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アグネスタキオン

アグネスタキオン 種牡馬としての記録

JRA総合リーディングサイアー(2008年)
JRA2歳リーディングサイアー(2006年、2007年)
JRAリーディングフレッシュサイアー(2005年)
JRA産駒年間勝利数134勝(2007年最多勝、内国産種牡馬新記録)
JRA2歳勝ち馬数25頭(2005年、父の20頭を上回る新種牡馬記録[注釈 7])

アグネスタキオン 主な産駒 

ロジック

ダイワスカーレット

ディープスカイ

キャプテントゥーレ

リトルアマポーラ

レーヴディソール
2003年産
ロジック(NHKマイルカップ)
ランザローテ(プロキオンステークス)
ショウナンタキオン(新潟2歳ステークス)
2004年産
ダイワスカーレット(有馬記念、桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、ローズステークス、大阪杯)
アドマイヤオーラ(京都記念、弥生賞、シンザン記念)
ショウナンタレント(フラワーカップ)
マイネカンナ(福島牝馬ステークス)
2005年産
ディープスカイ(東京優駿、NHKマイルカップ、神戸新聞杯、毎日杯)
キャプテントゥーレ(皐月賞、デイリー杯2歳ステークス、朝日チャレンジカップ 2回)
リトルアマポーラ(エリザベス女王杯、愛知杯、クイーンカップ)
コパノジングー(目黒記念)
ダイワワイルドボア(セントライト記念)
アドマイヤコマンド(青葉賞)
レインボーペガサス(きさらぎ賞、関屋記念)
2006年産
アイアムカミノマゴ(阪神牝馬ステークス)
ブロードストリート(ローズステークス)
ジェルミナル(フェアリーステークス)
ヒカルアマランサス(京都牝馬ステークス)
2007年産
クォークスター(セントライト記念)
サンライズプリンス(ニュージーランドトロフィー)
リディル(デイリー杯2歳ステークス)
2008年産
レーヴディソール(阪神ジュベナイルフィリーズ、デイリー杯2歳ステークス、チューリップ賞)
レッドデイヴィス(シンザン記念、毎日杯)
ノーザンリバー(アーリントンカップ)
アイアムアクトレス(ユニコーンステークス)
2009年産
グランデッツァ(札幌2歳ステークス)

アグネスタキオン 引退後

アグネスタキオン 引退後

引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となった。

初年度産駒のデビューした2005年に中央競馬の夏のローカル開催で複数の産駒が次々と勝利を飾り、最終週には東の新潟2歳ステークスでショウナンタキオンが優勝、西の小倉2歳ステークスでもトーホウアモーレが3着という活躍を見せた。
中央開催に移ってからも産駒は優秀な走りを見せ、初年度産駒は中央競馬の2歳戦で合計27勝をあげた。

最終的にJRAリーディングフレッシュサイアーに輝き、JRA2歳リーディングでも総合2位(地方競馬も含めたランキングでは3位)となった。このような活躍を背景に、2006年の種付け料は前年の500万円から1200万円になった。

2006年には二世代の産駒で中央競馬において91勝を挙げ初年度産駒のロジックがNHKマイルカップを制し、これが産駒のGI初勝利となった。
ファーストクロップから順調に活躍馬を輩出しておりサンデーサイレンス亡き後のエース格として扱われていたが、2008年にJRA総合リーディングサイアーを獲得。

内国産種牡馬としては1957年のクモハタ以来51年ぶりとなる快挙を達成した(地方競馬も含む日本総合リーディングでは1980年と1981年にアローエクスプレスが1位になっている)。
リーディングサイアーを獲得した翌年2009年も順当に種付けをこなしていたがシーズン終盤の6月22日、繋養先の社台スタリオンステーションで急死した[2]。

