騎手 た行 | 競馬商材検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

武幸四郎(武豊の弟)が調教師に!亡き父・邦彦も調教師

武幸四郎騎手が2017年度新規調教師合格者となりました!

武幸四郎騎手の父・武邦彦は名人と呼ばれていました。天才・武豊の弟でもあります。
19997年に騎手デビューして、初勝利がデビュー翌日のマイラーズC(オースミタイクーン)です。
JRA史上最短記録のデビュー2日目での最年少重賞優勝という華々しいスタートでした。

武幸四郎騎手は、
「目標は父(今年8月に亡くなった武邦彦元調教師)です。調教師としても、人間としても一生の目標です。開業後はその馬が目指せる能力に対して最大限の結果が出せるようにと思っています。」
とコメントしています。

天才・武豊は引退すると岡部のようなテレビのコメンテーターになりそうです。武幸四郎が父の遺志を引き継ぎ、今後も活躍されることが嬉しい限ります。
調教師としてドカンと大穴開ける馬を育てそうな気がします。ティコティコタックやメイショウマンボみたいな馬ですね。
難関試験の合格おめでとうございます!

戸崎圭太 (トサキケイタ)

戸崎圭太 (トサキケイタ) 1980/07/08 [美浦] 田島俊明

プロフィール
出身地 栃木県
血液型 B型
身長 161cm
体重 50kg
平地初騎乗日 2005/06/26
平地初騎乗馬 スプリングラゴス
平地初勝利日 2007/07/08
平地初勝利馬 ヤマカツティガー

ディープインパクト 日本競馬史上の最強馬!?

ディープインパクトは、日本競馬史上の最強馬かも知れませんね。

次点はシンボリルドルフかなあ。

オルフェーブル、どこまでこの2頭に迫れるのか、2012年が勝負でしょうね。

ディープインパクトの産駒が無敗でクラシック三冠・有馬・JC・秋天・宝塚の国内7冠を制し、さらに海外G1も勝ち無敗8冠又は9冠で引退・・というドリームも今後ありうるかもしれません。

ブリランテ・ワールドエース・アダムスピーク・スピルバーグなど2012年の飛躍が期待できる馬たちが多いですからね。

ディープインパクト

現役期間 2004年 – 2006年
英字表記 Deep Impact
香港表記 大震撼
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 2002年3月25日
抹消日 2006年12月25日
父 サンデーサイレンス
母 ウインドインハーヘア
母の父 Alzao
生国 日本(北海道早来町)
生産 ノーザンファーム
馬主 金子真人→金子真人ホールディングス(株)
調教師 池江泰郎(栗東)
厩務員 市川明彦
競走成績
生涯成績 14戦12勝
(中央競馬13戦12勝)
(フランス1戦0勝)
獲得賞金 14億5455万1000円
※歴代2位(引退時)
WTRR L124-E118 / 2005年
L127-E123 / 2006年
勝ち鞍 GI:皐月賞(2005年)、東京優駿(2005年)、
菊花賞(2005年)、天皇賞(春)(2006年)、
宝塚記念(2006年)、ジャパンカップ(2006年)、
有馬記念(2006年)
GII:弥生賞(2005年)、神戸新聞杯(2005年)
阪神大賞典(2006年)

ディープインパクト(Deep Impact、2002年(平成14年)3月25日 – )は史上6頭目のクラシック三冠馬(史上2頭目の無敗での三冠馬)である。

2005年(平成17年)、2006年(平成18年)JRA賞年度代表馬、2005年(平成17年)JRA賞最優秀3歳牡馬、2006年(平成18年)JRA賞最優秀4歳以上牡馬。 2008年(平成20年)にはJRA顕彰馬に選出された。

ディープインパクト デビュー前

ディープインパクト ノーザンファーム時代

ディープインパクトは2002年(平成14年)3月25日[注 1]に北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれた[注 2]。ノーザンファーム場長の秋田博章は生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと証言している。

0歳時にセレクトセールに上場されたディープインパクトは、金子真人に7000万円で落札された。馬体の薄さが嫌われたのか、上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目の落札価格だった。購入した金子はこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた。

ディープインパクトは0歳10月にノーザンファーム遠浅の1歳馬用の厩舎に移動した[3]。関節に不安があると判断されたため、遠浅に移動した翌日から「パドック」と呼ばれる小さな放牧地に入れられて運動を制限された。

広い場所で放牧されるようになったのはそれから約1か月後だった。ノーザンファーム場長の秋田は遠浅時代のディープインパクトについて、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い蹄(身体的特徴の項目を参照)を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと証言している。

1歳9月にはノーザンファーム早来に移り育成を受けた。小柄で繊細な面があったため、女性スタッフが育成を担当した[5]。その育成担当スタッフやノーザンファーム場長の秋田は共にディープインパクトの柔軟性の高さを指摘している(身体的特徴の項目を参照)。一方で、柔軟性がありすぎるところや、小柄で非力なところを欠点として指摘する声もあった[6]。

ディープインパクト 池江泰郎厩舎に入厩

ディープインパクトと池江泰郎

ディープインパクトは2004年(平成16年)4月15日にに早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を受けた[7]。そして同年9月8日、栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩し、池江敏行調教助手と市川明彦厩務員が担当することになった。初めてディープインパクトを見た市川は、同馬が小柄でかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという。

入厩して1か月が経過した10月、坂路の調教で初めてタイムを計ったときに、調教師の池江が58秒から59秒で走らせるように指示したが、これよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。それにもかかわらず、汗もかかずにまったく疲れた様子がなかった。このとき厩務員の市川は、ディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っている。

その後12月に武豊騎乗でデビューすることが決定したため、デビュー戦4日前の調教で武豊が初めて騎乗することになった。調教を終えると武豊は調教助手の池江敏行に「この馬、ちょっとやばいかも」と興奮気味に話し、翌年の活躍に期待した。

ディープインパクト 現役競走馬時代

ディープインパクト 2歳~3歳(2004年 – 2005年)

ディープインパクト 新馬戦から東京優駿まで

2004年(平成16年)12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000メートル)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。武豊は引退まで手綱を握ることとなる。レースでは、上がり3ハロン33秒1の脚で、のちにきさらぎ賞・金鯱賞・かきつばた記念・マイラーズカップに優勝し安田記念で2着となるコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けて勝利。

レース後、厩務員の市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に「派手にやってしまった」と消耗を心配したが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという。

続く2戦目は2005年(平成17年)1月22日に、京都競馬場で行われた若駒ステークスだった。レース数日前、武豊は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手に語っていた。

レースでは最後方から競馬をし、4コーナーに入っても先頭の馬から10馬身程度の差があったが、直線で一気に突き抜け5馬身差で勝利。この勝ちっぷりで、ディープインパクトの名が一気に全国区となった。

またこの時点で三冠達成を確実視する声もあった。

さらに中山競馬場での第42回弥生賞。関東では初出走となったが、ハイセイコーを超える当競走史上最高の単勝支持率71.5パーセントを記録した。レースでは2歳王者のマイネルレコルトや京成杯を制したアドマイヤジャパン以下にクビ差ではあったものの鞭を一回も振るわずに[14]勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。

第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0パーセント(オッズは1.3倍)と、1951年のトキノミノルの73.3パーセントに次ぐ史上2位となった。レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで体勢を崩し後手を踏み、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になった。

さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触する場面があった。それでも、4コーナーでディープインパクトの気を抜く素振りを感じた武豊がレースで初めて鞭を入れると、直線では2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。

フジテレビ系で実況を担当した塩原恒夫アナウンサーはゴール直後、「武豊、三冠馬との巡り合い」と五七五風にその勝利を讃えると同時に三冠を確実視するコメントを発した。勝利騎手インタビューで武豊は「いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね」と言葉を残した。レース後の記念撮影で武豊は指を1本立てて一冠をアピールした。

これはシンボリルドルフの三冠競走で主戦騎手であった岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ事実上の三冠宣言であった。

ディープインパクト 2005年5月29日、東京競馬場にて、第72回東京優駿

迎えた東京優駿。当日の東京競馬場には前年比114.8パーセントとなる14万143人もの観衆が押し寄せた[16]。左回りのコースは初めてだったが、単勝支持率は73.4パーセント(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。

