浅見秀一(あさみ ひでかず、1951年5月11日 – )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンター所属の調教師である。元調教師の浅見國一は実父。
浅見秀一 プロフィール
1973年に父の浅見國一厩舎で騎手候補となり、1977年に調教助手となる。長らく父の下で調教助手を務めていたが、1991年に調教師免許を取得し、翌1992年3月に厩舎を開業。
初出走は同年3月8日中京競馬第1競走のグローバルキティで7着、初勝利は同年3月14日中京競馬第7競走のアテヨーノクラウンで延べ4頭目であった。 1994年のアルゼンチン共和国杯をマチカネアレグロで制して重賞初勝利を挙げた。
1997年に父・浅見國一調教師が定年引退となり、メジロブライトなどの管理馬を引き継いだ。そのメジロブライトが翌1998年の天皇賞(春)を勝ち、G1競走初勝利となった。
浅見秀一 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1992年3月8日 1回中京2日1R アラ系4歳上800万下 グローバルキティ 10頭 6 7着
初勝利 1992年3月14日 1回中京3日7R 5歳上500万下 アテヨーノクラウン 16頭 3 1着
重賞初出走 1992年7月5日 1回札幌8日11R 札幌記念 ニックテイオー 13頭 7 2着
重賞初勝利 1994年11月19日 5回東京5日11R アルゼンチン共和国杯 マチカネアレグロ 14頭 2 1着
GI初出走 1994年12月25日 5回中山8日9R 有馬記念 マチカネアレグロ 13頭 7 10着
GI初勝利 1998年5月3日 3回京都4日11R 天皇賞(春) メジロブライト 14頭 2 1着
浅見秀一 主な管理馬
メジロブライト(1998年天皇賞 (春))
ヤマニンシュクル(2003年阪神ジュベナイルフィリーズ)
ソングオブウインド(2006年菊花賞)
レジネッタ(2008年桜花賞)
浅見秀一 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
白浜雄造(1998年-2002年、2002年-2004年 騎手)
千田輝彦(2001年、2002年、2004年 騎手)
浅見恵一(2005年-現在 調教助手)
林満明(2006年-2007年 騎手)
田中健(2007年-現在 騎手)
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荒川 義之(あらかわ よしゆき、1968年5月21日 – )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属している調教師である。京都府出身。
荒川義之プロフィール
1994年、10月にJRA競馬学校厩務員課程に入学する。
1995年、4月から栗東・飯田明弘厩舎所属の厩務員となり後に調教厩務員となる。12月からは調教助手となった。
2007年、調教師免許を取得。7月21日付で厩舎を開業した(12馬房、うち2馬房は臨時貸付け)。開業時の管理馬は、勇退解散した安藤正敏厩舎から引き継いだ。7月21日に管理馬が初出走、オースミオペラが7着となる。10月7日にチェレブリタが勝利し、延べ33戦目で初勝利を挙げた。
荒川義之 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2007年7月21日 2回小倉3日2R 3歳未勝利 オースミオペラ 16頭 11 7着
初勝利 2007年10月7日 4回京都2日1R 2歳未勝利 チェレブリタ 16頭 3 1着
重賞初出走 2007年11月4日 5回京都2日11R ファンタジーS チェレブリタ 14頭 8 5着
重賞初勝利 2008年5月10日 1回新潟3日11R 新潟大賞典 オースミグラスワン 16頭 3 1着
GI初出走 2008年11月2日 4回東京8日11R 天皇賞(秋) オースミグラスワン 17頭 10 7着
荒川義之 主な管理馬
オースミグラスワン(2008年新潟大賞典)
チェレブリタ(2009年京都牝馬ステークス)
ジュエルオブナイル(2009年小倉2歳ステークス)
ミリオンディスク(2009年カペラステークス、2010年北海道スプリントカップ)
荒川義之 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
安藤清治(2007年 調教助手)
佐藤淳(2007年-現在 調教助手)
西山誠(2007年-現在 調教助手)
高橋亮(2009年-現在 騎手)
カテゴリ : 調教師 あ行
安達 昭夫(あだち あきお、1959年10月27日 – )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンター所属の調教師である。
安達昭夫プロフィール
