田島 俊明(たじま としあき、1974年1月16日 - )は、日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターに所属している調教師である。
1992年、4月よりJRA競馬学校厩務員課程に入学し、卒業後の10月から美浦・小林常泰厩舎所属の調教厩務員となる。
1993年、4月より美浦・高橋裕厩舎に転厩し調教助手に転向する。
2001年、5月より美浦・畠山吉宏厩舎所属となる。
2009年、2月12日にJRA調教師免許試験に合格したことが発表され、3月1日付で調教師免許免許を取得した。
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武田 博(たけだ ひろし、1945年8月22日 - )は日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属している調教師で、元騎手。
名伯楽として知られた武田文吾調教師の長男として生まれた。出生地が宮崎県なのは、武田の家族の疎開先だった為である。
また小学校に入学した頃には、毎日「調教日誌」を書かせるなど、早くから競馬社会に触れさせていたが、失敗したり手を抜くと直ぐに見破られて叱りつけられるので、本人は、親子の関係と言うよりも師弟関係で、それが嫌で堪らなかったという。しかし、中学校に入学した日に「調教師の仕事は馬をスタートラインにつけるまでで、あとは騎手任せだ。
やがて武田に弟子入りして騎手見習となり、1964年には騎手免許を取得して晴れて騎手になったが、武田はもっぱら障害競走へ騎乗させた。それを見た競馬記者が「なぜ息子を危険な障害に乗せるのか?」
但し、武田厩舎に有力馬が数多く在籍しており、減量騎手の恩恵もあって、シンザンを始め、兄弟子の山本正司騎手のお手馬だったキーストンに騎乗し、勝利を挙げている。
1976年に調教師免許を取得して1978年に厩舎を開業。
中々重賞競走を勝てなかったが、1993年に初めて重賞制覇し、現在もコンスタントに勝ち鞍を挙げている。
武田 博 プロフィール
1945年(昭和20年)8月22日 - 宮崎県にて出生。
出身地は京都府京都市登録である。
1961年(昭和36年) - 京都・武田文吾厩舎所属の騎手見習いとなる。
1976年(昭和51年) - 調教師免許を取得し騎手を引退する。騎手成績は通算962戦120勝。
1978年(昭和53年) - 厩舎を開業する。3月4日、厩舎所属馬初出走となった阪神競馬場での第6レースでは、オンワードカツラが自身も初出走で初勝利を挙げる。
1993年(平成5年) - ラジオたんぱ賞をエーピーグランプリが制し、重賞初勝利を挙げる。
1997年(平成9年)1月3日 - 管理馬が地方競馬で初出走する。
1998年(平成10年)5月4日 - 管理馬が地方競馬で初勝利を挙げる。
2007年(平成19年)5月17日 - 古川吉洋が厩舎所属騎手となる(9月21日まで所属)。
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武 宏平(たけ こうへい、1943年4月13日 - )は日本中央競馬会の栗東トレーニングセンターに所属する調教師である。
父は騎手・調教師であった武平三。元騎手の武永祥、武牧場の武勇はそれぞれ実弟、騎手の武英智は甥、調教師の作田誠二は義弟である。
京都競馬場所属調教師・武平三の長男として生まれる。4歳上の従兄に、平三に弟子入りしていた武邦彦がおり、生活を共にしていた。
「競馬の世界は苦労する」という母の助言もあって幼少期から獣医師を志し、高校卒業後、麻布大学獣医学部に進学。同級生に松山康久がおり、共に馬術部に所属した。
次いで戌亥信義厩舎に移籍の後、平三の処分解除に伴って武厩舎に戻った。
1976年、2度目の受験で調教師免許を取得。
2009年には武牧場の生産馬・スリーロールスが菊花賞を制し、平地GI級競走およびクラシック競走初制覇を果たした。菊花賞は1984年にゴールドウェイで臨んでシンボリルドルフの2着に終わっており、25年越しの雪辱となった。
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高橋 祥泰(たかはし よしやす、1952年1月31日-)は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター北に所属する調教師である。日本大学獣医学部卒。
1983年に調教師免許を取得。初出走は同年10月9日の東京競馬第2競走でアマミエコーで8着。
初勝利は同年12月10日中山競馬第6競走でのアマミオーシャン(延べ21頭目)であった。翌年の報知杯4歳牝馬特別を安田富男騎乗のダイナシュガーで制して重賞初勝利。
高橋 祥泰 成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1983年10月9日4回東京2日2R4歳未勝利アマミエコー--8着
初勝利1983年12月10日5回中山3日6R4歳上400万下アマミオーシャン--1着
重賞初出走1984年2月11日1回東京5日9R東京障害特別(春)アマミオーシャン9頭98着
重賞初勝利1984年3月18日1回阪神6日11R4歳牝馬特別ダイナシュガー15頭81着