スタートは皐月賞同様に出遅れ、道中は後方につけるも、4コーナーでは横に大きく広がった馬群の最外を通り、直線では1頭先に抜け出したインティライミに残り200メートル地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝。1992年のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成した。武豊は勝利騎手インタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。

そして翌日のスポーツニッポンの手記で武豊はディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した。
対戦した騎手もその勝ち方を高く評価し、四位洋文は「サラブレッドの理想形」、ケント・デザーモは「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている。


ディープインパクト 三冠達成、そして有馬記念での初黒星

東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、7月10日に札幌競馬場に移動し[19]、それから約2か月間は同競馬場で調整された[20]。放牧に出されずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、避暑ができるからであった[19]。札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(性格・気性の項目を参照)。9月11日に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた。

秋初戦となった神戸新聞杯は、最後方から2番手の位置でレースを進めたが、直線に向くと先頭に立ち、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつける完勝。勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替えるレースレコード。菊花賞に向けて順調なスタートを切った。


ディープインパクト 2005年10月23日、京都競馬場にて、菊花賞

そして三冠のかかった2005年10月23日の第66回菊花賞。京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客が押し寄せた[21]。ディープインパクトの単勝支持率は79.03パーセントとなり、単勝式オッズは1.0倍(100円元返し)となった。

この単勝支持率は菊花賞としては1963年のメイズイ(6着)の83.2パーセントに次ぐ史上2位[注 5]、グレード制施行後の重賞としては当時史上最高の単勝支持率であった。

レースでは、好スタートを切ったものの、スタート後の最初の3コーナーから掛かったため、馬群の内側に入った。その後中団で落ち着き、直線では先に抜け出していたアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。

シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。なお、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ! これが! 日本近代競馬の結晶だ!」は2005年のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細については第66回菊花賞を参照)。


第50回有馬記念(2005年12月25日、中山競馬場にて撮影。ハーツクライの2着に敗れ、デビュー戦からの連勝記録が7で途絶える)
菊花賞後、陣営はディープインパクトを年内にあと1レース出走させる方針を示したうえで、ジャパンカップと有馬記念のどちらに出走するかを検討し、最終的に有馬記念に出走させることを決定した。

事前のファン投票では160,297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には前年比129.6パーセントとなる16万2409人もの大観衆[23]が押し寄せた。古馬とは初対決となったものの、単勝式オッズは1.3倍を記録した。しかしレースでは、いつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫した。

レース後、鞍上の武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった。普通に走ってしまった」と初めての敗戦にショックを隠し切れないコメントを残している(レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。

2005年(平成17年)の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

ディープインパクト 4歳(2006年)

ディープインパクト 阪神大賞典から宝塚記念まで

1月23日に行われた前年のJRA賞授賞式において、オーナーの金子が「夏にヨーロッパでいいレースがあれば使いたい」と発言し、海外遠征を行う意向が示された。海外遠征については2月、調教師の池江によって、春は阪神大賞典から天皇賞(春)へ向かい、天皇賞(春)の後にイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスとフランスの凱旋門賞のどちらに出走するか決定すると発表された。

2006年(平成18年)の初戦となった阪神大賞典は初めて経験する稍重馬場だったが、レースでは3コーナーで進出を開始して4コーナーで先頭に並ぶと、最後の直線でデルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず、決勝戦手前では武豊が抑える余裕を見せ3馬身半の差で優勝。順調なスタートを切った。


ディープインパクト 2006年4月30日、京都競馬場にて、天皇賞(春)

4月30日、続く第133回天皇賞(春)。単勝支持率は当競走史上最高となる75.3パーセント(オッズは1.1倍)を記録した。スタートではまたも出遅れ、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進んだ。

そして3コーナー手前の残り1000メートル地点からロングスパートを開始して[注 7]先行馬を交わしていくと、ゆっくり下ることがセオリーとされる下り坂でもスパートを続け、4コーナーで早くも先頭に立った。直線では、出走馬中最速となる上がり3ハロン33秒5の脚を使ってそのまま先頭を維持し、2着のリンカーンに3馬身半の差をつけ優勝した。

勝ち時計の3分13秒4はレコードタイムで、1997年の第115回天皇賞においてマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレコードを1秒更新した。2着に入ったリンカーン(3着に5馬身差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す)に騎乗した横山典弘が「(リンカーンは、生まれた)時代が悪かった。しょうがない」と言うほどの内容だった。武豊は「世界にこれ以上強い馬がいるのかな」と言い[26]、海外遠征での勝利に期待感を示した。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。

5月8日、調教師の池江によって凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され[注 8][7]、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念[注 9]に出走することとなった。事前に行われたファン投票では89,864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続きレース史上最高の75.2パーセント(オッズは1.1倍)をマークした。

当日の京都競馬場は雨で馬場が悪くなっていたが、道中後方2番手追走から残り700メートル地点で進出を開始すると、直線では馬場外目を伸び、2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円馬となった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。

ディープインパクト 凱旋門賞


凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年(平成18年)7月2日にマイクロチップが埋め込まれた。これはフランスでは2006年からすべての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられたが(2006年に産まれた産駒や現役馬は順次導入)、ディープインパクトはこれに先立ち日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった。

ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた[27]。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートとともに出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、おもにそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。

10月1日の凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬ハリケーンラン、前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコ、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成した。直前の各ブックメーカーのオッズではこの3頭が上位人気を占め、中にはディープインパクトを単独で1番人気に推すところもあった。

この3頭と対戦するのを他陣営が嫌ったためか[30]、レースは8頭という史上2番目の少頭数で行われることになった。それまで欧州調教馬以外勝ったことのない凱旋門賞だが、現地のメディアやファンからは「今回はディープインパクトに勝たれても仕方ない」という諦めムードさえ見られた[31]。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。

レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2~3番手でレースを進めると、残り300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線を向いてからハミを取らなかった。ギアが一段上がらなかった」と語っている。

そのほか競馬関係者もこの敗戦を分析し、元騎手の岡部幸雄と柴田政人は斤量とヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ、さらに岡部は現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったとの見解も示している[36]。また、ライターの江面弘也はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎の3頭[注 10]に囲まれながらレースを進めざるを得なかったことを指摘し、ディープインパクトは「『なにをしてでも勝たなければいけないフランス』に負けた」としている。

ディープインパクト 日本帰国からジャパンカップまで

ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた[27]。その後、調教師の池江によって10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、規定により同競走が開催される東京競馬場で着地検査が行われた。

10月11日には2006年限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケートが組まれ種牡馬となることが決定した[38]。この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。

しかしそのわずか数日後の10月19日、凱旋門賞のレース後に実施された理化学検査でフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出されたことがJRAによって発表された[39]。そして11月16日、正式に凱旋門賞失格が通告された。

天皇賞(秋)は、帰国して日が浅い中で出走させるのは馬がかわいそうだということで[40]回避が決定され、日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込むこととなった。迎えた11月26日のジャパンカップでは2005年の有馬記念以来のハーツクライとの再戦となった。

同レースは海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった。ディープインパクトの単勝支持率は61.2パーセント(オッズは1.3倍)で、日本国内で走ったレースの中ではもっとも低かったが、これでもジャパンカップ史上最高の支持率だった。

レースはスローペースとなったが、ディープインパクトは終始最後方で待機し道中を進めた。そして直線に向くと内に入った他馬を大外から一気に捲くり、ドリームパスポートに2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。そして表彰式に出るときに武豊はファンといっしょになって万歳三唱をした。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の1本指が加わって六冠を表す6本指ができた。一方、再戦ムードを盛り上げたハーツクライは、レース前から陣営が明らかにしていた喘鳴症(喉鳴り)が進行しており、見せ場なく10着に敗れた。

ディープインパクト 有馬記念、引退まで

ディープインパクト 2006年12月24日、中山競馬場にて、有馬記念

そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。事前に行われたファン投票では119,940票を集め2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては3レース連続で(2005年有馬記念・2006年宝塚記念・2006年有馬記念)1位となった。単勝支持率は70.1パーセント(オッズ1.2倍)で、1957年にハクチカラが記録した76.1パーセントに次ぐ史上2位となった。