私立高校への進学が決まっていたが、騎手への夢を捨てきれず[1]、馬事公苑の昭和50年度長期騎手講習生となり、1979年3月、栗東・増本勇厩舎所属の騎手として騎手デビューした。当時、父親も増本厩舎で厩務員として働いていた。デビュー当初は騎乗馬にも恵まれ、栗田伸一と新人賞を争ったが、栗田の22勝に対して16勝で新人賞獲得はならなかった。
しかし、身長が167cmと高く体重もやや重たかった事から、次第に騎乗数も減ってゆき、途中フリーになったり厩舎所属を繰り返すことになる。騎手時代の晩年は梅内忍厩舎所属となって1994年に引退。通算勝利は125勝であった。
騎手引退は梅内厩舎の調教助手となり、1999年に調教師免許を取得。2000年に厩舎を開業。初出走は同年3月4日阪神競馬第10競走のヤマトプリティで2着、初勝利は同年4月23日福島競馬第12競走のマルサンミッキーで、延べ24頭目であった。
安達昭夫 騎手成績
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 122 159 144 1952 .063 .144
障害 3 7 3 27 .111 .370
計 125 166 147 1979 .063 .147
日付 競走名 競馬場 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1979年3月10日 4歳未勝利 阪神 ノトヨーコー 10 – 9着
初勝利 1979年3月10日 – 阪神 フジワカ – – 1着
重賞初騎乗 1979年8月19日 函館記念 函館 ハッコウオー 11頭 8 5着
GI級初騎乗 1979年11月16日 エリザベス女王杯 阪神 ミンドヒカリ 18頭 16 15着
安達昭夫 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2000年3月4日 1回阪神3日10R 鳴門S ヤマトプリティ 16頭 5 2着
初勝利 2000年4月23日 1回福島2日12R 5歳上500万下 マルサンミッキー 12頭 7 1着
重賞初出走 2000年9月3日 3回小倉8日11R 小倉3歳S フィオリトゥーラ 17頭 15 17着
重賞初勝利 2003年12月6日 6回中山1日11R ステイヤーズS チャクラ 10頭 6 1着
GI初出走 2002年5月4日 3回東京6日11R NHKマイルカップ マヤノサリーダ 18頭 17 15着
GI初勝利 2009年12月6日 5回阪神2日11R ジャパンカップダート エスポワールシチー 16頭 1 1着
安達昭夫 代表管理馬
チャクラ(ステイヤーズステークス、目黒記念)
メイショウオスカル(フローラステークス、福島牝馬ステークス)
ヤマトマリオン(フローラステークス、東海ステークス、クイーン賞、TCK女王盃)
バンブーエール(JBCスプリント、クラスターカップ、東京盃)
エスポワールシチー(かしわ記念2勝、マイルチャンピオンシップ南部杯、ジャパンカップダート、フェブラリーステークス、マーチステークス)
サウンドバリアー(フィリーズレビュー)
安達昭夫 関連項目
競馬の調教師一覧
参考文献 [編集]
「日本の騎手」(中央競馬ピーアール・センター編、1981年)
「中央競馬騎手名鑑・1984年版」(日本中央競馬会、1984年)
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相沢 郁(あいざわ いくお、1959年6月19日 – )はJRA美浦トレーニングセンター所属の調教師。
相沢郁プロフィール
美浦の前田禎厩舎で調教助手の経験を経て調教師試験に合格する。
1997年3月 - 調教師免許を取得
1998年3月 - 厩舎開業
1998年11月25日 - 重賞初勝利(ウメノファイバー)
1999年5月30日 - G1初勝利(ウメノファイバー)
2005年6月25日 - 通算100勝を達成
2010年6月20日 - 通算200勝を達成
相沢郁 調教師成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1998年3月7日 2回中山3日1R 4歳未勝利 アカバラジョウ 16頭 15 14着
初勝利 1998年5月17日 1回新潟6日12R 5歳上500万下 ベルグエイシ 13頭 3 1着
重賞初出走 1998年8月2日 2回函館8日11R 函館3歳S ウメノファイバー 16頭 15 4着
重賞初勝利 1998年11月14日 5回東京3日11R 京王杯3歳S ウメノファイバー 9頭 6 1着
GI初出走 1998年12月6日 6回阪神2日11R 阪神3歳牝馬S ウメノファイバー 13頭 8 6着
GI初勝利 1999年5月30日 3回東京4日11R 優駿牝馬 ウメノファイバー 18頭 7 1着
相沢郁 主な管理馬
ウメノファイバー(1999年オークスなど重賞3勝)
マイネルコンドル(1999年札幌3歳ステークス)
ジョウテンブレーヴ(2001年マイラーズカップなど重賞4勝)
ダンスインザモア(2005年スプリングステークス、2010年福島記念)
