ベストタイアップ
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1992年3月29日
父 アンバーシャダイ
母 ミスタイモア
母の父 Sham
生国 日本(北海道早来町)
生産 社台ファーム早来
馬主 吉田照哉
調教師 松山康久(美浦)
競走成績
生涯成績 15戦7勝
獲得賞金 2億577万円
ベストタイアップの主な勝鞍は中山金杯・東京新聞杯。半兄に1990年京成杯勝ちのノーモアスピーディ。
ベストタイアップ 戦歴
デビューは1994年10月。パドックでいつもチャカつく気性が災いしたのか4歳春までは思うような成績は残せず条件馬のままで終わる。秋に入っても気性難は変わらずであったが晩成の父同様に本格化の兆しを見せ始める。
1996年1月平場からの4連勝で中山金杯を制覇し重賞タイトルを手にする。この後、僚馬ジェニュインとの兼ね合いで長距離路線を歩み、次走日経賞では2番人気の評価を受けるが不良馬場に持ち味であるキレ脚を殺され4着に終わる。さらに天皇賞・春も一気に伸びた距離に対応できず惨敗、この年は1勝のみに留まる。
翌1997年適距離に戻りかつての切れる差し脚が復活、中山金杯を連覇し更に東京新聞杯を1番人気で快勝。安田記念へ向け大きく前進したその矢先脚部不安を発症、そのまま現役引退となった。
引退後は種牡馬として地方重賞2勝のジーナフォンテンを輩出するも、他に特筆すべき活躍馬は無く2006年に種牡馬から引退。現在は北海道野付郡の野付ライディングファームに繋養されている。
ベストタイアップ 競走成績
年月日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F) タイム差 勝ち馬/(2着馬)
1994 10. 8 東京 新馬 12 8 11 3.9 (2人) 3着 田中勝春 53 芝1400m(良) 1:23.6(36.6) -0.9 タイガーチャンプ
10. 30 東京 新馬 8 4 4 4.8 (3人) 1着 田中勝春 53 芝1800m(良) 1:50.1(35.6) 0.4 (マチカネブラボー)
1995 2. 25 中山 500万下 10 4 4 2.8 (2人) 2着 田中勝春 55 芝2000m(良) 2:02.3(36.0) -0.5 イブキニュースター
3. 26 中山 スプリングS GII 15 3 4 30.8 (7人) 13着 横山典弘 55 芝1800m(不) 1:56.1(41.1) -1.6 ナリタキングオー
10. 8 東京 500万下 9 4 4 4.5 (2人) 1着 横山典弘 55 芝1600m(良) 1:35.6(34.8) 0.1 (タイキマーシャル)
10. 29 東京 紅葉特別 15 3 5 3.2 (1人) 1着 横山典弘 55 芝1600m(良) 1:33.7(35.1) 0.4 (トキオフェニックス)
11. 26 東京 ウェルカムS 18 6 12 2.8 (1人) 1着 横山典弘 56 芝2000m(良) 2:00.0(34.3) 0.4 (マルシゲギャロップ)
1996 1. 5 東京 中山金杯 GIII 16 1 2 2.4 (1人) 1着 横山典弘 55 芝2000m(良) 1:59.3(33.7) 0.2 (ウインドフィールズ)
3. 17 中山 日経賞 GII 11 2 2 5.3 (2人) 4着 横山典弘 56 芝2500m(不) 2:37.7(37.1) -0.4 ホッカイルソー
4. 21 京都 天皇賞(春) GI 16 3 5 40.3 (6人) 13着 岡部幸雄 58 芝3200m(良) 3:20.5(37.0) -2.7 サクラローレル
10. 6 東京 毎日王冠 GII 12 1 1 5.9 (5人) 5着 田中勝春 57 芝1800m(良) 1:46.2(34.6) -0.4 アヌスミラビリス
10. 27 東京 天皇賞(秋) GI 17 3 6 15.2 (6人) 6着 田中勝春 58 芝2000m(良) 1:59.1(34.4) -0.4 バブルガムフェロー