レースでは道中後方3番手につけ、3コーナーから追い出して直線で早々と先頭に立つと、最後は流しながらも2着ポップロックに3馬身の差をつける圧勝で、有終の美を飾った。武豊が「生涯最高のレースができた」[41]「今までにないくらい、強烈な『飛び』だった」[42]と言うほどのレース内容だった。また、このレースでシンボリルドルフやテイエムオペラオーに並ぶ史上3頭目(当時[注 11])の中央競馬GI7勝の最多タイ記録を達成し、獲得賞金ランキングでもテイエムオペラオーに次ぐ単独2位にランクインした。

この後ウイニングランは行われなかったが、その理由について武豊は、ゴールを過ぎてから走るのを嫌がったためだと語っている[43]。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の2本指が加わって七冠を表す7本指ができた(レースに関する詳細については第51回有馬記念を参照)。

そして有馬記念当日の全競走が終了したあとに引退式が行われた。約5万人[44]のファンが見守る中、厩務員の市川と調教助手の池江に曳かれながら、武豊を背に同日の有馬記念のゼッケンを付けて登場し、ファンに最後の勇姿を披露した。

2006年のJRA賞では年度代表馬および最優秀4歳以上牡馬に選出された。年度代表馬は2年連続の受賞だった[注 12]。JRA賞選考委員会の記者投票では総得票数289票のうち年度代表馬で287票、最優秀4歳以上牡馬で288票を獲得した。昨年に続き関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

ディープインパクト 競走馬引退後

ディープインパクト 2007年5月11日、社台スタリオンステーションにて

2006年12月25日付で競走馬登録が抹消され、2007年から北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。それからディープインパクトは、父サンデーサイレンスやノーザンテースト、リアルシャダイが過ごした「功労馬厩舎」と呼ばれている厩舎で過ごすことになった。同スタリオンでの担当厩務員はノーザンテーストを担当していた森田敬治である。

2007年2月14日には社台スタリオンステーションで引退後初めての一般公開が行われ、会場には約1200人のファンが集まった[47]。以後は同スタリオンで繋養される一部の内国産種牡馬と同様、放牧地にいる間の一般見学が可能になっているが、本馬にのみ専門の警備員が付き添う形になっている。

2008年5月8日、平成20年度顕彰馬選出投票において競馬担当記者による投票で186票中164票(得票率86.6パーセント)を獲得し、28頭目の顕彰馬(競馬殿堂入り)に選出された。それを記念してJRA競馬博物館の1階メモリアルホールにおいて「祝 ディープインパクト号殿堂入り記念展」が5月17日より開催され、馬主服の複製や東京優駿とジャパンカップ優勝時に装着した蹄鉄などが展示された。

2010年5月2日に京都競馬場で第12競走として開催されるJRAプレミアムレース「京都ゴールデンプレミアム」の人気投票において当馬が最多得票を獲得し、「ディープインパクトメモリアル」の副名称を付与して開催された。

ディープインパクト 種牡馬時代

初年度(2007年)の種付料は当時の日本で繋養される種牡馬としては最高額となる1200万円であった[注 13]。初年度は日本国内の新種牡馬の中では最多となる206頭に種付けを行い[50]、2008年1月9日には初産駒が鳥井牧場で誕生した(牝馬。母ロングディライト)。

2008年7月15日と7月16日に行われたセレクトセール2008当歳馬セールにて産駒が初めてセリに出され、2日間で総勢36頭が登場して31頭が落札された。最高落札価格馬は初日に登場したビワハイジの2008で、2億2000万円という高値で島川隆哉に落札された[注 15]。最終的にこの2日間でディープインパクト産駒の総売却額は19億1000万円、1頭平均売却額約6161万円となり、2006年にキングカメハメハが記録した新種牡馬産駒の総売却額17億4500万円、1頭平均売却額約5629万円の記録を更新し、売却頭数31頭は2006年のキングカメハメハと同数となった。

2010年に初年度産駒がデビューした。6月26日に福島競馬場で行われたメイクデビュー福島にてサイレントソニックが勝利し、産駒の中央競馬初勝利を記録した。その後も産駒の勝利数は順調に増え続け、11月21日に京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でボレアスが勝利し、産駒26頭目の勝ち馬となり、2005年にアグネスタキオンが記録した25頭を抜きJRA2歳新種牡馬の勝馬頭数の新記録を達成。さらに11月27日には京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でハッピーグラスが勝利して、産駒のJRA通算勝利数が31勝となった。

これにより父サンデーサイレンスが持っていた種牡馬供用初年度のJRA通算勝利数30勝の記録を16年ぶりに更新した。さらに12月25日には阪神競馬場で行われたラジオNIKKEI杯2歳ステークスでダノンバラードが1着になり、産駒初の重賞制覇となった。

最終的に初年度産駒がJRAの2歳戦で41勝し、総獲得賞金5億3704万3000円をあげた結果、ディープインパクトは2010年度のJRA2歳リーディングサイアーに輝いた。なお、この産駒出走初年度の総獲得賞金記録も、サンデーサイレンスが持っていた4億9062万5000円の記録を16年ぶりに更新することとなった。

翌2011年にはマルセリーナが桜花賞を制し、産駒のGI競走およびクラシック初制覇を果たした。また、その年に行われた安田記念ではリアルインパクトが3歳馬ながら古馬を相手に勝利した。10月22日には産駒がJRA年間100勝を達成したが、産駒がデビューして2年目の同日における達成は最速記録だった。この年は最終的にJRAのサイアーランキングではキングカメハメハに次ぐ2位(中央競馬と地方競馬の合算では4位)、2歳部門ではJRAと中央・地方合算の総合部門でともに2年連続でリーディングサイアーとなった。

ディープインパクト 競走成績

年月日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量[kg] 距離(馬場) タイム
(上り3F) タイム
差 勝ち馬/(2着馬) 馬体重
[kg]
2004. 12. 19 阪神 2歳新馬 9 4 4 1.1(1人) 1着 武豊 55 芝2000m(良) 2:03.8 (33.1) -0.7 (コンゴウリキシオー) 452
2005. 1. 22 京都 若駒S OP 7 4 4 1.1(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 2:00.8 (33.6) -0.9 (ケイアイヘネシー) 450
3. 6 中山 弥生賞 GII 10 8 10 1.2(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 2:02.2 (34.1) 0.0 (アドマイヤジャパン) 446
4. 17 中山 皐月賞 GI 18 7 14 1.3(1人) 1着 武豊 57 芝2000m(良) 1:59.2 (34.0) -0.4 (シックスセンス) 444
5. 29 東京 東京優駿 GI 18 3 5 1.1(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 2:23.3 (33.4) -0.8 (インティライミ) 448
9. 25 阪神 神戸新聞杯 GII 13 6 9 1.1(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 1:58.4 (34.1) -0.4 (シックスセンス) 448
10. 23 京都 菊花賞 GI 16 4 7 1.0(1人) 1着 武豊 57 芝3000m(良) 3:04.6 (33.3) -0.3 (アドマイヤジャパン) 444
12. 25 中山 有馬記念 GI 16 3 6 1.3(1人) 2着 武豊 55 芝2500m(良) 2:32.0 (34.6) 0.1 ハーツクライ 440
2006. 3. 19 阪神 阪神大賞典 GII 9 2 2 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝3000m(稍) 3:08.8 (36.8) -0.6 (トウカイトリック) 442
4. 30 京都 天皇賞(春) GI 17 4 7 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝3200m(良) R3:13.4 (33.5) -0.7 (リンカーン) 438
6. 25 京都 宝塚記念 GI 13 6 8 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝2200m(稍) 2:13.0 (34.9) -0.7 (ナリタセンチュリー) 442
10. 1 ロンシャン 凱旋門賞 G1 8 2 1 1.5(1人) 失格 武豊 59.5 芝2400m(良) 3位入線 Rail Link 計不
11. 26 東京 ジャパンC GI 11 6 6 1.3(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 2:25.1 (33.5) -0.3 (ドリームパスポート) 436
12. 24 中山 有馬記念 GI 14 3 4 1.2(1人) 1着 武豊 57 芝2500m(良) 2:31.9 (33.8) -0.5 (ポップロック) 438
※タイム欄のRはレコード勝ちを示す。


