admin | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

幸 英明

幸 英明(みゆき ひであき、1976年1月12日 - )は日本中央競馬会(JRA)の騎手である。

田島良保JRA調教師(元騎手)、田原成貴(元JRA調教師、元騎手)は兄弟子の間柄にあたる。
1997年3月15日、中京競馬第3競走においてJRA通算100勝を達成。

またブルーコンコルドとのコンビで活躍し、JBCスプリント連覇(2005年・2006年。ただし2006年はコース(川崎競馬場)の都合によりJBCマイルとして行われた)、マイルチャンピオンシップ南部杯3連覇(2006年~2008年)の他、東京大賞典(2006年)、かしわ記念(2007年)を勝ち、ダートGI・JpnI計7勝をあげた。
2008年3月30日、第38回高松宮記念をファイングレインで制覇し、4年6ヶ月ぶりに中央競馬のGIレースでの勝利をあげた。
2010年にはJRAの年間最多騎乗回数記録を更新し、史上初となる年間1000回騎乗を達成した。
JRA所属騎手の中でも屈指の騎乗回数を誇る。
2010年5月22日、京都競馬第4競走で、デビューから16年2か月18日で通算11000回騎乗を達成した。

これはJRA史上最速(当時[4])・最年少記録である。またこのレースを勝利し、JRA通算800勝も同時に達成した(騎乗馬・ニホンピロアワーズ)。
2011年6月12日、阪神競馬第3競走で通算12000回騎乗。デビューから17年3ヵ月8日、35歳5ヵ月1日(JRA史上最速・最年少記録)で達成。
2009年の年間騎乗回数は968回で、従来の記録(岩田康誠、2006年、952回)を上回った(ただし内田博幸が年間975回騎乗のため中央競馬記録とはならなかった)。
2010年12月26日、阪神競馬第2競走で史上初となるJRA年間騎乗回数1000回を達成(騎乗馬・タマモダイナミック・1着)。

最終的には1008回に伸ばした(中央競馬記録)。
幸 英明 成績
GI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)
(斜字は統一GI)
2003年
桜花賞 - スティルインラブ
優駿牝馬 - スティルインラブ
秋華賞 - スティルインラブ
2005年
JBCスプリント - ブルーコンコルド
2006年
マイルチャンピオンシップ南部杯 - ブルーコンコルド
JBCマイル - ブルーコンコルド
東京大賞典 - ブルーコンコルド
2007年
かしわ記念 - ブルーコンコルド
マイルチャンピオンシップ南部杯 - ブルーコンコルド
2008年
高松宮記念 - ファイングレイン
マイルチャンピオンシップ南部杯 - ブルーコンコルド
JRA・GI4勝(交流GI7勝)
JRA重賞21勝・地方交流重賞14勝

宮崎 北斗

宮崎 北斗(みやざき ほくと、1989年3月12日 - )は、日本中央競馬会美浦トレーニングセンターに所属する騎手である。
2004年に競馬学校第23期生として入学し、2007年に騎手免許を取得。同年に美浦・高市圭二厩舎所属として騎手デビュー。
同期に浜中俊、藤岡康太、丸田恭介らがいる。
初騎乗は同年3月3日中京競馬第2競走のオリジナルカラーで3着。

初勝利は同年4月21日福島競馬第3競走で、デビュー戦に騎乗したオリジナルカラーであった。
2008年12月20日、第46回愛知杯で16番人気セラフィックロンプに騎乗し、重賞競走初挑戦で初勝利を挙げた。
2011年6月9日にタレントの高橋摩衣と入籍。
宮崎 北斗 主な騎乗馬
セラフィックロンプ(2008年、2010年愛知杯)
宮崎 北斗 騎乗成績
年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
2007年869245.033.057.094
2008年112519416.026.087.132
2009年373749678.055.109.181
2010年182116409.044.095.134
中央7489931748.042093.146
地方01019.000.053.053
日付競馬場・開催・レース競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2007年3月3日1回中京1日目2R3歳未勝利オリジナルカラー16頭103着
初勝利2007年4月21日1回福島7日目3R3歳未勝利オリジナルカラー14頭11着
重賞初騎乗・初勝利2008年12月20日3回中京3日11R愛知杯セラフィックロンプ18頭161着
GI初騎乗2009年5月17日2回東京8日11Rヴィクトリアマイルセラフィックロンプ18頭1818着

蓑島靖典

蓑島靖典(みのしま やすのり、1982年11月14日 - )は日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターに所属する騎手。
騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持しているが、近年では障害競走への騎乗が中心となっている。
JRA初の十勝支庁出身騎手[1]として、2001年3月美浦の後藤由之厩舎所属でデビュー。

