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ラジオNIKKEI賞ってどんなレース?

ラジオNIKKEI賞の基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 福島競馬場
施行時期 6月下旬 – 7月上旬
(原則2回福島6日目)
格付け GIII
1着賞金 3700万円
賞金総額 7060万円
距離 芝1800m
出走条件 サラブレッド系3歳(国際)(特指)

負担重量 ハンデキャップ
第1回施行日 1952年4月6日

ラジオNIKKEI賞(ラジオにっけいしょう)は、日本中央競馬会(JRA)が福島競馬場の芝1800mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走。競走名は寄贈賞を提供している日経ラジオ社の愛称ラジオNIKKEIから。

ラジオNIKKEI賞 概要

本競走は1952年にクラシック競走である皐月賞の前哨戦として4歳(現3歳)の別定の重賞競走、中山4歳ステークスとして創設、第1回は現在とは違い中山競馬場の芝1800mで施行された。
1954年からは、春のクラシックシーズン終了後の6月下旬に施行されるようになり、また本年のみ施行距離を芝2000mで施行した。

1955年からは出走資格に「除く東京優駿1着馬」が追加され、1956年は中山競馬場の改修工事に伴い東京競馬場の芝1800mで施行、1959年からは寄贈賞を日本短波放送から提供された事を機に、日本短波賞中山4歳ステークスに名称を変更、更に1961年からは日本短波賞に名称を変更した。

1968年は東京競馬場の改修工事の影響により4月に開催されたため、出走資格の「除く東京優駿1着馬」が取り消された。
1971年は東京競馬場の芝1800mで施行、1972年は混合競走に指定、外国産馬が出走可能になった。但し、この年は流行性の馬インフルエンザによる開催日程変更の影響で7月に東京競馬場の芝1800mで施行、1979年からは前年に日本短波放送の愛称が「ラジオたんぱ」に決まった事に伴い、名称をラジオたんぱ賞に変更、施行場所を現在の福島競馬場の芝1800mに移した。

1984年からはグレード制施行に伴いGIIIに格付けされるが混合競走から除外される。1992年からは混合競走に再び指定され、外国産馬が出走可能になった。1997年からは特別指定競走に指定され、JRAに認定された地方所属の競走馬が出走可能となる。
2000年は新潟競馬場の改修工事による振替開催により東京競馬場の芝1800mで施行、2001年からは混合競走から除外されたが、2005年には再び指定され、2006年からは現在のラジオNIKKEI賞に名称変更、更に負担重量をハンデキャップに変更した。
主に東京優駿(日本ダービー)で出走できなかったり、好走できなかった馬が出走してくる傾向があり、また一時的には出走資格として「東京優駿1着馬を除く」と組み込まれていた事から、「残念ダービー」と今日まで呼ばれるようになる。

1961年以来、当競走に寄贈賞を出し続けている日本短波放送は2003年10月1日に社名を日経ラジオ社に変更し、翌2004年4月1日には局名をラジオNIKKEIに改称したが、2004年・2005年の競走名は旧愛称のラジオたんぱのままであった。
現在の優勝レイの配色は、赤色地に銀色文字である。