ディープインパクト 種牡馬成績

ディープインパクト 年度別成績

年 総合(中央+地方) 中央
出走 勝利 順位 AEI 収得賞金 出走 勝利 順位 AEI 収得賞金 頭数 回数 頭数 回数 頭数 回数 頭数 回数
2010年 74 189 35 43 40 1.82 5億4074万3000円 74 187 34 41 35 1.17 5億3704万3000円
2011年 210 961 111 150 4 3.02 24億8904万8000円 206 879 100 135 2 1.94 24億5909万4000円
2011年終了時点。

ディープインパクト 代表産駒

太字はGI競走
2008年産
リアルインパクト(安田記念)
マルセリーナ(桜花賞)
ボレアス(レパードステークス)
フレールジャック(ラジオNIKKEI賞)
トーセンラー(きさらぎ賞)
ダノンバラード(ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)
2009年産
ジョワドヴィーヴル(阪神ジュベナイルフィリーズ)
アダムスピーク(ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)
ディープブリランテ(東京スポーツ杯2歳ステークス)

ディープインパクト 特徴

ディープインパクト レーススタイル

後方待機からの強烈な追い込みが身上であった。道中は中団から後方につけ、3~4コーナーから一気にまくりあげて他馬をごぼう抜きするというレーススタイルでGI競走7勝を挙げた。主戦騎手の武豊は、新馬戦の追い切りの際に少しスピードがありすぎると感じたため、ゆったりとしたレースをさせるようにしたと述べている[53]。また、ゲートの中でじっとしているのが嫌いで落ち着きがなかったため、スタートが上手くできず出遅れることが多かったことも、追い込みという脚質になった一因だとされている。

ディープインパクトの強みは優れた瞬発力とスピード、そして末脚の持続力である。実際、上がり3ハロンのタイムは日本国内の競走では全競走で出走馬中最速であり、東京優駿(当時)、菊花賞、天皇賞(春)、ジャパンカップ、有馬記念(4歳時)などでは史上最速であった。

また、天皇賞(春)ではいつも通りの後方待機策から残り600メートル付近で早くも先頭に立ったにもかかわらずそのまま押し切っており、そのトップスピードの持続力は卓越していた。武豊は東京優駿後のインタビューで「この馬は瞬発力が続くんです。ド~ンとゴールまでそのまま行く」と答えている。調教師の池江泰郎も、瞬発力に優れ、しかも長くいい脚を使うのはディープインパクトの強さを感じるところだと述べている。

反面、ほかの馬と馬体を併せるレースとなった弥生賞ではクビ差とディープインパクトにしては僅差での勝利、同じようにほかの馬と馬体を併せる形となった凱旋門賞では3位入線と敗れている。調教助手の池江敏行はこのことに関して、「馬体を併せると、本気で走らない気がする」とディープインパクトの引退後に語っている[57]。武豊も自身の『武豊TV!』内の2006年有馬記念を回顧する回において、「弥生賞や負けた有馬記念、そして凱旋門賞と馬体を併せる形になったレースでは伸びなかった。

勝ったレースはすべて大外から一気に馬を抜き去り圧勝した。はっきりしたことは分からないし断言できないが、馬体を併せると物見(馬を見る)をする。相手に合わせて走ってしまう。反面、単走やそれに近い状況なら、調教でもレースでも力を発揮した。ジャパンカップ前に自ら志願して、初めて単走で追い切ったのはそのため」と語った。

ディープインパクト 身体的特徴

ディープインパクトはレース時の体重が436~452キログラムで、サラブレッドとしては小さな体型である。デビュー戦の452キログラムがもっとも重く、最低体重を記録したのは引退レースの1戦前であるジャパンカップだった。

出走したGI競走の中でも、皐月賞・菊花賞・有馬記念(2005年)・ジャパンカップ・有馬記念(2006年)では出走馬の中で最低の馬体重だった。馬体が小さいため、当初は他馬に揉まれ弱いという声もあったが、他馬に揉まれながらも皐月賞に勝利したあとは「大型馬よりも故障のリスクが小さい」と馬体の小ささが肯定的に見られるようになった[58][59]。種牡馬入りのときの健康チェックでは体高が164センチメートルだったが、社台スタリオンステーションの徳武英介は、父サンデーサイレンスと同じサイズで体格的に種付けは心配ないと述べている。

馬体に関しては、バランスの良さを指摘する声もある。共同通信社の永井晴二はディープインパクトの馬体について、「ボリューム感に欠ける」ものの、「よく見ると実にバランスの取れた馬体」をしていて「すべてがコンパクトにまとまっている」と評している[61]。サラブレッドクラブ・ラフィアン前代表の岡田繁幸は、「お尻のつく位置や骨の太さなど、すべてのバランスがいい」と述べている。

また、体の柔らかさも指摘されている。ノーザンファーム早来時代に育成を担当したスタッフは、「やわらかくて、ゴム鞠のように弾むようなバネがあった」と証言している[6]。また、同ファーム場長の秋田博章もディープインパクトが坂路を走る様子を見て、今まで見たことがないような柔軟性があり、まるで「ネコ科の動物」が走っているようだったと語っている。

装蹄師の西内荘は、犬や猫などのように後ろ脚で耳を掻くことができるほど体が柔らかいと発言している[注 18][64]。サラブレッドクラブ・ラフィアンの岡田は「筋肉の質がよくて柔軟性に富んでいる」と述べ、そのため伸び縮みが自在になると考察している[62]。武豊はその柔軟性の高さを「チーター」にたとえている。

さらに、GI馬に共通した特徴である薄い蹄を持っている[66]。皐月賞までは順調に勝ち進んだものの、東京優駿に向かうにあたってこの点が問題になった。蹄が薄い馬の場合、蹄鉄を釘で固定すると馬がストレスを感じるためである[67]。また、皐月賞が終わると蹄もボロボロになり、釘を打てる場所がなくなっていた。

そこで装蹄師の西内は、新しい方法で蹄鉄を装着して東京優駿に臨むことにした。それは、装締によって蹄に負担がかからないように従来の釘による装締を止め、クッションの役割を果たすシューライナーという素材を蹄に貼り、その上にエクイロックスという特殊な接着剤で蹄鉄を蹄に装着する方法であった[67][68]。ディープインパクトはこの方法により装着された蹄鉄で東京優駿に勝利した。

ディープインパクト 走る時の特徴

装蹄師の西内はディープインパクトの蹄鉄の減りがほかの馬に比べて遅いことを証言している[70]。実際、エアシャカールやアグネスワールドが2週間使用した蹄鉄とディープインパクトが3週間使用した蹄鉄を比較すると、ディープインパクトの蹄鉄のほうが減りが少なかった[71]。西内はその理由について、地面をがっちりと捕まえるディープインパクトの走り方を挙げている。西内によれば、本来競走能力の高い馬は蹄鉄の減りが早いのだが、ディープインパクトの場合はそのような走法のために摩擦が少なく蹄鉄が減りにくいという。

心肺機能がほかの馬より優れているのも強さの一つと考えられている。まず、心拍数が最大になったときの血液のスピードを「VHRmax」(単位はm/s・メートル毎秒)、ゴール直後から心拍数が100を切るまでの時間を「HR100」といい、前者は持久力を、後者は回復力を示すものである(前者は数値が大きければ大きいほど、後者は数値が少なければ少ないほどよい)。3歳以上の馬のVHRmaxの平均は14.6であるのに対し、ディープインパクトはデビューの時点で16.3を示した[72]。HR100も一般的な3歳馬は10分以上かかるが、皐月賞のときにディープインパクトが記録したのは2分42秒であった[73]。

走り方も無駄がなく効率的なものとなっている。JRA競走馬総合研究所が菊花賞のディープインパクトの走りを研究したところによると、武豊の「走っていると言うより飛んでいる感じ」という言葉に反して、ディープインパクトは4本の脚がすべて地面についていない時(エアボーン)の時間がほかの馬の平均である0.134秒よりも短く、0.124秒だった。

しかし、その間の移動距離は長く、ほかの馬の平均が2.43メートルであるのに対し、ディープインパクトは2.63メートルだった[74][75]。同研究所の高橋敏之は、エアボーンの時間の短いほうが無駄な力を使わず、空気抵抗も少ないため、効率がいい走法になっていると結論付けた[76]。さらに、2本の脚が同時に地面に着いている時間が少ないことも指摘し、このために着地時にスピードが落ちにくくなるとも述べている。この脚と脚が同時に着いている時間が短いという特徴は、アメリカの三冠馬セクレタリアトにも見られるという[64]。