11. 23 東京 キャピタルS OP 14 7 12 1.7 (1人) 2着 柴田善臣 57 芝1400m(良) 1:21.8(33.9) -0.1 エイシンバーリン
1997 1. 5 中山 中山金杯 GIII 15 1 1 2.4 (1人) 1着 岡部幸雄 57 芝2000m(良) 2:01.5(35.7) 0.2 (マウンテンストーン)
2. 2 東京 東京新聞杯 GIII 11 3 3 1.3 (1人) 1着 岡部幸雄 57 芝1600m(良) 1:33.7(33.9) 0.2 (ユノペンタゴン)
ベストタイアップ 血統表
ベストタイアップの血統 (ノーザンテースト系/Lady Angela 父内4×5=9.38%、 Hyperion 5×5=6.25%、 Nearco 5×5=6.25%、 Bull Lea 父内5×5=6.25%)
父
アンバーシャダイ
1977 鹿毛 日本 *ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛 カナダ Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
Clear Amber
1967 鹿毛 アメリカ Ambiopoise Ambiorix
Bull Poise
One Clear Call Gallant Man
Europa
母
*ミスタイモア
Miss Taymore
1977 黒鹿毛 アメリカ Sham
1970 鹿毛 アメリカ Pretense Endeavour
Imitation
Sequoia Princequillo
The Squaw
Bend an Oar
1967 鹿毛 アメリカ Never Bend Nasrullah
Lalun
Up Oars Turn-to
Nile Lily F-No.10-a
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中央競馬は、週に2日間しか開催されませんが、地方競馬はほぼ毎日開催されていますね。
戸崎圭太騎手は、なんと年間326勝!3年連続の南関東4場完全制覇のおまけつき。
2011年南関東リーディングは戸崎圭太騎手が1486戦326勝で4年連続のトップですね。
大井リーディングは2位の的場文男騎手に51勝差の146勝で1位。
南関東総合2位は御神本騎手で203勝ですから100勝以上の差をつけています。
2011年も戸崎騎手は、中央競馬の騎手試験に落ちてしまいましたが、なんとか、2012年には、合格してほしいなあ・・・。
今の、甘ったれた中央の騎手を総なめにして、リーディングを取ってもらいたい!!
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戸崎圭太
出身地 栃木県下都賀郡壬生町
生年月日 1980年7月8日(31歳)
身長 158cm
体重 44.3kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 特別区競馬組合
所属厩舎 香取和孝
勝負服 青、胴赤星散らし
初免許年 1998年
免許区分 平地
戸崎 圭太(とさき けいた、1980年7月8日 – )は、大井競馬場・香取和孝厩舎に所属する騎手である。趣味はスポーツをすることで、好きなスポーツはゴルフ。
勝負服は青地に胴赤散らし。青は大井の先輩である内田博幸の勝負服が、胴赤星散らしは同様に的場文男の勝負服の星(★)が由来となっている。[1]
戸崎圭太 来歴
中学時代は野球部に所属していた。今でも野球が特技である。
騎手志望当時、戸崎は中央競馬の存在を知らず、栃木県那須塩原市にあった地方競馬教養センターを受験。1998年、地方競馬教養センター騎手課程を卒業し騎手免許を取得する。[2]同年4月12日の大井競馬第3競走C3八組九組をミヤサンヤシマで勝利し、初騎乗初勝利を挙げる。
2005年6月26日に福島競馬場で行われた3歳未勝利戦で、13番人気だったスプリングラゴスに騎乗し中央競馬初騎乗、10着となる。同年9月14日大井競馬第10競走トゥインクルレディー賞を8番人気のコウエイソフィアで勝利し、重賞初制覇。