出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量はハンデキャップである。

ラジオNIKKEI賞 歴史

1952年 – 中山競馬場の芝1800mの4歳(現3歳)の別定の重賞競走、中山4歳ステークスとして創設。
1954年 – 施行距離を芝2000mに変更。
1955年
出走資格に「東京優駿1着馬を除く」の条項が追加される。
施行距離を芝1800mに戻す。
1着入線のイチモンジが走行妨害により失格。
1956年 – 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝1800mで施行。
1957年 – 大久保房松が調教師として史上初の連覇。
1958年 – 1位入線のヒシマサルが走行妨害により失格。
1959年 – 日本短波放送から寄贈賞の提供を受け、名称を日本短波賞中山4歳ステークスに変更。
1960年 – 前年の9月1日から日本競馬の計時方式が変更されたことに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1961年 – 名称を日本短波賞に変更。
1964年 – 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝1800mで施行。
1966年 – 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝1800mで施行。
1968年 – 東京競馬場の改修工事の影響により4月に開催されたため、出走資格内の「東京優駿1着馬を除く」の条項が取り消される。
1970年 – 尾形藤吉が調教師として2人目の連覇。
1971年 – 東京競馬場の芝1800mで施行。
1972年
混合競走に指定。
流行性の馬インフルエンザの影響で7月に東京競馬場の芝1800mで順延開催。
野平祐二が騎手として史上初の連覇。
1979年
名称をラジオたんぱ賞に変更。
施行場を現在の福島競馬場の芝1800mに移す。
1982年 – 田村正光が騎手として2人目の連覇。
1984年
グレード制施行によりGIIIに格付け。
混合競走から除外。
1989年 – 福島競馬場の改修工事により新潟競馬場の芝1800mで施行。
1991年 – 大崎昭一が騎手として3人目の連覇。
1992年 – 混合競走に再び指定。
1996年 – 福島競馬場の改修工事により中山競馬場の芝1800mで施行。
1997年 – 特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
2000年 – 福島競馬場の改修工事による振替開催により東京競馬場の芝1800mで施行。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳」から「3歳」に変更。
混合競走から除外。
2005年 – 混合競走に再び指定。
2006年
名称をラジオNIKKEI賞に変更。
負担重量をハンデキャップに変更。
2007年 – 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2009年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となるのに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
2010年 – サマージョッキーズシリーズの対象競走に指定。
2011年
東日本大震災の影響による福島競馬の開催中止に伴い中山競馬場の芝1800m(Cコース使用)で施行し、フルゲートも14頭に変更[2]。
プランスデトワールが1コーナーで逸走したためショウナンパルフェとディアフォルティスの進路を妨害し、ディアフォルティスは競走を中止。加害馬のプランスデトワールも競走を中止したため、処分を受けた馬はなかった。

