調教師 一覧 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

堀宣行

堀宣行

出身地	千葉県
生年月日	1967年11月9日(44歳)
所属団体	JRA
初免許年	2002年(2003年開業)
経歴
所属	諏訪富三/厩務員(1991.8 - 1991.11)
二ノ宮敬宇/調教助手(1991.11 - 開業)
美浦T.C.(開業 - )

堀 宣行(ほり のりゆき、1967年11月9日 - )はJRA・美浦トレーニングセンターに所属している調教師。千葉県出身。

大学卒業後はサラリーマン生活を送っていた。
1991年5月、JRA競馬学校厩務員課程に入学し、8月より美浦・諏訪富三厩舎所属の厩務員となる。11月より美浦・二ノ宮敬宇厩舎所属の調教助手となる。
2002年2月、調教師免許を取得する。
2003年、厩舎を開業する。初出走は3月15日でエレガントレガーロが12着となり、5月17日にミスタータダヒロが勝利し、延べ23戦目での初勝利となった。
2006年、函館スプリントステークスをビーナスラインが制しJRA重賞初勝利を挙げる。
2010年、高松宮記念をキンシャサノキセキが制しGI初勝利。その後、天皇賞(春)をジャガーメイルが制し、同一年にJRAの最短距離と最長距離のGI勝利を達成した。
堀宣行 特徴
キンシャサノキセキ・ロックドゥカンブなど、南半球産馬を管理することが多い。
主戦騎手は内田博幸・石橋脩。ここ一番ではクリストフ・ルメールやクリストフ・スミヨンなど、外国人騎手への騎乗依頼も目立つ。
追い切りは木曜日に行うことが大半だが、土曜競馬を使う馬や出張競馬に使う馬は水曜日に追うこともある。

堀宣行 調教師成績
          日付	      競馬場・開催	競走名	馬名	     頭数	人気	着順
初出走    2003年3月15日	1回中京3日11R	鈴鹿特別	エレガントレガーロ	16頭	13	12着
初勝利	 2003年5月17日	1回東京7日2R	3歳未勝利	ミスタータダヒロ	16頭	2	1着
重賞初出走 2003年12月6日	6回中山1日11R	ステイヤーズS	マイネルエスケープ	10頭	9	6着
重賞初勝利 2006年7月2日	1回函館6日11R	函館スプリントS	ビーナスライン	13頭	13	1着
GI初出走	 2006年5月17日	2回東京6日11R	NHKマイルC	キンシャサノキセキ	18頭	6	3着
GI初勝利 2010年3月28日	2回中京8日11R	高松宮記念	キンシャサノキセキ	18頭	1	1着

堀宣行 主な管理馬
ビーナスライン(2006年函館スプリントステークス)
ジョリーダンス(2007年、2009年阪神牝馬ステークス)
スプリングドリュー(2007年福島牝馬ステークス)
ロックドゥカンブ(2007年ラジオNIKKEI賞、セントライト記念)
キンシャサノキセキ(2008年函館スプリントステークス、2009年スワンステークス、阪神カップ、2010年オーシャンステークス、高松宮記念、阪神カップ、2011年高松宮記念)
アリゼオ(2010年スプリングステークス、毎日王冠)
ジャガーメイル(2010年天皇賞(春))
クォークスター(2010年セントライト記念)
リアルインパクト(2011年安田記念)

堀宣行 主な厩舎所属者
菅沼輝正(2003年-現在 調教助手)
松田幸吉(2010年-現在 調教助手)
宗像徹(2011年-現在 調教助手)
高橋智大(2011年-現在 調教助手)

安田隆行

安田隆行

出身地	京都府京都市
生年月日	1953年3月5日(58歳)
所属厩舎	梶与三男(1971年4月 - 1975年5月)
田中康三(1975年5月 - 1975年7月)
梶与三男(1975年7月 - 1986年2月)
フリー(1986年3月 - 引退)
初免許年	1972年
騎手引退日	1994年2月28日
重賞勝利	13勝
G1級勝利	2勝
通算勝利	6401戦680勝
調教師情報
初免許年	1994年
重賞勝利	20勝(うち地方交流4勝)
G1級勝利	5勝(うち地方交流2勝)

安田 隆行(やすだ たかゆき、1953年3月5日-)は日本中央競馬会(JRA)の元騎手、現在は同会の調教師。
栗東トレーニングセンター所属。京都府京都市出身。自厩舎所属の調教助手である安田景一朗(長男)と安田翔伍(次男)は実子。
1972年に騎手デビュー、1980年代から小倉競馬場・中京競馬場といったローカル開催を得意とする騎手として知られたが、1991年にトウカイテイオーとのコンビでクラシック二冠を制した。1994年に調教師へ転身。主な管理馬に、それぞれGI級競走に優勝しているトランセンド、グレープブランデー、カレンチャンなどがいる。

