競馬用語&競走馬 た行 | 競馬商材検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

ダービー卿CTの穴馬はダンツプリウス!キャンベルジュニアに勝つ!?

ダービー卿CT穴馬ダンツプリウスが優勝!?

69(昭和44)年にイギリスの第18代ダービー卿エドワード・ジョン・スタンリー伯爵がトロフィーが寄贈したのを記念して、
「ダービー卿チャレンジトロフィー」は始まりました、

中山競馬場で行われる1600mのハンデキャップ競争です。
安田記念のステップレースとして有名です。

過去5年を見てもダービー卿CTの優勝馬は錚々たるメンツ。
マジックタイム、モーリス、カレンブラックヒル、トウケイヘイロー、ガルボですからね。

このうちモーリスが2年前安田記念で優勝。
またダービー卿CTでは2着だったロゴタイプも昨年安田記念を勝ちました。

ダービー卿CTの1番人気馬の成績は【1.1.0.3】と良くありません。
2017年の出走予定馬の中で有力馬は、人気順でキャンベルジュニア、グランシルク、
ロイカバード、マイネルアウラート、ガリバルディと言ったところ。
もちろんこの中の2頭くらいは馬券に絡むでしょう。

問題は、そこに割って入る穴馬です。
今年その穴馬はダンツプリウスだと思っています。
この馬、前走の大阪城ステークスで最下位に負けていますが、ハンディキャップを軽くするための作戦ではないでしょうか?

しかも2014年夏の馬場改修により、中山1600m重賞でロベルトやキングマンボの血を引く馬が激走中。
モーリスやマジックタイムにはロベルトの血がが入っています。

ダンツプリウスは父がブライアンズタイムでロベルト系。
前走の大阪城ステークスは、ブライアンズタイムには全く向いていないレース展開でした。

中山1600mの冬場は芝を走っているのに土煙が上がる事も少なくありません。
スタミナに富んだパワータイプの血を持つ馬を狙うべきでしょう。
前々のポジションで決め手を生かすダンツプリウスに向いているのです。

ダービー卿CTをグレーターロンドンが回避します。これでまた楽になりますね。
しかも土曜日は雨予報。ダンツプリウスにはおあつらえ向きです。

ダンツプリウスが不得意なコースは1800とディープインパクト産駒が特異なキレが必要な馬場です。
中山のマイルはジュニアCやNZTで勝っています。

ダンツプリウスからワイド、三連複で勝負に行きます!

ダービー卿チャレンジトロフィー





【ドバイターフ】ヴィブロスは9番

ドバイターフ(G1 芝・1800m)ヴィブロスの馬番は9番!リアルスティール(牡5歳 栗東・矢作芳人厩舎)は出走回避

ドバイターフは第7レース 現地時間 19:30(日本時間 3月26日0:30)発走予定

ヴィブロスにはリアルスティールの分まで頑張ってもらいましょう!
できれば福永騎手に乗ってもらいたかったですね。

<馬番・馬名・性齢・負担重量(kg)・騎手>
1 リブチェスター 牡4 57kg W.ビュイック
2 ザラック 牡4 57kg C.スミヨン
3 エシェム 牡4 57kg G.ブノワ
4 デコレーテッドナイト 牡5 57kg A.アッゼニ
5 オパールティアラ 牝4 55kg O.マーフィー
6 ムタケイエフ せん6 57kg J.クローリー
7 モンディアリスト 牡7 57kg D.タドホープ
8 ベリースペシャル 牝5 55kg S.デソウサ
9 ヴィブロス 牝4 55kg J.モレイラ
10 デットコレクター せん4 57kg M.ロッド
11 クーガーマウンテン 牡6 57kg D.オブライエン
12 ドーヴィル 牡4 57kg R.ムーア
13 ロングアイランドサウンド 牡4 57kg S.ヘファナン
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【ドバイシーマクラシック】サウンズオブアースは4番

ドバイシーマクラシック(G1 芝・2410m、2017年3月25日)の馬番が決定

ドバイシーマクラシックは第8レース 現地時間 20:05(日本時間 3月26日1:05)発走予定
発売開始時刻 日本時間 3月25日(土曜)19:30

サウンドオブアースかつ可能性ありますね!
ステイゴールドのように海外での覚醒がきっとあります!

<馬番・馬名・性齢・負担重量(kg)・騎手>
1 アーンショー 牡6 57kg M.バルザローナ
2 ジャックホブス 牡5 57kg W.ビュイック
3 ハイランドリール 牡5 57kg R.ムーア
4 サウンズオブアース 牡6 57kg C.ルメール
5 プライズマネー せん4 56.5kg A.デフリース
6 セブンスヘブン 牝4 54.5kg S.ヘファナン
7 ポストポンド 牡6 57kg A.アッゼニ
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【ドバイワールドカップ】アポロケンタッキー1番ゴールドドリーム3番アウォーディー7番

ドバイワールドカップ(G1 ダート・2000m、2017年3月25日日(土))の枠順決定!

ドバイワールドカップは第9レースです。
発走は現地時間 20:45(日本時間 3月26日(日曜)1:45)発走予定です。

アロゲートは競馬史上最強クラスの怪物でしょう。
しかし競馬に絶対はありません。

香港でハイランドリールを負かしたサトノクラウン、ドバイでファンタスティックライトに勝ったステイゴールドの例もあります。
日本馬の底力に大いに期待しています!

<馬番・馬名・性齢・負担重量(kg)・騎手>
1 アポロケンタッキー 牡5 57kg C.ルメール
2 ロングリバー 牡7 57kg M.バルザローナ
3 ゴールドドリーム 牡4 57kg J.モレイラ
4 ラニ 牡4 57kg R.ムーア
5 ガンランナー 牡4 57kg F.ジェルー
6 ムーヴアップ 牡4 57kg A.デフリース
7 アウォーディー 牡7 57kg 武豊
8 フリアクルサーダ 牝5 55kg A.フレス
9 アロゲート 牡4 57kg M.スミス
10 キーンアイス 牡5 57kg J.カステリャーノ
11 ネオリシック 牡4 57kg J.ヴェラスケス
12 ホッパーチュニティ 牡6 57kg F.プラ
13 スペシャルファイター 牡6 57kg F.ハラ
14 ムブタヒージ 牡5 57kg C.スミヨン
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トリコロールブルー【スプリングS】快勝!?鞍上M・デムーロ騎手!!

トリコロールブルーで日曜メイン7連勝!?M・デムーロ騎手

フリージア賞を快勝したトリコロールブルーの追切り(Cウッドで単走追いについて友道調教師のコメントは、
「動きは良かった。休み明けを1回使って素軽くなっている。上積みを感じるしピッチ走法だから中山が合いそう」と明るいです。

馬体も精神面もレースを使われる度にどんどん良くなっていくのがステイゴールド産駒(トリコロールブルー)の大物の特徴です。
同じくステイゴールド産駒ののオルフェーヴルはスプリングSで覚醒しました。その後の活躍は凄まじかったです。

今のところトリコロールブルーの馬体は薄いですが体に芯が通っており緩くはないです。
これまで芝2000Mを3戦使ってきましたが福永・戸崎両ジョッキーとも「距離が延びても大丈夫!」と太鼓判を押しています。

スプリングSの芝1800Mで勝ち負けまで持ち込めればこの先さらに距離が延びるクラシック路線では一躍主役に躍り出します。
未完成の馬体もレースを使いながら500㎏前後までパワーアップする可能性もあります。前走は488キロまできています。

前走で叩いてかなり状態は上向いていますし、クラシック候補として大いに期待したい所です。
問題は中山の馬場が合うかどうか、中3週での再度の輸送がどう影響するかですね。
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トーセンビクトリー中山牝馬S優勝!エリザベス女王杯へ!?

トーセンビクトリーが武豊の好騎乗で中山牝馬Sを快勝!

トーセンビクトリーの6勝全てが、鞍上武兄弟なんですね。
更に重賞を勝ってもらって繁殖に上がぅったらトーセンビクトリーの仔を、是非、武幸四郎厩舎へ入厩させてほしいものです。
今から、島川オーナーや角居調教師にお願いしたい。

中山牝馬S(GIII) 中山芝内1800m良のラップは、

T=1:49.4 Lap=12.9 – 12.3 – 12.6 – 12.4 – 12.2 – 12.1 – 11.8 – 11.3 – 11.8
50.2-47.0 のいわゆるドスローでした。前後差3秒もありましたからね。

ラスト3ハロンでの勝負となりました。トーセンビクトリーは、4番枠から絶妙なスタートでした。
外の各馬が前に行く中、2列目の空いたポケットに入ります。
 
少し掛かり気味でしたがじっと我慢して、3-4角まで自分の競馬に徹していました。
4角に入ってから進路が開くのを待ち、サンソヴェールの直後からの直線勝負。

直線では、外に出して坂の上りでスッと抜け出すと、外から強襲してきたマジックタイムをしのいでの完勝でした。 
名手・武豊のレースメイクが光るレースでしたね。

パトロールビデオを見ると、武豊の手腕がよくわかります。
トーセンビクトリーを4コーナーで外に出すとき、勢いあまったトーセンビクトリーが外に膨れそうになります。
そこへ武豊が左ムチ一閃して見事に立つ直します。

そのままトーセンビクトリーをゴールまで全くブレずに一直線に走らせています。
着差が僅かでしたから少しでも寄れていたらマジックタイムに差されていたことでしょう。

浜中騎手もレーヌミノルで武豊並の騎乗が出来ればフィリーズレビューで勝てたんでしょうが、やはり腕の差は大きい。
トーセンビクトリーは騎手に恵まれて超ラッキーだったとも言えますね。

父キングカメハメハ
母トゥザヴィクトリー

このトーセンビクトリーの血統は中山にピッタリです。
逆に府中のマイル戦は合いそうで合わないんでしょうね。

トゥザヴィクトリー、トゥザグローリー、トゥザワールドたちと同じく中山で活躍して年末の有馬記念で大活躍を見せて欲しい。
さらに上の相手たちと中山で好勝負を期待します。

まずは、距離適性を考えると、目標はエリザベス女王杯でしょう。
楽しみです!!
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ファルコンステークス

タッチングスピーチ

牝4歳 鹿毛

生年月日 2012年2月21日
調教師 石坂正 (栗東)
馬主 サンデーレーシング
生産者 ノーザンファーム
産地 安平町
セリ取引価格
中央獲得賞金 11,436.4万円
地方獲得賞金 0.0万円
通算成績 12戦3勝 [3-1-2-6]
主な勝鞍 15’ローズS(G2)
近親馬 アスコルティ、ムーヴザワールド
血統
ディープインパクト サンデーサイレンス
ウインドインハーヘア
リッスン Sadler’s Wells
Brigid

トーセンラーが気になる!天皇賞春の穴馬はコレだ!

トーセンラーが穴馬!?

2013年4月28日(日)に京都競馬場で行われる第147回天皇賞(GI・芝3200m)に出走するトーセンラー(牡5、栗東・藤原英昭厩舎)は、
京都記念の競馬を見ると、馬が覚醒したように感じます。

しかも、今回は、トーセンラーも武豊も得意の京都です。
ローテはやや空いてしまいましたがトーセンラーにとっては、かえって良いのではないでしょうか?