クリールパッション(2010年エルムステークス)
相沢郁 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
松岡正海(2005年-現在 騎手)
斎藤誠(2005年-2006年 調教助手)
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国分 優作(こくぶん ゆうさく、1990年12月27日 – )は日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属する騎手。常用外漢字の使用に制約があるJRA公式ホームページ・新聞などでは「国分」と表記されるが、正しくは「國分 優作」。
双子の弟・国分恭介も栗東所属の騎手。
国分優作プロフィール
2006年4月に競馬学校第25期生として双子の弟・恭介らと共に入学。在学中の3年生時には弟同様、藤田伸二の特別講義を受け[1]、2009年2月に卒業。その際、成績優秀者に贈られるアイルランド大使特別賞を受賞している。
兄・優作は美浦の国枝栄厩舎、弟・恭介は栗東の五十嵐忠男厩舎と東西別れての所属となり、JRAでは柴田大知・柴田未崎以来13年振り2組目の双子騎手となった[2]。なお同期に小野寺祐太、松山弘平、丸山元気などがいる。
しかし2009年は恭介23勝に対し優作は4勝。2010年も恭介52勝に対し優作は3勝と、弟に大きく水を空けられる状況下にあったが、関西では減量騎手の起用に積極的であるという背景を考慮した当時の師匠である国枝の方針もあり、2010年11月より騎手としては珍しく「栗東留学」を行った[3]。
3キロ減の減量騎手ということから乗り鞍を集めた優作は徐々に勝利数も伸ばしはじめ、やがて「勝つまで乗せる」という調教師も現れるようになるなど栗東関係者より信頼を集めるようになる[4]。国枝は「美浦に帰ってくるまでに10勝してこい」と優作を送り出し、当初は2月一杯で美浦に戻す予定であったものの[4]、栗東で成果を出すようになった優作を呼び戻すことはせず、そのまま留め置くようになり2011年3月1日より栗東へ所属変更となった。[5]。
国分優作 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2009年3月1日 2回中山2日1R 3歳未勝利 ヒラボクドリーム 16頭 6 14着
初勝利 2009年4月19日 1回福島4日1R 3歳未勝利 ラレーヌデュバル 15頭 7 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2009年 4 3 6 171 .023 .041 .076
2010年 3 12 12 255 .012 .059 .106
中央 7 15 18 426 .016 .052 .094
地方 0 0 0 1 .000 .000 .000
国分優作 脚注
^ 別冊宝島 騎手・藤田伸二 20年の「男道」「フリー百科事典『ウィキペディア』本人チェック」
^ ただし双子騎手自体は片方のみJRAでもう片方がNARであれば水野貴広・水野貴史兄弟が既に柴田より先にいた。また両方NARであれば竹田吉孝・竹田吉秀兄弟やかつて兵庫で騎手をしていた松本良平・松本心平兄弟の例もあった
^ KKベストセラーズ「競馬最強の法則」 2011年1月号 p.99
^ a b 2011年2月5日日刊スポーツ関西版
^ 時事ドットコム:国分、水出騎手が所属変更=JRA 2011-02-25閲覧
カテゴリ : 競馬用語&競走馬, 競馬用語&競走馬 か行
国分 恭介(こくぶん きょうすけ、1990年12月27日 – )は日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属する騎手。常用外漢字の使用に制約があるJRA公式ホームページ・新聞などでは「国分」と表記されるが、正しくは「國分 恭介」。
双子の兄・国分優作も栗東所属の騎手。
国分恭介プロフィール
騎手になるきっかけは恭介の身体が小さかったこともあって、母が競馬学校のパンフレットを家に持ち帰り、将来の進路のひとつとして勧めたことがきっかけだったという[1]。
2006年4月に競馬学校第25期生として双子の兄・優作らと共に入学。また、3年生時に藤田伸二の特別講義を受けた一人である[2]。
2009年2月に競馬学校を卒業。JRAでは柴田大知・柴田未崎以来、13年振り2組目の双子騎手となった[3]。同期に小野寺祐太、国分優作、松山弘平、丸山元気がいる。
調教中に落馬負傷したため、同期の他の4人より1週間遅れてのデビューとなった。初騎乗は2009年3月7日、阪神競馬場第1レースのターンオーバーで、14頭立ての11着だった。同年4月25日、京都競馬場第12レースで5番人気スリーサンビームに騎乗し53戦目で初勝利を挙げた。兄・優作から6日遅れての初勝利だった。
