加藤敬二 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

加藤敬二

加藤敬二は、馬界入りする前には信用金庫の職員だったという、異色の経歴を持つ。

しかし配属先の犬山支店で預金係として札束勘定や営業活動に明け暮れる自分を見た加藤は「これは自分に合う仕事ではない、体を使い野外で働いてみたい」と感じるようになりほどなく退職届を提出。僅か2年半ほどのサラリーマン生活に終止符を打った。

1968年7月より社台ファームの従業員として繁殖・育成・馴致・調教と多くの業務に携わった加藤はその2年半後の1971年正月、社台に暇を請い北海道を後にする。栗東で調教助手になることを望み、現地での実践勉強や海外視察を視野に入れていたためであった。

この時直接加藤より暇請いを受けた社台総帥吉田善哉は「そうか、頑張れや」とだけいい加藤を送り出したという。
栗東に移り、宮本悳厩舎の厩務員として2年半籍を置いた加藤は、1973年10月一旦職を辞しイギリスへと向かい、同地で1年以上に渡る厩舎・牧場での研修を経て1975年1月帰国。

再び宮本厩舎へと戻った加藤は同年3月調教助手試験に合格し、かねてからの望みを実現させた。加藤はその後11年にわたり調教助手として宮本を補佐し続け、1986年3月6度目の挑戦で調教師試験に合格。

馬房の空きが無かったため1年以上の待機となったが、1987年10月病死により今春廃業した梅内慶蔵厩舎を引き継ぐ形で厩舎開業を果たす。
開業後暫くは旧梅内厩舎の馬だけで運営を賄い、加藤自らが開拓した馬主からの馬を入れることはしなかったがやがて自然代謝により梅内の馬が去り始めたころより、続々と新規参入の馬主の馬が入厩。

加藤厩舎はその実績を伸ばし始め1989年より勝利数2桁を維持、1994年にはノースフライトでGIを2勝、1998年にはエリモエクセルでオークスを制しクラシック制覇を記録するなど多くの重賞勝利を輩出し続けている。

加藤敬二 調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1987年10月10日4回京都1日9R黄菊賞ブリングスハピネス10頭910着
初勝利1987年10月11日4回京都2日2R3歳未勝利ハクサンエース14頭11着
重賞初出走1987年11月14日5回京都3日11Rデイリー杯3歳Sハクサンエース13頭136着
重賞初勝利1988年1月31日2回京都2日11R京都牝馬特別マヤノジョウオ10頭11着
GI初出走1988年5月15日4回東京8日10R安田記念マヤノジョウオ12頭107着
GI初勝利1994年5月15日4回東京8日10R安田記念ノースフライト16頭51着

加藤敬二 主な管理馬

アラシ(1992年福島記念、中京記念)
ノースフライト(1994年安田記念、マイルチャンピオンシップ)
サマニベッピン(1995年金鯱賞、府中牝馬ステークス、阪神牝馬特別)
エリモエクセル(1998年オークス)
ミヤビランベリ(2008年・2009年七夕賞、2009年目黒記念、2009年アルゼンチン共和国杯)

加藤敬二 主な厩舎所属者

括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
梅内忍(1987年-1989年 調教助手)
牧田和弥(2005年-2010年 調教助手)
高井彰大(2010年-現在 調教助手)

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