安田隆行 経歴
1953年、京都市五条に生まれる。実家は特に競馬との関わりがない家庭であったが、中学生の時に父と京都競馬場を訪れたことをきっかけに競馬にのめりこみ、騎手を志す[2]。中学校卒業後、京都競馬場の梶与三男厩舎に騎手候補生として入門。1972年に騎手免許を取得し、梶厩舎から正騎手としてデビューした。

安田隆行 騎手時代
同年3月4日に初騎乗、18日にニホンピロエイジーで初勝利を挙げる。初年度は12勝を挙げ、関西放送記者クラブ賞(関西新人賞)を受賞した。しかし翌年3月には阪神競馬の障害競走騎乗中に落馬、脳挫傷を負って意識不明の重体になり、半年の休養を経験した[3]。快復後は徐々に勝利数を伸ばし、デビュー4年目の1975年、コウケンジでシュンエイ記念を制し、重賞初勝利を挙げた。1980年、京都競馬場の改装をきっかけに小倉競馬場での騎乗が増え、当年44勝を挙げる。以後小倉開催での活躍が目立ち始め、「小倉男」「小倉の安田」とも称された。
安田自身もこの異名に誇りを抱き、「GIがあっても小倉へ行くようなスタンス」で小倉を中心に活躍を続け、小倉開催45週連続勝利などの記録も樹立[4]。しかしこうした信条から、八大競走、GI競走の勝利は長らくなかった。

安田隆行 トウカイテイオーに騎乗
1990年12月1日、懇意としていた松元省一厩舎の所属馬トウカイテイオーの新馬戦に騎乗して勝利。当日、この勝利を含めて6勝を挙げ、中央競馬の1日勝利数の新記録(当時)を樹立した[5]。当年、自己最高の83勝を挙げてリーディング6位を記録し、自身初のベスト10入りを果たす。翌1991年はトウカイテイオーとのコンビで皐月賞に優勝し、デビュー20年目にしてGI競走を初制覇。次走には東京優駿(日本ダービー)も制してダービージョッキーとなり、競走後には観客から祝福の「安田コール」が起こった[6]。この競走を最後にトウカイテイオーからは降板となった[7]が、全国区の知名度を獲得し、JRA発行の「ジョッキー列伝」ポスターも制作された。
後年安田は「テイオーは僕の人生のすべて。表舞台に引き連れていってくれたから」と語っている。
1994年、6度目の受験で調教師試験に合格し、騎手を引退した。通算6401戦680勝(うち障害4勝)、重賞13勝。小倉開催重賞のうち、北九州記念のみ勝てなかったことから、引退前に小倉で行われたセレモニーにおいて「ぼくが取れなかった北九州記念を、管理馬で取りに来ます」と語った。

安田隆行 調教師時代
1995年3月1日付けで滋賀県栗東トレーニングセンターに安田隆行厩舎を開業。11日に管理馬初出走、25日にアカツキホーオーで初勝利を挙げる。2000年にシルヴァコクピットできさらぎ賞を制し、重賞を初勝利を挙げた。
年間勝利数の面では、1999年以降安定して年間20~30勝前後の成績を保っている。2004年には当時のJRA記録に並ぶ10週連続出走馬勝利を達成。2009年には年間39勝を挙げて全国7位(関西6位)に入り、自身初のベスト10入りを記録した。
2007年4月には、管理馬ホワイトベッセルが希少な白毛馬として中央競馬史上初の勝利を挙げた。
また、同月には安田自身が第1回ジョッキーマスターズの出場騎手に名を連ね、トウカイテイオーの服色で参戦、3着という成績を残している。
2010年12月には、トランセンドでジャパンカップダートを制し、開業16年目で調教師としてのGI競走初制覇を果たした。同馬は翌2011年3月28日に世界最高賞金競走・ドバイワールドカップに出走、日本馬初優勝となったヴィクトワールピサから僅差の2着となった。
日本が同月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う混乱下(東日本大震災)にあり、日本馬による1・2着独占は日本のみならず現地においても「感動的」と報じられた[12]。また同年8月には管理馬トウカイミステリーが北九州記念を制し、前記騎手引退セレモニーでの予告を実現している。