2009年9月6日、小倉2歳ステークスでダンツミラションに騎乗し重賞初騎乗(8着)。また、年末に中京競馬場で実施された「中京ヤングバトルシリーズ2009」(ポイント制)で見事優勝し、翌2010年の同シリーズも優勝し連覇を果たす。同年10月17日には府中牝馬ステークスをテイエムオーロラで勝利し、15度目の挑戦で同期一番乗りとなる、JRA重賞初勝利を挙げる。
国分恭介 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2009年3月7日 1回阪神3日1R 3歳未勝利 ターンオーバー 14頭 10 11着
初勝利 2009年4月25日 3回京都1日12R 4歳上500万円下 スリーサンビーム 16頭 5 1着
重賞初騎乗 2009年9月6日 3回小倉8日10R 小倉2歳ステークス ダンツミラション 14頭 12 8着
重賞初勝利 2010年10月17日 4回東京4日11R 府中牝馬ステークス テイエムオーロラ 17頭 4 1着
GI初騎乗 2010年11月14日 6回京都4日11R エリザベス女王杯 テイエムプリキュア 17頭 11 17着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2009年 23 29 42 539 .043 .096 .174
2010年 52 34 59 843 .062 .102 .172
中央 75 63 101 1382 .054 .100 .173
地方 0 0 1 7 .000 .000 .143
国分介 脚注
^ 2010年11月16日付中日スポーツ紙面
^ 別冊宝島 騎手・藤田伸二 20年の「男道」「フリー百科事典『ウィキペディア』本人チェック」
^ ただし双子騎手自体は片方のみJRAでもう片方がNARであれば水野貴広・水野貴史兄弟が既に柴田より先にいた。また両方NARであれば竹田吉孝・竹田吉秀兄弟やかつて兵庫で騎手をしていた松本良平・松本心平兄弟の例もあった
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行, 69~0点商材一覧
黒岩 悠(くろいわ ゆう、1983年10月26日 – )は、JRA・栗東トレーニングセンターの騎手。
黒岩 悠プロフィール
2002年3月2日、競馬学校第18期生吉岡八郎厩舎所属騎手としてデビュー。同期には五十嵐雄祐・高野容輔・南井大志らがいる。
1年目より平地の他、障害競走にも騎乗。2年目の2003年には自己最高となる17勝をマークし、平地・障害双方の重賞競走への初騎乗も記録。この年ナムラエキスプレスにて障害初勝利を達成、同馬にて小倉サマージャンプに参戦し3着という結果を残している。
見習騎手から外れる2005年以降、平地での騎乗機会は減少するも障害競走へと活躍の場を移し、デビュー7年目となる2008年にはドールリヴィエールに騎乗し三木ホースランドジャンプステークスを制し初の特別競走勝ちを記録、翌2009年には同馬にてJGI初騎乗も果たしている。
黒岩 悠 主な騎乗馬
ナムラエキスプレス(2003年小倉サマージャンプ3着)
ドールリヴィエール(2008年三木ホースランドJS)
黒岩 悠 騎乗成績
競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平
地 初騎乗 2002年3月2日 1回中京1日3R 3歳未勝利 キシュウミカン 16頭 9 15着
初勝利 2002年7月14日 2回小倉2日1R 3歳未勝利 マヤノフォーティ 15頭 5 1着
重賞初騎乗 2003年2月9日 2回京都4日11R シルクロードステークス キシュウファンタジ 14頭 12 11着
障
害 初騎乗 2002年7月20日 2回小倉3日5R 障害未勝利 マリアエレナ 12頭 10 12着
初勝利 2003年3月29日 2回阪神1日5R 障害未勝利 ナムラエキスプレス 14頭 2 1着
重賞初騎乗 2003年5月17日 3回京都7日9R 京都ジャンプステークス アグネスストーム 14頭 11 7着
JGI初騎乗 2009年4月18日 3回中山7日11R 中山グランドジャンプ ドールリヴィエール 15頭 9 5着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2002年 2 2 5 139 .014 .029 .065 0 0 0 6 .000 .000 .000
2003年 13 12 21 302 .043 .083 .152 4 3 4 33 .121 .212 .333
2004年 3 10 6 142 .021 .092 .134 1 0 2 8 .125 .125 .375
2005年 2 2 3 85 .024 .047 .082 0 0 2 15 .000 .000 .133
2006年 0 0 0 43 .000 .000 .000 1 2 2 32 .031 .094 .156
2007年 0 0 2 18 .000 .000 .111 2 0 1 30 .067 .067 .100
2008年 1 1 1 31 .032 .065 .097 6 2 0 32 .188 .250 .250
