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「第59回 日経新春杯」、10年間のデータから見ると、馬券になる馬はコレだ!

「第59回 日経新春杯」は、大波乱もありうるハンデキャップレースです!

2009年には、なんと、単勝11番人気のテイエムプリキュアが勝っています。

ところが、単勝1~3番人気の馬で3着までを占めた2011年のような年もありますから、超難解ですね。

さあ、2012年は、穴馬が波乱を起こすのか!?それとも堅い決着になるのでしょうか?

過去10年のデータから、馬券になる馬を探って見ると、

・日経新春杯では、5歳以下の馬が圧倒的に、馬券になっています!

過去10年のデータで見ると、3着以内の馬30頭中25頭は5歳以下の馬です。

2011年は6頭4歳馬が出走して、そのうちの3頭が1着から3着を占めました。

日経新春杯  年齢別成績(過去10年)

年齢 成績     勝率 連対率 3着内率
4歳 3-3-6-20 9.4% 18.8% 37.5%
5歳 5-5-3-19 15.6% 31.3% 40.6%
5歳以下 8-8-9-39 12.5% 25.0% 39.1%
6歳 1-1-1-26 3.4% 6.9% 10.3%
7歳 1-1-0-20 4.5% 9.1% 9.1%
8歳以上 0-0-0-15 0% 0% 0%
6歳以上 2-2-1-61 3.0% 6.1% 7.6%

6歳以上で馬券になった馬は5頭ですが、テイエムプリキュア以外は、単勝オッズ10倍未満でした。

日経新春杯 6歳以上の馬の、単勝オッズ別成績(過去10年)

単勝オッズ 成績   勝率 連対率 3着内率
10倍未満 1-2-1-7 9.1% 27.3% 36.4%
10倍以上 1-0-0-54 1.8% 1.8% 1.8%
計 2-2-1-61 3.0% 6.1% 7.6%

日経新春杯は、前走3着以内の馬が馬券になっている!

過去10年の3着以内の馬30頭中21頭は、前走で3着以内の馬です。

日経新春杯 前走の着順別成績(過去10年)

前走の着順  成績  勝率 連対率 3着内率
3着以内 8-6-7-28 16.3% 28.6% 42.9%
4着以下 2-4-3-72 2.5% 7.4% 11.1%

前走3着以内で馬券に絡んだ馬は、21頭いますが、そのうち11頭は前走で条件クラスのレースに出走していました。条件クラスでも、十分、勝負になるわけですね。

日経新春杯  前走着順が3着以内の馬の条件別成績(過去10年)

前走の条件        成績   勝率 連対率 3着内率
条件クラスのレース 4-2-5-10 19.0% 28.6% 52.4%
JRA重賞かオープン特別 4-4-2-18 14.3% 28.6% 35.7%
計 8-6-7-28 16.3% 28.6% 42.9%

日経新春杯は、前走が2200m以上だった馬が馬券になる!

前走2200m以上の馬は、前走2200m未満の馬よりも馬券になっています。

日経新春杯 前走の距離別成績(過去10年)

前走の距離     成績 勝率 連対率 3着内率
2200m未満 4-5-4-63 5.3% 11.8% 17.1%
2200m以上 6-5-6-35 11.5% 21.2% 32.7%
計 10-10-10-98 7.8% 15.6% 23.4%

日経新春杯は、出走頭数が13頭以上なら先行有利!

出走頭数が12頭以下だった年(2002年、2005~2007年、2010年)は4コーナーを3番手以内で通過した勝ち馬は、いません。

出走頭数が少ない年は、差し馬が馬券になっています。

出走頭数が13頭以上だった年(2003~2004年、2008~2009年、2011年)は、

4コーナーで3番手以内だった馬が3頭勝っています。

出走頭数が13頭以上の年の、4コーナーの位置別成績(2003~2004年、2008~2009年、2011年)

4コーナーの位置 成績     勝率 連対率 3着内率
3番手以内     3-1-1-14 15.8% 21.1% 26.3%
4番手以下     2-4-4-43 3.8% 11.3% 18.9%
計          5-5-5-57 6.9% 13.9% 20.8%

 

 

日経新春杯って、どんなレース?

日経新春杯 基本データ

開催地 京都競馬場
施行日 2012年1月15日
施行時期 1月中旬
(原則1回京都6日目)
格付け GII
1着賞金 5500万円
賞金総額 1億480万円
距離 芝・外2400m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)

負担重量 ハンデキャップ
第1回施行日 1954年1月17日

日経新春杯(にっけいしんしゅんはい)は、京都競馬場の芝2400メートルで施行する中央競馬の重賞(GII)競走。

競走名は優勝杯を提供する日本経済新聞社から冠名が取られている。

日経新春杯 概要

1954年に京都競馬場の芝外回り2400mの重賞として日本経済新春杯の競走名(「新聞」は題名に入らなかった)で創設された。

1979年に日経新春杯に改称、1984年にはGIIに格付けされ、1987年からは芝外回り2200mに距離短縮されたが、1995年からは創設当初の現行距離に変更されている。

ただし1980年と1994年は阪神競馬場で施行され、1984年はダート2600mに馬場変更された。2006年から国際競走となった。

年明け後に関西圏で最初に迎える芝のGII競走で春季の中・長距離路線を見据えた馬が一つの起点とする競走となっているが、同時期開催のアメリカジョッキークラブカップや京都競馬の次開催の京都記念が別定重量であるのに対し、当競走はハンデキャップ競走と差別化が図られている。

また1978年の第25回に海外遠征の壮行レースとして負担重量66.5キロで出走した有馬記念優勝馬のテンポイントが馬体に故障を生じて競走中止となったことで知られる競走である。

同馬は同年3月に死亡したが、その優秀な戦績と故障後に闘病生活を送った悲劇性から年を経た現在でも語り継がれており、「日経新春杯といえばテンポイント」のように結び付ける往年の競馬ファンも少なくない。
現在の優勝レイの配色は紫色の地に黄色文字となっている。
出走資格はサラ系4歳(旧5歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬、外国調教馬(8頭)である。
負担重量はハンデキャップである。
日経新春杯 歴史

