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鮫島良太

2005年、騎手免許を取得して栗東・松田国英厩舎所属騎手としてデビューする。3月5日の中京競馬第4競走が初騎乗となり、ダイタクドルチェに騎乗して16頭立ての5着。

2006年は飛躍の年となる。小倉2歳ステークスでアストンマーチャンに騎乗して重賞初制覇。

2008年、5月1日付でフリーとなり、新たな飛躍を期していた所、10月12日の第43回京都大賞典でトーホウアランに約1年半ぶりの重賞勝ちをもたらす好騎乗を見せた。

鮫島良太 親子対決

父・克也との初対戦は2005年7月24日の小倉競馬第1競走で克也がマルカケセラセラ、良太がスターリギルに騎乗。

2006年1月22日の小倉競馬第8競走では克也が先着、同年3月11日の中京競馬第7競走では良太が先着、最近では,2008年1月22日の小倉競馬第12競走の遠賀川特別で1着克也、2着に8番人気のマイネルスパーダに騎乗した良太が入り、久々のワンツーフィニッシュを飾った。

鮫島良太 主な騎乗馬

アストンマーチャン(2006年 小倉2歳ステークス)
エイジアンウインズ(2008年 阪神牝馬ステークス)
トーホウアラン(2008年 京都大賞典)
プレミアムボックス(2009年 CBC賞)
ジュエルオブナイル(2009年 小倉2歳ステークス)

鮫島良太 騎乗成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2005年3月5日1回中京1日4R3歳未勝利ダイタクドルチェ16頭95着
初勝利2005年6月4日2回中京5日12R4歳上500万円下ケイウンバクシン18頭41着
重賞初騎乗2005年10月2日4回阪神8日11Rシリウスステークスマルカフレンチ14頭69着
重賞初勝利2006年9月3日3回小倉8日10R小倉2歳ステークスアストンマーチャン14頭31着
GI初騎乗2006年11月12日6回京都4日11Rエリザベス女王杯ライラプス16頭1415着

佐藤哲三

GI初勝利は1996年12月8日、朝日杯3歳ステークス。マイネルマックスに騎乗し制覇した。

2勝目は2003年11月30日東京競馬場でのジャパンカップ。タップダンスシチーに騎乗して、雨は止んだものの重馬場となったコースを大逃げし、2着のザッツザプレンティに9馬身差をつけての快勝だった。

タップダンスシチーとのコンビでは翌年の宝塚記念も制した。中央GI通算6勝(2011年6月26日現在)を挙げている。
2004年10月3日、フランスのロンシャン競馬場での凱旋門賞にタップダンスシチーに騎乗して挑戦。航空機トラブルでタップダンスシチーの現地入りが遅れた影響もあってか、17着に終わった。
2009年5月5日、エスポワールシチーに騎乗し、かしわ記念に勝利。地方交流GI競走初勝利となった。
2009年12月6日、エスポワールシチーに騎乗し、ジャパンカップダートに勝利。芝とダートの両方でジャパンカップを制覇した5人目の騎手となった。

佐久間寛志

同期には石橋脩、長谷川浩大、松岡正海、南田雅昭らがいる。
初騎乗は2003年3月1日、阪神第4競走でケイアイブルボンに騎乗し、15頭立ての8着。

3月15日の中京第1競走でマコトカイウンに騎乗し、初勝利を上げる。デビュー年から障害競走にも騎乗しており、障害初騎乗は7月20日、小倉第5競走の障害3歳上未勝利戦で、デルマギャンブラーに騎乗し12頭立ての6着。

平地重賞初騎乗は2006年2月5日、京都のシルクロードステークスで、ゲイリーファントムに騎乗し16頭立ての16着。障害重賞初騎乗は同年9月8日の阪神ジャンプステークスで、テイエムキャットに騎乗し13頭立ての最下位。
2008年の京都ジャンプステークス(J・GII)でテイエムトッパズレに騎乗。逃げ切りを決めて重賞初勝利を挙げた。

酒井学

酒井学 プロフィール

父親が公営新潟競馬で厩務員をしていたことから幼少時から競馬が身近な環境であった。また、実兄は公営・川崎八木仁厩舎所属の酒井忍である。

デビュー当初は平地・障害両免許を取得していたが、後に騎乗機会ゼロのまま障害免許を返上している。
2001年10月20日、カブトヤマ記念を最軽量48キロのタフネススターで勝利し初の重賞タイトルを獲得。