2009年 0 0 0 10 .000 .000 .000 0 0 5 42 .000 .000 .119
2010年 0 1 0 16 .000 .063 .063 0 1 4 41 .000 .024 .122
中央 21 28 38 786 .027 .062 .111 14 8 20 239 .058 .092 .175
地方 0 1 0 9 .000 .111 .111
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
熊沢 重文(くまざわ しげふみ、1968年1月25日 – )は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の騎手である。JRAおよびマスコミ各社における表記ルールにより「熊沢」になっているが正しくは「熊澤重文」である[1]。
平地・障害どちらもトップジョッキーと言われるレベルにある。
熊沢重文 プロフィール
1968年愛知県刈谷市にて出生、またこれより10年ほど前に南井騎手の家族も京都から移り住んでおり、これが熊沢が騎手となる契機の一つとなっている。この刈谷では祭事に馬が使われることは珍しくなく熊沢も馬に少なからず興味を示しこれも騎手となる素地であったと語っている。
熊沢が中学野球で活動していた頃父が入院、その同じ病室に南井の父親がいたことから話は進展。息子同士が出会うこととなり、同時期に担任の教師より「(同じ愛知出身の)調教師に話を通してもいい」と後押しされたこともあり熊沢は騎手になることを志すようになる。
1986年騎手免許を取得し栗東・内藤繁春厩舎所属騎手としてデビュー、同期騎手として横山典弘、松永幹夫などがいる。3年目の1988年に代打騎乗[2]となるコスモドリームで優駿牝馬を制しGI初勝利を記録、満20歳3ヶ月という最年少GI勝利(当時)の他、史上3人目の減量騎手のオークス制覇[3]という記録も達成している。
1991年にはダイユウサクで有馬記念をレコード勝ちし二度目のGI勝利を記録、人気馬メジロマックイーンを破った実力派騎手としてこのレース以降、熊沢の名は関東でも認知されるようになりファンからの声援の他、調教師からも声がかかるようになった[4]が、この2つのGI勝利を熊沢は「悪く言えばどちらも遊びに行ったという感じ[5]。」「人気薄(コスモドリーム/10番人気・ダイユウサク/13番人気)で気楽に乗れた[6]。」と振り返っている。
他にも1996年スプリンターズステークスではわずか1cmの差で涙を飲んだ快速馬エイシンワシントン、後にパートナー交替となるが、ステイゴールドの主戦騎手でもあった。
また「最も取りたいレースは日本ダービーと中山大障害」と公言[7]しているように、障害競走にも積極的に騎乗している。平地競走でGI勝利を経験している騎手は障害競走には初めから乗らないか、それまで乗っていても辞めるケースがほとんど(障害競走は落馬の危険性が高く、怪我をしやすいため敬遠する騎手も多い)であり、今も騎乗し続けている熊沢は極めて稀有な例である。勝利数も多く、1999年、2000年、2002年、2004年にJRA賞(最多勝利障害騎手)を獲得し、通算500勝、800勝は障害競走で記録し、2001年にはJRA3人目[8]となる平地・障害100勝を達成している。
2005年12月4日、テイエムプリキュアに騎乗し阪神ジュベナイルフィリーズに勝利。ダイユウサク以来14年ぶりのGI制覇となった。
2009年8月8日の小倉競馬4Rでベネラに騎乗し1着となり、中央競馬史上29人目、現役12人目となるJRA通算900勝を達成した。
熊沢重文 主な騎乗馬
コスモドリーム(1988年オークス)
ダイユウサク(1991年有馬記念、京都金杯)
エイシンワシントン(1994年セントウルステークス、1996年CBC賞、スプリンターズステークス2着)
ストーンステッパー(1996年根岸ステークス、1997年ガーネットステークス)
ステイゴールド(1998年天皇賞春2着・宝塚記念2着・1999年天皇賞秋2着)
ロードプリヴェイル(2004年京都ハイジャンプ、阪神ジャンプステークス、小倉サマージャンプ)
テイエムプリキュア(2005年阪神ジュベナイルフィリーズ、2009年エリザベス女王杯2着)
熊沢重文 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平
地 初騎乗 1986年3月2日 1回阪神4日7R 5歳上400万円下 ジュニヤーダイオー 12頭 5 5着
初勝利 1986年3月29日 2回阪神3日8R 5歳上400万円下 ジュニヤーダイオー 14頭 8 1着
重賞初騎乗 1986年11月30日 3回中京4日11R 愛知杯 マルカセイコウ 13頭 12 13着
GI初騎乗・初勝利 1988年5月22日 5回東京2日10R 優駿牝馬 コスモドリーム 22頭 10 1着
障
害 初騎乗 1987年4月11日 2回阪神5日5R 障害オープン グリーンサツキ 14頭 13 12着
