飯田 祐史(いいだ ゆうじ、1974年11月18日 – )は、JRA栗東トレーニングセンター・飯田明弘厩舎に所属する騎手である。父は調教師の飯田明弘。
飯田祐史来歴
1993年、第9期生として競馬学校騎手課程を卒業しJRAの騎手免許を取得する。同期には伊藤直人、小林徹弥らがいる。
JRA初騎乗は3月6日阪神2R父の管理馬メイショウアルマダに騎乗し14着。同日6R、同じく父の管理馬マイネルアルファで勝利しJRA初勝利を挙げる。デビュー年は19勝を挙げ関西新人騎手賞を獲得している。
その後順調に勝利数を伸ばし1999年には自己最高となる42勝を記録。さらに夏の小倉リーディングも獲得などの実績により、秋にはマカオでの交流競走派遣騎手にも選出されている[1]。
同時期に飯田はブゼンキャンドルに騎乗し、トライアル競走で秋華賞への優先出走権を獲得しながら、先述の交流競走と日程が重なるため本番での鞍上を安田康彦に譲るという不運もあったが、後に「僕が乗っていたら安田さんのような思い切った騎乗はできなかった」と語っている[2]。
2000年にはメイショウオウドウとのコンビで大阪杯を制しJRA重賞初勝利を達成した他、同馬にてGI競走での最高着順を記録し、関西中堅騎手として活躍を続けるも、2002年2月レース中の落馬により右鎖骨々折及び左股関節脱臼の重傷を負う[3]。
当初全治6ヶ月と診断されながら3ヶ月の休養で復帰を果たし、この年重賞2勝を含む22勝を挙げているが、この負傷事故以降の勝利数は10勝台で推移している。
飯田祐史主な騎乗馬
メイショウオウドウ(2000年大阪杯、マイルチャンピオンシップ3着、2001年安田記念3着、鳴尾記念など)
メジロマイヤー(2002年きさらぎ賞)
アラタマインディ(2002年小倉記念)
飯田祐史騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1993年3月6日 1回阪神3日2R 4歳未勝利 メイショウアルマダ 15頭 10 14着
初勝利 1993年3月6日 1回阪神3日6R 4歳新馬 マイネルアルファ 11頭 4 1着
重賞初騎乗 1993年3月21日 1回阪神8日11R 4歳牝馬特別 ショウザンダイヤ 16頭 15 5着
重賞初勝利 2000年4月2日 2回阪神4日11R 大阪杯 メイショウオウドウ 16頭 1 1着
GI初騎乗 1993年11月14日 6回京都4日10R エリザベス女王杯 タカノプリマ 18頭 17 15着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1993年 19 28 28 342 .056 .137 .219
1994年 33 21 25 365 .090 .148 .216
1995年 28 25 26 339 .083 .156 .233
1996年 19 23 19 291 .065 .144 .210
1997年 17 20 24 298 .057 .124 .205
1998年 26 38 29 343 .076 .187 .271
1999年 42 51 41 481 .087 .193 .279
2000年 25 50 32 459 .054 .163 .233
2001年 33 28 27 438 .075 .139 .201
2002年 22 12 21 298 .074 .114 .185
2003年 15 15 21 333 .045 .090 .153
2004年 14 17 23 252 .056 .123 .214
2005年 7 15 16 249 .028 .084 .149
2006年 14 9 14 263 .053 .087 .141
2007年 5 8 4 185 .027 .070 .092
2008年 19 10 17 220 .086 .132 .209
2009年 16 15 17 251 .064 .124 .191
2010年 10 11 13 229 .044 .092 .148
中央 364 395 397 5636 .065 .135 .203
地方 9 8 10 77 .117 .221 .351
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安藤 光彰(あんどう みつあき、1959年1月5日 – )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンター所属(フリー)の騎手である。2007年2月までは笠松競馬場所属、同年3月から2009年1月までは美浦トレーニングセンター・菊川正達厩舎所属の騎手だった。当時の勝負服の服色は胴紫、白山形一本輪、袖黄。愛知県一宮市出身。同じくJRA騎手の安藤勝己は実弟、長男・安藤洋一は大井競馬場所属の騎手。
安藤光彰来歴
出生から幼少時までの姓は「北浦」であったが中学3年時に両親が離婚、母親に引き取られ「安藤」姓となる。両親は後に復縁したが復縁時には逆に父親が安藤籍に入った為、本名は現在でも「安藤光彰」である[1]。
初騎乗は1976年10月20日。翌10月21日には早速初勝利を挙げる。笠松競馬時代は小井戸金一厩舎に所属し、これまでに地方競馬において2818勝(JRA移籍時)を挙げており、笠松競馬のみならず地方競馬全体を代表する騎手として長年活躍してきた。
JRAにおいては1992年6月27日、第2回中京競馬場3日目第11レース(テレビ愛知賞)でベッスルエースに騎乗したのが初騎乗(12頭立ての4着)。しかしその後JRAにおいては勝ち星に恵まれず、初勝利は7年後の1999年12月19日、第3回小倉競馬場第12レースのラパシオン。地方競馬所属時代のJRA通算成績は12勝(うち重賞2勝)。
2005年12月に地方競馬再興会議での合意に基づき新たに創設された期間限定騎乗騎手制度により、2006年1月10日から3月10日まで大井・高橋三郎厩舎、同年5月1日から6月30日まで船橋・渋谷信博厩舎に所属するなど地元以外の競馬場にも積極的に参戦してきた。
JRAの騎手免許試験も受験してきたが、2006年度の試験を突破(1次試験からの受験であり、競馬学校出身者以外で1次試験からの合格は赤木高太郎、柴山雄一に次いで3人目)し、2007年3月1日からはJRAの騎手として騎乗している。移籍当初から栗東に所属した弟とは対照的に、美浦・菊川厩舎に所属する。
移籍当初、美浦所属とした理由は長男の洋一が公営・大井にて騎手になる修行をしていたためである。同様に、高齢になった家族の世話をする必要がでてきたという理由で、2009年2月から拠点を栗東に移した。[2]
2009年現在、JRA所属現役最年長騎手である。移籍した2007年3月の時点で、調教師に転身した本田優と入れ替わる形で平地最年長騎手となり、同年7月末で当時現役最年長(障害専門騎手)の嘉堂信雄が引退したため、結果的にではあるが安藤は移籍1年目でJRA所属最年長騎手となった。
安藤光彰主な勝利
いずれも中央競馬移籍以前。
全日本サラブレッドカップ – 1997年(トミケンライデン)、2000年(ハカタビッグワン)
オグリキャップ記念 – 2001年(ハカタビッグワン)
CBC賞 – 2003年(シーイズトウショウ)
平安ステークス – 2004年(タイムパラドックス)
安藤光彰脚注
^ 安藤勝己『安藤勝己自伝 アンカツの真実』、エンターブレイン、2003年、12-13頁参照
^ 安藤光騎手、拠点を栗東へ移籍 サンケイスポーツ 2009年1月9日付
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安藤 勝己(あんどう かつみ、1960年3月28日 – )は日本中央競馬会(JRA)の騎手である。栗東トレーニングセンター所属(フリー)。愛知県一宮市出身。血液型A型。笠松競馬場在籍時の勝負服の服色は胴青、白山形一本輪、袖黄。また、兄の安藤光彰も騎手(NAR笠松→JRA)、甥はNAR大井競馬場所属の安藤洋一である。
「アンカツ」のニックネームで親しまれている。出生から幼少時までの姓は「北浦」であったが中学2年時に両親が離婚、母親に引き取られ「安藤」姓となる。両親は後に復縁したが復縁時には逆に父親が安藤籍に入った為、本名は現在でも「安藤勝己」である[1]。なお、兄の光彰は「アンミツ」、甥の洋一は「アンヨウ」「アンヨー」の愛称で呼ばれている。
なお本項では他の安藤姓の競馬関係者と区別するため、特に断りのない限り安藤勝己を「勝己」と表記する。
安藤勝己来歴
安藤勝己笠松時代
兄・光彰が騎手である影響から、勝己は1976年に地方競馬の笠松競馬場で初騎乗。同年12月のジュニアグランプリをシプリアパールで優勝し初重賞を飾る。
翌1977年は78勝を挙げリーディング2位となり、さらに1978年に116勝を挙げリーディングジョッキーとなる。以降リーディングジョッキーに君臨し続け、「カラスが鳴かない日はあっても、アンカツが勝たない日は無い」と言われるほどであった。1985年に「名古屋の天才」と謳われた坂本敏美が競走中の不慮の事故で引退を余儀なくされた後は、2003年に中央競馬に移籍するまで笠松競馬場のみならず「東海のエース」と称される活躍を見せた(JRA移籍時の通算勝利数は3299)。
安藤勝己笠松時代のお手馬
オグリキャップ
笠松時代のお手馬の中で、中央競馬でも活躍した馬として最も有名であるのがオグリキャップである。勝己は笠松時代の12戦のうち7戦で手綱をとり、その7戦では無敗であった。その後、オグリキャップは笠松を離れ中央へ転厩するが、勝己は当時は中央競馬の騎手免許が無いため騎乗することはできず、中央移籍後は河内洋、南井克巳、岡部幸雄、武豊、岡潤一郎、増沢末夫らJRA所属の騎手が騎乗した。
それでも笠松で行われたオグリキャップの引退式では勝己がオグリキャップに跨りスタンドを2周した(オグリキャップは中央・地方時代を合わせて32戦を戦ったが勝己が跨った7戦という数字は河内、南井と並び最多である)。
オグリローマン
勝己はオグリキャップの半妹であるオグリローマンの笠松時代の主戦騎手も務めた。後にオグリローマンは中央競馬へ移籍し、1994年の桜花賞を武豊を背に制した。
現在では、地方競馬所属騎手が中央競馬で騎乗し活躍することは珍しくない。しかし1994年までは地方所属騎手が騎乗できる中央競馬の競走はオールカマーやジャパンカップといった地方競馬所属馬が出走できる競走や、地方競馬騎手招待競走のみに限られており、勝己が中央の舞台で両馬の手綱を取れなかったのは止むを得ないことであった。
安藤勝己中央競馬への参戦
安藤勝己がJRA初勝利を挙げたのは1980年5月、阪神競馬場で行われた地方競馬騎手招待競走で引退後に種牡馬となったヤマニンスキーによるものである。