ラジオNIKKEI賞 歴代優勝馬
回数 施行日       優勝馬     性齢 斤量 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1952年4月6日 アサトモ 牡3 57 1:53 0/5 野平祐二 望月与一郎 手塚栄一
第2回 1953年4月12日 チエリオ 牝3 53 1:57 2/5 阿部正太郎 田中和一郎 吉川英治
第3回 1954年6月20日 ゴールデンウエーブ 牡3 59 2:09 4/5 蛯名武五郎 藤本冨良 川俣欣也
第4回 1955年7月3日 ヒデホマレ 牡3 58 1:51 1/5 柄崎義信 西塚十勝 宍戸ミワ
第5回 1956年6月24日 フエアマンナ 牝3 57 1:52 4/5 佐藤嘉秋 大久保房松 小林庄平
第6回 1957年6月23日 オンワードゼア 牡3 55 1:55 1/5 二本柳俊夫 大久保房松 樫山純三
第7回 1958年6月15日 カツトシ 牡3 56 1:50 3/5 野平祐二 松山吉三郎 佐藤順吉
第8回 1959年6月21日 シゲミノル 牡3 55 1:50 2/5 坂本栄三郎 中村広 鈴木晴
第9回 1960年6月19日 ビツグヨルカ 牡3 55 1:50.0 保田隆芳 尾形藤吉 小野晃
第10回 1961年6月25日 アズマテンラン 牡3 55 1:51.6 高橋英夫 二本柳俊夫 堀平四郎
第11回 1962年7月1日 スズホープ 牡3 54 1:51.0 八木沢勝美 森末之助 鈴江繁一
第12回 1963年6月16日 カネノヒカル 牡3 56 1:51.6 加賀武見 阿部正太郎 金指吉昭
第13回 1964年6月21日 フラワーウツド 牝3 53 1:49.0 保田隆芳 尾形藤吉 永田雅一
第14回 1965年6月20日 ベロナ 牝3 55 1:51.5 野平好男 田中和夫 田中はな
第15回 1966年6月19日 ヒロイサミ 牡3 54 1:52.0 郷原洋行 野平省三 勝川平太郎
第16回 1967年6月18日 ムネヒサ 牡3 55 1:52.0 藤本勝彦 藤本冨良 伊東二郎
第17回 1968年4月7日 アサカオー 牡3 55 1:52.6 加賀武見 中村広 浅香源二
第18回 1969年6月22日 ハクエイホウ 牡3 54 1:52.2 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第19回 1970年6月14日 ヒガシライト 牡3 54 1:51.0 伊藤正徳 尾形藤吉 坂本清五郎
第20回 1971年7月4日 ミネラルシンボリ 牡3 54 1:51.8 野平祐二 野平省三 和田共弘
第21回 1972年7月30日 スガノホマレ 牡3 55 1:48.4 野平祐二 秋山史郎 菅原光太郎
第22回 1973年6月24日 イチフジイサミ 牡3 56 1:50.8 郷原洋行 松永光雄 保坂勇
第23回 1974年6月23日 スルガスンプジョウ 牡3 55 1:50.0 蛯沢誠治 成宮明光 望月茂
第24回 1975年6月22日 ハクチカツ 牡3 54 1:50.2 小島太 稲葉幸夫 柏誠四郎
第25回 1976年6月27日 トリデジョウ 牡3 55 1:50.5 増沢末夫 山岡寿恵次 ホースマンクラブ
第26回 1977年6月26日 マルゼンスキー 牡3 58 1:51.4 中野渡清一 本郷重彦 橋本善吉
第27回 1978年6月25日 キタノコンゴウ 牡3 55 1:49.2 菅原泰夫 本郷一彦 高山幸雄
第28回 1979年6月24日 ホクセーミドリ 牝3 53 1:47.9 小島太 高木嘉夫 村田光雄
第29回 1980年6月22日 ハワイアンイメージ 牡3 58 1:50.7 増沢末夫 鈴木勝太郎 (株)大関
第30回 1981年6月21日 エイティトウショウ 牝3 54 1:51.6 田村正光 奥平真治 トウショウ産業(株) 
第31回 1982年6月27日 アキビンゴ 牡3 56 1:52.5 田村正光 大久保良雄 (株)じんべい産業
第32回 1983年6月26日 ウメノシンオー 牡3 55 1:49.2 増沢末夫 古賀一隆 梅崎敏則
第33回 1984年6月24日 スズパレード 牡3 55 1:49.2 田村正光 富田六郎 小紫芳夫
第34回 1985年6月23日 ダービーリッチ 牝3 53 1:50.8 蛯沢誠治 諏訪富三 東京軽種馬(株) 
第35回 1986年6月22日 ダイナコスモス 牡3 58 1:47.8 岡部幸雄 沢峰次 (有)社台レースホース
第36回 1987年7月5日 レオテンザン 牡3 54 1:48.8 田村正光 吉野勇 田中竜雨
第37回 1988年7月3日 タカラフラッシュ 牡3 54 1:49.8 佐藤吉勝 坂本栄三郎 村山義男
第38回 1989年7月2日 ダイワゲーリック 牡3 54 1:48.2 増沢末夫 尾形盛次 大和商事(株)
第39回 1990年7月1日 ツルマイアスワン 牡3 54 1:47.8 大崎昭一 柴田寛 平岩詔次
第40回 1991年6月30日 ツインターボ 牡3 54 1:48.5 大崎昭一 笹倉武久 黒岩晴男
第41回 1992年7月5日 シンコウラブリイ 牝3 55 1:48.6 坂本勝美 藤沢和雄 安田修
第42回 1993年7月4日 エーピーグランプリ 牡3 55 1:48.1 江田照男 武田博 (株)デルマークラブ 
第43回 1994年7月3日 ヤシマソブリン 牡3 54 1:49.1 坂井千明 松山康久 毛利喜昭
第44回 1995年7月2日 プレストシンボリ 牡3 56 1:48.9 岡部幸雄 藤沢和雄 シンボリ牧場
第45回 1996年6月30日 ビッグバイアモン 牡3 54 1:46.0 蛯名正義 中尾正 (有)ビッグ
第46回 1997年6月29日 エアガッツ 牡3 55 1:50.3 柴田大知 栗田博憲 (株)ラッキーフィールド
第47回 1998年7月5日 ビワタケヒデ 牡3 54 1:45.6 藤田伸二 松田博資 (有)ビワ 
第48回 1999年7月4日 シルクガーディアン 牡3 54 1:50.1 柴田善臣 矢野進 (有)シルク
第49回 2000年7月2日 ルネッサンス 牡3 55 1:49.4 大西直宏 高橋裕 中澤幸幹
第50回 2001年7月1日 トラストファイヤー 牡3 55 1:49.4 田中勝春 河野通文 菅波滿
第51回 2002年6月30日 カッツミー 牡3 54 1:48.3 内田利雄 南田美知雄 安部重夫
第52回 2003年7月6日 ヴィータローザ 牡3 55 1:48.4 蛯名正義 橋口弘次郎 (有)サンデーレーシング
第53回 2004年7月4日 ケイアイガード 牡3 56 1:47.1 松永幹夫 古川平 亀田守弘
第54回 2005年7月3日 コンラッド 牡3 55 1:47.2 横山典弘 手塚貴久 (有)サンデーレーシング
第55回 2006年7月2日 タマモサポート 牡3 54 1:50.5 津村明秀 藤岡健一 タマモ(株)
第56回 2007年7月1日 ロックドゥカンブ 牡3 52 1:47.7 柴山雄一 堀宣行 吉田和美
第57回 2008年7月6日 レオマイスター 牡3 53 1:46.8 内田博幸 古賀慎明 (株)レオ
第58回 2009年7月5日 ストロングガルーダ 牡3 56 1:48.3 蛯名正義 久保田貴士 村木篤
第59回 2010年7月4日 アロマカフェ 牡3 55 1:47.3 柴田善臣 小島太 西川光一
第60回 2011年7月3日 フレールジャック 牡3 54 1:46.9 福永祐一 友道康夫 (有)キャロットファーム

