2011年9月 のアーカイブ | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

競馬必勝法

競馬必勝法とは?

競馬必勝法とは、馬券を買って年間トータルでプラスにするノウハウですね。

馬券で儲けている人には、人それぞれの競馬必勝法があります。
実際に、年間を通じてかなりの金額(500万円以上)を馬券で稼いでいる人を5人知っていますが、
その5人の買う馬券の種類も必勝法のノウハウも、全然違います。

ただ、競馬必勝法を作り上げるために、皆、大変な時間をその理論の検証作業に費やしています。

競馬で勝てない時、いままでと同じノウハウを続けていても、結局、競馬に勝てません!
今使っているノウハウのどこがいけないのか、どこをどう変えれば勝てるようになるのか?

ここを考えることが重要です。
そして仮説をたてて、過去のデータから検証してみる。
膨大で、ほとんど徒労に終わるかもしれない作業にたち向かっていく強固な姿勢が必要です。

その先にこそ、競馬必勝法が見えてくるのです。



風のシルフィードの時代背景

風のシルフィードの時代背景

連載が終了する1993年まで、海外のグレード競走(GI・GII・GIII)を勝った日本調教馬はおらず、作中で菊地もそのように言及している。そして、シルフィードがGIIIのドーヴィル大賞典で日本調教馬として海外グレード競走の初勝利を挙げたことになっている。

なお、実際に海外のグレード競走で初めて勝った馬は、1995年の香港国際カップに勝利したフジヤマケンザンで、そのときの騎手は蛯名正義であった。また、グレード制導入前に遡れば、1959年にハクチカラが勝利したワシントンバースデーハンデキャップが、日本調教馬による海外重賞初勝利である。

連載開始当初、マキシマムはせり市で3億円という実際の競馬界でも最高額となる金額で落札されたが、連載中に現実の競馬界では3億5000万円という高値で取引されたサンゼウスが登場した。これを意識してか、作中でもサンアドニスという高額取引馬が登場し、キュータと新馬戦で対決している。

同一年の菊花賞終了後から有馬記念のファン投票の間まで、菊地厩舎陣営の“調教師や騎手が、その年の秋の天皇賞優勝馬(ヒヌマボーク)のことを知らなかった”という現実にはあり得ない設定が、競馬にある程度の知識がある読者から本作品が批判を受ける原因の一つとなっている。

これは、ファン投票選出1位のヒヌマボークに投票しているファンよりも、現場に近い立場の競馬関係者の方が状況を把握していないということで、本来、競馬関係者ならば、数多くある下級条件馬ならともかく、GI優勝馬を知らないはずがないということである。
また、騎手・島村のヒヌマボークに騎乗することになるエピソード(勝利数が不足している場合、GIレースの出走条件となる実際のルールを無視している状況)を含め、ストーリーの構成上仕方の無い設定とも言える。

少年マガジンの対象読者層が競馬に携わることがほとんどない少年である関係上、競馬を知らない読者にも分かりやすく配慮したという擁護意見もあるが、一方で、そういう配慮の必要性は認めながらも、競馬界の人間があまりにも内部のことを知らなすぎると捉えざるを得ない演出に疑問を呈する人もいる。

この他、「馬の鞍傷に塩を塗りこむ」といった現実の競走馬を扱う上では有り得ないかけ離れた表現などが、続編にあたる蒼き神話マルスにも共通して多数見られるが、上記のような背景もあり、また馬が喋りこそしないものの過度な感情表現を行うといった描写からも、そもそも純粋な競馬漫画というよりは競馬という舞台を借りたスポ根マンガとして制作されたものでは、という見方も存在するし、実際にマルス連載直前時に掲載された週刊Gallopのインタビューで作者自身「シルフィードを連載してた当時は競馬の事をほとんど知らなかった。無茶苦茶なエピソードもあるけど、競馬漫画ではなくスポ根物の漫画として読んで欲しい」と語っている。