なお負担斤量50キロ未満の馬の重賞制覇は1991年ダイヤモンドステークスのノースシャトル(49キロ)以来、48キロは1976年ステイヤーズステークスのホッカイノーブル以来の記録である。
2006年は11月まで勝利がなかったため収入が激減し生活苦に陥る。

前述した最軽量の48キロで乗れる数少ない中堅騎手である。体重はJRAの公式プロフィールでは48kgとされているものの、実際にはもっと軽い46kgしかないとのことで、騎乗時には負担重量に合わせて4種類の鞍を使い分けている。

2010年8月1日、小倉記念をニホンピロレガーロで制覇。また、中央開催最終日の2010アンコールステークスを勝ち、九州競馬記者クラブ「小倉ターフ賞」を受賞した。

木幡初広

木幡初広プロフィール

同期には中舘英二、出津孝一、鹿戸雄一、谷中公一(谷中はデビュー1年遅れ)などがいる。この翌年には千葉県印旛郡白井町(現・白井市)に競馬学校が開校、馬事公苑で養成された最後の世代となった。

1984年に騎手免許を取得し、稲葉隆一厩舎所属でデビュー。同年3月3日に初騎乗を迎え、エドワーズシチーで2着。

5月13日に同馬で初勝利を挙げた。デビュー後しばらくは年間20勝以下の下位騎手であったが、1993年の28勝を皮切りに年間30勝前後を安定して記録する中堅騎手となった。

1995年に稲葉厩舎を離れ、フリーに転身。1997年、新潟記念をパルブライトで制し、デビュー13年目で重賞初勝利を挙げる。

順調に卒業すれば、2014年3月に騎手デビュー予定。
次男も騎手を志しており、2009年11月8日に東京競馬場で行われたイベント「全国ポニー競馬選手権・第1回ジョッキーベイビーズ」の関東予選で優勝、同競走の出場騎手に名を連ね、5着の成績を残した。
太字はGI級競走。
パルブライト(1997年新潟記念、1998年函館記念)
サクセスストレイン(2001年クイーンカップ)
バランスオブゲーム(2001年新潟2歳ステークス)
ウインブレイズ(2002年カブトヤマ記念、福島記念、2003年鳴尾記念)
マンオブパーサー(2006年ダービーグランプリ)
ブライトトゥモロー(2007年新潟大賞典)

木幡初広 騎乗成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1984年3月3日2回中山3日1R4歳未勝利エドワーズシチー13頭-2着
初勝利1984年5月13日1回新潟8日1R4歳未勝利エドワーズシチー5頭-1着
重賞初騎乗1987年1月11日1回中山4日11R京成杯エプソムオーザ15頭1413着
重賞初勝利1997年8月24日3回新潟6日11R新潟記念パルブライト15頭21着
GI初騎乗1989年4月16日3回中山8日10R皐月賞アクアビット20頭910着

小牧太

小牧 太(こまき ふとし、1967年9月7日 – )は日本中央競馬会(JRA)の騎手である。

2004年に兵庫県競馬組合から移籍。弟は兵庫県競馬組合所属調教師の小牧毅。

この頃から橋口弘次郎厩舎の所属馬に騎乗する機会が増えた。
2001年、2002年に中央競馬で20勝以上を挙げ、JRAの騎手試験の一次試験の筆記試験(国語・数学・競馬法規)が免除され二次試験(技能試験と面接)から受験できる資格を得た。

2003年の同試験に合格し、2004年にJRAへ移籍。兵庫県競馬組合所属としての最後の勝利は、特別に「フェアウェルステージ」と改称されたレースで同じくJRAへ移籍する赤木高太郎をマッチレースの末、クビ差抑えてのものだった。

通算勝利は3376勝。

小牧太 JRA移籍後

移籍後の初騎乗は2004年3月6日、初勝利は翌3月7日。

しかしJRA移籍後は移籍前より下手になっていると陰口を叩かれる事もある。ダイタクバートラムでは同じようなミスを犯し、しかもミルコ・デムーロに乗り代わった途端に圧勝されるなど与えられたチャンスを生かせなかった。