初勝利 1987年10月24日 4回京都5日5R 障害未勝利 グリーンサンミャク 10頭 2 1着
重賞初騎乗 1987年9月19日 4回阪神3日9R 阪神障害ステークス(秋) インターシャドー 9頭 6 4着
重賞初勝利 1993年5月8日 3回京都5日9R 京都大障害(春) ビックフォルテ 8頭 4 1着
JGI初騎乗 2001年4月14日 3回中山7日11R 中山グランドジャンプ ダンシングターナー 11頭 4 3着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1986年 30 28 24 345 .087 .168 .238 –
1987年 19 18 16 275 .069 .135 .193 2 4 2 27 .074 .222 .296
1988年 27 30 18 283 .095 .201 .265 0 0 3 11 .000 .000 .273
1989年 34 24 25 298 .114 .195 .279 3 2 2 23 .130 .217 .304
1990年 21 24 22 306 .069 .147 .219 7 4 6 54 .130 .204 .315
1991年 31 30 28 425 .073 .144 .209 4 3 5 43 .093 .163 .279
1992年 29 38 44 454 .064 .148 .244 3 4 6 38 .079 .184 .342
1993年 35 43 43 510 .069 .153 .237 7 8 9 44 .159 .341 .545
1994年 29 44 47 549 .053 .133 .219 6 6 4 36 .167 .333 .444
1995年 38 46 42 500 .076 .168 .252 5 6 6 42 .119 .262 .405
1996年 51 40 39 510 .100 .178 .255 7 10 7 41 .171 .415 .585
1997年 48 53 31 529 .091 .191 .250 6 7 7 36 .167 .361 .556
1998年 39 53 43 526 .074 .175 .257 7 2 6 42 .167 .214 .357
1999年 33 49 46 589 .056 .139 .217 16 6 4 40 .400 .550 .650
2000年 35 43 50 620 .056 .126 .206 17 9 6 61 .279 .426 .525
2001年 49 57 58 679 .072 .156 .242 11 15 9 61 .180 .426 .574
2002年 28 41 49 590 .047 .117 .200 13 9 6 53 .245 .415 .528
2003年 37 42 48 631 .059 .125 .201 6 10 6 49 .122 .327 .449
2004年 35 42 29 551 .064 .140 .192 11 6 4 53 .208 .321 .396
2005年 33 43 29 610 .054 .125 .172 6 7 6 45 .133 .289 .422
2006年 18 29 30 510 .035 .092 .151 6 3 4 37 .162 .243 .351
2007年 14 14 14 368 .038 .076 .114 3 5 4 33 .091 .242 .364
2008年 7 16 22 409 .017 .056 .110 7 7 8 48 .146 .292 .458
2009年 21 16 22 494 .043 .075 .119 13 3 4 60 .217 .267 .333
2010年 17 13 18 375 .045 .080 .128 4 4 1 22 .182 .364 .409
中央 758 876 837 11936 .064 .137 .207 170 140 125 999 .170 .310 .435
地方 48 37 31 302 .159 .281 .384
熊沢重文 参考文献
別冊宝島『競馬騎手読本』(宝島社、1997年)ISBN 4-7966-9290-8
別冊宝島『競馬騎手名鑑’98』(宝島社、1998年)ISBN 4-7966-9383-1
木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 4-89691-298-5
小林常浩『騎手という稼業』(アールズ出版、2000年)ISBN 4-901226-13-4
熊沢重文 脚注
^ NARデータベース
^ 元々岡潤一郎が騎乗していたが、GI競走に騎乗するための勝利数(31勝)に達していなかったため
^ 1938年保田隆芳、1943年前田長吉に次ぐ3人目
^ 騎手物語
^ 東京競馬場・中山競馬場共に両GIレースの施行日が初騎乗
^ 騎手という稼業