ディープインパクト 気性・性格・知能の特徴

武豊は「走ろうとする気持ちが強すぎるので、乗る立場からすれば難しい馬」[54]「この馬が本気で行きだしたら止めるのは容易じゃない」[77]と語っている。

3歳時はほかの馬が前を走っていると調教でも追い抜こうとして抑えるのに苦労するほどで、さらに調教で馬場に出るときに尻っ跳ねをする癖があった[78]。パドックでもうるさい様子を見せており、とくに東京優駿では焦れ込んで馬場入りのときと同じように尻っ跳ねをする仕草もした。3歳夏の札幌競馬場でのトレーニングでは、これらの癖を直すための調教もされた。このトレーニングが功を奏したのか、その後はある程度改善され、4歳時の有馬記念前の調教では他馬に反応することも尻っ跳ねをすることもなくなった[79]。


普段は人懐っこくておとなしく、厩舎では「お坊ちゃまくん」のニックネームで呼ばれていた[80]。「素直な性格」[81]で「天然」[82]だと厩務員の市川は述べている。調教師の池江はディープインパクトを「とてもおとなしい」馬だと言い、さらに「人間が好き」で「優しい馬」だと表現している[83]。競走馬時代の担当の獣医師も、ディープインパクトは「性格が気さく」であり、これほど性格が良い馬はそういないと語っている[84]。種牡馬となってからの担当厩務員である森田敬治は、自分が人間よりも上の立場だということを誇示したがるほかの種牡馬と違って、ディープインパクトは人間と対等の立場で接してくると証言している[85]。

非常に利口な馬でもあり、調教助手の池江敏行によると、普通の馬が10回で覚えることをディープインパクトは2、3回で覚えてしまうという[86]。武豊も頭の良さは認めており、菊花賞でディープインパクトが一周目のホームストレッチでかかってしまったのは、頭が良いので3コーナーから4コーナーにかけてスパートをかけることを覚えているために、一周目のゴール板を正規のゴールと勘違いしてしまった(=そこまでに先頭に立たなければならないと勘違いした)からだと証言している[87]。

ディープインパクト 評価

ディープインパクト 公式レイティングによる評価
2005年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでは長距離(ロング:Long – 2101メートル~2700メートル)でのパフォーマンスが124ポンドと評価された。ほかの距離区分も含め総合9位、3歳馬の中では4位にランクされた。超長距離においては118ポンドに評価され、この距離区分では世界1位となった。

2006年の同ランキングでは長距離で127ポンドに評価され、インヴァソール・バーナーディニ・ディスクリートキャットに続く総合4位タイ、芝部門ではレイルリンク・ジョージワシントンと並び世界1位タイにランクされた。ちなみにこれは1999年におけるエルコンドルパサーの134ポンドに次ぐ日本調教馬歴代2位のレイティングである。

超長距離部門では123ポンドに評価され前年と同様、世界1位だった。

また、2006年7月10日にIFHA(国際競馬統括機関連盟)から発表された「トップ50ワールドリーディングホース」の2006年1月1日から7月10日までの集計分では125ポンドに評価された。このレイティングにより、集計期間内にタターソールズゴールドカップ(アイルランドG1)に勝利していたハリケーンラン、また、同じく集計期間内にコロネーションカップ(イギリスG1)を制していたシロッコと並び、ランキングが設立された2003年以降、日本馬として初めて世界1位にランクされた。

ディープインパクト 競馬関係者による評価
ディープインパクトを管理する調教師の池江泰郎は、3歳春の時点で同馬を「理想的なサラブレッド」と言い、長所として騎手の指示に対する反応の良さを挙げている[88]。また主戦騎手の武豊は、弥生賞後のインタビューで、同馬の長所は何かという質問に対して負けないところだと答えている[89]。その後武豊は、負けないという意味は「すべての面でほかの馬を圧倒している」ということだと発言している[90]。

菊花賞で無敗の三冠馬となったディープインパクトだが、同じ無敗の三冠馬のシンボリルドルフとの比較という点においては、同馬の主戦騎手だった岡部幸雄が「ルドルフのほうが強い。ルドルフは競馬のすべてを知り尽くしていた」、「終始馬体を併せる作戦を取ればルドルフなら勝てる」と答えている。しかし同時に、自ら「ディープインパクトの追っかけ」[91]と言うほどのファンでもあり、凱旋門賞のときは声を荒げて応援していた。

一方、ノーザンファーム場長の秋田博章は、「ルドルフはソツのないレース巧者」で「優等生という印象」と言ったうえで、「ディープの強さは並ぶ間もない圧倒的なもの」と発言し、「一枚上」だと評価した[92]。柴田政人の場合は菊花賞のあとに「ルドルフを超えたというよりもすごい馬が現れたと感じている。潜在能力がまさにケタ違い」と評している[93]。

競馬評論家の井崎脩五郎は、ディープインパクトの新馬戦の翌日に行われたイベントで「今まで(=数十年間)見てきた中で、一番『これは強い』と思ったレースは?」と振られ「昨日のディープインパクトの新馬戦」と答えた。その後井崎は、ディープインパクトのことを「競馬史上の最強馬」ではないかと発言した。その理由として、名馬のレースで「なんだこれ!?」と感じるのは1頭に1回だが、ディープインパクトの場合は新馬戦と2戦目の若駒ステークスの2回連続でそう感じたことを挙げている[94]。

また、競馬評論家の合田直弘は日本国外にもディープインパクトを高く評価する競馬記者が複数存在することを証言している。合田が指摘しているように、イギリスのレーシング・ポスト紙は2006年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングのレイティングが日本の競馬のレベルを低く見すぎていて保守的であると不満を唱え、独自のレイティングでディープインパクトを133ポンドで世界一にしている。合田によると、香港にも「35年間競馬を見てきた中でディープインパクトは一番印象的だった馬」と述べ、ディープインパクトに高評価を与えた記者がいるという[95]。

ディープインパクト 投票による評価

競馬雑誌『優駿』(2010年8月号)が同誌の創刊800号を記念して読者・ライター・評論家・編集者の投票により決定した「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち The Greatest Horses 100」のランキングでは、読者部門とライター・評論家・編集者部門でともに第1位に選ばれ、この2つを合計した総合部門では14074ポイントを獲得し第1位となった[96]。なお読者部門では、10代~60代以上のすべての世代で第1位に選ばれている[97]。

競走馬時代には、出走したJRA主催の全競走において単勝式馬券で1倍台の1番人気に支持された。その中でもGI競走では、東京優駿・天皇賞(春)・宝塚記念・ジャパンカップで史上最高の単勝支持率、皐月賞・菊花賞・有馬記念(2006年)で史上2位となる単勝支持率を記録した。

ディープインパクト 人気・注目度

ディープインパクト 社会現象に

現役競走馬時代、ディープインパクトの存在は社会現象となり[21][98]、高い注目を集めた。NHKで中継された2006年の凱旋門賞の平均視聴率は関東で16.4パーセント、関西で19.7パーセントを記録し、また瞬間最高視聴率は関東で22.6パーセント、関西で28.5パーセントを記録した[32]。

そのような高い注目と相まって、競馬専門誌やスポーツ新聞だけでなく一般の新聞・雑誌・テレビ番組などのメディアもその存在を取り上げた。JRAに対する取材の申し込みは例年の10倍に及んだ[99]。三冠達成後の2005年10月29日にはNHKスペシャルで「ディープインパクト~無敗の3冠馬はこうして生まれた~」が放送された。なお、同番組は2005年のJRA賞馬事文化賞を受賞した。漫画雑誌でも取り上げられ、ハイセイコーのときと同様にグラビアを飾ったことや(『週刊ヤングサンデー』2006年15号)、凱旋門賞の前に『週刊少年チャンピオン』でディープインパクトの物語が短期集中連載された[注 19]ことがある。競走馬引退後の2007年4月には、サントリーフーズ「BOSSコーヒー」のCMにトミー・リー・ジョーンズと共演している[100]。