同期として大庭和弥・川島信二・小坂忠士などがいる。
約2ヶ月後となる4月29日に初勝利を達成し、この年特別戦2勝を含む10勝を挙げ関東新人賞となる2001年民放競馬記者クラブ賞を受賞する。
同賞の受賞にあたり「この賞を頂くには物足りない成績ですが、来年はこれに応えるよう、もっと頑張ります」とコメント[2]を残した蓑島は、翌2002年こそ騎乗数・勝利数等を共に伸ばすも、減量免除の特典を解かれる2004年以降は騎乗数を減少させ、後に活躍の場をデビュー2年目より騎乗を開始した障害競走へと移す。
2005年には年間を通じ平地・障害未勝利に終わるなど不振の年もあったが、2008年新潟ジャンプステークスをユウタービスケットで制し重賞初勝利を記録、2010年にはバシケーンで中山大障害を制覇しGI騎手の仲間入りを果たしている。

南井 大志

南井 大志(みない ひろし、1983年2月12日 -)は日本中央競馬会(JRA)所属の騎手。
元騎手で調教師の南井克巳は実父。
1983年2月12日、克巳の長男として生まれ、幼少期から父・克巳に憧れて騎手を目指し[1]、1999年、競馬学校に18期生として入学。
2002年、栗東の橋田満厩舎所属騎手としてデビューし、3月10日クラフティスズカにて初勝利を記録している。
デビュー初年度、競馬学校の管理から解放された反動から暴飲暴食に走り、2度にわたって斤量オーバーで騎乗が不可能になり、さらに急激な減量がたたりレース当日に脱水症状になり騎乗が不可能になる[2]など体重調整に関するミスを繰り返し、厳重注意処分や騎乗停止処分を受けた。
190鞍に騎乗し9勝という成績を残した一年目の2002年をピークに勝利数・騎乗数は減少。見習騎手の負担重量減免が解かれた2005年には平地での騎乗数が100を割込むなど伸び悩みが続き、騎乗数確保のためこの年より障害競走への騎乗を開始。

その後障害競走中心の騎乗となっている。
南井 大志 主な騎乗馬
ファントムスズカ (2007年阪神スプリングジャンプ3着)
オースミサムソン (2007年阪神ジャンプステークス3着)
南井 大志 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
平
地初騎乗2002年3月2日1回中京1日1R3歳未出走タイカレント15頭37着
初勝利2002年3月10日1回中京4日8R4歳上500万円下クラフティスズカ15頭21着
障
害初騎乗2005年11月5日5回京都1日4R障害未勝利コネチカットダーク14頭1311着
初勝利2006年10月29日5回京都8日4R障害未勝利ラフハーティリー12頭11着
重賞初騎乗2006年3月11日1回阪神5日9R阪神スプリングジャンプブライアンスキー14頭98着

水出 大介

水出 大介は、
1993月6日競馬学校20期生矢野進厩舎所属騎手としてデビュー。同期には川田将雅・津村明秀・藤岡佑介・吉田隼人がいる。
2年目より障害競走への騎乗を開始、減量騎手としてのデビュー3年間で平地・障害合わせて14勝を記録。
減量騎手の特典を失う3年目以降は騎乗数・勝利数共に急落、さらに2006年右橈骨末端骨折、2008年右鎖骨骨折と落馬による2度の負傷もあり伸び悩みが続く。

三浦 皇成デビュー後のエピソード

三浦 皇成デビュー後のエピソード 2008年
3月1日に中山競馬場で行われた第1競走で中央競馬初騎乗、自厩舎のモエレロングランに騎乗して3番人気で6着。

同期の伊藤、さらに内田・鷹野もこの競走で中央競馬初騎乗を果たしており1着は内田だった。同日第10競走の潮来特別を自厩舎のフェニコーンに騎乗して6番人気で勝利、デビュー当日の3戦目で初勝利を挙げた。

また5月24・25日には新潟競馬場においてJRA史上4人目の1節における全24競走完全騎乗を達成した。両記録はJRA競馬学校卒業生新人騎手では史上初である。
8月10日に行われた第40回函館2歳ステークスでフィフスペトルに騎乗して優勝し、デビュー5ヶ月目で重賞競走を制覇。
9月21日の札幌競馬で通算59勝とした。

これで加賀武見(1960年に58勝)を抜き、デビュー年の勝利数で歴代2位となった。9月28日に騎乗機会8連続連対を達成した。

なお最多記録は武豊(2002年)、安藤勝己(2005年)が持つ9連続連対。
10月5日に行われたスプリンターズステークスでプレミアムボックスにてGI初騎乗を最速で果たす(結果は14着)。
10月11日の東京競馬場第2レースでマイネルクロッシュに騎乗してデビューからの騎乗回数が555回となり、武豊が持っていた新人騎手年間最多騎乗回数の554回を超えた。過去に新人騎手で500鞍以上の騎乗を行なったのは武豊(1987年、554回)、福永祐一(1996年、518回)、池添謙一(1998年、522回)の3人。
三浦 皇成デビュー後のエピソード 2009年~
 2月7日東京競馬場第4競走でインフィニットエアに騎乗して1着となり、JRA通算100勝を達成した。2月8日に通算101勝を挙げたため規定により2月14日から減量騎手ではなくなる。