騎乗機会の多かった橋口厩舎の馬でも上村洋行(ペールギュントなど)や藤岡佑介(ローゼンクロイツなど)に委ねられるケースが増えた時期もあった。ただ、2009年にはローズキングダムでの朝日杯フューチュリティステークス勝利をはじめ橋口厩舎所属馬で重賞を4勝するなど、最近は重要な場面での起用が増えている。

2008年4月13日、桜花賞をレジネッタで制し、JRA移籍5年目にして初のJpnI(GIを含む)勝利を飾った。同年のスプリングステークスをスマイルジャックで制するなど同年のクラシック世代で活躍していることから、桜花賞実況の馬場鉄志(関西テレビアナウンサー)をして「今年は小牧の年か!」

また、夏にはカノヤザクラでアイビスサマーダッシュ、セントウルステークスを制してサマージョッキーズシリーズに優勝、JRA移籍後初となるワールドスーパージョッキーズシリーズへも参戦した。

2009年7月19日、アイビスサマーダッシュをカノヤザクラで制し、人馬共に史上初となる、アイビスサマーダッシュ連覇を記録した。
なおJRA所属となってからも兵庫への参戦は活発で、2004年に条件レベルの交流戦を中心に地方全体で10勝を挙げ、兵庫での重賞成績は4戦2勝2着2回。三冠の園田ダービー、菊水賞では兵庫所属のホクセツガーデンに騎乗している。

小牧太 エピソード

泣き虫ジョッキー [編集]
太は感激屋であり、非常に涙もろいことで知られている。前述の中央競馬初勝利のワールドスーパージョッキーズシリーズでの表彰台に上がった際に涙を見せたのをはじめ、JRA移籍直前の園田競馬場での壮行会でも涙で挨拶にならず(最初に一言しゃべりかけたものの涙で詰まってしまい、1分以上泣きじゃくって何も言えず、なんとか「JRAに行っても応援してください!」

このように同番組でとりあげられている太であるが、同番組へのゲスト出演は現在の所一度も無い。

小牧太 主な騎乗馬

タッカースカレー(1998年フクパーク記念、菊水賞、楠賞全日本アラブ優駿)
ニホンカイユーノス(1998年播磨賞、山陽杯、タマツバキ記念、摂津盃、白鷺賞、園田金盃)
ワシュウジョージ(1999年菊水賞、六甲盃、西日本アラブダービー、2000年新春賞、山陽杯、2001年西日本アラブ大賞典、兵庫大賞典、園田金盃、アラブグランプリ、摂津盃、2002年西日本アラブ大賞典)
ロードバクシン(2001年兵庫三冠)
ローズバド(2001年フィリーズレビュー)
ロサード(2001年小倉記念)
ニホンピロサート(2004年プロキオンステークス、サマーチャンピオン、2005年さきたま杯)
ダイタクバートラム(2004年北九州記念)
ペールギュント(2004年デイリー杯2歳ステークス)
ゴールデンキャスト(2005年セントウルステークス)
アグネスジェダイ(2005年東京盃、サマーチャンピオン、2006年クラスターカップ)
アサカディフィート(2007年小倉大賞典)
エムオーウイナー(2007年シルクロードステークス)
スマイルジャック(2008年スプリングステークス、東京優駿2着)
レジネッタ(2008年桜花賞)
ワンダースピード(2008年アンタレスステークス、名古屋グランプリ、2009年平安ステークス、東海ステークス、2010年名古屋グランプリ)
カノヤザクラ(2008年アイビスサマーダッシュ、セントウルステークス、2009年アイビスサマーダッシュ)
ダブルウェッジ(2009年アーリントンカップ)
アイアンルック(2009年毎日杯)
リディル(2009年デイリー杯2歳ステークス)
ローズキングダム(2009年東京スポーツ杯2歳ステークス、朝日杯フューチュリティステークス)
キャプテントゥーレ(2010年朝日チャレンジカップ)
シルポート(2011年京都金杯、2011年マイラーズカップ)

小林徹弥

小林徹弥プロフィール

1993年目野哲也厩舎所属騎手としてデビュー。同期には飯田祐史・伊藤直人・宗像徹らがいる。
1年目こそ1桁勝利に終わるが2年目の1994年から途中落馬負傷による長期戦線離脱もある中、毎年勝利数を2桁に乗せ関西の中堅騎手として活躍を続ける。