1995年は「交流元年」とも呼ばれ、多くの指定交流競走が設けられ中央競馬のGIおよびステップレースが地方所属馬へと大きく開放された年であった。同年、笠松競馬所属で10戦10勝のライデンリーダーとのコンビで中央競馬の重賞・4歳牝馬特別(現・フィリーズレビュー)に出走した。2番人気ながらレースレコードで勝利を収めた。
続く桜花賞では、後の優駿牝馬(オークス)優勝馬・ダンスパートナー、悲願の桜花賞初制覇を目指す岡部幸雄騎乗のプライムステージのサンデーサイレンス産駒2頭を抑え、ライデンリーダーは単勝1.7倍の1番人気に支持された。しかし3、4コーナーで内外を包まれ身動きが取れず、ワンダーパヒュームの4着に敗れた。続くオークスでも1番人気に支持されるが13着に大敗。
秋は1戦した後にローズステークスに挑んで3着に入り、当時の牝馬三冠最終戦であるエリザベス女王杯に出走するが、見せ場なく13着に敗退。結局ライデンリーダーは4歳牝馬特別以後に中央で勝ち星を挙げることはなかった。
安藤勝己中央競馬への移籍
安藤勝己JRA騎手試験を受験
上記のように中央競馬でも重賞を8勝、通算100勝を達成するなど活躍していた勝己は、2001年に中央競馬への移籍を目指してJRA騎手試験を受験するが不合格。
これはJRA競馬学校卒業者と同じく学科試験を課されたからであると言われているが、地方とはいえこれだけの実績を残した騎手を学科試験で不合格にしたのはナンセンスであると競馬ファンや競馬記者からの批判を呼ぶことになった。この事態を受けて、JRAは翌年から、「過去5年間に中央競馬で年間20勝以上の成績を2回以上挙げた騎手」に対し、1次試験を免除する試験要項改定(いわゆる「アンカツ・ルール」)を行い、勝己は2002年に再びJRA騎手試験を受験し合格となった。
安藤勝己中央競馬移籍
2003年
騎手試験合格後中央競馬へ移籍し2003年3月1日、阪神競馬で中央競馬所属騎手としてデビュー。同日の第6競走で移籍後初勝利を挙げる。その後3月30日には高松宮記念(中京競馬場)をビリーヴで優勝し中央騎手デビューから30日というJRA新記録で、また「お膝元」でのGI初制覇となった。また同年、菊花賞をザッツザプレンティで勝利しクラシック競走初制覇。最終的にこの年は112勝を挙げ、リーディング3位となる。
2004年
2004年はキングカメハメハで東京優駿(日本ダービー)を制しダービージョッキーとなるなどGI競走を7勝(中央GI4勝)。
2005年
2005年はスズカマンボで天皇賞(春)初優勝を飾り、JRAでのGI競走初の100万馬券を演出した。
2006年
2006年はキストゥヘヴンで桜花賞、ダイワメジャーで天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップを制覇。
2007年
2007年はダイワスカーレットで桜花賞(連覇)、秋華賞の牝馬二冠を達成。また同馬でエリザベス女王杯も制し、京都競馬場で行われるGI・JpnIの完全制覇を達成した。さらにサンライズバッカスでフェブラリーステークスを、ダイワメジャーで安田記念・マイルチャンピオンシップ(連覇)を制し、中央GI・JpnI6勝を挙げる(2007年11月18日現在GIおよびJpnI計16勝)。これは2005年の武豊のと並ぶJRA記録である。
この年のJRA賞最高勝率騎手を受賞(.238)。なお連対率(.410)&複勝率(.524) 共にこの年のトップであった。11月17日には京都競馬場でJRAタイ記録で史上3人目となる騎乗機会6連勝を達成。またワールドスーパージョッキーズシリーズに出場し、世界中の名騎手たちが参加する中15人中3位と健闘した。
2008年
2008年は阪神ジュベナイルフィリーズをブエナビスタで優勝。また有馬記念をダイワスカーレットで優勝し、有馬記念初制覇と共に中山の芝重賞を初制覇。
2009年
2009年は桜花賞をブエナビスタで優勝し同レース3勝目。また優駿牝馬(オークス)をブエナビスタで初制覇し、これで八大競走の中で制していない競走は皐月賞のみとなった。
2010年
2010年1月30日、京都の第3競走でトウカイレジーナに騎乗し中央1000勝を達成。地方と中央両方で1000勝を達成した騎手は初となる偉業。
2011年
2011年4月10日、桜花賞をマルセリーナで優勝し同レース4勝目。これで武豊の5勝に次ぐ2位タイとなる。
安藤勝己人物像
勝己は自分の騎手への価値観に関し、「笠松競馬場のリーディングジョッキーであり続ける中でリーディングジョッキーに価値を感じなくなり、さらに目指すべき目標がなくなったことで騎手という職業自体に魅力を感じなくなりしばしば騎乗をサボタージュし、南関東への移籍や調教師への転職を考えた時期がある。
しかし地方競馬および中央競馬に指定交流競走が創設され、フェートノーザンやトミシノポルンガに騎乗してそれらの競走に出走する中で競馬に面白さを感じるようになった」と語っている。
2003年の中央移籍後、6年連続でGI勝利ならびに年間100勝以上を達成しており、また移籍後7年で皐月賞をのぞく旧八大競走をすべて制覇している。
2008年ころからはレースに集中するためなどの理由で騎乗数を抑えているが、連対率、複勝圏率は極めて優秀である。騎乗依頼に関しては東西問わずに受けるようにしており、GI請負人として厚い信頼を得ている。
競馬場別では京都競馬場で行われるGI・JpnIを完全制覇しているが、他方で中山競馬場との相性が悪く、2008年の有馬記念を制覇するまではGI級競走を制覇していない上に、その他の重賞もマーチステークスの1勝のみで、芝コースの重賞に至っては上記の有馬記念まで一度も勝てなかった。他方で東京競馬場とは相性が良く、GI級勝利の半数近くを占めている。
中央競馬のGI級競走開催週には中日スポーツ(現在は東京中日スポーツにも掲載)に「アン勝つ」という手記を寄せている。この中日スポーツでは中央移籍後、馬柱の騎手欄で「安藤」と載せたところ読者から「笠松の時代から慣れてきた『安藤勝』表記でないので違和感がある」といったクレームが多数寄せられ笠松時代同様に「安藤勝」と変更したというエピソードがある(他の予想紙・スポーツ紙は「安藤」のまま)。2007年3月からは光彰の中央移籍に伴い、全紙「安藤勝」になっている。
一方で天然キャラでもあり、『武豊TV!II』(フジテレビワンツーネクスト)での武豊の発言によると、自身が参加するレースの距離を把握しておらず本馬場入場の前に「これ、何メートルだっけ」と聞かれることがたまにあり、それでもレースは一着になることがあるとしている。これには本人曰く「レース前に競馬新聞の類は一切読まない」ことも影響している[2]。
年齢による代謝低下の影響もあり、高い勝率・連対率を維持しながらも2009年頃から軽い体重が求められる条件戦を中心に出走数(および勝利数)を減少させている。最近は毎週末レースになると「約5kgほど」の減量を必要とする(通常は「毎週水曜日が体重のピークで、そこから徐々に減らしていく」という)。ただ本人曰く「サウナに入るとすぐに汗をかく」体質で、サウナと水風呂を頻繁に往復することですぐに体重が落ちるため、減量そのものは周囲が思うほど大変ではないとのこと[2]。
安藤勝己主な勝ち鞍
GI級
(斜字は統一GI級を指す)
フェブラリーステークス – 2004年(アドマイヤドン)、2007年(サンライズバッカス)
高松宮記念 – 2003年(ビリーヴ)
桜花賞 – 2006年(キストゥヘヴン)、2007年(ダイワスカーレット)、2009年(ブエナビスタ)、2011年(マルセリーナ)
NHKマイルカップ – 2004年(キングカメハメハ)、2010年(ダノンシャンティ)
天皇賞(春) – 2005年(スズカマンボ)
優駿牝馬(オークス) – 2009年(ブエナビスタ)
東京優駿(日本ダービー) – 2004年(キングカメハメハ)
安田記念 – 2004年(ツルマルボーイ)、2007年(ダイワメジャー)
秋華賞 – 2007年(ダイワスカーレット)
菊花賞 – 2003年(ザッツザプレンティ)
天皇賞(秋) – 2006年(ダイワメジャー)
エリザベス女王杯 – 2007年(ダイワスカーレット)
マイルチャンピオンシップ – 2006年(ダイワメジャー)、2007年(ダイワメジャー)
阪神ジュベナイルフィリーズ – 2008年(ブエナビスタ)
有馬記念 – 2008年(ダイワスカーレット)
帝王賞 – 2004年(アドマイヤドン)
ダービーグランプリ – 2003年(ユートピア)、2004年(パーソナルラッシュ)
マイルチャンピオンシップ南部杯 – 2003年(アドマイヤドン)、2005年(ユートピア)
JBCクラシック – 2003年、2004年(共にアドマイヤドン)
これらは全て中央競馬移籍後であるが、笠松競馬時代にも1989年の帝王賞や1992年のダービーグランプリ(当時は格付け無し)などを勝利している。
重賞
※GIおよびJpnIは上記参照。馬名の後の*印はJpnIIまたはJpnIIIを指す。
中央競馬
GIIおよびJpnII
4歳牝馬特別(西)(1995年ライデンリーダー)
フィリーズレビュー(2003年ヤマカツリリー、2004年ムーヴオブサンデー)
デイリー杯3歳ステークス(1999年レジェンドハンター、2000年フジノテンビー)※現・デイリー杯2歳ステークス
大阪杯(2001年トーホウドリーム、2002年サンライズペガサス、2003年タガノマイバッハ、2008年ダイワスカーレット)
京都新聞杯(2004年ハーツクライ)
ローズステークス(2004年レクレドール、ダイワスカーレット*)
神戸新聞杯(2004年キングカメハメハ)
マイラーズカップ(2006年ダイワメジャー、2010年リーチザクラウン)
毎日王冠(2006年ダイワメジャー)
日経新春杯(2007年トウカイワイルド、2008年アドマイヤモナーク)
京都記念(2008年アドマイヤオーラ)
青葉賞(2011年ウインバリアシオン)
GIIIおよびJpnIII
京阪杯(1999年ロサード)
マーメイドステークス(2000年フサイチエアデール、2001年タイキポーラ)
愛知杯(2001年グランドシンザン)
マーチステークス(2002年マンボツイスト)
チューリップ賞(2003年オースミハルカ、2009年ブエナビスタ)
中京記念(2003年タガノマイバッハ)
ユニコーンステークス(2003年ユートピア、2008年ユビキタス)
函館スプリントステークス(2003年ビリーヴ)
エルムステークス(2003年アドマイヤドン)
朝日チャレンジカップ(2003年カンファーベスト)
アンタレスステークス(2004年タイムパラドックス、2005年ピットファイター)