1954年 – 京都競馬場の芝外回り2400mの5歳(現4歳)以上のハンデキャップの重賞競走「日本経済新春杯」として創設。
1955年 – 上田武司が調教師として史上初の連覇。
1960年 – 前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1961年
タイカンとキオーガンヒカリが同着優勝。
武田文吾が調教師として2人目の連覇。
1978年 – テンポイントがレース中に故障、競走中止。
1979年 – 競走名を現在の「日経新春杯」に変更。
1980年 – 京都競馬場の改修工事により、阪神競馬場の芝2500mで施行。
1981年 – 負担重量が「ハンデキャップ」から「別定重量」に変更。
1984年
グレード制施行によりGIIに格付け。
降雪の影響によりダート2600mで施行。
1987年 – 施行距離を芝外回り2200mに変更。
1990年 – 混合競走に指定。
1994年
負担重量を「別定重量」から「ハンデキャップ」に戻す。
京都競馬場の改修工事により、阪神競馬場の芝2500mで施行。
1995年
施行距離を芝外回り2400mに戻す。
1月22日の開催予定が阪神・淡路大震災の影響により、施行日を1週順延。
1998年 – 5位入線のナムラホームズが失格。原因は前後検量で-2.0kgの誤差が生じたため。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2004年 – 四位洋文が騎手として史上初の3連覇。
2006年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2007年 – 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
2011年 – ウンベルト・リスポリが外国人騎手として初勝利。

日経新春杯 歴代優勝馬

国際競走となった2006年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数     施行日    優勝馬       性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師  馬主

第1回 1954年1月17日 ダイサンホウシユウ 牡4 2:34 4/5 上田三千夫 上田武司 上田清次郎
第2回 1955年1月16日 フジミツル 牡4 2:30 0/5 栗田勝 上田武司 上田清次郎
第3回 1956年1月22日 ヒヤキオーガン 牡5 2:33 4/5 栗田勝 武田文吾 坂上忠兵衞
第4回 1957年1月20日 ナンバイチバン 牡4 2:30 2/5 大沢真 玉谷敬治 浜田尚子
第5回 1958年1月19日 トツプラン 牡4 2:32 0/5 栗田勝 武田文吾 坂谷豊次
第6回 1959年1月18日 タカハル 牡4 2:30 2/5 近藤武夫 伊藤勝吉 コーホー
第7回 1960年1月17日 フサリユウ 牡4 2:34.6 松本善登 武田文吾 新子政勇貴
第8回 1961年1月22日 タイカン 牝4 2:30.5 栗田勝 伊藤勝吉 林熊蔵
キオーガンヒカリ 牡4 松本善登 武田文吾 坂上忠兵衞
第9回 1962年1月21日 ホマレタイコウ 牡4 2:32.6 北橋修二 松元正雄 安藤俊雄
第10回 1963年1月20日 リユウフオーレル 牡4 2:36.9 宮本悳 橋本正晴 三好笑子
第11回 1964年1月19日 コウライオー 牡4 2:35.8 浅見国一 吉田三郎 高田政治
第12回 1965年1月17日 オーヒメ 牝4 2:31.7 田所稔 小川佐助 堀内正男
第13回 1966年1月16日 パワーラツスル 牡4 2:33.1 松本善登 布施正 保積忠児
第14回 1967年1月22日 タイクラナ 牡5 2:29.0 武邦彦 武平三 中山芳雄
第15回 1968年1月21日 リユウフアーロス 牡5 2:29.9 宮本悳 橋本正晴 三好諦三
第16回 1969年1月19日 ダテホーライ 牡4 2:35.6 宇田明彦 星川泉士 伊達牧場
第17回 1970年1月18日 キンセンオー 牡4 2:27.6 小原伊佐美 坂口正二 中野常三郎
第18回 1971年1月17日 コンチネンタル 牡5 2:35.1 津田昭 野平富久 アサヒ牧場
第19回 1972年1月16日 ケイシュウ 牡5 2:37.0 松本善登 浅見国一 内田恵司
第20回 1973年1月21日 ユーモンド 牡4 2:33.1 福永洋一 武田文吾 新子政勇貴
第21回 1974年1月20日 ホウシュウエイト 牡4 2:29.4 武邦彦 日迫清 上田清次郎
第22回 1975年1月19日 イーストリバー 牡5 2:30.7 北橋修二 松元正雄 川東勝俊
第23回 1976年1月18日 ロングホーク 牡4 2:29.3 松田幸春 松田由太郎 中井長一
第24回 1977年1月23日 ホースメンホープ 牡4 2:27.7 小野幸治 小林稔 中路正志
第25回 1978年1月22日 ジンクエイト 牡4 2:28.6 清水英次 福島勝 林儀信
第26回 1979年1月21日 スズカシンプウ 牡4 2:28.5 中島敏文 上田武司 永井永一
第27回 1980年1月20日 メジロトランザム 牡4 2:27.3 武邦彦 浅見国一 メジロ商事(株)
第28回 1981年1月18日 ケンセイグット 牡4 2:29.0 西浦勝一 土門健司 杉安兼蔵
第29回 1982年1月24日 アジシバオー 牡4 2:29.8 岩元市三 新川恵 佐藤安治
第30回 1983年1月23日 オーバーレインボー 牡6 2:28.9 田島良保 土門一美 鳥居茂三
第31回 1984年1月22日 エリモローラ 牡5 2:43.3 猿橋重利 大久保石松 山本慎一
第32回 1985年1月20日 マサヒコボーイ 牡6 2:29.0 田原成貴 久保道雄 宮本貞雄
第33回 1986年1月19日 フリートホープ 牡4 2:28.9 猿橋重利 梅内慶蔵 兼村喜市
第34回 1987年1月25日 フレッシュボイス 牡4 2:16.1 田原成貴 境直行 円城和男
第35回 1988年1月24日 スピードヒーロー 牡6 2:15.3 河内洋 崎山博樹 市川幸助
第36回 1989年1月22日 ランドヒリュウ 牡7 2:14.4 河内洋 小林稔 木村善一
第37回 1990年1月21日 トーワトリプル 牡4 2:15.0 的場均 柄崎孝 井山健一
第38回 1991年1月20日 メルシーアトラ 牡4 2:13.6 河内洋 小野幸治 永井康郎
第39回 1992年1月26日 カミノクレッセ 牡5 2:15.2 南井克巳 工藤嘉見 野上政次
第40回 1993年1月24日 エルカーサリバー 牝4 2:14.0 山田泰誠 田中良平 (株)クレアール
第41回 1994年1月23日 ムッシュシェクル 牡6 2:35.5 藤田伸二 小林稔 藤立啓一
第42回 1995年1月28日 ゴーゴーゼット 牡4 2:24.8 村本善之 新井仁 林儀信
第43回 1996年1月21日 ハギノリアルキング 牡6 2:26.7 藤田伸二 小林稔 日隈広吉
第44回 1997年1月19日 メジロランバダ 牝4 2:27.6 武豊 池江泰郎 (有)メジロ牧場
第45回 1998年1月25日 エリモダンディー 牡4 2:26.3 武豊 大久保正陽 山本慎一
第46回 1999年1月24日 メジロブライト 牡5 2:31.4 河内洋 浅見秀一 (有)メジロ牧場
第47回 2000年1月16日 マーベラスタイマー 牡6 2:24.3 武豊 矢野照正 笹原貞生
第48回 2001年1月14日 ステイゴールド 牡7 2:25.8 藤田伸二 池江泰郎 (有)社台レースホース
第49回 2002年1月13日 トップコマンダー 牡5 2:26.4 四位洋文 崎山博樹 ジョイ・レースホース(株)
第50回 2003年1月19日 バンブーユベントス 牡4 2:25.8 四位洋文 田島良保 (有)バンブー牧場
第51回 2004年1月18日 シルクフェイマス 牡5 2:24.5 四位洋文 鮫島一歩 (有)シルク
第52回 2005年1月16日 サクラセンチュリー 牡5 2:29.0 佐藤哲三 佐々木晶三 (株)さくらコマース
第53回 2006年1月15日 アドマイヤフジ 牡4 2:26.3 福永祐一 橋田満 近藤利一
第54回 2007年1月14日 トウカイワイルド 牡5 2:27.4 安藤勝己 中村均 内村正則
第55回 2008年1月20日 アドマイヤモナーク 牡7 2:27.4 安藤勝己 松田博資 近藤利一
第56回 2009年1月18日 テイエムプリキュア 牝6 2:26.6 荻野琢真 五十嵐忠男 竹園正繼
第57回 2010年1月17日 メイショウベルーガ 牝5 2:24.4 池添謙一 池添兼雄 松本好雄
第58回 2011年1月16日 ルーラーシップ 牡4 2:24.6 U.リスポリ 角居勝彦 (有)サンデーレーシング