アグネスタキオン

アグネスタキオン 競争成績


同馬が下した同世代のジャングルポケット、クロフネ、マンハッタンカフェ、ダンツフレームらが後に活躍を見せたため各紙では最強世代との呼称で呼ばれ、その世代で突出していた同馬の評価は引退後も高まっていき「幻の三冠馬」と呼ばれることもある。ジャングルポケットが勝った東京優駿のテレビ中継では、ある解説者から「ジャングルポケットがゴールした瞬間に、2馬身先にアグネスタキオンが走っている姿が見えた」との発言も出ている[1]。また完勝に見えた皐月賞であるが、鞍上の河内は「この馬本来の走りではない」とコメントしている。
競走成績 [編集]
年月日	競馬場	競走名	格	頭数	枠番	馬番	オッズ(人気)	着順	騎手	斤量	距離(馬場)	タイム(上り3F)	タイム差	勝ち馬/        (2着馬)
2000	12.	2	阪神	3歳新馬		10	4	4	5.8(3人)	1着	河内洋	54	芝2000m(良)	2:04.3(33.8)	-0.6	(リブロードキャスト)
12.	23	阪神	ラジオたんぱ杯3歳S	GIII	12	2	2	4.5(2人)	1着	河内洋	54	芝2000m(良)	R2:00.8(34.1)	-0.4	(ジャングルポケット)
2001	3.	4	中山	弥生賞	GII	8	1	1	1.2(1人)	1着	河内洋	55	芝2000m(不)	2:05.7(38.2)	-0.8	(ボーンキング)
4.	15	中山	皐月賞	GI	18	4	7	1.3(1人)	1着	河内洋	57	芝2000m(良)	2:00.3(35.5)	-0.2	(ダンツフレーム)

アグネスタキオン 戦績

アグネスタキオン 戦績
兄のアグネスフライトがダービーを制した同時期、1歳下の弟アグネスタキオンが千歳の社台ファームで評判になっており社台ファームの長浜卓也に「兄以上の逸材かもしれない」と言われていた[1]が、デビューは比較的遅く、2000年12月の阪神芝2000m新馬戦となった。

アグネスフライトの全弟ということで注目を浴びたものの、調教タイムが目立つ数字ではなかったため3番人気にとどまった。しかしレースでは、新馬にも関わらず上がり3ハロン33秒台を記録し、2着リブロードキャスト[注釈 1]に3馬身半差で圧勝。

3着にメイショウラムセス、5着に1番人気のボーンキング[注釈 3]、9着にアドマイヤセレクトと有力馬、良血馬の集まったレースだった。
2戦目のラジオたんぱ杯3歳ステークスはさらに相手が強化されたが、2歳2000mのレコードタイムで圧勝。

レース後に鞍上の河内は、「次元の違う馬だと確信した」と話している。朝日杯3歳ステークス優勝馬が選出されることが通例の最優秀3歳牡馬の選考(記者投票)では、朝日杯優勝馬・メジロベイリーの147票に対しアグネスタキオンは異例といえる119票の支持を集めている。
3戦目は、翌年の年明け初戦となる弥生賞となった。レースは不良馬場となったが2着のボーンキングに手前[注釈 5]を変えずに5馬身差で勝利した。

4着にはマンハッタンカフェがいた。
4戦目はクラシック第1弾となる皐月賞で、単勝1.3倍の圧倒的1番人気に応えて快勝。

しかもいずれも危なげのない内容での勝利であったことから三冠達成が期待されたが、5月2日に左前浅屈腱炎を発症し、東京優駿出走を断念。その後社台ファームに放牧され、関係者協議の上で引退が決定。

アグネスタキオン

アグネスタキオンの名前の由来は冠名+「超光速の粒子」の意味を持つ「タキオン」(Tachyon)。
主な勝ち鞍は2001年の皐月賞。種牡馬としても成功し、内国産馬としてはクモハタ以来51年ぶりとなるリーディングサイアーを獲得している。
全兄は2000年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬のアグネスフライト。母・アグネスフローラは桜花賞優勝馬で優駿牝馬2着。祖母・アグネスレディーは優駿牝馬(オークス)優勝馬。母、祖母、兄は同じ河内洋騎乗でGIを制している。



 

名馬の訃報

名馬の訃報
2011年
シンボリルドルフ:1984年のクラシック3冠を史上初の無敗で制覇。

トウカイテイオーの父。10月4日死亡。
シンボリルドルフ 完全無欠の皇帝 - JRA
豪華3強対決を制した皇帝の底力 - JRA
シンボリルドルフVSビゼンニシキ - JRA
オフサイドトラップ:1998天皇賞(秋)優勝(同レースでサイレンススズカが競走中止)。8月29日死亡。
ホーリックス:1989年JC世界レコード勝ち。8月24日死亡(netkeiba.com)。
H01 ジャパンC ホーリックス - JRA
セイウンスカイ:1998年皐月賞、菊花賞優勝。8月16日死亡。
セイウンスカイ死亡 - 西山牧場オーナーの涙気分(2011年8月16日)
サクラバクシンオー:スプリンターズステークス(1993 年~1994年)を連覇。4月30日死亡(日刊スポーツ)。
スペシャリストの先駆者(パイオニア)サクラバクシンオー - JRA Video Interactive
サクラバクシンオー - JRA「名馬の蹄跡」
サドラーズウェルズ:世界的大種牡馬。4月26日死亡(netkeiba.com)。
サドラーズウェルズ - 合田直弘Official Blog(2011年4月28日)
サニーブライアン:1997年日本ダービー、皐月賞優勝。3月3日死亡。
ミエスク:1987年英仏両1000ギニー、1987・1988年BCマイルなどG1を10勝。1月20日死亡(サンケイスポーツ)。
2010年