毎日杯(2005年ローゼンクロイツ、2010年ダノンシャンティ)
ラジオたんぱ杯2歳ステークス(2005年サクラメガワンダー)
ラジオNIKKEI杯2歳ステークス(2006年フサイチホウオー)
きさらぎ賞(2006年ドリームパスポート)
函館記念(2006年エリモハリアー)
新潟2歳ステークス(2006年ゴールドアグリ)
東京スポーツ杯2歳ステークス(2006年フサイチホウオー)
共同通信杯(2007年フサイチホウオー*)
阪急杯(2007年プリサイスマシーン、2009年ビービーガルダン)
ファンタジーステークス(2007年オディール*)
京都牝馬ステークス(2008年アドマイヤキッス)
ダイヤモンドステークス(2008年アドマイヤモナーク*)
キーンランドカップ(2009年ビービーガルダン)
武蔵野ステークス(2009年ワンダーアキュート)
函館2歳ステークス(2010年マジカルポケット)
札幌2歳ステークス(2010年オールアズワン)
関屋記念(2011年レインボーペガサス)
ダートグレード競走
GIIおよびJpnII
オグリキャップ記念(1998年サンディチェリー)※現・SP1
ブリーダーズゴールドカップ(2004年タイムパラドックス)
ダイオライト記念(2005年パーソナルラッシュ、2007年キクノアロー)
関東オークス(2007年ホワイトメロディー*)
日本テレビ盃(2009年マコトスパルビエロ*)
名古屋グランプリ(2009年マコトスパルビエロ*)
GIIIおよびJpnIII
名古屋優駿(1997年シンプウライデン)現・SP1東海ダービー
全日本サラブレッドカップ(1999年マジックリボン、2004年ディバインシルバー)※休止
サラブレッドチャレンジカップ(2001年フジノコンドル、2003年タマモリッチ)※休止
サマーチャンピオン(2002年フジノコンドル)
クラスターカップ(2003年ディバインシルバー)
白山大賞典(2003年イングランディーレ、2005年グラッブユアハート)
黒船賞(2004年ディバインシルバー、2009年トーセンブライト)
北海道スプリントカップ(2004年ディバインシルバー)
スパーキングレディーカップ(2004年グラッブユアハート)
佐賀記念(2005年マルブツトップ)
マーキュリーカップ(2005年ピットファイター、2009年マコトスパルビエロ)
兵庫ゴールドトロフィー(2005年ニホンピロサート、2009年トーセンブライト)
クイーン賞(2005年グラッブユアハート)
TCK女王盃(2006年グラッブユアハート)
マリーンカップ(2006年グラッブユアハート)
笠松競馬
ジュニアグランプリ(1976年シプリアパール、1987年オグリキャップ、1989年マックスフリート、1991年オグリホワイト、1992年サブリナチェリー、1993年オグリローマン、1994年ライデンリーダー、1996年シンプウライデン)※廃止
安藤勝己主な表彰
優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
2003年~2010年
中京競馬記者クラブ賞
2003年
JRA賞最高勝率騎手
2007年、2009年
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秋山 真一郎(あきやま しんいちろう、1979年2月9日 – )はJRAの騎手。父の秋山忠一は元・JRA騎手で現在は調教助手。
秋山 真一郎来歴
1997年栗東の野村彰彦厩舎所属騎手としてデビュー。同期には武幸四郎、勝浦正樹、村田一誠らがいる。
当時より展開に合わせ柔軟な騎乗ができる若手としてはめずらしい騎手として評価をされ[1]、デビュー初年度より毎年30勝以上の成績を残し、3年間で103勝をマークし自力で見習騎手から外れるなどコンスタントな活躍を見せている。
2年目の1998年にはカネトシガバナーで重賞初勝利並びにGI競走初騎乗を併せて達成。さらに当時の野村厩舎の代表管理馬であるキョウエイマーチの主戦騎手に起用され、京都金杯・阪急杯を制するなど騎乗停止処分中の一回を除き引退まで同馬の騎乗を務めている。
またデビュー年こそ重賞勝利は無かったものの、翌1998年以降毎年重賞勝利を記録、中京と相性が良く通算重賞18勝のうち、中京開催の重賞を6勝しJRA全10場中、新潟競馬場、福島競馬場以外の8場で勝利を挙げている。(2010年末現在)
秋山真一郎と重賞
2010年11月末現在、デビュー以来GI51連敗中である。中央競馬に所属するJRAGI未勝利騎手のうち、藤岡佑介とともに中央競馬重賞勝利数が最も多い騎手である。
2003年のテイエムサンデーで制したシルクロードステークスは、自らの誕生日を飾るプレゼントになった。
2005年にはサカラートで東海ステークスに勝利。同レースの前身であるウインターステークスは父・忠一が唯一勝利したサラブレッド重賞でもあり(1987年・クラウンエクシードでの勝利)、親子騎手制覇となった。
2006年は最低人気のビーナスラインで函館スプリントステークスを制し、シーイズトウショウの3連覇を阻止した。
2009年には、サクラオリオンに騎乗し、中京記念と函館記念に優勝。同馬では札幌記念でも3着と好走し、この活躍が同年のサマージョッキーズシリーズ優勝につながった。
秋山 真一郎主な騎乗馬
キョウエイマーチ(1999年阪急杯、2000年京都金杯)
カネトシガバナー(1998年神戸新聞杯、愛知杯)
ブルーコンコルド(2002年京王杯2歳ステークス)
サクラオリオン(2009年中京記念、函館記念)
秋山 真一郎騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1997年3月1日 1回中京1日2R 4歳未勝利 ヤマニンポシブル 16頭 3 3着
初勝利 1997年3月9日 1回中京4日2R 4歳未勝利 スズカアオイ 16頭 1 1着
重賞初騎乗 1997年8月10日 3回小倉2日11R 小倉記念 シーフリージア 10頭 10 4着
重賞初勝利 1998年9月20日 5回阪神4日11R 神戸新聞杯 カネトシガバナー 14頭 5 1着
GI初騎乗 1998年11月8日 6回京都2日11R 菊花賞 カネトシガバナー 17頭 6 8着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 備考
1997年 33 34 36 412 .080 .163 .250
1998年 37 30 33 366 .101 .183 .273
1999年 33 33 25 378 .087 .175 .241
2000年 30 35 38 453 .066 .143 .227
2001年 66 33 46 600 .110 .165 .242
2002年 38 61 65 623 .061 .159 .263
2003年 69 56 52 662 .104 .189 .267
2004年 48 43 46 639 .075 .142 .214 中京競馬記者クラブ賞
2005年 45 53 51 613 .073 .160 .243
2006年 73 55 63 708 .103 .181 .270
2007年 38 54 58 622 .061 .148 .241
2008年 33 34 43 498 .066 .135 .221
2009年 47 39 39 589 .080 .146 .212
2010年 52 48 48 616 .084 .162 .240
中央 642 608 643 7779 .083 .161 .243
地方 31 41 17 225 .138 .320 .396
カテゴリ : 騎手, 騎手 あ行
赤木 高太郎(あかぎ こうたろう、1970年1月21日 – )は、日本中央競馬会(JRA)所属の騎手。元NAR兵庫県競馬組合所属。
赤木 高太郎経歴
赤木 高太郎地方競馬時代
1987年に園田・齊藤裕厩舎所属で騎手デビュー。1998年秋から約8ヶ月間、単身オーストラリアに遠征。本人曰く、技術面よりもメンタル面を鍛えるための修行であったという。帰国後2000年度から2003年度まで、小牧太・岩田康誠に次ぐ兵庫リーディング3位のポジションをキープ。赤木圭一郎と同姓であったことから「園田第3の男」というニックネームも生まれた。
2001赤木 高太郎年、JRAの騎手免許試験の受験を決意。JRAでの勝ち鞍がなく1次試験(筆記試験)免除の特例(5年間でJRA年間20勝以上を2回達成した地方騎手に適用された)が適用されなかったため、調教やレースの傍ら1日8時間の試験勉強に取り組んだ。2002年の1次試験は不合格であったが2003年秋に合格。
地方騎手による初の1次試験合格として競馬メディアによって大きく報道された。また、これ以降柴山雄一をはじめ地方所属の騎手がJRAの騎手免許試験を1次試験から受験する動きが加速した。翌2004年2月には2次試験(実技試験)もクリアしてJRA騎手免許試験合格を果たした。同じ兵庫県競馬組合所属の小牧と同時の合格となり、2月19日には園田競馬場で、24日に姫路競馬場で「フェアウェルセレモニー」と銘打たれた両騎手の壮行会が執り行われた。
赤木 高太郎JRA移籍後
栗東・坪憲章厩舎所属でデビュー。2004年3月6日、中京競馬第2競走を所属厩舎の管理馬・タイセキショウで優勝。中央デビュー初日に初勝利を挙げた。2006年12月2日中京競馬第2競走でJRA通算100勝を達成、この年2006年度フェアプレー賞を受賞した。
2007年、競馬視察のため初の海外出張届を提出し、9月28日から10月2日までアメリカに滞在し、一旦帰国後の10月5日から10月10日まではフランスに滞在し第86回凱旋門賞などを観戦していた。
2008年7月13日プロキオンステークスにてヴァンクルタテヤマに騎乗、直線で逃げ粘るバンブーエールを交わして念願の中央競馬重賞初勝利を飾った。2009年より栗東所属のまま拠点を美浦トレーニングセンターに移している。
中京、福島、小倉などのローカル路線での騎乗が多く、またそれら小回りコースでの成績が良い。
赤木 高太郎騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2004年3月6日 1回中京1日1R 3歳未勝利 ナショナルプラザ 15頭 10 14着
初勝利 2004年3月6日 1回中京1日2R 4歳上500万円下 タイセキショウ 16頭 6 1着
重賞初騎乗 2004年3月7日 1回中京2日11R 中京記念 キングフィデリア 16頭 10 6着
重賞初勝利 2008年7月13日 3回阪神8日11R プロキオンステークス ヴァンクルタテヤマ 13頭 7 1着