GI初出走1984年4月8日2回阪神6日11R桜花賞ダイナシュガー21頭418着
GI初勝利1996年5月12日3回東京8日11RNHKマイルCタイキフォーチュン18頭41着
通算成績1着2着3着4着以下出走回数勝率連対率
平地4414244003,2204,484.098.193
障害9131283117.077.188
計4504374123,3024,601.098.193
重賞競走15勝(うちGI級競走2勝、ダートグレード競走6勝)
※数字は中央競馬成績。2008年度出走終了時点。
高橋 祥泰 主な管理馬
ダイナシュガー(1984年報知杯4歳牝馬特別)
ダイナエイコーン(1985年新潟2歳ステークス)
ダイナブリーズ(1988年ダイヤモンドステークス)
ノースシャトル(1991年ダイヤモンドステークス)
コクトジュリアン(1995年クリスタルカップ)
タイキフォーチュン(1996年NHKマイルカップ、毎日杯)
サウスヴィグラス(2003年JBCスプリントなど重賞8勝)
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高橋 裕(たかはし ゆたか、1953年5月19日 - )は、日本中央競馬会・美浦トレーニングセンター南に所属している調教師である。
1977年、美浦・八木沢勝美厩舎所属の調教助手となる。
1991年、2月に調教師免許を取得し、その後厩舎を開業する。
12月7日に管理馬が初出走し、カネツサプライズが12着となり、12月21日にインターエリモが勝利し、延べ3戦目で初勝利を挙げた。
1993年、2月14日に共同通信杯4歳ステークスをマイネルリマークが制し、管理馬が重賞初勝利を挙げる。
1996年、4月3日に地方競馬で管理馬が初出走し、同日地方初勝利を挙げる。
2007年、11月20日に兵庫ジュニアグランプリをディアヤマトが制し、管理馬が地方の重賞初勝利を挙げる。
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高橋 隆(たかはし たかし、1941年4月5日 - )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属の調教師、元騎手である。
義父に大久保石松調教師のほか、義弟に沖芳夫調教師。長男高橋亮もJRA所属の騎手。
1941年秋田県大曲市にて6人兄姉の次男として出生。実家は稲作と養鶏を営む兼業農家を生業としていたが長女・四女がそれぞれ婿養子を貰い家業を相続。
その背景から長男である謙治は家業を継がず、中学卒業後に家を離れ大阪・春木競馬場で騎手となる。
運動を得意としバスケット・野球などでその機敏さを発揮し、兄の影響を受け騎手を志すようになっていた隆であったが、運動神経の良さを見込まれ角館高校バスケット部より誘われた経緯から同校を受験し合格。
兄憲治が関西にて弟隆を騎手にすべく奔走、憲治の師匠である上村正行を通じ京都競馬場にて調教師をしていた大久保石松へと話を通し、その道を拓いていたためであった。この後憲治は勝手に隆の進路を曲げたことを咎められ両親から手酷い叱責を受けたという。
1957年春、大久保の元に弟子入りするも、体重が重すぎたことから長期養成所に入ることが出来ず、短期講習生として騎手を目指すこととなった隆は、下乗りなどを経て1963年騎手免許を取得。中京でのデビュー戦を勝利で飾るなど、24勝をマークした隆はこの年制定されたばかりの新人騎手賞を受賞と幸先のよい騎手スタートを切る。
騎手として馬に携わり、やがて調教師を志すようになった隆は当時の心境を「一度好きな馬の世界に入ったら人間はそこから抜けられない、それ以外は考えられないものなんです」と語る。「調教助手はいつでもなれる、ならば受験してみよう」ということで現役時代から幾度も調教師試験に挑むも二次試験に阻まれるという事態を毎年繰り返していた隆であったが、騎手免許を維持するための騎乗数(年間60以上)を維持し、それと平行して試験勉強の時間を確保するのが難しくなってきたことから1989年2月を以って現役を引退。
調教助手として引き続き石松を補佐しつつ、調教師を目指すこととなった。
現役を退き、時間を有効に使えるようになった隆は1年後の1990年調教師試験に合格、1991年3月今春に引退したばかりの義父石松の馬房を継ぐ形で開業、既に技術調教師時代から石松厩舎の業務を代行してきた隆は仕事環境にさほどの変化は無くスタートを切れたという[2]。
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高市 圭二 (たかいち けいじ、1955年8月18日-)は日本中央競馬会美浦トレーニングセンターに所属する調教師で元騎手。
1971年4月に東京競馬場(後に美浦)の荒木静雄厩舎所属の騎手候補となり、1978年に騎手デビュー。初騎乗は同年3月4日中山競馬第9競走のセツザンで1着と、初騎乗で初勝利を挙げた。
1990年2月に騎手を引退し、嶋田功厩舎の調教助手に転身。騎手成績は702戦25勝であった。
初出走は同年12月22日中山競馬第4競走のマレットラックで8着。初勝利は翌1997年3月8日中山競馬第7競走のミヤギロドリゴで延べ22頭目であった。
1998年の京成杯をマンダリンスターで制し、重賞競走初勝利を挙げた。