風のシルフィードの競争馬

風のシルフィードの競争馬

シルフィード
森川駿と並ぶ、この作品のもう一頭の主人公。

父はユキカゼ、母は桜花賞3着馬サザンウィンド。馬名の「シルフィード」とは「風の妖精」の意味。

シルフィードの母親譲りの強烈な末脚は「白い稲妻」と称されている。実際の競走馬であるシービークロス・タマモクロス親子も「白い稲妻」というニックネームで呼ばれている。
生まれたときに浅屈腱炎という故障を抱えていたことから、競走馬としての未来を絶望視され、薬殺処分されかかったところを駿に助けられ、以後騎手を志した彼とともに成長していくこととなる。
3歳で菊地厩舎に入厩、母親譲りの末脚「白い稲妻」でデビューから2連勝を飾るが、朝日杯3歳ステークスでは妨害もあり、宿敵マキシマム、カザマゴールドに続く3着に終わる。

中央競馬会から特例で認められた駿とのコンビで挑んだ日本ダービーでは、1cmという僅差でマキシマムに敗退する。夏は九十九里浜での特訓を積み、秋になると、神戸新聞杯を負傷から復帰した谷村で制して菊花賞へ挑む。

その菊花賞では、三冠のかかったマキシマムとの死闘を制しついにGI馬となる。続く有馬記念では最強古馬・ヒヌマボークと闘うがヒヌマボークの2着(マキシマムと同着)に抑えられる。
明けて5歳、阪神大賞典1着を経て天皇賞(春)でヒヌマボークと再戦、これを破り、凱旋門賞を目指してフランスに渡る。緒戦こそ欧州最強馬・ラシューバの2着となるが、続くドーヴィル大賞典で海外レース初勝利を飾る。

人間以外の動物間では、ウサギのテツローも友達である。また、ライバルだったマキシマムとの友情を見せる一面も有る。
産駒はシルフィードJr.[2]、シルフィーナの双子のみとなった。

マキシマム
シルフィードの宿命のライバル。

一見無表情だが、その内にはシルフィードにも劣らない闘志を秘めている。人呼んで「闘神」。
デビュー後は岡の期待に応え、朝日杯3歳ステークス、皐月賞と順調に勝ち進む。続く日本ダービーでは三度目の対戦となるシルフィードに苦戦するが、驚異的な底力で差し返し辛勝。

無敗の二冠馬となる。菊花賞ではトライアルのセントライト記念で初めての敗戦を喫した小蒼竜(シャオツァンロン)を競り落とし、シルフィードとのマッチレースに持ち込むが惜敗し、三冠の夢は絶たれた。

続くグランプリ有馬記念ではシルフィードとともにヒヌマボークに挑むが、死闘の末2着敗退(シルフィードと同着)。またこのレースで前脚を骨折してしまい、予後不良と診断されるも夕貴や岡の説得で薬殺処分は免れ、手術の結果、一命は取り留める。

しかし、馬主である岡の意思により そのまま引退した。その後もトレーニングは怠らず、凱旋門賞に向かうシルフィードの調教時の併せ馬の相手も務める事になる。
マキシマムで岡に競り負けた風間が彼に対抗して2億円で落札。朝日杯3歳ステークス2着、古馬になり東京新聞杯優勝。

その後本来は適距離である1600mのレースに出走するはずが、風間のシルフィード潰しの目的のためだけに天皇賞(春)に出走するが惨敗。主戦騎手は宇南正洋。
毛色は青鹿毛で、それにシルフィードにもひけを取らない末脚もあって、「蒼い刺客」と呼ばれる。主戦騎手は葵兵馬。

独特の走法は「バタフライ走法」と呼ばれ、岡からはスピードとスタミナは並外れていると評価される。なお、岡は、シルフィードはスピリットがずば抜けている、マキシマムは全て揃っているとしている。

函館記念で1歳上の日本ダービー馬を5馬身差の2着に下し。セントライト記念でマキシマムを2.3秒差の2着に下し圧勝した。

菊花賞ではあまりの暴走に遂に限界を迎え失速。1着のシルフィードからハナ+10馬身差の3着に敗れる。


風のシルフィード

『風のシルフィード』(かぜのシルフィード)は、本島幸久による漫画作品。

愛蔵版・文庫版全13巻。
主人公の騎手森川駿と競走馬シルフィードの友情、またライバルたちとの戦いを描いた競馬漫画。

風のシルフィード ストーリー

小さな牧場で母馬の命と引き換えに生まれたシルフィード。生まれつき足に故障があるという競走馬として致命的なハンディを乗り越え、森川駿と共にその奇跡の末脚でデビュー以来次々と勝ち進んでいく。