デビュー1年未満で減量騎手でなくなるのはJRA史上初。
8月9日、関屋記念勝利。
9月12日、英国のフォスラス競馬場で行われたトートスポートドットコムハンデキャップで海外初騎乗。ロイヤルダイアモンドに騎乗し優勝。

9月25日2回札幌5日目1Rサラ2歳牝未勝利・リアライズノユメで1着となり、現役では56人目となるJRA通算200勝を達成した。2008年3月1日のデビューから2年6カ月25日での200勝は、武豊騎手(2年0カ月4日)に次ぐ、史上2番目のスピード記録となった。
2010年
1月11日、第1回中山競馬第4競走の3歳新馬戦(ダート1800メートル)で、ノボプロジェクトに騎乗した際、第4コーナーで斜行し隣の馬が転倒、それが引き金となり中央競馬史上最多である9頭が落馬[2]する事故を引き起こし失格となる。

2008年3月1日のデビューから2年6カ月25日での200勝は、武豊騎手(2年0カ月4日)に次ぐ、史上2番目のスピード記録となった。
11月7日、アルゼンチン共和国杯勝利。

三浦 皇成

三浦 皇成(みうら こうせい、1989年12月19日 - )は日本中央競馬会・美浦トレーニングセンター所属の騎手。
5歳の時に大井競馬場でのポニー試乗イベントで、騎手の格好をしてポニーに乗ったことがきっかけで騎手を目指すようになり、5歳から騎手を目指してトレーニングを始めるようになる。器械体操、トランポリン、水泳、キックボクシング、剣道など多くのスポーツを経験する。

なお同期入学には後述する大江原圭・伊藤工真・平野優など8人入学していた。
2008年、2月12日に同校を卒業した。

同日に行われた卒業記念模擬レースではジーガーユタカオーに騎乗して2着で、同日の謝恩会では「スポーツマン大賞」を受賞した。卒業時の同期には大江原圭と伊藤工真がいる。

この年の卒業者で騎手になった数は3人で、競馬学校史上最も少ない人数となった[1]。2月14日、2008年度JRA騎手免許試験に合格し3月1日付で騎手免許を交付、同年の新人騎手は前述の2人に加え地方競馬より移籍の内田博幸と鷹野宏史がいる。

丸山 元気

丸山 元気(まるやま げんき、1990年10月3日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の騎手。美浦トレーニングセンターの根本康広厩舎所属。
目標の騎手は松岡正海。
2009年3月1日、中山競馬場第3レースでデビュー。ヤマタケディガーに騎乗し16頭立ての11着だった。

同年7月11日、札幌競馬場第2レースで8番人気オンザスローンに騎乗し、80戦目で初勝利を挙げた。同期では最も遅い初勝利だったが、同年8勝を挙げ民放競馬記者クラブ賞を受賞した。
2011年5月8日、セイクリッドバレーで新潟大賞典を勝ち、重賞初制覇。
丸山 元気 人物・エピソード
父親は当初名前を「勇気」と名づけるつもりだったが、直前に隣の家でも子供が生まれ先に「勇気」と名づけられてしまったため、同じ名前がかぶるのはまずいということで急遽「元気」と名づけることになったという[3]。
競馬学校3年生の時に藤田伸二の特別講義を受けた一人である。

丸山 元気 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2009年3月1日2回中山2日3R3歳未勝利ヤマタケディガー16頭1111着
初勝利2009年7月11日1回札幌7日2R3歳未勝利オンザスローン12頭81着
重賞初騎乗2010年4月24日1回福島5日11R福島牝馬Sショウナンラノビア16頭915着
重賞初勝利2011年5月8日1回新潟6日11R新潟大賞典セイクリッドバレー15頭21着

丸田 恭介

丸田 恭介(まるた きょうすけ、1986年5月20日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの宗像義忠厩舎に所属する騎手である。
入学時の同期には的場勇人らがいる。
実技の習得が遅れ途中で1年留年するも、2006年12月16日に中山競馬場で行われた模擬レースでタマモスオードに騎乗し1着となる。
2007年、2月に競馬学校を第23期生として卒業し騎手免許を取得する。卒業時の同期には藤岡康太らがいる。