またデビュー年より障害競走にも騎乗し、重賞への出走経験も数回あったが2003年を最後に障害競走への騎乗は無い(免許は平地・障害双方を現有)。

1994年には短距離馬ニホンピロスタディとのコンビでOP特別を4勝、その2年後となる1996年、同じニホンピロの冠号馬ニホンピロプリンスにて重賞初勝利を記録している。
2009年9月12日、13日に韓国・ソウル競馬場で実施された第5回韓国馬事会国際騎手招待競走で合計4鞍に騎乗し最終第4戦目で勝利をあげた。

小林淳一

小林 淳一(こばやし じゅんいち、1973年3月12日 – )は、JRAの美浦トレーニングセンター所属する騎手である。
愛称はコバジュン。

小林淳一 プロフィール

1992年、第6期生として競馬学校騎手課程を卒業しJRAの騎手免許を取得する。

JRA初騎乗は、3月1日第2回中山2日の2Rで9番人気だったブランドアップに騎乗し4着。3月21日第2回中山7日の8Rで4番人気だったメジロフェンディーで勝利しJRA初勝利をあげる。

10月18日、第2回福島6日目5Rで3番人気のミュージックシチーで勝利しJRA通算100勝を達成する。
2000年、第61回優駿牝馬にて8番人気のバイラリーナに騎乗しJRAGI初騎乗を果たした(11着)。
2001年3月17日第36回フローラステークスで5番人気だったオイワケヒカリでレディパステルら有力馬に競り勝ち見事JRA初重賞勝利をあげた。
2002年11月10日、第4回中山4日目10Rで1番人気のトウカイアローで勝利しJRA通算200勝を達成する。
2005年10月22日の東京競馬第12レースにおいて出走16頭中最低人気のゼンノエキスプレスで勝利し、3連単1846万9120円のJRA史上最高配当が飛び出す大波乱の中心となった。 また、2007年5月6日のNHKマイルカップでは出走18頭中最低人気のムラマサノヨートーで3着入線し、17番人気で勝利したピンクカメオとともに当時のJRA重賞最高配当となる3連単973万9870円の波乱劇を演出するなど、記録的高配当となったレースで馬券対象に名を連ねている。

小林慎一郎

小林慎一郎は、父は元調教助手でライターの小林常浩。

小林慎一郎プロフィール

2000年、第16期生としてJRA競馬学校騎手課程を卒業、中尾謙太郎厩舎所属騎手としてデビュー。

後、厩舎解散に伴う所属変更やフリー転向を経るが特筆すべき実績は無く、迎えた騎手生活10年目となる2009年、グロリアスノアに騎乗し自身9年ぶりとなる特別競走勝ちを記録。

翌2010年には同馬とのコンビで根岸ステークスを制し重賞初勝利を挙げた他、人馬共に初の海外レース参戦となるゴドルフィンマイルへの騎乗(4着)を果たした。

なおゴドルフィンマイルに騎乗した日本人騎手は松永幹夫、武豊に次いで3人目、平地のG2競走に騎乗するのは国内外通じてこれが初めてであった。

小林慎一郎 主な騎乗馬

テンシノキセキ (2000年福島2歳ステークス)
グロリアスノア (2010年根岸ステークス、ジャパンカップダート2着)

小林慎一郎 騎乗成績

種別記録日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平地初騎乗2000年3月4日1回阪神3日1R4歳未勝利タキノルディー10頭69着
初勝利2000年3月19日1回阪神8日12R5歳上900万円下リキアイフジ13頭51着
重賞初騎乗2009年1月11日1回中山4日11Rフェアリーステークスシルクマイホーム16頭1213着
重賞初制覇2010年1月31日1回東京2日11R根岸ステークスグロリアスノア16頭111着
GI初騎乗2010年2月21日1回東京8日11Rフェブラリーステークスグロリアスノア16頭65着
障害初騎乗2000年3月25日2回阪神1日5R障害オープンイブキハイシーザー9頭77着
初勝利2008年3月9日1回阪神4日4R障害未勝利シゲルダンプウ14頭81着
重賞初騎乗2003年11月15日5回京都3日10R京都ハイジャンプイブキマンパワー6頭55着
年度平地競走障害競走
1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
2000年14822197.071.112.2230001.000.000.000
2001年13912260.050.085.131-
2002年11310201.055.070.1190001.000.000.000
2003年310100.030.040.04000011.000.000.000
2004年00241.000.000.04900115.000.000.067
2005年11129.034.069.10300026.000.000.000
2006年23542.048.119.23800118.000.000.056
2007年11338.026.053.13200213.000.000.154
2008年41349.082.102.16310011.091.091.091
2009年34260.050.117.1500001.000.000.000
2010年47555.073.200.291-
中央5638651072.052.088.14810497.010.010.052
地方00114.000.000.071

