大久保洋吉 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

大久保洋吉

大久保 洋吉(おおくぼ ようきち、1944年10月15日 – )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属する調教師。

調教師・大久保末吉の長男として生まれ、早稲田大学理工学部卒業後、建築士を経て競馬界に入る。1976年に調教師免許を取得し、1990年代後半にGI競走5勝を挙げたメジロドーベルなど数々の活躍馬を管理している。

東京都府中市出身。
1944年、東京競馬場所属の調教師・大久保末吉の長男として生まれる。

建築の道へ進んだ理由は、図面描きが好きであったことによる。
大学卒業後は建築士として前田建設工業に入社、八幡製鐵君津工場(現・新日本製鐵君津製鐵所)火力発電所の工事などに携わった。

その後、一級建築士資格も取得したが、父・末吉が高齢になっていたこと、また1964年にクラシック三冠を達成したシンザンの登場以来、競馬に対する世間のイメージ向上が進みつつあったことなどもあり、父を補佐するため1971年に前田建設工業を退社し、調教助手に転身した。
1976年に調教師免許を取得。

父・末吉がメジロムサシなど「メジロ」を冠名とする北野豊吉所有馬の管理を多数請け負っていたことから、洋吉は北野が創設したメジロ牧場からの預託馬を数多く手掛けた。1979年には初管理馬の1頭であるメジロファントムが東京新聞杯に優勝し、管理馬の重賞初勝利を挙げた。

同馬は1983年まで走り、目黒記念優勝のほか天皇賞、有馬記念で計3度の2着など重賞戦線の名脇役として人気を博した。
1984年にはメジロジュピター、メジロアンタレスで春秋の中山大障害を連覇するなど「メジロ」4頭で重賞勝利、年間では自身初の30勝を挙げ、関東の優秀調教師賞と重賞獲得調教師賞を受賞した。

1992年に大久保の管理で初勝利を挙げたショウナングレイス(メジロファントムの又姪)は、国本の馬主業7年目での初勝利馬となった[6]。1994年には、競馬学校騎手課程を卒業した吉田豊を厩舎所属騎手として引き受け、以後吉田を主戦騎手とした。
1996年12月にメジロドーベルが阪神3歳ステークスを制し、大久保は開業21年目、吉田はデビュー3年目でのGI競走初制覇を果たす。年間では37勝を挙げ、勝利度数ランキングで藤沢和雄に次ぐ全国2位に付けた。

翌年には同馬で優駿牝馬(オークス)に優勝し、クラシック競走を初制覇。末吉が管理した曾祖母・メジロボサツが1966年のオークスで2着となっており、洋吉にとっては親子二代・31年越しの雪辱となった。

当年は他に秋華賞制覇などを含む自己最高の40勝を挙げ、前年に次ぐ勝利度数2位(1位藤沢)を記録した。メジロドーベルは1999年の引退までにエリザベス女王杯2勝を加え、牝馬として当時最多のGI競走5勝を達成した。

以後大久保は関東所属調教師の上位に定着し、安定して30勝以上を記録していった。2002年にはショウナングレイスの産駒・ショウナンカンプで高松宮記念に優勝、2004年にはショウナンパントルで阪神ジュベナイルフィリーズを制した。

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