「芦毛の怪物」オグリキャップ
サクラユタカオー:天皇賞(秋)をレコード勝ち。11月23日死亡(サンケイスポーツ)。
ジンクス不問サクラユタカオー - JRA Video Interactive
サクラユタカオーVSスダホーク - JRA
ブロケード:無敗で桜花賞制覇。11月16日死去(スポニチアネックス)。
オグリキャップ:有馬記念を2度(1988年・1990年)優勝するなどGIを4勝。7月3日死亡。
オグリキャップ - JRA
オグリキャップ(1990年・第35回有馬記念) - 日刊競馬で振り返る名馬
シングスピール:1996年のJC、1997年ドバイワールドCなど優勝。7月2日死亡(netkeiba.com)。
7月1日死亡(netkeiba.com)。
2009年
アグネスタキオン:2001年皐月賞を無敗で優勝。

2008年リーディングサイヤー。6月22日死亡(UMA-JIN.net)。
夢の途中アグネスタキオン - JRA Video Interactive
アグネスタキオン - JRA「名馬の蹄跡」
2008年
ダイタクヘリオス:マイルCS(1991年~1992年)を連覇。12月12日死亡。
GI2勝の喜劇王ダイタクヘリオス - JRA Video Interactive
ヘリオス - 山内牧場(2008年12月12日)
タヤスツヨシ:1995年日本ダービー優勝。サンデーサイレンスの初年度産駒。

7月29日死亡(netkeiba.com)。
タヤスツヨシ(平成7年日本ダービー) - JRA
燃え尽きたダービー馬「タヤスツヨシ列伝」 - Retsuden.com
2007年
スティルインラブ:2003年に史上2頭目の牝馬三冠を達成。

8月2日死亡(ラジオNIKKEI)。残した産駒は1頭。
咲き誇れ、3つの大輪スティルインラブ - JRA
スティルインラブ - JRA「名馬の蹄跡」
アドマイヤグルーヴVSスティルインラブ - JRA
牝馬三冠馬スティルインラブの初仔誕生~下河辺牧場 - 競走馬のふるさと案内所
キョウエイマーチ:1997年桜花賞優勝。5月9日死亡(netkeiba.com)。

シンボリルドルフ「七冠馬」のエピソード

シンボリルドルフのエピソード
シンボリルドルフをイメージした「七冠馬」という日本酒が作られている。
シンボリルドルフという馬名は発音がしにくく、レース実況においてアナウンサー泣かせの馬名といわれた。盛山毅はおもに「ルドルフ」、杉本清や草野仁はおもに「シンボリ」と略していた。
上記のようにシンボリルドルフという馬名は発音しづらいために、オーナーの和田は「ル」を省略して「シンボリドルフ」で登録しようと考えた。しかし、命名担当者の説得により「シンボリルドルフ」で登録された。
シンボリルドルフはもっぱらシンボリ牧場で調整され、レース前になると野平厩舎に入厩するというサイクルで競走生活を送った(外厩のはしりとも言える)。野平によると、環境が定期的に変化することがシンボリルドルフの精神にはリフレッシュ効果をもたらし、プラスに作用したという。
もっとも、これはシンボリルドルフだから通用したところもあり、のちにマティリアルに同じようなことをしたら逆効果になり、クラシックシーズン不振の原因となっている。
野平によると、厩舎の馬房にいるときは乱暴な振る舞いをしたが、馬房から外に出ると堂々として暴れることはなかったという。
野平は気ままに振る舞っていい場所をわきまえていたとしている。
シンボリルドルフの調教は、もっぱら野平自身が行った。
1990年度産駒のヤマトダマシイという馬は活躍が期待されていたが、新馬戦を勝利したあとの2戦目で故障し予後不良となった。管理していた藤沢和雄調教師は未だにその死を悔やんでおり、このことからシンボリルドルフの代表産駒として本馬の名を挙げるファンも多い。
カメラがどういうものであるかを漠然とながら理解していたらしく、取材時にカメラを向けると自分からポーズをとってくれたという。
野平は「競馬には絶対はない。だがシンボリルドルフには絶対がある」と1985年の天皇賞・秋の敗戦後にも強気に言いきった。
このことからも野平がシンボリルドルフに絶大な信頼を寄せていたことがうかがえる。
大橋巨泉は「この世代(シンボリルドルフの世代)は上の世代(ミスターシービーなどの世代)よりも強い」と発言し、
ミスターシービーのファンから不興を買った。引退式で大きく蛇行し騎乗していた岡部を振り落とそうとしていた。
ルドルフはシンボリホースメイトの共同馬主馬であった。
これはホースメイトに出す3歳馬をどれにするか決定する会議において、和田がルドルフをホースメイトにすることを決めたからである。
みなで喜べればこんないいことはない。もう私は、競馬をひとりで勝って、ひとりで喜ぶのに飽きているんだ」と語ったという。