勝ちに行く思い切った競馬をしてほしいものです。マイルCSのときのような勝ちそうな気配が感じられます。

トーセンラーの追い切り後の関係者のコメントも力強いですね。

●藤原英昭調教師のトーセンラーについてのコメント

「成長したらこれぐらい走れるだろうな、と思っていたので、期待を持って京都記念を使ったのですが、見事に勝ってくれて嬉しかったですね。3
歳の時には430キロ前後でしたが、やはり上で戦うにはもっと馬体が欲しいと思っていたんです。そういった意味では、デビューから(前走時で)プラス22キロ、というのは良い傾向だと思っています。

京都記念を勝ったら天皇賞一本、というのはある程度決めていましたから、調整も順調で予定通りですね。
長いスパンでここへ合わせていましたし、追い切りも3週続けて武豊騎手に乗って貰って、徐々に調子を上げて、今週は仕上げの意味で追い切りましたが、予想通り良い動きをしてくれました。

今回は強い馬もいますが、3歳の時に菊花賞で3000mを経験していますし、当時であの結果(3着)であれば、今回はもっと期待が持てるのではないかと思います。
京都の坂の下りを利用できる、というのは一番この馬が勝利できるイメージがあるので、ここは狙ってきましたけどね。

ゴールドシップはさすがに強いですし、それにどこまで近付けるか、というところですね。ただ、もしゴールドシップを負かすならこのコースかな、という思いも頭の隅にあります。

(厩舎にとっては天皇賞秋→春連覇がかかりますが)結果を求めてやってきましたし、同じ日に秋の天皇賞を勝ったエイシンフラッシュも香港でGIを走りますから、頑張りたいと思います。
武豊騎手も自信を持って乗ってくれると思いますから、ぜひ期待してください」

●武豊騎手のトーセンラーについてのコメント

「今朝はウッドチップコースでの最終追い切りでしたが、良い動きだったと思います。先週も乗りましたが、ラストもしっかり追っていい、という指示だったのでその通り、良い追い切りが出来たと思います。先週がちょっと重いかな、と感じましたが、今日はピッタリ合った仕上がりでした。

京都記念は久々に乗りましたが完勝でしたね。レースもスムーズに行きましたが、この馬の良さを出せたと思います。久々に乗って、デビューの頃から比べるとさすがに逞しくなりましたし、精神的にも元々難しいタイプではないですが、前走はしっかりしていたな、と。完成の域に入ったと思います。

今回は距離がポイントでしょうね。3200mはやってみないと分かりませんが、他にもそういう馬は多いですから。良馬場なら切れる脚を使えると思いますし、先週は京都の芝もいい状態でしたから、この馬にはいいと思います。胸を借りる立場ですが、前走を勝ったあとはここ一本で調整してきましたし、仕上がりも良いですから楽しみですね。僕が前回天皇賞を勝ったディープインパクトの子供で今回出られるというのは嬉しいですし、ワクワクしています。

ゴールドシップは今回のメンバーの中では実績も抜けていて強いですし、京都の外回りも合っていそうですが、18頭立てになりそうですし、競馬は何が起きるか分かりませんから。5頭立てだったらどう乗っても勝てないかな…という気もしますが、18頭立てならチャンスはあると思っています」

トーセンラー

英字表記 Tosen Ra
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 黒鹿毛
生誕 2008年4月21日(5歳)
登録日 2010年7月7日
父 ディープインパクト
母 プリンセスオリビア
母の父 Lycius
生国 日本(北海道千歳市)
生産 社台ファーム
馬主 島川隆哉
調教師 藤原英昭(栗東)
競走成績
生涯成績 16戦3勝
獲得賞金 2億1940万6千円

トーセンラー (Tosen Ra) のおもな勝ち鞍は2011年のきさらぎ賞、2013年京都記念。馬名の由来は冠名にエジプト神話の太陽神ラー。

トーセンラー2歳
2010年11月の京都競馬場の芝の2歳 新馬戦1800m。武豊を鞍上にデビューし1番人気に応えてデビュー戦を飾った。次走の暮れの 阪神のエリカ賞は3着に敗れる。

トーセンラー3歳
初戦の1月の福寿草特別は1番人気に推されるも直線伸びず、3着に敗れた。
そして重賞初挑戦となったきさらぎ賞は鞍上をミルコ・デムーロを迎えてのレースとなり、最後の直線で逃げるリキサンマックスを捕らえて重賞初制覇した。

その後皐月賞に直行するローテーションを組んで宮城県山元町の山元トレーニングセンターで放牧していた3月11日に東日本大震災に遭遇する。幸い、山元トレセンは高台にあったためトーセンラーを含め、放牧中の馬に津波の直接の被害は遭わなかった。しかし道路が寸断されて、栗東への帰厩が大幅に遅くなった[1]。本番の皐月賞は7着、 日本ダービーは11着に敗れた。秋に入り9月18日のセントライト記念では中団から追いあげてフェイトフルウォーの2着。菊花賞はオルフェーヴルをマークする形になったが3着に敗れた。

トーセンラー4歳
初戦の京都記念は後方から追いあげたが4着に敗れた。続く日経賞ではいいところがなくユニバーサルバンクと10着同着に終わった。新潟大賞典は中団追走も直線ではまったく伸びず11着と惨敗した。鳴尾記念ではトゥザグローリーの3着と好走した。七夕賞は後方から直線で大外に持ち出して伸びたが、アスカクリチャンにハナ差及ばず2着。小倉記念でも1番人気に推され、道中中団のインで脚をため直線鋭く伸びたがエクスペディションの2着。新潟記念は中団に構えるも、直線伸びず7着となった。

トーセンラー5歳
京都記念は直線でショウナンマイティを差しきって2年ぶりの勝利を飾った。

トーセンラー競走成績

年月日      競馬場 競走名 格 頭数 オッズ(人気) 着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム(上り3F) タイム差 勝ち馬/(2着馬)
2010.11.7 京都 新馬 13 1.5 (1人) 1着 武豊 55 芝1800m(良) 1:51.4 (33.8) 0.0 (ハーバーコマンド)
12.12 阪神 エリカ賞 9 4.8 (3人) 3着 武豊 55 芝2000m(良) 2:05.5 (34.2) 0.3 スマートロビン
2011.1.8 京都 福寿草特別 14 2.2 (1人) 3着 武豊 56 芝2000m(良) 2:00.8 (34.4) 0.0 コスモヘイガー
2.6 京都 きさらぎ賞 GIII 12 5.1 (3人) 1着 M.デムーロ 56 芝1800m(良) 1:47.6 (33.4) 0.0 (リキサンマックス)
4.24 東京 皐月賞 GI 18 12.1 (5人) 7着 蛯名正義 57 芝2000m(良) 2:01.6 (34.9) 1.0 オルフェーヴル
5.29 東京 日本ダービー GI 18 15.8 (7人) 11着 蛯名正義 57 芝2400m(不) 2:33.0 (38.1) 2.5 オルフェーヴル
9.18 中山 セントライト記念 GII 17 4.1 (3人) 2着 蛯名正義 56 芝2200m(良) 2:10.5 (34.1) 0.2 フェイトフルウォー
10.23 京都 菊花賞 GI 18 12.2 (3人) 3着 蛯名正義 57 芝3000m(良) 3:03.5 (35.2) 0.7 オルフェーヴル
2012.2.12 京都 京都記念 GII 9 5.2 (4人) 4着 C.デムーロ 55 芝2200m(良) 2:13.0 (35.3) 0.7 トレイルブレイザー
3.24 中山 日経賞 GII 14 15.0 (4人) 10着 内田博幸 55 芝2500m(良) 2:39.1 (36.8) 1.7 ネコパンチ
5.6 新潟 新潟大賞典 GIII 15 5.7 (3人) 11着 浜中俊 57 芝2000m(稍) 1:59.7 (36.2) 0.7 ヒットザターゲット
6.2 阪神 鳴尾記念 GIII 10 10.1 (5人) 3着 岩田康誠 56 芝2000m(良) 2:00.5 (33.4) 0.4 トゥザグローリー
7.8 福島 七夕賞 GIII 16 4.3 (1人) 2着 岩田康誠 57 芝2000m(良) 2:01.1 (35.5) 0.0 アスカクリチャン
8.5 小倉 小倉記念 GIII 12 2.7 (1人) 2着 川田将雅 57 芝2000m(良) 1:57.7 (34.8) 0.4 エクスペディション
9.2 新潟 新潟記念 GIII 18 4.6 (1人) 7着 蛯名正義 57 芝2000m(良) 1:57.8 (32.6) 0.2 トランスワープ
2013.2.10 京都 京都記念 GII 11 9.2 (6人) 1着 武豊 56 芝2200m(良) 2:12.5 (34.1) -0.2 (ベールドインパクト)

トーセンラー血統表

トーセンラーの血統 (サンデーサイレンス系 / Northern Dancer 12.50% 5x5x4、Lyphard 12.50% 4×4、Goofed 9.38% 5x5x5)


ディープインパクト 2002
鹿毛 北海道早来町 *サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
*ウインドインハーヘア
Wind in Her Hair 1991
鹿毛 アイルランド Alzao Lyphard
Lady Rebecca
Burghclere Burghclere
Highclere


*プリンセスオリビア
Princess Olivia 1995
栗毛 アメリカ Lycius 1988
栗毛 Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Lypatia Lyphard
Hypatia
Dance Image 1990
鹿毛 Sadler’s Wells Northern Dancer
Fairy Bridge
Diamond Spring Vaguely Noble
Dumfries F-No.17-b
母はアメリカで3勝している。
半兄にアメリカGIのトラヴァーズステークス勝ち馬でBCクラシック2着のFlower Alley(父:Distorted Humor)。半姉にフローラステークスで3着に入ったブルーミングアレー(父:シンボリクリスエス)がいる。
近親に関屋記念3着に入ったビックフリート、阪神ジャンプステークスを勝ったマヤノスターダム、日欧のGI勝ちのあるシーキングザパールがいる。

東京優駿(日本ダービー)ってどんなレース?

東京優駿(日本ダービー)の基本情報

第74回東京優駿
主催者 日本中央競馬会
開催地 東京競馬場
施行時期 5月下旬 – 6月上旬
(原則2回東京12日目)
格付け GI
1着賞金 1億5000万円
賞金総額 2億8600万円
距離 芝2400m
出走条件 サラブレッド系3歳牡馬・牝馬(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 定量(牡馬57kg、牝馬55kg)
第1回施行日 1932年(昭和7年)4月24日


東京優駿(とうきょうゆうしゅん)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝2400mで施行する競馬の重賞競走。一般的にはレース名の副称である日本ダービーの名で広く知られており、現在の日本の競馬においてその代名詞とも言える競走である。「競馬の祭典」という呼称もマスコミが広く用いている。

正賞は内閣総理大臣賞・日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞、朝日新聞社賞。
また副賞が「トヨタ賞」としてトヨタの高級車が与えられ、レースで実際に使用した鞭が東京競馬場のJRA競馬博物館に永久保存・展示される。このため騎手は他のGIレースと異なり、鞭を観客席へ投げ入れることは行っていない。


東京優駿(日本ダービー)概要

1932年(昭和7年)にイギリスのクラシック競走であるダービーステークスを範して創設された日本で最も古くから同一条件で開催されている競走の一つである。毎年5月末頃に開催され春の皐月賞、秋の菊花賞とともに牡馬の三冠競走を構成する。
出走資格は3歳の牡馬・牝馬の競走馬だけに与えられ、騸馬(去勢された牡馬)は出走権がない。また、未出走馬・未勝利馬も出走できない。

牝馬も出走可能だが前週に優駿牝馬(オークス)があるため、出走することは稀である。
日本の3歳(旧4歳)馬の代表決定戦であり、日本の全てのホースマンが憧れる最高の舞台である。騎手にとっては本競走を制すと晴れてダービージョッキーの仲間入りを果たすことができる。
1973年(昭和48年)までは日本国内の最高賞金額で、名実ともに日本最大最高の競走だった[注 1]。現在は賞金額においては国際招待競走であるジャパンカップ、全ての馬に出走権のある有馬記念に次ぐ3番目となっている。2010年(平成22年)から国際格付けで最高格となるGIとなる。