第50回スポーツニッポン賞京都金杯と第61回日刊スポーツ賞中山金杯の出走馬が確定しましたね!

さあて、いよいよ、今年初めの重賞です。
気を入れて、予想を始めますよ!

第50回スポーツニッポン賞京都金杯(GIII)確定出走馬

アスカクリチャン牡5
アスカトップレディ牝5
オセアニアボス牡7
オースミスパーク牡7
ガンダーラ牡6
サダムパテック牡4
ショウリュウムーン牝5
シルポート牡7
タマモナイスプレイ牡7
ダノンシャーク牡4
ビッグウィーク牡5
ブリッツェン牡6
マイネルラクリマ牡4
マヤノライジン牡11
ヤマカツハクリュウ牡5
ライブコンサートせん8

以上16頭

第61回日刊スポーツ賞中山金杯(GIII)確定出走馬

アクシオン牡9
アドマイヤコスモス牡5
イケドラゴン牡7
エオリアンハープ牝6
エクスペディション牡5
エーシンジーライン牡7
コスモファントム牡5
ダイワファルコン牡5
ダンスインザモア牡10
デストラメンテせん8
トップゾーン牡6
ネオサクセス牡5
ネオヴァンドーム牡5
ネヴァブション牡9
フェデラリスト牡5
ミステリアスライト牡7

以上16頭

日本レース・倶楽部

日本レース・倶楽部(にほんれーす・くらぶ、The Nippon Race Club)は、日本初の西洋式競馬の施行体で、のちに競馬倶楽部のひとつとなる。

1862年に設立された横浜レース倶楽部が前身。

1895年以降オーストラリアから競走馬の輸入を続け、また補助金競馬時代の競馬施行体(競馬倶楽部)の中で唯一補助金の交付を受けないなど、経済活動・財政の面で一定の独立性を保ち続けた。日本競馬会の発足に伴い、1937年10月に解散した。

日本レース・倶楽部 歴史

1862年、横浜・外国人居留地における競馬施行体として横浜レース倶楽部が発足した。
1866年、外国人居留地内に居留外国人のためのレジャー施設として根岸競馬場が完成。
1875年、特別会員として初の日本人馬主となった西郷従道が所有馬のミカン号に自ら騎乗し、日本人馬主による初勝利をあげた。
1876年 団体内部の紛争が原因となり横浜レース・アソシエーションが分離独立。
1878年6月20日 横浜レース倶楽部・横浜レース・アソシエーションの2団体は合併し、横浜ジョッキー倶楽部が発足した。
1880年 横浜ジョッキー倶楽部が日本レース・クラブと改称。同時に、同クラブへの日本人の入会が可能となった。この措置により入会した日本人には伊藤博文、松方正義、大隈重信、榎本武揚、岩崎弥之助、尾崎行雄などがいる。
同年6月9日、明治天皇下賜の花瓶を賞品とする競走(The Mikado’s Vase)が行われた。同レースは天皇下賜の賞品が授与された日本初の競走であり、その意味において現在の天皇賞のルーツである。
1888年 日本レース・クラブが根岸競馬場において1枚1ドルの馬券を発売(日本における初の馬券発売)。
1895年 オーストラリアから競走馬を輸入を開始。
1896年 ニイカップステークス(後のエンペラーズカップの元となったレース)を開催。
1905年 明治天皇から御賞典が下賜され、エンペラーズカップ(後の帝室御賞典、現在の天皇賞)が始まった。
1906年 社団法人日本レース・倶楽部として政府の認可を受ける。
1937年10月 解散(同年5月の開催が最期の主催競馬)。