GI初騎乗 2004年3月28日 1回中京8日11R 高松宮記念 モンパルナス 18頭 16 17着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2004年 31 21 36 540 .057 .096 .163
2005年 39 50 32 585 .067 .152 .207
2006年 34 42 34 647 .053 .117 .170
2007年 25 28 29 500 .050 .106 .164
2008年 27 36 29 488 .055 .129 .189
2009年 25 24 30 507 .049 .097 .156
2010年 8 11 10 226 .035 .084 .128
中央 189 212 200 3499 .054 .115 .172
地方 19 17 18 152 .125 .237 .355
地方在籍時 10193戦1176勝
赤木 高太郎主な勝ち鞍
赤木 高太郎地方競馬
園田ダービー(2002年:優勝馬 セトノウルトラ)
菊水賞(1997年:優勝馬 マーキュリサンダー、2002年:優勝馬 セトノウルトラ)
六甲盃(2000年:優勝馬 スペシャルダッシュ)
姫山菊花賞(2000年:優勝馬 タカライデン)
フクパーク記念(2000年:優勝馬 タカライデン)
園田金盃(2009年:優勝馬 ハスフェル)*JRA移籍後、初の地方重賞勝ち
赤木 高太郎中央競馬
プロキオンステークス(2008年:優勝馬 ヴァンクルタテヤマ)
カテゴリ : 騎手, 騎手 あ行
平安ステークス(へいあんステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場のダート1800mで施行する中央競馬の重賞(GIII・統一GIII)競走である。競走名はかつて京都に置かれていた日本の首都の平安京に由来。正賞は全国公営競馬馬主連合会会長賞、地方競馬全国協会理事長賞。
平安ステークス概要
1984年に京都競馬場の芝2200mの5歳(現4歳)以上の混合のオープン特別競走、平安ステークスとして施行されたのが始まり。
1985年は施行距離を芝1400mに変更、1986年からは施行距離をダート1400mに変更するとともに施行時期が現在の1月開催となり、1993年までオープン特別競走として施行された。
1994年にダート重賞路線の整備により、阪神競馬場のダート1800mの重賞競走として創設された。同年は京都競馬場の改修工事のため阪神競馬場で施行されたが、翌1995年から京都競馬場に戻っている。同時に指定競走となり、地方競馬所属馬が出走可能な初のダート重賞でもあった。同年は地方競馬所属馬が2・3着に入賞している。
フェブラリーステークスの関西圏における前哨戦に位置付けられており、第2回優勝馬ライブリマウントと第4回優勝のシンコウウインディが同年のフェブラリーステークスを制している。
出走資格は、サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬(4頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は4歳は55kg、5歳以上は56kg、牝馬は2kg減を基本とし、更に以下のように斤量が課せられる。ただし2歳時の成績を除く。
施行日当日から過去1年以降のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は3kg増
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から過去1年以前のGI競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は2kg増
施行日当日から過去1年以降の牝馬限定GII競走またはGIII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
施行日当日から過去1年以前の牝馬限定GI競走またはGII競走(牝馬限定競走を除く)1着馬は1kg増
2011年度現在の総額賞金は7,200万円で、1着賞金3,800万円、2着賞金1,500万円、3着賞金950万円、4着賞金570万円、5着賞金380万円と定められている。
平安ステークス歴史
1984年 – 京都競馬場の5歳(現4歳)以上の混合競走の別定重量の芝2200mのオープン特別競走、平安ステークスとして施行。
1985年 – 施行距離を芝1400mに変更。
1986年
施行時期を現在の1月に変更。
施行距離をダート1400mに変更。
1994年 – 阪神競馬場[1]の5歳(現4歳)以上の混合競走・指定交流競走の馬齢重量のダート1800mの重賞(GIII)競走、平安ステークスとして新設(創設当初の地方所属馬の出走枠は5頭まで)。
1995年
施行場を京都競馬場のダート1800mに変更。
負担重量を別定重量に変更。
1997年
ダートグレード格付け委員会にGIII(統一GIII)に格付け。
負担重量をグレード別定重量に変更。
トーヨーシアトルとシンコウウインディが同着優勝。
2000年
オースミジェットが2頭目の連覇。
白井寿昭が調教師として2人目の連覇。
2001年
馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
四位洋文が騎手として史上初の3連覇。
2003年
スマートボーイが3頭目の連覇。
伊藤直人が騎手として2人目の連覇。
伊藤圭三が調教師として3人目の連覇。
2006年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
地方所属馬の出走枠が5頭から4頭に削減。
2007年
日本のパートI国昇格により、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
施行日当日から過去1年以上前の重賞競走および牝馬限定重賞競走優勝馬の負担重量を軽減。
歴代優勝馬 [編集]
オープン特別 [編集]
施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
1984年4月22日 リウジンフジ 牡5 2:17.9 伊藤稔 須貝彦三 龍進撃(有)
1985年4月21日 ロングハヤブサ 牡4 1:22.9 村本善之 小林稔 中井長一
1986年1月15日 マルブツサーペン 牡5 1:24.6 加用正 瀬戸口勉 大澤毅
1987年1月18日 フェートノーザン 牡4 1:23.4 中竹和也 吉田三郎 高橋義和
1988年1月17日 ドウカンジョー 牝4 1:24.1 田島信行 池江泰郎 新井興業(株)
1989年1月16日 ドウカンジョー 牝5 1:23.2 松永幹夫 池江泰郎 新井興業(株)
1990年1月15日 ダンシングサム 牡5 1:24.3 松永幹夫 高橋直 福山商事(株)
1991年1月15日 パッシングルート 牡4 1:23.1 西浦勝一 山内研二 山本菊一
1992年1月19日 キョウエイスワット 牡6 1:23.7 南井克巳 清水久雄 松岡正雄
1993年1月17日 ミスタートウジン 牡7 1:23.2 村本善之 福島信晴 藤立啓一
重賞格付け以後 [編集]
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1994年1月15日 トーヨーリファール 牡4 1:52.8 松永昌博 松永善晴 (有)トーヨークラブ
第2回 1995年1月16日 ライブリマウント 牡4 1:52.9 石橋守 柴田不二男 加藤哲郎
第3回 1996年1月15日 アドマイヤボサツ 牡6 1:50.5 芹沢純一 橋田満 近藤利一
第4回 1997年1月6日 トーヨーシアトル 牡4 1:49.9 松永昌博 松永善晴 (有)トーヨークラブ
シンコウウインディ 牡4 四位洋文 田中清隆 安田修
第5回 1998年1月6日 エムアイブラン 牡6 1:48.5 武豊 伊藤修司 稲見豊
第6回 1999年1月10日 オースミジェット 牡5 1:49.9 四位洋文 白井寿昭 山路秀則
第7回 2000年1月23日 オースミジェット 牡6 1:49.8 四位洋文 白井寿昭 山路秀則
第8回 2001年1月21日 マンボツイスト 牡6 1:48.7 四位洋文 古川平 田原源一郎
第9回 2002年1月20日 スマートボーイ 牡7 1:50.9 伊藤直人 伊藤圭三 (有)グランド牧場
第10回 2003年1月26日 スマートボーイ 牡8 1:49.7 伊藤直人 伊藤圭三 (有)グランド牧場
第11回 2004年1月25日 タイムパラドックス 牡6 1:51.3 安藤光彰 松田博資 (有)社台レースホース
第12回 2005年1月23日 ヒシアトラス 牡5 1:50.3 福永祐一 中野隆良 阿部雅一郎
第13回 2006年1月22日 タガノゲルニカ 牡4 1:50.2 池添謙一 池添兼雄 八木良司
第14回 2007年1月21日 メイショウトウコン 牡5 1:51.0 石橋守 安田伊佐夫 松本好雄
第15回 2008年1月27日 クワイエットデイ 牡8 1:51.0 角田晃一 松元省一 (有)サンデーレーシング
第16回 2009年1月25日 ワンダースピード 牡7 1:50.4 小牧太 羽月友彦 山本信行
第17回 2010年1月24日 ロールオブザダイス 牡5 1:51.1 岩田康誠 角居勝彦 (株)東京ホースレーシング
第18回 2011年1月23日 ダイシンオレンジ 牡6 1:51.5 川田将雅 庄野靖志 大八木信行
本競走からのフェブラリーステークス優勝馬 [編集]
重賞格付け時からフェブラリーステークスの前哨戦として施行されるようになったが、4頭が同年のフェブラリーステークスを制覇している。
回数 馬名 性齢 着順
第2回 ライブリマウント 牡4 1着
第4回 シンコウウインディ 牡4 1着
第7回 ウイングアロー 牡5 5着
第14回 サンライズバッカス 牡5 2着
カテゴリ : 重賞データ
京成杯(けいせいはい)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝2000mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走である。京成杯オータムハンデキャップと同様、競走名は中山競馬場の最寄駅(東中山駅)があり優勝杯を提供する京成電鉄から冠名が取られている。
京成杯概要
1961年に関東圏の4歳(現3歳)の最初の重賞競走として創設、第1回は中山競馬場の芝外回り1600mで施行された。