東京優駿(日本ダービー)解説

東京優駿(日本ダービー)条件

サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬(外国産馬含む)及び地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)及び外国調教馬の牡馬・牝馬(外国産馬と合わせて9頭まで)、出走枠は18頭まで。未出走馬・未勝利馬は出走できない。

負担重量は定量で牡馬は57kg、牝馬は55kgである。

2012年度現在の総額賞金は2億8600万円で1着賞金1億5000万円、2着賞金6000万円、3着賞金3800万円、4着賞金2300万円、5着賞金1500万円と定められている。1973年(昭和48年)までは本競走が日本競馬での最高賞金額であったが現在はジャパンカップ(1着賞金2億5000万円)、有馬記念(1着賞金2億円)に次いで3番目に高い賞金額となっている。
当競走はGIに格付けされている。

東京優駿(日本ダービー)名称

「東京優駿大競走」の名称で創設され「東京優駿競走」、「優駿競走」という名称を経て「東京優駿」が現在の正式な名称となっており副称として「(日本ダービー)」が付されている[注 2]。
JRAが配布するレーシングプログラムや競馬新聞などでは1950年(昭和25年)以降、「東京優駿(第~回日本ダービー)」または「東京優駿(日本ダービー)」と表記されている(日本のつかない「ダービー」と呼んでいた時期もあった)。一般の新聞では知名度の高い副称を前面に出し、「日本ダービー(東京優駿)」とも表記される。
勝馬投票券には、副称である「日本ダービー」のみが表記されている。

東京優駿(日本ダービー)創設の経緯

日露戦争で内外の軍馬の性能差を痛感した政府によって国内では産馬育成が奨励されたが、1908年(明治41年)に馬券の発売が禁止されると馬産地は空前の大不況に見舞われた。大正中期より産馬業者から東京競馬倶楽部会長の安田伊左衛門に対し「イギリスのクラシック競走であるダービーステークスのような高額賞金の大競走を設けて馬産の奨励をしてほしい」という意見があり、予てからの自身の構想と合致すると考えた安田は[注 3]馬産の衰退を食い止める手段としてイギリスのエプソム競馬場のダービーステークスを範し、

4歳(現3歳)牡馬・牝馬の最高の能力試験であること。
競走距離が2400m、又は2400mに限り無く近いこと。
(開催国で催される競馬の)最高の賞金額を設定すること。
2歳(現1歳)秋から4回の出走登録を出走資格の条件とすること。
負担重量は馬齢重量とすること。
施行時期は原則的に春季とすること。
以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること。

という7大原則のもと4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の定量の重賞競走東京優駿大競走として創設することを1930年(昭和5年)4月24日に発表、初回登録が同年10月に行われた(牡92頭、牝76頭、計168頭)。第1回は1932年(昭和7年)4月24日に目黒競馬場(旧・東京競馬場)の芝2400mで施行された。第1回の競走の模様は発走前の下見所の様子から本馬場入場、表彰式に至るまで全国へラジオ中継された。

優勝馬の賞金は1万円、副賞として1500円相当の金杯のほか付加賞13530円が与えられ合計で2万5000円ほどとなった。従来の国内最高の賞金が連合二哩の6000円であったから賞金の額も飛び抜けて破格であり、折からの好景気も相まって幼駒の取引価格が跳ね上がった。

また、それまで日本国内では競走馬の年齢を出走資格に定めた競走の開催は限定的[注 4]であり2歳(現1歳)からの定期的な登録を要件とする本競走の創設によって国内における競走馬の生産、育成、競走と種馬(牡牝とも)選抜のサイクルに初めて明確な指針が与えられた。

東京優駿(日本ダービー)意義

中央競馬が誇る八大競走の1競走で、皐月賞・菊花賞とで中央競馬の牡馬クラシック三冠競走を構成する。牡馬のクラシック三冠競走として皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と言われるのに対し東京優駿は「最も幸運な馬が勝つ」という謳い文句がある。これは圧倒的な有力馬と目されていたものが最大の目標であり世間の注目の集まる本競走において何らかのアクシデント[注 5]によって勝利を逃したり、出走を断念せざるを得ない事態[注 6]に見舞われる例が屡見られるのを象徴している[注 7]。桜花賞・皐月賞のどちらかと近年新設されたNHKマイルカップを合わせて変則三冠競走と呼ばれることもある。

日本の競馬における本競走の位置づけは特別である。皐月賞や菊花賞など他の競走はスタンド改築工事などにより他の競馬場で代替開催されることはあるが、東京優駿は第3回に目黒の競馬場から現在の府中の東京競馬場への移転によるコース変更があっただけで他の競馬場での代替開催は一切行われたことがない。過去に東京競馬場のスタンド改修などがあった時にも時期をずらして施行されている。[注 8]また、近年は東京競馬場の改修工事を東京優駿の開催は変更しない前提で日程を組んでいる。これは前述の7大原則の7の「以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること」に基づいているからである[注 9]。

創設期には国内に比肩のない大競走であり、その後競走体系の整備が進むにつれて「二大競走」「五大競走」「八大競走」等と称されてきたが常にその中核をなし国内での最高賞金を誇っていた。後に一年の活躍馬を集めて年末に行われるグランプリの有馬記念や国外の活躍馬を招待して開催され八大競走と同格扱いとされることのあるジャパンカップに賞金面では譲り、公式な格付においても専ら外国の馬[注 10]に対する出走制限を理由に国際統一規格に基づく格付から外れ、この格付上は国内の他の多くの競走よりも下位に置かれるようになった(興行上は独自の格付であるJpnIとして名目上の最高格を維持した。

2010年(平成22年)からは正式に国際規格に基づく最高格のGIと認定される)。さらに近年、本競走を頂点とする従来の国内の競走体系から様々な距離体系等の分野別のチャンピオンを選別する体系に遷移し、必ずしも全ての競走馬が本競走を目指すという状況ではない。しかしながら、しばしばある年の一年の競馬を端的に表す場合には有馬記念やジャパンカップの優勝馬や年度代表馬ではなく、その年の本競走の優勝馬が挙げられ[注 11]、日本競馬界の象徴であり最大級の目標であるという点については創設以来の価値を保っている。

東京優駿(日本ダービー)主要な変遷

1932年(昭和7年)に目黒競馬場で第1回開催。1周1600mのコースを1周半した。

1934年(昭和9年)からは目黒競馬場の廃止により東京競馬場に施行場を変更。これ以後「東京競馬場2400m」の条件は現在まで1度も変更されていない。

1938年(昭和13年)からは前年の帝国競馬協会解散に伴う日本競馬会への移管により名称を東京優駿競走に変更、また日本競馬会による「4歳(現3歳)5大競走」の形成に伴い同年に新設された京都農林省賞典4歳呼馬・阪神優駿牝馬、1939年(昭和14年)に新設された横濱農林省賞典4歳呼馬・中山4歳牝馬特別とともに日本のクラシック競走を確立するとともにイギリスのクラシック三冠競走を範して4歳(現3歳)のクラシック三冠競走も形成、クラシック三冠競走の第2戦として位置付けられ、また4歳(現3歳)の競走馬及び日本中のホースマンの憧れ及び目標となり競馬ファンからは「競馬の祭典」とも言われる大競走として位置付けられた。また、戦前は阪神優駿牝馬が秋の開催であったため牝馬の出走も多かった。

1944年(昭和19年)は太平洋戦争(戦時中)の影響で勝馬投票券の販売なしの競馬開催の中、能力検定競走として施行、1945年(昭和20年)・1946年(昭和21年)は太平洋戦争および終戦におけるアメリカ進駐軍の競馬場の占領により開催中止、1947年(昭和22年)からは前年の10月17日からの国営競馬再開に伴い他のクラシック競走(桜花賞・農林省賞典・優駿牝馬・農林省賞典4歳馬)と天皇賞(春・秋)とともに再開された。
1948年(昭和23年)からは名称を優駿競走に変更、1949年(昭和24年)からは日本競馬会の運営が独占禁止法に触れるとの声から日本競馬会の解散及び国営競馬へ移管した。
1950年(昭和25年)からは名称を現在の「東京優駿」に変更、また「日本ダービー」という副称も付けられ正式名称を超える競馬の代名詞ともいえる認知度に至った。
1954年(昭和29年)には、NHKによりテレビ中継が開始された。
1968年(昭和43年)は東京競馬場のスタンド改築工事により1ヶ月遅れの7月7日に、また1972年(昭和47年)もストライキや流行性の馬インフルエンザの影響で7月9日に順延開催し両年の本競走は7月に施行されたことから「七夕ダービー」と呼ばれた。
1974年(昭和49年)からは競馬関係者による不祥事などから枠順抽選がマスコミに公開されるようになり、1984年(昭和59年)からはグレード制施行により最高位のGIに格付けされる。1993年(平成5年)には徳仁親王と小和田雅子の御結婚を祝い皇太子殿下御成婚奉祝の副称が付けられ1995年(平成7年)からは指定競走となり、地方競馬所属の競走馬も出走可能になった。
1995年(平成7年)までは5月最終週の日曜日の開催だったが1996年(平成8年)に高松宮杯(現・高松宮記念)がGIに格付けされ開催時期が優駿牝馬(オークス)の前週に繰り上げられたことに伴い、6月第1日曜に開催日を変更(それに伴って優駿牝馬(オークス)が5月最終日曜に繰り下げ)した。しかし2000年(平成12年)に高松宮記念の開催が3月最終日曜に再度繰り上げられたため、本競走の開催は元の5月最終週の日曜日に戻った。ただし2003年(平成15年)からは6月1日が日曜日の場合に限り、5月最終日曜ではなく6月1日に開催されることになった。これまで12月27日までに開催されていた有馬記念が28日に開催されることになり、全体の日程が繰り下がったためである。
2001年(平成13年)からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により総収得賞金額上位2頭の外国産馬が出走可能になり、2005年(平成17年)からは青葉賞での優先出走権の取得を設けたことにより上位4頭に拡大され2006年(平成18年)はさらに上位5頭までに拡大された。これによりクロフネやシンボリクリスエスといった後に日本を代表する外国産馬も出走したが2010年(平成22年)まで外国産馬の優勝馬は出ておらず、2002年(平成14年)にシンボリクリスエスが2着に入ったのが最高成績である。
2010年(平成22年)には国際競走となり、外国調教馬の出走が可能になる。それに伴い、2007年(平成19年)からJpnIで施行されていた格付けがGIに戻ることとなった。
現在の優勝レイの配色は赤色地に金色文字となっている。

東京優駿(日本ダービー)出走資格

サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬(外国産馬含む)及び地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)及び外国調教馬の牡馬・牝馬(外国産馬と合わせて9頭まで)、出走枠は18頭まで。未出走馬・未勝利馬は出走できない。

以下のトライアル競走に必要な着順に入った場合優先出走できる。(最大7頭)

東京優駿(日本ダービー)トライアル競走

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件 優先出走権
皐月賞 GI 中山競馬場 芝2000m 牡馬牝馬限定・国際競走・指定交流競走 4着以内
青葉賞 GII 東京競馬場 芝2400m 牡馬牝馬限定・国際競走・指定交流競走 2着以内
プリンシパルステークス OP 東京競馬場 芝2000m 牡馬牝馬限定・指定交流競走 1着馬

ただし未勝利馬(収得賞金が0の馬)には出走権はないが、未出走馬および未勝利馬も出走できる青葉賞で2着になれば未勝利のまま本競走に出走できる(この場合、収得賞金は1050万円になる)。2009年(平成21年)までは青葉賞は3着、プリンシパルステークスは2着までが優先出走権を得られた。

残りの枠(最低11頭)は通常の収得賞金の総計が多い順に出走できる。(残る1枠が複数の同収得金額馬だった場合は抽選で出走馬が決まる。)
地方馬は上記のトライアル競走3競走で優先出走権を得た場合、京都新聞杯の1・2着馬のみ出走できる。