人物 [編集]
2000年5月7日に福島競馬場において後藤浩輝に対して殴打し、制裁を受けた。
これは、前日の競走で後藤の騎乗馬が、高市の管理する落馬したカラ馬に不利を受けたとマスコミに言及したことに端を発している。
初勝利を挙げたミヤギロドリゴを大西直宏に、ビーマイナカヤマを鹿戸雄一に任せ続けた。
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(せいし かずひろ、1962年2月14日 - )は日本中央競馬会美浦トレーニングセンター所属の調教師。
船橋競馬場で厩務員をしていた時、第1回ジャパンカップ(1981年)での外国馬の余りの強さにカルチャーショックを受け、アイルランドに単身乗り込んで2年間修行する。帰国後1986年に稗田敏男厩舎の調教助手となり、1990年に国枝栄厩舎に移った。
1999年に調教師免許を取得し、2000年に厩舎を開業。初出走は同年3月18日中京競馬第9競走のケンセツクィーンで10着、初勝利は同年4月8日中山競馬第6競走のマルタカウィナーで、延べ5頭目であった。
2002年のフラワーカップをスマイルトゥモローで制して重賞初勝利を挙げる。続く桜花賞は6着に終わったが、オークスを勝ってG1競走初勝利を飾った。
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角居 勝彦 代表管理馬
デルタブルース(菊花賞、メルボルンカップ)
ポップロック(目黒記念(2回))
シーザリオ(優駿牝馬、アメリカンオークス招待ステークス)
カネヒキリ(ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、ジャパンカップダート(2回)、フェブラリーステークス、東京大賞典、川崎記念)
ハットトリック(マイルチャンピオンシップ、香港マイル)
フレンドシップ(ジャパンダートダービー)
ディアデラノビア(フローラステークス、京都牝馬ステークス、愛知杯)
ウオッカ(阪神ジュベナイルフィリーズ、東京優駿、安田記念(2回)、天皇賞・秋、ヴィクトリアマイル、ジャパンカップ)
トールポピー(阪神ジュベナイルフィリーズ、優駿牝馬)
ヴィクトワールピサ(皐月賞、有馬記念、ドバイワールドカップ)
ルーラーシップ(鳴尾記念、日経新春杯、金鯱賞)
アヴェンチュラ(クイーンステークス)
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角居 勝彦(すみい かつひこ、1964年3月28日 - )は日本中央競馬会 (JRA)栗東所属の調教師
1964年石川県金沢市にて4人兄弟の三男として出生。角居が生まれ育った金沢の街は伝統・文化を重んずる風習があることから競馬というスポーツは流行っておらず、一般家庭で育った彼もまた馬とは無縁の生活を送っていた。
同年代の級友よりも年長の兄たちに混じり、様々な遊びを繰り返すうち「人と違うことをし、注目受けてみたい」という性質が育まれながら、能動的に行動を起こすのが不得手であった角居はそんな自分を変えてみようと地元の進学校である金沢桜丘高を卒業後、帯広畜産大学への進学を目指すも失敗。進学校の生徒ということもあり、一浪し大学の再受験を奨める声も上がったが「気持ちが大学には向かず、自分を変えるために親元を離れたい」という角居は周囲の反対を押し切り、父の助力を得て北海道のグランド牧場に勤務することとなった。
角居が就職した当初グランド牧場は生産のみを事業としていたが、1985年より急速な拡大路線を採用。これまでの繁殖に加え、新たに馴致・調教を事業に取り入れる。
しかし牧場から送り出した馬が「躾ができていない」として幾度もトレセンから戻ってくる光景を目の当たりにし、「牧場とトレセンでは何が違うのか」ということに関心を持ち始めた角居は程無くしてグランド牧場を退職。競馬学校での厩務員課程を経て1986年4月、栗東・中尾謙太郎厩舎の厩務員として配属される。
その半年後調教助手の資格を習得、以後10年に渡り中尾を補佐し続け、この間ナリタハヤブサなどの活躍馬を担当した角居であったが、後年中尾との調教方針にズレが生じ始める。「休みなく鍛えて強くする」という中尾に対し角居は「休ませつつ鍛える」という考えであったが、中尾の手法は当時の一般的な調教スタイルであることから、言われるままにメニューをこなしてきたものの、中尾の不在時には調教内容を独断で変えたこともあったという。
定年となった二分久男厩舎の馬を引き継ぐ。2004年菊花賞をデルタブルースで制したの皮切りに管理馬から多くのGI馬を輩出してきた角居は、開業当初よりの方針「世界に挑戦できる人と馬を作りたい」という理念の下、積極的に管理馬を海外遠征にも参戦させ、2005年シーザリオでアメリカンオークスを制したほか、香港マイルではハットトリックが優勝。
翌2006年には先のデルタブルース、並びにポップロックでメルボルンカップの1・2着を独占するなど角居の理念は現実のものとなった。
その後も64年ぶりのダービー優勝牝馬となるウオッカや国内ダート重賞を席巻するカネヒキリなど数多くの実績馬を輩出してきた角居は2010年ヴィクトワールピサで皐月賞を制覇。
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