卒業式後の祝賀会では「スポーツマン大賞」を受賞。3月3日に行われた中京競馬場での第2競走で、6番人気だったノースリヴァーに騎乗して初騎乗を果たすも最下位の16着だった。

5月26日に東京競馬場で行われた第5競走を、6番人気だったグラスレンヌで勝利し、26戦目で初勝利を挙げる。1年目の目標は50勝を挙げることであったが結果は3勝だった。

しかし、翌2008年は31勝を上げた。
2009年、4月19日に福島競馬場で行われた第5競走でエイシンワールドに騎乗して2着入線したが、最後の直線走路で急に内側に斜行してアルマダ(香港のアルマダと同名馬)の走行を妨害したため11着に降着となり、その後自身初の騎乗停止処分を受けた[1]。

2010年、3月20日に中京競馬場で行われた第4競走でブルーエンジェルに騎乗して4位入線したが、最後の直線走路で急に外側に斜行し、トウショウチャンスに騎乗していた田面木博公騎手を落馬させたため失格となり、さらに第10競走でシンボリローレンスに騎乗し2位入線したものの、最後の直線走路で急に内側に斜行し、トレジャーハントとナリタジャングルの走行を妨害したため8着に降着となり、合計10日間の騎乗停止となった。これは2009年のNHKマイルカップで吉田豊騎手がサンカルロに騎乗し、2度の進路妨害で8日間の騎乗停止を抜く記録となった。

7月24日に函館競馬場にて行われた第1競走でダイヤヘルメスに騎乗して勝利し、JRA通算100勝を達成する。11月20日に福島競馬場で行われた福島記念で12番人気のダンスインザモアに騎乗し、道中最後方ながら最後の直線で大外から豪快に差し切り重賞初制覇を達成した。
丸田 恭介 騎乗成績
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2007年3月3日1回中京1日2R3歳未勝利ノースリヴァー16頭616着
初勝利2007年5月26日3回東京3日5R3歳未勝利グラスレンヌ16頭61着
重賞初騎乗2008年12月13日2回中京5日11R中日新聞杯マイネルスターリー17頭127着
重賞初勝利2010年11月20日3回福島9日11R福島記念ダンスインザモア16頭121着
GI初騎乗2010年5月16日2回東京8日11Rヴィクトリアマイルシセイカグヤ18頭1414着
年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
2007年395127.024.094.134
2008年314535536.058.142.207
2009年486057714.067.151.231
2010年393736623.063.122.180
中央1211511332000.061.136.203
地方01326.000.038.154

丸田 恭介 エピソード
騎手を目指したきっかけとなったレースは、スペシャルウィークが勝った1999年の天皇賞(秋)である。
目標としているのはランフランコ・デットーリ、横山典弘、吉田豊の各騎手で、競馬学校時代の一番の思い出は模擬レースである。
同期のライバルは草野太郎。
初賞金の使い道は、自分専用で練習するための木馬の購入だった。

黛 弘人

黛 弘人(まゆずみ ひろと、1985年11月12日 - )は、JRA美浦トレーニングセンターに所属する騎手である。

父は元騎手で現調教助手の黛幸弘である。
1985年11月12日、当時騎手であった幸弘の次男として生まれる。
2002年4月、JRA競馬学校騎手課程に第21期生として入学する。同期入学には鮫島良太らがいる。

その後1年留年し、2006年、第22期生として競馬学校騎手課程を卒業しJRAの騎手免許を取得する。卒業時の同期には的場勇人らがいる。

父が調教助手として所属している中野栄治厩舎所属でデビューとなった。JRA初騎乗は3月4日中山2Rディアトラックに騎乗して14着。

4月1日中山8Rイチライタッチで勝利しJRA初勝利を挙げる。
2007年2月10日、障害競走初騎乗を果たすも、レース中に落馬し競走中止となってしまった。

松岡正海らと共にノビーズという音楽バンドを結成している。
2011年2月26日、小倉12Rの甘木特別でメジロガストンで騎乗し2着となったが、ゴール前で追う動作をやめようとしたため「騎手の注意義務を著しく怠る油断騎乗があった」として、翌日の2月27日から3月28日まで30日間(開催日9日間)の騎乗停止処分を課された[1]。

この勝利が日本競馬に数々の名馬を送り出した名門メジロ牧場(2011年に競馬界からの撤退を発表)名義の競走馬最後の出走馬であり、有終の美を飾るとともに、前述の油断騎乗の件と含めて最後までメジロ牧場とは縁があった。

黛 弘人 騎乗成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗2006年3月4日2回中山3日1R3歳未勝利ディアトラック16頭1114着
初勝利2006年4月1日3回中山3日8R4歳上500万円下イチライタッチ12頭71着
重賞初騎乗2008年12月20日3回中京3日11R愛知杯スペシャルフロート18頭1815着

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