1800m(良) 1:47.7(36.1) 0.5 オースミスパーク
2. 28 中山 中山記念 GII 16 4 8 22.7 (9人) 8着 松岡正海 57 芝1800m(不) 1:53.1(38.3) 1.4 トーセンクラウン
5. 2 新潟 谷川岳S OP 14 8 13 12.5 (6人) 11着 木幡初広 57 芝1600m(良) 1:34.3(33.8) 0.9 ラインプレアー
10. 23 東京 富士S GIII 17 6 11 342.9 (15人) 13着 勝浦正樹 57 芝1600m(良) 1:33.6(34.3) 0.8 ダノンヨーヨー
11. 20 福島 福島記念 GIII 15 3 5 64.4 (12人) 1着 丸田恭介 55 芝2000m(良) 1:58.9(34.4) -0.1 (ディアアレトゥーサ)
12. 11 小倉 中日新聞杯 GIII 18 3 6 38.7 (10人) 12着 丸田恭介 56 芝2000m(良) 2:00.1(34.1) 1.4 トゥザグローリー
2011 1. 23 中山 AJCC GII 11 8 10 67.6 (8人) 9着 丸田恭介 57 芝2200m(良) 2:14.9(34.5) 0.7 トーセンジョーダン
3. 6 阪神 大阪城S OP 15 2 2 43.8 (10人) 11着 川田将雅 56 芝1800m(良) 1:47.5(35.6) 1.8 ダンツホウテイ
4. 3 阪神 ダービー卿CT GIII 18 7 15 122.3 (14人) 12着 吉田豊 55 芝1600m(良) 1:33.9(33.3) 0.6 ブリッツェン
5. 8 新潟 新潟大賞典 GIII 15 4 7 73.6 (15人) 9着 丸田恭介 55 芝2000m(良) 1:59.6(35.1) 1.2 セイクリッドバレー

ダンスインザモア 血統表

ダンスインザモアの血統 (サンデーサイレンス系/Nijinsky II3×4=18.75%)


ダンスインザダーク
1993 鹿毛 *サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛 Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
*ダンシングキイ
Dancing Key
1983 鹿毛 Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
Key Partner Key to the Mint
Native Partner


スーパーリヴリア
1990 鹿毛 *リヴリア
Rivlia
1982 鹿毛 Riverman Never Bend
River Lady
Dahlia Vaguely Noble
Charming Alibi
*ダンサーズカップ
Dancer’s Cup
1985 鹿毛 Green Dancer Nijinsky II
Green Valley
Loving Cup Big Spruce
Seductive F-No.16-g

テスタマッタ

テスタマッタ


英字表記 Testa Matta
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 2006年3月19日(5歳)
登録日 2008年9月11日
父 Tapit
母 Difficult
母の父 Concern
生国 アメリカ合衆国(ケンタッキー州)
生産 Waterford Farm
馬主 吉田和美
調教師 村山明(栗東)
厩務員 笹倉祐也
競走成績
生涯成績 22戦5勝
(内訳)
中央16戦4勝
地方6戦1勝
獲得賞金 2億405万8000円
(内訳)
中央1億3005万8000円
地方7400万円

テスタマッタ(Testa Matta)は2009年ジャパンダートダービー優勝。馬名の由来は「クリエイティブな意味合いでクレイジー(伊語)」。

テスタマッタ 戦歴

テスタマッタ 2008年・2009年

バレッツ・2008マーチ・セレクトセールにて6万ドルにて落札される。
2008年秋のデビュー戦を勝ち上がり、同時に村山厩舎は開業初勝利を記録。その後クラシックを目標に芝路線を歩むもの、エリカ賞4着の他は目立つ戦果を挙げられずダートに路線変更となる。

初ダートとなった平場、さらに特別戦を連勝しジャパンダートダービーに出走。スーニ・ゴールデンチケット・シルクメビウスら重賞ウィナー3頭から離された4番人気に甘んじたもののレースは2着に2馬身差をつけで優勝。厩舎、馬共に重賞初制覇となった。休養を挟み、武蔵野ステークスに出走したが、見せ場なく11着に終わった。続く浦和記念では好位から直線で抜け出すものの3着だった。
浦和記念終了後に騎乗していたクリストフ・スミヨンから喉の異常を指摘され、検査した結果、喉頭蓋エントラップメントの発症が発覚したためジャパンカップダートを回避し手術を受けることになった。