1970年には施行場を東京競馬場に移すが、1980年に再び中山競馬場に戻している。1984年にはグレード制施行によりGIIIに格付けされたが、施行距離の芝1600mがクラシック競走に直結せず、クラシック路線の有力馬は回避する傾向があった。
そのため、1999年にジュニアカップと施行条件を入れ替える形で皐月賞と同じ距離である芝2000mに延長された結果、本競走で入賞した競走馬が同年のクラシック戦線で好走することが多くなり、クラシック戦線の行方を占う意味合いがより強まった。
当競走の勝ち馬が後にGIを勝ったという視点からみると、1981年のテンモン以降現れていなかったが、2010年のエイシンフラッシュが東京優駿(日本ダービー)を制し、29年ぶりにGI優勝馬が現れることになった。また出走馬に関して言えば、ヒシアマゾン(エリザベス女王杯優勝、第34回当競走2着)・キングカメハメハ(NHKマイルカップ、東京優駿優勝、第44回当競走3着で生涯唯一の敗戦)・ナカヤマフェスタ(宝塚記念優勝、第49回当競走2着)などがいる。
出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)である。
負担重量は馬齢重量56kg、牝馬2kg減を基本とし、日本馬は収得賞金2000万円以上は1kg増、外国調教馬は重賞競走優勝馬は1kg増となっている。
2011年度現在の総額賞金は7,460万円で、1着賞金3,900万円、2着賞金1,600万円、3着賞金980万円、4着賞金590万円、5着賞金390万円と定められている。
現在の優勝レイの配色は、赤色地に銀色文字となっている。
京成杯歴史
1961年 – 中山競馬場の芝外回り1600mの4歳(現3歳)限定の別定重量の重賞競走、京成盃として創設(創設当初の基本負担斤量は52kg)。
1970年 – 施行場を東京競馬場に変更。
1971年 – 牡馬・騸馬の基本負担斤量が52kgから54kgに変更。
1972年 – 流行性のインフルエンザの影響で中山競馬場の芝外回り1600mで順延開催。
1980年 – 施行場を中山競馬場に戻す。
1981年
基本負担斤量が牡馬・騸馬54kg、牝馬52kgから牡馬・騸馬55キロ、牝馬53kgに変更。
嶋田功が騎手として史上初の連覇。
1984年
混合競走に指定。
グレード制施行によりGIIIに格付け。
1988年 – 柴田政人が騎手として2人目の連覇。
1990年 – 安田富男が騎手として3人目の連覇。
1996年
特別指定交流競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
福島競馬場の改修工事の調整による代替開催により、東京競馬場の芝1600mで施行。
1999年 – 施行距離を現在の芝2000mに変更。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走資格が「4歳」から「3歳」に変更。
2002年
東京競馬場の改修工事の調整による代替開催により東京競馬場の芝2000mで施行。
ヤマニンセラフィムとローマンエンパイアが同着優勝。
2003年
基本負担斤量が牡馬・騸馬55kg、牝馬53kgから牡馬・騸馬56kg、牝馬54kgに変更。
蛯名正義が騎手として4人目の連覇。
2005年 – 横山典弘が騎手として5人目の連覇。
2006年 – 3歳クラシック以前の実績馬の選択肢を増やす目的で、負担重量の上限が57kg(牝馬は55kg)になるよう現行の規定に変更。
2007年 – 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2008年 – 松岡正海が騎手として6人目の連覇。
2009年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
外国調教馬の負担重量を現行の規定に設定。
京成杯歴代優勝馬
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1961年1月15日 モンテカルロ 牡3 1:40.6 佐藤征助 秋山史郎
第2回 1962年1月15日 オーハヤブサ 牝3 1:39.8 藤本勝彦 藤本冨良
第3回 1963年1月15日 カネノヒカル 牡3 1:37.5 加賀武見 阿部正太郎
第4回 1964年1月15日 トキノパレード 牡3 1:40.5 野平好男 田中和夫
第5回 1965年1月15日 メジロマンゲツ 牝3 1:38.5 加賀武見 阿部正太郎
第6回 1966年3月20日 スピードシンボリ 牡3 1:40.2 津田昭 野平富久
第7回 1967年1月15日 ホウゲツオー 牡3 1:39.3 加賀武見 山岡寿恵次
第8回 1968年1月14日 ライトワールド 牡3 1:39.6 樋口弘 三井末太郎
第9回 1969年1月12日 ギャロップ 牡3 1:39.2 野平祐二 秋山史郎
第10回 1970年1月11日 アローエクスプレス 牡3 1:37.1 柴田政人 高松三太
第11回 1971年1月15日 ヤシマライデン 牡3 1:38.1 伊藤正徳 尾形藤吉
第12回 1972年3月19日 ヒデハヤテ 牡3 1:35.8 福永洋一 伊藤修司
第13回 1973年1月14日 カミノテシオ 牡3 1:37.2 加賀武見 高橋英夫
第14回 1974年1月13日 ウエスタンダッシュ 牡3 1:36.9 伊藤正徳 尾形藤吉
第15回 1975年1月12日 テスコガビー 牝3 1:37.5 菅原泰夫 仲住芳雄
第16回 1976年1月11日 クライムカイザー 牡3 1:36.4 加賀武見 佐藤嘉秋
第17回 1977年1月16日 ヒシスピード 牡3 1:36.7 小島太 高木嘉夫
第18回 1978年1月15日 タケデン 牡3 1:37.1 岡部幸雄 元石孝昭
第19回 1979年1月14日 ファーストアモン 牡3 1:37.3 吉永正人 松山吉三郎
第20回 1980年1月13日 ハーバーシャレード 牡3 1:42.1 嶋田功 佐々木亜良
第21回 1981年1月11日 テンモン 牝3 1:36.8 嶋田功 稲葉幸夫
第22回 1982年1月10日 アスワン 牡3 1:36.7 吉永正人 松山吉三郎
第23回 1983年1月9日 ブルーダーバン 牡3 1:37.7 杉浦宏昭 二本柳俊夫
第24回 1984年1月15日 ハツノアモイ 牡3 1:36.2 菅原泰夫 仲住芳雄
第25回 1985年1月13日 サクラサニーオー 牡3 1:35.6 小島太 境勝太郎
第26回 1986年1月12日 ダイナフェアリー 牝3 1:35.1 増沢末夫 鈴木康弘
第27回 1987年1月11日 スーパーファントム 牡3 1:35.7 柴田政人 中村貢
第28回 1988年1月10日 トウショウマリオ 牡3 1:35.4 柴田政人 奥平真治
第29回 1989年1月15日 スピークリーズン 牡3 1:36.3 安田富男 尾形充弘
第30回 1990年1月14日 ノーモアスピーディ 牡3 1:35.2 安田富男 松山康久
第31回 1991年1月13日 ダイナマイトダディ 牡3 1:34.8 増沢末夫 鈴木康弘
第32回 1992年1月19日 エーピージェット 牡3 1:35.2 的場均 元石孝昭
第33回 1993年1月17日 オースミポイント 牡3 1:35.8 橋本広喜 白井寿昭
第34回 1994年1月9日 ビコーペガサス 牡3 1:33.9 的場均 柳田次男
第35回 1995年1月8日 マイティーフォース 牡3 1:35.1 松永幹夫 加藤敬二
第36回 1996年1月7日 サクラスピードオー 牡3 1:34.6 小島太 境勝太郎
第37回 1997年1月7日 スピードワールド 牡3 1:36.3 的場均 小西一男
第38回 1998年1月11日 マンダリンスター 牡3 1:36.8 柴田善臣 高市圭二
第39回 1999年1月17日 オースミブライト 牡3 2:01.5 蛯名正義 中尾正
第40回 2000年1月16日 マイネルビンテージ 牡3 2:04.0 柴田善臣 佐々木晶三
第41回 2001年1月14日 ボーンキング 牡3 2:03.2 D.ハリソン 松田国英
第42回 2002年1月13日 ヤマニンセラフィム 牡3 2:00.4 蛯名正義 浅見秀一
ローマンエンパイア 武幸四郎 古川平
第43回 2003年1月19日 スズカドリーム 牡3 2:01.7 蛯名正義 橋田満
第44回 2004年1月18日 フォーカルポイント 牡3 1:59.2 横山典弘 河野通文
第45回 2005年1月16日 アドマイヤジャパン 牡3 2:07.4 横山典弘 松田博資
第46回 2006年1月15日 ジャリスコライト 牡3 2:03.2 北村宏司 藤沢和雄
第47回 2007年1月14日 サンツェッペリン 牡3 2:01.6 松岡正海 斎藤誠
第48回 2008年1月20日 マイネルチャールズ 牡3 2:02.9 松岡正海 稲葉隆一
第49回 2009年1月18日 アーリーロブスト 牡3 2:02.7 福永祐一 本田優
第50回 2010年1月17日 エイシンフラッシュ 牡3 2:03.6 横山典弘 藤原英昭
第51回 2011年1月16日 フェイトフルウォー 牡3 2:00.9 田中勝春 伊藤伸一
カテゴリ : 重賞データ
シンザン記念(シンザンきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場の芝外回り1600mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走である。1974年より日刊スポーツ新聞社が優勝杯を提供しており、正式名称は「日刊スポーツ賞 シンザン記念」と表記している。競走名の由来は1964年に3歳(旧4歳)クラシック牡馬三冠を達成したシンザンから。
シンザン記念概要
1964年に3歳(旧4歳)クラシック牡馬三冠を達成したシンザンを記念して、1967年に重賞として創設された。1984年にGIIIに格付けされる。1980年と1994年に阪神競馬場で施行されたのを除き、創設以来、施行場及び距離条件は変更されていない。
3歳馬が年明け後に初めて迎える関西圏の重賞競走で、三冠馬の名前を冠した競走ながら創設以来クラシック競走の優勝馬を出す事ができず、不出世競走と言われ続けていた。