2007年、初のJRA重賞となったマーチステークスでは、11番人気だったシーチャリオットに騎乗し14着。7月8日、阪神競馬場で行われた3歳以上500万円以下のレースをヤマカツティガーで制し中央初勝利を挙げる。12月13日に地方通算600勝を達成した。
2007年には全国リーディング3位の活躍を見せた。これは南関東内では内田博幸に次ぐリーディング2位であり、的場文男を上回る勝ち鞍を挙げる活躍ぶりであった。
2008年の東京ダービーでは2007年のアンパサンドに続き、ドリームスカイ(10番人気)で勝利。東京ダービーを連覇した。6月25日の中央との交流重賞帝王賞(JpnI)をフリオーソで制覇。9月17日大井競馬第6競走において落馬、全治1ヶ月の鎖骨骨折を負い、同日第11競走トゥインクルレディー賞でトーセンジョウオーに騎乗できなかった。このようなアクシデントはあったが、ネフェルメモリーを12月31日の東京2歳優駿牝馬で勝利に導き、この年は306勝を挙げて初の全国リーディングを獲得した。
2009年は船橋記念をスパロービートで勝利し、3月11日のダイオライト記念および3月20日の桜花賞をいずれも2年連続で制覇。続いて京浜盃で重賞4連勝および自身のデビューからの通算勝利数を1000勝を飾った。他にも東京プリンセス賞・羽田盃・浦和記念で優勝し、前年を上回る387勝を挙げ、2年連続で全国リーディングを獲得した。
また、中央競馬では前年まで通算5勝の成績から一転して年間20勝を挙げ、安田記念ではコンゴウリキシオーに、天皇賞・秋ではエイシンデピュティに騎乗し中央競馬のGIにも参戦を果たした。クイーンカップでは大井所属のエイブルインレースで、勝ち馬のディアジーナから0.1秒差の3着に食い込む活躍をした。
2010年は中央への参戦も積極的に行っている。中央競馬の日本ダービーでトゥザグローリーに騎乗。大井競馬場で行われた東京ダービーではマカニビスティーに騎乗し、圧勝。東京ダービー最多タイの3勝となった。6月30日に行われた帝王賞(JpnI)では、フリオーソに騎乗。中央競馬の有力馬のカネヒキリ・ヴァーミリアン・サクセスブロッケンなどが参戦するなか、先頭を進むサクセスブロッケンの2番手につけ、直線で一気に先頭に躍り出るとそのまま1着でゴールイン。2着は中央競馬のカネヒキリだった。
今まで勝ったことのなかったヴァーミリアンにも勝つことができ、表彰式では涙を拭う場面も見られた。交流GIは通算2勝目。7月14日に行われたジャパンダートダービー(JpnI)ではマグニフィカに騎乗。始終先頭をキープ。直線でも一度も前を譲らず、そのままゴールイン。帝王賞に続いて川島正行調教師とのタッグでGIを獲得した。GI通算3勝目。11月3日に船橋競馬場で行われたJBCクラシックは地方最強馬のフリオーソとタッグを組むも武豊騎乗のスマートファルコンに逃げられ2着。11月14日の東京競馬場第11競走第15回東京中日スポーツ杯武蔵野ステークスでは6番人気のグロリアスノアで優勝し、中央競馬重賞を初制覇した。
2011年も中央競馬へ参戦。6月5日の安田記念では、南関東の先輩で負傷休養中の内田博幸のお手馬でもあるリアルインパクトに騎乗し、中央競馬GI競走での初優勝を飾った。
戸崎圭太 エピソード
2005年に初めて中央競馬 (JRA) の新規騎手免許試験に挑み[3]、一次試験で不合格となる[4]。2010年の時点ではJRAへの移籍について「今は特別考えていませんね。そういう時期になったら、改めて考えようと思っています。今は1頭でも多く、1日でも多くガムシャラに乗りたいんですよ」[5]と述べていた。翌2011年、安田記念の勝利を契機として2度目の試験に挑んだ[3][4]が、またも一次試験で不合格となった[6]。
戸崎圭太 表彰
ベストフェアプレイ賞(2006年)
NARグランプリ最優秀騎手賞(2008年)
戸崎圭太 年度別成績表
戸崎圭太 地方競馬
年度 騎乗数 勝利 順位 勝率 連対率 獲得賞金勝数
1998年 70 4 位 .057 .143 18,356,000円
1999年 307 12 位 .039 .121 62,908,000円