テスタマッタ 2010年
明け4歳になり、喉手術後の初戦となった川崎記念では3着に好走した。続いて出走したフェブラリーステークスでは中団追走から直線鋭く伸び、エスポワールシチーに2馬身半差の2着に入った。しかし、2月24日に右橈側手根骨々折の発症が発覚したため、休養を余儀なくされた。

骨折休養を終えて、9月23日の日本テレビ盃で戦列復帰。中団から追い上げるも4着止まりだった。続くマイルチャンピオンシップ南部杯では中団追走も直線で伸びを欠いてしまい6着に敗れた。

テスタマッタ 2011年
明け5歳になり、1月26日の川崎記念に出走を予定していたが、疾病のため出走取消となった。仁川ステークスでは出遅れから、道中3番手まで位置をあげたがワンダーアキュートの3着となった。マーチステークスでは中団追走から直線で力強く伸びてジャパンダートダービー以来の勝利を飾った。続く東海ステークスでは好位中団からのレースで4着、大沼ステークスでは1番人気に支持されるも、直線で伸びず7着に敗れた。マリーンステークスでは3コーナーからまくり上げて進出したがランフォルセの2着に敗れた。休養を挟み、武蔵野ステークスに出走、後方から追いあげるも7着。ジャパンカップダートでは見せ場なく12着に終わった。暮れの大一番の東京大賞典では3番手で追走しスマートファルコンの3着となった。

テスタマッタ 競走成績

年月日 競馬場 競走名 格 頭数 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム(上3F) タイム
差 勝ち馬/(2着馬)
2008 10. 19 京都 2歳新馬 13 16.5 (5人) 1着 内田博幸 55 芝1600m(良) 1:36.1(34.6) 0.0 (アーリーロブスト)
12. 14 阪神 エリカ賞 11 5.6 (3人) 4着 岩田康誠 55 芝2000m(良) 2:04.0(36.5) 0.6 アーリーロブスト
2009 4. 19 阪神 はなみずき賞 13 13.6 (6人) 7着 上村洋行 56 芝1800m(良) 1:49.1(34.6) 1.1 ロードロックスター
5. 9 京都 3歳500万下 11 23.4 (7人) 10着 池添謙一 56 芝1600m(稍) 1:36.6(34.3) 0.8 ジャングルストーン
5. 16 京都 3歳500万下 16 22.4 (8人) 12着 池添謙一 56 芝1400m(良) 1:21.9(34.3) 1.2 レオウィザード
5. 31 東京 3歳500万下 16 24.1 (7人) 1着 四位洋文 56 ダ1400m(重) 1:22.8(34.8) -0.1 (エーシンビートロン)
6. 20 阪神 出石特別 16 8.6 (5人) 1着 太宰啓介 54 ダ1200m(良) 1:11.0(34.4) -0.2 (マハーバリプラム)
7. 8 大井 ジャパンDダービー JpnI 13 11.8 (4人) 1着 岩田康誠 56 ダ2000m(稍) 2:04.5(36.8) -0.3 (シルクメビウス)
11. 7 東京 武蔵野S GIII 13 7.4 (4人) 11着 C.スミヨン 58 ダ1600m(良) 1:36.5(36.8) 1.0 ワンダーアキュート
11. 25 浦和 浦和記念 JpnII 11 5.4 (3人) 3着 C.スミヨン 56 ダ2000m(重) 2:07.9(40.4) 0.8 ブルーラッド
2010 1. 27 川崎 川崎記念 JpnI 11 9.9 (4人) 3着 岩田康誠 56 ダ2100m(良) 2:13.1(36.9) 0.4 ヴァーミリアン
2. 21 東京 フェブラリーS GI 16 13.0 (5人) 2着 岩田康誠 57 ダ1600m(良) 1:35.3(35.5) 0.4 エスポワールシチー
9. 23 船橋 日本テレビ盃 JpnII 14 6.4 (4人) 4着 内田博幸 57 ダ1800m(稍) 1:50.6(37.3) 1.8 フリオーソ
10. 11 盛岡 マイルCS南部杯 JpnI 12 11.5 (2人) 6着 内田博幸 57 ダ1600m(稍) 1:36.6(36.1) 1.8 オーロマイスター
2011 1. 26 川崎 川崎記念 JpnI 11 取消 U.リスポリ 57 ダ2100m(良) フリオーソ
3. 6 阪神 仁川S OP 14 7.4 (4人) 3着 U.リスポリ 56 ダ2000m(良) 2:04.3(37.4) 0.6 ワンダーアキュート
4. 10 阪神 マーチS GIII 16 12.0 (7人) 1着 四位洋文 58 ダ1800m(稍) 1:50.0(35.6) -0.4 (ブラボーデイジー)
5. 22 京都 東海S GII 14 6.5 (4人) 4着 福永祐一 58 ダ1900m(不) 1:54.3(35.8) 0.6 ワンダーアキュート
7. 2 函館 大沼S OP 13 2.2 (1人) 7着 四位洋文 58.5 ダ1700m(良) 1:45.1(37.9) 0.9 エーシンモアオバー
7. 17 函館 マリーンS OP 11 5.1 (3人) 2着 四位洋文 58 ダ1700m(稍) 1:43.5(37.2) 0.4 ランフォルセ