やがてシルフィードと駿の前に、3億円の名馬マキシマムと天才騎手夕貴潤、死神の異名を持つヒヌマボークなど多くのライバルが立ちはだかる。そしてシルフィードと駿は、国内のライバルたちとの激戦を経て、海外へと飛び出し最高峰レース「凱旋門賞」へと挑む。
シルフィードと同様に、母は彼を生んで間もなく死亡している。
薬殺処分されかかっていたシルフィードを助け、自ら育てることとなる。

明生学園中学校卒業。千葉県の名門、千葉県立第一高等学校に3番の成績で合格するほど成績は良かったが、シルフィードとともに闘うため騎手の道へ進んだ。
シルフィードのデビューの翌年に騎手としてデビューし、4歳になったシルフィードとともに大レースで闘っていく。皐月賞は、駿が勝利数不足で(連載当時、クラシック五大競走には平地・障害で通算40勝以上しないと騎乗できなかった。

現在は、30勝以上で全てのGIレースに出場できる)規則により騎乗できないため谷村が手綱を取る。日本ダービー出走の時点でも勝利数は足りなかったが、特例として出場することができた。
シルフィードとともにレースを繰り返す中で本人も大きく成長し、デビュー3年目にしてリーディングジョッキーの座を窺うまでになる。しかしシルフィードの死にショックを受け、一時は騎手を辞めてしまう。

シルフィードの息子シルフィードJr.のデビューと共に現役復帰を遂げた。
夕貴 潤(ゆうき じゅん)
駿の2年前にデビューし、競馬界に旋風を巻き起こした天才騎手。

駿と出会った当時はひねくれた嫌みな性格だったが、後に駿とシルフィードをライバルと認め、更にはマキシマムの骨折と回復によって人間としても成長する。後に生産者となった藍田拓人と再会し、和解する。
デビュー年は障害競走で5勝を挙げるものの有馬記念直前まで平地競走では未勝利であった。有馬記念の前日にヒヌマボークへの騎乗を依頼され優勝。

平地での初勝利が”GIレース初騎乗での勝利”となる[1]。その後ヒヌマボークの主戦騎手となる。
駿が見習い騎手の頃はシルフィードの主戦騎手を務める。後に妙子と結婚。
葵からは「マムシの宇南」とも呼ばれていた。シルフィードに顔ムチを浴びせるなど卑怯な手を使うことが多いが、有馬記念の頃にはその実力を認めてシルフィードに道を譲った。

「すげぇレースはしてみてぇし見てみてぇ」という台詞にも表れているように、彼もまた一流の騎手である。
ダージリン・ダニアン
通称D・D(ディー・ディー)。

渡欧直後、落ち着きを失っていた駿をおどおどした男として反発するが、シルフィードとコンビを組んだ後の駿を見て見直す。
レクター=アボット
イギリス競馬界の頂点に立ち、「サー」の称号を受けた世界を代表する超一流騎手。

シルフィードの日本ダービー出走前には、自身が騎乗できない駿におだてられ、一度は騎乗を引き受けるが、調教で騎乗した際にシルフィードの駿に乗ってほしいという意思を見抜き騎乗を辞退、駿が騎乗できる方法を探した方がいいと忠告する。有馬記念では騎乗馬がなかったが、それまでのいきさつから圭吾とヒヌマボークを応援する。
吉原 泰人(よしはら やすと)
現役最高齢の騎手。若い頃は「剛腕」でならしたが、歳を重ねるとともに体力の衰えをテクニックでカバーし、レースを作ることを得意とするようになった。

ベッティングシステム

ベッティングシステム 独立事象のもの

例えばルーレット、クラップスのような、前回の結果が今回に影響しないようなゲームである。

プラス、マイナスともに目標値を設定し、そこで終了するのは良い考え方とされている。
ちなみに、分散を最大にする方法は、許される最大単位を最大のオッズに賭けることであり、最小にする方法はそもそもプレイをしないことである。

以下に代表的なベッティングシステムを挙げる。特にルーレットにおいては、マーチンゲールのバリエーションを始め過去から数限りないベッティングシステムが提案されてきた。