函館スプリントステークスってどんなレース?

函館スプリントステークスの基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 函館競馬場
施行時期 6月中旬
(原則1回函館4日目)
格付け GIII
1着賞金 3800万円
賞金総額 7200万円
距離 芝1200m
出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(特指)
負担重量 別定
第1回施行日 1994年7月17日

函館スプリントステークス(はこだてスプリントステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が函館競馬場の芝1200mで施行する中央競馬の重賞競走(GIII)。

函館スプリントステークス概要

夏季競馬の短距離重賞の充実を図る目的で1994年に4歳(現3歳)以上の別定の混合の重賞競走、札幌スプリントステークスとして創設、第1回は札幌競馬場の芝1200mで施行された。

1996年からは特別指定交流競走に指定され、JRAに認定された地方所属の競走馬の出走が可能になり、1997年からは同年の番組改定で札幌競馬と函館競馬の開催順入れ替えにより、施行場所を函館競馬場の芝1200mとなり、名称を函館スプリントステークスに変更した。2006年からはサマースプリントシリーズの第1戦に指定されている。

サマースプリントシリーズに指定されてからは、本競走を優勝したワンカラット(2010年)がシリーズチャンピオンに輝いている。

夏季競馬開催の最初の短距離重賞競走と言う事もあり、夏の休養に入らなかった有力馬が出走する場合がある。また秋のスプリンターズステークスを見据える、力を付けてきた競走馬(昇り馬)がサマースプリントシリーズも視野に入れて出走する。
尚、本競走は安田富男が1996年にノーブルグラスに騎乗して当競走を優勝、JRAの全10競馬場の重賞競走制覇の記録を史上初めて達成した競走でもある。

本競走は平坦で直線の短いコースで行われるスプリント戦ゆえか、他の牡牝混合戦と比較して牝馬の好走が目立っており、特に2003年から2007年の5年間は、牝馬が連続制覇していた。
本競走の優勝馬からはマサラッキ・サニングデール・キンシャサノキセキ・カレンチャンの4頭が後にGI競走を優勝している。
現在の優勝レイの配色は、赤色地に銀色文字となっている。

出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は3歳(旧4歳)は53kg(開催日が7月1日以前の場合は52kg[1])、4歳(旧5歳)以上は56kg、牝馬は2kg減を基本とし、
日本馬は、収得賞金3,000万円超過馬は超過額が2,000万円毎に1kg増。
外国調教馬は、GI競走1着馬は5kg増、GII競走1着馬3kg増、GIII競走1着馬1kg増。(ただし2歳時の成績を除く)
以上のように斤量が課せられる。

^ 1600m以下のオープン競走のアローワンス([1]のアローワンスおよび南半球産馬の負担重量の減量についての項目参照)が6月は4kg、7月は3kgとなっている。開催日(天災地変その他やむを得ない事由により開催日の日取りを変更した場合における変更後の開催日を除く。)が2日以上連続する場合において、それらの開催日の最初の日とその他の日におけるアローワンスおよび南半球産馬の負担重量の減量が当該表に定めるところにより変更されることとなる場合については、当該最初の日現在における当該表による重量をもってそれらの開催日におけるアローワンスおよび南半球産馬の負担重量の減量とする。より、開催日が7月1日の場合でも前日の土曜日が6月30日と6月なのでアローワンスは4kg