第9回優勝馬エリモジョージが天皇賞(春)と宝塚記念を制してから11年後に、第20回優勝馬フレッシュボイスが安田記念を制するが、ここからまた10年間GI優勝馬が出現せず、シンザン記念を優勝した競走馬はGIに勝てないと言う競馬ファンのみならず競馬関係者からもジンクスとして言われる様になったが、第31回優勝馬シーキングザパールがNHKマイルカップとモーリス・ド・ゲスト賞に優勝し、更には第36回優勝馬タニノギムレットが後に東京優駿(日本ダービー)を勝利して創設36年目にして初のクラシック優勝馬が現れている。また出走馬においては第41回2着馬ダイワスカーレット(桜花賞・秋華賞・エリザベス女王杯・有馬記念優勝)や同3着馬ローレルゲレイロ(高松宮記念・スプリンターズステークス優勝)、第45回2着馬オルフェーヴル(皐月賞・東京優駿優勝)、同3着馬マルセリーナ(桜花賞優勝)などの活躍馬がいる。
出走資格は、サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の競走馬、JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は馬齢重量である56kg、牝馬は2kg減を基本とし、日本馬は収得賞金2,000万円以上は1kg増、外国調教馬は重賞競走優勝馬の競走馬は1kg増となっている。
シンザン記念
2011年の総額賞金は7,460万円で、1着賞金3,900万円、2着賞金1,600万円、3着賞金980万円、4着賞金590万円、5着賞金390万円と定められている。
なお、例年北海道浦河町のシンザンフェスティバルにおいて一般公募で「ミスシンザン」に選ばれた2名の女性が、本競走の表彰式でプレゼンターを務めるため京都競馬場に来場している。
シンザン記念歴史
1967年 – 京都競馬場の芝外回り1600mの4歳(現3歳)限定の別定重量の重賞競走、シンザン記念として創設(創設当初の基本負担斤量は52kg)。
1971年 – 牡馬・騸馬の基本負担斤量が52kgから54kgに変更。
1974年 – 日刊スポーツ新聞社が優勝馬に社賞を提供する。
1980年 – 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝1600m[1]で施行。
1981年 – 基本負担斤量が牡馬・騸馬54kg、牝馬52kgから牡馬・騸馬55kg、牝馬53kgに変更。
1982年 – 伊藤修司が調教師として史上初の連覇。
1984年 – グレード制施行によりGIIIに格付け。
1994年 – 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝1600m[1]で施行。
1995年 – 混合競走に指定。
1996年 – 特別指定競走に指定され、地方所属馬は2頭まで出走可能となる。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳」から「3歳」に変更。
2003年 – 基本負担斤量が牡馬・騸馬55kg、牝馬53kgから牡馬・騸馬56kg、牝馬54kgに変更。
2004年
JRA創設50周年記念競走シンザン記念として施行。
池江泰郎が調教師として史上2人目の連覇。
2005年 – 武豊が騎手として史上初の4連覇。
2006年 – 3歳クラシック以前の実績馬の選択肢を増やす目的で、負担重量の上限が57kg(牝馬は55kg)になる規定に変更。
2007年 – 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴い、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
2008年 – 岩田康誠が騎手として史上2人目の連覇。
2009年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
外国調教馬の負担重量を現行の規定に設定。
2010年 – ガルボが美浦所属馬(関東馬)として初めて勝利。
2011年 – レッドデイヴィスが騸馬として初めて勝利。
シンザン記念歴史歴代優勝馬
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1967年1月15日 タイギヨウ 牡3 1:39.0 武邦彦 武平三 中山芳雄
第2回 1968年1月15日 ヒカリオー 牡3 1:41.0 領家政蔵 田中好雄 松本市三郎
第3回 1969年1月15日 ファインハピー 牝3 1:38.8 簗田善則 坪重兵衛 吉田久博
第4回 1970年1月15日 ハイプリンス 牡3 1:36.9 高橋成忠 佐藤勇 吉嶺一徳
第5回 1971年1月24日 フイドール 牡3 1:42.3 松本善登 武田文吾 小原菊枝
第6回 1972年1月23日 シンモエダケ 牝3 1:38.5 藤岡範士 田之上勲 久保光吉
第7回 1973年1月14日 ディクタボーイ 牡3 1:38.8 柴田政見 布施正 今井重雄
第8回 1974年1月13日 ナニワライト 牡3 1:37.0 清水英次 荻野光男 西田アヤ
第9回 1975年1月12日 エリモジョージ 牡3 1:38.4 福永洋一 大久保正陽 山本慎一
第10回 1976年1月11日 バンブトンシェード 牡3 1:39.3 久保敏文 伊藤修司 樋口正蔵
第11回 1977年1月16日 テンザンサクラ 牡3 1:38.1 河内洋 松永善晴 平野三郎
第12回 1978年1月15日 ラブリトウショウ 牝3 1:37.0 小谷内秀夫 戸山為夫 トウショウ産業(株)
第13回 1979年1月14日 テルノエイト 牡3 1:37.2 飯田明弘 清水久雄 中村照彦
第14回 1980年1月13日 ノトダイバー 牡3 1:38.4 加用正 北橋修二 (有)能登
第15回 1981年1月11日 ヒロノワカコマ 牡3 1:35.8 河内洋 伊藤修司 伊藤裕子
第16回 1982年1月10日 シルクテンザンオー 牡3 1:36.8 伊藤清章 伊藤修司 中山信一
第17回 1983年1月9日 メジロモンスニー 牡3 1:36.7 清水英次 大久保正陽 メジロ商事(株)
第18回 1984年1月15日 キタヤマザクラ 牡3 1:36.3 小島貞博 戸山為夫 藤本龍也
第19回 1985年1月13日 ライフタテヤマ 牡3 1:37.5 猿橋重利 安田伊佐夫 辻幸雄
第20回 1986年1月12日 フレッシュボイス 牡3 1:37.3 古小路重男 境直行 円城和男
第21回 1987年1月11日 ヤマニンアーデン 牡3 1:38.4 田島信行 池江泰郎 土井宏二
第22回 1988年1月10日 ラガーブラック 牡3 1:37.2 村本善之 大久保正陽 奥村啓二
第23回 1989年1月15日 ファンドリポポ 牝3 1:37.4 西浦勝一 夏村辰男 水戸富雄
第24回 1990年1月14日 ニチドウサンダー 牡3 1:36.0 増井裕 白井寿昭 山田敏夫
第25回 1991年1月13日 ミルフォードスルー 牝3 1:35.7 河内洋 田中耕太郎 則武清司
第26回 1992年1月19日 マヤノペトリュース 牡3 1:35.8 田原成貴 坂口正大 田所祐
第27回 1993年1月17日 アンバーライオン 牡3 1:35.9 田所秀孝 鹿戸幸治 リボー(株)
第28回 1994年1月16日 ナムラコクオー 牡3 1:36.8 上村洋行 野村彰彦 奈村信重
第29回 1995年1月15日 メイショウテゾロ 牡3 1:34.5 上籠勝仁 星川薫 松本好雄
第30回 1996年1月14日 ゼネラリスト 牡3 1:34.5 松永幹夫 山本正司 マエコウファーム(有)
第31回 1997年1月15日 シーキングザパール 牝3 1:34.6 武豊 佐々木晶三 植中倫子
第32回 1998年1月18日 ダンツシリウス 牝3 1:36.8 四位洋文 山内研二 山元哲二
第33回 1999年1月17日 フサイチエアデール 牝3 1:34.6 武豊 松田国英 関口房朗
第34回 2000年1月9日 ダイタクリーヴァ 牡3 1:35.4 高橋亮 橋口弘次郎 (有)太陽ファーム
第35回 2001年1月8日 ダービーレグノ 牡3 1:35.4 幸英明 高橋成忠 (株)ダービー社
第36回 2002年1月14日 タニノギムレット 牡3 1:34.8 武豊 松田国英 谷水雄三
第37回 2003年1月12日 サイレントディール 牡3 1:34.8 武豊 池江泰郎 金子真人
第38回 2004年1月12日 グレイトジャーニー 牡3 1:35.4 武豊 池江泰郎 (有)ノースヒルズマネジメント
第39回 2005年1月10日 ペールギュント 牡3 1:35.7 武豊 橋口弘次郎 (有)サンデーレーシング
第40回 2006年1月9日 ゴウゴウキリシマ 牡3 1:34.4 石橋守 梅田康雄 西村新一郎
第41回 2007年1月8日 アドマイヤオーラ 牡3 1:35.1 岩田康誠 松田博資 近藤利一
第42回 2008年1月13日 ドリームシグナル 牡3 1:35.4 岩田康誠 西園正都 セゾンレースホース(株)
第43回 2009年1月11日 アントニオバローズ 牡3 1:35.3 角田晃一 武田博 猪熊広次
第44回 2010年1月10日 ガルボ 牡3 1:34.3 池添謙一 清水英克 石川一義
第45回 2011年1月9日 レッドデイヴィス 騸3 1:34.0 浜中俊 音無秀孝 (株)東京ホースレーシング
カテゴリ : 重賞データ
京都金杯(きょうときんぱい)は日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場の芝外回り1600mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走である。スポーツニッポンが賞を提供しており、正式名称は「スポーツニッポン賞 京都金杯」と表記している。
京都金杯概要
1963年に京都競馬場で「迎春賞」という競走名で芝2000mのハンデキャップの重賞競走として創設。1966年から「スポーツニッポン賞金盃」と名称変更され、負担重量も別定重量に変更。現在の中山金杯と共に新春を飾る金杯は東西2ヶ所で開催される形となる(ただし天皇賞などと異なり東西別々の競走とされ、回次はそれぞれ別のものを使用した)。
1981年に負担重量がハンデキャップに変更となり、1984年にはグレード制施行によりGIIIに格付けされた。1996年から電話投票の全国・全レース発売等の環境整備に伴い、中山競馬場で施行される金杯(現在の中山金杯)との区別をするため、京都金杯とレース名が変更された。2000年から距離が芝外回り1600mに短縮された。2006年から国際競走となった。現在は高松宮記念や安田記念を目指す短距離馬の新年度を占う重賞競走として施行されている。
芝2000mで施行されていた頃(グレード制導入後)はロンググレイス・タマモクロス・オサイチジョージ・ダイユウサク・イシノサンデーが、芝1600mに変更後はキョウエイマーチ・ハットトリック・エイシンデピュティといったGI馬が当競走を勝利している。