東京優駿(日本ダービー)その他のステップレース

競走名     格付 施行競馬場 施行距離       競走条件      備考
京都新聞杯 GII 京都競馬場 芝・外2200m 国際競走・指定交流競走 本競走のステップ競走指定
NHKマイルカップ GI 東京競馬場 芝1600m 国際競走・指定交流競走
負担重量 [編集]

定量で牡馬は57kg、牝馬は55kgである。
第1回は別定重量。第2~8回は牡55kg、牝53kg。第9~13回は牡57kg、牝55.5kgだった。

東京優駿(日本ダービー)賞金

グレード制が施行された第51回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金      1着      2着     3着      4着      5着
第51回(1984年) 1億4,250万円 7,500万円 3,000万円 1,900万円 1,100万円 750万円
第52回(1985年) 1億4,880万円 7,800万円 3,100万円 2,000万円 1,200万円 780万円
第53回(1986年) 1億5,200万円 8,000万円 3,200万円 2,000万円 1,200万円 800万円
第54回(1987年) 1億6,150万円 8,500万円 3,400万円 2,100万円 1,300万円 850万円
第55回(1988年) 1億8,050万円 9,500万円 3,800万円 2,400万円 1,400万円 950万円
第56回(1989年) 1億9,530万円 1億300万円 4,100万円 2,600万円 1,500万円 1,030万円
第57回(1990年) 2億1,000万円 1億1,000万円 4,400万円 2,800万円 1,700万円 1,100万円
第58回(1991年) 2億2,800万円 1億2,000万円 4,800万円 3,000万円 1,800万円 1,200万円
第59回(1992年) 2億4,800万円 1億3,000万円 5,200万円 3,300万円 2,000万円 1,300万円
第60回(1993年)
第61回(1994年)
第62回(1995年) 2億5,120万円 1億3,200万円 5,300万円 3,300万円 2,000万円 1,320万円
第63回(1996年)
第64回(1997年)
第65回(1998年)
第66回(1999年)
第67回(2000年)
第68回(2001年) 2億8,600万円 1億5,000万円 6,000万円 3,800万円 2,300万円 1,500万円
第69回(2002年)
第70回(2003年)
第71回(2004年)
第72回(2005年)
第73回(2006年)
第74回(2007年)
第75回(2008年)
第76回(2009年)
第77回(2010年)
第78回(2011年)
第79回(2012年)

東京優駿(日本ダービー)歴史

東京優駿(日本ダービー) 年表


1932年の第1回東京優駿大競走(右・ワカタカ 左・オオツカヤマ)
1932年 – 目黒競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)牡馬・牝馬の別定重量の重賞競走「東京優駿大競走」として創設。
1933年 – 負担重量を「別定重量」から「定量」に変更(負担斤量は牡馬55kg・牝馬53kgに設定)。
1934年 – 施行場を東京競馬場の芝2400mに変更。
1935年 – シアンモアが種牡馬として史上初の3連覇。
1936年 – 単勝5番人気のトクマサが優勝、同競走史上初の単勝払戻し限度額200円の配当を記録。
1937年 – ヒサトモが牝馬として史上初の制覇。2着サンダーランドも牝馬。
1938年 – 名称を「東京優駿競走」に変更。
1939年 – 中山4歳牝馬特別・横濱農林省賞典4歳呼馬・阪神優駿牝馬・京都農林省賞典4歳呼馬と共にクラシック競走体系を確立。
1940年 – 負担斤量を牡馬57kg・牝馬55.5kgに変更。
1943年
クリフジが牝馬として2頭目の制覇。
クリフジ鞍上の前田長吉が、東京優駿史上最年少勝利記録となる20歳3か月での勝利(2010年現在)。
1944年 – 能力検定競走として施行(馬券発売なし・観客は少数の軍人と馬主など関係者200名ほどのみ)。
1945年 – 太平洋戦争の戦況激化により中止。
1946年 – アメリカ進駐軍の競馬場占領により中止。
1947年
牝馬の負担斤量を55.5kgから55kgに変更。
マツミドリが優勝、父・カブトヤマ(1933年・第2回)との史上初の父仔制覇。
1948年 – 名称を「優駿競走」に変更。
1949年
単勝19番人気のタチカゼが優勝、単勝5万5430円の史上最高額の払い戻しを記録。
激しい大混戦のために競走中の馬群の各所で混乱が起き、競走後に騎乗した騎手全員が裁決室に呼び出されて戒告を受ける。
1950年
名称を「東京優駿」に変更。
日本ダービーの副称が付く。
1953年 – 史上最多の33頭が出走する。なお出走登録は35頭で、当日2頭が出走を取り消した。またレース中に3頭が落馬した。
1954年
元地方大井所属のゴールデンウエーブが中央競馬転厩馬として史上初の優勝、父:ミナミホマレに継ぐ史上2頭目の父子制覇。
日本放送協会(NHK)によるテレビ中継が始まる。
1956年 – 1コーナーで俗に言う「エンメイ事故」が起きる。馬主であった作家の吉川英治はエンメイの死と鞍上の阿部正太郎の騎手生命を絶たれる瀕死の重傷に大きなショックを受け、程なく競馬界から身を退く。
1958年
当時の内閣総理大臣・岸信介が観戦。
元地方大井所属のダイゴホマレがJRA転厩馬として史上2頭目の優勝、父:ミナミホマレに継ぐ史上3頭目の父子制覇。
1960年
前年の9月1日から日本競馬の計時方式の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
バリヤー式スタートによる発走は本年まで。
1961年 – スターティングゲートの採用により出走可能頭数を32頭に設定する。
1962年 – ヤマノオーとコレヒサが2着同着。
1968年 – 東京競馬場の施設改修工事により、施行期日を7月7日に設定。
1969年
1番人気タカツバキに騎乗した嶋田功が発走直後に落馬。
ダイシンボルガードの厩務員がコースに乱入。
優勝騎手の大崎昭一が競馬ファンに胴上げされる珍事。
1971年
東京競馬場の施設改修工事により、施行期日を6月13日に設定。
ヒカルイマイ騎乗の田島良保が戦後最年少となる23歳7か月にて優勝騎手となる。
1972年 – ストライキ及び流行性の馬インフルエンザによる関東地区中央競馬開催中止の影響により、施行期日が7月9日に順延。
1974年
枠順抽選がマスコミに公開される。
シード制施行によりキタノカチドキが本競走で最初の単枠指定適用馬となる。
1着賞金が天皇賞、有馬記念と同額となり、単独最高賞金額レースではなくなる。
1977年 – ラッキールーラが優勝し、管理調教師の尾形藤吉が、調教師として当競走最多の8勝目を記録。同時に史上最外枠(24番)での優勝。
1984年 – グレード制施行によりGIに格付けされる。
1986年 – 出走可能頭数を28頭から24頭に削減する。
1988年 – 馬名入りゼッケンが採用される(前年1987年秋よりジャパンカップ以外のGIにも馬名入りゼッケンの拡大を行うことによるもの)。
1989年
ウィナーズサークルが茨城県産馬及び芦毛馬として初制覇。
1着の賞金総額が初めて1億円台(1億300万円)に到達する。
1990年
出走可能頭数を22頭に変更。
世界最高となる入場者数19万6571人を記録する[注 12]。
1991年
トウカイテイオーが優勝し、父:シンボリルドルフに継ぐ史上4頭目の父子制覇。同時に8枠初の優勝。
出走可能頭数を20頭に変更。
入場券が前売り販売のみとなる(前年の19万人動員をきっかけに入場者の混雑防止を図る観点から。その後他の主要GI競走でも行われた)。
その後2002年からは前売入場券を入手できなかった者でも開門30分を過ぎると一般入場券または回数入場券で入場できるようになったが、記念入場券の前売り制度自体は2006年まで続いた。
1992年 – 出走可能頭数を現在の18頭に削減する。
1993年 – 皇太子殿下御成婚奉祝の副称が当年のみ付く。
1994年 – ゼッケンの縁に金糸の刺繍が施されるようになる。
1995年 – 指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。
1997年 – シルクライトニングが競走除外となり、史上最高額となる98億3052万1200円が返還となる。
1999年 – 武豊が騎手として史上初の連覇。
2000年 – 1着賞金を1億3200万円から1億5000万円に増額。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・牝馬」に変更。
外国産馬の出走枠が制限付きで最大2頭まで出走可能となる。
2002年
当時の内閣総理大臣小泉純一郎が観戦。
武豊が騎手として史上初の本競走3勝目。
この年より東京競馬第10競走として施行。
2003年 – ミルコ・デムーロが外国人騎手として史上初の優勝。
2004年
キングカメハメハがNHKマイルカップ優勝馬として初制覇を果たすと共に、2:23.3のレースレコードを記録。
安藤勝己が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
ホッカイドウのコスモバルクが地方競馬所属馬として史上初の出走(8着)。
2005年
外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。
武豊が騎手として史上初の本競走4勝目。
2006年 – 外国産馬の出走枠を最大5頭に拡大。
2007年
国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。
外国産馬の出走枠を最大6頭に拡大。
記念入場券の前売販売を廃止し(フジビュースタンドの完成にともない観覧スペースが十二分に取れたことによる)、当日発売のみになる。
皇太子殿下がレースを台覧。
当時の内閣総理大臣安倍晋三が観戦。
ウオッカが牝馬として3頭目の制覇並びに、父:タニノギムレットに継ぐ史上5頭目の父子制覇にしてかつ史上初の父娘制覇。
2008年
外国産馬の出走枠を最大7頭に拡大。
当年のみ、JRAプレミアムレースの対象競走となる。
四位洋文が騎手として2人目の連覇を果たすと共に騎手として史上初めて牡馬、牝馬の両方で制覇。
2009年
当時の内閣総理大臣麻生太郎が観戦。
ロジユニヴァースが優勝し、父:ネオユニヴァースに継ぐ史上6頭目の父子制覇。
2010年 – 国際競走に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付表記が2006年以来4年ぶりにGIに戻る。
2011年
東日本大震災及び東京電力・福島第一原子力発電所の事故による薄暮開催の中止に伴い、当競走の競走番号を第10競走から第11競走に変更。当競走が創設されて以来、初めて第11競走で行われた。
アラブ首長国連邦副大統領兼首相・ドバイ首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム(H.H.シェイク・モハメド)が出走馬デボネアの馬主としてレースを台覧[1]。
東京優駿としては史上初めて1着から3着までの馬主がクラブ法人になる[注 13]。
出走馬すべてがサンデーサイレンスの孫となった。[注 14]