ベストタイアップ

ベストタイアップ

品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1992年3月29日
父 アンバーシャダイ
母 ミスタイモア
母の父 Sham
生国 日本(北海道早来町)
生産 社台ファーム早来
馬主 吉田照哉
調教師 松山康久(美浦)
競走成績
生涯成績 15戦7勝
獲得賞金 2億577万円

ベストタイアップの主な勝鞍は中山金杯・東京新聞杯。半兄に1990年京成杯勝ちのノーモアスピーディ。

ベストタイアップ 戦歴

デビューは1994年10月。パドックでいつもチャカつく気性が災いしたのか4歳春までは思うような成績は残せず条件馬のままで終わる。秋に入っても気性難は変わらずであったが晩成の父同様に本格化の兆しを見せ始める。

1996年1月平場からの4連勝で中山金杯を制覇し重賞タイトルを手にする。この後、僚馬ジェニュインとの兼ね合いで長距離路線を歩み、次走日経賞では2番人気の評価を受けるが不良馬場に持ち味であるキレ脚を殺され4着に終わる。さらに天皇賞・春も一気に伸びた距離に対応できず惨敗、この年は1勝のみに留まる。

翌1997年適距離に戻りかつての切れる差し脚が復活、中山金杯を連覇し更に東京新聞杯を1番人気で快勝。安田記念へ向け大きく前進したその矢先脚部不安を発症、そのまま現役引退となった。

引退後は種牡馬として地方重賞2勝のジーナフォンテンを輩出するも、他に特筆すべき活躍馬は無く2006年に種牡馬から引退。現在は北海道野付郡の野付ライディングファームに繋養されている。

ベストタイアップ 競走成績

年月日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F) タイム差 勝ち馬/(2着馬)
1994 10. 8 東京 新馬 12 8 11 3.9 (2人) 3着 田中勝春 53 芝1400m(良) 1:23.6(36.6) -0.9 タイガーチャンプ
10. 30 東京 新馬 8 4 4 4.8 (3人) 1着 田中勝春 53 芝1800m(良) 1:50.1(35.6) 0.4 (マチカネブラボー)
1995 2. 25 中山 500万下 10 4 4 2.8 (2人) 2着 田中勝春 55 芝2000m(良) 2:02.3(36.0) -0.5 イブキニュースター
3. 26 中山 スプリングS GII 15 3 4 30.8 (7人) 13着 横山典弘 55 芝1800m(不) 1:56.1(41.1) -1.6 ナリタキングオー
10. 8 東京 500万下 9 4 4 4.5 (2人) 1着 横山典弘 55 芝1600m(良) 1:35.6(34.8) 0.1 (タイキマーシャル)
10. 29 東京 紅葉特別 15 3 5 3.2 (1人) 1着 横山典弘 55 芝1600m(良) 1:33.7(35.1) 0.4 (トキオフェニックス)
11. 26 東京 ウェルカムS 18 6 12 2.8 (1人) 1着 横山典弘 56 芝2000m(良) 2:00.0(34.3) 0.4 (マルシゲギャロップ)
1996 1. 5 東京 中山金杯 GIII 16 1 2 2.4 (1人) 1着 横山典弘 55 芝2000m(良) 1:59.3(33.7) 0.2 (ウインドフィールズ)
3. 17 中山 日経賞 GII 11 2 2 5.3 (2人) 4着 横山典弘 56 芝2500m(不) 2:37.7(37.1) -0.4 ホッカイルソー
4. 21 京都 天皇賞(春) GI 16 3 5 40.3 (6人) 13着 岡部幸雄 58 芝3200m(良) 3:20.5(37.0) -2.7 サクラローレル
10. 6 東京 毎日王冠 GII 12 1 1 5.9 (5人) 5着 田中勝春 57 芝1800m(良) 1:46.2(34.6) -0.4 アヌスミラビリス
10. 27 東京 天皇賞(秋) GI 17 3 6 15.2 (6人) 6着 田中勝春 58 芝2000m(良) 1:59.1(34.4) -0.4 バブルガムフェロー
11. 23 東京 キャピタルS OP 14 7 12 1.7 (1人) 2着 柴田善臣 57 芝1400m(良) 1:21.8(33.9) -0.1 エイシンバーリン
1997 1. 5 中山 中山金杯 GIII 15 1 1 2.4 (1人) 1着 岡部幸雄 57 芝2000m(良) 2:01.5(35.7) 0.2 (マウンテンストーン)
2. 2 東京 東京新聞杯 GIII 11 3 3 1.3 (1人) 1着 岡部幸雄 57 芝1600m(良) 1:33.7(33.9) 0.2 (ユノペンタゴン)

ベストタイアップ 血統表

ベストタイアップの血統 (ノーザンテースト系/Lady Angela 父内4×5=9.38%、 Hyperion 5×5=6.25%、 Nearco 5×5=6.25%、 Bull Lea 父内5×5=6.25%)


アンバーシャダイ
1977 鹿毛 日本 *ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛 カナダ Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
Clear Amber
1967 鹿毛 アメリカ Ambiopoise Ambiorix
Bull Poise
One Clear Call Gallant Man
Europa


*ミスタイモア
Miss Taymore
1977 黒鹿毛 アメリカ Sham
1970 鹿毛 アメリカ Pretense Endeavour
Imitation
Sequoia Princequillo
The Squaw
Bend an Oar
1967 鹿毛 アメリカ Never Bend Nasrullah
Lalun
Up Oars Turn-to
Nile Lily F-No.10-a

ニシノライデン

ニシノライデン

品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1981年3月20日
死没 2011年12月31日(30歳没)
父 ダイコーター
母 ミスホマレシロー
母の父 ダディダンフィ
生国 日本(北海道鵡川町)
生産 西山牧場
馬主 西山正行
調教師 伊藤修司(栗東)
競走成績
生涯成績 中央26戦7勝
獲得賞金 2億8923万8000円