1976年から2006年(1985年を除く)まで1月5日に固定されて開催されていた。これは、地方競馬との申し合わせにより年末年始の12月29日から1月3日まで中央競馬を開催しないことになっていることと競馬法施行規則第1条の2の中で土曜日・日曜日・祝日に加えて「1月5日から同月7日」の開催が認められているためである。
2006年に競馬法施行規則が改正されたため、2007年は1月6日の施行となり、第1回京都競馬の開催日数は7日間となった。京都金杯が1月5日以外に開催されるのは1985年以来となった。
2008年からはJRAプレミアムレースの対象競走に指定された。
出走資格はサラ系4歳(旧5歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬及び外国調教馬である(8頭まで)。
負担重量はハンデキャップ。
2010年度現在の総額賞金は8,180万円で1着賞金4,300万円、2着賞金1,700万円、3着賞金1,100万円、4着賞金650万円、5着賞金430万円と定められている。
京都金杯歴史
1963年 – 京都競馬場の芝2000mの5歳以上(現4歳以上)のハンデキャップの重賞競走「迎春賞」として創設。
1964年
松本善登が騎手として史上初の連覇。
橋本正晴が調教師として史上初の連覇。
1966年
優勝馬にスポーツニッポン新聞社賞が与えられることになり、名称を「スポーツニッポン賞金盃」に変更。
負担重量を別定重量に変更。
1970年 – 名称を「スポーツニッポン賞金杯」に変更。
1971年 – 池江泰郎が騎手として史上2人目の連覇。
1973年 – 武田文吾が調教師として史上2人目の連覇。
1980年
京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝2000mで施行。
武邦彦騎手として史上3人目の連覇。
1981年 – 負担重量をハンデキャップに変更。
1984年 – グレード制施行によりGIIIに格付け。
1989年 – 昭和最後の関西地区重賞競走となる(開催直後に『昭和』から『平成』に改元されたため)。
1993年 – 混合競走に指定。
1994年 – 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝2000mで施行。
1996年 – 名称を「スポーツニッポン賞 京都金杯」とする。
2000年 – 距離を現在の芝外回り1600mに変更。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2002年
ダイタクリーヴァが史上初の連覇。
橋口弘次郎が調教師として史上3人目の連覇。
2006年
混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
4位入線のエイシンドーバーが進路妨害により12着に降着。
2007年 – 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
2008年 – JRAプレミアム対象競走に指定。
京都金杯歴代優勝馬
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1963年1月3日 スズカリユウ 牡5 2:07.4 松本善登 橋本正晴 三好笑子
第2回 1964年1月3日 カツラエース 牡5 2:05.9 松本善登 橋本正晴 牧市太郎
第3回 1965年1月3日 コウライオー 牡5 2:04.7 上田三千夫 吉田三郎 高田政治
第4回 1966年1月3日 キーストン 牡4 2:05.8 山本正司 松田由太郎 伊藤由五郎
第5回 1967年1月3日 ヤマニリユウ 牡4 2:04.7 高橋成忠 柏谷富衛 北沢元男
第6回 1968年1月3日 アトラス 牡4 2:03.4 武邦彦 戸山為夫 松岡重雄
第7回 1969年1月5日 ファインローズ 牝4 2:03.4 簗田善則 坪重兵衛 吉田久博
第8回 1970年1月4日 ホウウン 牡4 2:03.9 池江泰郎 梅内慶蔵 中井長一
第9回 1971年1月15日 ケイタカシ 牡6 2:07.2 池江泰郎 浅見国一 内田恵司
第10回 1972年1月5日 フイドール 牡4 2:07.8 武田博 武田文吾 小原菊枝
第11回 1973年1月7日 ユーモンド 牡4 2:08.3 福永洋一 武田文吾 新子政勇貴
第12回 1974年1月6日 ナオキ 牡5 2:01.4 佐々木昭次 田中康三 桜山ホース(株)
第13回 1975年1月6日 ハクサンホマレ 牡5 2:04.0 久保一秋 吉永猛 不破勝
第14回 1976年1月5日 スリーヨーク 牡5 2:04.4 出口隆義 諏訪佐市 永井商事(株)
第15回 1977年1月5日 コウイチサブロウ 牡4 2:02.8 松本善登 庄野穂積 桂土地(株)
第16回 1978年1月5日 リニアクイン 牝4 2:04.0 松田幸春 松田由太郎 桶谷辰造
第17回 1979年1月5日 インターグシケン 牡4 2:02.7 武邦彦 日迫良一 松岡正雄
第18回 1980年1月5日 グレートタイタン 牡5 2:03.4 武邦彦 吉田三郎 長底定治郎
第19回 1981年1月5日 ウエスタンジョージ 牡5 2:00.9 加用正 北橋修二 西川商事(株)
第20回 1982年1月5日 タマトップ 牡5 2:03.2 古小路重男 夏村辰男 玉井政夫
第21回 1983年1月5日 ミスラディカル 牝4 2:02.5 音無秀孝 田中良平 小田切有一
第22回 1984年1月5日 ロンググレイス 牝4 2:03.6 田原成貴 小林稔 中井長一
第23回 1985年1月6日 メジロトーマス 牡4 2:02.3 村本善之 池江泰郎 (有)メジロ牧場
第24回 1986年1月5日 エーコーフレンチ 牡5 2:03.8 田島信行 安田伊佐夫 池内賢市
第25回 1987年1月5日 ドウカンヤシマ 牡7 2:03.2 清水英次 鹿戸明 新井興業(株)
第26回 1988年1月5日 タマモクロス 牡4 2:03.7 南井克巳 小原伊佐美 タマモ(株)
第27回 1989年1月5日 カツトクシン 牡4 2:00.5 松永幹夫 安田伊佐夫 渡辺典六
第28回 1990年1月5日 オサイチジョージ 牡4 2:01.9 丸山勝秀 土門一美 野出長一
第29回 1991年1月5日 ダイユウサク 牡5 2:00.1 熊沢重文 内藤繁春 橋元幸平
第30回 1992年1月5日 ホワイトアロー 牡6 2:02.2 田原成貴 小野幸治 東山ホース(株)
第31回 1993年1月5日 エルカーサリバー 牝4 2:01.4 山田泰誠 田中良平 (株)クレアール
第32回 1994年1月5日 エイシンテネシー 牝5 2:02.8 田原成貴 坂口正則 平井豊光
第33回 1995年1月5日 ワコーチカコ 牝5 1:59.7 O.ペリエ 伊藤雄二 石田隆夫
第34回 1996年1月5日 テイエムジャンボ 牡5 1:59.7 河内洋 布施正 竹園正繼
第35回 1997年1月5日 イシノサンデー 牡4 2:02.3 四位洋文 山内研二 (株)イシジマ
第36回 1998年1月5日 ミッドナイトベット 牡4 2:00.6 O.ペリエ 長浜博之 (有)社台レースホース
第37回 1999年1月5日 ヒカリサーメット 牡5 1:59.5 河内洋 柳田次男 當山隆則
第38回 2000年1月5日 キョウエイマーチ 牝6 1:33.4 秋山真一郎 野村彰彦 松岡留枝
第39回 2001年1月5日 ダイタクリーヴァ 牡4 1:33.4 松永幹夫 橋口弘次郎 (有)太陽ファーム
第40回 2002年1月5日 ダイタクリーヴァ 牡5 1:33.8 武豊 橋口弘次郎 (有)太陽ファーム
第41回 2003年1月5日 サイドワインダー 牡5 1:33.7 四位洋文 北橋修二 (株)協栄
第42回 2004年1月5日 マイソールサウンド 牡5 1:33.3 本田優 西浦勝一 佐野清
第43回 2005年1月5日 ハットトリック 牡4 1:34.0 武豊 角居勝彦 (有)キャロットファーム
第44回 2006年1月5日 ビッグプラネット 牡4 1:34.0 和田竜二 南井克巳 (有)ビッグ
第45回 2007年1月6日 マイネルスケルツィ 牡4 1:33.9 柴田善臣 稲葉隆一 (株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第46回 2008年1月5日 エイシンデピュティ 牡6 1:33.6 岩田康誠 野元昭 平井豊光
第47回 2009年1月5日 タマモサポート 牡6 1:32.9 津村明秀 藤岡健一 タマモ(株)
第48回 2010年1月5日 ライブコンサート 騸6 1:34.1 岩田康誠 白井寿昭 グリーンフィールズ(株)
第49回 2011年1月5日 シルポート 牡6 1:33.4 小牧太 西園正都 百万武夫
カテゴリ : 重賞データ
中山金杯(なかやまきんぱい)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝2000mで施行する中央競馬の重賞(GIII)競走である。日刊スポーツが賞を提供しており、正式名称は「日刊スポーツ賞 中山金杯」と表記している。
中山金杯概要
1952年に中山競馬場で「金盃」として同競馬場の新年最初の重賞競走として創設された。第1回はハンデキャップ競走の2600mで施行されたが、1954年から別定戦に変更された。
創設当初は1月最初の開催の最終日(8日目)の施行であったが1961年より新春最初の開催に移行し、このときからハンデ戦に変更、距離も2000mに短縮された。
1966年より優勝馬に日刊スポーツ新聞社賞が与えられることになり、名称が「日刊スポーツ賞金盃」に変更された。
1970年からは関東の新春開催が東京競馬場で施行されたので、この競走も東京競馬場で施行される。1971年に「金盃」から「金杯」に競走名が変更された。なおJRAでは1970年から競走名における「盃」表記を「杯」にしていたが、本競走だけは1970年も「盃」の名が使用されていた。
1980年に関東の新春開催が中山競馬場に戻されたため中山競馬場での施行となり、1984年にはグレード制施行によりGIIIに格付けされた。1996年から電話投票の全国・全レース発売等の環境整備に伴い、京都競馬場で施行される金杯(現在の京都金杯)との区別をするため、中山金杯とレース名を変更され。2006年からは国際競走となり、外国調教馬の出走が可能になった。2006年の競馬法施行規則改正に伴い、2007年は1月6日の施行となり、第1回中山競馬の開催日数は7日間となった。また、2009年は1970年以来39年ぶりに1月4日に施行された。