テスタマッタ 血統表

テスタマッタ(Testa Matta)の血統 (ボールドルーラー系/Northern Dancer 5×4=9.38%、Mr.Prospector 4×5=9.38%(父内))


Tapit
2001 芦毛 Pulpit
1994 鹿毛 A.P.Indy Seattle Slew
Weekend Surprise
Preach Mr.Prospector
Narrate
Tap Your Heels
1996 芦毛 Unbridled Fappiano
Gana Facil
Ruby Slippers Nijinsky II
Moon Glitter


Difficult
1999 鹿毛 Concern
1991 鹿毛 Broad Brush Ack Ack
Hay Patcher
Fara’s Team Tunerup
Specialization
Wings of Jove
1980 芦毛 Northern Jove Northern Dancer
Junonia
Regatela Dr. Fager
Metatela F-No.6-a

東京大賞典で敗北!?スマートファルコンは、JRAの平地勝利記録を更新中ですけど、いつかは記録は途切れるもの・・・

スマートファルコンは2007年10月、JRA東京競馬場ダート1600メートルの2歳新馬戦でデビュー勝ちしました。

2008年1月からは、芝に挑戦しましたが皐月賞では18着でした。

その後、地方競馬場に参戦すると、3歳でG1ジャパンダートダービー(大井)2着。
JRAの小倉でオープン特別を勝った後は、G3白山大賞典(金沢)から今年11月のG1・JBCクラシック(大井)まで、全て地方の交流重賞に出走して、これは東京大賞典で23戦連続です。

2011年5月の船橋で重賞14勝目を飾り、これでJRA所属馬の最多重賞勝利数を更新中(2位はホクトベガとヴァーミリアンの13勝)

通算31戦21勝で、ヤマブキオーが持つJRA所属馬の平地競走最多勝利記録20勝を更新しています。
なんとも、すさまじい記録です!

東京大賞典も勝って史上2頭目の連覇を達成してもらいたいものですね。中央馬での連覇は初ですしね。

なにしろヴァーミリアンでも達成できなかった記録ですから。

ただ、不安がないことはありません。

どんなに連勝している馬でも、いずれどこかで連勝が途切れるのは仕方ありませんし、現実って、突然の幕切れを告げるのものですよね。

もしかしたら、スマートファルコンは、この東京大賞典で負けるかもしれません。

JBCで、厳しいレースをしたので、見えない疲労がたまっているかも!?

短期放牧明けですから、馬の気持ちが乗らないかも!?

今年は大井2000で帝王賞、JBCとGⅠ2連勝、さらに昨年のこのレースからだとすでに3連勝中です。
ちょっと、できすぎ君かも!?

そろそろ負けるとすれば、このレースかもしれません。
パドックや馬体重には気をつけたいですね。



競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師) TOP