東京優駿(日本ダービー) 歴代優勝馬

国際競走となった2010年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数 開催日     優勝馬   性齢 勝時計     優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1932年4月24日 ワカタカ 牡3 2:45 2/5 函館孫作 東原玉造 乾鼎一
第2回 1933年4月23日 カブトヤマ 牡3 2:41 0/5 大久保房松 前川道平
第3回 1934年4月22日 フレーモア 牡3 2:45 2/5 大久保亀治 尾形景造 土田荘助
第4回 1935年4月29日 ガヴアナー 牡3 2:42 1/5 井川為男 布施季三 高橋錬逸
第5回 1936年4月29日 トクマサ 牡3 2:42 1/5 伊藤正四郎 尾形景造 山中清兵衛
第6回 1937年4月29日 ヒサトモ 牝3 2:33 3/5 中島時一 宮崎信太郎
第7回 1938年5月29日 スゲヌマ 牡3 2:33 2/5 中村広 千明賢治
第8回 1939年5月28日 クモハタ 牡3 2:36 1/5 阿部正太郎 田中和一郎 加藤雄策
第9回 1940年6月2日 イエリユウ 牡3 2:34 2/5 末吉清 石門虎吉 石田一
第10回 1941年5月18日 セントライト 牡3 2:40 1/5 小西喜蔵 田中和一郎 加藤雄策
第11回 1942年5月24日 ミナミホマレ 牡3 2:33 0/5 佐藤邦雄 東原玉造 池得次
第12回 1943年6月6日 クリフジ 牝3 2:31 4/5 前田長吉 尾形景造 栗林友二
第13回 1944年6月18日 カイソウ 牡3 2:39 1/5 橋本輝雄 久保田金造 有松鉄三
第14回 1947年6月8日 マツミドリ 牡3 2:35 0/5 田中康三 茂木為二郎 松末博光
第15回 1948年6月6日 ミハルオー 牡3 2:33 2/5 新屋幸吉 上村大治郎 石川了吉
第16回 1949年6月5日 タチカゼ 牡3 2:33 4/5 近藤武夫 伊藤勝吉 熊谷八郎
第17回 1950年6月11日 クモノハナ 牡3 2:44 2/5 橋本輝雄 鈴木勝太郎 北竹清剛
第18回 1951年6月3日 トキノミノル 牡3 2:31 1/5 岩下密政 田中和一郎 永田雅一
第19回 1952年5月25日 クリノハナ 牡3 2:31 4/5 八木沢勝美 尾形藤吉 栗林友二
第20回 1953年5月24日 ボストニアン 牡3 2:34 3/5 蛯名武五郎 増本勇 岡本治一
第21回 1954年5月23日 ゴールデンウエーブ 牡3 2:34 4/5 岩下密政 藤本冨良 川俣欣也
第22回 1955年5月29日 オートキツ 牡3 2:36 3/5 二本柳俊夫 大久保房松 川口鷲太郎
第23回 1956年6月3日 ハクチカラ 牡3 2:36 1/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第24回 1957年5月26日 ヒカルメイジ 牡3 2:31 0/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第25回 1958年5月25日 ダイゴホマレ 牡3 2:31 1/5 伊藤竹男 久保田金造 醍醐幸右衛門
第26回 1959年5月24日 コマツヒカリ 牡3 2:38 1/5 古山良司 大久保房松 小松重雄
第27回 1960年5月29日 コダマ 牡3 2:30.7 栗田勝 武田文吾 伊藤由五郎
第28回 1961年5月28日 ハクシヨウ 牡3 2:30.2 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第29回 1962年5月27日 フエアーウイン 牡3 2:31.2 高橋英夫 松山吉三郎 溝本儀三男
第30回 1963年5月26日 メイズイ 牡3 2:28.7 森安重勝 尾形藤吉 千明康
第31回 1964年5月31日 シンザン 牡3 2:28.8 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第32回 1965年5月30日 キーストン 牡3 2:37.5 山本正司 松田由太郎 伊藤由五郎
第33回 1966年5月29日 テイトオー 牡3 2:31.1 清水久雄 増本勇 北村平三郎
第34回 1967年5月14日 アサデンコウ 牡3 2:30.9 増沢末夫 藤本冨良 手塚栄一
第35回 1968年7月7日 タニノハローモア 牡3 2:31.1 宮本悳 戸山為夫 谷水信夫
第36回 1969年5月25日 ダイシンボルガード 牡3 2:35.1 大崎昭一 柴田寛 高橋金次
第37回 1970年5月24日 タニノムーティエ 牡3 2:30.0 安田伊佐夫 島崎宏 谷水信夫
第38回 1971年6月13日 ヒカルイマイ 牡3 2:31.6 田島良保 谷八郎 鞆岡達雄
第39回 1972年7月9日 ロングエース 牡3 2:28.6 武邦彦 松田由太郎 中井長一
第40回 1973年5月27日 タケホープ 牡3 2:27.8 嶋田功 稲葉幸夫 近藤たけ
第41回 1974年5月26日 コーネルランサー 牡3 2:27.4 中島啓之 勝又忠 久保谷唯三
第42回 1975年5月25日 カブラヤオー 牡3 2:28.0 菅原泰夫 茂木為二郎 加藤よし子
第43回 1976年5月30日 クライムカイザー 牡3 2:27.6 加賀武見 佐藤嘉秋 (有)三登
第44回 1977年5月29日 ラッキールーラ 牡3 2:28.7 伊藤正徳 尾形藤吉 吉原貞敏
第45回 1978年5月28日 サクラショウリ 牡3 2:27.8 小島太 久保田彦之 (株)さくらコマース
第46回 1979年5月27日 カツラノハイセイコ 牡3 2:27.3 松本善登 庄野穂積 桂土地(株)
第47回 1980年5月25日 オペックホース 牡3 2:27.8 郷原洋行 佐藤勇 ホース産業(株)
第48回 1981年5月31日 カツトップエース 牡3 2:28.5 大崎昭一 菊池一雄 勝本正男
第49回 1982年5月30日 バンブーアトラス 牡3 2:26.5 岩元市三 布施正 竹田辰一
第50回 1983年5月29日 ミスターシービー 牡3 2:29.5 吉永正人 松山康久 千明牧場
第51回 1984年5月27日 シンボリルドルフ 牡3 2:29.3 岡部幸雄 野平祐二 シンボリ牧場
第52回 1985年5月26日 シリウスシンボリ 牡3 2:31.0 加藤和宏 二本柳俊夫 和田共弘
第53回 1986年5月25日 ダイナガリバー 牡3 2:28.9 増沢末夫 松山吉三郎 (有)社台レースホース
第54回 1987年5月31日 メリーナイス 牡3 2:27.8 根本康広 橋本輝雄 浦房子
第55回 1988年5月29日 サクラチヨノオー 牡3 2:26.3 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース
第56回 1989年5月28日 ウィナーズサークル 牡3 2:28.8 郷原洋行 松山康久 栗山博
第57回 1990年5月27日 アイネスフウジン 牡3 2:25.3 中野栄治 加藤修甫 小林正明
第58回 1991年5月26日 トウカイテイオー 牡3 2:25.9 安田隆行 松元省一 内村正則
第59回 1992年5月31日 ミホノブルボン 牡3 2:27.8 小島貞博 戸山為夫 (有)ミホノインターナショナル
第60回 1993年5月30日 ウイニングチケット 牡3 2:25.5 柴田政人 伊藤雄二 太田美實
第61回 1994年5月29日 ナリタブライアン 牡3 2:25.7 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第62回 1995年5月28日 タヤスツヨシ 牡3 2:27.3 小島貞博 鶴留明雄 横瀬寛一
第63回 1996年6月2日 フサイチコンコルド 牡3 2:26.1 藤田伸二 小林稔 関口房朗
第64回 1997年6月1日 サニーブライアン 牡3 2:25.9 大西直宏 中尾銑治 宮崎守保
第65回 1998年6月7日 スペシャルウィーク 牡3 2:25.8 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第66回 1999年6月6日 アドマイヤベガ 牡3 2:25.3 武豊 橋田満 近藤利一
第67回 2000年5月28日 アグネスフライト 牡3 2:26.2 河内洋 長浜博之 渡辺孝男
第68回 2001年5月27日 ジャングルポケット 牡3 2:27.0 角田晃一 渡辺栄 齊藤四方司
第69回 2002年5月26日 タニノギムレット 牡3 2:26.2 武豊 松田国英 谷水雄三
第70回 2003年6月1日 ネオユニヴァース 牡3 2:28.5 M.デムーロ 瀬戸口勉 (有)社台レースホース
第71回 2004年5月30日 キングカメハメハ 牡3 2:23.3 安藤勝己 松田国英 金子真人
第72回 2005年5月29日 ディープインパクト 牡3 2:23.3 武豊 池江泰郎 金子真人
第73回 2006年5月28日 メイショウサムソン 牡3 2:27.9 石橋守 瀬戸口勉 松本好雄
第74回 2007年5月27日 ウオッカ 牝3 2:24.5 四位洋文 角居勝彦 谷水雄三
第75回 2008年6月1日 ディープスカイ 牡3 2:26.7 四位洋文 昆貢 深見敏男
第76回 2009年5月31日 ロジユニヴァース 牡3 2:33.7 横山典弘 萩原清 久米田正明
第77回 2010年5月30日 エイシンフラッシュ 牡3 2:26.9 内田博幸 藤原英昭 平井豊光
第78回 2011年5月29日 オルフェーヴル 牡3 2:30.5 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング

東京優駿(日本ダービー)東京優駿の記録

レースレコード – 2:23.3(第71回優勝馬キングカメハメハ・第72回優勝馬ディープインパクト)
2着との最大着差 – 8馬身(第10回優勝馬セントライト・第22回優勝馬オートキツ)
最高出走数 – 33頭(第20回)
単勝最高支持率 – 73.4%(第72回ディープインパクト・単勝1.1倍)
単勝最低支持率勝利 – 72票(第16回優勝馬タチカゼ・単勝554.3倍・19番人気)
東京競馬場の1日の総入場者数 – 19万6571人(競馬の総入場者数世界最高記録・第57回)
東京競馬場の1競走の勝馬投票券最高売上げ – 567億8692万400円(第57回)
最多勝利調教師 – 尾形藤吉(旧名・景造) 8勝(第3・5・12・19・23・28・30・44回)
最多勝利騎手 – 武豊 4勝(第65・66・69・72回)
最年少勝利騎手 – 前田長吉 20歳3か月(第12回)
日本中央競馬会成立以後に限ると、第38回を優勝した田島良保の23歳7か月。
最年長勝利騎手 – 増沢末夫 48歳7か月(第53回)
連覇騎手 – 武豊(第65・66回)、四位洋文(第74・75回) それぞれ2連覇
最多勝利種牡馬 – トウルヌソル 6勝(第1回ワカタカ、第5回トクマサ、第6回ヒサトモ、第8回クモハタ、第9回イエリユウ、第12回クリフジ)、サンデーサイレンス 6勝(第62回タヤスツヨシ、第65回スペシャルウィーク、第66回アドマイヤベガ、第67回アグネスフライト、第70回ネオユニヴァース、第72回ディープインパクト)


東京優駿(日本ダービー) 史上初あれこれ

無敗のダービー馬 – フレーモア(第3回)
牝馬による制覇 – ヒサトモ(第6回)
父持込馬 – カイソウ(第13回)
2勝した騎手 – 橋本輝雄(第13・17回)
公営出身馬 – ゴールデンウエーブ(第21回)
持込馬 – ヒカルメイジ(第24回)
1競走の勝馬投票券売上げ100億円初突破 – 118億7436万円(第41回)
父子騎手による制覇
父:中島時一(第6回 ヒサトモ)/子:中島啓之(第41回 コーネルランサー)
父子調教師による制覇
父:松山吉三郎(第29回 フエアーウイン)/子:松山康久(第50回 ミスターシービー)
騎手・調教師両方で制覇(兼任除く) – 橋本輝雄(騎手:第13・17回、調教師:第54回)
芦毛馬 – ウィナーズサークル(第56回)
連覇した騎手 – 武豊(第65・66回)
3勝以上した騎手 – 武豊(第65・66・69・72回)
外国人騎手による制覇 – ミルコ・デムーロ(第70回)
地方競馬出身騎手による制覇 – 安藤勝己(第71回)
所有馬が連覇した馬主 – 金子真人(第71・72回)[注 15]
牡馬・牝馬の両方で制覇した騎手 – 四位洋文(第74・75回)

東京優駿(日本ダービー) 父仔制覇

「ダービー馬はダービー馬から(生まれる)」と言う競馬界での格言があり、東京優駿父仔優勝は6組が達成している。
組 父馬名      優勝回 仔馬名     優勝回
1組目 カブトヤマ 第2回 マツミドリ 第14回
2組目 ミナミホマレ 第11回 ゴールデンウエーブ 第21回
3組目 ミナミホマレ 第11回 ダイゴホマレ 第25回
4組目 シンボリルドルフ 第51回 トウカイテイオー 第58回
5組目 タニノギムレット 第69回 ウオッカ 第74回
6組目 ネオユニヴァース 第70回 ロジユニヴァース 第76回