2000年 404 25 位 .062 .126 113,735,000円
2001年 546 31 位 .057 .125 186,837,500円
2002年 533 36 位 .068 .158 166,044,000円
2003年 615 39 位 .063 .135 156,293,000円
2004年 731 53 位 .073 .156 181,840,000円
2005年 860 74 62位 .086 .169 235,136,000円
2006年 1145 139 22位 .107 .229 391,532,000円
2007年 1584 212 3位 .134 .242 593,054,000円
2008年 1737 306 1位 .176 .305 1,055,680,000円
2009年 1762 387 1位 .220 .355 1,196,562,000円
2010年 1665 288 1位 .173 .297
通算 11968 1593 – .133 .241
戸崎圭太 中央競馬
年度 騎乗数 勝利 順位 勝率 連対率 獲得賞金勝数
2005年 3 0 176位 .000 .000 0円
2006年 18 0 181位 .000 .000 750,000円
2007年 44 2 133位 .045 .091 45,263,000円
2008年 152 3 110位 .020 .092 110,736,000円
2009年 199 21 50位 .106 .191 311,105,000円
2010年 293 22 45位 .075 .184 496,676,000円
通算 709 48 – .068 .155 964,530,000円
戸崎圭太 初騎乗記録
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
地
方 初騎乗・初勝利 1998年4月12日 1回大井1日3R C3八組九組 ミヤサンヤシマ 9頭 1 1着
重賞初勝利 2005年9月14日 11回大井4日10R トゥインクルレディー賞 コウエイソフィア 16頭 8 1着
GI初勝利 2008年6月25日 5回大井4日11R 帝王賞 フリオーソ 13頭 1 1着
中
央 初騎乗 2005年6月26日 2回福島4日3R 3歳未勝利 スプリングラゴス 15頭 13 10着
初勝利 2007年7月08日 3回阪神8日8R 3歳上500万下 ヤマカツティガー 13頭 5 1着
重賞初騎乗 2007年3月25日 3回中山2日11R マーチステークス シーチャリオット 15頭 11 13着
重賞初勝利 2010年11月14日 5回東京4日11R 武蔵野ステークス グロリアスノア 16頭 6 1着
GI初騎乗 2008年2月24日 1回東京8日11R フェブラリーステークス アンパサンド 16頭 13 10着
GI初勝利 2011年6月5日 3回東京6日11R 安田記念 リアルインパクト 18頭 9 1着
順位 主な騎乗馬
フリオーソに騎乗
メイショウアーム(2001年ジャパンダートダービー2着)
コウエイソフィア(2005年トゥインクルレディー賞)
アンパサンド(2007年東京ダービー)
フリオーソ(2008年ダイオライト記念、帝王賞、2009年ダイオライト記念、2010年帝王賞、日本テレビ盃、2011年川崎記念、かしわ記念)
フィリアレギス(2008年桜花賞)
ドリームスカイ(2008年東京ダービー)
トーセンジョウオー(2008年スパーキングレディーカップ)
ギャンブルオンミー(2008年黒潮盃)
ネフェルメモリー(2008年東京2歳優駿牝馬、2009年桜花賞、東京プリンセス賞)
スパロービート(2009年船橋記念)
ナイキハイグレード(2008年ハイセイコー記念、2009年京浜盃、羽田盃)
フジノウェーブ(2010年東京スプリング盃)
マカニビスティー(2010年東京ダービー)
マグニフィカ(2010年ジャパンダートダービー)
グロリアスノア(2010年武蔵野ステークス)
クラーベセクレタ(2010年東京2歳優駿牝馬、2011年羽田盃、東京ダービー、ロジータ記念、クイーン賞)