ここで、これらのシステムは勝つことでなく、あくまで楽しみを増すためのものであることに注意を喚起しておく。
これらは基本的に、2倍賭け、つまりルーレットで言う赤か黒か、丁半でいう奇数か偶数か、などに適用されるが、どのようなオッズのゲームであっても、例えば競馬やスポーツベットのような可変オッズのゲームでさえ、ベットの相対量を加減することによって応用可能である。

マーチンゲール
最も古典的かつ有名な手法で、カジノ必勝法として永らく愛されてきた。倍賭け法とも言われる。
まず1単位賭け、負ければその倍の2単位、さらに負ければそのさらに倍の4単位、と賭けていき、一度でも勝てばただちに1単位に戻す、という手法である。試行回数に関係なく、勝った時には1単位を得ることになる。
多くの場合には少額の勝ちであるが、負ける時は大敗する。負けが連続するとたちまちパンク、もしくはテーブルリミットと呼ばれる賭けの上限に達してしまう。

グランマーチンゲール
マーチンゲールのバリエーションの一つである。大マーチンゲールとも呼ばれる。
まず1単位賭け、負ければその倍の2単位+1の合計3単位、さらに負ければ倍の6単位+1の合計7単位、と賭けていく手法である。常に試行回数×1単位を得ること狙う攻撃的な手法。

マーチンゲールよりパンクのリスクは高くなる。
パーレー
逆マーチンゲールとも呼ばれ、その名の通りマーチンゲールの反対の手法をとる。
すなわち、1単位賭けた後、勝てばその倍の2単位、さらに勝てばその倍の4単位、負ければ1単位に戻す、という手法である。分散はマーチンゲールの鏡対照となる。
稀に大勝するが、多くは小敗してしまうスタイルである。
ダランベール
ジャン・ル・ロン・ダランベールが開発したと言われる手法である。

近年はこの手法およびバリエーションに人気がある。
負けた場合にベットを倍にするマーチンゲールとは異なり、負けた場合に1単位だけ増やす手法である。

グランマーチンゲールに倣って、増減に偏りをつけるバリエーションもある。
ピラミッド
ダランベールのバリエーションの一つである。

ベッティングシステム

ベッティングシステム (Betting system) とは、カジノなどのギャンブルで、どのような賭け方(ベット)をするかの戦略である。

ベッティングストラテジ (Betting strategy)、マネーマネジメント (Money management) とも呼ばれる。
もっとも単純なシステムは、常に同じ単位だけベットすることである。

それ以外に、状況に応じてベッティングをするにあたっては、いくつかの最適解もしくは指針が存在する。
ベッティングシステムは前回の結果が次回の結果に影響する(独立事象)かどうかによって、大きく2つに分けることができる。

独立事象でないものは、有利不利の段階に応じてベットすることによって期待値を変動させることができる。一方、独立事象のものは、分散の変動のみが可能である。

ベッティングシステム 独立事象でないもの

例えばブラックジャック、バカラなどのようなゲームである。これらのゲームは、各ラウンドごとにカードを新たにシャッフルしなおさず、前回までに使われたカードの含まれないデックで次のゲームが始まる(マルコフ過程)。

つまり、ラウンドごとに1単位に対する期待値が変動し、プレイヤはそれを利用することができる。
例えばブラックジャックにおいて、この偏りを利用するのがカウンティングであり、その戦略にベッティングシステムが含まれている。

プレイヤはカウントに応じて次のようにベットを行う。
不利、もしくはカードが配られた当初は最小単位を賭ける (ミニマムベット)
必ずしも有利ではないが、有利に近い場合はその近さに応じてベットを行う
カウントが有利になれば許される最大単位を賭ける (マックスベット)
カジノホスト(胴元)側は、これらの手法の有効度を下げるため、ミニマムとマックスの差を少なくする(つまりベット上限及び最小ベットを設定する)、カードを使い切らず途中でまたシャッフルしなおす、あるいは複数のデッキを使用する、などの手段をとることがある。
またこれはベッティングシステムとは異なるが、試行回数を増やす、すなわちベットを等分に分けマルチハンドでプレイすることによって分散を減らし(ヘッジ)、パンク(破産)リスクを軽減させることができる。
バカラでも同様のカウンティングおよびベッティングシステムが存在するが、一般的な(特にカジノルール)バカラにおいては、偏りが非常に稀であるため利用されることはない。