このうちタニノギムレット – ウオッカの組み合わせは唯一の父と娘との組み合わせである。
また4組目のシンボリルドルフとトウカイテイオーはともにデビュー以来無敗での東京優駿制覇であり、皐月賞と併せてデビュー以来無敗での春のクラシック二冠制覇である。

東京優駿に出走して敗れた馬の産駒が東京優駿を制しているのは

父馬名     出走回 着順 仔馬名      優勝回
トサミドリ 第16回 7着 コマツヒカリ 第26回
ハイセイコー 第40回 3着 カツラノハイセイコ 第46回
トウショウボーイ 第43回 2着 ミスターシービー 第50回

の3組ある。他にも東京優駿不出走の日本調教馬が父として産駒が東京優駿を制した例として、

父馬名       仔馬名   優勝回
マルゼンスキー サクラチヨノオー 第55回
アグネスタキオン ディープスカイ 第75回
ステイゴールド オルフェーヴル 第78回
がある(外国調教馬、未出走の馬を除く)。

東京優駿(日本ダービー) 兄弟制覇

過去に2組の兄弟制覇(競馬でいう兄弟は同母に限る)の例がある。
組 兄馬名      優勝回 弟馬名      優勝回 母馬名
1組目 カブトヤマ 第2回 ガヴアナー 第4回 アストラル
2組目 ヒカルメイジ 第24回 コマツヒカリ 第26回 イサベリーン
なお、1組目のカブトヤマとガヴアナーは父馬も同じ全兄弟である。

東京優駿(日本ダービー) デビューから無敗制覇

過去に10頭がデビューから無敗で東京優駿を制覇しているが、ガヴアナー、トキノミノルは東京優駿後は不出走。クリフジは11戦無敗を保った。

優勝回 馬名 東京優駿    終了時の成績 生涯成績
1 第3回 フレーモア 3戦3勝 13戦7勝
2 第4回 ガヴアナー 3戦3勝 3戦3勝
3 第12回 クリフジ 3戦3勝 11戦11勝
4 第18回 トキノミノル 10戦10勝 10戦10勝
5 第27回 コダマ 7戦7勝 17戦12勝
6 第51回 シンボリルドルフ 6戦6勝 16戦13勝
7 第58回 トウカイテイオー 6戦6勝 12戦9勝
8 第59回 ミホノブルボン 6戦6勝 8戦7勝
9 第63回 フサイチコンコルド 3戦3勝 5戦3勝
10 第72回 ディープインパクト 5戦5勝 14戦12勝

東京優駿(日本ダービー) 騎手の父子制覇

組 父 優勝回 子     優勝回
1組目 中島時一 第6回(ヒサトモ) 中島啓之 第41回(コーネルランサー)
2組目 伊藤正四郎 第5回(トクマサ) 伊藤正徳 第44回(ラッキールーラ)
3組目 武邦彦 第39回(ロングエース) 武豊 第65回(スペシャルウィーク)、第66回(アドマイヤベガ)、
第69回(タニノギムレット)、第72回(ディープインパクト)

東京優駿(日本ダービー) 調教師の父子制覇

組 父      優勝回      子 優勝回
1組目 松山吉三郎 第29回(フエアーウイン)、第53回(ダイナガリバー) 松山康久 第50回(ミスターシービー)、第56回(ウィナーズサークル)
2組目 池江泰郎 第72回(ディープインパクト) 池江泰寿 第78回(オルフェーヴル)

東京優駿(日本ダービー)からの菊花賞の制覇

東京優駿(日本ダービー)エピソード

東京優駿(日本ダービー) 優勝馬

本競走の優勝馬の中にはその後故障による早期引退や成績不振に喘いでいる馬が多いのに対し(グレード制導入の1984年以降の勝ち馬で古馬になってからもGI競走を制したのはシンボリルドルフ(1984年)・トウカイテイオー(1991年)・スペシャルウィーク(1998年)・ディープインパクト(2005年)・メイショウサムソン(2006年)・ウオッカ(2007年)の6頭のみ[注 16])、2着入賞馬はその後1着馬以上に活躍・出世するケースが近年顕著になってきている。1984-2010年の2着入賞馬27頭のうち実に15頭がその後GI競走を制しており、さらにその内のメジロライアン(1990年)・ライスシャワー(1992年)・ビワハヤヒデ(1993年)・ジェニュイン(1995年)・シルクジャスティス(1997年)[注 17]・ダンツフレーム(2001年)・シンボリクリスエス(2002年)・ゼンノロブロイ(2003年)・ハーツクライ(2004年)・ローズキングダム(2010年)の10頭が古馬GI競走を制している[注 18][注 19]。

優勝馬の血統面に関しては、トニービンの初年度産駒がクラシック世代に到達した1993年以降、1996年のフサイチコンコルドと2004年のキングカメハメハと2006年のメイショウサムソン、2010年のエイシンフラッシュ以外は三大種牡馬(サンデーサイレンス・トニービン・ブライアンズタイム)の直仔・孫が優勝している。2003年のダービーではサンデーサイレンス系(直仔または孫)の馬が掲示板を独占することとなり、2011年のダービーでは、出場する全頭がサンデーサイレンスの孫となった。
2005年までの段階でデビュー戦を小倉競馬場で迎えた競走馬が東京優駿を制した例はなかったが、2006年の本競走においてメイショウサムソンが小倉デビューの競走馬として史上初めて優勝した。
競走馬輸送を行う日本馬匹輸送自動車は馬運車に東京優駿の歴代優勝馬の名前をつけている(最近は名前が足りなくなり顕彰馬の名前をつけているものもある)。

東京優駿(日本ダービー) 優勝騎手・調教師

長年ダービーの最多勝利ジョッキーは2勝が大多数で連覇達成もなかなかできない状態だったが1998年に初優勝を達成した武豊が1999年に史上初の2連覇、2002年に新記録の通算3勝目(2005年に4勝に伸ばしこれが現状のレースレコード)を達成した。なお連覇は2008年まで武豊と四位洋文(2007、2008年)しか達成していない。

2011年現在、中央競馬のクラシック競走で唯一、連覇した調教師がいない。本競走を8勝した尾形藤吉でさえ成し得なかった。

2006年12月、1997年にサニーブライアンで制した大西直宏が騎手を引退したことにより美浦トレーニングセンターに所属する現役ダービージョッキーが不在になる事態となり[注 20]、2009年に横山典弘がロジユニヴァースで勝つまで続いた。横山の勝利まで美浦トレーニングセンター、またそれ以前の関東圏の競馬場に厩舎が所属していた時代も含めて関東圏に籍を置く現役ダービージョッキーが不在になるという事態は日本近代競馬のクラシック路線の成立後、史上初の事態であった。

東京優駿(日本ダービー) 特別仕様

中央競馬の3歳クラシック競走ではゼッケンは紺地に黄色の数字のものを使用するが、本競走に限り第1回から変更されることなく一般競走と同様の白地に黒の数字のものを用いている。ただし1994年から一般競走のそれと異なり、金糸による縁取りが施されている。また馬番の下に記載されるものはスタンド側から見えるものについては馬名、内馬場側から見えるものについては第○○回日本ダービーの表示である。なお、その他のGI競走で使用されるゼッケンは紺地に白色の数字を用いたものである。また、馬名が併記されるようになったのは1988年以降である(それまでは馬名入りゼッケンはジャパンカップ(1983年の第3回より使用)のみであった)。
発走ゲートもダービー特別版。ゲートの上には日本ダービーと書かれている。

東京優駿(日本ダービー) レースと枠順

フルゲートが20頭台後半(1970年代で概ね28頭。多い年は30頭を超すこともあった)であった1990年頃まではテレビによく映るからとの理由で距離がもたないと分かりながらも大逃げを打つテレビ馬と呼ばれる馬が存在した。そのため東京優駿は概ねハイペースとなった。またその頃まで出走頭数が多かったこともあり第1コーナーに入る時点での10番手以内は「ダービーポジション」と呼ばれ、大外枠(8枠)あるいはゼッケン20番以上(6枠制時代)の馬は勝てないという格言もあった。これが破られたのはフルゲートが20頭となった1991年で、この年の勝ち馬トウカイテイオーの枠番は8枠20番だった。1992年からは馬番連勝複式勝馬投票券の導入に伴う法令上の都合から、これまで上限のなかった出走頭数に上限が設定されるようになり、最大18頭までの出走となっている。

8枠が1番人気となったことは過去にサッカーボーイ(1988年に8枠22番で1番人気)などの例があった。
同競走史上最外枠で優勝したのは1977年のラッキールーラ(28頭中7枠24番)であり、また参考記録としては6枠時代の1948年にはミハルオー(3枠8番で1番人気)が枠入不良のため23頭立ての外枠発走となったものの快勝した例がある。またこれも6枠制時代であるが、1961年のメジロオーが32番の超大外枠で出走し2着に敗れたものの1着馬にハナ差まで追い込んで健闘した例もあり、これが東京優駿史上最外枠の2着入線である。
2008年から2010年にかけて最内枠である1枠1番の馬が3連覇。この記録は他のGI競走での例がない。
ダービーフェスティバル [編集]

東京優駿の開催気運を盛り上げるために1983年から毎年開かれている日本中央競馬会主催のイベントである。
毎年、東京優駿が開催される週(原則5月最終日曜日)の月曜日に東京都内で開かれるこのイベントでは、その年の東京優駿に出走が予定されている注目馬の騎手や競馬愛好家のタレント、新聞・放送マスコミに携わる競馬ジャーナリストが一堂に会し東京優駿のレース展望会や騎手インタビュー、クイズ大会などで盛り上がっている。なお2005年度は主催者の都合により都内ではこのイベントは行わずに、東京競馬場内でのサービスの拡充に費やした。
またダービーを題材にしたイベントが主としてダービーウィークの平日を中心に全国各地で展開されており、新潟市において「ダービーフェスティバル(西暦年数)」が新潟競馬場・新潟放送の共催で毎年行われる。なお、現在イベントの形で残っているダービーフェスティバルはこの新潟で行われているものだけである。2005年度は2004年の有馬記念フェスティバルを受けて新潟でも元JRA職員で格闘家の小川直也が招かれた。

東京優駿(日本ダービー) 開催当日のほかの競走

中央競馬ではほとんどのGI競走は第11競走で施行される[注 21]が、東京優駿当日は全体の競走数ならびにメインとなる本競走の競走番号が他の競走と異なる[注 22]。1989〜2001年までは当日は全部で10競走で東京優駿は第9競走で行われていた。2002年からは全体で1競走増加し当日は11競走行われ、東京優駿は第10競走で行われていた。2006年からは東京優駿当日についても全体で12競走行われるようになり最終第12競走に目黒記念を薄暮競走として実施するようになったが[注 23]、東京優駿は2005年までと同様第10競走で行われており、通常の日程と勘違いして勝馬投票券を第11競走のものを購入してしまう観客も毎年のように見られる。また馬券を発売している施設ではその旨注意の喚起放送が繰り返される。
現在の中央競馬では草木の名前を冠した競走は3歳(あるいは2歳)馬限定で行われるが、本競走の前に行われる「むらさき賞」に限っては例外で4歳以上の競走として施行される。
1988年より本競走開催日を「ダービーデー」と称し、東京優駿制覇騎手のみが騎乗出来るダービージョッキーズステークスと東京優駿優勝馬の産駒のみが出走できるダービースタリオンズステークス(ともに準オープン)という競走が開催されていたが、ともに出走対象が激減したために現在は廃止された。
地方競馬での各地の3歳馬頂点を決めるとともにジャパンダートダービー出場をかけたダービーWeekの初日が2008年以後、この東京優駿と同日開催となる傾向がある。