安田隆行 騎手成績
通算成績	1着	2着	3着	4着以下	騎乗回数	勝率	連対率
平地	676	627	604	4,461	6,368	.106	.205
障害	4	2	7	20	33	.121	.182
計	680	629	611	4,481	6,401	.106	.204
日付	競走名	競馬場	馬名	頭数	人気	着順
初騎乗	1972年3月4日	4歳未勝利	阪神	ニシツオーネ	13	-	12着
初勝利	1972年3月18日	-	阪神	ニホンピロエイジー	-	-	1着
重賞初騎乗	1972年10月1日	阪神障害S(秋)	阪神	オーシャンライン	7頭	7	5着
重賞初勝利	1975年9月20日	シュンエイ記念	阪神	コウケンジ	9頭	1	1着
GI級初騎乗	1981年5月31日	東京優駿	東京	シェラトンシチー	27頭	27	23着
GI初勝利	1991年4月14日	皐月賞	中山	トウカイテイオー	20頭	1	1着

安田隆行 受賞
関西放送記者クラブ賞(1972年)
中京競馬記者クラブ賞2回(1989年、1990年)
関西競馬記者クラブ賞特別賞(1990年)
主な騎乗馬 [編集]
※括弧内は安田騎乗時の優勝重賞競走。太字はGI級競走。
コウケンジ(1975年シュンエイ記念)
リョクシュ(1978年タマツバキ記念・春)
ローベルギフト(1981年小倉大賞典)
ダンディアポロ(1988年小倉3歳ステークス)
ハギノハイタッチ(1989年小倉3歳ステークス)
リリーズブーケ(1989年サファイヤステークス)
スノージェット(1990年小倉記念)
ナルシスノワール(1990年スワンステークス)
トウカイテイオー(1991年皐月賞、東京優駿)
フェイムオブラス(1991年CBC賞)
ナガラフラッシュ(1993年小倉3歳ステークス、テレビ東京賞3歳牝馬ステークス)

安田隆行 調教師成績
日付	競馬場・開催	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初出走	1995年3月11日	1回中京3日12R	5歳上500万下	キョウエイミラー	16頭	4	5着
初勝利	1995年3月25日	1回中京7日6R	5歳上500万下	アカツキホーオー	16頭	1	1着
重賞初出走	1995年5月7日	5回京都6日11R	京都4歳特別	プログラム	16頭	1	7着
重賞初勝利	2000年2月13日	2回京都6日11R	きさらぎ賞	シルヴァコクピット	12頭	2	1着
GI初出走	1997年5月18日	2回中京2日11R	高松宮杯	シネマスコープ	18頭	14	16着
GI初勝利	2010年12月5日	5回阪神2日11R	ジャパンカップダート	トランセンド	16頭	1	1着

安田隆行 受賞
優秀調教師賞(関西)(2010年)

安田隆行 主な管理馬
※括弧内は安田管理時の優勝重賞競走。
GI級競走優勝馬
トランセンド(2010年ジャパンカップダート 2011年フェブラリーステークス、マイルチャンピオンシップ南部杯など重賞5勝)
グレープブランデー(2011年ジャパンダートダービー)
カレンチャン(2011年スプリンターズステークスなど重賞4勝)
その他重賞競走優勝馬
シルヴァコクピット(2000年きさらぎ賞、毎日杯)
フィフティーワナー(2006年アンタレスステークス)
メトロノース(2008年北海道2歳優駿)
シンメイフジ(2009年新潟2歳ステークス 2010年関東オークス)
ダッシャーゴーゴー(2010年セントウルステークス 2011年オーシャンステークス、CBC賞)
トウカイミステリー(2011年北九州記念)

平井 雄二 調教師時代

平井 雄二 調教師時代
 1985年調教師免許取得。1986年3月1日、第2回中山競馬3日目第4レースのボルボシローで厩舎所属馬初出走を飾り、同年5月10日の第1回新潟競馬7日目第5レースのシャダイハンターで初勝利を飾った。
厩舎開業当初は後に伝説の名馬となったサクラスターオーを管理していた。1987年、同馬で第47回皐月賞と第48回菊花賞を制して注目を浴びた。しかしそのサクラスターオーは1番人気に推された第32回有馬記念で第3コーナー通過時に脚部を骨折。長期の闘病生活を送ったものの、翌1988年5月に病状が悪化、立ち上がれなくなった為、関係者間の協議の結果、安楽死処分の決断が下された。このサクラスターオーの安楽死は平井も相当な悲しみとショックを受けていた。
尚サクラスターオーの活躍が評価され、1987年に重賞獲得調教師賞を受賞している。
平井は、気性が悪いとの傾向があったサクラショウリの子であるサクラスターオーに対して「サクラショウリの仔は気性が悪いなんて言われるが、サラブレッドについて気性が『悪い』なんてことはない。闘争本能をどう利用して育ててやるかが人間の役割だ」とコメントしていた。