ナイキマドリード(2011年さきたま杯)
リアルインパクト(2011年安田記念)
順位 脚注
^ 競馬最強の法則2010年9月号 ターザン炎上!競馬デスマッチ 戸崎圭太騎手
^ 同期デビューの騎手には森泰斗(現船橋)がいる。
^ a b “地方競馬No.1騎手の戸崎がJRA受験” (日本語). デイリースポーツ (2011年9月2日). 2011年10月20日閲覧。
^ a b “戸崎 JRA受験「内田さんを追いかけて」” (日本語). スポーツニッポン (2011年9月2日). 2011年10月20日閲覧。
^ 週刊Gallop 2010年8月29日号 戸崎圭太という男
^ “大井の戸崎はJRA騎手免許試験に不合格” (日本語). デイリースポーツ (2011年10月20日). 2011年10月20日閲覧。
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ニシノライデン、とうとう、亡くなったんですね。
春の天皇賞でも斜行して失格になり、田原成貴騎手が、伊藤修司調教師の家まで、謝りに行った、という逸話もありましたね。
え~家まで謝りに行くんだ!、とびっくりした思い出があります。
こういう個性派はいつの時代も好きですが、やはり斜行部門の代表格はこの馬でしょうね。
30歳まで生きたのだから大したものですね。人間だと100歳近いかな。
ご冥福をお祈りします。
カテゴリ : 競馬ニュース, 競馬日記
ニシノライデン
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1981年3月20日
死没 2011年12月31日(30歳没)
父 ダイコーター
母 ミスホマレシロー
母の父 ダディダンフィ
生国 日本(北海道鵡川町)
生産 西山牧場
馬主 西山正行
調教師 伊藤修司(栗東)
競走成績
生涯成績 中央26戦7勝
獲得賞金 2億8923万8000円
ニシノライデンは重賞(GII)を4勝した。
斜癖があることで知られ、朝日チャレンジカップの1位失格や天皇賞・春の2位失格があり、「降着制度の産みの親」とも言われる(後述)。
※戦績の馬齢は旧表記(数え年)。
ニシノライデン 戦績
4歳となった1984年2月に京都競馬場でデビュー。当初は伊藤清章[1]が騎手をつとめた。デビュー戦を勝った後5戦3勝でクラシック路線に乗るが、三冠馬シンボリルドルフらの壁は厚く、皐月賞は6着、日本ダービーでは5着に終わった。
秋に神戸新聞杯[2]2着の後、菊花賞トライアルの京都新聞杯で重賞初制覇。菊花賞では打倒ルドルフの一番手として2番人気に推された。直線早目に先頭に立って、堂々とシンボリルドルフを負かしにいく競馬をしたが3着に終わった。このレースを実況していた杉本清が、ニシノライデンのレースぶりをのちに著書[3]で褒めている。
5歳初戦の鳴尾記念(当時は3月に開催された芝2500mのGII)で重賞2勝目。大阪杯を挟んで天皇賞・春に出走するがシンボリルドルフの4着に終わった。そして秋初戦の朝日チャレンジカップでは1位に入線するが、斜行して失格となった。伊藤がこのレースでの処分で騎乗停止となり、次の京都大賞典では田原成貴が初騎乗し、ヤマノシラギクの2着。
しかし天皇賞・秋では12着に敗れ、再び伊藤が騎乗すると阪神大賞典(当時は12月開催)で重賞3勝目をあげ、有馬記念ではシンボリルドルフ、ミホシンザンに次ぐ3着。
6歳初戦の日経新春杯で4着に敗れると故障し、1年2ヶ月の休養を経て7歳で復帰。復帰初戦の阪神大賞典[4]は8着に終わったが、再び田原に乗り替わった大阪杯で重賞4勝目を飾る。
そして、天皇賞・春では圧倒的1番人気のミホシンザンに次ぐ2番人気に支持された。レースでは最後の直線で急に外側に斜行し、外を走っていたアサヒエンペラーの進路を妨害。ゴール前ではアサヒエンペラーと内・外が入れ替わっているほどの斜行で、アサヒエンペラーは騎手蛯沢誠治が立ち上がるほどの不利を受けた。