マーチンゲールの法則

マーチンゲールの法則とは、いわゆる倍賭けと呼ばれるノウハウです。

負けた時に賭け金を勝つまで倍々に増やしていくことによって、負けた分を取り返していきます。

つまり最終的に絶対負けない方法といわれているのがマーチンゲールの法則なんですね。

ただ、たとえば11レース連続で負けて、12レース目に勝った場合のシミュレーションをすると下記のようになりますが、なんと賭け金は204800円にもなってしまいます。

でも、仮に勝つ確率が50%あるギャンブルをするとすると(ルーレットの赤・黒、偶数・奇数等)、12回連続で負ける確率は4096分の1です。つまり勝率はじつに99,9・・・%になるんですね。あくまでも計算上ですが、ほとんど勝てることになります。

マーチンゲールの法則とは「レースが的中するまで、掛け金を毎レース事に増やしつづけていく法則」です。

最初のレースで100円を投入して外れてしまったら、次のレースは1レースに賭けた金額の倍、すなわち200円を投入します。

2レース目も外れたら3レース目は2レース目の投入金額の倍の400円、3レース目も外れたら4レース目は3レースの投入金額の倍の800円・・・といったように掛け金を倍々に増やし続けて的中した所で止めるやり方です。

基本は1点買いですね。

この買い目のオッズが2倍を切らなければ、的中した時に、それまで損失していた全ての掛け金を回収して、かならずプラスになるという方法なわけです。

マーチンゲールの法則を競馬で使うとすると、どうなるかというと・・・

出現率が高くて、狙った1点買いで的中しやすく、配当も2倍ぐらいの馬券といえば・・・

1、2番人気の単勝や3、4番人気の複勝あたりですね。

例えば、単勝1番人気を朝の1レースから買い続ければ1日1回は出現して、それを的中させたところでゲームは終了ということになります。

しかし1番人気の単勝でも1日、1回も出現しない日もあるわけです。(1番人気の1日の平均出現率は約4回、3レースに1回は出現しているのですが、たまに1回も出ない時があるんですね)

それなら、1日1番人気の単勝が出なかったら、翌開催日の1レースから続きを開始すれば良いのではないか、と思いますよね。
でもこれが、そううまくはいかないんです。
何故かというと、
実は、このマーチンゲールの法則は理論でしかないからです。

100円から掛け金をスタートしても、毎回レースを外していくと、たった1日で驚くくらいマイナスが増えるんです。
総投入金額がどうなるかというと、

300円

700円

1500円
3100円
6300円
12700円
25500円
51100円
102300円
204700円
409500円

となってしまいます。最終レースまで外れた場合に投入金額は41万円近くなるんですね。
そして最終レースで仮に当たっても、1番人気の単勝が2倍だと、たった100円しか儲かりません!

なんだ、このマーチンゲールの法則は使い物にならないのか?とも思いますが、

ウイークポイントを改良すると使えるようになえるんですね。

問題は資金繰りなんです。パンク(資金が底をつくこと)を避ければ何とか使えるんですね。
さて、どうしたらいいかと言うと・・・、

賭け金が大きくなりすぎると、パンクしちゃうわけなんですね。それで投資からリタイヤせざるを得なくなってしまう。

何故、賭け金大きくなりすぎるかというと、それは賭けるオッズが2倍と低いからなんです。

つまり賭け金を少なくする為には、もっと高いオッズの馬券を狙えばいいわけです。

高いオッズのものは出現率は低くなりますから、当然的中率も下がってしまいます。

しかし3,4倍程度のオッズであるならば、ある程度の出現率のある対象も確かにあります。

例えば、2、3番人気の単勝ですね。1番人気の単勝よりも出現率は下がりますが、替わりにオッズは上がります。

2番人気の平均配当を4倍とした時にマーチンゲールの法則を応用すれば、掛け金を毎回2倍にする必要はなくなるわけですね。
これを比較してみましょう。

(今まで負けた金額)÷(オッズ-1)+(最初に賭けた金額)=(次の掛け金)
というマーチンゲールの法則の公式にあてはめてみましょう。

例えば2回目以降の掛け金は、これに数字を代入すると・・・

もしオッズが2倍しかないのであれば
(100円)÷(2-1)+(100円)=200円
となり答えは200円。続けていくと
(100円+200円)÷(2-1)+(100円)=400円
(100円+200円+400円)÷(2-1)+(100円)=800円
(100円+200円+400円+800円)÷(2-1)+(100円)=1600円
・・・と倍々になりますね。