平井 雄二 調教師成績 

日付	競馬場・開催	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初出走	1986年3月1日	2回中山3日4R	4歳新馬	ボルボシロー	10頭	10	8着
初勝利	1986年5月10日	1回新潟7日5R	4歳未勝利	シャダイハンター	13頭	2	1着
重賞初出走	1986年8月31日	3回新潟8日8R	新潟3歳S	サクラバリュー	12頭	5	8着
重賞初勝利	1987年3月8日	2回中山4日11R	弥生賞	サクラスターオー	11頭	6	1着
GI初出走・初勝利	1987年4月19日	3回中山8日10R	皐月賞	サクラスターオー	20頭	2	1着
主な管理馬 [編集]
サクラスターオー(1987年弥生賞・皐月賞・菊花賞)
サチノスイーティー(2006年アイビスサマーダッシュ)
平井 雄二 主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
五十嵐久(1989年-1995年 騎手)
松山将樹(1999年-2007年 調教厩務員、調教助手)
鈴来直人(2000年-2005年 騎手)

平井 雄二

平井 雄二(ひらい ゆうじ、1947年7月31日-)は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属する調教師で元騎手。
父は元騎手で中山大障害を制した平井寅雄。
騎手時代は平地競走の他に障害競走にも騎乗しており、障害競走の名馬の1頭であったバローネターフにも2度騎乗している。

平井 雄二 騎手時代 
1963年に馬事公苑長期騎手養成課程14期生として入所。1965年に東京・稲葉幸夫厩舎の騎手候補となり、1969年に騎手デビュー。

同期に同郷の安田富男の他、田島良保、小島太、池上昌弘、目野哲也らがいた。
障害競走の騎乗が中心であった為、安田、田島、小島、池上と違い目立った活躍は無かったが、障害競走に於ける調教師からの信頼は厚く、中山大障害等の障害大レースにも良く騎乗していた。
調教師免許取得により1985年2月に現役を引退。騎手時代の通算成績は重賞競走4勝を含む合計117勝であり、この内概ね9割に当たる106勝が障害競走での勝利であった。

日吉 正和

日吉 正和(ひよし まさかず、1972年1月1日 - )とは、
JRA・栗東トレーニングセンターに所属する調教師で、元騎手。
福岡県出身。身長153cm、体重48kg、血液型A型。騎手時代は平地競走と障害競走の両方に騎乗していた。
1991年、JRA競馬学校を第7期生として卒業して騎手免許を取得し、栗東の湯浅三郎厩舎所属でデビュー。同期には四位洋文、藤田伸二らがいる。
初騎乗は1991年3月2日、中京競馬第1競走のキョウワカガヤキで、13頭立ての10着。初勝利は1991年3月23日の京都競馬第12競走のエイシンテイオーで挙げた。デビュー15戦目だった。
2002年6月9日、中京競馬第5競走のタケカソウルネバーで障害初騎乗初勝利を挙げた。
1992年9月6日、小倉3歳ステークスでデイリープラネットに騎乗し重賞初騎乗(10着)。
2003年7月20日付で騎手を引退し、岡田稲男厩舎の調教助手に転身した。騎手成績は2118戦93勝(うち障害戦7戦1勝)であった。
2010年2月に調教師免許試験に合格[1]。3月1日より技術調教師として活動する。
2011年3月1日付けにて調教師として新規開業(栗東:馬房数14)。

日吉 正和 主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
山本勝彦(2011年-現在 調教助手)
高野容輔(2011年-現在 調教助手)

羽月 友彦

羽月 友彦(はつき ともひこ 1970年7月29日- )は、
日本中央競馬会栗東トレーニングセンター所属の調教師。

1970年7月29日、鹿児島県出身。
1995年に小林稔厩舎で厩務員となる。その後調教厩務員、石坂正厩舎で調教助手を務める。
2006年2月、調教師試験に合格し、調教師へ転身。1年間は技術調教師として修業。
2007年3月1日、湯浅三郎厩舎を受け継ぐ形で厩舎を開業した。
2007年4月8日、第2回阪神競馬第10レースの梅田ステークスに於いて管理馬のワンダースピードが勝利し、厩舎開業初勝利を挙げた。
2008年4月27日、第3回京都競馬第11レースの第13回アンタレスステークス(GIII)に於いて管理馬のワンダースピードが勝利し、厩舎として初の重賞勝利を挙げた。
主な管理馬
ワンダースピード(2008年アンタレスステークス、名古屋グランプリ、2009年平安ステークス、東海ステークス)