ニシノライデンは重賞(GII)を4勝した。
斜癖があることで知られ、朝日チャレンジカップの1位失格や天皇賞・春の2位失格があり、「降着制度の産みの親」とも言われる(後述)。
※戦績の馬齢は旧表記(数え年)。

ニシノライデン 戦績

4歳となった1984年2月に京都競馬場でデビュー。当初は伊藤清章[1]が騎手をつとめた。デビュー戦を勝った後5戦3勝でクラシック路線に乗るが、三冠馬シンボリルドルフらの壁は厚く、皐月賞は6着、日本ダービーでは5着に終わった。

秋に神戸新聞杯[2]2着の後、菊花賞トライアルの京都新聞杯で重賞初制覇。菊花賞では打倒ルドルフの一番手として2番人気に推された。直線早目に先頭に立って、堂々とシンボリルドルフを負かしにいく競馬をしたが3着に終わった。このレースを実況していた杉本清が、ニシノライデンのレースぶりをのちに著書[3]で褒めている。

5歳初戦の鳴尾記念(当時は3月に開催された芝2500mのGII)で重賞2勝目。大阪杯を挟んで天皇賞・春に出走するがシンボリルドルフの4着に終わった。そして秋初戦の朝日チャレンジカップでは1位に入線するが、斜行して失格となった。伊藤がこのレースでの処分で騎乗停止となり、次の京都大賞典では田原成貴が初騎乗し、ヤマノシラギクの2着。

しかし天皇賞・秋では12着に敗れ、再び伊藤が騎乗すると阪神大賞典(当時は12月開催)で重賞3勝目をあげ、有馬記念ではシンボリルドルフ、ミホシンザンに次ぐ3着。

6歳初戦の日経新春杯で4着に敗れると故障し、1年2ヶ月の休養を経て7歳で復帰。復帰初戦の阪神大賞典[4]は8着に終わったが、再び田原に乗り替わった大阪杯で重賞4勝目を飾る。

そして、天皇賞・春では圧倒的1番人気のミホシンザンに次ぐ2番人気に支持された。レースでは最後の直線で急に外側に斜行し、外を走っていたアサヒエンペラーの進路を妨害。ゴール前ではアサヒエンペラーと内・外が入れ替わっているほどの斜行で、アサヒエンペラーは騎手蛯沢誠治が立ち上がるほどの不利を受けた。

この間に内を突いたミホシンザンとニシノライデンがほぼ同時にゴールイン。長い写真判定と審議が行われ、まずは1位ミホシンザン、ハナ差2位にニシノライデンと表示されたが、さらに長引いた審議の末、ニシノライデンは失格処分となった。 GI級のレースで2着までに入線した馬が審議の結果失格処分となったのは日本中央競馬会史上初であった。
続く宝塚記念では、失格処分の同情票も集めたかGIレースで初めて1番人気に支持されたが、同期のスズパレードの3着に敗れた。
このレースを最後に故障し、現役を引退した。

ニシノライデン 競走成績

通算26戦7勝
4歳:13戦4勝 京都新聞杯(GII)、神戸新聞杯(GIII)2着
5歳:8戦2勝 鳴尾記念(GII)、阪神大賞典(GII)、京都大賞典(GII)2着
6歳:1戦0勝
7歳:4戦1勝 サンケイ大阪杯(GII)

ニシノライデン 引退後

引退翌年の1988年より西山牧場で種牡馬となった。馬主の厚意で種牡馬入り間もない頃は桜花賞馬ダイアナソロンの母ベゴニヤや、西山牧場の割合優秀な成績を残した牝馬など、少ないながらもそれなりの繁殖牝馬が集められた。しかし産駒は気性に問題があり、入厩はしたものの出走にこぎ着けられない馬も多く、活躍馬は輩出できなかった。

種牡馬登録は生涯続いたものの、1997年以降は産駒が生まれなかった。繁殖に上がった牝馬もほとんどおらず、結局ニシノライデンの血を引く馬は残せなかった。実質的な種牡馬引退後も西山牧場で功労馬として余生を送り、2011年12月31日に老衰による心臓麻痺で死んだ[5]。

ニシノライデン エピソード

のちにナリタブライアンのトレードマークとなるシャドーロールは、ナリタブライアンの登場までは、本馬もシャドーロールを代名詞とする一頭であった。

1位失格となった朝日チャンレンジカップでは、ワカオライデンが繰り上がり1着となった。

3着に敗れた宝塚記念レース後、西山正行とその実子の西山茂行は、天皇賞で失格を告げられた裁定委員に呼ばれ、パトロールフィルムを見せてもらい、スタート直後にニシノライデンがコース上にできた影に驚いてジャンプし、それで引っかかったところを確認できたという。天皇賞で失格を告げた裁定委員がこの時には「お気の毒ですが」と優しく声をかけてくれたという。

ニシノライデン 第95回天皇賞について

問題の天皇賞については、「真っ直ぐ走っていればニシノライデンが天皇賞馬だった」という意見もあるが、騎乗していた田原までも、「ニシノライデンは真っ直ぐ走るよりも、斜めに走る方が調子が良かった」とまで発言していた。

田原は天皇賞で騎乗停止処分となり、いずれも当時お手馬であったマックスビューティでのサンスポ杯4歳牝馬特別、フレッシュボイスでの安田記念に騎乗できなかった。いずれも柴田政人(天皇賞ではミホシンザンに騎乗)が騎乗し、勝利を収めた。

柴田政人は後に、あくまでも推測としながらも、「ミホシンザンとアサヒエンペラーは馬の格好も似ているし、勝負服も似ていた[6]から、ひょっとして外に来たアサヒエンペラーを俺の馬(ミホシンザン)と間違えて、馬体を併せに来たら斜行してしまったんじゃないか。ニシノライデンとアサヒエンペラーが外に行ったから自分は内を突いて、ゴール板のところでミホシンザンがわずかに前に出たのは確信できた。」と語っている[7]。

失格の裁定が下った後、この時の審議に当事者であった田原が呼び出されたのが着順が決定した後だった事から、田原は「きっと、天皇賞馬を失格に出来ないので、ニシノライデンを2着にしたんだよ。」と思ったという。なお、「優勝したが故に、失格されてもおかしくなかったのに失格とならなかった例」は複数例ある[8]。