東京優駿(日本ダービー) その他

日本競馬最大のイベントであるということで、毎回レースの発走前に君が代(日本国歌)を斉唱するイベントがある。この斉唱は声楽家だけでなく、年度により日本を代表する歌手(過去に北島三郎、和田アキ子、小林幸子ら)が行う。
例年、東京優駿のファンファーレ、表彰式の演奏は陸上自衛隊中央音楽隊が担当している(他にもジャパンカップや年度にもよるが有馬記念でも同様に演奏を担当している場合がある)。なお、ファンファーレは競走の出走可能頭数と同じ18人で演奏する。

東京優駿(日本ダービー) 脚注

東京優駿(日本ダービー) 注釈
[ヘルプ]
^ 1961年(昭和36年)の主要大レースの賞金は東京優駿が700万円。天皇賞、有馬記念、菊花賞が500万円。皐月賞、優駿牝馬が400万円。桜花賞、中山大障害が300万円。宝塚記念が200万円。安田記念が150万円。一般重賞は100万円前後であった。
^ 公式な名称には付されていないものの1932年(昭和7年)の設立当初より「日本ダービー」と呼ばれ、後述のラジオ中継でも終始「日本ダービー」と称されている。
^ 安田は明治の競馬創設期より日本ダービー開催の構想を抱いており1923年(大正12年)の競馬法発布の頃から本競走の開催を企図したが、当時は国内の有力な競走馬生産牧場が宮内省の下総御料牧場と三菱財閥の小岩井農場に限られており他の民間の有力牧場が育つまで時期を待っていた。
^ 「新馬」と「古馬」の区別は馬齢ではなく出走経験の有無に拠っていた。
^ 多い年では30頭を超す出走頭数があり、有力でも他馬が邪魔になったり抽選で外側や内側の発走枠となると大きな不利を被った。
^ 1934年(昭和9年)、前年の優勝馬を相手に前走でレコード勝ちした3戦無敗のミラクルユートピアが本競走当日の朝に脱臼し引退となった。
^ ほかにも、1935年(昭和10年)のガヴァナーや1951年(昭和26年)のトキノミノルは本競走優勝後に急逝している。もちろん実際には本競走に限らずこうしたアクシデントは常に起きているが、こうしたフレーズができるほど本レースが特別に世間一般の耳目を集める顕れである。
^ 2002~03年の大規模改修など
^ このため1968年(昭和43年。スタンド改修工事による開催延期)と1972年(昭和47年。馬インフルエンザ蔓延で関東での開催が一時中止になったうえに厩務員ストライキも行われた為)に関しては本来の5月に皐月賞が行われ、ダービーは7月に開催時期を延期しており「七夕ダービー」といわれる。
^ 時期によって異なるが日本国外で種付され日本国内で出産された馬、日本国外で生産された馬、日本国外で調教された馬が制限の対象となってきた。
^ 単に有馬記念やジャパンカップ、年度代表馬は同じ馬が複数年に名が出る可能性があるのに対し本競走の優勝馬は必ず毎年変わるという、実際上の利便性によるという事情もある。
^ JRAの競馬場においては再入場する際には新たに入場券が必要となること(地方競馬では再入場する際は退場時に再入場券を取得すれば新たに入場券を購入する必要はない)、また東京優駿発走前に退場したものも少なからずいるため東京優駿発走時に19万人が競馬場に滞留していたわけではないことに留意すべきである。
^ 優勝馬オルフェーヴルがサンデーレーシング、2着馬ウインバリアシオンがウインレーシングクラブ、3着馬ベルシャザールが社台レースホース
^ 出走18頭中、16頭が父方の祖父に、2頭が母方の祖父にサンデーサイレンスを持つ。
^ 実質的には第51・52回の和田共弘・シンボリ牧場の例がある。
^ ダイナガリバー(1986年)とナリタブライアン(1994年)はその後のGI制覇が3歳(旧4歳)時の制覇のみで古馬になってからのGI制覇はない(ダイナガリバーは有馬記念、ナリタブライアンは菊花賞と有馬記念)。
^ ただし、シルクジャスティスは3歳(旧4歳)時に古馬GI競走(有馬記念)を制しているが古馬になってからのGI制覇はない。
^ レオダーバン(1991年)・ダンスインザダーク(1996年)・ナリタトップロード(1999年)・エアシャカール(2000年)・アサクサキングス(2007年)はその後菊花賞を制したが古馬GIを制していない。
^ 1997年と2003年は3着馬もGI競走を制している(メジロブライト(1997年)は1998年の天皇賞(春)、ザッツザプレンティ(2003年)は同年の菊花賞)。
^ 1998年以降2008年まで11年連続で栗東トレーニングセンター所属の騎手(2003年優勝ミルコ・デムーロも優勝時は関西から参戦)が勝利した。大西直宏以前は1993年の柴田政人)
^ 1日の競走数が12にほぼ固定されるようになった1998年以降。
^ 他にジャパンカップ(例年第10競走だが2004年は第11競走)と有馬記念(1988年から2007年まで第9競走だったが2008年からは第10競走)開催日は競走数が少ない。
^ 但し2011年は東日本大震災の影響で薄暮開催はなし。目黒記念は前日(5月28日)に実施。東京優駿は第11競走で行われた。

東京優駿(日本ダービー) 参考文献

『日本競馬史』 日本中央競馬会、1969年。
長森貞夫 『安田伊佐衛門翁傳』 日本競馬舎、1948年。

高松宮記念ってどんなレース?

高松宮記念の基本情報

第39回高松宮記念
主催者 日本中央競馬会
開催地 中京競馬場
施行時期 3月下旬
(原則1回中京8日目)
格付け GI
1着賞金 9500万円
賞金総額 1億8050万円
距離 芝1200m
出走条件 サラブレッド系4歳以上(国際)(指定)

負担重量 定量(57kg、牝馬2kg減)
第1回施行日 1971年6月27日

高松宮記念(たかまつのみやきねん)は中京競馬場の芝1200メートルで行われる中央競馬の重賞(GI)競走。 1997年までの競走名は高松宮杯で、この年まで皇族の高松宮家から優勝杯を賜与されていた。一部の競馬ファンや解説者からは「宮記念」や旧称の高松宮杯から「宮杯」と通称されている。
正賞は名古屋市長賞、名古屋競馬株式会社賞、日本馬主協会連合会会長賞、グローバル・スプリント・チャレンジ賞。

高松宮記念 概要

中央競馬のGIでは唯一4大場(東京・中山・京都・阪神)以外で開催されているレースである(代替開催時を除く[1])。
1967年から1970年に施行されていた中京大賞典を前身とし、1970年に高松宮宣仁親王から優勝杯を賜与されたのを機に、1971年に4歳(現3歳)以上・混合・別定の重賞競走高松宮杯として新設、中京競馬場の芝2000mで施行された[2]。
中京競馬場では最も格の高い競走に位置付けされ盛大な盛り上がりを見せ、中でも第4回のハイセイコー、第18回のオグリキャップが出走した時は中京競馬場の1日の総入場者数の上位を記録している[3]。更には中京競馬場で勝馬投票券の売上げが最も多い競走でもある。

1984年にはグレード制施行によりGIIに格付け、GIに昇格する前年の1995年までGIIで最も格の高い及び夏競馬の最重要競走として定着していった。また1989年からは混合競走に指定され、外国産馬の出走が可能になった。
1996年からは中央競馬における短距離路線の再整備に伴い、秋のスプリンターズステークスと対になる春の短距離最強馬を決める芝1200mのGI競走に昇格、中央競馬の主要4競馬場(東京競馬場・中山競馬場・京都競馬場・阪神競馬場)以外で初めてのGI競走となった。また指定競走に指定され地方所属の競走馬も出走が可能になり、中距離競走としての機能は金鯱賞へと引き継がれた。移行1年目のレースでは三冠馬ナリタブライアンが出走し、色々な意味で注目もされた(結果は4着)。
1998年からは高松宮杯競輪において宮家に支払われていた謝礼金が皇室経済法違反との問題となり、本年以降からは高松宮家から優勝杯が下賜されなくなったため、競輪と足並みを揃えるように以前から競艇でも使用されていた高松宮記念へと名称を変更した[4]。

2000年からは短距離路線の見直しを図るため5月から3月の開催に繰り上げられ、それに伴い出走資格を5歳(現4歳)以上に変更、更に中山競馬場と阪神競馬場と共に3場開催となり、いわゆる「裏開催」である第3場開催では唯一のGI競走となった。
2001年からは国際競走に指定された。2011年よりグローバル・スプリント・チャレンジに参加、本競走は第2戦に組み込まれている。
現在の優勝レイは紫色地に金色文字の配色。本競走のルーツにちなみ、レイの上部には皇室の紋章である菊の模様が刺繍されている。

高松宮記念 出走資格

原則サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬及び外国調教馬(9頭まで)、出走枠は18頭まで。
JRA所属競走馬は以下の順で出走馬を決定する。(地方馬でGI1着に入った競走馬も含む。)
外国で行われたグローバルスプリントチャレンジ対象競走で2着以内に入った競走馬。
レーティング順位の上位5頭。(2012年より。牡馬・セン馬は110ポンド、牝馬は106ポンド以上であることが条件)
「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI(JpnI)競走の収得賞金」の総計が多い順。
地方競馬所属馬は以下の競走のいずれかで所定の成績をあげると本競走に出走できる。
競走名 格付 施行競馬場 施行距離 必要な着順 備考
阪急杯 GIII 阪神競馬場 芝1400m 1・2着 本競走のステップ競走指定
オーシャンステークス GIII 中山競馬場 芝1200m
グローバルスプリントチャレンジ対象競走
(外国で行われる競走に限る。)

高松宮記念 負担重量

定量で牡馬・セン馬は57kg、牝馬2kg減の55kgである。
GII時代は別定重量(1987年からグレード別定)、GIに格上げされ、3歳馬が出走可能だった第26回から第29回までは3歳馬は53kg(牝馬は51kg)に設定されていた。

高松宮記念 コース

高松宮記念 旧コース

1996年から2010年までの旧・芝1200mコースではスタート地点は2コーナー出口付近。向正面を通り中間点となる「⑥」のハロン棒を通過。最終の直線を通ってゴールとなる。この間の所要時間は僅か70秒。直線が短く坂もない(厳密にはゴール前200mは緩い上り坂になっている)短距離レースではあるが逃げ・先行馬が勝ちにくく、逃げ切って勝ったのは15年間でショウナンカンプ・ローレルゲレイロの2頭のみである。

高松宮記念 新コース

2012年からの新・芝1200mコースでは向正面からスタートし、3コーナーまでなだらかな下りが続く。長さ412mの最後の直線では、ゴール板まで残り約350m地点から2mの急勾配がある。

高松宮記念 賞金

グレード制が施行された第14回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金      1着      2着      3着      4着 5着
第14回(1984年) 8,180万円 4,300万円 1,700万円 1,100万円 650万円 430万円
第15回(1985年) 8,400万円 4,400万円 1,800万円 1,100万円 660万円 440万円
第16回(1986年) 8,530万円 4,500万円 680万円 450万円
第17回(1987年) 9,100万円 4,800万円 1,900万円 1,200万円 720万円 480万円
第18回(1988年) 9,900万円 5,200万円 2,100万円 1,300万円 780万円 520万円
第19回(1989年) 1億830万円 5,700万円 2,300万円 1,400万円 860万円 570万円
第20回(1990年) 1億1,400万円 6,000万円 2,400万円 1,500万円 900万円 600万円
第21回(1991年) 1億2,330万円 6,500万円 2,600万円 1,600万円 980万円 650万円
第22回(1992年) 1億3,090万円 6,900万円 2,800万円 1,700万円 1,000万円 690万円
第23回(1993年)
第24回(1994年)
第25回(1995年)
第26回(1996年) 1億7,940万円 9,400万円 3,800万円 2,400万円 1,400万円 940万円
第27回(1997年)
第28回(1998年)
第29回(1999年)
第30回(2000年)
第31回(2001年)
第32回(2002年)
第33回(2003年)
第34回(2004年)
第35回(2005年)
第36回(2006年) 1億8,050万円 9,500万円 950万円
第37回(2007年)
第38回(2008年)
第39回(2009年)
第40回(2010年)
第41回(2011年)
第42回(2012年)