この間に内を突いたミホシンザンとニシノライデンがほぼ同時にゴールイン。長い写真判定と審議が行われ、まずは1位ミホシンザン、ハナ差2位にニシノライデンと表示されたが、さらに長引いた審議の末、ニシノライデンは失格処分となった。 GI級のレースで2着までに入線した馬が審議の結果失格処分となったのは日本中央競馬会史上初であった。
続く宝塚記念では、失格処分の同情票も集めたかGIレースで初めて1番人気に支持されたが、同期のスズパレードの3着に敗れた。
このレースを最後に故障し、現役を引退した。
ニシノライデン 競走成績
通算26戦7勝
4歳:13戦4勝 京都新聞杯(GII)、神戸新聞杯(GIII)2着
5歳:8戦2勝 鳴尾記念(GII)、阪神大賞典(GII)、京都大賞典(GII)2着
6歳:1戦0勝
7歳:4戦1勝 サンケイ大阪杯(GII)
ニシノライデン 引退後
引退翌年の1988年より西山牧場で種牡馬となった。馬主の厚意で種牡馬入り間もない頃は桜花賞馬ダイアナソロンの母ベゴニヤや、西山牧場の割合優秀な成績を残した牝馬など、少ないながらもそれなりの繁殖牝馬が集められた。しかし産駒は気性に問題があり、入厩はしたものの出走にこぎ着けられない馬も多く、活躍馬は輩出できなかった。
種牡馬登録は生涯続いたものの、1997年以降は産駒が生まれなかった。繁殖に上がった牝馬もほとんどおらず、結局ニシノライデンの血を引く馬は残せなかった。実質的な種牡馬引退後も西山牧場で功労馬として余生を送り、2011年12月31日に老衰による心臓麻痺で死んだ[5]。
ニシノライデン エピソード
のちにナリタブライアンのトレードマークとなるシャドーロールは、ナリタブライアンの登場までは、本馬もシャドーロールを代名詞とする一頭であった。
1位失格となった朝日チャンレンジカップでは、ワカオライデンが繰り上がり1着となった。
3着に敗れた宝塚記念レース後、西山正行とその実子の西山茂行は、天皇賞で失格を告げられた裁定委員に呼ばれ、パトロールフィルムを見せてもらい、スタート直後にニシノライデンがコース上にできた影に驚いてジャンプし、それで引っかかったところを確認できたという。天皇賞で失格を告げた裁定委員がこの時には「お気の毒ですが」と優しく声をかけてくれたという。
ニシノライデン 第95回天皇賞について
問題の天皇賞については、「真っ直ぐ走っていればニシノライデンが天皇賞馬だった」という意見もあるが、騎乗していた田原までも、「ニシノライデンは真っ直ぐ走るよりも、斜めに走る方が調子が良かった」とまで発言していた。
田原は天皇賞で騎乗停止処分となり、いずれも当時お手馬であったマックスビューティでのサンスポ杯4歳牝馬特別、フレッシュボイスでの安田記念に騎乗できなかった。いずれも柴田政人(天皇賞ではミホシンザンに騎乗)が騎乗し、勝利を収めた。
柴田政人は後に、あくまでも推測としながらも、「ミホシンザンとアサヒエンペラーは馬の格好も似ているし、勝負服も似ていた[6]から、ひょっとして外に来たアサヒエンペラーを俺の馬(ミホシンザン)と間違えて、馬体を併せに来たら斜行してしまったんじゃないか。ニシノライデンとアサヒエンペラーが外に行ったから自分は内を突いて、ゴール板のところでミホシンザンがわずかに前に出たのは確信できた。」と語っている[7]。
失格の裁定が下った後、この時の審議に当事者であった田原が呼び出されたのが着順が決定した後だった事から、田原は「きっと、天皇賞馬を失格に出来ないので、ニシノライデンを2着にしたんだよ。」と思ったという。なお、「優勝したが故に、失格されてもおかしくなかったのに失格とならなかった例」は複数例ある[8]。
ニシノライデンの天皇賞失格以後、「進路妨害等をした馬がレースで発揮した能力についても最大限尊重すべき」という論議が起こり、欧米で採用されていた降着制度が導入される一因となっている[9]。
ニシノライデン 血統表
ニシノライデンの血統 ボワルセル系(セントサイモン系)/Blue Larkspur5×5=6.25%
父
ダイコーター
1962 鹿毛 *ヒンドスタン
Hindostan
1946 黒鹿毛 Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Sonibai Solario
Udaipur
*ダイアンケー
Dianne K.