畠山 重則 主な管理馬

畠山 重則 主な管理馬
ハセシノブ(1981年新潟記念、オールカマー、1982年新潟大賞典)
ロシアンブルー(1985年七夕賞、新潟記念)
ハセベルテックス(1987年フラワーカップ)
ヤマタケサリー(1989年テレビ東京賞3歳牝馬ステークス)
アイルトンシンボリ(1992年~1993年ステイヤーズステークス、1994年宝塚記念2着)
マイヨジョンヌ(1996年新潟大賞典、福島記念、1997年新潟大賞典)
アルコセニョーラ(2007年福島記念、2008年新潟記念)
コスモメドウ(2011年ダイヤモンドステークス)



畠山 重則

畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )は日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンター(南)に所属している調教師で、元騎手。実家は有限会社畠山牧場を経営している。
1964年、東京・田中和夫厩舎所属の騎手見習いとなる。
1965年、騎手免許を取得する。
1974年、東京(後に美浦)・勝又忠厩舎所属となる。
1978年、美浦・飯塚好次厩舎所属となる。
1979年、調教師免許を取得し騎手を引退する。騎手成績は通算1787戦143勝。
1980年、厩舎を開業する。10月11日、初出走となった福島競馬場での第5レースは、ミスマッキンレーが2着となる。12月6日に中山競馬場での第12レースで、グリーンエコーが勝利し延べ14頭目で初勝利を挙げる。
1981年、新潟記念をハセシノブが制し、重賞初勝利を挙げる。
1985年、春にシリウスシンボリを厩舎に受け入れる。詳細はシリウスシンボリ移籍事件を参照。優秀調教師賞を初受賞する。
1995年、10月10日に管理馬が地方競馬で初出走する。
1998年、7月15日に浦和競馬場で行われたマルチロマン特別を1番人気だったカゼノオーが制し、地方競馬初勝利を挙げる。
2005年、8月6日にJRA通算300勝を達成する。

橋田 満 調教師成績 管理馬 

橋田 満 調教師成績
 日付	競馬場・開催	競走名	馬名	頭数	人気	着順
初出走	1985年3月16日	1回阪神7日1R	4歳未勝利	トーワチャンス	-	-	7着
初勝利	1985年5月11日	1回福島7日5R	4歳上400万下	アナベイル	-	-	1着
重賞初出走	1987年2月15日	2回京都6日11R	きさらぎ賞	スズノライジン	8頭	8	2着
重賞初勝利	1987年9月6日	3回小倉8日10R	小倉3歳S	ポットナポレオン	16頭	3	1着
GI初出走	1987年5月31日	3回東京4日10R	東京優駿	スズノライジン	24頭	23	21着
GI初勝利	1990年11月18日	4回京都6日10R	マイルCS	パッシングショット	18頭	10	1着
橋田 満 主な管理馬
アドマイヤグルーヴ(2003年・2004年エリザベス女王杯)
アドマイヤコジーン(1998年朝日杯3歳ステークス、2002年安田記念)
アドマイヤベガ(1999年東京優駿)
アドマイヤホープ(2003年全日本2歳優駿)
アドマイヤマックス(2005年高松宮記念)
サイレンススズカ(1998年宝塚記念)
スズカマンボ(2005年天皇賞・春)
スズカフェニックス(2007年高松宮記念)
パッシングショット(1990年マイルチャンピオンシップ)
橋田 満 主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
楠孝志(1989年-1993年 騎手、1993年-現在 調教助手)
南井大志(2002年-2005年 騎手)

橋田 満

橋田 満(はしだ みつる1952年9月15日-)は、JRA栗東トレーニングセンターに所属する調教師である。

1983年に調教師免許を取得し、1985年3月16日に管理馬が初出走、同年5月11日に初勝利を挙げる。
有力馬主である近藤利一や永井啓弍との繋がりが非常に強く、代表的な管理馬の名前には大抵「アドマイヤ」や「スズカ」の冠名がつく。

逆にこの2人の馬主以外の馬でのGI勝ちはパッシングショットの1回しかない。2010年2月22日現在の管理馬42頭中36頭が両名の所有馬である。
2007年以降は近藤オーナーの意向で、「アドマイヤ」の管理馬に武豊が騎乗することはなくなった。しかし松田博資調教師と違い、スズカフェニックスを初めとする他の管理馬では、武に騎乗依頼を出している。

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