現役競走馬時代の2005年と2006年には、その年を代表する存在として扱われることもあった。2005年には新語・流行語大賞の候補語60語にノミネートした[101]。また、2005年の『日経MJ』のヒット商品番付では「西関脇」に番付された[102]。ほかにも、フジテレビ系列で年末に放送する「笑っていいとも! 年忘れ特大号」の中のコーナーにおいて2005年・2006年の2年連続でその年に話題になった存在として取り上げられたことがある[103][104]。

ディープインパクト 経済的影響

関西大学大学院教授の宮本勝浩は、ディープインパクトが出走したGI競走と出走していない前年の同じGI競走の入場者数や売り上げなどを比較し、その増加分から同馬によってもたらされた経済波及効果を試算した。その結果、経済波及効果は262億円と推定された[105]。関連商品はよく売れ、同馬の関連商品によって2005年の競馬グッズの売り上げが前年より10パーセント増加したと中央競馬ピーアール・センターの職員は語っている[106]。

なお、同センターが販売する競馬グッズの売り上げの3分の1が同馬の関連商品だった[107]。関連「商品」ではないが、単勝馬券を払い戻さずに取っておくファンも多数存在する。同馬が日本国内で出走した全13レースのうちで単勝馬券の未払い率が最高となったのは引退レースである2006年の有馬記念だが、同レースでの単勝馬券の未払い率は9.1パーセント(通常は0.3パーセント)を記録した。また、13レースの単勝馬券の未払い額は合計で2億8731万6370円となった[108]。単勝馬券がインターネットオークションで取引され、1万円以上の値がつくこともあった[109]。

一般企業がディープインパクトとのタイアップ商品を売り出すこともあった。銀座松坂屋ではディープインパクトの福袋まで発売された。また菊花賞と宝塚記念のときには京阪電気鉄道の乗車カードである「スルッとKANSAI Kカード」でディープインパクトが図案となっているカードが発行された[注 20]。引退後の2007年1月24日には、ディープインパクトの応援歌「翔んでディープインパクト」(歌:和田青児)が発売された。

ディープインパクト 交通面での影響

交通面での影響としては、京阪電気鉄道において、菊花賞当日の京都競馬場の最寄り駅である京阪本線淀駅ではディープインパクトの三冠達成を見てから帰宅した競馬ファンで、菊花賞終了後にプラットホームが混雑し、急行列車の臨時停車や臨時列車を大増発したものの、それでも捌き切れずにホーム上の安全性確保と混雑緩和の観点から急遽特急列車を4本のみ臨時停車させた。さらに競馬場付近を走る京阪宇治バス宇治淀線などの路線バスや周辺道路も当日は混みに混み合って渋滞が解けたのは宇治淀線の最終バス発車間際の午後10時ごろだったというエピソードもある。

ディープインパクト ファンの少年の自殺

2006年10月11日に福岡県に住むディープインパクトファンの中学二年生がいじめを苦に自殺したが、その中に「生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたい」と遺書に書かれていたことが報道された。この報道を受け、蹄鉄製造会社の社長がディープインパクトが使っているのと同型の蹄鉄を遺族に贈呈したり、主戦騎手である武豊が色紙を中学生とその遺族に贈るなど、話題になった[110]。

ディープインパクト 対戦した競走馬の故障

ディープインパクトが勝ったGI競走の2着馬は7頭いるが、うち6頭(シックスセンス、インティライミ、アドマイヤジャパン、リンカーン、ナリタセンチュリー、ドリームパスポート)がそこから1年以内に故障を発症している。このことは雑誌『AERA』の2006年10月2日号でも「ディープインパクトの呪い」として取り上げられた。ちなみに、日本国内で唯一ディープインパクトに勝利したハーツクライも、上述の通り、翌年に喘鳴症を発症し引退に追い込まれている。また、凱旋門賞でディープインパクトを破ったレイルリンクも翌年骨折、さらに腱を痛めて引退している。

唯一、健常な競走馬生活を送ったのはポップロックで、のちにアイルランドにレースの場を移して2010年(9歳)まで現役を続けたが、最後にはレース中に屈腱炎を発症して引退となり、「ディープインパクトの(GI競走)2着馬は決してGIを勝つことができない」というもう一つのジンクスについても打ち破ることは叶わなかった。

また、デビュー戦で2着に敗れたコンゴウリキシオーはその後重賞を勝っているものの、この馬もGI競走を勝つことはできなかったように、ディープインパクトが勝ったレースの2着馬も活躍こそできたがGI競走を勝つことはできていない。

ディープインパクト 血統

ディープインパクト 血統背景

父サンデーサイレンス
父サンデーサイレンスはケンタッキーダービーやブリーダーズカップ・クラシックを制した競走馬。13年連続で日本のリーディングサイアーに輝き、GI馬を多数輩出するなど、日本競馬史上に残る種牡馬である。
母ウインドインハーヘアは競走馬時代にドイツG1のアラルポカルに優勝し、エプソムオークスでも2着に入る活躍をした。
半姉に、5歳の6月という遅いデビューながらデビューから無傷の5連勝をし、2003年のスプリンターズステークスで4着に入ったレディブロンド(父シーキングザゴールド Seeking the Gold、6戦5勝)、全兄に2004年のスプリングステークスを制したブラックタイド、全弟に2005年の東京スポーツ杯2歳ステークス3着のオンファイア、半弟に2006年のホープフルステークスを制したニュービギニング(父アグネスタキオン)がいる。
曾祖母ハイクレア (Highclere) はエリザベス女王が所有し、1000ギニー、ディアヌ賞[注 21]を勝ちキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスで2着に入った名牝だった。このハイクレアの一族には1989年のエプソムダービーなどを制したナシュワン (Nashwan) 、2002年のドバイシーマクラシックなどに勝ったネイエフ (Nayef) がいるほか、2003年のNHKマイルカップなどを制したウインクリューガー、2006年のマーメイドステークスを制したソリッドプラチナムといった日本で活躍した競走馬もいる(そのほか近親の活躍馬はハイクレア一族の項目を参照)。

ディープインパクト 血統表
ディープインパクトの血統 (サンデーサイレンス系/5代アウトブリード)


*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ Halo 1969
黒鹿毛 アメリカ Hail to Reason 1958 Turn-to
Nothirdchance
Cosmah 1953 Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well 1975
鹿毛 アメリカ Understanding 1963 Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower 1964 Montparnasse
Edelweiss


*ウインドインハーヘア
Wind in Her Hair 1991
鹿毛 アイルランド Alzao 1980
鹿毛 アメリカ Lyphard 1969 Northern Dancer
Goofed
Lady Rebecca 1971 Sir Ivor
Pocahontas
Burghclere 1977
鹿毛 イギリス Busted 1963 Crepello
Sans Le Sou
Highclere 1971 Queen’s Hussar
Highlight F-No.2-f
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本日開催中の地方競馬レース


ディープインパクト 脚注

ディープインパクト 注釈
^ 父サンデーサイレンスも1986年(昭和61年)の同じ日に生まれている。
^ ノーザンファームの同期生にはシーザリオ、ラインクラフト、カネヒキリ、ヴァーミリアン、インティライミといったメンバーが名を連ねている。
^ トップはダンシングキイの2002(のちのトーセンダンス)の3億5000万円。
^ その理由として武豊は、苦境に立たされそうな場面で必ず自分やファンを救い、さらに売り上げの増加という点で競馬界も救ってくれたからだと述べている(島田、2007年、130頁)。
^ 菊花賞優勝馬としては1943年のクリフジの75.0パーセントを超える史上最高支持率となった。
^ 2011年のチューリップ賞でレーヴディソールが単勝支持率81.4パーセントを記録し、これを更新した。
^ 武豊はこのロングスパートを、ほかの馬が動かなかったために行ったとしている(島田、2007年、204頁)。
^ キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでなく凱旋門賞が選ばれたことについて調教師の池江は、前者が行われるアスコット競馬場よりも後者が行われるロンシャン競馬場の方が平坦なコースであることから後者を選んだと述べている(島田、2007年、208頁)。
^ 宝塚記念は例年阪神競馬場で施行されるが、この年は阪神競馬場が芝コースの外回りの新設工事中だったため京都競馬場で代替開催となった。
^ レイルリンク、ハリケーンラン、シロッコの3頭。
^ のちにウオッカも達成。
^ 2002年・2003年のシンボリクリスエス以来の2頭目。啓衆社賞・優駿賞時代も含めると5頭目。
^ 翌2008年の種付料も2007年と同じ1200万円。その後、1000万円(2009年)、900万円(2010年)、1000万円(2011年・2012年)と推移している。
^ この馬はオースミが購買し、沖芳夫厩舎に入厩。ナリタカサブランカの名が付けられた。
^ 後にこの馬はトーセンレーヴの名が付けられている。
^ 3歳馬による安田記念勝利はGI格付け以降では初。
^ なお、産駒がデビューして2年目でのJRA年間100勝の達成は1995年のサンデーサイレンス、2008年のシンボリクリスエス、2009年のキングカメハメハ以来のことだった。
^ 同じ三冠馬のミスターシービーにもそのような特徴があったといわれている(同馬の記事を参照)。
^ 作者は以前同誌で競馬漫画『優駿の門』を連載していたやまさき拓味で、『優駿の門 特別篇』として掲載された。のちに単行本化され、少年チャンピオン・コミックスから発売された。
^ 図柄となった写真はスポーツ報知の協力であった。カードには菊花賞時は「夢舞台、淀へ」、宝塚記念時は「淀から凱旋門賞へ」と記載されていた。
^ フランスのオークスに該当する競走。