ニシノライデンの天皇賞失格以後、「進路妨害等をした馬がレースで発揮した能力についても最大限尊重すべき」という論議が起こり、欧米で採用されていた降着制度が導入される一因となっている[9]。

ニシノライデン 血統表

ニシノライデンの血統 ボワルセル系(セントサイモン系)/Blue Larkspur5×5=6.25%


ダイコーター
1962 鹿毛 *ヒンドスタン
Hindostan
1946 黒鹿毛 Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Sonibai Solario
Udaipur
*ダイアンケー
Dianne K.
1950 鹿毛 Lillokid Jack High
Amaranth
Bonnie Luna Bon Homme
Rockiluna


ミスホマレシロー
1975 栗毛 *ダディダンフィ
Daddy Dunphy
1965 鹿毛 Coboes Mahmoud
Belle of Troy
Feria Thoulouse Lautrec
Feira de Rio
クリロット
1970 黒鹿毛 *オンリーフォアライフ
Only For Life Chanteur
Life Sentence
クリツヒメ ハクリヨウ
クリホマレ F-No.1-b
母系は西山牧場由来ではなく大東牧場由来のもの。4代母クリホマレはクリペロ・クリヒデの天皇賞馬兄妹の姉にあたり、6代母英月(競走名テツバンザイ)は1941年の阪神優駿牝馬の勝ち馬。
脚注 [編集]

^ 現姓上野、当時は調教師伊藤修司調教師の娘婿。
^ 当時はGIII。
^ 「あなたのそして私の夢が走っています」(双葉社)
^ 鳴尾記念と入れ替わる形で3月開催。
^ ニシノライデン死す…
^ ミホシンザンの勝負服は横縞、アサヒエンペラーのそれは縦縞という違いはあるが、袖が赤で胴が緑と黄色の縞模様と言う配色は一緒である。
^ 「別冊宝島143競馬名馬読本」より。
^ ミスターシービーがダービー、シンボリルドルフが皐月賞でインターフェアと受け取られかねない行為をしながらも、両者共に失格とはならず騎乗停止処分だけとなっている。
^ 降着制度は1991年に採用されている

中山競馬倶楽部

中山競馬倶楽部
中山競馬倶楽部(なかやまけいばくらぶ)は、かつて、競馬を施行していた団体で競馬倶楽部の一つ。1907年7月12日に総武競馬会として設立、改称・移転を経て、1937年6月15日に解散した。

中山競馬倶楽部 沿革

河野広中らが中心となって1907年7月12日に総武競馬会が設立され、同年9月22日から千葉県東葛飾郡松戸町(現 松戸市)に設けられた松戸競馬場で競馬の開催を始めた。

1908年10月に馬券発売が禁止され政府からの補助金が交付されることとなったのに伴い、1910年5月25日に松戸競馬倶楽部に改称、同月30日に認可を受け春季開催から競馬を始めた。

1919年に陸軍省から競馬場用地の接収の交渉を受けたのに伴い、競馬場を千葉県東葛飾郡の中山町(現 市川市)と葛飾村(現 船橋市)にまたがる地に移転、1920年1月26日に中山競馬倶楽部に改称。

そして同年3月26日から中山競馬場での競馬の開催を開始した。
1923年に(旧)競馬法が公布され馬券の発売ができることとなったが、倶楽部で発生した内紛の影響により1923年秋季から1927年まで開催は行なわれず、競馬法に基づく競馬の開催は1928年1月21日から始まった。

1934年には当時東京競馬倶楽部で施行されていた東京優駿大競走に対抗する競走として、大障碍特別競走(現 中山大障害)が創設され、1936年には中山記念が創設された。
1936年12月10日に日本競馬会(現在の日本中央競馬会)が設立されたのに伴い、1937年3月から4月にかけて倶楽部主催として最後の競馬が開催され、同年6月15日に日本競馬会に統合される形で解散された。

中山競馬倶楽部 関連項目

競馬倶楽部
中山競馬場 – 中山競馬倶楽部の施設を引き継いでいる施設
陸軍工兵学校 – 松戸競馬倶楽部の跡地に開校した陸軍省の学校

第61回日刊スポーツ賞中山金杯に登録している馬の中山芝成績&重賞実績

第61回日刊スポーツ賞中山金杯 登録馬の中山芝の成績と重賞実績は?

アースサウンド  (未)
アクシオン    (1-0-1-2) ’10中山金杯・1着
アドマイヤコスモス(未)
イケドラゴン   (1-0-0-4)
エーシンジーライン(0-0-0-1)
エオリアンハープ (1-0-3-1)
エクスペディション(未)
ゲシュタルト   (0-2-0-2) ’11オールカマー・2着、’10スプリングS・2着
コスモファントム (1-0-0-2) ’11中山金杯・1着
コロンバスサークル(3-1-0-5)
ジーエスライカー (未)
ストロングガルーダ(0-0-0-1)
スノークラッシャー(1-0-1-9)
スマートステージ (0-1-1-3)
セイカアレグロ  (未)
ダイワファルコン (5-1-1-2) ’10弥生賞・3着
ダノンバラード  (未)
ダンスインザモア (3-0-1-11)
ツクバホクトオー (0-0-0-2)
デストラメンテ  (1-0-0-7)
デュアルスウォード(未)
トップゾーン   (未)
ネオサクセス   (2-2-1-2)
ネオヴァンドーム (0-0-0-1)
ネコパンチ    (1-2-2-6)
ネヴァブション  (5-1-4-10) ’10AJCC・1着、’11AJCC・3着など
ビッグウィーク  (0-0-0-1)
フェデラリスト  (2-0-0-0)
ミステリアスライト(1-1-1-4)
ムラマサノヨートー(2-0-0-9)
リベルタス    (0-0-1-1) ’10朝日杯FS・3着


2011年に勝ったコスモファントムや2010年に勝ったアクシオンも、出てきますね。
しかし、コスモファントムはハンデ57.5kgですし、アクシオンは明け10歳馬ですからねえ。
厳しそうですね。

中山ではまだ走ったことはありませんが、アドマイヤコスモス、エクスペディションなんかは、
かなり強そうですね。

第61回 日刊スポーツ賞 中山金杯、大荒れ!?

