音無秀孝 | 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

音無秀孝

音無 秀孝(おとなし ひでたか、1954年6月10日 – )は、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンター所属の調教師であり、元栗東所属騎手である。

中学校を卒業した後、大阪のレストランでコックとして3年間働いていたが、この間に競馬ファンとなり、自身も騎手として競馬界に飛び込むことを決意する。1973年から騎手見習いとして騎乗を開始、1979年からは田中良平厩舎に所属し正式な騎手となった。

1995年6月24日に中京競馬第12競走でキーペガサスが管理馬として初出走、初勝利は厩舎10戦目であった同年7月23日の小倉競馬第11競走北九州記念をイナズマタカオーで飾っている。

リンカーン、カンパニー、オレハマッテルゼ、サンアディユ、サンライズバッカス、オウケンブルースリなどの活躍馬を世に送り出し、騎手時代以上の活躍が目立つ。

音無秀孝 特徴

開業時に他厩舎から転厩してきたイナズマタカオーで重賞を2勝するなど開業当初から調教師として手腕を発揮していたが、2000年頃から成績が飛躍的に向上し、現在では毎年のように調教師リーディングの上位を賑わす存在である。これには、リンカーンなどに代表される近藤英子所有の素質馬を管理し始めたことや、条件戦での積極的な関東遠征、東田幸男調教助手を始めとする厩舎スタッフらの手腕とチームワークなどが理由として挙げられる。

また坂路主体の調教も厩舎の特徴であり、西高東低の現状に於いて、これが前述の関東遠征での好結果に繋がっている。
その他に、管理馬がレースでの人気の有無に拘らず2着・3着を拾うケースが目立つこと(この事に関しては音無も自虐的に語ることがある)や、ヘネシーやスウェイン、ジェリなどの本邦ではまだ馴染み薄い種牡馬の産駒達が活躍していることも特徴である。

2003年より2010年まで厩舎所属騎手として生野賢一がいたが、重賞を含む上級条件競走においては、関西では武豊、関東では柴田善臣が騎乗することが多い。熱心な競馬ファンの間では「関東で柴田を乗せてきたら買い」とも言われるほどの複勝率を誇る。

当時、小田切は田中良平厩舎にその所有馬の多くを預けていたこともあり、音無は若い頃から小田切に可愛がられていた(現在も”秀ちゃん”と呼ばれている)。その縁と信頼関係は、調教師となってからのエガオヲミセテやワナでの重賞勝利や、オレハマッテルゼでの高松宮記念優勝による悲願のGI初制覇へと結実している。

所属馬一頭一頭の過去のデータが一目瞭然できるというソフト(自らが考案)を利用し、調教時計を始めとする詳細事項を自らの手でパソコンに入力、さらにそのデータは馬主にも届けるというマメな一面も持ち合わせている。
栗東トレセンでは同郷のよしみから橋口弘次郎調教師と仲が良く、二人の会話は新聞記事のネタになることもある。

しかし週明けの月曜日(6日)、絶対安静とされる中、上記の“データ入力”の為コルセットを装着した状態で厩舎へ現れるという肉体的かつ精神的タフさをも見せている。
妻は元JRA職員(京都競馬場業務課)である。

もっと詳しく知りたい事や
理解できなかった事などございましたらお気軽にご連絡下さい。

お問い合わせはこちらからどうぞ

  • Yahoo!ブックマークに登録する
  • はてなブックマークに登録する
  • livedoorクリップに登録する
  • newsingブックマークに登録する
  • del.icio.usブックマークに登録する
  • ニフティクリップに登録する
  • RSSを購読する

次の記事 »
前の記事 »
トップページへ » 競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師)

競馬予想メルマガ検証!競馬投資の極意とは?(競馬の錬金術師) TOP