後藤浩輝

後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19日 – )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の騎手。

大和田稔調教師は、後藤と同じ美浦トレーニングセンターの所属であるが、それまで後藤の顔すらも知らなかったという。
1995年に師匠である伊藤との確執などの理由でフリー騎手となる。

1999年8月19日、美浦トレーニングセンター内にある騎手寮「若駒寮」にて、後輩騎手である吉田豊に対して木刀を使うなどして一方的に暴行を働き負傷させ、翌日のスポーツ新聞のトップ記事となる前代未聞の不祥事を起こした。

JRAによる事情聴取の結果、日本中央競馬会競馬施行規程第126条第20号に基づき後藤は騎乗停止となり、その期間は後日に開かれた裁定委員会で8月20日から12月19日までの4か月と決定、これまでに暴力事件を起こした騎手のうちでは最長の騎乗停止期間となった。

12月25日に復帰するも、翌26日に進路妨害で3週間(実効6日間)の騎乗停止処分を受ける。
翌2000年には、年末の最後まで岡部幸雄や横山典弘と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には102勝)をマーク。

ゴールドティアラに騎乗し統一GI競走・マイルチャンピオンシップ南部杯を制し、統一GIながらも自身初のGI制覇となる。
2002年6月2日、安田記念をアドマイヤコジーンに騎乗して制し、中央競馬のGI初勝利。

このあとイギリスへ再び3か月の海外遠征にも出る。2004年12月12日には朝日杯フューチュリティステークスでマイネルレコルトに騎乗し、2つ目のJRAのGI勝利を挙げる。

2006年11月25日、ジャパンカップダートでアロンダイトに騎乗し3つ目のJRAGI勝利を挙げる。
2007年、9月24日から9月28日までアメリカへ競馬視察のため海外出張を行った。

11月4日に前年に続き自身4度目となるJRA年間100勝を達成した。さらに10月28日までに関東所属騎手の中で2位となる97勝を中央で挙げたことから第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへ出場することになり、最終レースで優勝の可能性を残していたが、結果は5着に終わり、優勝騎手と4ポイント差の2位に終わった。

ワールドスーパージョッキーズシリーズに先立つ11月10日、東京競馬場にてJRA通算1000勝を達成。2007年は、中央競馬の関東でのリーディングジョッキーになった。

2010年6月6日、安田記念をショウワモダンに騎乗して制し、4つ目のJRAのGI勝利を挙げる。
2011年5月22日、エリンコートで優駿牝馬を制し、初のクラシック勝利を挙げた。
レース後の勝利インタビューにはさまざまな小ネタを披露している。

2002年のダイヤモンドステークスを制したときには、テレビの通信販売番組でおなじみだった腹筋強化器具(通称・アブトロニック)をインタビュー中に使用。しかし「宣伝ではないか?」

とJRA上層部から注意を受けたとのちに語っている。
アドマイヤコジーンで東京新聞杯や阪急杯を制した際には「神風」などのハチマキを巻いてインタビューに答えた。
減量騎手時代、『さんまのナンでもダービー』でポニーにちょんまげの格好で乗り、落馬をしたことがある。
レース終了後のイベントに力を入れている。

1999年8月19日、騎手の吉田豊に対して暴行を働き、騎乗予定のキャンセルに至る怪我を負わせる、俗に言う「木刀事件」を起こす。これにより4か月の騎乗停止処分を受け、謹慎となる。
2000年5月7日、福島競馬場にて、調教師の高市圭二から殴打された。その前日の5月6日の福島メインレース日光特別のレース後、後藤は自らの騎乗馬イシノイーグル(12頭中1番人気2着、優勝馬とは3と1/2馬身差)が落馬したカラ馬アサヒウイニングに不利を受けたとマスコミにコメント。

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