^ 別冊宝島騎手名鑑’98
^ 横山富雄・田中剛に次ぐ3人目
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行
北村 友一(きたむら ゆういち、1986年10月3日 – )は、中央競馬・栗東トレーニングセンターに所属する騎手である。騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持しているが、障害競走への騎乗経験は現在の所ない。
北村友一プロフィール
2006年、2月に競馬学校を卒業し騎手免許を取得、田島良保厩舎所属騎手としてデビュー。同期には田中博康、的場勇人騎手がいる。初年度は14勝を挙げ中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞した。
2007年、第1回新潟競馬に於いて11勝、2着5回、3着3回の成績で初の開催リーディングジョッキーを獲得。10月8日京都12Rで走行妨害を受け落馬。当初JRAより頭部外傷と発表されたが、その後の精密検査で右手首骨折が判明。手術を受け年内復帰は絶望視されていたが、12月8日復帰、15日に復帰後初勝利を記録している。
2008年10月4日札幌3Rにて通算100勝を達成、仲の良い藤岡佑介騎手がプラカードを持った。10月18日、デイリー杯2歳ステークスをシェーンヴァルトで制し、デビュー3年目にして重賞競走を初制覇した。また同馬にて翌年の皐月賞・東京優駿に騎乗し4着・6着と結果を残す。
2009年ミヤビランベリで目黒記念・七夕賞を優勝する等、7月まで39勝を挙げる活躍を見せるも、7月19日札幌12Rにて落馬のため左上腕骨を骨折。12月12日の復帰まで長期休養となる。
北村友一 主な騎乗馬
シェーンヴァルト(2008年デイリー杯2歳ステークス、2009年皐月賞4着)
ソルジャーズソング(2009年高松宮記念3着)
ミヤビランベリ(2009年目黒記念、2009年七夕賞)
ホッコーパドゥシャ(2009年福島民報杯)
エーシンホワイティ(2010年ファルコンステークス)
ダノンヨーヨー(2010年富士ステークス)
トウカイミステリー(2011年北九州記念)
北村友一 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2006年3月4日 1回阪神3日3R 3歳未勝利 ソリッドスウィート 15頭 13 11着
初勝利 2006年3月19日 1回中京6日7R 4歳上500万円下 ゴッドヘイロー 16頭 12 1着
重賞初騎乗 2006年12月3日 4回中京2日11R 中日新聞杯 イーグルドライバー 13頭 13 4着
重賞初勝利 2008年10月18日 4回京都3日11R デイリー杯2歳S シェーンヴァルト 12頭 3 1着
GI初騎乗 2008年5月18日 2回東京8日11R ヴィクトリアマイル タイキマドレーヌ 18頭 15 12着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 表彰
2006年 14 15 10 291 .048 .100 .134 中央競馬関西放送記者クラブ賞
2007年 45 47 46 591 .076 .156 .234
2008年 53 59 53 730 .073 .153 .226
2009年 41 30 28 460 .089 .154 .215
2010年 53 54 52 682 .078 .157 .233
中央 206 205 189 2754 .075 .149 .218
地方 5 0 2 19 .263 .263 .368
北村友一 supporter’s wave +Trieath+
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北村 宏司(きたむら ひろし、1980年7月24日 – )は日本中央競馬会(JRA)の美浦トレーニングセンター所属の騎手である。
北村宏司 プロフィール
馬術の国体選手だった父親が、家で馬を飼っていたこともあり、幼少の頃から乗馬に親しんでいた。
競馬学校騎手過程15期生で1999年に騎手デビュー。同期には二本柳壮、高田潤らがいる。初騎乗は同年3月6日、中京競馬第4競走のイブキアーンドランで、16頭立ての16着だった。初勝利は同年3月14日、中山競馬第2競走でタイキコンコルドに騎乗してのものであった。その年は6月に左足を骨折し、それによる1ヶ月の休養があったものの37勝を挙げ、JRA賞(最多勝利新人騎手)を獲得した。
デビュー翌年の2000年1月30日、東京競馬場での東京新聞杯を単勝7番人気のダイワカーリアンで制して重賞初勝利。その後もコンスタントに勝利を挙げ、関東リーディングの上位に名を連ねる。