2012年もJRA銀行から預金を引き出させていただきます!

まずは、中山金杯ですね!
とにかく荒れる!!重賞です。

過去10年間で、単勝8番人気以下の馬が3着以内に入らなかったのは2004年の1回だけ。
単勝10番人気以下で3着以内に食い込んだ馬は7頭もいます!

そういいながらも過去2年は単勝1番人気馬が勝っているんですね。

上位人気馬と穴馬をうまく組み合わせるのが狙いどころでしょう。

過去10年のデータ(東京競馬場で行われた2002年を含む)を見ると、

中山金杯 負担重量別の成績は?

負担重量別の成績を調べてみると、もっとも好成績を挙げているのが「57キロ」の馬。

それに「57.5キロ以上」を背負って出走した馬も2勝を挙げていますね。
※2002年は東京競馬場で開催

中山金杯 負担重量別成績(過去10年)

負担重量 成績 勝率 連対率 3着内率
51キロ以下 0-2-0-6 0% 25.0% 25.0%
52キロ 0-0-1-14 0% 0% 6.7%
53キロ 1-1-2-16 5.0% 10.0% 20.0%
54キロ 1-1-2-22 3.8% 7.7% 15.4%
55キロ 1-1-2-18 4.5% 9.1% 18.2%
56キロ 1-2-2-23 3.6% 10.7% 17.9%
56.5キロ 0-0-0-2 0% 0% 0%
57キロ 4-2-0-12 22.2% 33.3% 33.3%
57.5キロ 1-1-1-8 9.1% 18.2% 27.3%
58キロ以上 1-0-0-5 16.7% 16.7% 16.7%

中山金杯 単勝オッズ別成績を見ると

過去10年のこのレースを勝利した10頭のうち9頭は、単勝オッズ「10倍未満」

2着に入った馬は8頭が単勝オッズ「10倍以上」。

3着に入った馬も7頭が「10倍以上」

中山金杯 単勝オッズ別成績(過去10年)

単勝オッズ 成績 勝率 連対率 3着内率
2.9倍以下 2-0-0-0 100% 100% 100%
3.0~4.9倍 2-0-0-6 25.0% 25.0% 25.0%
5.0~6.9倍 2-2-0-10 14.3% 28.6% 28.6%
7.0~9.9倍 3-0-3-18 12.5% 12.5% 25.0%
10.0~14.9倍 1-3-1-10 6.7% 26.7% 33.3%
15.0~19.9倍 0-1-1-17 0% 5.3% 10.5%
20.0~29.9倍 0-3-2-12 0% 17.6% 29.4%
30.0倍以上 0-1-3-53 0% 1.8% 7.0%

中山金杯 前走の単勝人気別成績

前走が単勝「1番人気」だった馬の勝利がゼロ。

「2番人気」だった馬が4勝。

前走が「3番人気」だった馬も不振。

逆に、前走が「4~9番人気」だった馬がいい成績ですね。

前走が「10番人気以下」だった馬はまったくいいところがありません。

中山金杯 前走の単勝人気別成績(過去10年)

前走の単勝人気 成績 勝率 連対率 3着内率
1番人気 0-1-2-16 0% 5.3% 15.8%
2番人気 4-2-0-7 30.8% 46.2% 46.2%
3番人気 0-1-1-8 0% 10.0% 20.0%
4~5番人気 2-0-4-11 11.8% 11.8% 35.3%
6~9番人気 4-5-1-46 7.1% 16.1% 17.9%
10番人気以下 0-1-2-38 0% 2.4% 7.3%

中山金杯 低評価で好走歴がある馬にも要注意

2005年以外で、「5走前までに、単勝6番人気以下で3着以内に入ったことがある」馬が毎年連対。



中山金杯 5走前までに、単勝6番人気以下で3着以内に入った実績がある中山金杯連対馬一覧(過去10年)

年度 着順 馬名 該当レース
02年 2着 タフグレイス 4走前 千葉S(1600万下) 7番人気 1着
03年 2着 トーアメイウン 前々走 磐梯山特別(1000万下) 6番人気 1着
04年 1着 アサカディフィート 4走前 函館記念 6番人気 3着
06年 2着 アサカディフィート 前々走 京阪杯 9番人気 2着
07年 2着 アサカディフィート 4走前 オパールS 7番人気 3着
08年 1着 アドマイヤフジ 5走前 目黒記念 6番人気 3着
09年 1着 アドマイヤフジ 3走前 毎日王冠 10番人気 3着
10年 1着 アクシオン 前走 鳴尾記念 7番人気 1着
11年 1着 コスモファントム 前走 中日新聞杯 6番人気 2着
2着 キョウエイストーム 3走前 京成杯オータムH 7番人気 2着

※ 該当レースが複数ある場合は、直近のものを掲載

ネオサクセス

ネオサクセス
牡4歳  鹿毛
父:ネオユニヴァース 母:ラークスマイル 母父:ノーザンテースト 血統
2007年4月3日生  浦河産  
厩舎:(美浦南)古賀 史生  生産者:秋場牧場  馬主:秋場 清隆
本賞金:22,000,000円  総賞金:59,900,000円  障害本賞金:0円  障害総賞金:0円  附加賞:698,000円
平地重巧拙:–  平地ダ巧拙:–  障害重巧拙:–  障害ダ巧拙:–
【トータル戦績】
1着 2着 3着 着外 勝率 連対率
4 3 2 10 0.211 0.368

