芹沢純一 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

芹沢純一

芹沢 純一(せりざわ じゅんいち、1968年9月4日 – )は、JRAの栗東トレーニングセンターに所属する騎手。
常用外漢字の使用に制約がある新聞・JRA公式ホームページなどでは「芹沢」と表記されるが、戸籍上の表記は「芹澤 純一」である。
1968年静岡市にて出生。

競馬学校に進学した芹沢は本来なら1987年デビュー予定であったが、卒業試験直前に落馬骨折するケガを負い、騎手免許試験を不合格となり留年したため一年遅れの1988年、競馬学校第3期生鹿戸幸治厩舎所属騎手としてデビューとなった。同期には蛯名正義、武豊らがいる。

デビュー初日にJRA初騎乗初勝利という記録を達成し、デビュー初年度に23勝を記録。師匠である鹿戸幸治の尽力により一年目より他厩舎からも騎乗馬を集め、勝利数を順調に伸ばす。

1990年には栗東トレセン内で交通事故を起こし騎乗数を減らされる中[2]23勝を挙げるも、翌年以降は落馬負傷等により低迷、デビュー当時にあったGI競走への騎乗依頼も無くなる。

この当時、中央場所(京都・阪神)中心の騎乗だった芹沢だが、勝ち鞍を伸ばすためローカル開催へと騎乗の場を移し、1994年には北九州記念をイブキファイブワンで制し重賞初制覇を達成。

またこの年フェアプレー賞を初めて受賞し、これまでに同賞を4度受賞している。ローカル転戦により再び勝利数を伸ばし始めた芹沢はこの後も重賞勝利を重ねた他、1996年には7年ぶりのGI騎乗も果たしている。

関西を拠点とする騎手であるが、先述の通りローカルでの騎乗が多く、関西主場である京都・阪神での騎乗数は全体の2割強にとどまり、6割超が福島・新潟・小倉・中京の4場を占める。中でも福島・新潟の2場では福島記念2勝2着2回の他、1993年から2000年にかけカブトヤマ記念騎乗機会6年連続2着という好成績を残している。

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