所属の藤沢和雄厩舎はGIによく管理馬を送り出すが、北村が騎乗していた馬がGI出走になると他のリーディング上位の騎手や外国人騎手に乗り替わりというパターンが多かった。しかし、岡部幸雄が2005年に引退して以降は実力のある馬の騎乗が回ってきている。また、藤沢も2006年からは「日本人騎手育成のためにオリビエ・ペリエ、ケント・デザーモなどの外国人騎手に依頼せずに(自身の厩舎に所属する騎手を中心とした)日本人騎手に依頼する」と宣言しているため、更に有力馬への騎乗機会が増えている。
ダンスインザムードに騎乗した2005年の天皇賞(秋)では、それまで不振に陥っていた同馬を、前年に2着したときと同じような先行3番手という競馬を試みた結果、僅差の3着に粘らせ復活させた。
さらに2006年のヴィクトリアマイルでは同馬を桜花賞以来2年ぶりの勝利に導き、自身初のGIタイトルを獲得。同時にヴィクトリアマイルの初代優勝騎手となった。ヴィクトリアマイルの8日後には東西騎手対抗サッカー大会に参加。この場でも東軍(Jスマイル)を勝利へと導き、MVPに選ばれる活躍を見せた。
2008年、アメリカ合衆国へ遠征していた自厩舎のカジノドライヴのピーターパンステークスへ向けての調教を行うためのパートナーとして渡米し、5月7日の追い切り後に帰国した。その帰国直後の5月11日に京都競馬場で行われた第12競走でジェイケイボストンに騎乗し、最後の直線で前の馬と触れてつまずいたことにより落馬し、その後左前腕部骨折、左大腿部挫創と診断された。
なおジェイケイボストンの落馬直後にはコンゴウダイオーと鞍上の武英智(北村と同期でもある)が接触し、後者も落馬するという大きな落馬事故となっている。そして療養中には普段できないことをしたいということからフランスへ競馬研修を行うなどした。傷が癒えて8月21日より調教に復帰し、9月13日より実戦復帰を果たし、復帰初日に勝利を挙げている。
そして復帰2週目の9月21日には2頭落馬というアクシデントの中、セントライト記念をダイワワイルドボアで勝ち、2008年初重賞勝ちを記録した。
北村宏司 重賞勝利
2000年
東京新聞杯(GIII) ダイワカーリアン
関屋記念(GIII) ダイワテキサス
新潟記念(GIII) ダイワテキサス
新潟3歳ステークス(GIII) ダイワルージュ
2004年
共同通信杯(GIII) マイネルデュプレ
2005年
エプソムカップ(GIII) スズノマーチ
セントライト記念(GII) キングストレイル
2006年
京成杯(GIII) ジャリスコライト
ヴィクトリアマイル(GI) ダンスインザムード
2007年
クイーンカップ(GIII) イクスキューズ
日経賞(GII) ネヴァブション
2008年
セントライト記念(JpnII) ダイワワイルドボア
2009年
ダイヤモンドステークス(GIII) モンテクリスエス
エルムステークス(GIII)マチカネニホンバレ
2010年
中山牝馬ステークス(GIII) ニシノブルームーン
関屋記念(GIII) レッツゴーキリシマ
レパードステークス(重賞) ミラクルレジェンド
2011年
フィリーズレビュー(GII) フレンチカクタス
北村宏司 騎乗成績
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1999年3月6日 1回中京7日4R 4歳未勝利 イブキアーンドラン 16頭 16 16着
初勝利 1999年3月14日 2回中山6日2R 4歳未勝利 タイキコンコルド 14頭 1 1着
重賞初騎乗 1999年4月25日 2回東京2日11R NZT4歳S タイキトレジャー 18頭 6 3着
重賞初勝利 2000年1月30日 1回東京2日11R 東京新聞杯 ダイワカーリアン 16頭 7 1着
GI初騎乗 2000年5月7日 2回東京6日11R NHKマイルカップ マイネルブライアン 18頭 7 14着
GI初勝利 2006年5月14日 2回東京8日11R ヴィクトリアマイル ダンスインザムード 18頭 2 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1999年 37 25 25 363 .102 .171 .240
2000年 38 40 46 592 .064 .132 .209
2001年 54 52 55 652 .083 .163 .247
2002年 41 62 53 596 .069 .173 .262
2003年 78 56 72 690 .113 .194 .299
2004年 65 55 59 745 .087 .161 .240
2005年 59 63 45 740 .080 .165 .226
2006年 79 72 66 842 .094 .179 .258
2007年 61 76 72 821 .074 .167 .255
2008年 55 40 35 513 .107 .185 .253
2009年 87 77 57 828 .105 .198 .267
2010年 60 80 64 878 .068 .159 .232
中央 714 698 649 8260 .086 .171 .250
地方 20 16 23 212 .094 .170 .278
カテゴリ : 騎手, 騎手 か行