ディープインパクト 出典

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ディープインパクト 参考文献

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岡部幸雄・柴田政人・井崎脩五郎・鈴木淑子 「座談会 2005年競馬を振り返る」 『週刊Gallop臨時増刊 JRA重賞年鑑2005』、産業経済新聞社、2005年
岡部幸雄・合田直弘・井崎脩五郎・鈴木淑子 「座談会 2006年競馬を振り返る」 『週刊Gallop臨時増刊 JRA重賞年鑑2006』、産業経済新聞社、2006年
栗林阿裕子 『ディープインパクト―これからはじまる物語』 メタモル出版、2008年 ISBN 4895956504
サラブレ編集部 『ディープインパクト 衝撃の軌跡』 エンターブレイン、2007年 ISBN 475773381X
島田明宏 『ありがとう、ディープインパクト―最強馬伝説完結』 廣済堂出版、2007年 ISBN 4331512150
城崎哲 『カリスマ装蹄師西内荘の競馬技術―空飛ぶ蹄鉄をいかにデザインするか』 白夜書房、2007年 ISBN 9784861912689
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃2冠までの足跡』 産業経済新聞社、2005年a
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃3冠DVDメモリアル』 産業経済新聞社、2005年b
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ファンが選んだ2005ベストレース』 産業経済新聞社、2006年a
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 凱旋門賞激走譜』 産業経済新聞社、2006年b
週刊Gallop編集部 『Gallop臨時増刊 さようならディープインパクト ありがとうターフを去ったHero&Heroine’06』 産業経済新聞社、2007年
優駿編集部 『優駿3月号増刊 TURF HERO 2005』 日本中央競馬会、2006年
優駿編集部 「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち」 『優駿』800号、日本中央競馬会、2010年

ミルコ・デムーロ

ミルコ・デムーロ

2009年12月20日
阪神カップ優勝時
基本情報
国籍	 イタリア
出身地	 イタリア
生年月日	1979年1月11日(32歳)
身長	158cm
体重	52kg
血液型	A型
騎手情報
初免許年	1994年( イタリア)

ミルコ・デムーロ(Mirco Demuro、1979年1月11日 -)は、イタリア生まれの騎手。近年は短期免許制度を利用して来日しており、日本人にも馴染みの深い騎手である。香港における名前の中文表記は「杜滿萊」。
妹のパメラ・デムーロは元騎手で現在は調教師。弟のクリスチャン・デムーロもイタリアの騎手[1]であり、2011年には短期免許で来日し、船橋を拠点に地方競馬である南関東競馬で騎乗している。

ミルコ・デムーロ 来歴
1994年に騎手免許を取得し、1995年にイタリアの見習騎手リーディングに輝く。1997年から2000年までは4年連続でイタリアのリーディングジョッキーとなる。
日本には1999年に初来日。騎乗センスは非常に評判が良く日本の関係者の信頼も厚い。2001年2月3日の小倉競馬場では1日5勝を記録。これは外国人騎手としてJRA初のことである[2]。翌日の2月4日には小倉大賞典に勝ち、JRA重賞初制覇を達成した。
2003年4月10日、皐月賞をネオユニヴァースで制し日本のGI初制覇。喜びのあまりにゴール後2着のサクラプレジデント騎乗の田中勝春の頭を叩くシーンは印象的であった。続く6月1日の東京優駿(日本ダービー)でもネオユニヴァースに騎乗し外国人騎手としては初となる東京優駿制覇を達成、1番人気に応えて快勝したネオユニヴァースを祝福する大観衆を目にして「イタリアのダービー(デルビーイタリアーノ)を5回勝つよりも、日本のダービーを1度勝つ方が嬉しい」と感激の涙を流した。
二冠を達成し、三冠達成の期待がかけられたネオユニヴァースであったが、従来の日本の短期免許制度では三冠目の菊花賞にはデムーロは騎乗できない状態となってしまった。日本の短期免許では年間3ヶ月しか騎乗できず、デムーロは春だけで3ヶ月分を使い果たしてしまっていたためである。しかしこの事態を受けてJRAが新しく「同一馬で1年間にGIを2勝以上すれば、その馬が同年にGIに参戦する際に騎乗を認める」という規定を設けたため、デムーロは菊花賞に騎乗することが出来たが、惜しくも3着に敗れた。
2004年4月18日、皐月賞をダイワメジャーで勝利し、外国人騎手初の連覇を達成する。
2007年は、11月24日に京都競馬場で、外国人騎手としての最多タイとなる1日5勝を再び記録。12月2日の中日新聞杯ではサンライズマックスに騎乗して勝利したが、決勝線手前で飛行機ポーズを披露し制裁を受ける珍事を起こした。
2008年は11月29日より短期免許を取得したが、その翌日11月30日のジャパンカップではスクリーンヒーローに騎乗し見事同レース初制覇を飾る。なおこの時もゴール後のウイニングランで飛行機ポーズを披露していた。
2009年は12月28日より翌2010年1月27日までNARで短期免許を取得した。この時は船橋の川島正行厩舎に所属した。なおデムーロはこれより以前にも2度NARの短期免許を取得していた[3]。
2011年3月26日、ネオユニヴァースの子のヴィクトワールピサでドバイワールドカップを優勝。ドバイワールドカップ初騎乗初勝利を果たすと共に、日本馬にとっての同レース初勝利をもたらした。日本・イタリア以外では初のビッグタイトルと言え、デムーロ自身も「ジャパンカップもイタリアダービーも勝っているけど、これがベストレース」と語った[4]。

ミルコ・デムーロ エピソード
イタリアでテントウムシは「幸運を運んでくる虫」とされていることもあり、テントウムシを自らのラッキーアイテムにしている。同じイタリア生まれの騎手マルコ・モンテリーゾは「彼は色々なものにテントウムシのステッカーを貼っているんだ」と語っている。
上記の2003年の皐月賞で勝った時に田中勝春の頭を叩いたことについて、馬鹿にしているのではないかと言う声もあったため、その後、悪意やからかう意図はなかったと説明。田中も「ノープロブレム」と言い、2人の間にしこりはないと言う。
騎乗にあたっては事前の展開予想などを重視するタイプで、武豊は「いつのまにか日本の競馬新聞の読み方を覚えていて、(日本での騎乗時には)レース前になると競馬新聞片手に真剣に検討している」と証言している。ちなみに競馬新聞の読み方を覚えた影響で「競馬関連であれば漢字も読める」という[5]。
日本の騎手の中では特に松田大作と仲が良い。2010年10月から松田がイタリアに長期遠征する際にも住居探しなど様々な協力を行っている[6]。
サッカー好きとしても知られており、インタビューでも語ることがある。2010年末には、サッカー日本代表監督であるアルベルト・ザッケローニと友人になったと明かした。

ミルコ・デムーロ 主な勝ち鞍

ミルコ・デムーロ イタリア
イタリア共和国大統領賞(2000年Timboroa、2006年・2007年Distant Way、2009年Selmis)
オークスディターリア(2000年Timi、2009年Night Of Magic)
ジョッキークラブ大賞(1999年Sumati)
デルビーイタリアーノ(2002年Rakti、2010年Worthadd)
ミラノ大賞典(2011年Voila Ici)
ローマ賞(2009年Voila Ici)

ミルコ・デムーロ 日本
朝日杯フューチュリティステークス(2010年グランプリボス)
有馬記念(2010年ヴィクトワールピサ)
皐月賞(2003年ネオユニヴァース、2004年ダイワメジャー)
ジャパンカップ(2008年スクリーンヒーロー)
東京優駿(2003年ネオユニヴァース)

ミルコ・デムーロ その他
アスタルテ賞(2004年Marbye)
ドバイワールドカップ(2011年ヴィクトワールピサ)

スマートファルコン、一年間で4億4千万円の賞金獲得!武豊は5連覇で、今年もなんとかG1を勝ちました!!