それではオッズが3倍の時はどうでしょうか?
(100円)÷(3-1)+(100円)=150円、切り上げて200円
(100円+200円)÷(3-1)+(100円)=250円、切り上げて300円
(100円+200円+300円)÷(3-1)+(100円)=400円
(100円+200円+300円+400円)÷(3-1)+(100円)=600円
となり、投入金額もオッズが2倍の時よりはグッと低くなります。
そしてオッズが3倍を切らなければ、どこで的中しても200円以上のプラスになりますね。

オッズが4倍、5倍・・・と高くなるのであるならば、更に投資金額は少なくて済むわけです。
仮に今、1~3番人気の単勝のどれかを狙うとした場合、それぞれの平均配当は約2倍~6倍です。
各オッズについて、1日単位(12レース)で投入金額を検証してみると

100円で初めて12レースまで外れ続けた続けた場合、オッズが2倍であるならば投入金額は409500円
100円で初めて12レースまで外れ続けた続けた場合、オッズが3倍であるならば投入金額は 31300円
100円で初めて12レースまで外れ続けた続けた場合、オッズが4倍であるならば投入金額は 11200円
100円で初めて12レースまで外れ続けた続けた場合、オッズが5倍であるならば投入金額は  7100円
100円で初めて12レースまで外れ続けた続けた場合、オッズが6倍であるならば投入金額は  5300円
(全ての端数を切り上げて計算した場合によります)

こうして見ていくと、的中するまでにいくら必要なのか、最終レースまで続けるための資金が判ります。

仮に1日10000円しか競馬に資金を投入できない場合は、5倍、6倍のオッズを狙えば最終レースまで続けられます。

5倍、6倍の配当なら3番人気以上の単勝、もしくは2番人気以上の枠連、2番人気以上の馬連等狙えるものがありまうね。(平均配当は約500円以上あります)

この計算法で競馬投資していけば、決めた資金内で長く投資が持続できるようになるのです。

マーチンゲールの法則、試してみるのもありですね。

フランスの競馬

フランスの競馬の歴史

1700年、貴族やイギリス大使が中心となってイギリス式の近代競馬(正式のルールと専用の施設(競馬場)に基づく競馬)が初めて開催される。
18世紀に入り、イギリスからのサラブレッドの輸入が始まる。
1776年、ブローニュの森の北にあるサブロン平原に初の常設競馬場としてシャン・ド・マルス競馬場(ロンシャン競馬場の前身)が建設される。
1843年、ディアヌ賞が創設される。
1857年、ロンシャン競馬場が建設される。
ただし売り上げ自体は増加傾向にあるものの、他のスポーツやギャンブルに比べ相対的に地位は低下してきているとされる。なお、売り上げの約98%は競馬場外でのものである。
イギリスやアイルランドの競馬と交流が盛んである。

速歩競走

平地に比べれば庶民のファンが多い。1月にヴァンセンヌ競馬場で行われるアメリカ賞はフランス最大の競馬イベントとして認知されており、売り上げ、観客動員数などは凱旋門賞を上回っている。

イギリスの競馬

イギリスの競馬

1540年、世界初の競馬場としてチェスター競馬場が建設され、近代競馬(正式のルールと専用の施設(競馬場)に基づく競馬)が行われるようになった。
1700年頃、競走馬の品種改良が進み、サラブレッドと呼ばれる品種が誕生した。
近代競馬(正式の規則に基づき、専用の施設(競馬場)において行われる競馬)発祥の地として知られる。
ブックメーカーを介した賭けが盛んに行われている。

平地競走ばかりでなく、障害競走も盛んに行われている。基本的に、3月から11月まで平地競走が、オフになると障害競走が行われる。

2007年は平地開催が844回、障害開催が482回、混合開催が4回であり、競走数は平地が5659回、G1(グループ1)は32。障害競走は年間に3218回行われ、G1(グレード1)は30である。
ただし隣国アイルランド(生産頭数12000頭)から大規模な供給がある。