函館スプリントステークス歴史

1994年 – 札幌競馬場の芝1200mの4歳(現3歳)以上の別定の混合競走の重賞(GIII)競走、札幌スプリントステークスとして創設。
1996年
特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
ノーブルグラスが史上初の連覇。
上原博之が調教師として史上初の連覇。
1997年
施行場を函館競馬場の芝1200mに変更。
名称を現在の函館スプリントステークスに変更。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
2005年
シーイズトウショウが2頭目の連覇。
池添謙一が騎手として史上初の連覇。
鶴留明雄が調教師として2人目の連覇。
2006年 – サマースプリントシリーズに指定。
2007年 – ICSCの勧告に伴う競走格付けの変更により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2009年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
薄暮競走実施により、北海道主場の最終レースの発走時刻を17時10分に設定したことに伴い、本競走の競走番号を第11競走から第9競走に変更。
函館競馬場のスタンド改修工事により、札幌競馬場の芝1200mで施行。1996年以来の札幌開催となる。
3位入線のエーシンエフダンズが進路妨害により8着に降着。
2010年 – ワンカラットが当時のコースレコード1:08.2で優勝。
2011年 – 東日本大震災の影響による薄暮開催の中止に伴い、第11競走として施行。
2012年 – 夏季競馬の開催日割変更に伴い、6月中旬に施行される。

函館スプリントステークス歴代優勝馬
回数 施行日      優勝馬      性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1994年7月17日 ゴールドマウンテン 牡5 1:09.3 武豊 佐山優 グリーンファーム
第2回 1995年7月16日 ノーブルグラス 牝4 1:09.4 小島太 上原博之 芳賀満男
第3回 1996年7月14日 ノーブルグラス 牝5 1:08.9 安田富男 上原博之 芳賀満男
第4回 1997年7月13日 マサラッキ 牡4 1:08.8 河内洋 増本豊 丸井正貴
第5回 1998年7月19日 ケイワンバイキング 騙4 1:09.0 横山典弘 奥平真治 北村和哉
第6回 1999年7月18日 シンコウフォレスト 牡6 1:09.4 四位洋文 栗田博憲 安田修
第7回 2000年7月2日 タイキトレジャー 牡4 1:08.7 横山典弘 藤沢和雄 (有)大樹ファーム
第8回 2001年7月1日 メジロダーリング 牝5 1:09.5 武幸四郎 大久保洋吉 (有)メジロ牧場
第9回 2002年6月30日 サニングデール 牡3 1:10.3 福永祐一 瀬戸口勉 後藤繁樹
第10回 2003年7月6日 ビリーヴ 牝5 1:09.3 安藤勝己 松元茂樹 前田幸治
第11回 2004年7月4日 シーイズトウショウ 牝4 1:09.4 池添謙一 鶴留明雄 トウショウ産業(株)
第12回 2005年7月3日 シーイズトウショウ 牝5 1:09.0 池添謙一 鶴留明雄 トウショウ産業(株)
第13回 2006年7月2日 ビーナスライン 牝5 1:09.1 秋山真一郎 堀宣行 (有)ターフ・スポート
第14回 2007年7月1日 アグネスラズベリ 牝6 1:08.9 角田晃一 西浦勝一 渡辺孝男
第15回 2008年7月6日 キンシャサノキセキ 牡5 1:08.4 岩田康誠 堀宣行 吉田和美
第16回 2009年7月5日 グランプリエンゼル 牝3 1:08.5 熊沢重文 矢作芳人 北側雅司
第17回 2010年7月4日 ワンカラット 牝4 1:08.2 藤岡佑介 藤岡健一 青山洋一
第18回 2011年7月3日 カレンチャン 牝4 1:08.0 池添謙一 安田隆行 鈴木隆司

マーメイドステークスってどんなレース?

マーメイドステークスの基本情報

主催者 日本中央競馬会
開催地 阪神競馬場
施行時期 6月中旬 – 下旬
(原則3回阪神6日目)
格付け GIII
1着賞金 3500万円
賞金総額 6660万円
距離 芝2000m
出走条件 サラブレッド系3歳以上牝馬(国際)(特指)
出走資格も参照
負担重量 ハンデキャップ
第1回施行日 1996年6月23日

マーメイドステークス(Mermaid Stakes)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場の芝2000mで施行する中央競馬の重賞競走(GIII)。
競走名は人魚の英語「mermaid」の意味から。