スマートファルコンがJBCクラシック優勝しました。トランセンドは、スマートファルコンのスピードに
全くついていけなかったね。最後は、武が余裕を感じて、手綱を緩めてましたから。
第11回JBCクラシックが3日、大井競馬場2000メートルダートで開催されました。
勝ったスマートファルコンはこれで7連勝!JRA・地方含め通算31戦21勝、なんと重賞は17勝目!
GIレースは2010年JBCクラシック、2010年東京大賞典、2011年帝王賞に続き4勝目です。
そして騎乗した武豊は、2007年~09年ヴァーミリアン、2010年スマートファルコンに続いて
JBCクラシック5連覇です。まだまだ腐っても武豊ですね。

スマートファルコンは、この1年間で4億4千万の賞金を稼いでいます。今までの獲得賞金の半分以上をこの1年で稼いでいますから
今が、ピークでしょうか!?
来年のドバイで賞金を加算できれば日本馬史上最高獲得賞金額になりそうですね!!

津村明秀

騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持しているが、障害レースへの騎乗経験はない。
2001年、4月にJRA競馬学校騎手課程第20期生として入学。

入学時の同期には川田将雅、藤岡佑介各騎手らがいる。
2003年、12月20日に中山競馬場で行われた模擬レースでリュウキュウスターに騎乗し、後続に6馬身差をつけ1着となる。

模擬レースでは2戦2勝という成績だった。
2004年、2月に競馬学校を卒業し騎手免許を取得する。

3月6日中京4Rでブーゲンビリアで初騎乗(4着)。3月21日中京5Rをマグマヴィーナスで勝利し、16戦目で初勝利を挙げたが、同日の第7レース発走前に騎乗馬のマイティーキングに振り落とされて落馬した際に左第1中手骨を骨折する不運に見舞われた。

7月28日に船橋競馬場で行われたファビィステッキ特別でスズダニエルに騎乗し、地方競馬初騎乗を果たし10着となる。デビュー年は8勝を挙げ民放競馬記者クラブ賞を受賞した。
2007年8月17日にフリーとなることが発表され、8月21日付けでフリーとなった。
2010年2月20日の東京競馬場第5レースで、コスモグレイスに騎乗して直線先頭に立っていたが、馬が急に外側に逃避し、バランスを崩して落馬した。

同番組では、武豊や三浦皇成等が記録達成で取り上げられることはあっても、好騎乗が取り上げられることは珍しい。

津村明秀 表彰

アイルランド大使特別賞・民放競馬記者クラブ賞(2004年)

津村明秀 主な騎乗馬

津村明秀 重賞勝利

タマモサポート(2006年ラジオNIKKEI賞、2009年京都金杯)
ファイアーフロート(2010年京成杯オータムハンデキャップ)
クリールパッション(2010年エルムステークス)

津村明秀 その他

カネツテンビー(2005年CBC賞2着) – 重賞での初連対
アイルラヴァゲイン(2008年福島民友C1着、2009年スプリンターズステークス4着等) – 中央GI・地方交流JpnI初騎乗
コスモバルク(2009年宝塚記念で騎乗経験あり)

津村明秀 騎乗成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順

央初騎乗2004年3月6日1回中京1日4R3歳未勝利ブーゲンビリア16頭44着
初勝利2004年3月21日1回中京6日5R4歳上500万円下マグマヴィーナス16頭11着
重賞初騎乗2005年4月3日3回中山4日11Rダービー卿CTミッドタウン16頭47着
重賞初勝利2006年7月2日2回福島6日11RラジオNIKKEI賞タマモサポート16頭51着
GI初騎乗2009年3月29日2回中京6日11R高松宮記念アイルラヴァゲイン18頭1713着

方初騎乗2004年7月28日5回船橋2日10Rファビィステッキ特別スズダニエル11頭810着
初勝利2008年6月16日盛岡9Rエメラルド賞コスモクルトゥーラ12頭21着
重賞およびJpnI初騎乗2010年11月3日8回船橋3日9RJBCスプリントアイルラヴァゲイン14頭55着

千葉直人

千葉 直人(ちば なおと、1986年7月30日 – )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンター南に所属する騎手である。

騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持している。
2003年、4月にJRA競馬学校騎手課程第22期生として入学する。

2006年、2月にJRA競馬学校騎手課程を卒業し騎手免許を取得し成島英春厩舎所属騎手としてデビュー。
初騎乗は3月4日の中山競馬場第1レースで、16番人気だったハッピーステージに騎乗し15着。

4月25日に浦和競馬場で行われたマルチスピリット特別で地方競馬初騎乗。6番人気だったカントウオウに騎乗し9着となる。

12月2日に中京競馬場で行われた第1レースを5番人気だったオースミダイケンに騎乗して制し、JRA通算107戦目で初勝利を挙げた。
2007年、1月7日に障害レースで初騎乗し、10番人気だったコスモベリュームトに騎乗して10着となる。

10月20日に東京競馬場でレース中に落馬。診察の結果、右上顎骨骨折と診断された。

丹内祐次

在学時には武豊の特別講義を受けたこともあり、2004年第20期生として競馬学校騎手課程を卒業。美浦清水美波厩舎所属騎手としてデビュー。

同期には川田将雅、藤岡佑介、吉田隼人、津村明秀らがいる。
1年目は8勝という成績に終わるも、翌2005年27勝を挙げ特別戦勝利も達成した他、新潟2歳ステークスにて重賞初騎乗を記録。

なおこの年は朝日杯フューチュリティステークスでスロクハイネスに騎乗予定だったが、直前の出走取消によりGI初騎乗を果たせない不運に見舞われた。
その後しばらくの間、GIへの騎乗を果たせずにいたが、2011年の天皇賞(春)でコスモメドウに騎乗し、6年越しでGI初騎乗が実現するも2周目最後の直線で競走中止、コスモメドウは予後不良となってしまう不運に見舞われた。

田面木博公

1983年に高松邦男厩舎所属でデビュー。初騎乗は1983年3月5日、中山競馬第1競走のセノエクインで、16頭立ての10着だった。

以降、2000年まで18年連続2桁勝利を記録した。重賞では1991年の産經大阪杯をホワイトストーンで制したほか、1992年の阪神3歳牝馬ステークスでは単勝35.9倍の穴馬スエヒロジョウオーを勝たせ、馬連12万馬券の片棒を担いだ。

2000年にはダイワカーリアンとのコンビで札幌記念と富士ステークスを共に逃げ切り勝ちした。
2001年は9勝に留まり、デビュー以来初めて2桁勝利を達成できず、その頃から徐々に勝ち鞍が減っていった。

田村太雅

田村 太雅(たむら たいが、1986年1月16日-)は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の騎手。

2006年栗東佐藤正雄厩舎の所属騎手としてデビュー。同期には北村友一・田中博康などがいる。

1.2年目合わせ6勝に終わるも、3年目となる2008年には一般競走3キロ減の特典を生かし11番人気馬での勝利を収めるなど下位人気の馬を上位に持ち込む内容を見せ、この年の勝ち鞍である12勝全てを一般競走で挙げ、成績を大きく伸ばした。

2009年3月以降、見習騎手の斤量減免を解かれてからは騎乗数や勝利数は減少、2010年末より騎乗数確保のため障害競走への騎乗も開始している。

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