1976年から2006年(1985年を除く)まで1月5日に固定されて開催されていた。これは、地方競馬との申し合わせにより年末年始の12月29日から1月3日まで中央競馬を開催しないことになっていることと競馬法施行規則第1条の2の中で土曜日・日曜日・祝日に加えて「1月5日から同月7日」の開催が認められているためである。
2008年からはJRAプレミアムレースの対象競走に指定され、通常の払戻金に売り上げの5%相当を上乗せしての払戻しを行っている。
現在は春の天皇賞や宝塚記念を目指す中長距離馬の新年度を占う重賞競走として施行されている。
出走資格はサラ系4歳(旧5歳)以上で、施行日当日の1週前から過去1年前までの期間内に1回以上出走のJRA所属の競走馬及び外国調教馬である(8頭まで)。
2011年の総額賞金は8,180万円で1着賞金4,300万円、2着賞金1,700万円、3着賞金1,100万円、4着賞金650万円、5着賞金430万円と定められている。
中山金杯歴史
1952年 – 中山競馬場の芝2600mの5歳以上(現4歳以上)のハンデキャップの重賞競走・金盃として創設。
1954年 – 負担重量を別定に変更。
1960年 – 前年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
1961年 – 距離を芝2000m、負担重量をハンデキャップに変更。
1966年 – 優勝馬に日刊スポーツ新聞社賞が与えられることになり、名称を日刊スポーツ賞金盃に変更。
1970年 – 施行場を東京競馬場に変更。
1971年
この年より金杯と表記変更。
積雪の影響でダート2100mに変更。
1972年 – 馬インフルエンザ流行の影響で、4月に福島競馬場で順延開催。厩務員ストライキの影響によりさらに2週間遅れて施行された[1]。
1978年 – 積雪の影響でダート2100mに変更。
1980年 – 施行場を中山競馬場に戻す。
1984年 – グレード制施行によりGIIIに格付け。
1989年 – 昭和最後の関東地区重賞競走となる(開催直後に『昭和』から『平成』に改元されたため)。
1994年 – 混合競走に指定。
1996年
名称を中山金杯とする。
福島競馬場の改修工事による振替開催により東京競馬場の芝2000mで施行。
2001年 – 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
2002年 – 東京競馬場の改修工事による振替開催により東京競馬場の芝2000mで施行。
2006年 – 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
2007年 – 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
2008年 – JRAプレミアム対象競走に指定。
2009年 – 1970年以来39年ぶりに1月4日の開催となり、京都金杯と開催日が異なるのも馬インフルエンザの影響で関東の競馬開催ができなかった1972年以来37年ぶり。
中山金杯歴代優勝馬
当競走を優勝した後にGI競走を優勝した馬がおり、グレード制導入後はスズパレード・クシロキング・サクラローレル・グルメフロンティア・シャドウゲイトの5頭。
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1952年1月20日 サチフサ 牡4 2:46 2/5 蛯名武五郎 藤本冨良 (株)東北牧場
第2回 1953年1月18日 アサトモ 牡4 2:47 2/5 古山良司 望月与一郎 手塚栄一
第3回 1954年1月17日 ガイセイ 牡4 2:53 4/5 保田隆芳 尾形藤吉 岩崎利明
第4回 1955年1月16日 ハクリヨウ 牡5 2:45 2/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第5回 1956年1月22日 クリチカラ 牡6 2:57 2/5 森安弘明 尾形藤吉 栗林友二
第6回 1957年1月20日 ホマレモン 牡4 2:44 1/5 山本勲 尾形藤吉 永田雅一
第7回 1958年1月19日 オンワードゼア 牡4 2:48 1/5 野平好男 二本柳俊夫 樫山純三
第8回 1959年1月18日 トサオー 牡4 2:47 3/5 野平祐二 松山吉三郎 溝本儀三男
第9回 1960年1月17日 カネチカラ 牡4 2:48.1 森安弘明 阿部正太郎 金指吉昭
第10回 1961年1月3日 ヤマニンモアー 牡4 2:05.8 藤本勝彦 藤本冨良 土井宏二
第11回 1962年1月3日 オンスロート 牡5 2:03.3 山岡忞 中村広 荒木政司
第12回 1963年1月3日 カネツセーキ 牡4 2:03.4 伊藤竹男 久保田金造 清水正紀
第13回 1964年1月3日 トースト 牝5 2:04.1 保田隆芳 尾形藤吉 永田雅一
第14回 1965年1月3日 アサホコ 牡5 2:04.2 加賀武見 藤本冨良 手塚栄一
第15回 1966年1月3日 ヤマドリ 牡5 2:03.8 森安弘明 森末之助 清水友太郎
第16回 1967年1月3日 ヒガシソネラオー 牡5 2:06.1 伊藤竹男 久保田金造 坂本清五郎
第17回 1968年1月3日 オンワードヒル 牡5 2:04.8 牧野三雄 中村広 樫山純三
第18回 1969年1月5日 ハクセツ 牝4 2:04.4 岡部幸雄 高橋英夫 中村勝五郎氏
第19回 1970年1月4日 スイートフラッグ 牝6 2:03.8 野平祐二 野平省三 和田共弘
第20回 1971年1月5日 コウジョウ 牡5 2:12.0 吉永正人 松山吉三郎 佐藤守宏
第21回 1972年4月30日 コーヨー 牡4 2:01.6 川上征雄 川上武一 佐藤欣治
第22回 1973年1月7日 クリイワイ 牡4 2:04.8 郷原洋行 大久保勝之 栗林友二
第23回 1974年1月6日 イナボレス 牡5 2:01.4 宮田仁 大久保末吉 稲富稜人
第24回 1975年1月6日 ウエスタンダッシュ 牡4 2:03.1 伊藤正徳 尾形藤吉 西川商事(株)
第25回 1976年1月5日 アイフル 牡5 2:03.1 菅原泰夫 仲住芳雄 藤本義昭
第26回 1977年1月5日 ハーバーヤング 牡5 2:02.0 岡部幸雄 稲葉秀男 (株)ハーバー
第27回 1978年1月5日 シマノカツハル 牡5 2:09.7 小島太 古山良司 高橋勝治
第28回 1979年1月5日 シービークロス 牡4 2:00.6 吉永正人 松山吉三郎 千明牧場
第29回 1980年1月5日 ヨシノスキー 牡4 2:08.4 的場均 佐藤征助 吉沢操子
第30回 1981年1月5日 ドロッポロード 牡4 2:02.0 中野栄治 荒木静雄 瀧村修蔵
第31回 1982年1月5日 エイティトウショウ 牝4 2:04.4 中島啓之 奥平真治 トウショウ産業(株)
第32回 1983年1月5日 ヨロズハピネス 牡4 2:02.2 伊藤正徳 尾形充弘 (株)アイ・ケイ・テイ・オーナーズ
第33回 1984年1月5日 ドウカンヤシマ 牡4 2:01.8 大塚栄三郎 田中朋次郎 新井興業(株)
第34回 1985年1月6日 スズパレード 牡4 2:00.4 田村正光 富田六郎 小紫芳夫
第35回 1986年1月5日 クシロキング 牡4 2:01.6 岡部幸雄 中野隆良 阿部昭
第36回 1987年1月5日 トチノニシキ 牝5 2:02.6 蛯沢誠治 栗田博憲 早乙女光男
第37回 1988年1月5日 アイアンシロー 牡6 2:01.9 蓑田早人 森末之助 西山正行
第38回 1989年1月5日 ニシノミラー 牡5 2:00.7 武藤善則 佐藤全弘 西山正行
第39回 1990年1月5日 メジロモントレー 牝4 2:00.4 横山典弘 奥平真治 (有)メジロ牧場
第40回 1991年1月5日 カリブソング 牡5 2:00.4 柴田政人 加藤修甫 (株)荻伏牧場レーシング・クラブ
第41回 1992年1月5日 トウショウファルコ 牡6 1:59.6 柴田政人 新関力 トウショウ産業(株)
第42回 1993年1月5日 セキテイリュウオー 牡4 2:00.5 田中勝春 藤原敏文 (株)新元観光
第43回 1994年1月5日 ヒダカハヤト 牡7 2:00.7 大塚栄三郎 森安弘昭 清峰殖産(株)
第44回 1995年1月5日 サクラローレル 牡4 2:00.5 小島太 境勝太郎 全尚烈
第45回 1996年1月5日 ベストタイアップ 牡4 1:59.3 横山典弘 松山康久 吉田照哉
第46回 1997年1月5日 ベストタイアップ 牡5 2:01.5 岡部幸雄 松山康久 吉田照哉
第47回 1998年1月5日 グルメフロンティア 牡6 2:01.4 岡部幸雄 田中清隆 石井政義
第48回 1999年1月5日 サイレントハンター 牡6 2:00.8 吉田豊 大久保洋吉 臼田浩義
第49回 2000年1月5日 ジョービッグバン 牡5 2:01.4 山田和広 坪正直 上田けい子
第50回 2001年1月5日 カリスマサンオペラ 牝4 2:01.2 中舘英二 崎山博樹 畔柳年言
第51回 2002年1月5日 ビッグゴールド 牡4 1:59.0 柴田善臣 中尾正 (有)ビッグ
第52回 2003年1月5日 トーホウシデン 牡6 2:00.0 田中勝春 田中清隆 東豊物産(株)
第53回 2004年1月5日 アサカディフィート 騸6 1:59.2 中舘英二 鶴留明雄 浅川吉男
第54回 2005年1月5日 クラフトワーク 牡5 1:59.0 横山典弘 後藤由之 (有)サンデーレーシング
第55回 2006年1月5日 ヴィータローザ 牡6 1:59.4 柴山雄一 橋口弘次郎 (有)サンデーレーシング
第56回 2007年1月6日 シャドウゲイト 牡5 2:02.4 田中勝春 加藤征弘 飯塚知一
第57回 2008年1月5日 アドマイヤフジ 牡6 2:00.7 川田将雅 橋田満 近藤利一
第58回 2009年1月4日 アドマイヤフジ 牡7 1:58.5 川田将雅 橋田満 近藤利一
第59回 2010年1月5日 アクシオン 牡7 2:00.8 藤田伸二 二ノ宮敬宇 中田徹
第60回 2011年1月5日 コスモファントム 牡4 1:59.8 松岡正海 宮徹 (有)ビッグレッドファーム
中山金杯サイン
1980年代の中山金杯の勝ち馬の傾向から、『金杯では「金」のつく馬が勝つ』というサインが語られることがある。
カテゴリ : 重賞データ