__ 【連対時脚質】
逃 先 差 追
0 2 4 1

【戦歴(全19走)】
年月日 開催 R レース名 頭 枠 馬 人 着 騎手 斤量 距離 コース タイム 2 M 3 4 前3F 後3F 差 馬体重 増減 備考
2011/12/11 5中山4 10 美浦ステークス (1600万下) 12 8 11 6 1 吉田豊 57.0 1800m (芝)右内A S 1.48.1 12 12 12 12 38.9 33.6 0.2 462 -6  
2011/11/27 5東京8 11 東京ウェルカムプレミアム (1600万下) 16 1 1 7 9 石橋脩 57.0 2000m (芝)左C S 2.00.7 13 13 14 14 38.4 33.8 1.2 468 0  
2011/11/13 5東京4 10 ノベンバーステークス (1600万下) 14 5 8 8 3 石橋脩 54.0 1800m (芝)左B S 1.47.8 10 12 13 12 37.9 33.4 0.2 468 +4  
2011/10/22 5新潟3 11 魚野川特別 (1000万下) 15 1 1 6 1 大野 54.0 2000m (芝)左外A S 2.01.8 — 07 07 07 38.1 32.7 0.1 464 0  
2011/10/02 4中山8 7 サラ3歳以上500万以下 11 5 5 4 1 幸 57.0 2200m (芝)右外C S 2.16.8 02 02 02 01 38.3 35.0 0.2 464 -2  
2011/07/23 3新潟3 8 サラ3歳以上500万以下 17 3 5 3 5 大野 57.0 2400m (芝)左内A M 2.28.3 11 09 10 10 36.5 34.9 0.4 466 0  
2011/07/02 3中山5 7 サラ3歳以上500万以下 10 8 10 3 2 大野 57.0 2200m (芝)右外C S 2.14.0 03 02 01 01 37.1 35.9 0.0 466 -4  
2011/06/11 2新潟5 9 サラ4歳以上500万以下 15 8 15 5 5 勝浦 57.0 1800m (ダ)左 H 1.53.7 11 09 05 04 37.2 38.9 0.3 470 -2  
2011/05/29 2新潟2 9 サラ4歳以上500万以下 13 5 6 2 8 丸山 57.0 1800m (ダ)左 M 1.52.3 11 12 12 12 38.1 37.2 1.7 472 +14  
2010/10/30 3福島3 7 サラ3歳以上500万以下 15 7 13 2 5 丸山 54.0 1700m (ダ)右 M 1.45.9 15 15 14 12 37.6 37.0 0.3 458 -2  
2010/09/26 2札幌6 9 サラ3歳以上500万以下 9 4 4 2 8 三浦 54.0 2000m (芝)右C S 2.04.6 09 08 06 03 39.6 35.9 1.2 460 -4  
2010/08/28 1札幌5 6 サラ3歳,未勝利 16 6 12 5 1 三浦 56.0 2000m (芝)右A H 2.02.5 14 13 13 06 38.0 35.9 0.4 464 -6  
2010/07/31 2新潟5 7 サラ3歳,未勝利 18 7 13 1 13 松岡 56.0 2200m (芝)左内A M 2.16.4 13 09 06 05 37.0 38.7 2.4 470 -2  
2010/07/11 2福島8 6 サラ3歳,未勝利 16 1 2 2 2 松岡 56.0 2000m (芝)右B S 2.03.6 14 08 09 09 38.1 35.2 0.2 472 +6  
2010/04/10 3中山5 6 サラ3歳,未勝利 18 7 15 1 6 三浦 56.0 2000m (芝)右内B S 2.03.9 11 11 09 08 39.0 34.3 0.4 466 -2  
2010/03/13 2中山5 5 サラ3歳,未勝利 16 6 12 4 2 三浦 56.0 2000m (芝)右内A M 2.03.9 12 11 03 02 37.4 35.5 0.2 468 +6  
2010/01/30 1東京1 6 サラ3歳,未勝利 16 5 10 1 7 勝浦 56.0 2400m (芝)左D S 2.29.9 12 10 09 10 38.0 34.7 0.5 462 -10  
2010/01/05 1中山1 5 サラ3歳,未勝利 16 7 13 5 4 勝浦 56.0 2000m (芝)右内C M 2.02.3 12 09 07 03 37.3 36.6 0.2 472 -6  
2009/12/13 5中山4 6 サラ2歳,新馬 11 5 5 5 3 勝浦 55.0 2000m (芝)右内A S 2.04.2 07 07 08 07 37.9 35.6 0.4 478 0  
「R」の背景色: _ 良馬場 _ 稍重馬場 _ 重馬場 _ 不良馬場
「着」の背景色: _ 1着 _ 2着 _ 3着 _ 着外

【レース条件別成績】
コース 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率
平地

芝 右 3 3 1 3 0.300 0.600
左 1 0 1 4 0.167 0.167
ダ 右 0 0 0 1 0.000 0.000
左 0 0 0 2 0.000 0.000
直線トータル 0 0 0 0 0.000 0.000
障害トータル 0 0 0 0 0.000 0.000

【馬場状態別成績】
コース 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率
平地 芝 良 4 2 1 7 0.286 0.429
稍重 0 1 1 0 0.000 0.500
重 0 0 0 0 0.000 0.000
不良 0 0 0 0 0.000 0.000
ダ 良 0 0 0 1 0.000 0.000
稍重 0 0 0 0 0.000 0.000
重 0 0 0 1 0.000 0.000
不良 0 0 0 1 0.000 0.000
障害 良 0 0 0 0 0.000 0.000
稍重 0 0 0 0 0.000 0.000
重 0 0 0 0 0.000 0.000
不良 0 0 0 0 0.000 0.000

【距離別成績】
コース 1着 2着 3着 着外 勝率 連対率
芝   ~1000m 0 0 0 0 0.000 0.000
1001~1200m 0 0 0 0 0.000 0.000
1201~1400m 0 0 0 0 0.000 0.000
1401~1600m 0 0 0 0 0.000 0.000
1601~1800m 1 0 1 0 0.500 0.500
1801~2000m 2 2 1 4 0.222 0.444
2001~2200m 1 1 0 1 0.333 0.667
2201~   0 0 0 2 0.000 0.000
ダ   ~1000m 0 0 0 0 0.000 0.000
1001~1200m 0 0 0 0 0.000 0.000
1201~1400m 0 0 0 0 0.000 0.000
1401~1600m 0 0 0 0 0.000 0.000
1601~1800m 0 0 0 3 0.000 0.000
1801~2000m 0 0 0 0 0.000 0.000
2001~2200m 0 0 0 0 0.000 0.000
2201~   0 0 0 0 0.000 0.000

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