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シンボリルドルフ 競走馬引退後

シンボリルドルフ 競走馬引退後
シンボリルドルフは公開入札という広く株主を募集する手法で10億円(2000万円×50株)のシンジケートが組まれ、北海道門別町のシンボリ牧場で種牡馬生活に入った。1世代目の産駒が1990年にデビューし、そのなかから自身に勝るとも劣らないGI4勝の二冠馬トウカイテイオーを出した。

このトウカイテイオーにより父子2代連続の無敗での皐月賞・東京優駿の二冠制覇を達成した。2世代目の産駒からも4歳牝馬特別、東京新聞杯優勝のキョウワホウセキや、ステイヤーズステークス優勝、宝塚記念2着のアイルトンシンボリ、フランスの重賞で2着に入ったジャムシードを輩出した。

1994年にはアイルトンシンボリらの活躍により生涯の最高位となる種牡馬ランキング6位に入った。その後中央競馬の重賞馬を出せないでいたが、1999年にツルマルツヨシが朝日チャレンジカップ、京都大賞典に優勝した。
また、雑誌『Number』で行われた競馬関係者による「20世紀の名馬アンケート」ではシンザンに次ぐ2位に選ばれた。
2004年をもって種牡馬を引退後は日高町のシンボリ牧場で功労馬として余生を過ごした。

また、同年8月にはJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「シンボリルドルフメモリアル」が初出走を果たした新潟競馬場にて施行された。
29歳となった2010年1月に、冬の北海道の寒さは厳しいという配慮で、23年間繋養されていた富川のシンボリ牧場から千葉のシンボリ牧場に移動した。
2010年11月28日にはジャパンカップが第30回を迎えたことを記念して、東京競馬場でのパドック展示が行われ、引退式以来24年ぶりに競馬場へ輸送され、若々しい馬体をファンに披露した。なお、この年のジャパンカップはブエナビスタが1着入線しており、勝てばシンボリルドルフ・トウカイテイオー以来2例目の父仔制覇(ブエナビスタの父はスペシャルウィーク)となるはずだったが、皮肉にもブエナビスタは降着処分を受けてしまった。
2011年10月4日、繋養先の千葉シンボリ牧場にて死亡した。馬齢30歳。
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シンボリルドルフ 競走成績