高松宮記念 歴史

高松宮記念 中距離競走(芝2000m)時代

1971年 – 中京競馬場の芝2000mの4歳(現3歳)以上の別定の重賞競走・高松宮杯として創設。
1974年 – 元地方大井所属のハイセイコーがJRA転厩馬として史上初の優勝。
1979年 – 京都競馬場の改修工事による振替開催により阪神競馬場の芝2000mで施行。
1983年 – 第11回優勝馬ハギノトップレディの半弟・ハギノカムイオーが優勝、史上初の姉弟制覇。
1984年 – グレード制施行によりGIIに格付け。
1987年 – 開催時期を6月から7月に変更。
1988年 – 元地方笠松所属のオグリキャップがJRA転厩馬として史上2頭目の優勝。
1989年
混合競走に指定。
河内洋が騎手として史上初の連覇。
1993年 – 中京競馬場の改修工事により京都競馬場の芝2000mで施行。

高松宮記念 短距離競走(芝1200m)時代
1996年
格付けをGIIからGIに昇格。
施行距離を芝1200mに変更。
開催時期を7月から5月に変更。
指定交流競走に指定され、地方馬にも門戸が開かれる。
負担重量を定量に変更(3歳牡馬・セン馬は53kg、4歳以上牡馬・セン馬は57kg、牝馬は2kg減に設定)。
1998年
名称を現在の高松宮記念に変更。
安田修が馬主として史上初の連覇。
2000年
開催時期を5月から3月末に変更。
出走資格が「4歳(現3歳)以上」から「5歳(現4歳)以上」に変更。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる。
2003年 – 外国馬が初めて出走(ディスタービングザピースとエコーエディ)。地方所属馬も初出走となる(ネイティヴハート(船橋))。
安藤勝己が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
2007年
国際GIに格付け。
日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が9頭に拡大。
2009年 – 第30回優勝馬キングヘイローの仔・ローレルゲレイロが優勝、史上初の父仔制覇。
2011年
中京競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝1200mで施行[5]、毎日杯と同日開催になる[6]
グローバル・スプリント・チャレンジに参加、第2戦に組み込まれる。
3月11日に発生した東日本大震災を受け、「東北関東大震災被災地支援競馬」として実施。
キンシャサノキセキが本競走初の連覇を達成すると共に、中京・阪神の両方の開催地で制覇。
堀宣行が調教師として史上初の連覇。
4位入線のダッシャーゴーゴーが進路妨害により11着に降着。
2012年 – 出走馬選定方法が変わり、レーティングで上位5頭に優先出走を認める。

高松宮記念 歴代優勝馬

高松宮記念 中距離競走(芝2000m)時代

回数  施行日        優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1971年6月27日 シュンサクオー 牡5 2:00.1 飯田明弘 小林稔 岩佐俊策
第2回 1972年6月25日 ジョセツ 牝5 2:01.8 岡部幸雄 鈴木清 中村勝五郎
第3回 1973年6月24日 タケデンバード 牡4 2:01.0 蓑田早人 稲葉秀男 武市伝一
第4回 1974年6月23日 ハイセイコー 牡4 2:00.4 増沢末夫 鈴木勝太郎 (株)ホースマンクラブ
第5回 1975年6月22日 イットー 牝4 2:00.2 簗田善則 田中好雄 (有)荻伏牧場
第6回 1976年6月27日 フジノパーシア 牡5 2:01.3 大崎昭一 柴田寛 真田繁次
高橋金次
第7回 1977年6月26日 トウショウボーイ 牡4 2:03.8 武邦彦 保田隆芳 トウショウ産業(株)
第8回 1978年6月25日 ヤマニンゴロー 牡4 2:03.2 古川隆文 諏訪佐市 土井宏二
第9回 1979年6月24日 ネーハイジェット 牡3 1:59.8 松本善登 布施正 (株)大丸企業
第10回 1980年6月22日 リンドプルバン 牡4 2:01.1 田原成貴 見上恒芳 (株)デルマークラブ
第11回 1981年6月28日 ハギノトップレディ 牝4 2:01.8 伊藤清章 伊藤修司 日隈広吉
第12回 1982年6月27日 カズシゲ 牡5 2:00.5 田原成貴 須貝彦三 (株)ホースメン
第13回 1983年6月26日 ハギノカムイオー 牡4 2:01.1 伊藤清章 伊藤修司 日隈広吉
中村和夫
第14回 1984年6月24日 キョウエイレア 牡5 2:03.9 田島信行 久保田金造 松岡正雄
第15回 1985年6月23日 メジロモンスニー 牡5 2:03.5 清水英次 大久保正陽 メジロ商事(株)
第16回 1986年6月22日 ラグビーボール 牡3 2:01.3 河内洋 田中良平 小田切有一
第17回 1987年7月12日 ランドヒリュウ 牡5 1:59.8 村本善之 小林稔 木村善一
第18回 1988年7月10日 オグリキャップ 牡3 1:59.0 河内洋 瀬戸口勉 佐橋五十雄
第19回 1989年7月9日 メジロアルダン 牡4 1:58.9 河内洋 奥平真治 (有)メジロ牧場
第20回 1990年7月8日 バンブーメモリー 牡5 1:59.4 武豊 武邦彦 武田辰一
第21回 1991年7月7日 ダイタクヘリオス 牡4 1:59.4 加用正 梅田康雄 中村雅一
第22回 1992年7月12日 ミスタースペイン 牡4 2:00.6 石橋守 橋口弘次郎 架谷外茂次
第23回 1993年7月11日 ロンシャンボーイ 牡4 1:59.0 清山宏明 小原伊佐美 清岡政徳
山本次郎
第24回 1994年7月10日 ナイスネイチャ 牡6 2:00.7 松永昌博 松永善晴 豊嶌泰三
第25回 1995年7月9日 マチカネタンホイザ 牡6 2:02.6 柴田善臣 伊藤雄二 細川益男


高松宮記念 短距離競走(GI・芝1200m)時代

回数 施行日      優勝馬     性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第26回 1996年5月19日 フラワーパーク 牝4 1:07.4 田原成貴 松元省一 吉田勝己
第27回 1997年5月18日 シンコウキング 牡6 1:08.0 岡部幸雄 藤沢和雄 安田修
第28回 1998年5月24日 シンコウフォレスト 牡5 1:09.1 四位洋文 栗田博憲 安田修
第29回 1999年5月23日 マサラッキ 牡6 1:08.0 藤田伸二 増本豊 丸井正貴
第30回 2000年3月26日 キングヘイロー 牡5 1:08.6 柴田善臣 坂口正大 浅川吉男
第31回 2001年3月25日 トロットスター 牡5 1:08.4 蛯名正義 中野栄治 高野稔
第32回 2002年3月24日 ショウナンカンプ 牡4 1:08.4 藤田伸二 大久保洋吉 国本哲秀
第33回 2003年3月30日 ビリーヴ 牝5 1:08.1 安藤勝己 松元茂樹 前田幸治
第34回 2004年3月28日 サニングデール 牡5 1:07.9 福永祐一 瀬戸口勉 後藤繁樹
第35回 2005年3月27日 アドマイヤマックス 牡6 1:08.4 武豊 橋田満 近藤利一
第36回 2006年3月26日 オレハマッテルゼ 牡6 1:08.0 柴田善臣 音無秀孝 小田切有一
第37回 2007年3月25日 スズカフェニックス 牡5 1:08.9 武豊 橋田満 永井啓弍
第38回 2008年3月30日 ファイングレイン 牡5 1:07.1 幸英明 長浜博之 (有)社台レースホース
第39回 2009年3月29日 ローレルゲレイロ 牡5 1:08.0 藤田伸二 昆貢 (株)ローレルレーシング
第40回 2010年3月28日 キンシャサノキセキ 牡7 1:08.6 四位洋文 堀宣行 吉田和美
第41回 2011年3月27日 キンシャサノキセキ 牡8 1:07.9 U.リスポリ 堀宣行 吉田和美

高松宮記念の記録

レースレコード – 1:07.1[7](第38回優勝馬ファイングレイン)
2着との最大着差 – 3 1/2馬身(第32回優勝馬ショウナンカンプ)
最高齢勝利 – 8歳(第41回優勝馬キンシャサノキセキ)
最多勝利騎手 – 3勝 藤田伸二(第29、32、39回)- すべてGIで勝利。
武豊(第20、35、37回) – GI2勝。
柴田善臣(第25、30、36回) – GI2勝。GII時代最後の勝利騎手。
田原成貴(第10、12、26回) – GI1勝。GI昇格後最初の勝利騎手。
河内洋(第16、18、19回) – GIは勝利できず。
中京競馬場の1日の最高総入場者数 – 74,201人(第26回)
中京競馬場の1競走の最高馬券売上げ – 260億4,495万1,400円(第27回)

高松宮記念 父仔制覇

父馬名      優勝回 仔馬名     優勝回
キングヘイロー 第30回 ローレルゲレイロ 第39回

高松宮記念との短距離GI連覇

1996年から春の短距離最強馬決定戦として施行されているが優勝馬2頭が秋のスプリンターズステークスとの短距離GI連覇をしている。また第33回優勝馬ビリーヴは前年の第36回スプリンターズステークスとの連覇をしている。
なお、本競走の優勝馬が安田記念及び秋のマイルチャンピオンシップを連覇した例は2009年現在では一度もない。

回数 施行日         馬名 性齢 優勝競走
第26回 1996年5月19日 フラワーパーク 牝4 第30回スプリンターズステークス
第31回 2001年3月25日 トロットスター 牡5 第35回スプリンターズステークス
第39回 2009年3月29日 ローレルゲレイロ 牡5 第43回スプリンターズステークス

高松宮記念 脚注

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^ 第41回(2011年)は中京競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝1200mで施行。
^ JRAデータバンク 日本中央競馬会オフィシャルサイト
^ 1995年7月9日放映東海テレビ『ドリーム競馬』 吉村功コメント
^ 競艇でも以前は「高松宮杯」という名を使っていたが、1987年2月以降から競輪や中央競馬よりも早く「高松宮記念」に名称を変更していた。参考:高松宮殿下と住之江 日本財団電子図書館
^ 本来のコースである中京芝1200mのフルゲートは18頭(コース改修後も変更無し)だが、阪神芝1200mのフルゲートは16頭に制限されているため、この年のみフルゲートが16頭に縮小された。
^ サンケイスポーツと週刊Gallop(2010年9月掲載)によると、「平年の中京裏開催期間中の時期は小倉競馬場での振替が予定されているが、小倉で高松宮記念を開催することになると、関東馬が不利になると考えられる」(2010年9月24日付け)とある。阪神での開催は「高松宮杯」時代の1979年以来であるが短距離GIへの変更、また名称が「高松宮記念」となってからは初めて他の競馬場で行われる。
^ 中京競馬場のレコードタイムはコース改修により新たな基準タイムを設定しているが、高松宮記念のレースレコードに限り引き続き現行(旧コース)のレコードタイムが適用されている。なお新コースでの最高タイムは、レースレコードを更新していない場合は参考記録扱いとなる。参考:中京競馬場のレコードタイムの取扱いについて

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