イギリスの競馬の主な競走

イギリスの競馬の平地競走

クラシック
2000ギニー
ダービーステークス
セントレジャーステークス
1000ギニー
オークス
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス
ロイヤルアスコットレースミーティング
プリンスオブウェールズステークス
ゴールドカップ
ゴールデンジュビリーステークス
コロネーションカップ
エクリプスステークス
インターナショナルステークス
サセックスステークス
スプリントカップ
ジュライカップ
ナンソープステークス
デューハーストステークス
チャンピオンズデー
チャンピオンステークス
クイーンエリザベス2世ステークス
ブリティッシュ・チャンピオンズ・スプリントステークス
ブリティッシュ・チャンピオンズ・ロングディスタンスカップ
ブリティッシュ・チャンピオンズ・フィリーズ&メアズステークス

イギリスの競馬の障害競

グランドナショナルミーティング
グランドナショナル
メリングチェイス
スコティッシュグランドナショナル
ウェルシュナショナル
チェルトナムフェスティバル
チャンピオンハードル
クイーンマザーチャンピオンチェイス
ワールドハードル
チェルトナムゴールドカップ
キングジョージ6世チェイス
ヘネシーコニャックゴールドカップ
ベット365ゴールドカップ
ベットフェアチェイス

現在のイギリスの主な平地競走のレース日程(G1競走のみ)

5月 – (第1週)2000ギニー・1000ギニー(第3週)ロッキンジステークス
6月 – (第1週)オークス・コロネーションカップ・ダービーステークス(第3週)ロイヤルアスコットレースミーティング(初日:キングズスタンドステークス・セントジェームズパレスステークス・クイーンアンステークス2日目:プリンスオブウェールズステークス3日目:ゴールドカップステークス4日目:コロネーションステークス5日目:ゴールデンジュビリーステークス)
7月 – (第1週)エクリプスステークス(第2週)ファルマスステークス・ジュライカップ(第4週)キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス・サセックスステークス
8月 – (第1週)ナッソーステークス(第4週)インターナショナルステークス・ヨークシャーオークス・ナンソープステークス
9月 – (第1週)スプリントカップ(第2週)セントレジャーステークス(第4週)フィリーズマイル
10月- (第1週)チェヴァリーパークステークス・ミドルパークステークス・サンチャリオットステークス(第2週)デューハーストステークス(第3週)クイーンエリザベス2世ステークス・チャンピオンステークス(第4週)レーシングポストトロフィー
暦の関係上、開催が前の月に前倒しする時があり、第○週と書いてあるものずれることがよくある。

競馬の競走の種類

競馬の競走の種類

競馬開催国、数字は年間競走数(上から平地、障害、速歩)
名称走法騎乗方法走路使用される主な馬種競走数
(2005年)
平地競走襲歩(ギャロップ)騎乗平地サラブレッド・アラブ・クォーターホース約17万9100
障害競走障害サラブレッド・AQPS約8200
騎乗速歩競走速歩(トロット)平地スタンダードブレッド・フランストロッター約16万1200
繋駕速歩競走速歩(トロット/ペース)繋駕車
スキー
ばんえい競走特殊ソリ特殊日本輓系種[a 1]・ペルシュロン・ブルトン・ベルジアン約2000
^ 軽種馬以外の登録を管轄する日本馬事協会では2003年度以降に生産されるばんえい競馬向けの馬については純系種同士の馬による配合馬のみ一代限りで「半血(輓系)種」とし、それ以外については「日本輓系種」として登録されている。
右図に各国の競走数を示した(モンゴルのナーダム競馬、あるいは各種草競馬など国際競馬統括機関連盟が把握していないものは除く)。
競走形態は主に平地、障害、速歩に大別される。

平地競走は最も広範に行われ施行国は100ヶ国を超えると見られる。一方、速歩競走の競走数も平地に並ぶほど多くフランス、イタリア、スウェーデン、カナダ等ではこちらの方が人気が高い。

障害はイギリス、アイルランド、フランスで主に行われている。フィンランドのように繋駕速歩競走のみを施行している国もある。

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