1950 鹿毛 Lillokid Jack High
Amaranth
Bonnie Luna Bon Homme
Rockiluna
母
ミスホマレシロー
1975 栗毛 *ダディダンフィ
Daddy Dunphy
1965 鹿毛 Coboes Mahmoud
Belle of Troy
Feria Thoulouse Lautrec
Feira de Rio
クリロット
1970 黒鹿毛 *オンリーフォアライフ
Only For Life Chanteur
Life Sentence
クリツヒメ ハクリヨウ
クリホマレ F-No.1-b
母系は西山牧場由来ではなく大東牧場由来のもの。4代母クリホマレはクリペロ・クリヒデの天皇賞馬兄妹の姉にあたり、6代母英月(競走名テツバンザイ)は1941年の阪神優駿牝馬の勝ち馬。
脚注 [編集]
^ 現姓上野、当時は調教師伊藤修司調教師の娘婿。
^ 当時はGIII。
^ 「あなたのそして私の夢が走っています」(双葉社)
^ 鳴尾記念と入れ替わる形で3月開催。
^ ニシノライデン死す…
^ ミホシンザンの勝負服は横縞、アサヒエンペラーのそれは縦縞という違いはあるが、袖が赤で胴が緑と黄色の縞模様と言う配色は一緒である。
^ 「別冊宝島143競馬名馬読本」より。
^ ミスターシービーがダービー、シンボリルドルフが皐月賞でインターフェアと受け取られかねない行為をしながらも、両者共に失格とはならず騎乗停止処分だけとなっている。
^ 降着制度は1991年に採用されている
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2012年、JRAの競馬は結構、変わりますね!なんとか売り上げを伸ばしてもらいたいものです。
・夏競馬は開幕が2週間早まってダービーの翌週の6月2日の東京、阪神からスタートします。
新馬戦も2週間繰り上がるんですね。
函館開催は日数が減ります。16日間→12日間になります。
札幌開催も16日間→14日間になります。
・有馬記念が最終日のレースでなくなります。
有馬記念翌日の12月24日が天皇誕生日の振り替え休日となるために中山競馬場、阪神競馬場で競馬は行われます。
有馬記念の翌日以降に競馬が行われるのは33年ぶりですね。
・「サマーマイルシリーズが新設されます。
マイル重賞の中京記念と関屋記念、京成杯AHの3レースが対象レース。
褒賞金は3000万円。サマースプリントシリーズにCBC賞が加わり、対象重賞が6レースになります。
・賞金金額が減ってしまいます。
重賞の1着賞金が据え置かれるのは平地G1・22レースとAJC杯、東スポ杯2歳S、ラジオNIKKEI杯2歳Sだけです。
残りの平地98重賞と障害全10重賞は1着賞金100万~500万円減額されます。
・2、3歳限定G1と宝塚記念、有馬記念を除く3歳以上のG1でレーティング上位5頭に優先出走が与えらられます。
・東西交互 WSJSは2012年はジャパンC週の東京で実施されますが、2013年以降は東西交互になります。
・G2とG1前哨戦のG3で基礎重量が現行より1キロ減になります。
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