シンボリルドルフ 競走成績
年月日競馬場競走名格頭数枠順人気着順騎手斤量距離(馬場)タイム(上り3F)着差勝ち馬/(2着馬)
1983.07.23新潟3歳新馬1061人1着岡部幸雄53芝1000(不)0:59.2 (35.1)-0.4(ブロークンヒル)
10.29東京いちょう特別1741人1着岡部幸雄53芝1600(稍)1:37.3 (36.7)-0.3(エビスジョウジ)
11.27東京オープン511人1着岡部幸雄55芝1600(良)1:39.9 (36.4)-0.3(ハルーダ)
1984.03.04中山弥生賞GIII14122人1着岡部幸雄55芝2000(良)2:01.7 (35.4)-0.3(ビゼンニシキ)
04.15中山皐月賞GI18101人1着岡部幸雄57芝2000(良)2:01.1 (36.2)-0.2(ビゼンニシキ)
05.27東京東京優駿GI21101人1着岡部幸雄57芝2400(良)2:29.3 (37.2)-0.3(スズマッハ)
09.30中山セントライト記念GII1051人1着岡部幸雄56芝2200(良)2:13.4 (35.6)-0.5(オンワードカメルン)
11.11京都菊花賞GI1851人1着岡部幸雄57芝3000(稍)3:06.8 (35.3)-0.1(ゴールドウェイ)
11.25東京ジャパンCGI14124人3着岡部幸雄55芝2400(良)2:26.5 (34.5)0.2カツラギエース
12.23中山有馬記念GI1141人1着岡部幸雄55芝2500(良)2:32.8 (35.0)-0.3(カツラギエース)
1985.03.31中山日経賞GII861人1着岡部幸雄58芝2500(稍)2:36.2 (35.5)-0.7(カネクロシオ)
04.29京都天皇賞(春)GI15151人1着岡部幸雄58芝3200(良)3:20.4 (36.8)-0.4(サクラガイセン)
06.02阪神宝塚記念GI103岡部幸雄56芝2200(良)出走取消スズカコバン
10.27東京天皇賞(秋)GI17171人2着岡部幸雄58芝2000(良)1:58.8 (35.8)0.1ギャロップダイナ
11.24東京ジャパンCGI15151人1着岡部幸雄57芝2400(重)2:28.8 (37.4)-0.3(ロツキータイガー)
12.22中山有馬記念GI1061人1着岡部幸雄57芝2500(良)2:33.1 (36.1)-0.7(ミホシンザン)
1986.03.29サンタアニタサンルイレイSG1753人6着岡部幸雄57.2芝12f(良)2:26.8(不明)Dahar
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シンボリルドルフの故障、引退騒動、6歳時

シンボリルドルフ故障による引退騒動と奇跡的復活

シンボリルドルフは、宝塚記念直前に故障して、その後の回復ぶりは芳しくないものだった。

その段階で、すでにシンザンと並ぶ五冠馬となっていたルドルフは引退が噂されるようになり、7月10日にはそれを裏付けるように「体調不十分による欧州遠征中止、そして同時に引退する」との和田の談話が発表された。当時、ルドルフの遠征予定に合わせ、先だって欧州修行に出ていた岡部は、発表翌日にその報を聞きひどく落胆したという。

しかし、原因不明の筋肉痛に苦しんでいたルドルフに対し、和田は再度の引退宣言を出しながらもなんとか復帰できないかと治療を続けていた(これに対し、岡部は「シンザンを越す六冠をルドルフに取らせたいと言う野心のカケラがみじんもなかったとは断言できないだろう」と語っている[24])。そして、夏のある日に牧場で「イチかバチかの大バクチ」と祈る思いでやった笹針治療が功を奏し、ルドルフの体調は回復に向かい、和田は引退宣言を撤回する。

しかし、そのような状態でぶっつけで挑んだ天皇賞はとても万全の状態とは言えず、ギャロップダイナに惜敗。それでも管理する野平は「競馬に絶対はないと言うが、ルドルフは例外。
今度(ジャパンカップ)は気楽にいけるさ」との談話を残した。そして、その言葉通り、続くジャパンカップ、有馬記念を快勝するのである。
シンボリルドルフ 6歳 
1986年、この年シンボリルドルフは海外遠征に旅立つことになるが、和田と野平の計画は微妙に異なるものであった。和田はまず春にアメリカ遠征に行き、それから秋にヨーロッパ遠征に行くという考えだったが、それに対して野平の計画は、春に休養させてから秋にヨーロッパ遠征に行くというものだった。

この点をめぐって和田と野平の間に確執が起こり、結局和田の計画が実行されるが、調教から何からを現地のスタッフに任せる事態となった。シンボリルドルフはまずサンタアニタ競馬場のサンルイレイステークス (G1) に出走し、次にサンフアンカピストラーノインビテーショナルハンデキャップに出走する予定だった。

しかし迎えたサンルイレイステークスではDahar(ダハール)の6着に敗れた。コースの特徴でもあるダートコースを横切る場所で左前脚繋靭帯炎を発症したことが敗戦の理由とされ、その日のテレビではNHKをはじめ各局がニュースなどでシンボリルドルフの故障、敗戦を報じた。
そして帰国後、海外再挑戦が検討されるも最終的には引退となり、12月7日には中山競馬場で引退式が行われた。シンボリルドルフは「7」の番号と王冠のマークが描かれたゼッケンをつけて姿を現した。
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