マーメイドステークス概要

本競走は1996年の牝馬限定の重賞路線の整備の一環として、4歳(現3歳)以上牝馬限定の混合の賞金別定重量の重賞(GIII)競走、マーメイドステークスとして新設。第1回は現在と同じく阪神競馬場の芝2000mで施行された。
1997年からは地方所属の騎手が騎乗可能になり、2002年からは特別指定競走に指定、JRAの認定競走で1着に入賞した地方所属の競走馬が出走になり、2005年からは国際競走に指定、海外の競走馬が出走可能になった。なお、2000年から2005年までは七夕賞と同日開催だった。2006年からは負担重量をハンデキャップに変更された。

創設当初から3歳(旧4歳)以上の牝馬限定競走だが、3歳(旧4歳)馬が出走する事は極めて少なく、GI級戦線で健闘する古馬の牝馬が多く参戦していた。ハンデキャップ競走となってからは一転して福島牝馬ステークスやヴィクトリアマイルで成績を残せなかった出走馬が参戦する傾向がある。

現在の優勝レイの配色は、水色地に黄色文字となっている。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の牝馬の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は、ハンデキャップである。

マーメイドステークス歴史

1996年 – 阪神競馬場の芝2000mの4歳(現3歳)以上牝馬限定の混合競走・別定重量の重賞(GIII)競走、マーメイドステークスとして創設(創設当初の基本負担斤量は4歳(現3歳)が51kg、5歳(現4歳)以上が55kg)。
1997年 – この年から地方所属の騎手が騎乗可能となる。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳以上牝馬」から「3歳以上牝馬」に変更。
当時地方笠松所属の安藤勝己が騎手として史上初の連覇。
2002年 – 特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
2004年 – 第2回競走の優勝馬エアグルーヴの仔、アドマイヤグルーヴが優勝、母仔制覇を達成。
2005年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2006年
阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝内回り2000mで施行。
負担重量をハンデキャップに変更。

2007年 – 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
2008年
関西主場においての最終競走の発走時刻を16時40分に設定したことに伴い、当競走の競走番号を第11競走から第10競走に変更。
トーホウシャインが2001年のカブトヤマ記念のタフネススター以来、史上6頭目の最軽量タイ48kgの重賞勝利を記録。
2011年 – 東日本大震災及び東京電力・福島第一原子力発電所での事故による薄暮開催の中止に伴い、第11競走として施行。
2012年 – サマージョッキーズシリーズの対象競走に指定。

マーメイドステークス歴代優勝馬
回数 施行日       優勝馬      性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1996年6月23日 シャイニンレーサー 牝5 2:00.6 河内洋 高橋隆 市川義美
第2回 1997年6月22日 エアグルーヴ 牝4 2:02.6 武豊 伊藤雄二 (株)ラッキーフィールド
第3回 1998年6月28日 ランフォザドリーム 牝4 2:00.0 河内洋 田中耕太郎 高瀬牧場
第4回 1999年6月27日 エリモエクセル 牝4 2:03.6 的場均 加藤敬二 山本慎一
第5回 2000年7月9日 フサイチエアデール 牝4 1:58.9 安藤勝己 松田国英 関口房朗
第6回 2001年7月8日 タイキポーラ 牝5 1:59.2 安藤勝己 松元茂樹 (有)大樹ファーム
第7回 2002年7月7日 ヤマカツスズラン 牝5 1:59.1 池添謙一 池添兼雄 山田博康
第8回 2003年7月13日 ローズバド 牝5 2:03.7 横山典弘 橋口弘次郎 (有)社台レースホース
第9回 2004年7月11日 アドマイヤグルーヴ 牝4 2:00.0 武豊 橋田満 近藤利一
第10回 2005年7月10日 ダイワエルシエーロ 牝4 2:00.5 福永祐一 松田国英 大城敬三
第11回 2006年6月18日 ソリッドプラチナム 牝3 2:01.1 安部幸夫 田中章博 (株)ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
第12回 2007年6月17日 ディアチャンス 牝6 1:58.4 武豊 清水出美 寺田千代乃
第13回 2008年6月22日 トーホウシャイン 牝5 2:03.5 高野容輔 崎山博樹 東豊物産(株)
第14回 2009年6月21日 コスモプラチナ 牝6 2:00.2 和田竜二 宮徹 (有)ビッグレッドファーム
第15回 2010年6月20日 ブライティアパルス 牝5 1:59.5 藤岡康太 平田修 小林昌志
第16回 2011年6月19日 フミノイマージン 牝5 2:00.4 太宰啓介 本田優 谷二

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